218.才能がないのに努力は必要か?

はじめの段階である程度才能がわかってしまう、才能がないのに努力するのが無駄だと思ってしまいます。どうすれば努力できる自分になれるでしょうか。そんな質問に吉村さんに答えて頂きました。

 

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三上:はい、皆さんいかがお過ごしでしょうか。こころメンテナンス、本日もアシスタント、三上恵と氣功ヒーラーの

吉村:吉村竜児です。

三上:はい、吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい、さあ今日はですね、『努力が苦手な方』からちょっとメッセージが来てるんですけど、「最初にやった段階である程度才能が分かってしまう。努力をして、やった段階である程度、自分に才能があるのか?ないのか?分かってしまうので、例えば才能がないのに努力するのが無駄だと思ってしまいます。どうすれば努力出来る自分になれますでしょうか?」という質問が来ております。

吉村:なるほどね。はい、なんか凄い興味深い内容というか、この方は「才能がないのに努力を出来る自分になりたい!」

三上: なりたい!

吉村: と言う事なんでしょうか?っていう話ですよね。それはね、むしろ止めた方が良いじゃないかと。

三上:(笑)

吉村: (笑)そうですね。だからそれよりは、自分に才能が有る事を探した方が良いんですよ。で、自分に向いてる事をちゃんと見つけられたら、恐らくは、やってる事自体が楽しかったりワクワクしたりするから、傍から見てる人からしたら(この人凄い努力してるな)って見えるような事を、あまり努力と感じずにやれると思うんですね。

三上:うーん、才能があれば。

吉村:そうそうそうそう。

三上:なるほど。

吉村:だから、それは別にその才能って多分色々な分野で、人によってどこに才能が有るかなんて全然違うから、それはね、自分で色々な事をチャレンジしてみて探していくしかないと思うんですけど、でもそういう意味では、ちょっとやったらそれで才能があるかどうかが分かっちゃうっていう事は、それ結構凄い才能じゃないですか。

三上:それも才能ですよね。そうそう。気付かないから頑張ってるけど「あれ?」ってなりますもんね。

吉村:そうそうそうそう。だからそういう意味では「そこに気付けるっていう才能」があるなら、それを生かした事をするっていうのも一つの手ですよね。だから、人を指導するような立場の人だったら多分「その才能を見抜けるかどうか?」っていうところ。

三上:うんうんうん。

吉村:例えば、スポーツとか、楽器みたいな世界だと、トッププレイヤーみたいな人達が世の中にいるわけじゃないですか。

三上:はい。

吉村:だけど、トッププレイヤーみたいな人達が「良い先生になれるか?」とか「良いコーチになれるか?」「いい指導者になれるか?」って言ったら、必ずしもそうでもないんですよね。

三上:うん、そうですね。

吉村:うん。だから、人を指導するっていうのも結構「指導する才能があるかどうか?」っていうところで結構分かれると思うんですよ。プレイヤーとしての才能があっても指導する才能がない人は、多分指導しない方がいいんですよね。

三上:うーん。

吉村:その「才能が見抜けるっていう才能」をもしこの方がお持ちだとしたら、もしかしたら指導者に向いてるのかも知れないんですよね。

三上:うーん。「そこに気付ける」ってね、「皆んな気付けなくて」悩んでますもんね。

吉村:そうですよね。

三上:うーん。なるほど。

吉村:後、どういうところで「その才能があるかどうか?」ってこの人が判断してるのかっていうのにもよるとは思うんですけど、なんていうのかな、例えばちょっと手前味噌で僕の話になってしまうんですけど、僕、以前役者をやってて、インプロっていう即興劇結構力入れて長年やってたんですよ。で、それなりに周りの人達からの評価は高かったんですね。

三上:はい。

吉村:だからそういう意味では、才能がある人に見えてたと思うんですよ。

三上:評価が勿論ね、高かったらね、ですよね。

吉村:それなりに楽しみながらやってはいたんですけど、じゃあ、今僕がやってる活動ですよね、『エネルギーワークで人の心を癒す』とか『人の能力を上げるお手伝いを、氣とかエネルギーを通してやってく』っていうこれと比べて、僕の中でのやり甲斐であったりとかね、充実感みたいなものっていうのを比べたら、もう今やってる事の方が、役者とかインプロやってた時の比じゃないんですよね。

もうなんて言うのかな「本当に水を得た魚みたいな感じ」かも知れないですよ。本当にやってる事自体に、僕はいつも日々ワクワクしながらやってるし、他の競争相手がいないような分野を自分で確立してやってるみたいなところがあるんですよね。

三上: うん。

吉村: だからそこって、役者とかインプロっていうような世界だと、周りに同じ事やってる人達も色々いる中での活動なんで、そういう意味では、人と比べてちょっと突出しないと目立たないとか評価を受けられないみたいな事があったり、芸能の世界だから、要は技術があるかどうかって事だけじゃなくて、ファンの人が僕の事を好きになってくれるかどうか?っていうところが凄く大きいわけですよ。

三上:うん、そうですね。

吉村:そうすると、人としての魅力とかっていう話にもなってくるでしょうし、そこらへんが総合的に見たら、僕は向いてなかったんじゃないかな?というふうに思うんですよね。それはやっぱり技術云々んじゃなくて、「華がある」とか「魅力がある」って言う人達っていうのはやっぱり凄く売れてるわけですよ。

その人達は技術が必要ないかって言ったら そんなことはないんですけど、ただ人気があっていっぱい現場をこなしてる人達っていうのは、それをやってるうちに技術とかって勝手にどんどん向上していくんですよね。

三上:ううん。才能があるわけですね。

吉村:そういう事なんですよ。だから、そこって僕は凄く頑張って努力してたんですけど、結局、そういう大きな舞台とかに恵まれなくて、自分で小さな小劇場であったりとかストリートパフォーマンスだったりとかっていうので場数を踏んでくって事はやってたわけですけど、即興だけじゃなくて役者って大きな括りで言ったら、それこそ「定期的に映画とかテレビのドラマの仕事をこなしてます」とか「商業演技を定期的にずっとやってます」って人達は、それで食べていけてるわけじゃないですか。

僕の場合は、いくら頑張ってストリートで頑張ったりとかしてても、アルバイトしないと生活出来ないからアルバイトの時間っていうのを取らなきゃいけなくて、その空いた時間で表現活動をしてっていう中で、実際に表現する中でギャラを頂いて生活出来てる人達と比べると、どんどん差が開いていっちゃうわけですよね。

だから、やっぱり凄いいつも必死だったんですよ。凄い頑張って、だから(自分が努力してるぞ)っていう自覚を持ってやってたわけですよね。

三上:はい、頑張ってるぞと。

吉村:「頑張ってるぞ」って、そうそうそう。だけど今って別に僕そんなに「頑張ってるぞ」とか「努力してるぞ」って思ってやってないんですよ。だけど結構な時間を自分が本当に楽しいと思ってるこの研究に費やしてるし、かなり多くの人達に感謝して頂いてる、僕が提供したこのエネルギーワークで「人生が凄く良くなりました」とか「日頃、気持ちが凄く楽になって幸せ度が上がりました」とかって言うお声を沢山頂けてるわけですよね。

僕そんなに『頑張ってる』っていう実感はない、自覚はないんだけど、だけど凄く結果がついてきてるわけですよ。だから恐らく【これが僕の才能のある分野】であって、そういう演劇とか即興劇での表現活動っていうのは、僕の才能がある分野ではなかったっていう事、これが結論じゃないかなっていうふうに僕は思ってるんですよね。

三上:なるほどね。そうですか〜そうですよね。色々自分と比べながら私もやってましたけど。そっか、才能があれば自然と気が付いたら結果が出てると。

吉村:そうですね、だから『頑張ってる』っていう感覚はそんなにないんですけど、でも多分日頃、例えば僕のコミュニティの中で一緒に活動されてる方達は、僕のことを見て、(凄い研究熱心で努力してるんだろうな)って多分見てくれてるんじゃないかとは思いますよ。ただ僕は全然努力と思ってやってないっていう話なんですけど。

三上:それもきっと好きな事だし、ワクワクしながらやってるからこそなんでしね。

吉村:そうなんですよ。淡々とやってるんだけど、ちゃんとそれが成果とか結果に繋がってるっていう事なんで、なので、「才能がないっていう事がもし明らかなのに、その事に関して努力が出来る自分になる必要があるか?」と言ったら「ない」と僕は思いますね。

それよりも、むしろ人から見て凄い努力だって思われるような事を平然とやれるような分野を探した方が良いって事ですね。多分だって世の中の凄い天才的な人達とかって皆んな多分『俺はすげー頑張ってるぞ』って思ってやってないですよ。

三上:『当たり前ですよ』みたいな感じですよね。『普通にやってるだけですよ』みたいなんですよね、確かに

吉村:そうそう。でもその人が「他の分野で同じ位の才能を発揮出来るか?」って言ったら、多分そんな事はないと思うんですよね。

三上:そうですね、一人一人の個性・魅力っていうのは違いますからね。

吉村:例えば、それこそ将棋で凄い人いるじゃないですか。誰でしたっけ?

三上:いますよね。今、待ってください。私、名前が出てこない(笑)

吉村: (笑)

三上: いますよね。若い方ですよね。

吉村:若い方ね。あの人は「ニワトリを育てる仕事をした時に、同じ位の成果が生み出せるか?凄い世界レベルのニワトリを育てる事が出来るか?」って言うと、多分出来ないですよね。

三上:出来ないと思います。

吉村: (笑)

三上:そうです。だから皆んながこうやってて「楽しい」とか「自然と上手くいってるぞ」っていうのがあれば、きっともしかしたら向いてるかも知れないですよね。

吉村:そうですね。それを見つける為にはやっぱり色々チャレンジする必要があると思うんで、そこで変なしがらみとか意地みたいのに引っかかっちゃって、本当は向いてないのにやり続けなきゃいけないっていうような状況になっちゃうと、むしろ不幸の始まりだと思うんで。

なんかちょっと軽く手を出してみて、早めに「これだ!」って言うのか、それとも「違うな!」って言うのかが早めに分かると(多分、これ違うんだ)って次いけると思うんで、そういう意味では軽くライトに色々と手をつけて、その中で自分がワクワクするものを見つけていくっていうのが良いんじゃないかなと思いますね。

三上:という事で、今日は「努力」そして「才能」の話が色々出てきました。皆さんの日々の中でも見つけて頂きたいと思います。本日も吉村さんありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

217. 与える事

ギバーになれとよく聞きますが、逆に利用されて捨てられてしまわないか?ちょうど良い尽くし方、与え方はあるのか。吉村さんからお話伺いました。

 

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三上:はい、みなさんこんにちは。こころメンテナンス。本日もアシスタント、三上恵と氣功ヒーラーの

吉村:吉村竜児です。

三上:はい、吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:さあ、今日は皆さんもよく耳にした事ありますでしょうか?「ギバー」はい。「ギバーっていうのは良いとよく言われますけども、例えば尽くすばかりの人、恋愛とかでもありますよね。利用されて捨てられるっていう気がしてしまう方もいらっしゃると思います。この丁度良い尽くし方、与え方、あるんですか?」って言う質問が来てますので、ちょっと吉村さんに伺いたいと思いますけど。

吉村:なるほどですね。はいはいはい。「ギバー」って与える人っていう事ですよね。なんて言うのかな?よく言うのが「ギブアンドテイク」っていう言葉っていうのも結構世の中に浸透してると思うんですけど、要は与えて受け取ってみたいな「ギブとテイク」をやってくみたいな、ビジネスなんかの世界ではそういう言葉で、お互いに与えて受け取ってやっていきましょうみたいな考え方ってあるんですけど。

