035.食事メンテナンス

皆さんは食生活に気をつけて過ごしていますか?
その中には食べる楽しみもありますか?

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三上:みなさん、こんにちは。こころメンテナンス。本日もアシスタント三上恵と、気功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、よろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい。さあ、今日のテーマはですね、「食べるメンテナンス」で、お届けしていきたいと思います。やっぱりね、こころとからだのためにも、整える食生活も大切じゃないかなと、個人的には思うんですけども、どうですか。番組のテーマは、こころメンテナンスですけども、「食べるメンテナンス」で、今日はテーマ取り上げてみました。吉村さんご自身も、日頃、食生活で、気をつけていることって、ありますか?

吉村:僕、実は結構、あんまり食生活、そんなに気をつけていないほうで、ジャンクフードとか大好きで、ピリ辛とかも好きなんで、結構普段から、ラーメンとかばかり食べていたりするから、食生活にきをつかっているひとからみたら、何やってんだ、お前みたいな感じの、ひどい生活なんじゃないかなと思うんですよね。

三上:ジャンキーな生活を、結構、送ってらっしゃるんですね。

吉村:そうですね。はい。ただ、その、食生活をある程度気を使うということの、その重要性とかメリットというのは、もちろん、あるとは思っているんで、ほどほどな感じで気をつけているというかんじではあるんですけど、そこの「ほどほど」をどこのレベルに設定するかというのは、そのひと次第だったり、そのひとの体質次第なところはあると思うんですよね。だから、もともと、敏感な体質で生まれたひとだったら、すごく気をつけることは大事だと思うし、僕なんかは、それほど、ジャンクフード食べていても、それほど健康を害してはいないから、そういう意味では、そんなに繊細なからだではないとは思うんですけど、かといって、それでたかをくくって、めちゃくちゃな食生活ばかりしていたら、それはそれで健康を害することにつながると思うんで、たとえば、僕なんかは、飲む水とかは、気をつけたりとか。

三上:お水?

吉村:はい、水を結構多く飲むようにしているんですよね。

三上:一日、どれぐらい飲まれるんですか。

吉村:1.5リットルから2リトッルぐらいは、大体、毎日飲んでいますね。それは、もうずっと。俳優養成所に通っていた頃から続けているから。俳優養成所の先生が、1日2リットル、水飲みなさいって、言ったんで、そのときは、ああ、面倒くさいなと思いながら飲んでいたんですけど、飲んでいたら体調がよくなってきたので、これはいいなと思って。だから、さすがに、2リットル絶対に飲むぞという飲み方はしていないんですけど、仕事中とかも、それこそ、You Tube配信中とかも、水ちびちび、ちびちび、ずっと飲んでいるんですけど、トータルすると、大体1.5リットル以上は毎日飲んでるかなという感じにはなっていますよね。

三上:はい。今、画面越しでお話させて頂いているんですけど、ほんと、肌艶いいですもんね。

吉村:ありがとうございます。

三上:いいなと思ってたのは、やっぱり水効果が大切なんでしょうね。

吉村:そうですね。水は、気をつかっているという感じで、それこそ、カップ麺つくるときも、ちょっといい水でつくったりみたいな感じで、いるんですけど。ははは。

三上:飲むからね。スープも飲むからね。

吉村:なんていうのかな、やっぱりね、気をつかいすぎて、それが不安とかおそれにつながっちゃうと、そっちのほうが、からだには悪いんじゃないかなという、気がしているんですね、僕は。

三上:そこで神経つかっちゃうと、そこでストレスというのもあるかもしれませんしね。

吉村:だから、何かやるときの原動力が、おそれや不安にならないような生き方をえらんだほうが、結果、心身ともに健康でいやすいかなというのが、僕の考えなので、そういう意味では、僕はジャンクフードが好きなんですと、ふふふ。自分の肉体を維持するためだけじゃなくて、楽しむとか、そういう意味合いも食べることにはあるから、そういうところでは、僕は、ジャンクフードは自分の趣味みたいな感じで食べているんですよね。

三上:食べる楽しみって、ほんと、大切ですよね。

吉村:高級なグルメって、あんまり、別にそういうの食べると、わっ、美味しいとなるんですけど、それをしょっちゅう食べたいという感じはなくて、それよりは、カップ麺の食べ比べをするとか、新しいラーメン屋さんみかけたら、ちょっと食べてみるとか、そういうところで、あとは、たまに激辛のお店に行くとか、そういう楽しみかたをしているんで、肉体を維持するためという意味合いも、そのなかには、ちょっとしか含まれていないので、楽しむために食べているという感じですね。

三上:それって、大切だと思います。昔、わたし、一時期、いろんなダイエット法があるじゃないですか、いろんなね、それはもちろん、合っているかたもいると思うんですけど、昔、バナナダイエットをしたことがあって、ひたすら、バナナを食べて、ぼーっというか、食べる楽しみじゃない、ただ痩せたいだけのために食べるみたいな、楽しみがなくて、結局からだを壊したんです、当時。

吉村:それは、なんかまずいですよね。

三上:まずいですよね。だから、今思えば、ほんとに、そのとき、何をしてたんだろうって、振り返ったら、笑っちゃうんですけど。だから、それほど、自分のなかで満たされてない、ある意味、欲じゃないですけど、満たされてなくて、食べる楽しみも、ただ痩せるためだけに執着していた自分がいたので、「食べるメンテナンス」というか、楽しみながら、味わうというのは、肉体のためにも、いいのかな、自分自身にもいいのかなというふうにも思ったりもしますけど。

吉村:痩せることに執着するということは、おそらく、太ることをおそれて、それを避けようとしてるわけじゃないですか。たぶん、太ったら、自分の魅力がなくなって、ひとから見向きもされなくなって、愛されないんじゃないかとか、たぶん、そういうようなところをよくないことと想定して、それを避けるために、もうこれしかないのである、みたいな感じになって、やってることだから、そういう意味では、モチベーションのありかがどこにあるかという話でも、うまくいかないことをやってたということだと思うんですよね。

三上:そうなんです。昔、その頃は、モデルをやっていて、やっぱりモデルさんって、細いほうがいいという、もちろんスレンダーのほうがいいという、わたしのなかに、イメージがすごいあって、もっと痩せなきゃ、痩せなきゃと、当時は思っていたんですよ。今思えば、ガリガリだったなって。健康的じゃなかったなというので、そのときに気づいて、このままじゃ、わたしダメだって、モデル業をいったん離れたんですよ。自分が壊れちゃうと思って、いったん離れて、後から、日常に戻っていったという感じだったんですけど、それから、食べる楽しみに、巡って、これ食べたい、あれ食べたい、食べれて幸せだなと感じたので、心から喜ぶことって、大切ですね。

吉村:ほんと、そう思いますね。

三上:若い子とかね、もともとが少食だったら、いいと思うんですけど、そういう子を見てると、うーんと思ったり、しますね。

吉村:モデルとか、スポーツで、小柄であることが要求されるようなスポーツされてるかたとか。

三上:バレリーナさんとかね。

吉村:摂食障害とかになっちゃうケースが多いという話はよく耳にしますもんね。

三上:わたし自身も生理が来なかったですもん。痩せすぎで。肉体的にもダメージが相当きていたんだろうな、当時は。というふうに思いますけどね。

吉村:そこの業界の構造として、すごい競争が激しくて、すごい限られた少ない椅子をすごい大勢のひとで奪い合うみたいな感じになってるから、そこで、もっと痩せなきゃみたいな話に短絡的につながりやすいひとが多くなっちゃうということがあるんじゃないかなと思うんですよね。確かにね、そういう華やかな職業とかで、そこに行くことで、自分の満たされないものが何か満たされるんじゃないかという気持ちになっちゃう部分って、あると思うので、そうすると、そこに、ほんとに向いているひとではないのに、それを求めて入ってくるひとたちというのが、わさーっと大勢いて、そのなかで、限られた椅子の取り合いをするという構造ができちゃうから、業界自体が抱えている機能不全みたいな問題があるんじゃないかなと思うんですよね。僕も俳優めざして、頑張っていた時期があるんですけど、今振り返ってみると、自分は別に向いていたわけじゃないなと思うんですよ。もちろん、それをいっとき、真剣にとりくんで、学んだものとか身につけたものとか今でも活きているから、時間が無駄ではなかったと思うんですけど、とはいえ、僕、俳優養成所のクラスにオダギリジョーくんがいたんですよ。

三上:すごい。

吉村:彼が全然有名になる前の話ですよ。でも、やっぱり、僕と彼とみたら、違うんですよ。エネルギーが全然違うから、そういう意味では、彼みたいなひとが、俳優とか、芸能界で、生きていく人なんだなというのは、今振り返ってみても、よくわかるわけなんですよ。当時は、僕も、全然、そういうエネルギーみたりとかできなかったから、ただのクラスメイトのひとりみたいな感じではあったんですけど、でも、何しても、輝くもの持っていたし、それがキャスティングするひとたちの目にとまったから、その世界で成功して昇っていくことになったんですけど、僕は結構努力もしてたし、現場のひとたちからの評価もそれなりにもらってはいたんですけど、チャンスが巡ってこないというか、このチャンスものにしたら、昇っていいけそうだみたいなときにでも、何かがうまくいかなくて、次に続かないみたいなことを繰り返していたんですよ。今になってみると、僕はそっちの業界に行くひとじゃないというサインを、僕のハイヤーセルフだったりとか、守護的なことをしてくれているような存在から、そっちじゃないよということをサインをもらっていたんだなと思うんですけど、そこが、だから、わからなければ、僕がその世界を目指していた時期って、自分で自分のことをあんまり愛せてなかったから、人前に出て何か変わったことをやることで、注目してもらえたら、自分の満たされないこころが満たされるんじゃないかというのが根底にあったわけですよ。もちろん、そのときに、それを自覚していたわけではないですけど。振り返ってみると、すごいよくわかるんですよね。あ、それでやってたなって。ということは、ほんとにこれが好きで好きでしようがないとか、楽しくてしょうがないから、やっているというのではなくて、こんな自分ダメだというのをまず想定して、それを避けるためにやっていたという話なんですよね。今、僕がやっている活動に関しては、ほんとに、楽しくてやっているから、いくらでもやっていられるんですよね。当時の僕はすごい努力していたけど、やっぱり、苦しかったですよ。

