087.浄化するには

日常の中でネガティブな感情をもらってしまう際に自分自身を浄化するにはどうしたらいいのかお話伺いました。

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三上:はい、みなさん、こんにちは。こころメンテナンス。本日もアシスタント三上恵と、気功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:さあ、今日は、ちょっと、わたしが気になっている話題なんですが、よくSNSとかでも、最近みるんですけど、浄化、今日は浄化しにきました、とか、という、浄化という言葉を最近よくみるなあ、目にするなあというふうにおもっていて、なんとなく、きれいに、というか、流す、というか、そういうイメージはできるんですけど、浄化する方法、わたしたち、一般のかたもできるのか?ちょっと、そんな質問を今日はしてみたいなというふうに思って、テーマを「浄化する方法」で取り上げたいなと思っています。よく、石とかも、浄化するといいよ、持っている石とか、ですね、言ったりすると思うんですけど、浄化というのは、元々、わたしたち人間にとっても、大切なことなんですか?

吉村:ああ。浄化って、要するに、言葉の意味だけをとらえたら、きれいにする、というような意味だと思うんですよね。なんか、汚れをとって、きれいにするというようなことだと思うので、たとえば、体のことでいえば、デトックスするとかっていうのも、一種の、はい、浄化ですよね。体にたまっている毒素をなんかしらの方法で排出するとか、というようなことをしているわけで、だから、ここで言っているのは、エネルギー的な浄化ということなんだろうなと思うんですけど、

三上:はい。

吉村:はい。そういう石とかも、たとえば、長らく、パワーストーンとか使っていると、使用しているひとの感情とか念とかのエネルギーをその石が、吸い取ってくれるから、それによって、そのひとが、言ってみたら、持ち主のほうの余計なエネルギーを石が吸い取ってくれることで、石が持ち主を浄化してくれてるわけですよね。

三上:なるほど、なるほど。

吉村:はい。で、その石が吸い取ったエネルギー的な汚れみたいなものっていうのを、これがここにずっとたまっていくと、そのうちに、もう入んない、となっちゃうと思うんですよ。掃除機もずっと吸っていると、掃除機のなかにゴミがたまって、

三上:あります、あります。

吉村:ね、だから、それを捨てないと、また次、掃除機使えなくなっちゃうから、その掃除機のなかにたまっているゴミやホコリを捨てるというのと同じような感じで、石を浄化する、ということをするわけですね。で、その方法としては、たぶん、たとえば、塩の上に置く、だったりとか、なんか、日光にあてる、とかいろんな方法があると思うんですよ。それは、たぶん、僕はパワーストーンの専門家ではないので、パワーストーンの浄化の仕方ということだったら、その専門のかたにきくと、色んな方法が教えてもらえると思うんですよね。で、ただ、これって、要は、エネルギー的な、たとえば、負の感情とか、負の思念みたいなものを持ち主から、石が吸収してくれたという話なので、要は、僕がクリアリングするとか、ACTを使ってクリアリングしている対象のものなわけなんですよね。エネルギー的な、負の感情とか、思念とかのエネルギー。となると、ひとの磁場をクリアリングすることで、クリアリングしてるというのは、要はひとの磁場を浄化しているわけですよ。

三上:そうだなと思いながら、今話聴いてました。うふふ。

吉村:はいはいはい。僕のクリアリングツールとか、ACTのクリアリングの仕方というのは、石がやっているのと、ちょっと違うのは、石は、吸い込んじゃっているわけですよね。だから、掃除機みたいに、こっちにあるゴミをこっちにまとめて、溜め込んでます、ということをしているわけですけど、クリアリングツールとかACTというのは、その、余計な、言ってみたら、害をなすような状態になっているエネルギーを分解して溶かしちゃうことで、無害な状態にしているんですよね。なので、そこは、その、言ってみたら、そこでゴミが溜まっていくということはなくて、無害の状態にして、言ってみたら、その、流しの排水口に流しちゃってるみたいな状態に近いんですよ。

三上:うーん。

吉村:だから、そうすると、たまらないで済むから、この石とかも、クリアリングすることは可能ということができるんですよね。

三上:うん。

吉村:なので、専門のかたたちのいろんなやりかたがあるでしょうから、そのやりかたと全く同じことができるかどうかというと、ちょっとわからない、いろいろと研究しないと、わからないとは思うんですけど、その石の浄化というのをクリアリングでやることも実は可能で、