「ギバー」って、例えば僕が以前所属してた経営者の会、BNIっていう会では「ギバーズゲイン」っていう理念があるんですけど、これは日本語に訳すと『与えるものは与えられる』っていうふうに訳されてるんですよ。

三上:素敵な言葉。

吉村:そうですね。だから見返りを期待して与える「ギブアンドテイク」のそういうのじゃなくて、「先ず自分から与える事を一生懸命やりましょうって。そうすると、巡り巡って自分が与えられるチャンスが巡って来ますよ」っていう考え方ですね。

僕、結構その考え方は素晴らしいなと思ってて、6年〜7年近くそこに在籍してて、その理念。他のメンバーに色々な人脈を紹介する事で、ビジネスのチャンスを皆さんに提供するっていう事をすると、今度、僕のサービスを必要としてる人がいたら、その人達を僕に紹介してくれる人達が現れて来るっていうところで、お互いに見込み客だったり、ビジネスパートナー候補みたいな人達を紹介し合うっていう、そういうシステムがあるんですよ。

三上: ふううん。

吉村: 本当に僕は、個人事業主とか小規模でビジネスしてる人達にとっては凄く良い仕組みだと思ってるんで、凄い僕は、もし興味ある人は本当にお薦めなんですけど、ただそこでも「ギバーになりましょう」って事しきりに言ってるわけですよね。ただ、「ギバー」になると尽くすばかりの人が利用されて捨てられちゃうんじゃないか?という考え方ですよね。これって先ず、「尽くすばかりの人が利用されて捨てられるような気がしてる」って言う、その段階で多分見返りを求めてるんですよね。

三上:あら(笑)

吉村:だから、そういう意味ではトピックに上がってるこの人が実在するとしたら、この人本当の意味では「ギバーではない部分」があるから、多分上手くいかないっていう考え方が一つあるんですよね。

三上: ふううん。

吉村: 後、「丁度良い尽くし方、与え方あるのでしょうか?」って、ここ結構実は凄い重要なポイントで、多分、与えるばっかりで上手くいかなくなってる人って、ここが丁度良くないから上手くいってないわけですよ。
じゃあ、「丁度良いって、何か?」って言うこの見極めるポイントっていうのが、やっぱり凄く大事だと思うんですね。

三上:見極めるポイント、はい、気になります。

吉村:大事なのは、要は「与える時に自分が犠牲になってないかどうか」って言う、これが凄く重要ですね。

三上:確かに無理してたりね、忙しいのに。

吉村:そうそうそう。だから「先ず自分できちっと自分の足で立って、自分の事はきちっと出来てますよ」って言う状態で、余裕があるところを使って人に与えたり尽くしたりするっていう事だったら、要はそこで見返りがなくてもこっちは痛みがないんですよ。

余裕がある部分を、「お金ちょっと余ってる分を寄付します」みたいな考え方だったら、別に自分の生活を切り詰めてまで与えてるわけじゃなくて、「全部普通に生活出来てますよ、困ってる事ありませんよ」で「余剰金が有るから、じゃあこれ寄付します」っていうのだったら別に懐は痛んでないわけじゃないですか。

三上: うんうん。

吉村: それと同じで、人を助けるとか人に尽くすっていう時も、そこで自分が犠牲になっちゃってたら、要は痛手があるし、自分は損失があるし、これが足りてない事で自分は生活がままならない状態とか苦しい状態になってるって事じゃないですか。

そうすると、「そのマイナス分を何かで埋めなきゃいけないんですよね」ってなると、見返りっていう「見返りくれよ」ってなっちゃうんですよ。
だってこれ足りてないんだもん。「あなたのことを助けた事で、僕、今日食べる物もない状態になってますよ。せめて食べるものを買える位の見返り下さいよ」って話になっちゃうんですね。

三上:なるほど、自分も満たされてないからね、そこを。

吉村:そうなんですよ。だから【自分がちゃんと満たされてるかどうか】っていうのがめちゃめちゃ重要な話で、そこがままならないのに人を助けようっていう事をするんだとしたら、「先ずは、ちょっと自分の事先にやった方が良いんじゃない?」って話になるんですよね。

三上: いやー、凄い今なんかズンって来ました。(笑)

吉村:(笑)

三上: 私もちょっとやっぱり癖があるんですよね。自分大変で寝不足なのにとか。いやー、そうですね、きっとリスナーの皆さんの中にも多いと思うんですよね。

吉村:(笑) だから先ずね、ちゃんと自分の事をきちんと優先した上で、余裕があるところで人を助けるっていう事をすれば多分そこは見返りを期待してなくても、巡り巡って助けてくれる人が出て来るんですよね。

これは実際にやってみないと分んないとこあると思うんですけど、少なくとも僕はBNIっていう経営者の会で、そういう「リファラルマーケティング」みたいな、紹介で営業したりとか、「口コミマーケティング」って言われているような個人間でお互いを紹介し合うっていうマーケティング手法でビジネスをやって来て、実際にそれで上手くいったっていう経験があるから、周りの人達を見てても、やっぱりそこで見返りを期待するんじゃなく、その「ギブ」が出来てる人達って言うのは成功してるので、その為には「自分の事はきちんと自分出来てる」っていうそれが大前提なんですよね。

だから、先ず自分の事はちゃんとやりつつの、その上での余裕があるところで人を助けようっていう事をやってると、多分、『ちゃんと、そこで変な見返りを期待してあげる』みたいな感じにならなくなると思うんですね、余裕があれば。そうすると、多分直ぐに結果出なくても、やってるうちにいつか結果が返って来るようになるんですよ。

三上:今メモしながら私収録してるんですけど、皆さん(笑)先ずは自分を第一に、そうですよね〜そうじゃないと気が付いたら疲れて見返り、(なんでこんな頑張ってるのに空回りしてる自分がいるな)っていうのを思い浮かべながら今、はい。(笑)

吉村:(笑)

三上: 私みたいな人、多いんじゃないかな?どうなんだろう。吉村さんのお話を聴きながら私が学んでますけど、リスナーの皆さんの中にも、こういった気付きとか学びがある回になって欲しいなって今日思ってます。

吉村:普通に自分が出したものに対して、直接的に見返りが返って来るっていう事も実際にあるわけですよ。買い物をしたとかって、出したお金と購入した商品とって基本的には等価交換してるだけみたいな感じになるじゃないですか。

三上: はいはい。

吉村: だから別にその中で、先ずは自分の事はきちっと自分で満たされてる状態を作るっていう、それは別に、例えば経済的に決して裕福な状態じゃなかったとしても、先ず自分が自分のやってる事に生き甲斐とかやり甲斐を感じてるかとかね、自分がワクワクしてる状態になれば、多少経済的にそこまで余裕がなくても、先ずはやってること自体がワクワクするからやり続けられるという状態になるんですよね。

そうすると直ぐに見返りがなくても、先ずはやってて楽しいっていう状態になるし、その時にやっぱりちゃんと自分が何か人に貢献する事で、それを受け取った価値を受け取った人が感謝してくれるような、そういう『形を作る』ことが言ってみたら商品とかサービスを開発するっていう事になると思うんですよね。

三上: ふううん。

吉村: その時に感謝に値段を付ければ良いわけですよ、料金表で。僕が「じゃあこの1時間、あなたひとりの為に1時間使ってとことんクリアリングします。だったらその料金はこの金額です」っていうのを僕はそのホームページにちゃんと料金表を出しているんで、これに関しては本当にその価値を感じる人はお金払って予約入れるでしょうし、そこで「ちょっとこのサービスに対してこの金額はな」って思う人は申し込まないっていう、それだけの事になるわけですよね。

三上: なるほどね。

吉村: これがやり過ぎちゃう人っていうのは、皆んな困ってるかも知れないから値段を下げた方が良いのかな?とか、お金払えないって言うんだったら、しょうがないですよ。あなたは無料(ただ)でいいですよみたいな事をやっちゃってるんだと思うんですよね。

そうすると、この時間使って僕何にも収入が入らないってなったら、要はボランティアじゃないですか。「僕が、別に全然お金困ってなくて無料(ただ)でも良いからセッションしたくてしょうがないんです」とか「収入は他から幾らでも入って来るんです」とかって言うんだったら別にそれやるのは自由かもしれないですけど、少なくとも僕はそれで生活してるし僕の家族をそれで養ってたりするわけですよね。

だったらここが疎かになっちゃうと、僕は「ギブ」が出来なくなっちゃうわけですよね。家で家族が皆んな飢えてるにもかかわらず「良いよ無料で」とかってやってたら、多分続けらんなくなっちゃうんですよ。

三上:ううん。そうですね。逆に見返りを求めちゃいそうですもんね。

吉村:そうですね。「こんだけやってやったんだから、その分ちょっとね〜もっと感謝しろよ」とかそういう話になっちゃうんで、自分の生活がきちっと出来てる上でやってるから、だからそういう意味では本当に難しい相談とか来ても、よし、じゃあこの時間をしっかりこの人と向き合うぞっていう事が出来るわけですよね。

三上:ありがとうございます。今日は本当にまた氣づきのある回でした。

吉村:(笑) 良かったです。

三上:リスナーの皆さんも聴いて頂いて、感想とかこう思ったよとかこんなテーマ取り上げて下さいってありましたら、メッセージも送って頂きたいなと思います。吉村さん、本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

216. 他人に興味がない

内向的で他人に中々興味を持てない、クリアリングは必要か?

 

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三上:みなさん、こんにちは。こころメンテナンス。本日もアシスタント、三上恵と氣功ヒーラーの

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい。さあ、今日はですね。私もちょっとあるんですけど、ついつい他人と比べたりとかして、「あーあ」っていう、他人と比べた他人に興味を示して、「もうちょっと私も綺麗になりたいなー」とかっていう差別をしたりする傾向があるんですけど。

今日は、その中でも私みたいな方じゃなくて、他人に全く興味を持てない方、内向的で。そういう方もいらっしゃると思うんですけども、そんな方っていうのはクリアリングが必要なのか、他人に興味を持てないってことはできないことなのか、こんな感じでお話を進めていきたいと思います。

吉村:そうですね。クリアリングが必要なのかっていう、必要か必要じゃないかっていう二択の話で言えば、別に必要ではないと思うんですよ。クリアリングって、そもそも別に必要性でやる必要はないと思うんですね。ちょっとそういう禅問答みたいになっちゃいましたけど。

例えば、「人に興味を持ちたいのに、持つことができなくて悩んでるんです。」とか、「そういう人に興味を持たないとできない何かがあるんだけど、それをやるにあたって、人に興味を持つことができないためにそれが上手くできないんです。」とかっていう、何か困りごとがある場合、何かそれに関しての対応をするっていうことはあると思うんですけど、

まず内向的で人に興味を持つことがなかなかできませんみたいな話って、別にそれで困ってなければそれでいいんじゃないっていうことではないかと僕は思ってるんですね。

三上:うーん、そうですね。確かに。

吉村:別にだって、例えば、人には興味ないんだけど、数学の数式にめちゃめちゃ興味があって、ずっとそればっかり研究してて、それですごい賞を取るような大きな発見をしましたみたいな人とかも、世の中にいくらでも居ると思うんですよ。

三上:確かにね、ただ人には興味ないだけでね。

吉村:そうそう。だから、人に興味があるかないかっていうことだけ切り取ってみたら、何か足りないことがあるふうに見えちゃうけど、別に人って色んな側面があるから、別に他の何かにすごい打ち込んでいる人が別に人に興味ありませんってなっても、別に打ち込んでる何かですごい突出していれば、むしろ人に興味がないために、そのことにすごく集中できるっていうことにもなると思うんで、だからそこが、別にいいとか悪いとかって話ではないと思うんですよ。

