149.ジェンダー

今日はひな祭り、女の子のお祭りですね、イベントも性別関係なく楽しめるイベントが増えるといいですね。

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三上:みなさん、こんにちは。こころメンテナンス。本日もアシスタント三上恵と、気功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:さあ、放送日、3月3日、そうです、ひな祭り。なじみありますか。お子さん、女の子ふたり。

吉村:実は、僕の家ではあんまり、行事ごととか、ほとんどやってないんで、むすめたちが、小学校あがるぐらいまでは、小さい、紙で作った雛人形みたいなのを、テレビの前とかに、ポンポンと並べて、テレビ台の上に並べたりとか、しましたけど、基本的には、ひな祭りということで、スーパーとかに雛あられとか、菱餅とか、ああいうちょっと可愛いピンク色のお菓子とか出るから、たぶん、娘たちがそういうお菓子が食べられる日みたいな感じで捉えていたんじゃないかなと思いますね。

三上:うーん。わたしの場合は、ほんとに二人姉妹なので、小さなころから、雛人形、そして、おかあさんが、ちらし寿司、ケーキというような、3月3日、女の子の祭りということで、いろいろ華やかな日というイメージがあるんですけども、最近は、女子、とか、男子、というお話は、タブーになってきている時代だと思うんですが、

吉村:ああ、そうですよね、ジェンダーがね、別に、単純に男性、女性だけじゃなくて、中間とか、いろいろ、いろんなカラーや、グラデーションも存在しているというのが段々、みなさんの共通の認識になりつつあるのかなという感じはありますよね。

三上:そうですよね。なので、今日は、3月3日、ひな祭り、女の子のお祭りということなんですけども、いろんな性別関係なくということで、ジェンダーのお話をいろいろきかせていただきたいなと思っているんですが、ここ近年、わたしの周りにも、いろいろな愛の形があるなというふうに、わたしもみる機会が多いのですけども。吉村さん的に、こういったジェンダーのかたというのは、周りにも、多いですか。

吉村:そうですね。僕の世間が狭い頃には、そんなに、いなかったわけですけど、年齢が上がると、それだけいろんな人と会う機会が増えてくるので、その中で、どんどん、直接関わる機会とかも増えてきて、僕の周り、知り合いで、いわゆるLGBTとかっていうカテゴリーに入るような人たちというのも、知り合う機会がすごく増えてきましたね。

三上:うーん。

吉村:あとは、たとえば、小学生の頃に、ひとり、男子なんだけど、女子っぽい、という言い方で合っているのかな、ひとり、一般的な感じに見えない子がいたんです。それは、その子がなよっとした、フェミニンな感じの男子というわけではなくて、どっちかというと、男まさりな女子みたいな子っているじゃないですか。

三上:いますよね。

吉村:体がちょっと大きくて、なんかジャイアンみたいな感じの女子って。そういう感じに見える男子なんですよ。だから、すごい不思議な感じで、だから、男子っぽく見える女子、みたいに見える男子なんですよ。わかります?

三上:わかりますよ。

吉村:で、ツルンでいる子たちも女子だから、女子同士で、ツルンで遊んでいるのを見ると、小柄な感じの女子たちがいるなかに、ちょっと、大柄な、男まさりタイプの女子がいる、みたいな感じの子で、各クラスにそんなグループって、なんか小さいグループってあるじゃないですか。

三上:うんうん。

吉村:だから、僕のいたクラスにも、そういう、ほんとに生物学的に女子の子なんだけど、体が大きくて、ちょっと男まさりで、みんなを引っ張っていくリーダー気質の子がいて、その周りに、小柄な女の子たちが集まってグループ作ってる、みたいな感じに見える、そのグループが、隣のクラスにいるんだけど、その中心になっている子というのが、実は、生物学的には男子である、というね。

三上:うーん。

吉村:だから、僕らとしては、それがすごい不思議な感じというか、今思うと、すごいひどいことなんだけど、ちょっとおもしろいよね、みたいな、ちょっと笑っちゃう、というような、感じでとらえていたので、その彼というか、彼女というか、わからないけど、隣のクラスの子のことを、不良少女と呼んで、揶揄するみたいなことをしていたんですよね。そういう人たちがいると知らない世界で暮らしていたんですよ。僕が小学生の頃といったら、1980年代初頭とか、ですよね。小学校高学年に入ったぐらいの頃とかって。だから、テレビをつけても今みたいに、オネエ枠の人とか、セクシャルマイノリティ枠の人とかもいないから、ただ異質な、ちょっと変わった子がいるという、感じだったですよ。ただ、ちょっとふざけてからかったりするけど、向こうは、それこそ男まさりだから、「うるさいわね」という感じで、ギャハハみたいな感じで、なっていたから、別に陰湿ないじめみたいな感じにはなってなかったんですけど、それって、僕がいたグループと、その子のグループとの間のことなので、別のところで陰湿なこともあったかもしれないけど、そこは、僕にはわからないわけですよ。

三上:うーん。

吉村:だけど、だいぶたって、大人になって、30代とかになってからだと思うんだけど、SNSのミクシィって、前にあったじゃないですか。

三上:はいはいはい。やりましたね。

吉村:ミクシィをやり始めたら、その子が僕のアカウントを見つけて、連絡をくれたんですよ。プロフィール写真とかをみると、完全に、女の人になっていて、「なになにだけど、覚えている?」みたいな感じでメッセージもらって、「あ、はいはいはいはい、なになに君ね」みたいな、「ああ、やっぱり、きみ、そういう感じだったのね」みたいな。ははは。

三上:うんうんうん。

吉村:そんな感じで、話きくと、今は、性転換の手術をしてるかどうかまではわからないんだけど、性自認としては女性として暮らしていて、男性のパートナーと一緒に暮らしてる、みたいな話で。そこにいたるまでの間に、僕も、直接ゲイのかたと知り合う機会がなかったところから、直接知り合う機会があって、それまでは、僕がアメリカで高校生だったときとかって、ゲイ差別とかがまだまだ激しかったときなんか、周りの同年代の男子と話しているときに、たとえば、誰かを揶揄するとか、馬鹿にする言葉として、ゲイという言葉を使う、みたいなこととかというのが、横行していて、僕も、悪気なく、みんなに調子を合わせて、やっていたわけですよね。

三上:うーん。

吉村:だけど、実際に社会に出るようになったりして、自分の知り合う人が増えて、世間が広くなると、そういう人たちと知り合う機会が出てくるじゃないですか。そうすると、知り合って、仲良くなってから、自分はゲイなんだという話を、僕に話してくれると、それまで、ゲイってよくわからない、異質で、なかば馬鹿にしていた対象だった人が、リアルにいて、その人と仲が良くて、いい人だってこともわかっているわけですよ。となると、そのときに、ようやく、ゲイだからっていう理由で馬鹿にするとか、差別するって、すごいひどいことをしてたなって、ようやく僕はそこで気が付いたわけですよね。

三上:うーん。

吉村:実際に、自分の周りにそういう人がいることがわかって、あ、いるんだ、この人、こんなに、いい人だから、ここから僕が手のひら返したように、差別したり、馬鹿にしたりとかできないなとなったから、本当に個性として受け入れないと、まずいなというのは、そのときに思って、そこからは、自分の向き合いかたというか、捉え方がすごい変わったんですね。だから、そういう経験を経て、10年ぶりぐらいで、小学校のときの隣のクラスの子と、SNS上ですけど、再会して、すごい感慨深いというか、自分らしく生きられるようになって、よかったね、とそのときはすごく思ったんですよね。

三上:うーん。昔は社会的にもカミングアウトできないという、状況が多かったと思うんですけど、今からもっと、こういったジェンダーのかたは増えていくと思うんですけども、それと同時に思うのは、子どもの頃って、わたしたちはそういう教育を受けていない、男性か、女性か、となると、やっぱり、そういったことが起きますよね。「え、お前はどっちなの?」みたいな、

吉村:そうなんですよね。だから、そこって、たぶん、日本にひな祭りがあったりとか、5月5日の端午の節句とあるという、あれって、たぶん、子どもの頃に、男か女というジェンダーはどっちかしかありませんよ、ということを、植え付けるためにやってきたことなんだろうなと思うんですよね。

三上:うーん。

吉村:だから、そういう意味で、別に出だしがそういうものだったしても、その思想でずっとやり続ける必要はないと思うんで、ひとつの祭りみたいな感じで考えて楽しむ分には全然いいと思うんですけど、だから、どっちかしかないという考えかたというのが、もう、あまり必要ないよな、という感じがしますよね。

三上:うーん。ですね。やっぱり、同性愛のかたでも、本当に、色んな経験をして、苦しい思いもして、でも、結果、カミングアウトして、相手のパートナーのひとを見つけて、幸せそうに、過ごしているかたもいらっしゃるじゃないですか。最後にききたいのは、ジェンダーで悩んでいるかたって、本当に多いと思うんですよ。わたしの周りもいっぱいいるんですけど、そんなかたに、もし、吉村さんの考えのなかで、アドバイスというか、何かメッセージとかがあれば、いただきたいな、ひとことって、今ちょっと思ったんですけど。

吉村:そうですね。世の中がもっとオープンになっていく必要があるよね、というのは思うんですけど、世の中って、結局、僕ら一人ひとりの集合体なので、まず最初にできることは、自分自身がオープンになって、自分自身に対して、これでいいのだ、って、言えることだと思うんですよね。どうしても、白か黒か、とか、どっちサイドか、みたいな話が多いし、僕の子どもの頃なんか、学校に行くと、お前はどっちのグループなんだ、とかね、どっちの味方なんだ、みたいな、話ってよくあって、すごい居心地悪いなと感じていたんですよね。どっちかにつかなきゃいけないとか、どっちかに属していないといけない、白か黒かのどっちかじゃないといけないという発想というのは、みんなの心のなかに、ちょっとずつ、そういうものがあって、それが、寄り集まって、大きな流れとか形として、現れちゃっているということがあると思うので、別にどっちかじゃないといけないなんてことはないんだなということを、まずは、一人ひとりの心のなかで、別に大きなぼんやりした傾向みたいなものがあったとしても、自分がそのなかのどこに位置しているかというのは、自分の話だから、白か黒じゃなくて、すごい膨大なグレーゾンみたいなのがあるなかに、僕らは暮らしているわけで、もちろん、社会が変わっていけば、カミングアウトなんて言葉自体がそのうちなくなってしまうような時代とかも来るんじゃないかと思うんですけど、そこに向かっているんだという意識で、まずは、自分自身が、これでいいのだと思って生きていけるように、していくということが先決じゃないかな。たとえば、ちょっと昔の100年前とかだったら、同性愛というだけで、犯罪扱いされて、投獄されたりとかね、今の時代でも、たぶん、日本の外の別の国とか行ったら、そういう国もあると思うんですよね。

三上:うーん。

吉村:そういうところにいる人たちって、本当に苦しいと思うんですけど、でも、幸いなことに、今僕らはある程度、ジェンダーって、男と女だけじゃないよね、ということが、だいぶ、オープン、OKになってきている、世界と時代にいるわけじゃないですか。まだ、過渡期なところもあるとは思うんですけど。世の中は、段々、そちらの方に向かって進んでいるから、それに自分がのっかって、自分自身が、これでいいんだ、自分は自分で、これでいいんだという、気持ちで生きていくということをしていくと、たぶん、それが段々ひろがっていくんじゃないですかね。

三上:はい、ありがとうございます。今日は、ひな祭りに配信ということで、ちょっとかけてですね、ジェンダーに関するお話も、いろいろなアドバイスもいただけたと思います。わたしたちもそうですけど、周りにいる、こういったかたにもひろめていただきたいなという話題でもあったかと思います。

吉村:そうですね、はい。

三上:吉村さん、本日も素敵な話題をありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

148.友達以上恋人未満

匿名希望さんからのメッセージを取り上げて、吉村さんからお話伺いました。

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三上:はい、みなさん、いかがお過ごしでしょうか。こころメンテナンス。本日もアシスタント三上恵と、気功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい、さあ、今日はね、メッセージを取り上げて、ご紹介していきたいと思います。匿名希望ですね、はい、28歳の女性です、「友だち以上恋人未満の関係の男性がいるんですけども、彼には本命の彼女がいます。どうしたらいいんでしょうか」と、

吉村:なるほど。ふふふふ。

三上:来ています。今このメッセージを、わたし読んでみて、いやあ、わたしの周りにもいるな、友だちで、と思いながら、ははは。

吉村:うーん。「友達以上恋人未満」という表現はよく耳にすることがありますよね。

三上:うーん。なんか、つきあってないけど、性的行為はする、みたいなのとか。

吉村:そういうことなんですよね。定義がね、よくわからないんで。

三上:わからない。人によって違うと思いますけど。

吉村:そうですね。だから、定義ということでいうと、なんとなく、僕がいつも不思議に思うのは、「友達以上恋人未満」という言い方をしているということは、恋人は友だちの上にあって、友だちは恋人の下で、その間のところを「友達以上恋人未満」と言っているのかなと思うんですけど。

三上:ああ。

吉村:この時点で、ちょっと不思議なんですよね。だって、なんか友だちと恋人って、人間関係というくくりでは一緒だけど、同じものではないじゃないですか。そもそも。

三上:そうですね。これ、勝手に順番つけてますね。

吉村:順番ね。だから、別に、友だちでありつつ、恋人でもあるみたいな関係性だって、別にあってもおかしくないと思うし。

三上:たしかに。

吉村:ここで、その順位がつくのって、なんか「お雑煮以上きしめん未満」みたいな、ははは。

三上:はははは。

吉村:それ、なんのこと言ってんの?、みたいな感じにきこえちゃうんですよ。だから、ちょっと不思議だなというのがひとつあるんですけど、それもありつつのところで、ちょっと、考察していきたいと思います。

三上:はい。どんな話がきけるのかな。

吉村:たぶん、本当にそうなのかどうなのかはわからないですけど、恋人じゃないけど、なにか性的な関係はありますよ、みたいなことを指して、言っているのか、定期的に二人で会って遊ぶみたいな、デートみたいなことをしているけど、性的な関係にはなっていません、みたいなことを言っているのかって、これでも、どういう関係性なのかって、微妙に違うと思うんですよね。

三上:はい。

吉村:てなると、じゃあ、恋人って、何をしたら、恋人なのかというのもよくわかんないですよね。

三上:そうですよね。

吉村:だって、友だちって思っているけど、向こうは、思っていないみたいな話もあるじゃないですか。

三上:ああー、そうですよね。わたしはね、友だちと思っていたのに、恋人と思っていたのに、みたいなね。

吉村:そういう意味では、恋人という概念も、友だちという概念も、定義がはっきりしていないんですよね。なので、当事者同士のお互いの定義が、合っているのかというところでみていくしかないのかなと思うんですよね。