三上:わかります。わたしも、この業界って、負けず嫌いのかた、多いんですよ。だから、頑張っちゃうんですよね。楽しさじゃなくて。負けてなるものかってなって、そのときはわかんないんですけど。わたしも、今の仕事は勉強も苦じゃないほど、楽しいです。ほんとに出会えてよかったって思うので、いろんな経験も大切ですね。今日はね、「食べるメンテナンス」ということで、初め、お届けしたんですけど、だんだん話が脱線しちゃう。でも、みなさんも、経験されたかたもいらっしゃると思いますし、これから、そんなふうに感じるかたもいらっしゃると思うので、食べることって、やっぱり、楽しみながら、こころの底から、幸せだ、うれしいなと思うことって、大切だと思うので、みなさんも、是非、食べる楽しみをね、美味しい時間を過ごして、日々過ごしていただきたいと思います。吉村さん、本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

034.短命、長命

産まれた日によってある程度決まってる?
魂は今回の人生で、ある程度決めて肉体へと繋がっている?
短命、長命について吉村さんのお考えを伺いました。

 

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三上:みなさん、いかがお過ごしでしょうか。こころメンテナンス。今日もアシスタント三上恵と、気功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、よろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:よろしくお願いします。今日はですね、あの、お便りというか、メッセージ、この番組のリンクのほうから、メッセージを送ることができるんですけれども、そのメッセージがちょこちょこ来ているので、そのなかから、抜粋して、テーマ取り上げていこうと思うんですけども、今日は、ゆうみさんからいただいております。「短命、長命について」、この話題で、お送りしていこうかなと思います。

吉村:はい。

三上:はい。なんですかね、短命、長命、吉村さんご自身は、みて、「このひと、短命だな」、「長命だな」って、わかるものなんでしょうか。率直にききますが。(笑)

吉村:正直なところ、僕は、あんまり、わからないですね。

三上:はー。

吉村:もしかしたら、わかる方法を僕が学習すれば、わかるようになるのかもしれないんですけど、あんまり、そこ、興味が無いんで、

三上:(笑)

吉村:あの、はい(笑)。とりあえず、自分が得意としていることをやって、自分のエネルギーワークの活動をしているわけなんですけど、ただ、まあ、その、たぶん、僕らの魂がその世界に入ってくるときに、いろいろと、その魂なりに、今回は、この人生、こんなふうにしようとかということを考えて、決めてきていることとかはあると思うんですよね。

三上:うーん。

吉村:だから、それによって、その、大きなことを成し遂げるにあたって、短時間で大きなエネルギーを使うということで、短命になるみたいなことは、あるんじゃないかなという気はしていますね。

三上:うーん。なるほどですね。今回、この人生のなかでの、ある程度決めて、わたしたちは、今、この肉体をかりて、今の世界にいる、と。

吉村:そうですね。その、決めているというのも、あくまでも、ある程度という話だと思うんで、どのぐらい決めているかというのも、おそらく、個人差があると思うんですよね。

三上:うーん。

吉村:だから、すごい、かっちり、決めて、ボーンと入ってきているひともいれば、けっこう、入ってきてから、状況的にいろいろと考えて、やっていこうというひともいると思うので、それが、ご自身がどのタイプに当てはまるのかというのって、どのぐらい本人がわかっているのか、とか、周りからみてわかるのか、というのも、僕は、なんとも言えない部分があるんですよね。

三上:うん。

吉村:はい。けっこう、その、肉体がどういう特性をもっているかということに関しては、そのひとの生まれた日で、かなり決まってる部分があるみたいなんですよね。これは、宇宙の星がどういう位置だったりとか、あるかということで、宇宙のエネルギーの状態が、けっこう、変動して、この日に生まれたということで、その日の宇宙の状態というのが、そのひとの肉体の基本的な情報みたいなところに書き込まれるので、だから、そこは、けっこう、たぶん、魂が、「今回の人生は、この肉体と結合して、ひとつの人生やっていこう」と決めるときに、ある程度、それはわかったうえで、来ているのだと思うんですよね。

三上:うん。なるほどですね。

吉村:そういう意味では、覚えてはいないけど、いつかの自分が決めてきたという話だと思うんで、そこが、その、僕の人生が、短命なのか、長命なのかということに関しては、たぶん、わかって入ってきているんだとは思うんで、それに従って生きていればいいかな、ぐらいの気持ちではいるんですよね。

三上:なるほどですね。あの、今、おっしゃっていた、宇宙のエネルギー、生まれた時とか、時間によって、そのかたの短命とか長命とかも変わってくるとおっしゃっていたと思うんですけども、何かこれ、自分自身で、調べる方法とかってあるんですか。

吉村:まず、だから、肉体の特性に関していえば、おそらく、その、気学とか、算命学とかって、

三上:そう、いろいろある、ありますよね。

吉村:そういうので、調べることで、けっこう、ある程度のことはわかるんじゃないかなと思うんですよね。

三上:うーん。

吉村:あとは、魂がそもそもどういう意図をもって、こっちの世界に入ってきているかということに関していうと、おそらく、短期間で、なんかバッと成し遂げて、サッと離脱しようと考えているようなひとたちって、たぶん、物心ついたときから、自分は、これをやるために、この世界に来ているんだという意識がすごい強いんじゃないかと思うんですよね。

三上:うーん。

吉村:なんか、すごい、大きなことを成し遂げて、若くして亡くなっちゃうひとたちって、けっこう、早い段階から、それに向けて、活動とかしていたりするわけですよね。

三上:たしかに、歴史上とかでも、そうですもんね。

吉村:そうですね。だから、、、っていうことは、本人的には、自覚があるかどうかは別として、「自分はこれをやるんだ」とすごい強い思いをもって、それにむかって、バーっと進んでいると思うんで、そのときに、ある程度、自分の役割を終えたら、たぶん、お迎えがくるんじゃないかな、というような感じはしますよね。たぶん、そういうひとたちって、全体から見たら、割合的にはすごい少なくて、ほとんどのひとたちって、そこまで、かっちり、これやると決めているんじゃなくて、この配信でもしきりに僕が言っているバリューフォーミュラというもので、自分らしい愛を表現するというのが、魂がもっている究極的な欲求なんで、その欲求に従って、自分らしい愛の表現で、この世界とどう関わっていくかみたいな、そういう一種のゲームみたいなことをしているんじゃないかなというのが僕の見解なんですよね。だから、そこで、自分らしい愛を表現しきったと思うか、あるいは、このままだと、たぶん、この人生では、自分が求めるような自分らしい愛の表現にたどり着きようがなさそうだな、みたいなときに、人生を終えるみたいな選択肢が現れてくるんだと思うんですよね。

三上:うーん。

吉村:それはその、別に、いわゆる、三次元の世界で言う自殺みたいな感じで、自分で自分を殺しちゃうみたいな話ではなく、たぶん、魂のレベルで、選択肢が現れてきて、「どうする?この人生、このまま続けてみる?それとも、いったん、ここで終わりにする?」みたいなことを選ぶことができているんじゃないかなという感じもしますよね。

三上:なるほどですね。やっぱり、自分らしい愛を表現できるという、バリューフォーミュラですけれども、最後まで、幸せ、ハッピーってなりそうですよね。やっぱり、それって、みんなができないと思うんですよね。

吉村:うん。だから、そこがその、それを、どれだけ、限られた時間のなかで、ほんとうの自分とか、自分の魂が求めているものは何なのかというところに、立ち返って、それを表現する流れに乗れるかどうかみたいな部分が、言ってみたら、そのゲームの主旨みたいな感じなんじゃないかなと思うんですよね。だから、そこは、その、自分らしい愛を表現してるときって、そのひと自身が充実して輝いてくるから、周りのひとたちからも、一目置かれたりとか、感謝されることにつながるんで、それが、この自分の、三次元世界での生計を立てていくということにもつながるし、楽しく幸せに生きていたら、結構、健康状態も自然とよくなったりするわけですよね。免疫がよくなったりとか、そういうようなところで、なので、このゆうみさんのお便りみると、「今生はこれを克服するぞと心に決めて生まれてきたかたが、ACTや個人セッションなどで癒されることによって、早く亡くなるということはあるのでしょうか」というような質問もあったんですけど、これとかって、僕、魂が、何かを克服するぞ、という目的、目標をたてて、こっちの世界に来るって、あんまり無いんじゃないかと思うんですよね。結局、自分らしい愛を表現することが目的だから、克服するというのは手段のひとつではあるかもしれないけど、それ自体が目的ではないと思うんですよ。だってね、克服して何がしたいのという話で、たとえば、病気のひとが病気を治すというときに、自分の人生の目標は、この病気を治すことですというふうな感じで、思っていても、たぶん、病気治りにくいんですよね。だから、病気が治ったら、これがしたいなとか、こういう人生になったら、楽しいだろうなとかって、そっちの、病気が治った後のことを考えると、そっちのほうが、病気が治りやすいと言われているんで、