むしろその人が、本当に打ち込めるものをちゃんと見つけられるかどうかとかね、生きがいとかやりがいを感じることを見つけて、それで幸せな人生を生きているかどうかとか、そっちのほうが重要だと思うんですよね。

三上:なるほど。一般的に言うのも変ですけど、人に興味がないとダメみたいな勝手なイメージがある方って多いのかなって私も思うんですけど、今ちょっと吉村さんの話を聞くと、確かに人に必ず興味がなくても、自分がやりたいこととか、何かしらの興味があったら逆に興味ないほうが動きやすい面もあるのかなって思いながら聞いてました。

吉村:どの分野でその人が力を発揮していきたいのか次第な氣がするんですよ。例えば、人と関わる仕事をされてる人だったら、人に興味がある人のほうが多分いいと思うんですよね。でも、じゃあ人に興味がない人が人と関わらなければいけない仕事をするってなった場合、それって苦しいことをやることになりかねないわけですよね。

三上:確かに、ワクワクしなさそうな氣がする。

吉村:だから、仕事に自分を合わせようとするんじゃなくて、自分に合った仕事を見つけたほうがいいわけですよ。仕事に限らずですね、活動とか趣味とか何でもいいんですけど、自分の特性で自分あんまり人に興味ないなってなったら、人に興味がなくてもできることとか、人に興味がない人のほうが力を発揮できる分野とかを見つけてそっちに行ったほうがいいし、人が大好きな人だったら、むしろ人といっぱい関われる仕事をしたほうがいいんですよね。

そこは、世の中がどうとか今やってるこの仕事がどうっていうことを優先するんじゃなくて、自分がまずどういう人なのかっていうのを見極めて、それに合わせて自分の人生を設計していったほうがいいと思いますよね。

僕もどっちかっていうと、ちょっと研究をするタイプの人なわけですよ。一人で黙々とエネルギーワークとか人の心の仕組みについて研究してるわけですけど、でも僕は大勢でワイワイ集まったりとか、人の噂話したりすることが好きかどうかっていうと、全然興味ないんですよね。どっちかっていうと、大きな括りで言うと、僕は実はあんまり人に興味がないタイプの人なんですよね。(笑)

三上:意外ですね。

吉村:でも、人の心の構造っていうのかな、そういうところに興味があるんですよ。だからどっちかっていうと、昆虫の生態に興味があってすごい研究してる人みたいな感じで、人の心を研究してるわけであって、あんまり個人個人、人にそこまで興味があるっていうふうになると、ちょっとどうかなって自分でもあんまり自信はないですよね。

人そのものっていうのかな、個人個人にそこまで興味があるかっていうとあんまり興味はないんですよ。その人が例えば、何のブランドの服着てるかとかもあんまりどうでもよかったりとか、その人の趣味思考とかも、僕と共通してるところがあれば、それはその趣味に関する共通の話題で盛り上がるっていうことにはなるとは思うんですけど。

それって要は、共通の趣味があるからっていうところで話をしてるわけであって、その人そのものにそこまで興味があるかっていうと、ちょっとあんまり自信ないですね。ちょっと感じ悪いやつに聞こえちゃうかもしれないですけど、ここだけ切り取ってね、聞くと。(笑)

三上:(笑)なるほどね。いや、お話聞いて思いました。確かに、私、勝手に人は好きって思ってたんですよ。どういう感じの人ですか?(って聞かれたら)とりあえず私人が好きですみたいな、話するの好きですって思ってたんですけど、今のお話聞いて、いや私そうじゃないと思ったんですよ。

吉村:そうなんですね(笑)

三上:全員好きじゃないなって思いました。やっぱりその興味惹かれるってところは内面とかギャップだったりとか人間性とか、そういうところに惹かれるんだと思ったら、今、人が好きってなったらどうなんだろうっていうふうに、今思いました。ああ、なるほど。

吉村:そうですね。別にその興味惹かれる人たちっていうのは居るし、そういう人たちに対してはその人たちのいろんなことを知りたいっていう氣持ちはあるんですけど、誰かれ構わずそうかっていうとあんまりそうでもないし、でも、じゃあ別にそうでもない人たちが嫌いなのかとか別にそういう人たちどうなってもいいと思ってるかって言ったら、そんなこともないんですよね。

三上:うん。

吉村:だから、みんな幸せに生きてたらいいなって思ってるんですけど、じゃあなぜ、そう思ってるかっていうと、みんな幸せで生きてる世界の方が、自分が居心地がいいだろうなって思ってるんですよね。だって困ってる人とか、苦しんでる人たちがいる中で、自分だけ例えば裕福な暮らしとかしてたとしたら、落ち着かないんですよ。

だってその人たちからは、きっとあいつばっかりいい思いしやがってとかって、思ってる人いるんじゃないかなとかって、恨まれたり妬まれたりするんじゃないかなとかって、不安が出てくるわけですよね。

それがみんな幸せに生きてたら、多分そういうのないだろうから、そうすると別に自分がどういう生き方をして何が好きで、どんな人たちと付き合って生きてたとしても、誰からも文句言われることないと思うんですよ。みんなが幸せだったら。

三上:うーん。

吉村:誰かに対して攻撃する人たちって、多分その人たちの中に不満だったりとか、妬みだったりとかあるから、多分攻撃的な人っていうのが出てくるわけですよね。僕はみんなの心が穏やかになったらいいなって思ってこの研究をしてるんですけど、

それはめぐりめぐって結局、自分の居心地が良くなることを求めてやってるわけですよね。そんな感じで自分がやりがいを感じることを見つけられれば、別にざっくり大きく人に興味があるかどうかみたいなことを、あまり氣にしなくてもいいんじゃないかなって氣はしますよね。

三上:そうですね。自分がどうありたいか、どういうふうにワクワクするかとかそこに寄り添って、人みんな違うから。

吉村:そういうことなんですよね。何でワクワクするかっていうのが結局、一人一人違うからってことですよね。

三上:リスナーさんの中にもこういう感じで思ってらっしゃる方もいらっしゃると思いますが、一人一人がワクワクすると雰囲氣もみんな良くなると思いますので。

吉村:そうですよね。

三上:ということで、いろんなテーマでお届けしておりますが、皆さんの生活の中でヒントがたくさんある回のお話だったんじゃないかなと思います。

吉村:ありがとうございます。

三上:吉村さん、本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

215. 医療現場の対応について

ハンドルネームゆうさんからのご感想と kizuki さんからのメッセージを取り上げて、吉村さんからお話伺いました。

 

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三上:はい、みなさんこんにちは。こころメンテナンス、本日もアシスタント三上恵と氣功ヒーラーの

吉村:吉村竜児です。

三上:吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい。さあ今日、お便りが来ていますので、ご紹介していきたいと思います。まずは、ハンドルネームゆうさんからですね、ご感想が来ております。「素敵なお話ありがとうございます。とてもワクワクするお話でした!」とメッセージ来てるんですけど、どの回のお話なのか、YouTubeなのか、色々そちらも踏まえて、お便りいただけたらなと思います。

吉村:はい。

三上:はい。メッセージ、ゆうさん。ありがとうございます。

吉村:ありがとうございます。

三上:はい。さあ続いては、ハンドルネーム kizuki さんから来ております。

吉村:はい。

三上:「いつも、氣付きをありがとうございます。悩みがあります。よろしくお願いいたします。自分の思い込みではなく、誰が聞いてもそれは差別だから泣き寝入りしてはダメということをされた場合、例えば命に関わる医療現場での差別についてなんですが、それをカルマが回収されたと考えるのか、もしくは、法的に賠償金をもらうのは当然の権利だと思ってよいのだろうかと色々考えています。」

「弁護士さんに無料相談するにも、当時の医療状況を証明する書類を集めたり、手間や時間もかかります。そもそも差別を受ける意味をどう捉えたらよいのか、アドバイスをいただきたく質問させていただきました。どうぞよろしくお願いいたします」とメッセージ来ております。

それ以外にもうちょっとこちらではお話ができないんですが、その医療の時のお話も一緒に送っていただいてはいますね。

吉村:そうですね。これでも詳細の方を見させていただいた感じだと、これって差別なのかなっていうのは、ちょっとよく分からない部分がありますよね。僕、個人的には何か問題があったんだろうなとは思うんですけど、差別かっていうとどの部分を指して、差別とおっしゃってるのかよく分からないんで、そうするとそもそもの前提で、誰が聞いてもそれは差別だから泣き寝入りしちゃダメということをされた場合っていうこれが、当てはまらなくなっちゃうんですよね。少なくとも、僕が聞いても差別かどうかよく分からないっていう感じになっちゃうんで。

三上:うんうん。

吉村:これは果たして差別の話なのかどうかっていう前提が、ちょっと微妙になってしまう中での話になってしまうかなとは思うんですよ。なので、どこから取り扱っていけばいいのかっていうところになっちゃうんですけど、何かそういう医療現場での処置だったり対応だったりに関して、何か納得がいかない部分があって、それに関して、何か申し立てをしようっていうことをされるのは、いってみたらその方の自由だとは思うんですよね。

三上:うん。

吉村:実際に申し立てをしてみて、それを例えば裁判で訴えるとかだったら、最終的には裁判官がそれに関してどう思うかっていうので、どちらの判決が出るか次第の話になってくるんで、法律的に申し立てる権利っていうのは保証されてるから裁判っていう制度があるわけだし、

そこで裁判官の方が賠償金を支払ってくださいみたいな話になれば、それは受け取る権利があるっていうふうに判断されたっていうことだと思うんですけど、何しろ、僕ちょっと法律の専門家ではないので、ここで僕がこの話に関してどっちが正しいかって判断のしようがないんですよね。

だから、そうなってくると、この kizuki さんも書かれてるように弁護士さんに相談するときに、書類を集めたりとかの手間や時間もかかりますっていうことで、要はその手間や時間をかけてでも、訴えを起こしたいのか、それともそこまでしなくてもいいかって思うのかっていう、これもご自身の判断というか次第だと思うんですよね。

三上:うん。

吉村:なので、これがカルマが回収されたと考えるべきなのか、法律的に賠償をもらうのは当然の権利だと思っているのだろうかっていう、この二択もちょっと何とも言えないと思うんですよね。まず、カルマに関しては、僕は以前の回でも何度かお話ししてるんですけど、世間一般で言うようなカルマっていう普遍的な、絶対的なシステムみたいなものはないと思ってるんですよ。

なので、何かしらその人が経験することっていうのは、どこかのレイヤーではその人自身が引き寄せてることなんですけど、それは必ずしもその人が分かってて引き寄せてるんじゃなくて、無意識に引き寄せてることもあるから、別にその人が悪いとかって話ではないんですけどね。ただ、何か不満のある経験をした場合、その方が持ってる何かのブロックがそれを引き寄せてる可能性はあると思うんですよ。

で、それはそのブロック、同じブロックが何度も発動すれば似たような経験を何度も繰り返すようになっちゃうし、そこをちゃんと見つけてクリアリングができれば似たような経験はしなくなると思うんですよね。

なので、詳細で書かれてる内容だと、結構出来事が起きたこと自体も、結構前の話みたいなので、このこと以外にも似たようなことが起きてるのかどうかっていうところで、ブロックが発動してるのか、何か別の要因でたまたまそういうことになったのかっていうところは、切り分けることは可能だとは思うんですけど、ちょっと書いていただいて内容を見るだけだと、僕の方ではそちらの判断はしかねるんですよね。