三上:うーん。

吉村:だから、ここの、その定義がずれていると、たぶん、まず当事者同士での、認知の齟齬みたいなのが出てきて、結果的にね、その関係性がどこかでくずれていっちゃうということにもなりかねないと思うんですよ。

三上:うーん。

吉村:で、向こうには本命の彼女がいる。本命の彼女と、本命でない彼女というのは、どこで見分けているのかというもよくわからないですよね。本命の彼女とは、人間関係をずっと続けたいけど、本命じゃない彼女は、都合が悪くなったら、切ってもいいと思っている、みたいな話なのかなとか、

三上:うん。

吉村:ちょっと、そこら辺が、どうやって、本命と、2番、3番とか、順位つけているのかとか、よくわからないんですよね。一夫多妻制が認められているイスラム教の世界とか、たぶん、あそこだって、第一夫人、第二夫人って、単純に順番で決まっているんじゃないかと思うんですね。結婚した順番でね。

三上:ああ、そうですよね。自然とね。

吉村:そうそうそう。だから、そこら辺の、本命の彼女と本命でない彼女とかっていう関係性がどうなのかとかも、たぶんね、いろんなケースが有りすぎて、わかんないところを、ふんわりと、本命とか、遊びとか、友達以上恋人未満みたいな、言葉で、ふわっと、煙に巻いて、本質を語るのを避けているだけ、みたいな、感じの気が、僕はしてるんですね。傍から見てる分にはね。ただ、そこで、やっぱり、出てくるのが、本命の彼女、こっちにいます、で、友達以上恋人未満のかたといます、みたいな、この関係性って、じゃあ、本命の彼女は、28歳の女性と友達以上恋人未満の関係、人間関係がここにあるって、知ってるのかな、みたいな、知らないとしたら、隠してお付き合いをしているという話なんじゃないかなと思うんですよ。

三上:うん。

吉村:だから、そうすると、隠し事があるということは、なんで隠し事をずっと続けているのかといったら、おそらく、本命のかたの知るところになったら、この関係性がくずれるという、前提があるから、隠しているということだと思うんですよね。この関係性は、安定していないわけですよ。

三上:うん。

吉村:安定的な関係性じゃないじゃないですか。

三上:そうですね。本命という彼女がいたり、こっちにいたり。

吉村:そうそう。本命のひとが、「いや、知ってますよ」と、「わたしとは別になにかお付き合いしている人がいるの知っていますよ」、あっちのひとも、こっちのひとも、「本命のひとがいて」って、「それでもお互いそれでOKですよね」っていう感じで、この関係性が続いているんだったら、たぶん、別に、誰に咎められることもなく、別に本人達が嫌になるまで続けていける、続けていくことができることだと思うんですよ。実際には、いざ結婚みたいな話になっていったときに、両方の親たちがまた出てきたりしたときに、話がこじれる可能性が高いとは思うんですけど。

三上:うんうん。

吉村:僕は、その、別に、恋愛とか結婚とかって、結婚って、前に、ただの契約だっていうことは、別の回でお話しさせていただいているぐらいなんで、あんまり、そこに対しての、絶対視だったりとかね、ファンタジー的なものとかね、あんまり無いんですけど、じゃあ、これ、契約として考えた場合、大事なことは、双方が、隠し事なく、ちゃんと、約束を遂行していけているかどうかということだと思うんですよね。

三上:うーん。

吉村:これは、契約ととらえたほうがいいよねという話は、僕は、恋人同士とか、友達同士でも、結局のところは、契約みたいな話だと思うんですよ。

三上:うーん。

吉村:だから、お互いがちゃんと合意して、ちゃんとこれが続いているという状態は、双方が大事にしていく必要があって、その場合に、この契約に関わることに関しては、お互い、隠し事なくいきましょうね、というような、暗黙の了解というようなものがあって、契約って成り立っているわけですよね。だから、もし、こっちの本命の彼女に知られないように、こそこそしなきゃいけないというのがずっと続いているんだとしたら、それって、結局、この関係が崩れるリスクを、いつも持ったまま、爆弾抱えたまま、やっていますみたいな感じになっちゃうから、結局、隠しているということは、隠されているほうは、言ってみたら、騙されているのと一緒なわけですよ。

三上:うふふふふ。

吉村:はは、なんかね、わたしとこの人は恋人同士で、他の人が入ってきて、「わたしが思う恋人同士とは」みたいなところに、この二人はいると思っているところに、別の人がいるという話になって、しかも、そのことをわたしは知らない、となったら、この人は、こっちの本命の彼女に対しては、誠実とはいえないんですよね。

三上:そうですね。

吉村:ここでは、言ってみたら、フェアではない、情報格差とかが、はははは。

三上:大きい、大きい。ほんとに。うふふふ。

吉村:関係性の格差が生まれているわけですよね。だから、たとえば、これが本当にまた別の契約でね、「わたしが他の女性と付き合っても、あなたは文句を言いません。そのことを知らなくても、文句を言いません」みたいな契約書を出して、こっち側の本命彼女のほうが、「あ、それでもいいですよ」とサインしたのなら、いいと思うんですけど、果たして、そういう契約でサインするかな、みたいな話ですよね。

三上:そうですね。

吉村:ははは、考えると、だから、この関係性って、あんまり、この当事者の間で、フェアな状態ではないですよね。

三上:うーん。そうですよね。今お話きいて、たぶん、これを機にちゃんと、話し合って、コミュニケーションをちゃんととって、しっかり、本人さんも、これからの先をしっかり考えているのであれば、ねえ。

吉村:そうですね。僕は本当に、ぶっちゃけて、つきつめて考えたら、世の中、本当は、多夫多妻制でいいと思っているし、恋人みたいな関係性も、別に多数いてもいいぐらいに思っているんですよ。ただ、その間で、隠し事が起きているということに問題があると思っているんえすね。

三上:ええ。

吉村:たとえば、僕が複数のかたとお付き合いしているけど、その相手のかたも、僕以外の複数のかたともお付き合いしているというのが、「はい、それでもいいですよ」というようなことだったら、別にそれでいいと思っているんですね。

三上:うーん。

吉村:ただ、じゃあ、それで、社会をまわしていくとなると、それに合わせた社会でないと、結構厳しいと思うんですよね。だって、今だって、まだ、なにかいろいろ偏見があったりとか、あとは、親が誰だかわからない子どもが豊かに暮らしていくのって、すごい難しい世の中なわけですよね、今って。

三上:そうですね。

吉村:これが、別に、みんながみんなで、みんな家族で、なんか生まれてきた子どもは、もうね、社会みんなで育てていこうよ、みたいな感じになっていたら、全然いいと思うんですよね。それで。

三上:うん。

吉村:ただ、現状、そうじゃないから。この制度の違いみたいなこととも、また摩擦や軋轢が起きる可能性を秘めたまま、多夫多妻制をやっていくとなると、結構なエネルギーがいるというか、ハードルが高いと思うんですよね。別に、「よし、そのハードルを越えていくぞ」という人たちがいても、全然いいと思うし、だから、そこは、別にそういう人達が現れたら、全然、僕応援するんですけど、ただ、そこで、要は、嘘偽りとか、隠し事が起きちゃうという、そこが一番の問題だと思うんですよね。

三上:うーん。

吉村:なので、「本命彼女は、わたしのこと、知ってるの?」みたいなね、「なんだったら、わたし、挨拶しに行くけど」ぐらいな感じの、はははは、それで、「いや、それやめて」となったら、この関係性は、ちょっと考え直したほうがいいのかもしれないなということですね。

三上:ですね。いや、今、それをね、コメントでメッセージを頂いているということは、いろいろ思っているからこそ、質問するというのが、目にみえてわかりますからね

吉村:よくも悪くもないんですけど、それを、だからね、続けていくにあたって、どこかに、嘘偽りとか、あるいは、そのしわ寄せをくっているひとがいたら、ちょっと、それってなんとかしたほうがいいですよ、という話ですね、きっと。

三上:はい。ということで、今日は、匿名希望で、メッセージいただきましたけども、いやあ、吉村さんのお話きくと、なんかいろんな感覚的に、最初は、こんな話よくきくなあというふうに、入って読んでいたんですが、やっぱり、考え方がひろがりますね。あと、自分の、こうでならないといけないという考え方も、改めて、こういうふうに考えていたなと、わたしも気づきました。

吉村:はい。ふふふふ。

三上:ということで、是非ね、匿名希望さん、これを取り入れてみて、次に会うときは、質問を投げかけてみたりして、きいてみては、いかがでしょうか。是非、友達以上恋人未満にいるかた、このポッドキャストをシェアしていただいて、たくさんのかたに、聴いて頂きたいと思います。吉村さん、本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

147.輪廻転生するなら来世で頑張ればいいのでは?

今回の人生をどう生きるか、生きたいか、困難が嫌なあなたへ是非聴いていただきたいお話です。

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三上:はい、みなさん、こんにちは。こころメンテナンス。本日もアシスタント三上恵と、気功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい、さあ、今日はですね、話の中でたまに出てきますね、「輪廻転生」。たとえば、輪廻転生するなら、今じゃなくても、来世で、次の来世で頑張ればいいのかなって思ったりもするんですけど、今の現状はそのままで。この考えは、どうですか。

吉村:はい。そうですね、それを選択する自由はもちろんあるとは思うんですよ。別に何かこうするべきたとかね、こうしなきゃいけないという話ではないんで、ただ、じゃあ、まあ、自由に選択できるのだとしたら、自分にとって、有益な選択をしたほうがいいじゃないですか。メリットがあることをしたほうがいいと思うんですよね。

三上:うん。そうですね。

吉村:たぶん、来世があるから今世頑張らなくてもいいよね、という発想というのは、今生頑張らないということで、楽ができるというような、メリットというような話なんじゃないかと思うんですよ。

三上:うんうん。

吉村:だから、苦しい思いをして、頑張り続ける必要はもちろんないと思うんですよね。じゃあ、だらだらして無目的というか、流されるように、暮らしていったときに、今世の自分の人生は、豊かなものになるだろうかと考えたら、ちょっとどうかなという感じはありますよね。

三上:そうですね。へへへ。

吉村:だって、少なくても、今回の人生でも、それなりに快適に生きていきたいって、思うんだったら、快適に生きていくために必要なことをやっておいたほうがいいということだと、僕は思うんですよ。

三上:うーん。

吉村:それは別に苦しい思いをして頑張らなきゃいけないという話では、もちろんないんですよ。ただ、自分が得たいものを得るためには、そのための行動をする必要というのが、どうしても、この三次元の世界ではあるわけですよね。原因があって結果あるみたいなので、何か行動したから、それによって、その結果がついてくるとかね。何か手に入れるためには、そのハードルを越えるみたいなことが必要だったりするんで、結局、そこをその、ハードルを越える作業を楽しくやれるのか、いやいや苦しみながらやるのかというような違いみたいなのがあると思うんですよね。

三上:うーん。

吉村:本当に、ハードルを越えた先に、手に入るものというのが、その人の魂が欲しがっているものだったら、たぶん、そのハードルを越えるということ自体も、結構楽しんでやれると思うんですよね。なので、まず、現世を楽しく生きるということにおいて、この相談内容のなかで出てくる、頑張らなくていいということ、どういう選択になっているのかということは、ちょっと考えたほうがいいのかなとは思うんですよ。

三上:うーん。

吉村:あと、もっと、直接的な切実な問題としては、たぶん、自殺みたいな話がどうしても出てきちゃうと思うんですよね。

三上:ああー、はあー、なるほどね。

吉村:だから、今世、もう嫌だから、来世にやりゃあいいや、みたいな感じで、自殺しちゃうみたいな。これも、自殺をしてしまうというのは、完全にリセットされて、次の人生がまっさらから始まるわけじゃないんですよね。そこをちょっと知っておいたほうがいいかなと思いますね。

三上:たとえば、自殺して来世で、ってなったときには、どういったところからスタートする?吉村さん的に。

吉村:自殺をしたという事実が、その人の輪廻転生してる魂の経験として残っているわけですよね。だから、輪廻転生しているというのは、同じ魂がずっと輪廻転生しているから、同じ魂がずっと生き続けているわけですよ。

三上:うん。

吉村:だから、この人生が終わってリセットなんじゃなくて、この魂にとっては、途中で投げ出して、自殺をしたという経験があって、次を始めましたという魂になっていくということですよね。なので、いろいろと傷が残った状態というのになっていくわけですよ。

三上:うーん。やりきっていない。

吉村:そうそう。やりきっていない、未完了があったりとか、ね。要は、その傷が癒えないと、元の状態には戻っていないということなわけですよね。ということは、傷を抱えたまま、次の人生を生きることになるから、しんどいわけですよ。骨折しましたと、ちゃんと処置すればいつかは治るんだけど、骨折している間はずっと痛い思いをして、苦しい状態で日常を生きることになるわけじゃないですか。それが魂としては、ひとつづきに全部つながっていることだあから、現世にいる人間としての、僕たちは一回一回終わっていると思っているけど、魂にとっては、ここで自殺しましたといったら、どこか骨折しましたみたいな話なわけですよ。それが、骨折が治るまで、次の人生、その次の人生って、ずっと痛いなと思って、生きていくことになりかねないわけですよね。

三上:うーん。なるほどですね。じゃあ、スタートはその痛いところから、また始まるということですもんね。

吉村:そうですね。それで、痛いな痛いなと思いながら、びっこを引きずりながら生きていたら、他のところにも、いろいろと、しわ寄せがきて、負担がかかっちゃってみたいなことで、それで他のところまで痛くなってきちゃうみたいなことあるわけですよね。

三上:うーん。

吉村:まず、自分の魂にとっては、ひとつづきの、人生と言えるのかどうかわからないですけど、魂にとっての人生みたいなのは、ひとつづきでずっと続いていて、その間で、いろんな役を演じているというふうに考えると、あんまり、大きなダメージを負うようなことはしないほうが、その先の人生にとっては、有益だし、結局、僕、いろんな方達の、生きづらさを抱えている人達の相談とか受けて、リーディングさせていただくと、前世とか、過去世といわれている、今世ではない、今までの人生での未完了だったことが、引きずっているために、今の人生がすごくしんどくなっているという人達をたくさん見てきているわけですよね。