三上:そう。うん。

吉村:実際に、僕は、石をみて、この石がどのくらい、負の、不浄なものがたまってるのか、見てわかるひとではないんですけど、みてわかるひとに、みてもらったときに、やっぱり、クリアリングをしたら、輝きが増したと言ってもらったことはあるんで、たぶん、おそらくクリアリングすることで、石の浄化というのができてるんだろうなと思っていますね。

三上:うーん。なんか、浄化してない石は、濁ってるとか、言ったりしますもんね。

吉村:そうですね。それが、その濁りがとれた、ということを言っていただいたこともありますし、あとはですね、わかりやすいところでいうと、僕は、ほんとに、何か数値化できるような要素をもっている、そういう役割をもったフィールドをクリアリングすると、実際に、そのパフォーマンスが上がるから、わかりやすいんですよね。だから、たとえば、お部屋とかね、不動産の物件のお部屋とかも、そこに住んでたひとたちの、言ってみたら、思念とか感情を吸い取っていくんで、負のものがたまっていくという構造は、石なんかと同じようなものなわけですよ。ただ、ちょっと、規模が違うと、たぶん、吸い込める量が、変わってくるんだとは、思うんですけど、吸い込みやすさ、とかね。だけど、やっぱり、負の感情をばんばん出しているひとが、そこに住んでた、部屋ってなると、結構、そのひとが出していた感情が部屋に染み付いていたりするわけですよ。

三上:あります。部屋によっては、どよーんとしてる部屋とか、ありますもんね。

吉村:ありますよね。たとえば、そういうようなところに、次のひとが、入居すると、なんか気分悪いから、やだなってなって、そのひとも具合悪くなっちゃったりするかもしれないし、あんまりひどいと、ひとが見に来て、見に来たんだけど、「ここ、やだな」と思うから、もう決まらない、みたいな感じになっちゃうんですよね。そうすると、入居者がいつまでたっても入居してくれない空室のままになっちゃうってこともあるんですけど、やっぱり、クリアリングすることで、ちゃんと、入居者が次に入ってくれるとか、ちゃんと、その、いい入居者さんが住んでくれて、長く住んでくれる、みたいなことにつながったりもするわけですよ。

三上:うーん。

吉村:で、たとえば、これが居住地じゃなくて、商業用のテナントだったりすると、やっぱり、いい場所では、商売が繁盛するから、お店がながくいてくれるわけですけど、でも、ここの、このエネルギーがよどんでたりとか、負のエネルギーが多いと、ビジネスもあんまりうまくいかなくなっちゃうんで、すぐにつぶれちゃって、次のひと、お店が入ってくるんだけど、またつぶれちゃって、みたいなことが起きるんですね。これも、クリアリングすることで、そこの流れって変わるんで、まさに、それって、そういう、場の浄化っていうことができたっていうことだと思うんですよね。

三上:うーん。でも、ありますよね。いい場所にあるんだけども、一方はすごい長くて、儲かって、同じ場所にあるのに、一方は、すごい、いろいろ、お店変わっていく、なんでだろう、って思ったりするんですけど、今、不動産のかたがきいてたら、ちょっと、ここも頭に入れてほしいなというふうに、

吉村:そうですね。ほんとに。

三上:はい、思いました。やっぱり、じゃあ、常に、自分だけ、人間だけじゃなくても、こうやって浄化するとかいうのは大切になってきますね。持ち物とかも、ほら、長年、誰かが持っているもので、なんか、ほわんって、なんか、ちょっと暗いイメージがするものだったりとか、あると思うんですが、それもきっと、そのかたの感情やいろんなものがつまってるものだったんだろうなって、というのも、そういうのにつながってくるんですね。ね、きっとね。