三上:うんうん。

吉村:ただ、僕はこちらの内容を読ませていただいて、これって差別なのかなって感じてしまってる内容を、きずきさんは差別だっていうふうに捉えられてるっていうことは、何かそういう捉え方に癖がある、そこでブロックが発動してる可能性はあると思うんですよね。

なので、いくつかの可能性がある中で、実際に例えば個人セッションとかで相談に来られた場合は、いくつかの可能性を踏まえてリーディングをして、原因になる紐づいてるブロックを探していくっていう流れになっていくと思いますね。

あとは、最後の質問で、「そもそも、差別を受ける意味をどう捉えたらよいのか、アドバイスをいただきたく、質問をさせていただきました」っていうのは、この内容自体が差別と関係あるのかどうかっていう話もあるんですけど、それはちょっと置いといたとして、単純に差別を受ける意味っていう話になってくると、僕は別に特にそういう意味とかないと思ってるんですよね。

それって例えば、災害にあって家が潰れてしまって、避難所で生活しなきゃいけなくなった人がいるとして、その人が家が潰れてしまった意味が、何かあるのかって言ったら、別にないと思うんですよ。

人生で色んなことが起きるんで、それが別にそのことに関してその人がどういう捉え方をして、そこからどうそのことと向き合って、その後の選択をどういうふうにしていくかっていうこと次第だと思うんですよね。

三上:ええ。

吉村:例えば、災害にあって被災者の方はもちろんすごい大変な思いをされてると思うんですけど、でもその経験があったから、何か例えば人の優しさに氣づくことができたみたいなことも、必ず絶対そうなるとは言い切れないですけど、そういう経験をされてる人もいると思うんですよ。

そうすると何が良いか悪いかって、その経験そのものが良い悪いの意味が最初からあるんじゃなくて、そのことに対してその人がどう解釈するかどう受け取るかで、その経験にその人が、だから要は良い意味付けをすることができるか、悪い意味付けをすることになるかっていうことで、その人のその先の人生が変わってきてしまうわけですよね。

だから、何かこちらで、カルマが回収されたと考えるのかっていう二択でお話をされてるってことは、多分、カルマが回収されたと考えたとしたら、「これはもう仕方のないことだから、諦めるべきだ」っていう、隠れた前提が多分ここの中に入ってると思うんですよ。

そこは別にそもそもそういう考え方をする必要がないっていうかね、別に諦めるかどうかとかそういう話ではなく、それをどう捉えてそれに対してどういう選択をしていくかっていうのは自由だと思うんですよね。

で、別に法的に賠償金をもらうのは当然の権利っていうのは、要は法的に認められれば当然の権利になるでしょうし、認められなかったら当然の権利にはならないっていうそれだけの話なんで、そこは実際に法廷に持って行って証拠とか出して、裁判官に判断してもらうしかないわけですよね。

最初の話に戻ってしまうんですけど、結局、その手間をかけてまでそれをやりたいかどうかっていう話になってしまうわけですよね。だからちょっと多分、諦めるべきなのか意義を申し立てるべきなのかみたいなことを、質問したいのかなと思うんですよ。この中では。

三上:この内容の中では。

吉村:内容の中ではね。そういう話になると、結局その状況を総合的に判断して、ご自身がどうしたいかで決めるしかないと思うんですけど、結構前の話だとそれだけ証拠の書類とかを集めたりするのは、それだけ手間や時間がよりかかることだと思うんで、そこも考慮した上でどうしたいかっていうのを決めていくって話じゃないかと思うんですよね。

三上:はい。

吉村:そうですね。ひとまず、一つには、なぜここで差別っていう捉え方が出てきてるのかっていう、そちらを見ていった方がいいかもしれないですよね。もしかしたら、詳細でいただいている文面に書かれてない、もっと差別だってことがはっきり分かるようなことがあったのかもしれないですけど、ちょっと文面から伝わってこないんで、そうするとちょっとこちらでは判断のしようがないっていうことにはなってしまうんですけど。

三上:そうですね。今日いただいたご紹介している内容では、吉村さんが今日色々なお話をご説明していただいたと思うんですけども、今日 kizuki さんに聞いていただいて、また別でこういう内容があるんですよっていうのがあれば、また送っていただきたいですし、内容も踏まえてですね。今日聞いた内容のご感想とかっていうのも、もしあればまたぜひ送っていただきたいなと思います。

吉村:そうですね。どうしても、公開でやっている番組での内容ってことになってしまうと、ここの部分は明かさずにアドバイスだけくださいっていうふうになったときに、どうしても番組の内容、コンテンツとして成立するものになるかどうかっていうところが出てきてしまうので、

個人セッションとかでしたら時間内で何を聞いていただいても大丈夫ですので、そこはプライバシーのこととかもきちっと守られた上で質問していただいても大丈夫なんですけど、こちらでの公開の番組内でのお話っていう中での、今日できる限りの対応させていただいたっていう、そんな流れになりますね、今日は。

三上:はい、ということですので、ぜひまたお便りお待ちしております。吉村さん、本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

214.無意識

無意識に言葉や感情を発したり行動することありませんか?改めて考え方のクセを知る事で動きやすくなるかも。

 

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三上:はい、みなさんこんにちは。こころメンテナンス。本日もアシスタント三上恵と氣功ヒーラーの

吉村:吉村竜児です。

三上:吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:ちょっと前に思い込みの話をしたんですけど、その時には無意識の話が出てたと思いますが、無意識っていうのは私たちきっとあって、いつの間にか勝手にこういうふうに考え方の癖がついてたりとか、私もきっとあると思うんですけど、ちょっとこの無意識について、これでも無意識を全部意識したらまたそれはそれで大変なのかな、どうなんでしょうか。今日はそれで伺えたらなと思います。

吉村:素晴らしい考察ですね。無意識って潜在意識っていう呼び方で話される場合もあるんですけど、要は顕在意識って自分が認知できている部分の意識の外側の、自分の意識ではあるんだけど、自分が知覚できていない部分の意識っていうふうに捉えてもらえたらいいのかなと思うんですよね。

これは結構膨大で、一節には意識できている、顕在意識は3%から5%ぐらいで、残りは95から7%は無意識みたいな感じで言われてたりするんですよ。

三上:ほとんど無意識じゃないですか。

吉村:そうなんですよ。ほとんど無意識なんですよ。だからパーセンテージがどのぐらいなのかっていうのは、多分測って証明することができないんで、実際のところどうなのかわからないんですけど、ただ意識できている部分はほんのわずかで、大半は意識できていないって思った方がいいと思うんですよね。

それはどういうことかっていうと、僕たちの肉体の活動とかってあるじゃないですか。例えば僕の手のひらが今パーになってるかグーになってるかっていうのは、これは僕が意識してパーにしたりグーにしたりしてるし、今グーになってたらグーになってるって自分でわかってるわけですよね。だからこれって顕在意識で意識できてる部分の話になるんですけど、だから体がどういう状態かっていうのは、この意識によってコントロールされたり自覚されたりしてるっていうことじゃないですか。これが例えばパシって叩いたら開いたとかっていうのも全部意識できてますよね。

だけどじゃあ僕の肉体がやってることで、僕が意識できてない部分ってどんなものがあるかって言ったら、僕は自分の体がどうやって自分の爪を伸ばしてるのか知らないんですね。髪の毛もそうですよね。食べたものをどうやって消化してるのかも知らないし。

三上:確かに。

吉村:ということはこれらのことを全部僕の体がやってるんですよ。心臓を毎秒ずっと決まったペースで鼓動させて血液を体中に循環させてとか、細胞を分裂させて古いやつと新しいやつを入れ替えてとかっていうことを僕の体は全部やってるんですよね。だけどこの部分って全く意識できてないんですね。じゃあこれ全部意識してたらどうだろうってなったら大変ですよね。

三上:大変。

吉村:そうそう、全部意識してたら大変なんじゃないかっていうのはまさにそこなんですよね。なので僕が吉村竜児という人間として活動を行ってる中で全然意識してない無意識で勝手に行われてることっていうのがものすごいあるわけですね。これは例えば誰か新しい人に会いましたっていうときになんとなく第一印象でこの人好感持てるなとか嫌だなとかってあったりするじゃないですか。

三上:ありますね。

吉村:あれもだから実は無意識レベルで今まで会ったことある人のデータとバッと照らし合わせてこのタイプの人は大丈夫そうだなみたいなことを実は無意識にやってるんですよね。だからこの人大丈夫そうとかちょっと警戒するのは、昔いじめられたことがある誰かにちょっと雰囲氣に似てるとこがあるからこいつは氣をつけた方がいいぞみたいなそういうのを全部無意識でやってるんですよね。

三上:やってる、やってる、やってる。

吉村:そういう色んなことを無意識でジャッジしたりとか推測したりとかそういうことをやってるわけですよね。予測を立てたりとか。僕たちがいろいろと感情で反応することもだいたいは無意識に行われたジャッジの結果としてその感情が出てるんですよね。

三上:別にいいってことですよね。無意識でも特になんかこう例えば嫌なことが起こらなかったり、それは別にうまく回ってればそれはそれでいいっていう解釈でいい。

吉村:そうですね。だからうまく回ってれば別にそれでいいわけですよね。ただこれって全部自動的に行われてることだからこっちでコントロールができないんですね。なので特定の条件付けが無意識にされているんだけど、そのことにこちらは自覚がないってなるとそれでなぜこの人に対して嫌な感じがするのかっていうのがわからないまま嫌な感じだけしてますってなっちゃうと、

そうすると別にその人もっとお互いよく知り合ったらすごくいい人かもしれないし今後の自分がやりたいと思う活動にとってすごく有益な関係性を作れるような人かもしれないんだけど、たまたまその人の何かの事柄にすごく自分が反応しちゃってすごく嫌だみたいなことになることもあり得るってことなんですよね。

三上:それを例えばこの無意識の中で嫌なことがあった・変えたいってなった時にクリアリングになるんですね。

吉村:そうですね。そこが何かうまく機能してないなっていう時に要は無意識の中で勝手に起こってるジャッジだったりとか感情の反応だったりっていうのが要は原因で人間関係がうまくいかない・コミュニケーションがうまく取れないみたいなことをその原因を、リーディングで見つけていってそれでエネルギー的にそれをクリアにしていくっていうのがクリアリングなわけですね。

三上:今ハッて思ったのがうまくいかないなって結構うまくいかないなって終わってる人多いと思うんですよ。私もあるなと思って。ってなったらちょっとあ!て思った方がいいですよね。

吉村:何かうまくいかないってことはうまくいかなくしてる何かがあるっていうことなわけですよね。例えば人前で何かを発表しなきゃいけないっていう場面があったとして、人前に出ると怖くて足が震えちゃってまともに話ができないんですみたいな人がいたとするじゃないですか。

三上:はいはい。

吉村:そうするとその人はその発表をすることで何か成し遂げられてたかもしれないそのチャンスがすごく制限されてるわけですよね。何かプレゼンテーションをうまくやることができたらその人はもしかしたら新しい仕事でステップアップできるかもしれないチャンスなんだけど、でも人前で発表するのが怖いからだからちょっとやめときますみたいになると、そのステップアップのチャンスがそれによって制限されちゃってるわけですよね。

三上:うん。

吉村:じゃあ何で人前に出た時に怖くなって足が震えて声が上ずってしまうのかっていう、そこは何かしらあるわけですよ、その無意識の中で。きっとみんなの前で何か話したらみんなから総攻撃を受けてすごい怖い目に遭うかもしれないみたいなことを無意識に思ってるわけですよね。だから怖いんですよ。

こんなのなければ別にそんなにおおごとではないかもしれないですよね。人は大抵自分の感情にだいぶ振り回されちゃってこの感情がどういう原因で出てきているのかっていうことをあまり深く考えないから、だから単純に怖いから私にはできません以上みたいなので話が終わっちゃうんですよね。