三上:うーん。

吉村:そうすると、過去世でのいろんなことをクリアリングでリセットして、過去の傷を癒やして、今の人生がうまくいくようにってことをお手伝いさせてもらっているんですけど、クリアリングで過去の傷を癒やすということをしていない状態だとしたら、その人の苦しい人生って、ずっと続いていっちゃうわけですよね。

三上:うーん。

吉村:なので、別にその、一回記憶がなくなるから、記憶がなくなった後の自分のことなんか知らんわ、と思うのは自由だと思うんですけど、もし、今生きづらさを抱えて、もう頑張りたくないです、と言っているあなたの、その状態が、何回か前の人生で、一回、今回の後の人生のこととか知らんわ、という感じで、はい、終わり、終わりみたいな感じで、やけくそな、めちゃくちゃなことをして、自分の人生を満足してちゃんと終えていないために、今すごい苦しい思いをしてるんだと思ったら、そこって、そのサイクルをもうやめて、まず今の人生が快適になるようにして、なおかつ、来世とかその先も、快適に楽しい人生を送れるように、今からちゃんと修正したほうがいいですよね。

三上:うーん。今この話をきくと、いや、輪廻転生するなら、今、この三上恵を、ちゃんと最後まで、

吉村:ふふふ、そうですね。

三上:やりきって、乗り切って、楽しむこと、大切ですね。

吉村:そうですね。本当に、ちゃんと、いろんなそういう、見えない足かせみたいなのを、とっていくと、たぶん、自分が本当に楽しいと思うことをやるために、出てきたハードルを越えながら、どんどん、人生をさらに豊かにしていくということ自体は、別にしんどい話ではなくなって、楽しくなってくると思うんですよ。

三上:うん。

吉村:実際、僕はね、以前は本当にいつも、不平不満だらけで、周りに怒りをいつも撒き散らしてるような人だったんですけど、その辺ほとんどクリアリングで手放していったら、なんか人生楽しいな、みたいなね、人と関わることも楽しいなとなってきたんですよ。

三上:うーん。

吉村:なので、決して、その、なにかのために今我慢して、頑張り続けるみたいなのがずっと続いていくという話ではなくなってくるので、来世で頑張ればいいやと思っているということはたぶん、今世であんまり楽しめていないんだろうということがわかるわけですよ。

三上:そうですね。その言葉を言っている時点で、そうですよね。

吉村:そうそう、そうそう。だから、ちゃんと、今世楽しめる状態で、ちゃんとやり切った、おもいのこすことなし、みたいな感じで、人生終えられるように、もっていくことをしたほうが、次の人生も楽しくなってきますよ、という話ですよね。

三上:ああ、なるほどですね。よく、吉村さんのお話のなかで、いろんな出来事が起こるなかで、ゲーム感覚で、これはこうでクリアしていくんだ、みたいな話が、わたしのなかで、すごい響いているんですけど。人生のなかで、いろんな悪いことも、いいことも、起きて、大変なときも、もしかしたら来るかもしれないけど、それもゲーム感覚で、これはこうやってクリアしていこう、みたいな感覚で、楽しんで、皆さんが、いっていただけるといいですね。

吉村:そうですね。だって、なんか、なんの山場もない、平坦なゲームよりも、たまに、おおきなイベントがあって、乗り越えて、おお、やった!みたいなのがある、冒険がある人生のほうが楽しいと思うんですよね。

三上:うーん。なので、たとえば、今ね、大変な思いをしながら聴いているかたは、ずっとそれが続くわけではないですからね。

吉村:そういうことですね。

三上:うーん。ということで、今日は、「輪廻転生」のお話を、話題を含めながら、吉村さんからお話をうかがいました。やっぱり、日に、楽しむこと、ワクワクどこかで感じること、大切ですね。

吉村:そうですね。

三上:はい。吉村さん、本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

146.クリアリングについて

ハンドルネーム ぽいんこさんからのご感想とゆうさんからのメッセージを取り上げて、吉村さんからお話伺いました。

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==================

三上:はい、みなさん、いかがお過ごしでしょうか。こころメンテナンス。本日もアシスタント三上恵と、気功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい、さあ今日もね、メッセージを取り上げて、2通取り上げていきたいと思います。まずは、ハンドルネーム、ぽいんこさんから、感想がきております。「140の回、その回は、『感情的にならず、冷静になるには』の回なんですけれども、結構理解が難しくて、何度も聴いています。怒りや悲しみは、こうあってほしいという期待のギャップから生まれることが多いなと思いました。そこで、何にジャッジしているのか、よく見極めてクリアリングしていきたいと思います。ありがとうございました」と、ぽいんこさんから、メッセージ、まず来ています。

吉村:はい。ありがとうございます。たしかに、今まさにジャッジの中にいる人っていうのは、自分がジャッジしているという自覚をあんまり持っていない場合が多いんですよね。たとえば、こうあってほしいという期待のギャップから、怒りや悲しみが生まれることが多いなと気づかれたということだと思うんですけど、

三上:うん。

吉村:期待って、こうあってほしいって思っているけど、裏を返すと、こうでなきゃいけないみたいなね、こうあるべきだみたいな、その「べき」とか「ねばならない」がくっついていて、それを自分はこうあってほしいと思っているだけだ、みたいな感じで、思ってるんだけど、本当は、それ以外は受け入れませんよ、というのがあるから、だから、その期待通りじゃないことに対して、怒りとか悲しみとか失望とかっているネガティブな反応が出るわけですよね。

三上:はーっ。期待もそうなんですね。

吉村:そうですね。だから、期待って、別に、これいいよね、こうなるといいなって、期待してる事自体が悪いことではないけど、ただ期待しているとおもっているんだけど、本当は、本人の無自覚なところで、「べき」とか「ねばならない」を押し付けているみたいな、ジャッジが起きているということが多いわけですよ。

三上:はああ。

吉村:だから、そこの、こうあるべき、こうでなければならない、これがジャッジなわけで、ジャッジが含まれていない期待ということだったら、全然いいんですけど、多くの場合は、本人は期待していると思ってて、ジャッジしていることが多いので、そこで、その、ネガティブな反応であったりとか、そこから人間関係のいざこざに発展していってしまうということが起きやすいんですよね。。

三上:いやー、結構、そういうかた、わたしも含め、多いと思います。

吉村:ははは。そうですね。だから、その辺、ジャッジがありますよ、ということでね、クリアリングの、ひとつ目安というか、手助けになればいいなと思いますね。

三上:はい。ということで、ぽいんこさん、メッセージ・感想、ありがとうございました。これを踏まえて、クリアリング、もう一度考えていただいて、いろいろね、していただけたらな、と。

吉村:そうですね。

三上:と思います。さあ、続いては、ハンドルネーム、ゆうさんから、メッセージ来ております。こちらのメッセージ、今読み上げるんですけど、その前に、サロン向けでも、同じハンドルネームで、来てるかたがいらっしゃるので、もしかしたら、同じかたなのかなと思っております。今日は、一般向けで、ゆうさんのメッセージを読み上げていきたいと思います。

吉村:はい。

三上:「はじめましてのご質問させていただきます。場所でいうと、第一チャクラのあたりがとてもつまっているような、なにかに乗っ取られているような、そのため、自分を表現できずにいる感覚を感じています。大地のエネルギーを感じたいのに、地に足をつけたいのに、何かが理由で、遮断されているような感じで、とても苦痛です。クリアリングをお願い致します」とメッセージが来ております。

吉村:はい。まず、クリアリングお願いいたしますと書かれているということは、クリアリングの依頼だと思うんですけど、そこに関しては、こちらのポッドキャストでクリアリングの依頼は受け付けていないので、毎週月曜日にやっている、ゆるライブ、公開クリアリングセッションのほうで、チャット欄のほうに相談あげていただくとか、あるいは、どなたかの個人セッション、プラクティショナーのかたの個人セッションに申し込んでいただくということをご案内したいと思うんですけど、

三上:うん。

吉村:サロン向けのほうに、かなり細かく、詳細でいろんなこと、送っていただいていて、おそらくは、同じかたの相談内容なのかなと、僕も思うんですよね。チャクラの話とか。

三上:チャクラの話、そうですね。

吉村:地に足をつけたいというふうなことで、そちらのほうも、僕はちょっと、学習障害があって、長い文章読むのすごい苦手なんで、全部理解できているか、微妙なんですけど。

三上:はい。

吉村:目を通させていただいた感じだと、かなり複雑な感じになっている気がするんですよね。だから、たぶん、その、ひとつの問題だけじゃなくて、いくつかの問題がからまりあっていて、それがダマになって、ゴチャッとなっちゃている、感じなので、そうなると、ACTで取り扱うのとか、少しむずかしくなってくるかなという感はあるので、やっぱり、個人セッションでしっかりリーディングをするのがおすすめだとは思いますね。月曜日のゆるライブでも、僕、一応リーディングさせていただいているので、そこからのクリアリングをしているので、そちらにご相談いただいても、限られた短い時間内でね、リーディングできる範囲でのところのクリアリングはさせていただけるとは思うんですけど、

三上:うーん。

吉村:結局、エネルギー的な感覚がどうなっているかみたいな部分って、言葉で、たとえば、大地のエネルギーを感じたい、地に足をつけたいのに、何かの理由で遮断されているような、ということが、それが、言葉でおききしただけで、どういう状態なのか、こちらにはわからないわけですよね。

三上:うん。

吉村:大地のエネルギーを感じたいのにって、たとえば、こうおっしゃっているけど、その大地のエネルギーって何のことを指しているのかっていうのが、たとえば、大地のエネルギーを感じたことがないひとが、じゃあ、なんで、大地のエネルギーが今足りていないとわかるだろうみたいなことになっちゃうわけですよ。言葉の部分だけでみていくとね。

三上:そうですね。

吉村:たとえば、生まれてこのかた、ずっと目が見えなかったひとに、色の話をしても、わからないわけじゃないですか。

三上:イメージがわかないですよね。

吉村:僕たちの目も、その持っている視神経というのも、実は結構限られた範囲の光の波長しか読み取れないので、実際には色として存在しているけど、僕たち、ほとんどの人間が見れていない色とかというのも、この自然界に存在はしているんですよね。

三上:うーん。

吉村:ただ、誰もみていないから、名前が付いていない。名前の付いていない、誰もみたことのない、色というのがあるんですけど、それの話をしても誰もわかんないわけですよ。となっちゃうから、そうすると、そのためにリーディングをすることで、相談者のかたが言っていること、お話をされているときに発している周波数みたいなものと、リーディングで読み取っていくことで、こちらの感覚と、相談者のかたの感覚のすり合わせをしていくみたいなことをしていくわけですよね。だから、このかたが、この話をされているときに、この周波数が出ているから、ということは、この周波数は、自分に置き換えると、こういうときに出る周波数なので、おそらく、このひとは、このことを話しているんだろうみたいなことをやっているわけですよ。すごい手探りでね。なので、そこをきちっと、取り扱っていくためには、リーディングをしないと、ちょっとわからないですね。

三上:うーん

吉村:たとえば、同じ手法のトレーニングを長年積んできた人たち同士で、チャクラのこととかが、すごいわかっている人たちが、同じヨガのやり方を長年やっていて、チャクラといえば、これのことよね、第何チャクラといったら、これこれと、わかる同士の会話だったら、この言葉でパッと言ったときに、ああ、そのことねとわかるんですけど、これが、同じ認識の同意、合意がとれていない人達同士だと、たとえば、ある流派で言っている第何チャクラと、こっちの流派で言っている第何チャクラって、名前は同じだけど、実は違うもののことを指しているということだって、充分有り得るんですよ。

三上:うーん。

吉村:だから、そこって、言葉だけで、全てがわからないというところなので、なので、僕は、結構、相談内容を頂くときには、具体的に現実でどういう問題が起きているのか、あとは、それによって、自分がどういう感情や考えが出てくるのか、みたいなことをおききすることで、そのかたがこの話をしているときに、この部分の周波数が出ているから、ということは、この問題はこの辺りから出て来ているんだなみたいなのをリーディングしながら、推測して辺りをつけてさがしていくんですね。これも、だから、クリアリングしたというときに、僕のほうでは、クリアリングできたという感覚があったとしても、クリアリングがうまくいっているのかどうかというのをクリアリングされた側の人がどうやってわかるのかに関しては、たとえば、そこで、なにかエネルギー的な知覚がある人は、あ、なんか変わりましたとか、この辺にエネルギーを感じましたとか、おっしゃってくれるんですけど、それだって、また、隣にいる別の人からしたら、え?何が起きてるかわかんないってなっちゃうわけですよね。

三上:うーん。

吉村:なので、そうすると、このクリアリングがうまくいったのかどうかはどうやってわかるかってなったら、結局、その人の相談されていた内容の事柄が解決しているかということでしかわからないんですよ。

三上:うーん。

吉村:だから、現実がどういうふうに変わったか、できなかったことができるようになっているのか、とか、コミュニケーションとれなかった相手と、コミュニケーションがとれるようになったのかとか、やめられなかった習慣がやめられたのかとか、そういうようなところで初めて、クリアリングがうまくいったということがわかるので、

三上:うーん。

吉村:なので、その、なるべく、一応、いろいろと、頂いた質問に、僕は言葉を使って、お答えしているんですけど、全ての、その人の現状が言葉だけで、わかるわけじゃないんで、

三上:うーん。

吉村:なので、こういうリーディングとか、クリアリングという手法を使ってね、皆さんと、いろんなご相談に乗らせていただいているわけですよね。

三上:うーん。なので、今日、今ね、メッセージいただきましたけど、ゆるライブの、毎週月曜日で、まず来ていただいて、コメントをいただきたいのと、やっぱり、メッセージ送っていただくかたって、結構、こういったクリアリングの依頼が多いですよね。

吉村:ああ、そうですね。こちらのね、ポッドキャストのほうのお便りフォームに、クリアリングの依頼をいただくかたというのが、たまにいらっしゃるんですけど、そのクリアリングの依頼に関しては、月曜日のゆるライブか、個人セッションのほうで、お願いしたいですね。

三上:そうですね。お願いしたいと思います。それ以外の質問とか、感想とか、もう全然、みなさん、ドシドシ、はい、お待ちしておりますので、是非リンクのほうからね、送っていただけたらなと思います。はい。さあ、今日、この時間は、ハンドルネーム、ぽいんこさんからのご感想と、ゆうさんからのメッセージを取り上げて、吉村さんからお話うかがいました。吉村さん、本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

145. 離婚に至るという現実は、何かブロックが関係しているのでしょうか?