三上:そうですね。

吉村:結局、その先の目的というのがあるんで、克服すること自体が目的ということではないんじゃないかなというふうに思っているんですよ。だから、ほんとに、その、「短命か、長命か」ということにこだわるよりも、自分らしい愛をどう表現するかということを大事にしたほうが、自分らしい愛を表現して幸せな一生を終えるということが、たまたま、長い人生でそれを成し遂げているのかもしれないし、短い人生で、バッとそれを成し遂げて、また次の人生に行くということかもしれないけど、人生が長いか短いかということが、ポイントではなくて、その人生で、どれだけ、自分らしい愛の表現ができるかという、そっちのほうが、魂がほんとにやろうとしていることだと思うんですよね。

三上:ほんとに、そのとおりだと思います。まれに、すごいキラキラして、すごい惹きつけられるひとがいるんですよね。わたしのまわりでも。

吉村:うんうんうん。

三上:わたしのまわりでも、パッと思い浮かぶひとがいるんですけど、内からのエネルギーが、ほんとに、外に出てる気がします。たぶん、そういうひとのことなんだろうなと思いながら、だから、そうですよね、自分自身がハッピーじゃないと、それも全部出てますからね。短命、長命にも、それもつながってくるかと思います。

吉村:そうですね。

三上:そういうことでしょうね。

吉村:あとは、あれかな、猫ちゃんのことも、質問されているじゃないですか。ゆうみさんが。

三上:猫についても、書いてますね。

吉村:交通事故で亡くなられちゃって、それも、とても、残念なことだと思うんですけど、動物って、ほとんどの動物は、僕ら人間とは違って、魂と結合していないので、肉体と、動物の種としての集合意識とつながっているんですね。

三上:ふーん。

吉村:だから、ペットとして、人間と暮らすということが起きたときに、ペットはペット自体が、魂を持っているわけじゃないんで、飼っているひとの魂と結合するんですよ。

三上:そうなんですね。

吉村:だから、結構、動物と飼い主と似てきたりするじゃないですか。

三上:あー、たしかに、性格とかね。

吉村:はい。だから、そういうところがあるんで、人間とは仕組みが若干違うというのが、僕の見解なんですけど、

三上:はいはい。

吉村:そのときに、動物って、物なんかもそうなんですけど、持ち主とか飼い主の、たとえば、体調が悪いとかいうときに、その具合悪いエネルギーを代わりに受け取ってくれて、身代わりになってくれたりすることって、あるんですよね。

三上:うんうんうん。

吉村:だから、そういう意味では、猫ちゃんが早く亡くなられちゃったというのは、すごい残念なことではあるんだけど、何かその、ゆうみさんの、もしかしたら、受けた可能性のある災難みたいなものを代わりに引き受けてくれて、身代わりになってくれたという可能性もあると思うんで、そこは、感謝して、送り出してあげるというのがいいんじゃないかと思いますし、猫ちゃんと結合していた部分、その魂の部分とかっていうのは、ゆうみさん自身のなかに存在しているということなんで、

三上:うんうんうん。

吉村:そういう意味では、今まで一緒に暮らした動物たちというのも、何かしら、エネルギー的には、そのひとのなかに存在しているし、ということですね。お互いに、エネルギーのやりとりというのかね、そういう、ひとがお世話してあげることで、動物が幸せに生きるとか、長生きできるとかということと、飼い主のひとにふりかかる災難だったりとかのネガティブなエネルギーを代わりに受け取ってくれたりすることもある、という、そんなようなエネルギーのやりとりも行われていると思うんで、是非ね、動物好きなひとは、植物とか、物でも全然いいんですけど、ちゃんとそういうものを大事にして、感謝、愛と感謝をもって、関わっていけるといいんじゃないかなと思いますね。

三上:はい、ありがとうございます。今日はね、ゆうみさんからいただいたメッセージを、テーマにお届けさせていただきました。こんな感じで、是非是非、みなさまからのメッセージ、リンクのほうからね、送れますので、いろんなご質問など、お待ちしております。はい、今日も、吉村さん、ありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

033.欲について

私たちの日常で誰もが実感しますよね。
食欲、睡眠欲、性欲等、何かを欲しいと思う心。
自分の中の心の中は本当に必要としているんでしょうか?

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三上:はい、みなさん、こんにちは。さあ、こころメンテナンス。今日もアシスタントは、三上恵と、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はーい。今日のテーマ、「欲について」。ふふふふふ。いろんな欲、あると思うんですけど、わたしは、一番、やっぱり、食欲か、はい、パッと思い浮かぶんですけども、みなさん、いろんな欲は、人間、あると思うんですけども、一般のかたからのね、ご質問とかで、「欲について」というワードがあったので、今日はちょっと取り上げてみたんですけども、はい、この人間の欲について、吉村さんは、どう、いろいろ感じることとかありますか。

吉村:そうですね。はい。欲って、よく悪いものみたいな扱いを受けるケースが多いかなと思うんですけど、

三上:はい。

吉村:まず、欲の出どころみたいなものも、あるわけですよね。どこから来ている欲なのかというところで、よく三大欲求みたいに言われる、「食欲・性欲・睡眠欲」でしたっけ、

三上:はい。そうですね。

吉村:これって、要は、肉体がちゃんと、存続してく、その、なんか、健やかに生きていって、個体としての一生を終えてしまっても、子孫を残すことで、情報としての肉体は生き続けるということは、肉体というシステムそのものにとっては、それを健やかに存続させていくために必要なことなわけですよね。

三上:うん、そうですね。

吉村:だから、それを否定しちゃったら、ヒトが死んじゃったりとか、人類が絶滅しちゃったりとかするわけで、そこは否定するようなものじゃないと思うんですよ。ただ、それが、たとえば、強欲と言われるようなレベルになると、これはいかんよねという話になると思うんですけど、それって、言ってみたら、バランスが崩れているという話だと思うんですよ。

三上:うーん。

吉村:依存だったりとか、なんか、たとえば、おそれが、原動力になって、「まだ足りない、まだ足りない」みたいな感じになるだったりとか、あるんですよね。そういうことがいろいろと問題の原因になっているという話で、だから、たとえば、食欲だって、体がちゃんと活動するために必要なエネルギーを受け取る、だとか、あとは、その食べるということ自体が、喜びとか、コミュニケーションにつながるとかということだったら、別にいいと思うんですけど、なにか、その、満たされない気持ちを、穴埋めするための紛らわし行為みたいな感じで食べるようになっちゃうと、

三上:うふふ。

吉村:それは、健康を害したりすることにつながったりするわけですよね。

三上:いま、ぐさっときてます。ふふふふ。

吉村:そうですか。はははは。

三上:そうなんですよ。わかっているんですけど、ついつい、止まらないときって、食欲のほうなんですけどね、吉村さん、わたし自身は。お腹は満たされているんですけど、ほんとに、「もっと食べたい、もっと食べたい」で、気がついたら、お腹パンパンという、ふふふふふ。わたし、ことし、ちょっとね、うまくコントロールしたいなというふうに、自分自身に思っている、目標というか、はい、課題ではあるんですけど。

吉村:だとしたら、ほんとに、その、紛らわしで、何かやっているんだとしたら、何を紛らわそうとしているんだろうか、というそっちとちゃんと向き合って、そこを解決していく必要が、あるかもしれないですよね。

三上:なるほど。何が、わたしは、紛らわしてる…ふふふふ。そこからですね。なんとなく、自分では、わかっていはいるんですよ。わたしの場合はですね。

吉村:はいはい。

三上:そこからですね。わたしの場合は、ね。

吉村:はい。で、これが、だから、その、肉体が生きていくにあたっての欲求という話だったんですけど、人間って、肉体だけじゃなくて、魂と肉体が結合することで、人間になっているから、そういう意味では、その、なんというかな、体が死なないようにというだけじゃないところにも欲が出てくるわけですよね。そこで、たとえば、問題が原因になるようなことって、たとえば、金銭であったりとか、名誉だったりとかに対する欲が多くなると、またこれも、人間関係がわるくなったりとかするわけですけど、でも、これも、ほん
とうは、魂がそもそも、欲求を持っているわけですよ。それは、自分らしい愛を表現したい、という欲で、これは、以前の配信でもお伝えしているバリューフォーミュラという、魂が持っている価値観から来るわけですよね。

三上:うん。

吉村:これが、やっぱり、ストレートに表現されているときには、問題にはならないんですよね。むしろ、たとえば、何か新しい発明がそこで生まれたりとか、何か困っているひとを助けることにつながったりとか、するわけですけど、これもまた、言ってみたら、この欲求が、出どころが、おそれだったり、不安だったり、満たされない心を埋めるため、みたいになっちゃうと、やっぱり、その、お金がいくらあっても足りないから、「もっと欲しい、もっと欲しい」という話になったりとか、自分で自分を認めることができないから、ひとから認めてもらおう、みたいな感じで、なんか、ちょっと、「くれ、くれ」な感じになってしまったりとか、ということにつながるわけですよね。

三上:そうですね。

吉村:だから、欲そのものが悪いという話ではなくて、本来の肉体なり、魂なりが持っている欲求が、ストレートに表現されていて、となったら、たぶん、その、必要以上のものを欲しがるみたいなこともないはずだし、周りと調和するレベルで、いろんな欲求を満たしていけるはずなんですけど、言ってみたら、その、おそれとか、不安とか、なんかの紛らわしとかっていうことが欲につながっちゃっているということで、いわゆる、歯止めが効かないような、

三上:ふふふふ。

吉村:なんか、こう、状態になってしまったりとかね、なんか、こう、ひとからぶんどってでも、自分のものにしちゃうみたいな、

三上:あーあー。

吉村:…とかっていうことに、つながっちゃうんですよね。

三上:そうですよね。じゃあ、今年、内から、ちょっと、わたしも、見つめ直さないといけないですね。(笑)