三上:なるほど、考えたくないしね。逃げたい氣分がいつもどこかしらあって自然とね。

吉村:そういうことなんですね。だけど実際これを何でそうなってしまったのかって探っていくと、結構その人自身の生まれてからの今までの人生経験の中で、例えばクラスで何か意見を言ったらみんなからバカにされたみたいな経験があったとかっていうようなことにつながってるかもしれないし、

あるいはその人個人の話じゃなくてその人の先祖がそういう経験をしたことがあって、それがこういう場面は非常に危険だ恐ろしい避けなきゃみたいなパターンとしてDNAに刻み込まれちゃっててそれを受け継いだために物心ついたときには人前に出るの怖かったってことになってるかもしれないし、

三上:うん。

吉村:あとは魂が輪廻転生してくる中での過去生とかで何かそういう経験をしたとか、あるいは直接的にそういう経験はしてないけどそういうもんだっていう無意識の思い込みが刷り込まれてるとか、色んなケースが考えられるんですけど、そこをちゃんと原因を見つけてその原因をクリアにすることができれば要はその反応はなくなるんですよね。

三上:うーん。

吉村:そうすると結構どうしてもできなかったことがすごく簡単にできるようになるみたいな変化がかなり確率で起きるんですよね。今まで僕は色んな方たちの手助けをお仕事としてやらせていただいてきたんですけど、実際にそのビフォーアフターで見ていくと要はブロックがこの無意識の思い込みとかそういうパターンみたいな、僕らはブロックって呼んでるんですけど、

このブロックがある状態だとこのブロックがなくなったらどういうふうになるかっていうこと自体は想像がつかないんですよ。そういう人前に出たらすごい怖い、足がガクガク震えちゃって声がうわずっちゃうっていう人に、人前に出ても大丈夫なようにするにはっていう話をしてもそんな恐ろしいことなんでできるんですかみたいなね、絶対無理ですみたいな感じになるんですよね。

だけど実際クリアリングしてその反応自体がなくなると・そうするとあれ何でこれがそんなに難しかったんだろうみたいな感じになってしまうんですよ。だってその恐怖心が出てこなければ別にそもそも怖いことじゃないから、だから別に危ないことをやってるんじゃなくてその恐怖心が出てくるから怖いだけであって別にそんなに危ないことではないんですよね人前で話すっていうことは。

三上:そうですね。

吉村:ねえ。めちゃめちゃ高いところを命綱もなしに手すりもつかまずに歩くとかって言ったら、結構危険なことなわけですよ。風がピューって吹いたら落ちちゃうかもしれないし。だからそこで恐怖心を感じるのは普通のことなんですよね。だけど人前で話すっていうことをして話し聞いてる人たちからいきなり撃たれちゃうみたいなことってまずないじゃないですか。

三上:ないですね。

吉村:それは実際に歴史上ではそういう時代とかもあったわけだし、その人の立場によってはそういうこともあり得るわけですよね。なんか大統領ですみたいな・暗殺されちゃいましたみたいなね。でもそれって普通に一般人として生活してる人がそれと同じレベルの危険に晒されてるかって言ったら、全然そんなことないんですよね。

三上:うん。

吉村:っていうことはその人が持ってる恐怖心ってその人の本当の現実のその人の状況に対して起きてる恐怖心ではないんですよ。それこそ小さい頃に見たテレビの番組で大統領が暗殺されてるシーン見ちゃってそれが子供心ながらの判断力がないところで擦り込まれてて、人前に出たら撃たれるかもしれない恐怖みたいなのが無意識の中に書き込まれてたら、

その反応だけが起きてくるからだからなんだかわかんないけど怖いんですってなっちゃうんですよ。だけどそれがちゃんと見つけられてなんだこんなことだったのかみたいなところはクリアになれば別に怖くなくなるんですよね

三上:いやー、そっか。でもそれがないと本当にだいぶ楽ですよね。もっと楽しいことが増えそうだし生き生きしそうな氣がします。

吉村:はい。

三上:私もなんかやっぱあるので、なるほどなーって思いながら。(笑)

吉村:(笑)

三上:でもきっとリスナーの皆さんの中でもそういうことってたくさんあると思うんですよね。無意識の中で。

吉村:そうですね本当にだから大小様々な色んな事柄が実は結構現実そのものに対しての反応ではなくて、そこの無意識に持っている思い込みに対しての反応っていうので僕ら結構日々生きているんですよね。

三上:それはこの話を聞くだけでももしかしてっていうふうに今日この時間皆さんに感じていただけたら。無意識って改めて考える時間として日々の中で全然考えないことですから。無意識なんてね。

吉村:そうですね。だから結構ささいなことだったら無意識の中にあるものが意識化されるだけでもその内容があれこれおかしいなって書き換えられるチャンスが出てくるんですよね。

ただこの無意識の思い込みがものによってはすごく強い力で固定化されてたりすると、それを意識化すること自体が難しいとか、あと分かってはいるんだけど変えることができないみたいなことになっちゃう場合があるんでそういう時にはクリアリングでお手伝いをすることができるんですけど。

結構かなり多くの部分は氣がつけば変えられるってことがすごく多いと思うのでまずは自分がどういう無意識の思い込みを持っているか氣づいていくっていうことが結構大事ですよね。

三上:これをきっかけにたくさんちょっと皆さん日頃の氣づきを、無意識の、氣づいていただきたいなと思います。ということでこの時間は無意識を取り上げて吉村さんからいろいろお話を伺いました。本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

213. ボランティア

人の役に立ちたいなどボランティアはいいイメージですが、意図や実際の行動を起こす大切さについて考察します!

 

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三上:はい、みなさんこんにちは。こころメンテナンス、本日もアシスタント、三上恵と氣功ヒーラーの

吉村:吉村竜児です。

三上:吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:今日はですね。三上、実は小さい頃ガールスカウトに入りたくて、実際これボランティアって凄い良い事なんだよねって、制服も可愛いなと。どっちもあって、ボランティア良い事だな。やりたいなっていうふうに感じたんですけど。

ふと思ったのは、ボランティアってもちろん良い事だと思うんですけど、でもそれをやってる自分をよく見せたいみたいな、色々な意味合いがあるのかなって思いまして、ちょっと今日はボランティアをテーマに吉村さんから色々意見を頂けたらなと思います。

吉村:なるほどですね。はいはい。だからボランティアっていうのは要するに無償で、誰か別の方を助けるっていう活動をするっていう事ですよね。それに対してのどういう意図でやっているのかみたいなところが、何かそういうちゃんと本当に奉仕の氣持ちでやっているのか。それとも例えば、制服が可愛いみたいな個人的なところでやってるとか。

三上:私みたいなね。

吉村:あるいは、人に奉仕してるっていう事で自分の株が上がることを期待してやってるみたいなところでは、ちょっと違うのではないかっていうような話って事ですよね。

三上:そうです。そうです。

吉村:人が何かする時にどういうモチベーションでやってるかっていうところでは、その時に発してるエネルギーが変わるから、そういう意味では長い目で見ると、どういうモチベーションでそれをやってるかによって、後々の結果みたいなところで違いが出て来るっていうのは有ると思うんですよ。

長期的に見た時に、本当に奉仕の氣持ちでやってるのか。それとも、ただ自分がよく見られたいっていう氣持ちでやってるのかっていうところでは長期的に見ると、何かしら違うルートに入って来るっていうのはあると思うんですけど、ただ短期的に見た場合の話をすると。

例えばこれはあれですね。僕は昔、陰陽五行(いんようごぎょう)の講座を受けてた時、僕が習いに行ってた時に、その講座は陰陽五行とそれから帝王学っていうのを教えてたんですけど、その時の先生が出されてた例が凄く印象的だったんで、ちょっとそのままのお話をさせてい頂くと、

例えば電車に乗ってる時に、もうお年寄りとか体が不自由そうな方が席を譲ってもらいたそうに見えるという時に、ある人はここで自分が席を譲ったら、みんなからあの人席を譲ったっていうふうに見られるから、そのために自分がやってるみたいな感じになっちゃうと嫌だなと。

人から良い事したって見られる為に席を譲ると、これ偽善なんじゃないかと思って席を譲らなかったって言うAさんが居て、Bさんは一緒に電車に乗ってる彼女っていうのかな。好きな女性が隣に居て、その人に格好良いとこを見せたいと思って、席を譲って欲しそうにしてる方に「どうぞどうぞ、座って下さいよ。」って言って、席を譲ったとなった時に席を譲ってもらった人っていうのは結局助けられたわけじゃないですか。

立っててしんどいなって体痛いのに座れたって、この助けられたこの人は一体誰に助けられたんだっていう話なんですよね。これは結局隣にいる女の子に格好良いとこ見せたいと思って席を譲った人が、この人を助けてるわけだから、そこはこの人を助けたっていうその行動は結局その人のモチベーションが何であれ、この助けられた人はこの人を譲ってくれた人に感謝するでしょうし、きっと隣の席に居たその女の子は(この人、困ってる人に手を差し伸べる素敵な人だな)って思って株が上がるでしょうと。

三上:ああ、きっかけはどうであれ事実はね。

吉村:そういう事なんですよね。これがだから、まず最初に行動を起こすか起こさないかっていうところでは、結局心の中でいくら(ああでもないこうでもない)って考えをくねくね回してても、結局行動を起こさなかったら誰も助からないわけですよね。

先ずは、最初はそういうモチベーションでも良いから人を助けるっていう事をしたら、その人を助けたっていうその行動の分はちゃんと評価に値するし、周りの人も見てくれるだろうっていう事なんですよね。

三上:うーん。じゃあ、もうそれやりたいと思ったら、理由はどうであれ先ずはちょっとやってみるっていうのがお勧めかもしれませんね。じゃあ私が初めに言った「ガールスカウトで制服がきっかけで可愛いから」って言うのはある意味、じゃあそれは「あり」っていう事なんですね。

吉村:先ずは、最初の取っ掛かりは別に、そんなもんでも良いと思うんですよ。実際に行動を起こしているうちにモチベーションとか内的な氣持ちも変わってくる可能性もあるわけですよね。結局、「席を譲りました」「その人から感謝されました」「一緒にいた女性からの評価も上がりました」ってなったら、良い事をするってこんな良い事に繋がるんだっていうような捉え方も変わってくる可能性があるわけですよ。

三上:そういうことですね。(これから私もボランティアをしたいな)っていうふうに考えてはいたんですけど、ボランティアの中で(何が自分の中で、役にたてるのかな?)って思ったんですけど、(先ずはパッと思いついた事からお話を聞いて進めてみようかな)っていうふうに思いました。あれこれこだわるんじゃなくて。

吉村:そうですね。例えばどういう集まりの人達と、一緒にそれをやるかっていうのを選ぶ時には、多少その辺はちょっと考えて選んだ方がいい場合もあると思うんですよね。例えばそういうボランティアだったりとか寄付だったりを利用して、詐欺まがいな事をしてる団体とかも世の中にはいるんで。

三上:そうですね、確かに。

吉村:なので、実際にそのボランティア活動してる人達の話を一回聴いてみるとか、内容をちゃんと調べて、そのお金がどういう流れ方とか使われ方してるのかっていうのを、まともなとこだったら多分ちゃんとそれが分かるように公開してると思うんですよ。

三上:確かに。それをやるんじゃなくて、どこどこの流れでどういうふうにそれをちゃんと集めて、どこに返してるか、渡してるかっていうところを確認すべきですね。

吉村:そうですね。だから何か活動に参加するっていう場合は、そこらへん氣を付ける必要があると思うんですけど、でも、(困ってる人に奉仕したい)とか(世の中に奉仕したい)っていう氣持ちがあるなら、それこそ電車で席を譲って欲しそうな人に譲ってあげるとかっていうところから始めるのでも全然良いと思うんですよね。