ハンドルネーム Blue Moon Stone さんからのメッセージを取り上げて、吉村さんからお話伺いました。

感想、ご質問はこちらにお願いします!
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◆文字起こしはこちら
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三上:はい、みなさん、こんにちは。こころメンテナンス。本日もアシスタントは、三上恵と、気功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい、本日もメッセージを取り上げて、お話をうかがっていきたいと思います。さあ、今日はですね、まず、ハンドルネーム、ブルームーンストーンさんから頂いたメッセージを読み上げたいと思います。

吉村:はい。

三上:「パートナーシップとの関係性が悪くなったり、最近では熟年離婚も増えています。しかし、夫婦になった、イコール、少なくとも一度は愛を誓い、助け合い、生涯を誓い合った間柄、誰かが結婚式のチャペルの音がゴングのサインと言ったのを思い出しますが、

吉村:誰ですか。

三上:笑っちゃいますね、はい。「生涯を誓い合うに至った男女が、最後は離婚に至るという現実は、何かブロックが関係しているのでしょうか。もう少し深掘りすると、人はどうして恋をするのか。恋愛の仕組みを吉村さん的に、どうお考えか、是非教えていただきたいです」と。

吉村:なるほどですね。

三上:これはわたしも気になりますね。

吉村:うーん。はい、そうですね。ふふふ。結婚式のチャペルの音がゴングのサインって、表現が面白いですよね。

三上:面白いですね。なんか使えそう、わたしも、ネタ的に。ははは。

吉村:僕もね、僕の両親離婚してるし、僕自身も離婚歴があるんで、結構、最近では増えている事柄なのかなというふうにね、思いながら、お話きかせていただいていたんですけど、

三上:はい。

吉村:この、夫婦になったということが、少なくとも一度は愛を誓いあい、助け合い、生涯を誓い合った間柄っていうふうに書かれますけど、結局、ここでは、誓い合った、誓うという言葉が、何度も出てきているというのは、結局、夫婦になる、結婚するというのは、契約なわけですよね。

三上:そうですね。紙の契約ですよね。

吉村:そうなんですよ。だから、自然界にもともとあるものではなく、要するに、人間が社会を作っていくなかで、勝手に作った制度というかね、契約に過ぎないので、そこは、夫婦になったことが大事なのではなくて、要は、この人と協力し合って生きていこうというふうに、その時合意をしたというような話でしかないわけですよね。

三上:うん。

吉村:それを結婚届みたいなのに書いて出して、国が「はい、あなた達は、夫婦です」というふうに決めたという話なので、まず、通常、契約を結ぶときって、死ぬまで有効という契約って、あんまりないじゃないですか。

三上:うん、ないですね。

吉村:たとえば、何年更新とか、するわけですよ。

三上:(笑)そうですよね。2年更新とかね。普通の契約とか。

吉村:そうなんですよ。だから、まず、結婚という制度とか、契約の内容というのが、そもそも無理があるというかね、雑すぎると、僕は思っていまして、

三上:うんうん。

吉村:だって、お互いの合意があって、ようやく、パートナーシップが、というか契約が成立するわけで、しかも、そのときには、たとえば、こういうことがあったら、この契約は無効ですよ、とか、契約書には色々書いていたりするわけじゃないですか。

三上:細かくね。

吉村:細かくね。たとえば、こういう時はこうします、これに関しては責任をちゃんと持ちます、みたいなことが全部書いてあって、で、こういうことがあったら、この契約は無効になります、みたいなことも書いてあって、しかも、それを、1年とか2年毎に更新をして、それがうまくいているかなという見直しをして、それで問題がないようだったら、更新する、みたいな、そういうようなことが全部書いてあるわけですけど、結婚届には全然そんなこと書いてなくて、

三上:たしかに。

吉村:とりあえず、双方のサインと、あとは見届け人みたいな人のサインがあれば、出せちゃうわけじゃないですか。

三上:はい。

吉村:だから、まず、契約って考えたときに、こんないい加減な契約はないなって、思うんですよね。そこは、ちょっと僕は、契約として、お互いの合意の下にやっていくということを本当はちゃんと、まず双方がそういう自覚を持って、なおかつ、この契約は、どこまで有効で、どういうときには、失効するのかみたいなことが、ちゃんと双方で合意ができてて、というような状態で、しかもちゃんと、定期的に、見直して、ちゃんとお互いの合意が保ち続けられているのかということまで、やった方が、それで、、お互いに、「この人と、もっと長く一緒にパートナーとしてやっていきたいな」と思えば、別に、更新していけばいいわけですからね。

三上:うーん。

吉村:なので、本当は、そのぐらいやっほうがいいって、思うんですよ、僕は。結婚に関してはね。たぶん、そういうのが、ちゃんとやっていないから、思っていたのと違ったみたいな話になったりとか、あるいは、結婚しちゃえば、1回籍入れちゃえば、こっちのもんだから、わがまま言い放題、みたいな人とか出てきたりするわけですよ。

三上:そうですね。うふふふ。

吉村:ふふふふ。本当は、契約と考えたら、ちゃんとお互いのことをリスペクトして、その契約の範囲内のことで、協力し合うわけですよね。会社同士で、ビジネスのパートナーシップで、契約書を取り交わすときなんて、必ずそうなるわけじゃないですか。

三上:うーん。そうですね。相手の意見も、こっちの意見も言って、話し合って、そうですねって、判断を決めて、結びましょう、となりますよね。

吉村:そうですね。ちょっと、そこで、話と違うことになった場合は、「これ、どうなってるんですか」って、契約だったら、「困ってますよ」って、話し合って、それで、「じゃあ、この場合は、突発的な何かだったから、もう1回話し合って、この部分、契約書に盛り込みましょう」ってなるかもしれないし、「ああ、もう、ここでちょっと、最初の契約のこの部分の条項に触れちゃったから、この契約は、ここでもう終わりにしましょう」みたいなこともできるわけですよね。

三上:うーんうんうん。

吉村:その辺が全然はっきりしていないから、だから、お互いの、ここまでは許されるでしょう、みたいなラインとかが、全然すり合わせができていないから、

三上:うん。

吉村:だから、たとえば、悪気なくやったことが、相手にとっては、すごい許せないことだったりみたいなことが起きちゃうことだってあるわけですよ。

三上:うーん、そうですよね。他人が一緒になるということはね、やっぱり、いろんな理解を常に深めていかないと、一緒にはいれませんよね。

吉村:そういうことなんですよ。だから、まず、契約というところで、いい加減に考えてやっちゃっているというか、結局、そこをちゃんと細かく合意をとって、そもそも結婚するという習慣がないから、みんな、なんか、それこそ、結婚のことをゴールするみたいな言い方があるじゃないですか。

三上:はい、ありますね。

吉村:ねえ、て考えたら、結婚さえしちゃえば、あとは知らん、みたいな、姿勢になってしまいますよね。だって、ゴールだから、「以上」で、終わっちゃうわけじゃないですか。

三上:勝手に安心感がね、あったりね。

吉村:そうそう、そうそう。だから、籍さえ入れてしまえば、あいつは俺のもんだ、みたいな感じに考えちゃう人とか出てきちゃうわけですよ。むしろ、それよりも、結婚式のチャペルの音がゴングの音で、ゴングのサインって、こっちのほうが、実際は、結婚しましたってなったら、結婚生活という新たなフェーズがそこから始まるわけじゃないですか。だから、別にゴールじゃなくて、そこから、スタートしてる。

三上:そうですよね。

吉村:ゴングのサインのほうが近い。

三上:しっくりきますね。

吉村:くるよね。表現ですよね。別に、戦うという話ではないから、ここから、協力してやっていきましょうね、というのが、ここから始まっているわけなんで。要は、全然違う者同士が、協力して何かやっていくというのは、お互いに対してのリスペクトが絶対に必要だし、それにコミュニケーションも必要なわけですよね。自分以外の人が何を考えているかなんて、わかるわけがないわけだから、

三上:そうですよね。

吉村:だから、コミュニケーションをとって、「わたしは、ここからここまではOKだと思うけど、このライン越えると、よくないと思うんですけど、あなたはどうですか」みたいな感じのことを常に確認し合わないといけないわけですよね。「わたしは別に、これいいと思ってたけど、あなたがそんなに嫌だったら、この部分はこの関係性の中では、やらないようにしましょう」とかっていうような合意ができるわけですよね。それとか、「どうしても、ここは自分にとって大事なことだと思うので、これが嫌だということだったら、あなたとは、友達付き合いはできるけど、結婚生活は、別の人とやるほうがいいな」みたいな話になれば、お互い合意の下で、この場合は、「じゃあ、僕たちは、夫婦としてやっていくよりも、友達の方がいいですね」みたいな感じのこともできるわけですよね。あるいは、「別にそこまで密な関係性にならなくてもいいですよね」というような合意ができるかもしれないし。

三上:うーん。

吉村:人間関係だって、色んな人と結んでいるわけじゃないですか。仕事の同僚とか、先輩後輩とか、趣味の友だちとか、いろんな人間関係があって、そのなかに、夫婦というのもあるわけですよね。一緒に住んでたりとか、家族として一緒に過ごす時間が長いというところでは、友だちの釣り仲間なんかとは、ちょっと違う感じにはなるとは思うんですけど、

三上:うん。

吉村:でも、大きなくくりで考えたら、そういう、いろんな人間関係の中のひとつに過ぎないわけですよ。夫婦だってね。

三上:うーん。ブルームーンストーンさんがおっしゃっている、たとえば、「何かブロックが関係しているのでしょうか。離婚に至る現実」というものに関しては、どうですか。

吉村:だから、人間関係が悪くなるということでいうと、やっぱり、ブロックが関係していることは、ほぼほぼ間違いはないわけですよね。それは、結局、ブロックが何かしらジャッジをしていくわけですよ。

三上:うーん。

吉村:「これに関しては、許せません」とか、「受け入れがたいです」となったら、もうそれに対して、否定的な考えとか感情しか出てこなくなっちゃうわけですよ。ブロックが圧をしていると、

三上:うーん。

吉村:だから、ブロックが少なくなれば、自分と相手との違いみたいなものを受け入れやすくなってくるのでね。そういう意味では、仲良くしやすくなるということはあるとは思うんですけど、でも、そもそも、だから、夫婦として、一緒に暮らすにあたって、お互いの求めているものが違うと、そもそも契約が成立しないと思うんですよね。

三上:ははははは。そうですよね。

吉村:だから、そこが、お互いが全然違う思惑を持っていて、結婚から得ようとしているものが違うのに、そこをあんまり確認しないで、強引に契約結んじゃいました、みたいなことになったら、ブロックがどうこうということよりも、そもそも求めているものが違うのに、ということが、あとになってから、「あれ、こんなはずじゃなかったのに」ということになっちゃうわけですよね。

三上:はあー。

吉村:そうすると、「わたしは、実家の家族とみんな一緒に暮らして、大家族で子どももいっぱいつくりたいんです」という人と、「あんまり大家族とか嫌なんで、子どももいらないから、夫婦ふたりでのんびり暮らしていきたいんです」という人が一緒になっちゃたら、求めているものが違うから、どっちかが、我慢して相手に合わすみたいな話になっちゃうんですよね。

三上:うーん。

吉村:この件に関しては、こちらの要望を100パー遂行しますと、それに関しては、あなたの要望はききません、みたいな感じの契約って、普通そんなのないじゃないですか。

三上:ないですね。

吉村:契約書をみて、そんな文言が書いてあったら、サインしませんよってなる、

三上:しません、しません。絶対しない。

吉村:ふふふ、だから、そもそも、そこの部分が、前提がおかしいから、そこをきちっとしないと、うまくいく結婚生活になるわけがない、

三上:ですね。へへへへ。

吉村:結局、そういう、どっちが一方的に我慢しているみたいな状態になったら、これは、嫌でもブロックが増えていっちゃうから、そこで、どこかでゴボンと爆発して、もうやってられっか、バーン、みたいな感じになって、離婚、みたいな感じになってしまうわけですよね。

三上:へえー。

吉村:将来、どんなライフスタイルで生きていきたいか、みたいなことは、結婚前にしっかりお互い話し合って始めたほうが、本当はいいと思いますよ。そこまでやっている夫婦がどのぐらいいるかわからないですし、

三上:うーん。

吉村:結局、だから、恋愛に至って、結婚に至るみたいな、プロセスのなかで、まず、結婚に至る前に、最近だと、恋愛というのがワンクッションあってから、結婚という話になっている場合が多いと思うんですよ。

三上:うん。

吉村:それが全てではないと思いますけどね。今でも、親が決めましたとか、お見合いとか、あると思うんですけど。

三上:うーん。

吉村:お互いの自由意志で、そこを始めていくというのはいいと思うんですけど、恋愛って、なんだかんだいって、相手にその時性欲を感じるかどうかという話というのも大きな要素だし、

三上:はい。

吉村:あとは、たとえば、ルックスのいい人と一緒にいると、周りの人たちから、うらやましがられるとか、チヤホヤされるとか、そういうような付加価値を求めて、恋愛に至るという場合もあるし、その恋愛というものに対しても、何を求めて恋愛に至っているかというのも、必ずしも双方で一致しているかどうかもよくわからないわけですよね。

三上:そうですよね。人によって、みんな、いろいろありますからね。

吉村:そうですね。だから、結局、僕たちは肉体を持って生活をしているから、肉体が種の保存といって、言ってみたら、絶滅しないで、種を存続させていく、みたいな、本能みたいなプログラムが含まれているわけですよね。

三上:うーん。

吉村:それが、性的嗜好であったり、性欲というところにつながっていたりするし、でも、これがただ単に本能だけでもなくて、その人の育ってきた環境のなかでも、経験や入って来た情報なんかによっても、どういう時に、どういう相手に対して、性欲を感じるか、みたいなのを、ひとりひとり、一緒じゃないんですよね。

三上:そうですよね。

吉村:その辺も含めて、全部みていかないと、この恋愛って、この二人にとって、どういうものなんだろう、そこから、結婚というフェーズに入っていっても大丈夫なんだろうか、みたいな、ずいぶん、

三上:ふふふふふ。

吉村:わからない状態で、突き進んでいくことになっちゃうんですよね。僕もまあ結局、2回結婚してますけど、振り返ってみると、どっちもその辺全然わからなくて、突き進んでいった結果、1回は、駄目でしたね、ってなったし、2回目の結婚は、今のところ、うまいこといっているんですけど、契約を、更新の制度はないけど、僕のなかでは、更新の制度があったとしたら、更新できるようにしていこうと思いながら、やってるんですよね。

