説明文:犯罪者ときいて、人間ではないかのように見てしまう方もいるかも知れません。
しかしそれに至るまでの裏側を知る事で違うイメージを持つかも。
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三上:はい、みなさん、いかがお過ごしでしょうか。こころメンテナンス。本日もアシスタント三上恵と、気功ヒーラーの、
吉村:吉村竜児です。
三上:はい。吉村さん、よろしくお願いします。
吉村:よろしくお願いします。
三上:さあ、今日はですね、ここ最近、ニュースなどでも、いろいろな事件が増えてきているなっていうふうにも感じたりするんですけど、そんななか、今日は、犯罪者というテーマでおとどけしていくんですが、犯罪といっても、小さなことから、大きなことまで、いろいろと差があると思うんですけど、さあ、吉村さん、今日はなぜこの犯罪者をテーマにとりあげたんでしょうか。
吉村:前回の正義感についてとりあげたというのがあったんで、その流れで、正義とか悪とか、そもそもそういうジャッジって、なくてもいいんじゃないっていう話に一応なったと思うんです、前回の話というのは。
三上:そうですね。
吉村:そんな単純な話でもないっちゃ・・・、まあ
三上:そう、深かったですよね。
吉村:まあ、それをざっくり言うと、そもそもそういうジャッジって、要らないんじゃないというような側面があったと思うんですけど、それに対して、凶悪な犯罪者とかを、そういうひどいことをする奴らを許していいのかと、犯罪被害にあったひとたちの気持ちはどうなんだ、みたいな言い分、議論も出てくると思うんですけど、そのへんで、犯罪とか犯罪者ということに対して、僕がどうとらえているのかなというところをお伝えできたらいいかなと思って、今回のテーマを選ばさせていただきました。
三上:はい。実際に、犯罪者って、一般のひとからみたら、こわいひとだなとか、近寄りがたいなというイメージをもたれる方、多いと思うんですけど、吉村さん的な考えとしては、どう思われるんですか。
吉村:はい、まず、これもいろんな側面があるんですけど、ひとつ、紐解いていくのに、そのとっかかりとなる部分としては、犯罪者という人種がいるわけではないということですよね。
三上:イメージはみんなそうですよね、きっと。外、外国とか、自分たちとは違うひとというイメージが、ね、ありますよね。
吉村:そうですね、はい。だから、そういう種族とか、別の生き物という感じで、犯罪者という、何者か猛獣みたいなやつが、社会の中に潜んでいて、みたいな感じのイメージを、意識的に顕在化している場合もあれば、無意識でそういうふうに思っているから、自覚はないけど、そういうとらえかたをしているという、そういうのが両方あると思うんですけど、実際、犯罪者というのは、言ってみたら、ひとというところでは、すべてのひとと同じ種族なわけですよね。
三上:そうですよね。かわらないですよね。
吉村:犯罪というカテゴリーのレッテルがはられている、その行為をしてしまったひととか、それをその、日常的にしているひとたちのことを犯罪者というふうに呼んでいるという話なんですよね。
三上:そうですね。ルールを破ったこと、破ったひと
吉村:ルールというのは、要は国が定めている、これはやっちゃだめですよと言っていることをやってしまったとか、それを日常的にやっているということで、いつも犯罪をしているじゃないか、犯罪者というレッテルがはられているという話なんですね。犯罪という行為はどういうふうに定義されるのか、というふうになると、それは、言ってみたら、国が、って今言っているけれども、それを定めているのは人なので、どこかの誰かがこれは犯罪ですって決めた、これやっちゃいけませんって決めたことをやっちゃうことが犯罪って、なるわけですね。それは、国ごとに法律とか違うから、だから、ある国でこれをやったら犯罪だけど、こっちの国でやったら別に犯罪ではありませんということは、もう数え切れないくらいにあるわけですよ。
三上:それは大きいですよね。
吉村:そうなんですよね、ものすごい数の国があって、たとえば、イスラム圏の国だったら、豚肉を食べることはかなりの重罪なわけなんですよ、ね。
三上:(笑)
吉村:(笑)不浄なものとなっているわけですよ、豚肉って。そうすると、誰かに対して、だまして、むりやり、知らないうちに食べ物に豚肉を混入させて食べさせたってなったら、多分、すごい重罪な扱いになって、下手したら、ものすごい罰をうけることになっちゃうわけで、死刑とかうける可能性もあるんじゃないかなと思うんです。
三上:えーっ。
吉村:僕もそんなに詳しくはないけど。たとえば、アルコールを飲むこととか、イスラム圏では、禁止だし、イスラム教の国もいっぱいあるんでね、戒律にそってしっかりやろうとしている国もあれば、少しゆるい国もあるんで、そこらへんの刑罰の重さとかも、多少国によっても違うわけなんですけど、たとえば、違法薬物って、日本でひとくくりになっているものでも、国によっては、大麻は別に合法ですよって言っている国もあるわけですよね。日本だと犯罪になっちゃうから、そういう刑務所に入れられちゃうみたいな刑罰があるわけですよね。かたや、イスラム教の国とかね、アジアの他の国とかだと、シンガポールとかもそうかな、大麻とか持ってたら、死刑ですよ。
三上:えーっ。そう!?