だから、何か大きな事をいきなりやろうとするんじゃなくて、日常の手の届く範囲から何かそういう自分が出来る事を探してみるとか、それこそ町内会で日曜日に皆んなで街の掃除してたりみたいな事ってあるわけですよね。

三上:うーん。そうですね。でも、今日お話を聞いて、私も(色々ボランティアってこういう風に思われないかな?)とかって思ったりしたんですけど、(取り敢えずやる事から始めてみようかな?)っていうふうに思いました。

吉村:そうですね。多分、文化的な部分とかの話とかもあると思うんですよね。例えばアメリカとかだとキリスト教の影響が強いから、そういう困ってる人に手を差し伸べましょうっていうのは宗教的な意味合いでそれをやる事で、神様からの評価が上がりますみたいなのもあるんで、ボランティア活動だったりとかお金持ちの人とか大体、すごい寄付してたりするわけですよ。

三上:よくニュースとかでも見ますもんね、テレビとか。

吉村:でも、日本ってそういう文化があまりないから、大体、お金すごい稼いでる人達は自分たちが稼いでるって事をなるべく隠すみたいな。

三上:そうですね。

吉村:そこで下手に大きな額寄付したりすると目立っちゃうから、それが目立つのが嫌だから多分あんまり寄付もしないみたいな人が多いんじゃないかと思うんですよ。

でも、とはいえね、道端でゴミが落ちてるときに拾って、ゴミ箱にちゃんと捨てるみたいなことって、結構色んな人たちが個人のレベルでやってるんですよね。

三上:うん、実は見えないとこでね。

吉村:うん、そこのどのレベルでそれをどういう風な形でやるか?みたいなのも、色々あると思うんで、だから、こういう形でやらなきゃいけないとかそういうのもないと思うので、ボランティア活動に入らなかったら、社会奉仕が出来ないのかっていったら多分、そんな事もないんですよね。

三上:日頃、例えばゴミいっぱい落ちてるなって、それ拾っただけで綺麗になったなあってね、自分の中でちょっとやっぱり幸せを感じますもんね。

吉村:そういう事ですね。最初は別にこれやってる自分が格好良いとかから始めても、やってるうちにこれってやると氣分が良いなってところに、自分がそっちに持っていければ、多分やってるうちにだんだんモチベーション変わってくるんですよね。

だから、そこら辺は色んな入り口とかもあるし、後、そういう人に対してケアをする事が好きな人達もいれば、別にそこでそんなにワクワクしないんだったら、無理にそれをやらなくても何か違う形で世の中に貢献出来る道もあるかも知れないから、その人は仕事一生懸命頑張ってる事で、世の中に凄い大きな価値を作り出せてるなら、別にそんなに無償、奉仕にこだわらなくても良いかも知れないですよね。

三上:そうですね。色々なやり方、皆んな価値観も違うし、そうですね。「ボランティア」って言う言葉だけじゃなくて日頃から、別に取り入れても良いですね。

吉村:そうですね。

三上:おお、なんかワクワクして来ました。ありがとうございます。という事で、今日はちょっと「ボランティア」をね、なかなか日頃忙し過ぎてそういうところに氣付けなかったりとか、そういうのあったなって言葉を久々に聞いた方もいらっしゃると思いますが。

個人個人ね、それはどう捉えてるか?どうやりたいか?やりたくないか?それは別として、そういえば「ボランティア」ってこういう感じで色々あるんだなっていう風に、この時間聴いて頂だけたらなと思います。という事で今日は「ボランティア」をテーマにお届けしました。吉村さん今日も素敵なお話ありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

212. 思い込み

噂などでその人を判断したりしてませんか?うまく人生が回ってないのは思い込みも原因かも。

 

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三上:はい、みなさんこんにちは。こころメンテナンス、本日もアシスタント三上恵と氣功ヒーラーの

吉村:吉村竜児です。

三上:はい、吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい、さあ今日はですね。結構、私が多いことなんですけど、噂とかなるべく信じたくないなあって思ってはいるんですけど、結果、多分信じてるんですよね。

吉村:なるほど。

三上:で、信じていて、パッと初めて会った人とか「でも、この人こうって言われてるし、まあいいか。近寄らないでおこう」っていう、避けとこうみたいな感じで思ってて、でも何かのきっかけで話してみると、全然違ったっていう。もっと早く話せばよかったっていうのが結構あるんですよ。

そういう私みたいには別の形でも、思い込みってあんま良くないなってつくづく最近思ってるんですね。なので、今日は思い込みをテーマに、吉村さんからちょっと伺えたらなと思います。

吉村:なるほどですね。まあ、大体あれじゃないですか、日常の中で問題が起きるとか、人間関係がうまくいかないとかっていうことの原因の大半は思い込みですよね。

三上:なんか、よく言葉でも聞きますね。なんかね。

吉村:そうそう。思い込みっていうのも、本人が自分がそう思ってるぞっていう自覚をしてる場合は、別にそんなに思い込みっていうほどの根深いものではなくて、ただそう思ってるっていう程度のことで、そこに関しては例えば自分が思ってたことと実は違ってたっていう事実があれば、それによって考え方が変わるっていうね。

だから、先ほどの三上さんが誰かのことを噂でこういう人だっていうふうに聞いてたから、そういう人なんだろう、じゃああんまり関わらないでおこうって思ってたところ、何かのきっかけで実際に話してみたら、あれ全然自分がそう思ってたのと違うなっていうことに氣付くことができたんで、あの噂はあんまり信憑性がない、根も葉もないことだったんだなっていうことに氣が付いて、三上さんの中でのその人に対する人物像みたいなのが書き換わったんで、この人いい人じゃん、もっと早く出会えてればよかったみたいな話になってるんだと思うんですけど。

ただ、結構思い込みで困るのが、本人がそういう思い込みを持ってるっていう自覚がないぐらいに、無意識化されてる、無意識の思い込みっていうこっちの方が結構大きな問題になりやすいんですよね。僕が提唱しているこのクリアリングっていう手法は、そういう無意識レベルの思い込みっていうのを見つけて、それをそういう氣とかエネルギーを使って解消していくっていう方法なんですけど。

この思い込みが結局、無意識になってると何が起きちゃうかっていうと、もう本当にそういう、この人はこういう人に違いないっていう強い思い込みを持って、しかもそのことに自分は自覚もない状態でその人に会うとするじゃないですか。

三上:うんうん。

吉村:そうするとその人の話してる内容に全部フィルターがかかっちゃって、その人の悪いところをいつも探そうっていう目でその人の話を聞いてしまう。

三上:プラスじゃなくて、マイナスを探しちゃうんですね。

吉村:そうですね。それをやりだすと実際に色んなその人の言葉の端々で、「ほらやっぱり」っていうような。(笑)

三上:ああ、なるほど。うん。

吉村:なので、今回のお話でいえば、三上さんはそこまで深くその人がきっとこういう人に違いないっていう思い込みを持ってたわけではないんですよね。

三上:うん。

吉村:むしろ噂でそう聞いてたから、ちょっと避けておいたほうがいいかなぐらいな感じで思ってたけど、実際にその人と喋ったら、あれ?なんか自分が持ってた認識と違うぞということに氣付けたわけですよね。

だけど、ここの思い込みがもう本当に無意識化されちゃったとこまでいってると、あれ違うぞっていうふうにならなくなっちゃうんですよね。

三上:うーん。

吉村:この人はきっと私を欺こうとしてこういうことを言ってるに違いないみたいな感じになってしまうと、その人が同じ調子で同じことを言ってても受け取り方は全く違ったものになってしまうわけですね。

三上:うーん。やっぱり、そういう思い込みが無意識で行われてる自分に氣付けないってなると、そもそも、その状態も氣付けない。これは、本人にとってはマイナスですね。そうしたらね。

吉村:そうですね。だから実際にそれで本当に問題が起きちゃうわけですよね。その人との関係性が悪くなるとか、他の人と話した時に、例えばその人のことを悪く思ってない人とは意見の食い違いみたいなことが起きちゃうわけですよね。それが対立につながってしまったりとか、いつも相手の言うことを疑ってかかっていたら、多分向こうもこの人ちょっと感じ悪いなって思うようになってしまったりっていうことが起きるわけですよね。

三上:うーん。

吉村:だから、実際に世の中で起こっている色んな人間関係のいざこざっていうのは、大半がそういうとこから始まってるんですよ。

三上:(笑)

吉村:例えばね、実際にその人が悪いことをする、世の中で悪いこととされてるようなことをしてたとするじゃないですか。

三上:はい。

吉村:でもそれをやってるその本人は、「よし、世の中に対して悪いことをしてやるぜ。えへへ。」みたいな感じでやってるんじゃないんですよね。

これもまた何か多分、その人なりの無意識の思い込みがあって、例えば自分は世の中から搾取されてるんだから、これを取り返さなきゃいけないんだっていうような思い込みを持って生きていると、そうすると例えば税金払わなきゃいけないみたいなことに対しても、「何で俺がこんなに働いているのに、税金取られてるんだ」と。

三上:うん。

吉村:「自分は世の中から搾取されている。だからこの税金をなるべく払わないようにするっていう正当な理由が自分にはあるんだ」って思い込んでるんですよ。なんかそういうちょっとインチキなことをして脱税みたいなことをやってしまうみたいなね、それも犯罪じゃないですか。

三上:そうですね。

吉村:だけど本人は、別に何か「よし、悪いことしてやるぞ!」とかって思ってやってるんじゃなくて、「世の中がそんな税金取るなんていう悪いことを、俺様にやってくるあいつらに対して自己防衛しているんだ!」みたいな感じでやってるんですよね。(笑)

それに対してまた、実際にその人が脱税で捕まったことがありますみたいなことになると、それがまたネットとかで広まって、あの人は脱税したことがあるから悪い人だみたいな感じの噂が広まっちゃうんで、またそれを聞いた人はあの人は悪い人だってなるんですけど、でもこれももしかしたらその人は1回捕まったことで、自分の考えは間違ってたなってこれからはきちっとね、真っ当に働いて真っ当に納税して世の中のために頑張るぞって、心を入れ替えたタイミングがどっかにあったかもしれないけど。

でもそのあの人脱税したんだぜっていう噂が広まっていく中では、その人がでもそれをきっかけにこの人心を入れ替えたらしいよっていう噂が一緒についてこないで、脱税したんだぜって噂だけが広まっていけば、それを受け取った人はあの人は悪い人だっていう評価につながっちゃうみたいなことなんで、

噂の広まるスピードみたいなところが、ネットがなかった時代と比べると、爆発的に広まりやすいっていうのがあるわけですよね。ただネットのいいところは、そういう噂が広まっていくのと同時に、あの人はあれ以来すごい氣持ちを入れ替えてちゃんとやってるんだよっていう人も発言できる場があるから、

三上:ああ~。

吉村:だからそこの両方の意見が広まって広まる可能性があるんですけど、ただその時に何が起きちゃうかっていうと、両極端な意見が同時に広まった場合、どっちが本当か分からないっていう。

三上:ああ、そうですね、真実というかね。

吉村:そうですね。そうなってくると結局のところは、その人に会って話してみて、自分自身がどういう印象を受けるかっていうところで判断していくしかないわけですよね。本当に大事なのは、結局会ってその人が話をしても、いいこと言ってるけど本当は全然それって言ってるだけで、行動は全然逆のことをしてるっていうこともあり得るから、