三上:素晴らしい。素敵。うふふ。

吉村:はははは。

三上:そうですよね。そのとき、結婚した当初と、2年後、またね、考えると、その時の気持ちと状況も変わってきますから。

吉村:そうですね。1回、僕の場合は、離婚しているという経験があるから、別にうまくいかなかったら、離婚という選択肢もあるよね、というふうに考えながら、じゃあ、どうすれば、仲良く、この人とやっていけるだろうかと考えてやっているわけですよ。その辺は、僕の今の奥さんは、初婚だったんで、あんまり離婚という選択肢は入ってないみたいですけど、ないのかなかったのか、わかんないですけど、やっぱり、ちゃんと、この部分に関しては、しっかり話し合おう、みたいなのはやらないと、お互いに、「そのぐらいわかっていてもいいでしょう」みたいなので、悶々としたまま、変な感じになっちゃうわけですよね。

三上:うーん。

吉村:そこら辺のコミュニケーション、きちっととりましょうということを相手に伝えるというところでも、大変なところはありましたよ。「そのぐらいわかってて当然」と思ってた部分がいっぱいあったみたいなんで。「僕は、あなたの心が読めるをわけじゃないんで」って。ふふふふふ。「言ってくれないとわかんないですよ」みたいなかんじのことを結構、そういうコミュニケーションってやってきましたね。

三上:なるほど。今日、いつもより、いつも以上に、長い時間ですけど、今聴いているかた、わたしも踏まえてですけど、やっぱり、これを機に、ご夫婦のかたは、改めて、ちゃんとコミュニケーションとってほしいと思いますし、これから、結婚とか恋愛されるかたは、今日聴いた情報を得て、

吉村:そうですね。

三上:見直して、いただきたい。また、ステップ踏んでいただきたいと思います。

吉村:そうですね。ブロックが少なくなれば、それだけコミュニケーションが取りやすくなってきますし、そこで、お互いをクリアにしていくということが、コミュニケーションとりやすくするということで、結果的には、結婚生活がうまくいくとか、あるいは、うまくいく可能性の高い相手と結婚をしやすい、みたいな、パートナーシップを組みやすいということにつながると思うので、そこら辺を認識を持って、自分の人生設計をね、考えてもらえたらいいんじゃないかなと思いますね。

三上:はい。さあ、今日は、ブルームーンストーンさんからのメッセージを取り上げて、お話、お届けしましたが、いやあ、いい時間でした。ちょっと、わたしも、見直して、はい、前に進みたいと思います。本日も、吉村さん、ありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

144.愛について

今日はバレンタインデー。愛にはいろいろな形がありますよね。愛にまつわる話題を取り上げてみました。

感想、ご質問はこちらにお願いします!
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◆文字起こしはこちら

144.愛について


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三上:はい、みなさん、こんにちは。こころメンテナンス。本日もアシスタント三上恵と、気功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、よろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい。さあ、今日はね、配信されている日付は、2月14日、バレンタインということで、ハッピーバレンタイン!うふふふ。

吉村:ははははは。

三上:で、いいのかしら。

吉村:ははははは。そうですね。

三上:日本でも、だいぶ、みなさん、告白する日とか、何かあげたりとかね、習慣になってきましたけど、今日は、ハートにまつわる、「愛について」、テーマにお届けできたらと思います。いろんなかたちの愛があると思うんですけど、わたしに関しては、大人になって、自分自身が母になって思う、お母さんの愛というか、見返りのない愛に、いやあ、すごいなあ、わたしは、まだまだ返せていないな、とか思いながら、最近、感じることが多いですね。

吉村:なるほどですね。はいはい。そうですね。見返りがないと言ってますけど、たとえば、僕自身は、子育てした、今でもね、子どもたちは高校1年生なんで、子育て中といえば子育て中なんですけど、男性にしては珍しい、赤ちゃんのときの、赤ちゃんを育てるということをやっている経験があるんで、感じるのは、よく、子どもは三歳までに親への恩は全部返し終わっている、みたいな話ってきいたことあるんですけど、それって、本当にそうだなと、僕自身はすごく思ったんですよ。赤ちゃんのときのうちの娘たち、本当にかわいくて、お世話をすることで、喜んでくれてるんだとか、僕のことを慕ってくれているんだみたいなことを、すごくダイレクトに感じられたし、僕がこの子たちをお世話しなかったら、死んじゃうかもしれないということで、

三上:うん。

吉村:この子たちの生命を守るという、大切な役割を今自分が果たせているんだ、みたいに思ったことでも、すごく、自分の、自己価値が上がった、自己受容感が上がったし、すごく、僕自身、子育てをすることで、成長させてもらえたというのがすごくあるんですよね。

三上:うーん。

吉村:未だに、やっぱり、当時の、赤ちゃんだったときの娘たちのことをたまに思い出すと、本当に、何かほわーっとなる感じ、ああ、かわいかったなあ、みたいなこと、そのときの幸せな気持ちとかも蘇ってくるから、僕にとっての、代えがたい財産みたいな時間を過ごさせてもらったし、それが、だから、今でもずっと、自分にとって、いい影響がずっと残っているということでは、すごくもらっているわけですよね、既に。

三上:うーん。

吉村:もちろん、見返りを求めるのか、求めないのか、みたいな話になると、わかりやすいのは、経済活動ね。買い物しました、お金払う、当然じゃないですか。それっていうのは、物を用意してくれたというような、関わっているひとたちの、労働であったりとか、価値の提供に対する対価を支払っているわけですよね。言ってみたら、わかりやすい、その場での、何かしてもらったので、お返しに何か、みたいなことだけじゃなくて、価値とか貢献というのは、世の中を巡り巡っているわけですよね。

三上:うーん。

吉村:だから、直接その人から返してもらってなくても、巡り巡って、他から返ってくる、みたいな、愛と感謝が循環してるみたいなことっていうのが、この社会のなかで、社会が何かひとつの生き物みたいな感じでとらえると、生き物のからだのなかを血液が循環することで、その生き物は健やかに生きているわけじゃないですか。

三上:うーん。

吉村:社会という生き物がそれをやっていて、社会のなかの細胞であったりとか、臓器であったりということを、僕らは一人ひとり人間としてやっているわけで、それは、いろんなかたちで、愛と感謝が巡り巡っていて、そのなかに、きっと、母の愛もあるんでしょうし、

三上:うーん。

吉村:いわゆる、恋愛、バレンタインデーで、たぶん皆さん、最初に思い浮かぶのは恋愛みたいな話だ思うんですけど、そこも、本当は、愛と感謝の循環というなかに、入ってくるものだと思うんですけど、ただ、結構恋愛の話になると、たとえば、独占欲であったりとか、

三上:うふふふ。

吉村:みたいな話になりやすいんで、ここが、本当の愛ってそこじゃないですよ、ということが結構大事なとこかなと思いますよね。

三上:うーん、そうですよね。ヤキモチ焼いたりとかね、嫉妬したりとかって、みんな、結構あったりしますもんね。

吉村:ねえ。それって、結局、ひとを独占したり所有したりすることができる思っているから、たぶん、そういう嫉妬みたいな話にもなってくると思うんですよね。

三上:うーん。

吉村:だから、本当に、お互いのことを大事に思って、尊重しあってというところが、愛だと思うんですよ。これが、だから、また、恋愛となると、パートナーシップを組んで、共に協力しあって、なにか社会のなかで、自分たちのポジションをとって協力しあって生きていきましょうね、というパートナーシップというのと、ドキドキする相手と一緒の時間を長く持っていたいというところは、重なる部分もあるけど、完全一致かどうか、わからないわけじゃないですか。

三上:うん。そうですね。

吉村:だから、ドキドキする相手に惹かれるというも全然悪いことではないんですけど、そこが本当にお互いを尊重しあっているというところに持っていけるのか、それとも、要は、そのひとを所有しようとしているのかというところ、というところは、これが本当に愛なのか、というところを見極めるポイントになってくるかなという気がしますね。

三上:そうですね。今ちょっとね、愛について、恋しているかたとか、ちょっと改めて考えてほしいきっかけになる、今日の話題かもしれませんね。

吉村:そうですね。だから、わかりやすいところで見返りを求めているとしたら、愛と感謝が循環するシステムにうまく乗れていないわけですよね。やってやったんだから、早く返せよ、みたいな。

三上:うんうんうん。

吉村:になっちゃうから、それって、たぶん、どっちもお互いに出し渋っている状態じゃないですか。できることなら、こっちを渡したくなくて、早くよこせということだけをお互いが言っているみたいな、ね。食べ物屋さんに行ってね、「まずは、注文する前にお金払ってくださいよ」と言って、「いやいや、出してから、食べ終わってから、金払うから、先に出せよ」と言って、押し問答が起きているみたいなね。はははは。

三上:(笑)

吉村:それって、おかしいじゃないですか。そこは、別に、そのお店のシステムが前払いなのか、先払いなのかというのは、ささいな話で、要は、ちゃんと、美味しいものを提供しますよという気持ちで商売している人と、いいものを食べたら、ちゃんとその分お金を払いますよという気持ちの人が、ちゃんとそこがマッチングしたときに、

三上:いい関係性が、

吉村:成立するわけですよね。それって、お互いに、受け取ろう、奪い取ろうみたいな感じだと、話が先に進まなくなっちゃうわけですよ。

三上:はあー、ねえ。

吉村:そういう意味では、先に与えるということは、結構大事なわけですよね。たぶん、ちゃんとうまく機能している親子の関係、一般的には、赤ちゃんを育てているのは女性が多いから、母の愛という話になってくると思うんですけど、本当は、赤ちゃんは周りの大人たちにすごくいいものをいっぱい与えてくれているわけですよね。

三上:うーん。

吉村:で、それをちゃんと受け取れているかどうかというのも、差が出てきちゃうわけですけど、それを全く受け取れていなくて、「おむつの交換したくないのにやらされて、やだなあ」と思いながらやっているのか、というところとか、あとは、だから、これを、「まず、この子が健やかに育つようにお世話をするぞ。楽しいな」みたいな感じでやっているのかという。お互いに与えるというのを先にやっていて、それをちゃんと受け取れているというようなことが、成立しているときに、愛と感謝の関係性って、バランスがとれているわけですよね。

三上:うーん、ですね。今吉村さんのお話きいて、わたし、子育てのときに、もちろん、息子の存在自体には、すごい嬉しかったんですけど、その当時のわたしは、自分のことも、やっぱり考えが、すごい強くて、結構、子育てに対しての、いいイメージが今までなかったんですよ。大変だった。すごい大変だったんで、深夜4時までずっと起きていてというのもずっと続いて、で、今振り返って、吉村さんの話ききながら、いやー、もっと前に、こういった話をききたかったな、というのと同時に、今があるからこそ、学びがあるんですけど、いろんな感情を思い出しながら、

吉村:ふふふ。

三上:あー、すごいなー、その当時から、生まれた瞬間に幸せだったって、口から出る、吉村さんのお話が、いろんなものがわたしのなかで響きました。

吉村:ああ。ふふふふ。そうですね。だから、やっぱり、ちゃんと余裕がある状態を自分に作っておくというのも大事ですよね。だから、たぶん、そこで、大変だったということのほうが、大きくなっちゃうとしたら、本当に大変だったと思うんですよ。それって。ということは、自分に余裕がないから、大変だったんですよね。自分に余裕があれば、そんなに大変って思わないから、そうすると、そこでの何がプラスになって、プラスのほうに目が行きやすいですよね。

三上:うーん。

吉村:だから、もともと、マイナスがあるから、マイナスを埋めることから始めないといけないから、そうすると、結局、そこに何かプラスがあったとしても、まだマイナスとか、やっとゼロになったみたいなところなわけですよね。だから、そこは、ご自分に余裕があれば、プラスは全部プラスに見えるというかね、本当は、別に、マイナスとかないというところに、心持ちになれると、いろんな、大変なことも含めて、いい経験みたいなとらえかたができると思うんで、

三上:そうですね。

吉村:だから、何を当たり前と思うかどうかみたいなところも結構重要なポイントになってくるんじゃないかなと思うんですね。

三上:うーん。

吉村:たとえば、女の人が赤ちゃんの世話をするのは当たり前、みたいな感じで、周りの人が思っていると、そうすると、そこが、赤ちゃんの世話をしたという、すごいプラスを生み出しているにもかかわらず、当たり前なんだから、別にそこを感謝することはないよね、みたいな感じになっちゃうんですよ。でも、本当は、そんなことなくて、赤ちゃんの世話をすることもプラスだし、赤ちゃんがかわいくて、親にいろんな経験をさせてくれるということもプラスだし、となると、マイナスは無いんですよね。全部プラスになっていくんだけど、何かを当たり前とか、こうあるべきみたいなのが出てきちゃうと、結局、その基準に満たないものは、全部マイナスという意味づけになっちゃうから、そこって、本当は、マイナスが本当にあるんじゃなくて、マイナスっていう意味づけをしているから、マイナスになっちゃうわけですよね。

三上:うーん、いやあ、そうですね、今こう、子育てして、悩みを抱えているかたも、実際いらっしゃると思うんですよ。いろんな、たぶん、感情で、伝わったかと思いますし、今の私なら、たぶん、当時は余裕がなかったけど、たぶん楽しめる気がします。

吉村:うんうんうんうん。なんかね、だから、僕は本当に、いろんな人から、大変だったでしょうって言われるんですけど、でも、なんか、普通、男の人、この体験なかなかさせてもらえないから、赤ちゃんを育てるって、こんなに、今までの人生で全然経験が無いことをやらせてもらえたわけで、これは面白いなという感じだったですよ。本当に。あ、育ってる、育ってる、とか、なんかね、あ、息してる、とか、なんかね、目開けた、なんか微笑んでる、とか全部面白くて、

三上:うーん。

吉村:結構夢中になって、なんかやってたから、もちろん、大変だったとは思うんだけど、本当にいい経験をさせてもらったなというのが大きいですね。

三上:はい。今日、吉村さんのお話も踏まえながら、「愛について」、取り上げました。いろんな愛があって、捉え方次第で、感じ方も違うなと思いながら、わたし自身も、今きいてましたし、今日は、告白したりする人も多いのかな、ははは。

吉村:ふふふ。そうですね。

三上:愛とは何か。

吉村:そうですね、ざっくり言うと、たぶん、「それでよし」みたいなのが愛だと思うんですよ。そういう、いいとこ、悪いとこ、あっての、人だから、まず、ありのままで、「それでよし」ということだし。これが、「今のありのままから変わらないでほしい」となると、執着じゃないですか。

三上:うんうん。

吉村:今のままでもいいし、あなたが成長していったら、それも一緒に喜びますよ、みたいな、そういう感じが、愛なんじゃないかなと思うんで、恋愛関係なんかのときも、その姿勢でお互いをみれると、またちょっと、レベルの違う恋愛ができるんじゃないかという感じがしますよね。

三上:はい、そうですよね。今日、みなさん、この話をちょっと、耳に残して、頭のなかに残して、告白して頂きたいと思います。今日、告白するかたは。

吉村:はははは。

三上:なんか、いいですね。ということで、今日は、「愛について」、テーマ取り上げたんですが、是非みなさん、聴いていただいリスナーのみなさん、感想だったり、「成功しました」でもいいですし、「いろいろ感じました」とかね、ふふふ。はい。あとは、こういったテーマ、今後取り上げてほしい、など、是非リンクからメッセージ、コメント、いただけたらなと思います。はい、今日も、吉村さん、ありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

143.ポジティブ思考

ネガティブよりポジティブな方が良いイメージありませんか?そのポジティブは本当に感じている事なのか?