吉村:そうですね。だから、これは、もちろん、ポジティブな、楽しいとか、うれしいとかという感情も、やっぱり、場所とか物にも、転写していくんで、使っているひとが、どんな気持ちで日々生きているかで、その人の持ち物とかいる場所に与えるエネルギー的なものも違うんですけど、これって、ほんとに、磁場のなかの、言ってみたら、電磁的な情報なんですよね。だから、同じ電波でも、この電波に楽しい情報を載せて送ることもできれば、ネガティブな、その恐れを誘発させるような情報を載せて送ることもできるわけじゃないですか。テレビでも、ラジオでも。みんな、結構やっていますよね。だから、それと同じようなことが、無意識のレベルでも行われているんですよ。だから、一種の電気みたいなものでもあるんで、要は、たとえば、体にすごい静電気がたまっていると、ホコリが集まってきて、ついちゃいますよね。人の体にかぎらず、ですけど、静電気を帯びている場所には、ホコリが集まってきて、汚れやすくなるわけですよ。これって、掃除するんだけど、静電気もとれてないと、また汚れちゃうから、静電気抜いたほうが、汚れにくくなるわけですよね。そんな感じなんで、そういう負のエネルギーというのも、抜いておくと、そこに負のものとか、汚れ、望ましくないものが集まってきにくくなるんで、そういう負のエネルギーとか、それを引き寄せているものっていうのを、取り除いていく、みたいなことが、浄化でもあり、クリアリングを通して、僕らがやっていることでもあるわけですね。

三上:いやあ、いろいろ、やっぱり、つながってくるんですね。

吉村:そうですね。

三上:うーん。わかりました。ありがとうございます。日頃から、こうやって、みなさんも、きっと、物件の話とか、石の話とか、浄化、身近にあると思うんで、改めて、ご自分のなかでも、日々、楽しく生きることって、改めて大切なんだな、それも、周りに、影響を及ぼしている可能性もあるんだな、と思いながら、お話聴かせていただきました。さあ、今日のテーマは、「浄化する方法」で、吉村さんから、お話を伺いました。吉村さん、ほんとうに、いつも、ありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

086.番組、YouTubeについてお知らせ!

Podcastだけでなく、吉村さんのYouTube番組「ゆるライブ」「ゆる友ライブ」について詳しくご紹介頂きました。

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三上:はい、みなさん、いかがお過ごしでしょうか。こころメンテナンス。本日もアシスタント三上恵と、気功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい。さあ、今日は、テーマというより、みなさんにお知らせ、様々な番組や、吉村さんのYou Tube、ACTなど、いろんな、ちょっと、この時間をかりて、みなさんにお知らせしていくコーナーにしていこうかなと、おもっています。実は、先日、吉村さんのYou Tubeの番組に、わたくしも、ご出演させていただきました。ありがとうございました。

吉村:あー、もう、ご出演、ありがとうございました。いかがでしたか?出てみて。

三上:あのねー、楽しかったですよ。久々に、リスナーさん、聴いているかたとのやりとりもできますし、身近に意見も聴けるし、コミュニケーションがとれるというのは、実際に、収録で、お二人、二人で、吉村さんと話をしていても、実際どうおもっているかって、感想を直に聴けないじゃないですか、

吉村:あー、そうですね。

三上:この、だから、ライブの時間は、距離が近くて、とても楽しかったです。あっという間の1時間、1時間半くらいでしたっけ?

吉村:そうですね。そのぐらい。はい。

三上:あっという間の時間でしたね。

吉村:はい。楽しかったですね。ほんとに、僕の、そのYou Tubeの、ライブ配信にいつも来て下さっている、常連のかたたちも、このポッドキャストも聴いているというかたは、ほんとにたくさんいらっしゃるので、三上さんに出ていただけるということで、アナウンスをしたら、結構、みなさん、なんか、あ、ほんとに先にあれだったな、三上さんをゲストで呼んでほしいという話がたしかチャットのなかで出てきたんですよ。それで、

三上:あ、そうなんですか。

吉村:あ、そっか、みたいなんで、それで、その、打診させていただいて、OKいただけたから、出てもらえることになりましたよと言ったら、なんか、結構、みなさん、おおーっ!みたいな感じで喜んでいただいて、

三上:ありがとうございます。わははははは。楽しかったんです。あらためて、なので、吉村さんの、まず、You Tubeの、番組の、ちょっと、紹介をしていきましょうか。

吉村:そうですね。You Tubeのライブ配信は、まず、ふたつのラインでやっていまして、ひとつは、毎週月曜日に僕がひとりで、公開グループセッションというのをやっています。