吉村:はははは。

三上:いろんな意味で。今お話ききながら、「うん、なるほど、たしかに、わたし、自分で自分のことを犠牲者扱いにしてるな」というか、なんといえば、いいんですか。

吉村:なるほどね。

三上:はい。というふうに、今話をききながら、今しっくりきたんですよ。「ああ、なるほど。本来の幸せって、そうじゃないよな」というふうに、ききながら。そこが、満たされていれば、たぶん、そういった欲というのは、そこまで、執着と言うか、しないんじゃないかなと思いながら、今、同時に考えていました。

吉村:そうですね。だってね、みんな、誰も、欲なくなっちゃたら、みんな、たぶん、なんにもしないひとたちが、ボーッと、原っぱで猫会議してるみたいな感じになっちゃう(笑)、

三上:その光景も、ちょっと、見てみたいですけどね、へへへへ。

吉村:猫だったら、かわいいですけど。

三上:かわいいですけどね。ちょっと、人間だったらね、(笑)

吉村:猫もね、猫会議していても、お腹が空けばね、食べ物さがしに行ったりするわけですからね。

三上:そうですね、たしかに。奪い合ったりもしますからね。

吉村:そうそう。だから、そこらへんはね、人間というのは、肉体だけじゃなくて、魂として生きているというのがあるから、やっぱり、その、愛を表現したいという、本来の欲求を僕らは持っているんで、そこをちゃんと表現しながら、生きていくことで、たぶん、世の中って、回っていくし、面白くなっていくし、いろいろと多様性が生まれてくるんじゃないかと思うんですよね。

三上:うーん。いや、今日も、いい時間でした。なんか、お話しながら、わたしも、今年の目標が、だんだん、明確にこうしようというのが、見えてきた気がします。

吉村:はは。よかったです。

三上:はい。こういったふうに、是非ね、お話きいて、こういうことききたいというのをですね、わたしたちの、心メンテナンスのリンクからメッセージが送れますので、是非是非、みなさん、いろいろな、質問したいこととかね、ありましたら、送っていただきたいと思います。はい。今日も、あの、素敵な話題をわかりやすく、いつも解説していただきます、気功ヒーラーの吉村さん、本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

032.生き霊

自覚はないのに生き霊をとばしてる。
愛ではなく執着?

 

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三上:はい、みなさん、いかがお過ごしでしょうか。こころメンテナンス。本日もアシスタント三上恵と、気功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、よろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい。今日のテーマはですね、「生霊」でお届けしていきたいと思います。ちょっと、「生霊」ときいたら、こわいなというイメージをもつかたも多いと思うんですけど。なぜ、今日、このテーマを取り上げようかなというのはですね、実は、わたし自身が、昔、すごい好きになったかたがいたんですよ。昔ですよ。

吉村:はい。

三上:で、そのかたに、時間をおいて、何年後かにお会いしたときに、「実は、昔、君が憑いていたんだ」というふうに言われて、「え!?」と思って、たしかに、そのかたのこと、ほんとに、わたしは、すごい好きだったんですよ。昔ですね。すごい好きで、そのかたが、みてもらった、スピリチュアルなのか、わかんないんですけど、「みてもらったときに、憑いていると言われて、とってもらったんだ」というふうに言われたんですよ。

吉村:ほー、なるほどですね。

三上:わたしのなかで、生霊というイメージは、すごい、ちょっと、「あのひと、憎たらしい」とかって、そういうイメージを持っていると、出てくるのかなというふうに思ったんですけど、そうじゃなくても、存在するのかなという、昔はですね、存在するのかなというふうに感じたんですが。なので、ちょっと、吉村さんに、生霊について、どう思われているのかっていう話も、今日、ききたいなと思ってですね、テーマに取り上げてみたんですが、吉村さんご自身、どう思われています?生霊について。

吉村:あ、けっこう、僕の相談来られるお客さんたちのなかで、生霊つけられているひとたちとか、他のひとに生霊とばしているひとたちというのを、けっこう、何度もおみかけしてますね。

三上:へー!

吉村:だから、生霊というものは、あるなという認識で、やってますよ。

三上:ちなみに、生霊というのは、たとえば、わたしのなかでは、その意識はないわけですよ。相手に対して。なのに、存在するのが、まず不思議なのと同時に、吉村さんから、ご相談されるかたというのは、どんな生霊のかたがついていらっしゃるんですか。

吉村:僕がいままで、みてきたなかで、生霊ってこういうものだなというふうにとらえている、認識しているものは、執着が起きたときに、無意識レベルで、執着している相手に、自分の意識の一部が、ベタってくっついちゃって、リンクができちゃっているような状態。

三上:リンク?ほう。

吉村:はい。というのが、生霊がついている状態というふうに、とらえているわけですね。だから、別に、なんか、「憎いから、アイツ、困らせてやろう」みたいな感じで、幽体離脱して行く、みたいなのとは、ちょっと、違って、潜在意識のなかで、自動的にいろんなことをやっているプログラムというのは、僕らは、いっぱい持っていて、それらが、ちゃんと正しく動いていたら、いろんな分担でいろんなこと、やっているわけですけど、そのなかには、ウィルスに感染してしまったファイルみたいに、本来の働きとは、違うものを勝手にやってしまうものになっているというのは、たくさんあるわけですよ。

三上:うん。

吉村:で、執着というのは、ネガティブな、恨み、憎しみみたいなもので執着が起きることもあるんですけど、一般的に一見ポジティブに思うような行為だったりとか、心配だったりとか、というのも、独占欲だったりとか、ね、そういうのになると、それって、執着なんですよ。

三上:うーん。

吉村:その、好きという気持ちは、ちゃんと、もちろん、好きは好きであったんでしょうけど、そこで、「他のひとにとられたくないと」か、「わたしが独占したい」とか、「わたしから離れていったら、やだ」とかっていうのがあると、「好きだから一緒にいたい」というのとは、別に、「このひとを失いたくない」、失っている状態を想定して、それを避けようとしているとか、他のひとにとられたくないから、わたしじゃない誰かと幸せになっている状態を想定して、「そんなの、やだ」、それを避けたいとか、そういう望ましくない状態を想定して、それを避けようとすることを、そういうエネルギーが、出るわけですよね。

三上:ええ。

吉村:そうすると、それっていうのは、ただ好きだから一緒にいたいとか、ひとつになりたい、つながっていたいとかっていうのは、愛から来ているものなんですよね。愛のバリエーションで、そういうものはあるんですけど、でも、失いたくないとなると、ほんとは、愛でつながっていたいというのとは別に、失うという望ましくない状況を想定して、それを避けようとする、だから、失っているという状態をおそれて、そうじゃないようにしたいというふうになるというのは、じつは、愛じゃなくて、おそれから来ているんですよ。

三上:あー。なるほど。

吉村:だから、そのひとが好きで、そのひとのことをいつも考えちゃうとか、というところでは、表面的なとっている行動とか態度とかは、一緒なんですけど、単純にただ好きだから、一緒にいたいとなった場合は、そこに対して、執着がなければ、「相手が自分に好意ないんだな」となった場合とかは、「まあ、じゃあ、あのひとが幸せでいてくれれば、それでいいよね」みたいなので、別に、変に、だから、つきまとったりとか、というようなところにはいかないわけなんですけど、

三上:うんうん。

吉村:でも、「あのひと、失いたくない」とか、「わたし以外のひとと幸せになってほしくない」とかってなると、要は、それを想定して、それを避けようとする、「おそれる」ということで、そこから、次に発展する、展開としては、下手をすると、ストーキングとかにもなりかねないような、

三上:うん。

吉村:発するエネルギーが全然違うんですよね、だから、愛とおそれとで。だから、生霊とばしちゃうときっていうのは、おそれで相手に執着しているときに、生霊が出るんですよ。

三上:あー、なるほど。

吉村:それはその、たとえば、すごい相手のこと心配している、みたいなときにも、おばあちゃんが孫のこと、心配で心配で、とかって、なんかちょっと、可愛らしい話にはきこえるんですけど、

三上:はい。

吉村:でも、なんかね、「あの子は事故にあったらどうしよう」とか「誘拐されたらどうしよう」って、考えているということは、要は「事故に遭う」とか「誘拐されている」という場面をイメージしているわけではないですか。

三上:そうですね。

吉村:だから、どっちかというと、そういうことが起こるというふうに、票を入れているんですよ、実は。

三上:はー、なるほど。うん。

吉村:その票を入れながら、それを避けようとしているという、ブレーキとアクセルを同時に踏んでいるみたいなことをやっているから、だから、すごい無駄なエネルギー使うし、要は、相手に悪いことが起こる可能性というのも、可能性としては作り出しているわけですよね。だから、悪いことが起こる方向に、言ってみたら、票を入れているから、実際にそれが起きちゃう可能性も出てくるわけですよね。しかも、エネルギー的にそこにつながると何がおきるかというと、こっちの執着を持っているひとの持っている、潜在意識のブロックがつけられた相手のなかでも発動するんですよ。そうすると、こっちのひとがすごい不安の多いひとだったりすると、生霊をつけられたひともなんかよくわかんないけど、不安になる、みたいなことが起きるんですよ。なんで、こっちのひとのパフォーマンスがすごい下がったりとか、生きづらさが生じてしまったりするとかするんで、それで、僕のところに相談に来られたりすると、「あ、なんか、生霊つけられているんだな」ということがわかって、その生霊を解消するというようなことをやるってことになるんですけど、ただ、生霊を受け取っちゃう側も、近い波長をもっているから、受け取っちゃうんですね。いくら執着してても、こっちのひとが全然、ひとに執着するとか、おそれとか不安とか全然ないひとだったら、こっちの生霊とばしても、くっつかないから、戻ってきちゃうんですよね。なんで、こっちのひとが全然、生霊とは無縁の生き方をするということも全然可能性としてはあるわけですよね。そのひとがそういう波長をもっていなければ、だから、別にどっちがいいとか悪いとかという話ではないんですけれども、つけられちゃう側も共通の波長をもっているから起きてることなんで、僕のところに相談に来られた場合、そのどっちのかたが相談に来た場合でも、両方のかたを対象にクリアリングして、生霊とばしたほうのひとは、生霊をとばさない生き方を選べるようにしてくし、生霊とばされていたひとのほうは、ひとから生霊を受け取らない生き方ができるように、というところで、お手伝いさせて頂いている、そんな感じですかね。