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143.ポジティブ思考


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三上:はい、みなさん、こんにちは。こころメンテナンス。本日もアシスタントは三上恵と、気功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい。さあ、今日は、わたしも普段なるべくポジティブ思考で生きているほうなんですけども、ポジティブ思考って、実際、危険性とか、本当にいいのかという、たまにネガティブになる自分に対して、「三上、ポジティブで生きろ」という、自分のなかで、なるときもあったりもするんですけども、いろんな感情が日々あるんですが、実際、ポジティブ思考って、いいのか、ちょっと吉村さんのお話もききたいなと思うんですけど。

吉村:はい。後ろ向きな考え方とか、生き方、態度に対して、「前向きなほうがいいよね」というところっていうと、後ろ向き・前向きみたいなところで、ポジティブ・ネガティブと言っているんだとしたら、「ポジティブのほうがいいですよね」という話にはなると思うんですよ。

三上:うんうん。

吉村:ただ、ポジティブっていうのをどう捉えているかみたいなところで、そこって変わってくると思うんですよね。ポジティブの定義とは、みたいな話になってくるんですけど。ここって、どうしても、この世界が、たとえば、陰と陽みたいな、昼と夜みたいな、ものがあるとという世界では、どうしても物事を両極とか、対立で見がち、どっちのほうがいいか悪いかというジャッジをしがちになってしまうので、そこのジャッジという観点での、ポジティブは正しくて、ネガティブは悪いことみたいな話になってくると、ちょっとそこら辺は、問題を引き起こす原因になりやすいんじゃないかなということになってくるんですよね。

三上:うーん。

吉村:だから、ポジティブ思考ということで、ネガティブを排除しなきゃとか、ネガティブなことは悪いことだというようなジャッジが出てきちゃうと、人間関係でトラブルの原因になってしまう可能性も出てくるわけですよね。

三上:うーん。

吉村:なんでかというと、要は特定のタイプの人を否定するということになるわけなので。

三上:たしかに。

吉村:そういう否定的な態度とか、考え方が果たしてポジティブといえるのだろうか、みたいな話になってくると、僕の考え方は、前向きではないですよね。だって、こういうやつは悪いやつだ、みたいな形で糾弾したりとか、否定してくるわけじゃないですか。だから、「こういうふうな生き方がいいよね」ということと、「これは悪いよね」ということというのは、実は、エネルギーの出どころが違うわけですよ。

三上:うーん。

吉村:だから、自分が理想とする状態というのがあって、それに対して、そこに向かっていくというのが、ひとつの方向性だとして、「この状態は悪いから、こうならないようにしなきゃいけない」といって、それを避けるために何か方向性を決めていくという、これがもうひとつあるわけですよ。

三上:うん。

吉村:これは、前にも例で出したことなんですけど、選択肢がふたつあるとするじゃないですか。選択肢Aと選択肢B。選択肢Aがいいと思っているから、Aに向かっていくというのと、選択肢Bが駄目だから、これは悪い選択肢だから、消去法的に、Bは避けてAを選ぶということをした場合、「AとBのどちらを選びましたか」という、その結果だけみると、どっちもAを選んでるんですね。

三上:うんうんうん。

吉村:でも、Aが欲しいからAを選んでいるというのは、ストレートにそっちに行っていますけど、「Bが嫌だからAを選びました」という人は、本当は別にAを選びたかったわけじゃなくて、Bが嫌だったから、それで消去法的に他の選択肢がAしかなかったから、Aを選んでいるわけで、本当は別にAのほうに、向かってはいないんですよね。意識は。

三上:うん。

吉村:だから、選択肢が他にもあった場合、選択肢A、B、Cみたいなのがあった場合、Bを避けた結果、Aに行くかもしれないし、Cに行くかもしれないけど、でも、どっちもその人にとっては、それがいいから選んでいるんじゃなくて、Bを避けるための結果として、AとかCを選んだという話になってくるんで、これは、実は、エネルギーが出どころが違うんですよ。これが、よくスピリチュアルの界隈で言われている、愛なのかおそれなのか、という話になってくるんですけど、Aが欲しいからAに向かうということは、要は、Aに対する愛があるということなんですよね。言い換えると。

三上:うーん。

吉村:だけど、Bが嫌だって、Bを避けるということをしているということは、Aに対して愛があるんじゃなくて、Bをおそれているから、そのおそれているBを遠ざけるために、Aを選んでいるということなので、これは、愛に基づいた選択をその人はしていないんですよね。おそれに基づいてた選択をしている。

三上:うーん。

吉村:だから、これ、選択しているものが別に逆になっても、Bが好きだから、Bが欲しいから、Bをいいと思っているから、Bを選ぶんだという人と、Aが嫌だから、結果的にBを選んだと言う人、同じ話なんですよ。ただ単に選択肢が逆だけど、なので、ということは、Aを選ぶことと、Bを選ぶことのどちらが正しいかという話じゃないんですね。Aをえらびたい人がAを選びました、Bを選びたい人がBを選びましたといったら、それはどちらも、自分が好む方、要は自分が愛を感じる方を選んでいるということであって、Bが嫌だからAを選んだ人、それから、Aが嫌だからBを選んだ人というのは、どっちもAとBと分かれるけど、何か嫌なものを避けるために、その逆を選んでいるということは、そのおそれに基づいた選択をしているということでは、実は同じことをやっているわけですよ。

三上:うーん。

吉村:なので、表面的に見える、結果としてのどっちを選んだかということではなくて、その人がどういうエネルギーでそれをえらんでるかという、そっちのそういう違いの話であって、何を選んでいるかというのは、実はそれほど重要じゃないんですよね。

三上:うーん。とてもわかりやすいです。たしかに。選択だけど、深さが違うというか。違いますね。

吉村:そうですね。だから、そういう意味では、自分が好きな方とか、要は自分の愛を感じる方ですよね。それをたとえば、わくわくするほうを選ぶとか、という言い方でもいいと思うんですけど、それを選ぶということが、結果的に、そのひとが、成果を生み出すとかね、その人が幸せになる近道になるわけですよね。

三上:うーん。

吉村:だから、それをポジティブということもできるわけですよ。そうすると、そっちの選択をするほうが、わくわくする選択をするほうが、そのひとは幸せになれるよね、というところで、それを前向き、ポジティブと言うこともできるんですけど、もし、その人が言っているポジティブというのが、「ネガティブ倒すぞ。おー!」みたいな感じのところで、「ポジティブシンキング、イエーイ!」みたいな感じの、ちょっと無理して、やっている感じだと、結果的には、「ポジティブ、ポジティブ」と、口では言っている割に、何か成果を生み出せていない人とかになっちゃう可能性もあるわけですよ。

三上:うーん。

吉村:それは、要は、その人の中に否定的な選択をさせている、後ろ向きな要素があるのに、それを力でねじ伏せるとか、隠して見なかったことにして、それでポジティブってやっている状態だと、うまくいかないですよということ。だから、一見、ポジティブに見えるけど、とか、一見ネガティブに見えるけど、でも、それが、その人の愛に基づいているかどうか、みたいなところが本当は、重要なんですよ。だから、たとえば、元気で、パリピみたいな、「ウェ~イ!」みたいな人たちと、たとえば、家で静かにしているのが好きみたいな人たちって、みたら、見た目では、その「ウェ~イ!」とやっている人がポジティブで、家で静かにしている人たちは、ネガティブに見えるじゃないですか。

三上:うふふ。ぱっと見、イメージで、まあね。

吉村:でも、それが、本当に好きでやっていれば、別に、どっちもいいんですよ。それはそれで。見え方は違うかもしれないけど。要は、ワイワイするのが、好きな人、それを愛している人たちと、なんか静かにしていることを愛している人たちがいて、自分の愛に基づいてやっているんだったら、いいわけですけど、でも、なんか、ああいう「ウェ~イ、ウェ~イ」した人たち、嫌だよね、みたいな感じで、否定しながら静かにしている人もいれば、なんか、ああいう暗いやつら嫌だよな、みたいな感じで、俺たちは、明るくいくぜ、イエーイ、みたいな感じの人たちとなると、要は、本当にそれ、好きでやってるの、みたいなことですよね。

三上:うーん。

吉村:なんか、暗いやつだと見られたくないから、一所懸命明るく振る舞っているんです、とか、ということかもしれないし、なんか、ああいうやつら、なんかこわくて嫌だから、隠れて静かにしてよう、みたいなことって、なると、本当はおそれに基づいたことをやっているわけですよ。

三上:うーん。そうですね。じゃあ、本当に、本人の、わたしの場合でいうと、ワクワクか、ワクワクする場所、居心地のいい楽しみ方、という、ポジティブというより、本当に今ある、中から出てくるもの、

吉村:そうですね。ポジティブ・ネガティブという、ポジティブは良くて、ネガティブは悪いという考え方がもしあるんだとしたら、、そこはちょっとジャッジをなくしてニュートラルに捉えられるようにしたほうがいいわけですよね。

三上:うーん。

吉村:だから、別に、元気でワイワイすることも、それはそれで悪くないし、ただそういうのが好きという人たちで、静かにおとなしくしているのが好きな人たちは、そういうのが好きな人たちで、別にどっちも、よくも悪くもないというか、この人はどっちを好むかという違いでしかないんですよね。

三上:うーん。

吉村:だから、そこに対して、どっちのが良い悪いというのはないんですよ。だから、ここが、ポジティブ・ネガティブという言葉に、良い悪いというのがついちゃっているとしたら、それは、別に、ポジティブでもネガティブでも、ジャッジしていることには変わりないよねということになっちゃうんで、どういう言葉でそれを表現するかって、実はそんなに重要じゃないんで、自分が持っているエネルギーがちゃんと自分の愛に基づいているかということですよね。

三上:うーん。そうですね。自分の愛に基づいていれば、ポジティブとかネガティブという発想がまず出て来ないですもんね。

吉村:そうですね。だから、結局、何を指してポジティブとかネガティブと言っているのかという、そこから、ちゃんと、向き合って、自分がジャッジをしているかどうかというところをみていくと、本当の意味で、自分の愛に基づいた選択をできるようになっていくんじゃないですかね。

三上:はい。皆さんは、どう感じましたか。ははは。わたしも今までポジティブ思考というのがいいって、勝手にジャッジして、イメージしている部分があったので、今日のお話をきいて、やっぱ、ニュートラルに、そのなんか、ジャッジする癖があるなと気づきながら、この回、わたしも話を収録しながら感じました。

吉村:そうですね。だから、別に決してこれって、たとえば、前向きな人は、リスクヘッジをしないのか、みたいなことを考えるとわかると思うんですよ。別にリスクヘッジをしておいた方が、何かあったときに、安全なわけじゃないですか。

三上:うんうんうん。

吉村:と考えたら、別に、リスクヘッジをすることは、悪いことを考えているから、これはいけないのであるって、言い出したら、これもジャッジなんですよ。だから、向かいたい方向を定めることと、それに対するリスクヘッジをするというのは、これは、言ってみたら、表裏一体というか、対のことで、その両方は、バランスよくあるから、目的が果たせるわけじゃないですか。ここに対して、またポジティブ・ネガティブみたいな話、どっちが良い悪いみたいな話を持ち込んじゃうとまたうまくいかないわけですよね。だから、そういう意味では、自分のものをみる見方みたいなのは、ニュートラルに、で、何を選択するかというところは、自分の中の愛を基準に選んでいくみたいな、そういうのがうまくいくコツなんじゃないなかなと思いますね。

三上:はい。いろんなものが、皆さん、響きませんか。はははは。ということで、今日は、「ポジティブ思考っていいの?」について、吉村さんからいろいろお話うかがいました。今後、わたしも活かしたいと思います。

吉村:ははははは。

三上:素敵なお話をありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

142.ごめんなさい言えますか?