吉村:(笑)だから、同じことをやっていても、おとがめなしの国あり、法律違反だから、刑務所入れられたりとか、罰金とられたりとかしますよという国もあり、死刑になっちゃう国もあるという、ね。そこって、同じことをやっていても、全然、違う内容になっちゃうんです。それが犯罪であるか、どうなのか、犯罪として重いのか、軽いのかみたいなのって、それって、絶対的な神が定めた真実の基準みたいなのがあるんじゃなくて、人が考えて運用しているシステムの中で行われていることなんですね。
三上:うーん。
吉村:たとえば、ひとを殺しちゃうとか、なにか事故で死なせちゃうとなると、それによってなくなっちゃったひとのことを大切にしてたひとに対する、なんていうのかな、そういう人たちにとって、傷つく、ショックな出来事だから、人を殺すのは良くないよねというのは、大体みなさん、合意ができていることだとは思うんですけど、これだって、結局、たとえば、そのひとから金品を奪いたいから、殺しちゃいましたということと、性的欲求を満たすために、相手が言うことをきかないから殺しちゃいましたということと、たとえば、大麻みたいなよくないものをやったから死刑です、殺しちゃいました、いま戦争中の敵の国の兵士を戦場で殺しちゃいました、人を殺したということに関しては、全部やっていることは同じなんです。
三上:一緒ですけど。うーん。
吉村:でも、取り扱い方って、そこで変わってくるじゃないですか。
三上:うん、全然違いますね。
吉村:違いますね。そうすると、人を殺すということひとつとっても、それがその、そのことに対する絶対的な、善悪とか、罪とかっていうのは、ひとことで、「はい、これは罪です」といえるものではなくなっちゃうんですよね。たとえば、僕、戦争は全然よくないものだと思うんで、世の中から、はやくなくなってほしいと思ってますけど、実際、現状、世界中のあちこちでは、戦争とか紛争というものが起きていて、言ってみたら、戦闘行為で、敵兵と戦って相手を殺さなきゃいけないみたいなときに、死ぬのは嫌だから、こわいから、逃げちゃいましたってなったら、むしろ、それが敵前逃亡といって、そっちが罪に問われたりする可能性が出てくるわけですよね。だから、犯罪ということも、結局、僕らが定めたルールを守って生きていくという選択をするのか、それを守らないという選択をするのかという選択の話になってくるわけですよね。じゃあ、なんでルールを僕らはつくるのかといったら、お互いに迷惑かけないで、傷つけ合ったりしないで、仲良くしたいよね、だから、このルールは守っていこうよ、そしたら、きっと仲良くできるよというのが、ほんとは、一番根底にあるルールとか法律の存在意義だと僕は思うんですよね。
三上:うーん。
吉村:そこも、そのね、犯罪者とかっていう人種、種族がいるってわけじゃなくて、なんらかの、そのひとなりに思う正しいってことをした結果が、犯罪であったりとか、それから、ちょっと1回、これ止められますか?