三上:なるほど、そういった感じの相談が実際にあって、というふうに、生霊とばす側と、受け取る側のケアというか、そういうのをされていらっしゃるわけですね。

吉村:そうですね。

三上:はい。なるほど、そうですね。当時のわたしは、そうだったかもしれないなというふうに、今お話ききながら、フラッシュバックしてました。はははは。

吉村:はははは。そうですか。ははははは。

三上:まあ、たしかに、今考えれば、すごい執着してた気がします。はい。でも、それを経験のひとつとして、今、捉えて、ポジティブな人生を送ってますが、自分のなかで、ですね。はい。

吉村:はい。素晴らしいですね。

三上:うーん。でも、今話をきいて、聴いてる方のなかにも、きっと、わたしみたいなひと、いるかもしれませんので(笑)、

吉村:そうですね。だいたい、でもね、僕も今こんなふうに、偉そうに話していますけど、昔の自分とか振り返ると、お恥ずかしいことだけらなんで、とりあえず、今どんな状態だとしても、ここから、どんどん、そういう余計な執着だったりとか、おそれだったり、手放していくと、そこからどんどん、軽いエネルギーに変わっていくことはできるんで、まあ、まずは、自分のなかにある、重苦しい、どろどろしたものがあったら、こういうの自分はまだ持ってんだなあ、みたいな、ところとまず向き合っていく、みたいな感じですかね。

三上:そうですね。いろんな経験をつんで、最近は、わかるようになってきましたよ。うふふふ。いろいろと。

吉村:素晴らしいです。

三上:はははは。ということで、今日は、テーマ「生霊」で、お届けさせていただきました。はい。いい話、いろんなアドバイス、吉村さん、ありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

031.うつ病

近年増えている、うつ病。
自分との向きあい方、魂と肉体の関係性についてもお話しして頂きました。

 

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三上:はい、こころメンテナンス。今日で31回目になります。本日もアシスタント三上恵と、気功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい。さあ、今日のテーマはですね、近年増えてきているふうに感じます、「うつ病」について、テーマを取り上げていこうと思っています。実は、吉村さん、わたし、以前、医療事務で5年ほど働いていたんですね。働いていまして、精神疾患のかたというのは増えてきているなというふうにも、医療事務時代から、感じていたんですけども、どうですかね。昔は、判断というのが無かっったじゃないですか。「うつ病ですよ」みたいな。いろいろ発達して、うつ病と認定されたかたも増えてきているという現状があると思うんですけども、実際、うつ病に関して、そういったかたも、ご相談で来られるかたは多いですか、実際。

吉村:うつ病という診断を受けちゃっているかたたちは、病院で薬とか処方されていて、お医者さんにも、いろいろ、たとえば、こういうことはやっちゃ駄目ですよみたいな、指示をされていたりとかのケースが多いと思うので、実際に、セッションを検討しているんです、というかたから、ご連絡頂いたんですけど、ちょっとやりとりしている間に、主治医から止められたので、やっぱりやめます、みたいな話になって、実際にセッションを受けるには至らなかったというかたちになったひとは結構いらっしゃるんで、そういう意味では、病院の診断は出てないけど、ちょっと、うつ状態だなというひとたちというのは、大勢いらしていますけど、そこの線引きみたいなのは難しいものがありますよね。。

三上:難しいと思いますね、たしかに。そこに至るまでは、たぶん、相談したいと動くまでも、その状態というのは、すごい、腰も重いと思いますし、だと思うんです。きっかけが無い限りはね。動きづらいと思うんですけども、世の中的にも、いろんなものが、ありふれて、便利になってきているにもかかわらず、昔に比べて、そういったかたというのが、増えているのは、悲しいなとも思いますし、個人的には、昔の環境のほうが、人間的には、わたしの個人的意見なんですけども、昔の生活のほうが、人間には合っていたりするのかなと、ふと思ったりもするんですけど。

吉村:その昔というのもね、どのぐらい昔のことを言っているのかでも、違うとは思うので。たとえば、今の時代だと、人間関係的な部分とかで苦しんでいるひとたちって、すごい多いと思うし、自分の価値観と周りのひとの価値観になにか不一致を感じて、ここは、ほんとに自分の居場所なんだろうか、とか、自分の将来、どうなりたいかを自分で決めなさいと言われているんだけど、何をしたらいいのかわからない、とか、昔の、封建的な世界で、親がこの仕事しているんだから、お前もそれが当たり前だ、とか、とりあえず、結婚相手見つけてきたから、一緒に住みなさい、とかっていうような、何も自分で決められなくて、周りに決められた通りに生きているという人生のなかで、感じていたストレスとは、また全然真逆のたぐいのストレスに、多くのひとはさらされているわけですよね。どっちのほうがいいとか、正しいとか、一概に言えないと思うんですけど、テクノロジーが進んでくると、要は、自分を取り囲む情報量がすごい増えたりとかすることで、そういう意味では、処理しないといけない情報とか、期待されるパフォーマンスとかが上がっていたりするところでの、ストレスというのが、今の時代は、結構大きいのではないかな、とか、自由になんでも決めていいよと言われるわりには、能力とかでふるいにかけられて、何だってやっていいんだから、お前が決めろよと言われているのに、いや、自分、選択肢これしかないんですけど、みたいなところって、ストレスになりやすいと思うんですよね。

三上:吉村さんのヒアリングというか、ご相談されているかたで、優柔不断で迷っているんですというかたがたしかいらっしゃったと思うんですけど、そういうかたとか、決められないかたという、内なるもので悩んでいるというかたも多いと思うんですよ。こういうときって、どうしたらいい、って、決めるのは自分ではあるんですけど、何か、後押ししてくれるものというのは、何かないですかね。

吉村:やっぱり、大事なことは、そのひとの特性みたいなものというのを、自分自身でもちゃんとわかっておくことだし、それがちゃんと周りのひとにもわかるように、しておくことかなとは思いますね。何でも、ボンボン、自分で決めていくほうが、居心地がいいというひとと、自分で決めるのはあまり得意じゃないけど、ひとから頼まれたこととかを、やるってことは得意です、というひととか、いるわけですよ。そうすると、それって、そのひとの得意分野、得意、不得意が違うという話であって、どっちのほうが正しいという話ではなくて、もしかしたら、バンバン決めるのが得意なひとがいて、そのひとは、ひとりで全部抱えきれないから、指示されたことをきちっとできるひとたちと、仲良くして、このひとたちにきちんとリスペクトを持って接すれば、このひとたちは、そのひとのために動いてくれるひとになってくれるかもしれないわけじゃないですか。だから、個の時代で、誰でも、個として大成できる世の中になったんです、と言っても、そもそも、それを求めてないひとたちもたぶんいるんですよね。だから、上とか下とか、いいとか悪いとかじゃなくて、向き不向きということをきちっと、自分でもわかっているし、それを受け入れてくれる世の中だったら、ストレス減るんじゃないかなというのがひとつありますよね。あと、もうひとつ、うつ病って、ほんとに、病気なのか、というのも、疑わしい感じがあるわけなんですよ。というのは、ひとは大体ストレスにさらされたりとか、つらいことがあったりしたら、気分が落ち込むのって、普通のことじゃないですか。

三上:誰にでもあり得ますよね。

吉村:それで、ちゃんと気分転換するとかして、英気を養って、段々とその状態から抜け出していくことができれば、通常状態に戻りますよということなんだけど、気分が落ちているのに、それでも自分で鞭打って頑張り続けたりとかやっていたら、回復する暇なくどんどん落ちていくわけですよね。それに対して、うつ病ですと言っているけど、疲れすぎてぶっ倒れている状態ですよという話といえなくもないんですよね。もちろん、ちょっと、栄養とって、からだ休めて、それなら、元気になるんじゃない、みたいな話にもなってくるんですけど、それを病気ととらえて、薬を処方して治すという発想って、ほんとにそれでいいのかな、みたいなのは、僕、前々から思っていたところではあるんですね。現代医療に喧嘩を売るつもりもないので、お医者さんに喧嘩を売るみたいなことは全然するつもりはないんですけど、僕の仲良くさせてもらっている総合健康学という、教育プログラムをやっている天野智樹さんというかたがいて、そのかたの健康総合学の講座のなかで、この間、おお、まったくそのとおりだなと、僕は同意したのは、そのかたは、うつ病というのは存在しなくて、これは、うつ状態だと。状態というのは、よくなったり悪くなったりしながら、あまり、上下の差がそんなに大きくないなかで、一定のバランスを保っていれば、健康なんだけど、あまりにも、それが上下激しくなっちゃったら、異常な状態だよねという話だけど、それって、別に、誰にでも起きうることだし、病気と捉えるよりも、状態だから、状態をよくすることをしたらいいじゃない、という考え方のお話をされていたんですよ。まさに、そのとおりだなと僕も思うので、とはいえ、世の中とか、病院が、病気ですと言い切っちゃているから、じゃあ、これが病気ですという話ではなかった時代は、お前、怠けているだけだろうと言われていた時代でもあるわけですよ。でも、ほんとに、お腹が空いてこれ以上動けませんというひとを、ビシビシ叩いて、気合で起き上がれと言っても、無理なんですよ。だから、そこは、回復する必要があるというだけの話で、別に、飲まず食わずで夜も働きつづけられないから、お前は病気だと言うほうがおかしいと僕は思うんですよね。だから、肉体という有限なものと、つながって、有限ないのちを生きるという経験を僕らは選んでわざわざやっていると思うんですよ。なぜなら、魂自体は不滅の存在で、肉体死んでも、また別の肉体と結合して、別の人生を生きているわけだから、そういう意味では、魂にとっては、別に何でもOKなんですけど、今回、この肉体と一緒に旅をするということに関していえば、この肉体って、この人生のなかでは、かけがえのない唯一のパートナーなわけじゃないですか。そこは、ちゃんといたわって、一緒に仲良く旅ができたほうが、いいと思いますよね。僕、常々言っているんですけど、肉体って、乗り物としては、車やバイクのような機械ではなくて、馬みたいな生き物を乗り物として、使わせてもらっているという考え方なんですよ。だから、馬に餌もあげない、水もあげない、休ませもしないで、ただ、走れ、走れって、やっていたら、馬死んじゃうかもしれないし、馬から嫌われたら、もしかしたら、馬が暴れて、振り落とされちゃったりするわけですよね。それよりも、ちゃんと、馬と仲良くして、馬が幸せで、健やかでいられるように、こっちがちゃんとケアしてあげたら、たぶん、馬は、ちょっとこわくても、乗り主の気持ちを尊重して、険しい山とかでも、ちゃんと登ってくれたりとかね、ちょっとした崖とか飛び越えてくれたりとかするわけですよ。でも、それは、馬がほんとに、乗り手のことを、大好きだったら、やってくれると思うんですよね。こころというのも、肉体と魂が結合することで、できているものだから、そこをちゃんと大事にするという姿勢は、必要かなと思いますね。