あなたの周りにもいませんか?謝る事が苦手な方、どうすれば素直に謝ることができるのか?吉村さんから伺いました。

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三上:はい、みなさん、いかがお過ごしでしょうか。こころメンテナンス。本日もアシスタント三上恵と、気功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい、さあ、今日はテーマご紹介する前に、わたしの身近にもいます。そして、息子にも教えています。「ごめんなさいとありがとうは言えるようにしましょう」と話しているんですけど。どうでしょうか。リスナーのみなさんのなかにも、自分自身もそうかもしれません。何かあったときに、素直にごめんなさいと言える人でしょうか。ということで、今日のテーマは、「謝ることが苦手。どうすれば、素直に、謝れるようになりますか」ということで、吉村さんに、質問をしていこうかなと思うんですけど。素直に「すみません」、「ごめんなさい」って謝れるひとと、そうでないひとの、違いって何なんですかね。子どもでもそうですよね。素直に、「ごめんなさーい」とか「ありがとうございましたー」、言える子もいれば、全く、「あ」みたいな、クールな感じの子もいれば。何が違うんですかね。

吉村:物事の捉え方の癖みたいなところに、違いがあるから、態度に違いが出てきているということだと思うんですね。まず、謝るという行為に、どういう意味付けをそのひとはしているのかというところがかなり重要になってくると思うんですよ。本来、謝るというのは、何か自分の過失とかね、思い違いみたいなことで、他の人に対して、損失を出してしまったとか、害を及ぼしてしまった、相手の機嫌を損ねてしまったみたいなことがあったときに、そのことに対して、「わたしは、あなたが困ったことに対して、それはよくないことだって、認識しましたよ」っていうような意思表示なわけですよね。

三上:うーん。

吉村:だから、「このことで、あなたを困らせてしまいましたね。すみません」みたいな意味合いのことだと思うんですよ。ということは、それって、「あなたのことを尊重していますよ」という意思表示なんですよね。

三上:うーん。

吉村:となると、相手のことを尊重していないひとからは、その言葉はなかなか出てこないですよね。言葉というか、態度は出てこないということですよね。だから、まずひとつには、相手を尊重しているかしてないかというところでも、そこの違いが出てきちゃうというのがあるし、じゃあ、その相手を尊重することができていないひとは、どういうことなのかといったら、それは、その人自身が、被害者意識を持っているとかね。だから、自分が尊重されていないって感じているとなると、自分が尊重されていないのに、人のことを尊重してられるかよ、みたいな感じの気持ちになってしまいますよね。

三上:うーん。

吉村:なので、自分に余裕がない状態のひとは、ひとのことを尊重することもできないので、そうすると、何かあったときに、ごめんなさいというのが難しいという状態になりますよね。自分に余裕がない状態のひとたちというのは、どんな状態のひとたちがいるかといったら、たとえば、自分がいつも責められていると思っている人たちは、自分は悪くないんだというアピールをいつもしなきゃいけなくなってしまうわけなんですよ。

三上:うーん。

吉村:それって、相手が自分のことを責めているかどうかということよりも、そのひとが、自分が責められていると感じるかどうかというところの反応なんですよね。

三上:自分が責められているかどうか。

吉村:責められていると感じるかどうか。だから、要はそういうブロックがあるという話なんですよ。なので、相手のひとが自分のことを責めているかどうかということに関わらず、自分は責められているというフィルターを持っているひとは、何を言われても、責められていると感じてしまうわけですよね。

三上:うーん。

吉村:要は、ブロックって、そのひとの受け取り方に影響を及ぼすわけですよ。物事の受け取り方とか、解釈の仕方とか、

三上:同じ言葉でも、ってことか。

吉村:そうそうそう。だから、入ってくる情報というのが、まずインプットされるわけじゃないですか。たとえば、「床にゴミが落ちていたよ」とかって言われたとするじゃないですか。「床にゴミが落ちていたよ」という情報がインプットされるわけですね。ここに、あんまり余計な意味づけがされなかったら、「床にゴミが落ちているんだ。床にゴミが落ちている状態は望ましくないから、ゴミがない状態にするためには、それを捨てればいいんだな」みたいな感じの話になるんですね。

三上:うんうん。

吉村:「じゃあ、捨てとくね」とか、というような反応になるのが、特に余計な情報が入っていない、その情報をそのままニュートラルに受け取った場合の反応になるわけですよ。だけど、自分が責められているというブロックを持っていると、「床にゴミが落ちていたよ」という、この情報に、「ゴミ落ちているのに、お前はそれを放置していたのか。お前はどこに目がついているのか。駄目なやつだ」みたいなことを言われた気になっちゃうんですよ。

三上:うーん。

吉村:何でも自分が否定されたと感じるから、それに対して、防御したりとか、反撃したりしなきゃいけなくなっちゃうんで、なんかね、「わかってるよ!」みたいな感じの反応になっちゃったりとか、「今やろうと思ってたんだよ」とかって、そういう感じになってしまったりするわけですよ。そうすると、「あ、ごめん、気がついてなかった。なんか捨てとくね」みたいな感じの反応とは違う反応になっちゃいますよね。

三上:うーん、うんうん。ああー、わかる。

吉村:これが、だから、結構、いろんな、ブロックによるフィルターで余計な意味付け、ちょっと間違った解釈みたいなことがすごく起きやすいんですよ。そういうひとがどういった解釈をしているのかというのが、本人も自覚がないし、傍からみているひとも、よっぽどしっかりその人を観察しないと、なんでそのひとがそんな反応をしているのかわからない、ただただ、「なんで、このひとはこういう感じになるんだろう」っていう、ハテナマークばっかり出てくることになっちゃうので、結局、結果的に、「このひと、謝らないひとだよね」みたいな感じになってしまうわけですよね。

三上:うーん。なるほどですね。ひとによっては、そういうように追い込むような言い方をする人もいませんか。

吉村:もちろん。それは、そういう言い方をするひとのほうに、ブロックが発動しているわけですよね。

三上:ああ。

吉村:たとえば、自分はいつも侵害されている、みたいな、要は、自分はリスペクトされていない、尊重されていないというような、ブロックによるフィルターを持っているひとだと、何か起きたときに、それが自分に対する悪意のように、感じてとらえてしまう、わけですよ。

三上:うーん。

吉村:床にゴミが落ちていましたというのを、そのひとが見たときに、「あ、床にゴミが落ちてるなあ」みたいなね。これが、たとえば、自分がそれを落とした心当たりがなかった場合、「たぶん、あのひとが落としたんだな」みたいな感じだとしたら、あのひとがちゃんと自分が気がついて捨てられるようにしたほうがいいよねというような考えが働いたら、別にそのひとを責め立てるんじゃなくて、「なになにさん、ゴミが落ちてますよ」と教えてあげる。そのひとは、「ほんとだ。ゴミ箱に捨てたつもりだったのに、落としちゃったな。ごめんなさいね」と捨てて、丸く収まることになるはずなんですけど、

三上:うん。

吉村:これが、尊重されてないというブロックを持っているひとは、床にゴミが落ちているのを見たときに、「この人は、わたしを不快にさせるために、ゴミをわざと放置してるんじゃないか」みたいな受け取り方になるんですよ。

三上:うん。

吉村:とかね、わざとじゃなかったとしても、ゴミが落ちているというこの状態はわたしに対する、非道な、無礼な、「こいつ、俺をなめているのか」みたいな感じの受け取り方になるから、そうすると、相手に対する言い方とかも、責め立てる言い方になっちゃいますよね。

三上:いやあ、それは、ブロックなんですね。

吉村:そうなんですよ。だから、何か揉め事とか争いが起きるときって、たいてい、どっちのサイドも何かブロックを持っていて、ブロック同士が反応し合うことで、揉めているわけですよね。別にニュートラルにとらえていれば、別に、ゴミが落ちているという事実しかなくて、別に、ゴミ箱に捨てるつもりだったのに、落としちゃったということなのか、後で捨てようと思ったけど忘れちゃっていたとか、いろんな可能性はあるけど、

三上:うーん。

吉村:でも、別に、それって、だからといって、ゴミが落ちているという状態があって、その原因が自分にあるんだったら、「はい、教えてくれて、ありがとう」、捨てる、みたいな感じで済んじゃうという話なんですよ。だけど、そこで、このゴミをここに放置しておくことで、自分は楽をして、このわたしに捨てさせようとしているのではないかとか、みたいなのがあると、「ふざけんなよ。自分が落としたゴミなんだから、自分で捨てとけよ」みたいな感じになっちゃうし、言われたほうも、「ゴミちゃんと捨てないなんて、駄目なやつなんだ」と言われているというふうに感じちゃうと、「必要と思ってたけど、なんかね、今捨てようと思ってたのに」という感じになっちゃたりするわけ。だから、本当にニュートラルにとらえることができていて、お互いに尊重する気持ちがあれば、別にたいした話ではないですね。

三上:うん。うふふふふ。

吉村:そうすると、謝るとかいうハードルはそんなに無いんですよ。別に、なんか。

三上:うーん。

吉村:これが、自分に対する攻撃とか、そういう受け取り方があるから、それに対して、反撃するみたいなことが起きちゃうんですよね。あとは、物事を勝ち負けでとらえるひととかね、対立構造でとらえるひととかも、「ここで謝ったら、自分は負けちゃうんじゃないか」というふうになったら、一所懸命謝らないで、いろいろ言い訳を言い出したりとかするんですよね。

三上:うーん。

吉村:だから、ここは、実際に別に勝ち負けとか無いじゃないですか。そのところで。事実としては、ゴミが落ちてます、と。望ましい状態は、このゴミはゴミ箱に捨てられていることで、ここの床がきれいな状態が望ましいです、ということ、お互いに合意ができていれば、別に誰が落としたゴミなのかとか、そんなのも、本当はどうでもいいんですよね。

三上:そうですね。

吉村:ゴミ落ちてるな、捨てておこう、みたいなね。自分で捨てるという選択肢もあるし。そういう不注意とか、認識違いみたいなことがある可能性があれば、じゃあ、それを、みんなで何か合意を作っておいたほうがいいねとなれば、「ゴミ落ちてるんで、捨てておくね。ゴミ捨てるときにちゃんと確認しておいてね」とか、そういうような感じで、「あ、わかった、わかった。たぶん、僕がさっき見ないでゴミ捨てちゃったんで、それが落ちちゃっていたんだと思います。気をつけます。」以上、みたいな感じで、丸く収まるはずなんですよ。

三上:今きいて、たぶん、ほとんどのひとが経験ありそうな内容だと思うんですよ。うふふふふ。ほんとですよね。言い合いの原因って、ほんと些細な、小さなことですよね。実際は。

吉村:本当に思い違いみたいな話で、結局、たとえば、誰かが僕のことを睨んでいると思っているから、目の前のひとが僕のことを睨んでいるぞって思って、こいつに負けないようにしなきゃみたいな感じになっているけど、その睨んでいる顔というのは、僕がかけているメガネに描いてある顔だったりするわけですよ。だから、相手のひとは、別に睨んでいなくても、メガネに睨んでいる顔が描いてあるから、そのひとをみたときに、こっちを睨んでるって見える、それがブロックの仕組みですよね。

三上:はい。今日は、いいお話が、皆さん、わたしもふまえて、聴けたと思います。今日はね、「謝ることが苦手。どうしたら素直に、謝れますか」というのを取り上げて、お話うかがいましたけども、ちょっと、皆さん、ニュートラルを忘れずに。ひひひひ。ね、皆さん、一人ひとりが心がけていただけたらなと思います。はい、吉村さん、今日もためになるお話をありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

141.YouTubeの流しっぱなし動画について

YouTubeの流しっぱなし動画について、なぜ音や映像も流れてないのにクリアリングされるのか吉村さんから伺いました。

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三上:みなさん、こんにちは。さあ、こころメンテナンス。本日もアシスタントは、三上恵と、気功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい。吉村さんご自身今現在、ポッドキャストとかユーチューブとか、あと、いろんな発信をされて、みなさんにね、こういった気功の良さをお話しされているかと思うんですけど、ちょっと質問をしてもいいですか。

吉村:はい。

三上:吉村さんご自身、ユーチューブでね、ライブ配信とかもいろいろされていらっしゃるかとも思うんですけど、このユーチューブのなかで、わたしも拝見したことがあるんですが、流しっぱなしの動画があるじゃないですか。

吉村:はい。

三上:音も映像もないのに、あ、映像はありますよね、ユーチューブの場合は、映像はあるのに、なぜ、クリアリングされるのか。どういうふうにクリアリングされていくのか、ちょっと疑問に思ったので、ちょっと今日はそれについてお話、うかがえたらなと思うんですが。

吉村:なるほどですね。わかりました。ここは、結構、みなさん、不思議に思われるだろうポイントだと思うんで、解説をしていきたいと思います。まず、ユーチューブの動画に、気を込める方法というのかな、流すと気が流れるという状態を作る方法って、いくつかあるわけですよ。気というのは要するに波動なわけですよね。

三上:はいはい。

吉村:なので、まず、記録媒体に波動を込めるということは、そもそもそういうことをされている方たちというのは、いたわけですよね。わかりやすいところだと、音楽とか音に、特定の周波数を入れて、音として録音する。音といっても、人間の耳に聴こえる音と聴こえない音というのがあるわけですけど、聴こえない音でも、記録することができれば、それを再生したときに、聴こえない音が、鳴っているという状態が作れるわけですよね。

三上:うーん。

吉村:そうすると、耳には聴こえないけど、波動を流れているという状態を作ることができるわけですよ。

三上:あー、なるほど。

吉村:これが、たぶん、よく、多くの方たちがやっている方法なんじゃないなかなと思うんですよね。あとは、映像に特定の図形だったりとか、色だったりとかいうものを使って、波動を出す条件をクリアするようなものを入れていくという方法、これも、目に見える光と目には見えない光というものがあるので、光として目には見えていないけど、画面に実は映っているみたいなことをすることができれば、それによって波動が流れるということを作り出すことも可能になるわけですよ。

三上:うーん、なるほど。

吉村:なんにしても、デジタル情報のなかに、波動そのもの、周波数そのものを録画したり録音したりということで、それが順次再生されるというものを作ることも可能なんですね。

三上:うーん。

吉村:そこで、見えない音とか見えない光とかっているかたちで、波動を入れるという方法はありますね。その場合は、画面が表示されていなきゃいけないとか、一応ボリューム、音は出ていないけどボリュームは上げておかなきゃいけないというようなことも起きうると思うんですよ。あとは、音楽として、音を流しておかなきゃいけないとか。僕もいくつか方法を検討したなかで、ひとつは念写みたいな方法を使って、画面に波動を書き込んじゃうという、やり方というのも試してみたんですね。

三上:うん。

吉村:たぶん、それも効果は出ていると思うので、僕の流しっぱなし動画の古いやつのほうには、そういう念写みたいなことをして、実は画面に映って見えてはいないけど、そこに波動の情報が書き込まれているというのをやってみて、それなりに効果はあるだろうなというのは、別に証明ができるわけじゃないですけど、僕が実際にそれを再生してみたりとか、使ったひとからフィードバックをもらったなかでは、この方法は一応使えるなというふうに、僕のなかでは、使える認定がされているやり方にはなったんですけど、

三上:うんうんうん。

吉村:ただ、その場合に画面を出しておかなければいけないというところが、ちょっと不便だなと思ったんですよ。で、もうひとつ、今までの中に出していなかった別の方法があって、最近の僕が作っている動画は、大体、その方法で、気を入れているし、あとは、僕が仲良くさせてもらっている、今ハワイ在住のハワイさんというヒーラーさんですよね。が、されている動画、気を入れた動画というのも、そのやり方でやっているんですけど、それは何かというと、この動画が再生されたら、ユーチューブを通して、この動画が再生されたら、気が流れるという条件を作って、そのプログラムを組んでいるんですよ。そういう高次元の領域、集合無意識とかの領域に、僕たちはプログラムを組むことができるんですよね。

三上:うーん。

吉村:たとえば、ご利益のある儀式みたいなこと、たとえば、満月に向かってお財布を振るみたいなのをされるひとっていますよね。

三上:いますね。

吉村:あれって、もちろん、月が持っている波動がお財布に転写されるという要素もあると思うんですけど、結構、実は多くのひとが、これをやると金運上がると思っているから、だから、それがプログラムとして形成されて、金運が上がる波動みたいなのが、この儀式をすることで、金運の上がる波動が流れるという、プログラムが組まれているんですよ。