三上:大丈夫ですよ。
吉村:ちょっとごめん、今収録中だから、声小さめでお願い。
三上:大丈夫でした。そのまま途中で切ってもらいましょうね。
吉村:どこまで話したんだっけね。
三上:犯罪者の理由がいろいろあるっていう話をされています。
吉村:その人なりに正しいと思ったことをやった結果、それが犯罪になってしまう場合であったりとか、なにかやむを得ないと思ってやってしまったとか、そのひとが思うよくないことを避けようと思った結果、ルールを破るということとつながって、犯罪者となっちゃうとかって、いろいろなケースがあるわけですよ。たとえば、世の中的にすごいその、許されないというカテゴリーに入りやすいものといえば、自分の快楽のために、人を傷つけたり、殺してしまうみたいな、快楽殺人者みたいなひととか、性的な犯罪を犯す人たち、これは、許せないですよねという話にはなると思うんですけどね、気持ちは、すごい迷惑かかりますという、傷ついた方たちというのは、たぶん僕の想像の範囲、範疇を超えたようなおそろしいめに遭われていると思うんで、ただ、僕は、そのひとたちが、ただ邪悪なのかといったら、そういうことじゃなくて、そのひとたちは、なにかしら、他のことで喜びを得ることができなくなっているために、その人のなかの、言ってみたら、喜びの回路とかが、故障しちゃって、他のひとからしたら、気持ち悪くなるような事柄で、このひとは、喜びとか快楽とか得られているという錯覚を起こしちゃってる場合というのもあるわけですよね。薬物依存で、薬物の利用を何度も繰り返しちゃって、何度も刑務所に行ってる人たちとかもかなり社会的にはすごい軽蔑されるひとたちだとは思うんですけど、このひとたちだって、言ってみたら、薬物に依存しちゃってるというのは、正常な状態ではないんですよね。一種の病気の状態とあんまり変わらないと思うんですよ。、
三上:うん、うん、うん。
吉村:たとえば、僕ら、風邪を繰り返し引くひとっているじゃないですか、風邪ひきやすいみたいな、ね。風邪をひくというのは、正常な状態ではないし、他のひとにその風邪うつしちゃうかもしれないから、いいことでは決してないですけど、でも、「お前、また風邪引いたのか、許せん」みたいな話になるのかというと、そんなことないじゃないですか。それって、病気だから仕方ないよね、それよりは、まずは、治すことを優先しようという話になると思うんですよ。だから、言ってみたら、異常な状態になっているということが、言ってみたら、犯罪者というカテゴライズされる状態というところとも、つながっているわけですよね。だから、その異常な状態になっているひとたちというのをただ、死刑にしましょうと切り捨てていくのか、でも、このひとたちがちゃんと立ち直っていけるようにしていくのか、あるいは、そもそも、そういう異常な状態にひとがならないように予防していくのか、というのは、なんか、病気になってから治療するのか、予防するのがいいのかというような議論とすごい近い話だと僕は考えていますよね。
三上:うーん。なんか、今日は思っていた以上な話がきけたんですけど、やっぱり、犯罪者ってひとくくりで外からみるのと、よくおっしゃる裏側の部分を知ることによって、今聴いている方、わたしも含めてなんですけど、きっと犯罪者に対するイメージというのは、この時間で少し変わってくる、だからこそ、自分たちも今後どうしないといけないって思ってもらえて、動いて、みんながね、いけたらいいなというふうに、この時間、感じました。
吉村:そうですね、だから、やっぱり病気と同じように、予防をすることをまず第一に考えて、もし症状が出ちゃった場合は、いかにしてそれを治していくかということを、考えたほうが、それでね、この病気のことの研究が進めば、より予防がしやすくなっていくと思うんですよね。だから、簡単に、ただ、犯罪者って、バスッとレッテルはって、悪いやつだからどこか閉じ込めとけとか、社会的に排除して殺してしまえというよりは、なんでそうなっちゃっているんだろうというのをもっときちんと研究が進むといいなと思いますよね。
三上:今日のお話でね、共感してる方がたくさんいるといいなというふうに思いました。すごいとてもいい内容だったなというふうに感じます。はい。
吉村:ありがとうございます。
三上:本日は、吉村さん、ありがとうございました。
吉村:ありがとうございました。
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