三上:そうですね。ほんとに、見つめなおすというか、自分自身をしっかりわかってあげるという、少しでも寄り添って、自分と向き合うというのが、大切な鍵になってくるかもしれませんね。

吉村:そうですね。ちゃんと、そういうこと、大事だよという啓蒙活動みたいなね、教育のなかにそれが含まれていなかったら、それが大事だということがわからないまま、ひとは育っていっちゃうし、世の中的に、仕組みがそういうものを大事にするということを、世の中が大事にしていなかったら、ひとりで頑張れることには限界があるわけですよね。自分と向き合うということも大事だし、それは、お互いさまで、ちゃんと、みんなそうなんだよということを、お互いに認め合って、サポートしあえるような、世の中だと、今の、そういう、うつ病のひとが増えて大変だよね、ということを解決できる可能性がひろがってくるんじゃないかなと思いますよね。

三上:はい。ということで、今日は、テーマを「うつ病」で取り上げたんですけど、この時間、ほんと、いい時間で、いいお話が、いろいろ、熱い思いも含め、きけた気がします。はい、吉村さん、本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

030.宇宙ワープ

夢広がる宇宙、あなたはワープした事ありますか?
前世では宇宙人の可能性も。

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三上:はい、みなさん、こんにちは。こころメンテナンス。本日もアシスタント三上恵と、気功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、よろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい、今日のテーマは、「宇宙にワープ」で、お届けしていきたいと思います。最近はね、一般のかたも宇宙に行ける時代になって、夢ひろがりますけども、今日はですね、肉体が宇宙にワープ、ではなくて、内なるものが宇宙に行くというのを、個人的に、いろいろ、吉村さんにきいていきたいなと思うんですけども、吉村さんご自身は、宇宙に行かれたこと、ありますか。

吉村:僕自身は、自分が記憶しているなかでは、宇宙に行ったというのはないんですけど、僕が仕事で今まで多くのかたたちの潜在意識のなかを見させていただいて、今の人生での生きづらさとかをどう解消していくかみたいなことをやってきたなかで、今の人生で物事がうまくいっていない原因が、実は、その過去世で、前世とかそれよりももっと前の、輪廻転生している人生の、前の人生で、何か問題が起きていいて、そのときの何かが完了していないとか、解決していないということが、今の人生で問題を引き起こしているというケースが結構あるんですよ。それを、僕は、そのかたたちの潜在意識のなかにある、記録みたいなものをデータとして読み取るみたいなことをしているんですね。だから、場面が見えているというわけではないんですけれど、これこれこういう場所で、こんな人生があって、そのとき、こんなことが起きたときに、それをこういう捉え方をした、それによって、こういう考え方とか、感情の反応パターンができた、みたいなことが、わかるんで、それで、今の人生で、うまくいっていない原因はここだな、みたいなのを読み取っていって、そこを要はお掃除して、きれいにしていくということをしていくんですけど、そのなかに、実は、何回か前の人生では、地球上で暮らしていたのではなくて、どこか、宇宙の別の星で暮らしていた過去世があるとか、まさに宇宙とかそういう次元を変えて、別の次元の別の世界で生きていたときの人生の記録みたいなのがあって、とか、実はそういうかたたちが大勢いらっしゃるんですよ。

三上:すごい気になりますね。

吉村:そういうふうな観点でみると、僕自身もそういう記録をもっているので、僕の記憶のなかにはそういうのはないんですけど、実際に、別の星で暮らしていたという記録があるということは、きっと、そういう人生がいつかあったんだろうということだとは思うので、よく、「あのひとは、宇宙人みたいだ」という話とかありますけど。

三上:あります、あります。

吉村:でも、言っているあなたも、たぶん、昔、宇宙のどこかで暮らしていたと思いますよ、って、僕は心のなかでは思いながら、ああ、そうですね、みたいな話をしているんですけど。だから、今、地球上で生活しているひとの大半は、輪廻転生している魂という観点でいったら、何度も、宇宙と地球と、さらに、別次元との間も、行ったり来たりしながら、生きてきている、そういう魂なのではないかなというふうに捉えていますね。

三上:今話をきいて、わたしも、どこかの宇宙にいたのかなと思いながら、当時の過去世がきになるんですけども。わたし、ちょっと前に、友達にきいた話では、宇宙では、ご飯を食べなくても生きていけるんだというのを…。男女とかも、そういうのあんまり関係なくても、みたいなことを言っていた友達がいて、半信半疑で、そうなの?、どういうこと?と思いながら、きいてはいたんですけど、今、吉村さんの話をききながら、それって、もしかして、一理あるんだろうなというふうに、思ってはいるんですども。

吉村:そうですね。地球と宇宙って、分け方、結構乱暴な分けかたじゃないですか。地球も宇宙のなかにあるし、いろんなひとの過去世をみていくと、他の星での文化とか常識みたいなものも、いろいろあるんですよね。男女がある星もあれば、男女ないという星もあるし、比較的自由に暮らしているみたいな星もあれば、すごい封建制度みたいなので、上から、上下関係でばっちり締め付けられて、奴隷みたいな生活をしていたひとたちとういうのもいたりするし、すごい大規模な戦争をずっとやっていたみたいなひとたちとかもいるんですよ。スターウォーズみたいなSF作品とか、ああいうのって、ほんとに、その場にいたひとたちが、当時の記憶とかが蘇ったりして、それで、作品にしてたりしてるんじゃないかなと思う部分もありますよね。

三上:話きいて、まさに、わたしもそれを思い出していました。そんな感じなのかなと思いながら、なんか、ほんとに、不思議。えー。そうなんですね。

吉村:実際、チャネリングで、宇宙人の意識をおろして、宇宙人のメッセージを伝えてくれているひとたちもいるじゃないですか。僕、バシャールとか、大好きなんですけど、たぶん、宇宙の空間的距離だけではなくて、時間的にも離れた、別次元の星にいる、バシャールという存在の意識を、カリフォルニアに住んでいるダリル・アンカという、ハゲでずんぐりした可愛いおじちゃんなんですけど、おろして、そのダリルさんの声とか体をつかって、バシャールが話すんですけど、めちゃめちゃ面白いんですよ。すごいハイテンションで。

三上:どんなことをしゃべるんですか。

吉村:僕が日頃言っていることと、同じような、共通している話が多いと思いますよ。人生というのは、そのひとの内的な、心もち次第でいくらでも変わるんだよ、とか、わくわくすることをしていくと、人生はよくなるんだよみたいな話をしていて、僕もスピリチュアルなことに興味持ち始めたときに、バシャールのチャネリングの本とかすごい読んだし、初期の頃のバシャールの本って、宇宙とかエネルギーについてを詳しく語っている、小難しい本みたいなのがあったんですよ。それとかは、実際、こころメンテナンスの手法を作り上げたりとか、発展させていくにあたって、すごい参考になったんですよ。バシャールからもらった知識をもとに、いろいろと応用して、こころメンテナンスができているといっても、過言じゃない部分がすごいあるんで、そういう意味では、バシャールは、直接お話したことはないけど、すごいお世話になっている大先輩みたいな感じで、たまに、動画とかみて、お、バシャール、元気そうだな、みたいな感じでみていたりするんですけど。そういう意識レベルでは、距離とか、時間とか、時空を関係なくつながるんだろうなと思っているので、そういう意味では、宇宙に行くというのは、物理的に物体が行くというだけじゃなくて、宇宙存在とかも、案外、見えないレベルでは、近くにいたりするんじゃないかなと思うんですよね。要は、物理的に見えたり触っていたりしないから、実際にはテレビとかスマホの電波と同じように、見えないけど、そこにいるという存在はいっぱいいると思うんですよ。いわゆる、死後の世界というのも、別に天高くとか、地面のずっと下とか、そんなんじゃなくて、この場所に普通に重なって存在していて、ただ、チューニングが合うか合わないかで、情報を受け取れたり、受け取れなかったりということが、起きているんじゃないかなというふうに思っていますね。