だから結局のところ、人をどういうふうに評価するかっていったら、実際に会って話してみて、その人が何をしてるかっていうのをちゃんと見て、それで言ってることとやってることがちゃんと一致してるだろうかみたいなところも含めて、判断するしかないんですよね。

三上:そうですね。よく出てきますけど、勝手にジャッジしてるなと思いながら聞いてました。その裏側って知らないですもんね、表面上しか。

吉村:そうですね。結局、本当に嘘をついて人を食い物にするような活動で生きてる人達って実際居るは居るんで、そういう人達から身を守ることも大事なんで、その人と会った時に全てのジャッジが一切ないっていうわけには多分いかないと思うんですよ。

三上:うん。

吉村:どっかしらで何かしらのジャッジは必要になってくるんだけど、でもそのジャッジに完全にしがみつくんじゃなくて、その都度ちゃんとその人を見るとか、この人をちゃんと信頼して大丈夫なのかっていうところをきちっとアップデートさせていくっていうことは大事かなと思うんですよね。

三上:ああ。

吉村:その時に僕はやっぱりその人が何を言ってるかってことよりも、何をやってるかっていうことを見て、ちゃんと判断した方がいいんじゃないかなっていうのが結構大事なとこなんですよね。

三上:言ってるよりやってること。

吉村:そうそう。だから言うだけだったら、別に何だって言えちゃうわけですよ。それこそ色んな政治家の人達が選挙の時に。

三上:ああ、ね。居ますね。僕は何とかを変えますとかね。

吉村:実際にその人が当選した後に言った通りになってるのかっていうのを見たら、なんかあれ?っていうことも多いわけじゃないですか。だから結局のところ、本当にその人がどういう人なのかっていうのは、その人が何をやってるかっていうことで見ていくしかないんですよね。

三上:いや、深いです。ありがとうございます。(笑)

吉村:(笑)

三上:きっとね、思い込みで私みたいな人も多いのかなっていうふうに感じたんですけど。言ってること、やってること、恋愛にも多分言えることだと思いますよ。良いことばっかり言ってる・・

吉村:はいはいはい。まさに。

三上:なので皆さん日常に当てはめていただいて、(笑) 行動をちゃんとしたいなと思いました。

吉村:(笑)そうですね。

三上:皆さんも日常でね、日々の中でこういうふうに思ったんだよなとかありましたら、ぜひぜひメッセージ、感想などお待ちしておりますので、今後ともよろしくお願いします。吉村さん、今日は思い込みのテーマでお届けしました。本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

211. これから人間は?

チャットGPTなどのAI技術が判断していませんか?人間の仕事や感情はどうなっていくの吉村さんからお話伺いました。

 

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三上:はい、皆さんこんにちは。こころメンテナンス、本日もアシスタント三上恵と氣功ヒーラーの

吉村:吉村竜児です。

三上:(笑)ちょっと、出遅れました。本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。(笑)

三上:はい。さあ、今日はですね。先日、取材で色々なレポートで回るんですけど、初めてチャットGPTの関連ということをしたんですけど、「いやー、なんだかすごいな。便利になっていってるな」って感じたとともに、私個人的な意見なんですけど、逆に人間がロボット化して、ロボットが人間みたいになるんだろうなみたいなイメージを持ったんですけど。

吉村:あー。なるほどですね。

三上:今後、やっぱり人間だからこそ思える氣持ちとかあると思うんですけど、そういうのって今後どうなっていくんだろうってちょっと不安が私の中であったんですが、吉村さんのお考えとかもどう思われてるのかなって聞きたいなと思って、今日はこれをテーマに伺えたらなと思います。

吉村:はい、面白いですね。僕の見解って話になるんでね、実際にどうなのかっていうところは僕もまだまだよく分かってない部分が多いんですけど、個人的に僕、結構、最先端技術とか新しいもの好きな方なので、AIがどんどん新しい色んなことできるようになってるとかっていうニュースを聞くと、結構ワクワクしちゃう方ではあるんですけど。

ただ同時に人間が今までやってきた仕事とかは、だいぶAIで事足りちゃうじゃんみたいな部分が増えてくると、仕事を取られてしまった人間が今後どういうふうにしていくのかみたいな、色々な問題に発展していっちゃうというのは仕方ないことかなっていうか、どういうことが起きるだろうなっていうふうには感じてるわけですよね。

まず、僕が人を見たときに人間ってどういうものとして捉えてるかっていうところと、そのAIっていうものを見たときに、人間もいってみたら結構メカニズムなんですよね。DNAっていう、かなりデジタル情報みたいなものでできているわけじゃないですか。すべての生き物がね。

これがその、僕が見る人間っていうのはそのメカニカルな部分と、それからそれとは別に魂っていうものが合わさって人間になってるっていう見方をしてるわけですよ。ここは僕は現代のチャットGPTのようなAIと人間の大きな違いとしては、魂と結合してるかどうかっていうところがすごく大きな違いだなっていうふうに見てるんですね。

三上:魂と結合。はい。

吉村:これに関しては魂の存在っていうのが科学的に証明されてるわけでもないし、学校の教科書でも魂みたいなものは全然語られてないから、世の中の一般常識とはちょっと外れた話になっちゃうかなと思うんで、ちょっとスピリチュアルな話と思って聞いといてもらえたらと思うんですけど。

僕は人間っていうのは肉体とかDNAの部分っていうのはメカニカルな機械とあんまり変わらない部分であって、だけどそこに魂っていうものが合わさっているから、本当の人間らしさみたいなものっていうのはここの魂の部分にあると思ってるんですね。

この、チャットGPTというものがあるわけじゃないですか、コンピューターでね。このAIは自発的に何かを考えてするみたいなことってするだろうかって考えたら、今後どうなるか分からないですけど、今のところは自発的に何かをやるっていうことはほぼないんですよね、このAIは。

三上:そうですね、自発的ではないですね。

吉村:うん。人が何か質問をするとか指示を出すっていうのがあって、初めてこのAIがそれを処理して、必要な情報を集めてきて、はいどうぞみたいな感じでやってくるわけですよね。ここの部分って、だからこの機械があってユーザーが居て成り立ってるんですよ。

ユーザーがその機械に質問なり指示なりを出すから、この機械がAIを搭載した機械がその答えを出してきてくれるっていう。この関係性と、この肉体と魂の関係性って僕は似てるなっていうか、ほぼほぼ同じようなものだなっていうふうに捉えてるんですよ。

三上:肉体と魂。

吉村:肉体が機械の部分で、魂がそのユーザーなんですよね。

三上:ああ、なるほど。うんうん。

吉村:肉体っていうのは、いってみたら生命活動を続けるぐらいのベースのプログラムしか持ってないわけですよ。だから、エネルギーが足りなくなってきたらお腹が空くとか、眠くなるみたいなことがあって、とにかくだから生き続けるみたいなことのための必要な最低限の機能を持ってるわけですけど、この肉体が自発的に、あれがしたい、これがしたいみたいなことっていうのはそんなにないんですよね。もちろん食べたい、寝たい、子孫を残したいぐらいのものはあるわけですけど。

三上:うん。生きるために、これを残すためにどうにかってぐらいの考えってこと?

吉村:そうですね。そこで歌を歌いたいみたいな話とか、もっと複雑な音楽を作ってみたいとか、絵を描いて色んな人に自分の氣持ちを伝えたいとか、そういうのって生き延びるために最低限必要なものではなくて、なくても別に生きてられるような事柄じゃないですか。

それって、この魂がそれをやりたいって思ってるから多分やるんですよ、人は。だからチャットGPTに、チャットGPTは絵描く機能とかあるのかな?AIにですよね。AIって文章を描いたり絵を描いたりとか、あとは音楽作ったりとか、動画の編集とかも結構やってくれるようになってきてますけど。

それを、だからこれがやりたいからこれやってっていうふうに、AIに言う人がいるからAIはそれをやってるんですけど、じゃあ最初にこれが欲しい、これ出してきてよっていう人がいないと、そもそも自発的に、すごい究極的に綺麗な女性の画像を作るぞとかって、別にチャットGPTが自発的に考えてやったりはしないんですよね。

綺麗な女性描いてとかって言うから、はいってこんなのどうすかってくるわけで、だから何かが欲しいっていうこと、ただ生き延びるってことだけじゃなくて、それを飛び出したところでの何かが欲しいっていうのは、魂が欲しがってるんですよね。

三上:うん、なるほど。なんとなく言ってること、分かりました。

吉村:だから肉体も、別に肉体だけだったらただの機械なんだけど、魂と結合してるから、色んなことをやる、こういう人間っていうクリエイティブな生き物になってて、この魂、だから人間っていってみたら、肉体っていう乗り物に乗ってる魂が人間なんですよね。

この人間っていう乗り物に乗ってる、肉体っていう乗り物に乗ってるこの魂がAIを開発して、この魂がAIにこういう文章を書いてとか、こういう絵を書いてって言ってるわけですよ。だからそれは結局のところ、誰がそれやってるのって言ったら魂がやってるんですよね。

三上:なるほど。確かに、今お話聞くと、このAIっていうのは本当にサポートしてくれるものっていうか、ですね。

吉村:そうですね、だから例えば、コンピューターが無かった時代とかは、細かい計算とか全部手作業でやってたわけですよね。そうすると、そろばん出来る人が重宝されたりとかっていう話になってくるんですけど、そういう作業をただやるみたいな部分ってどっちかっていうと、魂がやってるっていうよりは最初にこの計算が必要だよねって言ってるのが魂で、その計算をするために手を動かしてるっていうのは肉体がやってる作業なわけですよね。

だけどこれが、この部分をAIとかロボットが代わりにやってくれるっていうふうになっていってる今の時代って話だったんで、人間の肉体の限界を超えるためにロボットとかAIが開発されてそれをやってくれてるんだけど、じゃあ最初にこれをやろうって思ってるのは魂の方だからってなると、

例えば昔のそういうコンピューターとかなかった時代だったら、指令を出す人とただ作業をする人みたいに分かれて、作業をする人は自分の魂が何を望んでるかとかっていうのは一旦ちょっとなるべく静かにさせておいて、ひたすら手足を動かす、マシーンと化すことで効率化みたいなことをやってたんですけど、そっちの仕事っていうのがあんまり必要なくなってきちゃうわけですよね、これからも。だって代わりにAIとかロボットがやってくれるから。

ってなると、人間が人間として生き延びて、自分の存在価値をちゃんと発揮して、世の中でちゃんと活躍していくとか、例えばそこで経済の流れの中にちゃんと自分の身を置くことで、ちゃんと食べていける人になるとかっていうことを考えた場合、このAIとかロボットに指示を出す側の人になるっていうことを考えて、人生の設計を考えた方が多分上手くいきやすいというか、今までにない新しい仕事を見つけるとかっていうこともできるんじゃないかと思うんですよね。

三上:今、今日お話聞いて、最初ちょっと不安な氣持ちで聞いたんですよ。「どうなるんだろう。ちょっと怖いな。不安だな。」っていう話を今持って、吉村さんにちょっとお話聞いたんですけど、今感じてるのは、じゃあある意味、今より自分の思った感情を活かしやすくもなってるんだなと。

吉村:そうですね、ただ、だからその新しい世界の新しいテクノロジーとかに適応していくみたいなことは必要なわけですよね。だからAIをどう使いこなしていくかみたいなことを勉強したりっていうような新しい手間は増えちゃうと思うんですけど、それをきちっとやりつつ、じゃあそういう機械にはできない何かっていうのを自分がやろうって考えて、そこを見つけて、それをうまくやっていくために機械をうまく利用していこうっていうその発想でやっていくと、多分そんなに怖い世の中にはならないと思うんですけど。

自分で考えるのはめんどくさいから人から言われたことをただやってる方が楽だよねみたいなので、指示をされて手を動かす仕事みたいなことだけを目指していくと、そういう仕事がどんどんなくなってっちゃうから、さあどうしようみたいなことになってしまう可能性も出てくるわけですよね。

三上:今日は多分これからもう皆さんも氣になってる方結構多いと思う話題なので、今日は吉村さんのご意見を色々聞かせていただいたんですけども、これから皆さんも徐々に動いてらっしゃる方も居るだろうし、私はこれからどうしようって考えてるタイプなんですけども。

はい。これをきっかけにちょっと片隅に置いていただいて、みんながどうやってうまく付き合っていくかっていうのを大切にしつつ、私も今後の方向性を考えたいと思います。本日は吉村さんありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

210.ハロウィン

みなさんの今年のハロウィンのご予定は?そもそもハロウィンとは?