三上:ああ。あはははは。自然と。はい。

吉村:自然と。あるいは、もしかしたら、誰かが意図的に組んだプログラムが、多くのひとがそれを信じることで、さらに強化されて、みたいなことが起きているんだと思うんですけど、そうやって、ひとって、無意識の領域とか高次元の領域に、プログラムを組むことで、それをやると、そのとおりのことが起こるみたいな、現実に対して、影響を及ぼす、プログラムを作ることができるんですね。これが、言ってみたら、魔術とか呪いみたいなものも、こういう意識のプログラムを使って、作っているものだったりするんですけど、

三上:はあー。

吉村:それのなかの、ひとつの、この条件を満たしたら、自動的に近くにいるひとにこのエネルギーが流れるという、セットアップというのかな、設定をすることで、気を流すという方法があって、それをつかってるんですね。

三上:うーん。なるほどですね。今聴いている皆さんも、「どういうこと?」って、初めて聴く方は、とてもね、気になっているかとは思うんですが。吉村さんのユーチューブの方に、今わたしも観ながらお話しさせていただいているんですけど、いろんな項目があるんですよね。

吉村:はい。すごく人気のもので、僕が初期の頃に作って、多くの人に、たくさん再生してもらっているのは、「金運が上がる」というものですね。

三上:ああー。なるほど、うんうん、ほんとだ、ありますね。

吉村:他には、たとえば、いろんなことを俯瞰してとらえることが難しいときに、「俯瞰することを邪魔しているブロックをクリアリングしますよ」というものだったりとか、

三上:うんうん

吉村:あとは、そうですね。「体にたまっちゃている負の感情を浄化しますよ」とか、そんなようなものがありますね。あとは、「幼少期のトラウマを癒やす」とか、

三上:うーん。「忙しいひとのための深い眠りに」とかもありますね。

吉村:そうですね。

三上:そうなんです。いろいろありますので、今日初めてきいたというかた、是非、こういったね、流しっぱなしの動画で、効果を実感していただきたいなと思います。

吉村:はい。そうですね。使ってみて、気持ちが軽くなったとか、体がリラックスしたとかっていう声をたくさん頂きますね。

三上:逆に、流しっぱなし動画を体感したかたは、感想を是非、いただきたいですね。吉村さん、ね。

吉村:ああ、そうですね。こちらのポッドキャストでもご紹介できたらと思いますね。

三上:はい。なので、是非皆様、まずは体感していただいて、是非皆さん、メッセージも、お寄せいただけたら、嬉しいです。

吉村:そうですね。はい。動画のコメント欄とかにもいただけると、嬉しいですし、是非、このポッドキャストのほうのね、お便りフォームでもいただけると、嬉しいですね。

三上:はい、ということで、今日は、流しっぱなし動画についてですね、どういうふうに、クリアリングしてるのという話もふまえて、吉村さんからお話、うかがいました。はい。本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

140.感情的にならず冷静になるには

感情的にならずに余裕のある自分でいたいと感じた事はありませんか?怒りやネガティブな反応を見つめ直して、豊かになれるヒントが沢山あるお話しです。

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三上:はい、みなさん、こんにちは。こころメンテナンス。本日もアシスタント三上恵と、気功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい、さあ、今日のテーマ、わたしもこのテーマでちょっと変われたらいいな、「感情的にならず、冷静になるには」でお届けしていきたいと思います。

吉村:はい。

三上:いやあ、これは、感情がちょくに落ちてきて、表現するタイプのわたしにとっては、すごい、これは、今日は興味深いお話になると思います。

吉村:ああー、なるほどですね。

三上:私自身は、やっぱり感じたままにすぐ出てくるんですよ。全部が。

吉村:ふんふん。

三上:なので、逆に、怒るときもそうですけど、笑うときも、喜怒哀楽が激しいタイプなので、きになるところではあるんですが。逆に、吉村さんのように、常に冷静で、神のような、ゆとりがある感じ、逆にわたしはすごいあこがれるんですよ。

吉村:なるほどね。

三上:なので、冷静になるにはどうしたらよろしいんでしょうか。

吉村:はははは。なるほどね。感情って、ひとくくりでね、喜怒哀楽全部、感情というくくりで、みんな、とらえているじゃないですか。たとえば、三上さんからみた僕とか、多くの視聴者のひとからみた僕というのは、結構、たぶん、冷静に見えているのかなとは思うんですど。

三上:はい、見えてます。

吉村:どうも。たぶん、いい意味で言って下さったんだと思うんですけど、ははは、とはいえ、それって、僕がいつも無感情ですんとしているという感じではないですよね。

三上:ではないです。ではないです。

吉村:だから、たぶん、ネガティブな感情みたいのが、あんまりなくて、穏やか、一般的に普段穏やかでいるということを指して、吉村さん冷静だなって見てるんじゃないかと思うんですよ。

三上:うんうんうん。そうですね、はい。

吉村:ということは、僕がさっき、三上さんと一緒に笑ったりしてたということは、感情がないわけじゃないんですよね。

三上:うんうん。もちろんです。

吉村:となると、冷静に見えることと、感情があるかないかということって、必ずしも、一致してないかもしれないですよね。

三上:そうですね。

吉村:だから、感情的かどうかということと、冷静かどうかというのは、実は別の話ととらえたほうがいいかもしれないなと思いますよね。

三上:たしかに、今お話をきいて、ああ、そうですね。

吉村:まず、一般常識として思われているんだけど、ここがすごい落とし穴だったんだなと思うことがひとつありまして、いわゆるポジティブと言われるような、楽しいとか、うれしいとか、ワクワクとか、好きとか、感情がありますよね。それと、怒りだとか、不安とか、疑いとか、憎しみとか、いわゆる一般的にネガティブと言われる感情。これは出どころが違うんですよ。

三上:出どころが違う。

吉村:だから、同じ感情というもののなかに、喜怒哀楽があるんじゃなくて、ポジティブな感情というエネルギーと、ネガティブなかんじょうというエネルギーが別々に孤立して存在しているんです。

三上:ああ、ああ、ああ。なんとなく、なんとなくわかります。

吉村:たとえば、前にもお話ししたかと思うんですけど、好きという感情と嫌いという感情って、共存することありますよね、という話を、いつかの回で話したことあると思うんですよ。好きだけど、嫌いなって、このひと、こういうところ好きだけど、こういうところ嫌い。じゃあ、このひとのこと、好きなの、嫌いなの、どっちなのと言ったら、どっちもですという話になっちゃうじゃないですか。

三上:うんうんうん。

吉村:だから、もし好きと嫌いが同じ物差し上にあって、真ん中にゼロポイントがあるとしたら、ちょっとでも好きのほうに傾いていたら、一切嫌いじゃないはずだし、ちょっとでも嫌いのほうに傾いていたら、ちょっとでも嫌い側にいたら、好きじゃないはずじゃないですか。これが一個の物差し上にあったとしたらね。

三上:はいはい。

吉村:でも、同時に好きと嫌いが共存するということは、物差しは一個じゃないと思ったほうがいいということなんですよ。

三上:はー、なるほどね。ああ。うふふ。

吉村:大事なのは、感情をなくすことではなくて、ネガティブな反応をなくすことなんですよね。

三上:そうですね。特にわたしは、今話をききながら、怒りだなと思いながら。

吉村:はははは。だから、怒りの反応が出ちゃうということは、なにかに対して、これはよくないというジャッジがあるから、怒るんですよ。これは別によくも悪くもないよねとなれば、好きかどうかでいえば、そんな好きじゃないけど、別に嫌いでもないですよみたいな感じになるわけですよ。

三上:うーん。

吉村:好きと嫌いが別の物差しだったら、好きメーターがゼロから100まであって、嫌いメーターがゼロから100まであって、みたいな感じで、どっちが優勢かみたいなので、どっちかといえばこっちです、みたいなのがあるんだけど、実際のところは、両方が混在しているわけですよね。だから、そのなかのネガティブのほうを減らしていけば、ポジティブな感情表現というのは、別に普通にいつもしていて、笑ったりとか、楽しさを表現するいろんなことありますよね。そういう感情表現というのはあるけど、別に、いかったりとか、ひとの悪口言ったりとかはないという状態にもっていくことはできるわけですよ。

三上:うーん。

吉村:だけど、冷静なひとって、みんな思い浮かべたときに、感情の起伏がないひとって、たぶん、自動的に関連付けて考えちゃうんだけど、そんなことないんですよ。別に感情の起伏があってもいいのですよね。むしろそのほうが人生楽しいんですけど、ただ、そのときにネガティブな反応というのが無いほうが、ポジティブな感情の起伏を楽しんで生きているということができるわけですよね。

三上:うーん。

吉村:なんか言ったら、いきなり怒り出すみたいなひとが、取り乱すということが、このひと、冷静じゃないねという話なんですよ。要は、取り乱した状態、英語でいうと、アップセットな状態ですよね。心がかき乱されている状態というのは、物事に対して冷静な判断とかができなくなっちゃうから、これは、このひとは冷静じゃないよね、すぐ感情的になって嫌だよね、みたいな感じの見え方がするわけですけど、でも、よく笑っているひとを見て、このひと、すぐ感情的になるよね、とはならないじゃないですか。

三上:たしかに。

吉村:だから、感情的といって、悪い意味でいうときというのは、別にそのひとがよく笑ったりとか、楽しくて小躍りしたりとかしてることを指しているんじゃなくて、大体、怒ったりとか、恨みつらみや愚痴言ったりしてるみたいな状態のことを指して、このひと感情的になるから嫌だよねと言っているので。そこは、同じ感情でも違うエネルギーだというのを区別して考えないと、すごく混乱しちゃうんですよね。

三上:なるほどですね。たしかに、感情的というなかで、自分のなかでひとくくりにしてましたけど、違ってますね。

吉村:そうですね。本当に、いつも笑顔だったり、よく笑ったりとかってすることが、別に全然悪くはないし、よく笑うひとがよく怒るわけではないですよね。

三上:うんうんうん。たしかに。

吉村:感情表現が多いひとと言ったときに、これがもし、ポジティブな感情とネガティブな感情が同じメーター上にあって、その振れ幅が大きいことが感情的とか感情表現、感情がよく表に出るひと、みたいなくくりだとしたら、そしたら、よく笑うひとは、その分、よく怒ってなきゃいけないという話になって。

三上:ふふ。

吉村:必ずしもそうじゃないんじゃないですか。ねえ。

三上:そうですね。

吉村:いつも怒ってばっかりのひととか、よく笑うけど、あんまり怒んないひととか、いるわけですよね。となると、この感情というのは、全部ひとくくりで一緒にしちゃ駄目なものなんですよ。ちゃんと区別して考えないと、認識がおかしくなっちゃうんですね。このネガティブな反応が少なくなってくれば、別に、よく笑うひとでも、大事なときには冷静な判断ができると思うんですよね。穏やかでいることみたいなのを目指すのがいいんじゃないかと思うんですよね。別に冷静という言葉を使ってもいいとは思うんですけど、必ずしもそれは感情が無いことが冷静ということじゃないですよね。

三上:うーん。

吉村:なので、そこを一緒くたにしちゃうと、目標がうまく立てられないというかね。ふたつ別々の場所に、同時に行こうとしているみたいなことになっちゃうんで、そこをきちっと目標定めて、そっちに向かって進んでいけば、ゴールにたどり着けるわけですよ。

三上:うーん。いやあ、たしかに。今日のテーマ、「感情的にならず冷静になるには」じゃなくて、「怒りにまどわされず穏やかになるには」みたいな、違うテーマだったほうがよかったかもしれないです。ふふ。

吉村:だから、そういうことなんですけど、ただ、そういう認識をみなさん持っていないので、本当はこっちなんですよとお伝えしたかったということですよね。

三上:そうですね。一般的にこれをみて、今日のテーマをみて、今のお話をきくまでは、全然落ちなかったですもん。うーん。

吉村:そうですよね。だから、そこはたぶん、この認識が変わるだけでも、だいぶ、自分はこういうひとになりたいんだという目標が明確になれば、そっちに向かって進みやすくなりますし、もちろんそれを手に入れるためにクリアリングというのは、すごく効果的な方法だと思うので、そういうネガティブな反応をしているということは、そこで、これはよくない、これは許せないとか、ジャッジがブロックによって引き起こされているので、そういう無意識レベルのジャッジをクリアリングしていけば、何かスイッチが入るとすぐにカチンとなるみたいなことが、機会が減っていくわけですよ。

三上:うーん。

吉村:すると結果的には、いつも穏やかですよねと言われるようなひとになっていくという感じですね。

三上:はい。さあ、みなさん、今年はそれを取り入れて、ちょっとわたしも穏やかな一年になれるよう、わたしも、息子だけなんですよ。すごいジャッジしちゃうのが。一番。わかってはいるんです。

吉村:そうですね。たぶん、それって、こうあってほしいというのがあるから、そうじゃないときに対して、これはけしからんとなるわけですよ。だから、こうあってほしいというところをまずよく精査して、本当にそれが彼にとって、幸せなのかみたいなこととか、あとは、これは駄目じゃなくて、お母さんは、これを望んでいるんですよ、あなたのために、という伝え方をする。これは駄目です、じゃなくて、こっちのほうがいいと思わない?みたいな、伝え方もあるかもしれない。これが駄目というところじゃなくて、本当は自分は何を求めているんだろうか、みたいなほうに意識を向けると、またちょっと見え方が変わってくると思いますよ。

三上:そうですね。その子自身をちゃんと見つめてあげないとなというのを所々感じたりします。それを感じれる自分になったのは、ちょっと成長してるかなって思いますけども。

吉村:僕も今でこそ、穏やかとみんなに思われるような感じになってますけど、以前は、本当にいつも怒っていたので、

三上:ねえ、おっしゃってましたね。

吉村:そうですね。そこは本当にクリアリングしていくことで、いろんな、そういうネガティブな反応というのは、減っていくと、まず自分自身はすごく楽になるんですよ。余裕があると、別にそんな怒ったりもしなくなってくるんで、そうすると結果的には、いつも冷静ですよねという感じに言われるんですけど、とはいえ、僕、結構よく笑うほうだと思うし、感情はそれなりに豊かなほうだとは思うんですよ。それが、だから、怒りとか、憎しみというかたち、そっちのほうに、いってないというだけの話ですね。

三上:うーん。さあ、今日は、テーマ「感情的にならずに冷静になるには」でお届けしました。みなさんも、日々の生活のなかで感じること、今日お話きいてイメージ変わったとか、学びがあったかと思います。さあ、今年一年、みなさん、いい年にしていきましょう。今日もいいテーマでお届けさしていただきました。吉村さん、本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。