三上:なるほどですね。たしかに、いろんな次元をもって、感覚をとらえられるかたも増えてきている時代でもありますし、そういうふうに、もしかしたら、すぐそばに、宇宙人は見えないだけであって、存在するかもしれませんよね。

吉村:僕は、そうじゃないかなと思っていますね。

三上:はい。今日はテーマ「宇宙にワープ」でお届けしたんですけど、映画の世界が、ほんとに現実であり得るんだろうなというふうに、この時間、わたしは、思いました。

吉村:科学で、解明できないことがるという言い方は、僕は科学が追いついていないだけじゃないかなと思っているんですよね。だから、科学がもっと進んでいったら、スピリチュアルと言われていたり、オカルト扱いされているようなことでも、科学的に説明がついたりとか、それこそ、機械で計測して、ああ、亡くなったおばあちゃんが今ここに来てるのがわかるみたいな、そういう時代とか普通に来るんじゃないかなと思っているので、この先、世の中がどんな風に変わっていくのかが、かなり楽しみにしてる部分がたくさんありますね。

三上:そうですよね。まさか、みんな、スマホ1台もって、こういう風に操作できるって、まさか昔は思っていないですし、ほんとに、それはあり得るかもしれませんよね。

吉村:そうですよね。

三上:ということで、今日はすごく楽しかったです。

吉村:よかったです。

三上:吉村さん、本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

029.自然パワー

最近自然と触れ合えてますか?
自然パワーって凄いですよね。吉村さんのアメリカ留学時代の自然との過ごし方も伺いました。

 

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三上:みなさん、こんにちは。さあ、こころメンテナンス。本日もアシスタント三上恵と、気功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。本日も、吉村さん、よろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい、今日のテーマ、今日のテーマは、「自然パワー」でお届けしていきたいと思います。最近、自然に癒やされているかた、結構、わたしの身近にも多いんですけども、私自身も、吉村さん、先週、先週かな、山に2回上りに行って来ました。

吉村:へー、すごいですね。

三上:自然の音とか、空気というの、すごいいいなと思いながら、結構きつい山だったんですけど、達成感と頂上からみる景色は、ほんと最高でした。

吉村:素晴らしいですね。

三上:癒やされてきたんですけども、わたしたち人間というのは、都会のほうだと、自然にふれる機会というのは、毎日忙しくお仕事されてるかたって多いと思うんですけど、自然から感じるものというのは、すごい力があるとわたし自身は感じるんですけども、吉村さんご自身は、どう思われますか。

吉村:そうですね。僕も、自然にはすごいパワーがあって、そこには癒やしの効果がたくさんあるなと感じますね。というのも、僕たちの肉体って、そもそも、この地球上の自然の仕組みから、譲り受けて使っているものなので、元々が自然由来のものなわけですよね。

三上:そうですよね。

吉村:そういう意味では、自然のなかの、生命エネルギーみたいなものが、循環することで、生命の、地球上の自然界のシステムというのは、動いているわけで、肉体というのも、そこから譲り受けて使っている限りは、生命エネルギーというものを使って、活動しているから、自然の、ひとの科学技術とかがあふれていないような、本来の自然の状態というのは、肉体にとっては、魂に、いつも使われている、乗り物とされている肉体にとっては、羽根を伸ばして、少しリラックスできる場になりうるということじゃないかなと思っていますよね。

三上:そうですね。だから、自然のなかで、瞑想とか、するのっていうのは、すごいよさそうだなというふうにも感じましたし、何も考えずにいろんな音が入ってくるというのも、私自身、山登りしてるなかで、いいなと感じたんですけど、吉村さんに質問なんですけど、気功ヒーラーとして、吉村さんご自身も、自然で感じることとか、日常で、何か取り入れていることとかって、あるんでしょうか。

吉村:なるほどですね。僕、基本的に、ちょっと引きこもりがちなひとなんで、自然にふれる機会って、そんなに多くはないと思うんですけど、住んでいる場所が比較的、東京のなかでもはずれのほうの、やや、自然が多い、東京にしては自然が多い地域に住んでいるので、自然が全くない、ねずみ色の建物ばかりみたいな感じのところではないから、自然のパワーをもらいながら生活できているなという感じはするんですけど、僕は若い頃、学生時代とか、実はその、アメリカの結構田舎とかに住んでいたこともあるんですよ。比較的都会の場所に住んでいたときも、ちょっと車で走ると、すごい自然がいっぱいあるところとか、そういう地域だったので、日本に帰ってきてから、とか、アメリカに留学する前と比べると、自然が多い地域で、多感な時期を過ごせたのは、すごくよかったなと思っていますね。

三上:若い頃に、自然に触れるというのは、若い頃はいろんな遊びがしたいから、自然というよりは、どこかへでかけたり、遊びに行ったり、というイメージが強いんですけど、いいですね。

吉村:ある意味、強制的に、そういう環境に身を置くようになったという感じですけどね。僕、最初、日本で育った場所って、川崎市の工業地帯とかが近いあたりだったので、その頃は、周りとか、ほんとに自然とかなくて、子ども時代で、周りの景色で印象的なのは、野良犬とホームレスとヤクザのチンピラ風なひとたち、みたいなのがいっぱいいる、ねずみ色の感じの場所だったんですよ。そういうところで、育ったので、ほんとに、全然、自然と触れることもなかったし、遊びに行くとなると、それこそゲームセンターに行くとか、そんな感じだったんですね。中学校卒業するまでは。それが、アメリカに留学して、とんでもない田舎、山の中の学生寮とかに住むようになって、強制的に、都会のゲームセンターとか、そういうものからは引き離されてしまったわけですよ。でも、遊びたいから、じゃあ、何して遊ぶかみたいな感じになると、野山を駆け回るみたいな、ね、遊びになっていったわけですよ。最初、僕、カリフォルニアの山の中の学校にいたんですけど、その後ちょっといろいろあって、ユタ州って、もうちょっと内陸のほうの州の、しかもユタ州って、結構真四角の格好してたんですけど、地図みると、そのちょうど、ど真ん中あたりに、とんでもなく田舎な場所がある、基本ユタ州って、めちゃくちゃ田舎な砂漠地帯に、大きな街がたまにボン、ボンとあるみたいな感じで、それ以外のところは、すごい、とんでもな田舎なんですけど、僕が住んでいた町というのが、すごい面白くて、マウントプレザントという町なんですけど、人口が2千人なんですよ。

三上:2千人!

吉村:そうそうそう。真っ昼間に外歩いていても、誰ともすれ違わないんですよ。だから、もしかしたら、二千人というのも、ちょっと盛っているんじゃないかなと。僕の学校は、町のなかのメインストリートから、ちょっと行ったあたりの、比較的、お店とかも近くにあったりとか、町のなかでは、栄えているほうの場所みたいな感じ。町から町へと通る道路が通っているところの近くなんですけど、ちょっと離れると、牧場とかがあったり。住宅街もあるんですけど、住宅街は結構空き家が多いんですよ。メインストリートとかを昼間歩いていても、ほんとに、誰ともすれ違わないときとかもあったりして、ひとの数とかよりも、羊の数のほうが、全然多い感じですよね。

三上:豊かな場所だ、ほんとに、じゃあ。

吉村:そういうところで。そうなってくると、ゲームセンターで遊ぶというのは、夢のまた夢みたいな感じだから、そこのなかで何して遊ぶかみたいな感じになると、それこそ、山に登ったりとか、あとは、ユタ州、結構面白いのは、夏は砂漠で灼熱の場所なんですけど、冬になると、雪に閉ざされるんですよ。マイナス20℃とかになっちゃって。

三上:わー、すごい、マイナス20℃!

吉村:そうそうそう。山とかも結構あるから、スキー場も近くにあったりして、学生寮に住んでいるんですけど、スキーシーズンは、毎週、週末になると、スクールバスでスキー場に行くみたいな、娯楽トリップみたいなのがあって、雪がまたすごいパウダースノーで。

三上:細かいんですね。

吉村:そうそうそうそう。ころんでも全然痛くないから、雑な滑り方でも、平気、みたいな。その頃は、ほんとに、ちょっと今からは想像つかないくらいに、アクティブに自然のなかで、からだを使って遊ぶみたいなことをやっていたんですよ。それも、なんか、他にやることがないからという話なんですけどね。

三上:人間って、なければなかったで、子どもたちがいい例ですよね、何もない状態でも遊びを生み出すという。

吉村:そういうことですよね。だから、すごいいい経験させてもらったなって。もし、僕がアメリカに留学しなかったら、今以上にとんでもない、内向的なひとになっていて、引きこもりのオタク度が、今よりもさらに、レベルが高い感じのひとになっていたんじゃないかなと思うんですよ。別に、どっちのほうがいい悪い、正解/不正解はないと思うんですけど、一時期、日本の、都会での生活から離れられたおかげで、自分の幅がひろがったなという感じがすごいあるのでね。そのときには、ネイティブ・アメリカンのひとたちと交流する機会とかも持てたんですよね。ユタ州とか、結構ネイティブ・アメリカンのひとたち、いるんで。そのときに、スウェットロッジとかいう、地面に穴を掘って、焼けた石を穴の中に、真ん中に置いて、そのまわりを囲むように座るんですよ。ネイティブ・アメリカンのおばちゃんが、伝承とか、ネイティブ・アメリカンのスピリチュアルな哲学みたいなことを、昔話みたいなのをしてくれながら、焼けた石に薬草とか、水をジャッとかけたりして、穴掘って、上は屋根つけて閉じているので、サウナみたいになっているんですよ。そこで、10代のちょっとアホな子たちが、ありがたいお話をきいて、日頃のストレスだったりとか、けがれを落とすみたいな、そういう体験もさせてもらって、その頃は、あんまり、どうだろう、これ面白いのかな、みたいな、そういう軽い感じで参加したんですけど、今から振り返ってみれば、スピリチュアルな体験を、あのときにさせてもらえていたんだな。そういう大自然からもらえるパワーもあるし、大自然とひとが調和して暮らしていた時代からの知恵みたいなものとかを、触れる機会をもてたということは、すごくいい財産になったな、みたいなのを感じていますよね。

三上:なるほどですね。貴重な体験を、ほんとに、されたんですね。

吉村:そうですね。そのときには、ほんとに、それが何の役に立つのか、全くわからなかったですけど。とりあえず、やったことないことは、やってみたい、みたいな程度の感じだったんですけど。今こうして、振り返ってみると、スピリチュアルな道に進む、大きなきっかけではないんだけど、いろんなことが全部無駄になってなくて、今につながっているという感じがしますね。

三上:日常から、少し離れて、自然で何かもらってくるというのもいいかもしれませんね。ということで、今日は、「自然パワー」ということで、吉村さんの、いろいろなね、若い頃のお話もきけて、よかったです。吉村さん、本日もありがとうございました。

吉村:はい、ありがとうございました。

028.2022

寅年、天中殺の吉村さん、今年の目標を伺いました。
2022年スタート、今年もみなさん宜しくお願い致します!