 

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三上:はい、みなさんこんにちは。こころメンテナンス、本日もアシスタント、三上恵と氣功ヒーラーの

吉村:吉村竜児です。

三上:はい、吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:さあ、今日はね、あ、もうこんな時期なんだっていう話題をお伝えしていきたいと思います。

吉村:はい。

三上:まだちょっと先ですが、ハロウィンの話題をね、今日ちょっと持っていきたいと思いますが。

吉村:はい。

三上:はい、今年は何着ようかな、何仮装しようかな、なんてそろそろ考えていますけども、私も。

吉村:あ、そうなんですね。

三上:ちなみに吉村さんは?

吉村:あ、僕ですか?あ、そうですね、僕はもう全然、お祭り系は結構そんなに参加しない方なので、仮装するとかいう予定もなく、多分近所のスーパーで、なんかカボチャ味のお菓子がね、出てくる時期なんで、まあそれをこう買って子供たちとなんかお菓子食べたりとかっていうような感じの過ごし方になるんじゃないかなと思いますね。

三上:ちょっと季節感はね、味わいつつ。そこを楽しむと。

吉村:そうですね。もうね、だってあの、今ね、今日収録しているのはまだ9月の半ば頃ですけど、もうなんか9月の頭ぐらいからもうなんかね、ハロウィン色のなんか、色んなものがスーパーとかでは並んでますよね。

三上:並んでました。お菓子のカラーがなんかキャラクターものとかいっぱい出てましたね、ハロウィンの。

吉村:(笑)

三上:ああ、もうこんな季節かーって思いながら。なんですが、振り返ってみると、クリスマスもそうなんですけど、ハロウィンもそうですよね。

日本の文化ではもともとない氣がするんですけど、改めて今日はちょっとハロウィンについて、皆さんどれぐらい知ってるんだろう。私、全然知りませんでした。私は。ただ楽しんでるタイプなんですけど、きっと皆さんの中にはそういう方多いと思うので、改めて今日はね、ハロウィンについてちょっとお話をしていきたいと思います。

吉村:なるほどですね。日本でハロウィンがみんな知れ渡るようになったのって、渋谷で仮装パレードみたいなのをやったりとかっていうようなのがあってからじゃないですかね。

三上:沖縄はアメリカの文化があるので、小さな頃から私たちはありましたけど、ほとんどが多分そうかもしれないですね。

吉村:ねえ。僕、15歳、1985年までまず日本にいて、その頃はハロウィンって日本では全然誰もやってなくて、ハロウィンっていうホラー映画があったんで、それで何かそういうのがあるのかっていうのを知ってたぐらいで、だからそのハロウィン イコール ホラー映画みたいな認識だったんですよ。

三上:へー、そうなんですね。

吉村:そうそう。それでアメリカに行ったら結構ハロウィンみんなお祝いして、トリックオアトリートとかって言って、それで仮装したりとかっていう文化をその時初めて知って、こんなのあるんだみたいなね。それでホラー映画のストーリーが、あの映画の中でやってたあれってこれのことだったんだみたいなね、繋がった!みたいな感じだったんですけど。

まああれでしたね、当時向こうにいたときは、その頃から僕はあんまり季節感とかあんまり氣にしないで生活する方だったから、ハロウィンに近づいてきて周りの人がハロウィンについて話し始めてから、ああそういえばそんな時期だったねみたいなことが多かったんですよ。

アメリカだと子供が近所の家とか回って、お菓子くれなきゃいたずらするぞって言って、みんながお菓子を配ってみたいなのが結構あったわけですよ。今だと結構アメリカも怖い事件が多くなってきちゃったから、それだいぶあんまりやれなくなっちゃってるんじゃないかなとかって思うんですけど、実際は特に分からないんですけど。

僕が向こうにいた頃は、結構近所を回ってお菓子もらうっていうのは、僕がいた田舎の方とかだと普通のことだったし、カリフォルニアの住宅街に住んでた時も、やっぱりハロウィンの日になると子供たちが回ってきて、トリックオアトリートって来るんで、それに合わせてお菓子を先に買っておくわけですよ、スーパーとかで。

で、子供たちが来たら、はいってこうやってあげてみたいなのをやってたんですけど、結構ね、やっぱり忘れてると、お菓子を買うのを忘れてたみたいな、当日になってないやみたいなことがあるとしょうがないから、回ってきた子供にごめんね、お菓子ないんだとかって言うと、もうすごい残念そうな顔をするんですよ。

ポカーンとして、え、嘘?みたいな感じになって。さすがにそれでくれないならいたずらするぞってわけにもいかないから、すごい悲しい顔して去っていく子供たちを見るのは心苦しいんで、ハロウィンの時にお菓子買うの忘れちゃった時はもうしょうがないから、アパート中の電気を消して、

三上:(笑)

吉村:(笑)息を潜めて、居留守を使って子供たちがこう去ってくのをずっと待ってみたいな、そういうことを何回かしていましたね。

三上:いや、面白いですね。(笑)

吉村:(笑)そうそう。で、さすがにもう10時近いからさ、もう子供たち来ないだろうなって、やっと電気つけられるよ、バチッとかつけたらピンポンって来ちゃったりして、あー!まだ回ってきてたのか⁉みたいな、その時はもうごめんねとか言うことは結構ありましたよね。

三上:優しさ、優しさですね。

吉村:でもね、アメリカは結構昔からやってるけど、調べてみたら元々はケルトのお祭りで、ケルトってアイルランドの方の古代の文化で、結構ね、ちょっと独特な宗教観とか文化とかがある人達で、その文化のお祭りが今世界中に広まってるっていうことらしいんですね、どうやら。

三上:私も知りませんでした、全く。アメリカから来たのかなと思ってました。

吉村:そうそう、そうだったんだみたいな、調べてみてちょっとわかったんですけど、一応、死んだ人が帰ってくる時期だから、その時に悪霊とか悪いものが来るんで、自分たちがそういうお化けの格好をすることで、その悪霊たちが、こいつら仲間だから放っとこうみたいなね、悪いこと・攻撃しないでおこうみたいな感じで、悪霊から攻撃されないようにするために仮装するみたいな話らしいんですよ。

三上:へー、そういう由来があったんですね。

吉村:一応、ケルトの考え方だと、1年を2つに分けて、何でしたっけかな、ライトハーフとダークハーフっていうふうに2つに分けてて、ちょうど境目の日が、10月31日から11月1日にかけて、この夜がライトハーフとダークハーフの境目の日だから、ここは死後の世界との間の境目がぼやけて、それで死の世界から色んな人達がこっちの世界に入ってくるっていうことで。そこらへんって日本のお盆の考え方と結構一緒ですよね。

三上:そうですね。へー、私はだから、全く違うイメージでしたね。

吉村:一緒に悪霊も来るから、仮装してお化けのふりをして攻撃されないようにって、これは日本にはない話だけど、先祖とか親しい人達が帰ってきて、その人達と再会を祝して、おいしいものを食べたりとかお祭りするとかっていう、その辺はお盆の考え方と一緒だから、色々と世界中で共通した考え方とかが広まってる、共有してるものが結構あるんだなとかっていうのを感じますよね。

三上:聞いてると面白いなと思いました。日本だけじゃなくて、亡くなられた方との再会じゃないですけど、そこで過ごすっていう時間っていうのは、どこにでもあるんだなとは言えませんけども、あるんだな、色んな国にっていうふうに感じますね。

吉村:そうですね、そうそう。僕、好きでよく見てるYouTubeチャンネルの中に、TOLAND VLOGっていうチャンネルがあって、それが世界中の歴史とかを色々と考察して紐解いていくみたいなね、すごいかなりしっかり研究して、それをエンタメっていう形で発信してるチャンネルで、すごい好きなんですけど、そこでもケルトに関してお話しされてる回があって、すごい面白かったんですよね。

世界中に色々巨石文明みたいなものってあるじゃないですか、ストーンヘンジみたいな感じで、めちゃめちゃでっかい石が積み上げられてたりして、どうやって作ったのかよくわかんないみたいな。

三上:どうやってこれ積み上げられてるんだろうみたいなのね、ありますよね。

吉村:それがちゃんと、例えば春分の日とか秋分の日になると、特定の方角から太陽の光が来ると、その光がちゃんとこの日だけここに光が差すみたいなね、しっかり設計されてたりとか。

三上:そう、謎がありますよね。

吉村:はい。こういった巨石文明みたいなものとケルトのつながりみたいな話があって。
昔、一般的に知られてる歴史とかよりもずっと昔に、実はそういう巨石文明とかを世界に広めてた人達がいて、その人達が船で世界中を回って、色々とそういう巨石文明を伝えてたんじゃないかっていうような説があるんですよ。

それって巨石に刻まれてる文字とかを見ると、ちゃんと、例えば日本とかにも古代の文字が刻まれてる巨石とかがあったりして、

三上:うんうん。

吉村:それがちゃんと世界中に同じような文字が、

三上:ええ!

吉村:あったりするんですよ、発見されたりするんですよ。それが日本だとその研究が全然進んでないんで、知られてないんですけど、そういうペトログリフっていって石に刻まれた文字っていうのを解読していくと、大昔の人達が世界中回って色んな文化や文明を広めてたっていうことが読み解けるらしくて、

だからそういうのもあるから、たぶん日本のお盆とケルトとか、世界中で死後の世界の人がやってくる日みたいなのがお祭りになってるみたいなことがあちこちであるのは、実は共通した同じ人達があちこちにその考え方を広めてたからっていう説があって、すっごい面白くて。

三上:面白い。ケルト文明の、これはYouTubeもう一回名前を教えてください。

吉村:はい。TOLAND VLOGって言うんですよ。T-O-L-A-N-DでVlogですね。

三上:今氣になった、私もちょっと見てみよう、見たいと思いました。

吉村:すごい面白くて、最初はたまたま別の都市伝説系のYouTuberの方とコラボしてたんで、そのチャンネルのこと知ったんですけど、あまりにも内容が面白いんで、そのチャンネルの一番最初の動画から遡って全部僕見ちゃったんですよ。

三上:(笑)

吉村:すっごい面白いですよ。

三上:でも何事にも今回はハロウィンをテーマにお送りしてますけど、意味を知るとまた違った感じでね、楽しみ方、感じ方がまた違ってくると思うので。ね。

吉村:そうですね。ただ仮装して騒ぐっていうことではなんかね。そういう昔の人達の思いだったりとかっていうのが実はあるんだろうな、みたいなところが非常に興味深いですよね。

三上:ですし、あとはやっぱり一緒に参加してる人達にも興味があればそれを伝えるっていうのもいいかもしれませんね。

吉村:はい。

三上:はい。ということで、本日はまだちょっと先ですけど、ハロウィンの話題を取り上げました。本日も吉村さんありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。