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三上:はい、みなさん、明けましておめでとうございます。こころメンテナンス。2022年スタートしました。本日アシスタント三上恵と、そして気功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、明けましておめでとうございます。

吉村:明けましておめでとうございます。

三上:今年もよろしくお願いいたします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい。さあ、今日は、テーマ、そのままいきます。「2022年」をテーマにお届けしていきたいと思います。さあ、スタートしましたけども、前回は、2021年、「今年の振り返り」ということで、お話いろいろ伺いましたけど、2022年、寅年、吉村さんは、目標とか立てていますか。今年の。

吉村:前回の配信のときにもお話した、今年と来年が、僕にとっては、天中殺なので。

三上:天中殺ね。話してましたね。

吉村:なので、なるべく、謙虚に、学びと貢献の姿勢で、生きていきたいなというのが、大きな目標のひとつにはなっていますけど、とはいえ、古い方の暦で数えるので。

三上:旧暦ということですか。

吉村:旧暦ですね。旧暦だと、寅年が始まるのは、2月の節分のときから始まるので、現状はまだ、丑年なわけですけど、天中殺の考え方ではね。暦というのも、誰が決めたんだろうというのもあるから、地域によって、使っている暦が違ったりもするから、節目としては、とりあえず、みんながこの節目で区切ってやっているから、それに合わせて、生きていきましょうか、みたいな、約束ごとという話なのかなとは思うのですけど。今年は、なにしろ、去年とその前とが、散々な感じだっったから、コロナ関係で活路が見出されて、いい年になってくれればいいなみたいなのは、なんとなくありますけどね。

三上:なるほどですね。ほんとですよね。今年は、いろんな意味で、みなさんが、笑顔が増える一年になってほしいと思いますけど。どうででょう。わたしの場合は、ここ4、5年、ずっと同じ目標があって、今年もまだこの目標で走り続けたいなというのであるんですけど、ここ4、5年は、「常に前進、諦めなければ、休憩よし」で進んでます。

吉村:なるほど。いいですね。

三上:休憩していいよ、って。でも、前はちゃんと見ようね、みたいなんで。今年も、当分は、ちょっとこれで。目標地に行くまでは、進んでいこうかなと。たとえば、年によって、今年はどんな年になるよ、占いというか、あるじゃないですか。吉村さん的には、2022年、こんな年になりそうだな、世界全体的にですね、という何か、考えはありますか。

吉村:あんまり、僕、そういうのを考えたことがないというか、いろんな人のいろんなことを言ってるのをね、僕もYouTubeとかで情報集めて、こんなこと言ってるな、このひと、こんなこと言ってるな、みたいなのを見ていくわけですけど、同じようなことを言ってることもあれば、ジャンルが違うひとだと、言うことが微妙に違っていたりとかもあるから、実際、その場になってみないと、わかんないよね、という感があるんですよね。だから、どっちかというと、どうなるだろうと、予想がつく部分があるなら、それの予想も役に立つとは思うんですけど、実際、そうなったときに、自分がどう、ちゃんと対応できる自分でいられるか、とか、そっちのほうがいいのかなとも思っているんですよね。この2年で、世の中、ガラッと変わってしまったじゃないですか。

三上:変わりましたね、ほんとに。働き方も、プライベートも、ひととのつながりも、変わってきましたよね。

吉村:だから、これが、また、変わる前にボンと戻ることは、まずないでしょうから、コロナが収束したとしても、おそらくは、既にIT化が進んだ部分に関して、元に戻るということはないでしょうし、そうなると、オンラインでの、仕事の仕方というようなところ、とか、もう世の中がこうなっているというところに、適応して生きていくしかないみたいな部分というのはあると思うんですけど、同時に、物事が便利になったというのもあるわけじゃないですか。。

三上:そうですね。オンラインでお仕事できるかたも、ここ1、2年で、だいぶ増えたと思いますよね。

吉村:在宅で、仕事が完全に完結するんだとしたら、都会に住んでいる必要もなくなってきちゃうわけじゃないですか。ネットさえつながっていれば、どこに住んでいても大丈夫みたいな感じになってくれば、昔だったら、過疎化するしかなかったようなところで、すごい安い家賃で暮らせたりとか、すごい安い家賃でめちゃくちゃ大きい家に住めたりするわけですよ、今。地方に行けばね。僕も、異業種交流会というのかな、いろんな仲間とかでも、地方のほうに移住しているひととかが、ちょこちょこ出てきているんですよね。

三上:へー。この1、2年で、ということですか。

吉村:そうですね。早いひとは、その前からやっていて。こうなることを予想してたのかというぐらいにいいタイミングで、コロナになっちゃった、みたいな感じで、ピッタリのタイミングで、山梨かどこかに、移住して、すごい快適に暮らしているひととかいますよ。

三上:へー。ほんと、たしかにね、ネット環境さえあれば、お仕事できるかた、どんな環境でもできますからね。

吉村:そうですね。自然のなかで、子育てをして、それで、仕事はネットで完結して、みたいな。すごい大きい一軒家で、家賃は、2万だか、3万だか。

三上:えー、そんな値段で、おうちを借りることができるんですか。

吉村:そうそう、一軒家が。

三上:一軒家ですよね。へー、すごい。でも、ガラッと、ほんとに、ライフスタイルも変わったでしょうね、そのかたは。

吉村:まあ、そうでしょうね。ちょっと、ぐるっと歩いてコンビニというわけにはいかないでしょうけど、とはいえね、車でちょっと走ったら、お店とかはあるでしょうし、大体のものは、アマゾンとかで買えちゃうじゃないですか。

三上:たしかに。ネットショッピングできますからね。

吉村:ここでなきゃダメみたいなものが、どんどん、減っていっているということは、あんまりこだわらなければ、快適な暮らしをできるように、自分で自分の人生を設計をし直す、みたいなことができるという、そんな世の中に、どんどん、なっていっているんじゃないかという気がしますよね。

三上:たしかに。わたしの周りも、この1、2年で、フリーランスのかたが、周りに多いので、フリーランスのかたにとっては、ある意味、動きやすいかたも多くなった年じゃないのかなと、個人的な意見なんですけど。それは、すごい感じる、1、2年だったような気がしますね。

吉村:世の中がガラッと変わってしまったことで、突然現れた隙間みたいなところに、身軽なひとがサッと入っていって、今まで存在しなかったようなサービスをそこで展開してしまえば、その分野での一番乗りになれてしまうわけじゃないですか。僕の友達とかで、オンラインで、マルシェだったりとか、エキスポだったりとか、普通だったら、大きい展示会場とかでやっているような、見本市とかも、全部、ズーム使って、オンラインでやり始めているひとがいて、そういう今までになかったものを突然、生み出しちゃう、みたいなことをして、ビジネスに発展しているひとたちがでてきているんで、個人のアイデア次第でね、いきなりボンとはねる、みたいなことが、十分可能になってくるんじゃないかなと、思いますね。

三上:何で、ポンとバズるか、というかね、人気が出るかというのは、ほんとに、そのひとのセンスと感覚とで変わってくると思いますし、ある意味、いろんなことができる、しやすくなった時代でもあるんですかね。

吉村:そんな感じがしますね。突然、乱世になってしまったという感じもありますよね。ビジネスの世界だったら、昔は、大手が全部支配していて、みたいな感じで、中小企業とかは、そのおこぼれで仕事させてもらっていて、みたいなね。大体、情報の発信源って、テレビと新聞と雑誌で、一般のひとは、大体なんでもね、本当らしいよ、テレビで言ってたもん、みたいな会話がね、通用していたわけですけど、今はあんまりね、そういう感じではなくなってきているわけですよね。

三上:そうですね。情報源がたくさんあるなかで、そのひとがどうキャッチして、どう発信していくか、というのが、これも、仕事の関わり方、発信の仕方で、変わってくるでしょうね。ということで、今日は、「2022年」で、寅年スタートしましたので、2022年、みなさんにとって、どういう年になっていくんでしょうか。そして、こころメンテナンス、みなさん、今年も、どうぞよろしくお願いいたします。そして、みなさん、番組欄のほうにですね、メッセージもお待ちしています。なんでも構いません。是非是非、そちらのメッセージもよろしくお願いいたします。吉村さん、では、2022年も、よろしくお願いいたします。

吉村:はい、よろしくお願いします。

三上:はい、本日もありがとうございました。