三上:はい。公開グループセッションというのは、限定のかたということですか。

吉村:いえいえ。これは、もう誰でも見られるもので、はい、だから、言ってみたら、スーパーで試食コーナーみたいなのに近い感じですね。僕が普段お金をいただいて、それをやっている、元々は、その、一対一でセッションをしたんですよね。顔は出さないで、電話越しみたいな感じなんですけど、相談事をいただいて、それに対して、リーディングをして、こういうブロックがあるからこうなってるんだろうなという分析させていただいて、それで、エネルギーを送って、そのブロックをクリアリングしていくというようなことを、もうずっと、やらせていただいていたんですよ。これって、ほんとに、一対一でしか、ずっとやってこなかったんで、依頼が来たら、僕の時間を、たとえば、1時間とかって、使って、おひとりのかたのセッションをじっくりするということになるんですけど、やっぱり、僕の時間とか体力には限りがあるので、

三上:ふふふ。

吉村:そのね、実に多くのかたたちをみていくということができないというところに、かなり僕としては、ジレンマを感じていたんですよ。それを打開する方法として、You Tubeを利用するという方法と、それから、ACTという、自動的にクリアリングするサービスというのを、考えてやり始めたということなんですよね。You Tubeで、最初にやり始めたのは、無音で流しておくだけで、気が整うとかね、エネルギーを込めた動画というのを、最初、配信し始めたんですよ。これは、流しっぱなし動画という再生リストで、僕のチャンネル見ていただくと、いろんな、たとえば、「金運が上がりますよ」とか、「デトックスができますよ」みたいなことだったりとかというのを、いろんなテーマに合わせた動画をたくさん、はい、配信させていただいてるんですけど、こちらは、音も出ないから、ただ、動画を流しておくと、そこから気が出るんで、エネルギーが出るから、そういう、いろんな用途に合わせて使ってくださいね、というものなんですけど、で、そのほかに、ライブ配信で、僕が直接出て、生放送で、リスナーのかたとチャットを使って、やりとりしながら、配信していくという、やりかたで、ひとつは、三上さんにも出ていただいた、ゆる友ライブというもので、これは、毎回いろんなゲストのひとをお呼びして、僕が気になることとかをお聞きして、そのかたを深掘りしていくというもので、これは半分僕の道楽みたいな部分でやっているところもあるんですけど、きっと、リスナーのかたたちにも、有益な情報とか、みんなが知りたいことを、ここで一緒に聴けるんじゃないかなというのもあって、やっているわけですね。あと、もうひとつが、さきほどから、今お伝えしている公開グループセッションですね。これは、ゆるライブという名前でやっているんですけど、毎週月曜日。これは、この配信の時間って限定されていて、しかもその、ひとりじゃなくて、多くのひとがチャットに、相談をあげてくれるんで、それを順番にリーディングさせていただいて、その短い時間でクリアリングできそうなところだけ、クリアリングしていくというやりかたをしているんですよ。だから、個人セッションだと、ほんとうに、おひとりのかたに、じっくり時間かけて、深掘りしていくんで、かなり、隅々のほうまで、潜在意識とか、磁場のなかをお掃除していくということができるんですけど、それと比べると、ほんとに、ちょっと、ささっという感じで、何人かのかたたちを次々とリーディングしてクリアリングしていくということをやっています。

三上:ふーん。毎週月曜日の、時間って決まってましたっけ?

吉村:月曜の8時からやってますね。ライブは、月曜日の8時から。

三上:たとえば、個人セッションをする前の、入るきっかけとして、気になったかたは、是非、みていただいて、チャットのほうにもコメントしていただきたいと、ね、思いますね。

吉村:そうですね。

三上:あと、ゆる友ライブは、これ、不定期ですか?

吉村:あの、基本的には、水曜日の夜8時からやっていることが多いです。

三上:はい。水曜日の夜8時からやっていることが多い、ということで、ほんとに違う職種のかたが出たりとかね、ふふふふ。毎回、カラーが違うので、ふふふ。

吉村:そうですね。ゲストのかたの都合でね、ちょっと時間がずれたりとか、曜日がずれたりとか、多少あるんですけど、ほんとにいろんなかたに出ていただいてますし、あと、結構、レギュラー的な感じで、3ヶ月、4ヶ月に1回くらいのペースで出ていただいているかたたちもいるんですよ。

三上:ほー、なるほどですね。へー。じゃあ、わたしもその可能性もあるということですね。

吉村:是非是非。三上さんさえよければ、レギュラーで、3、4ヶ月に一度、出てもらえると、

三上:はい。また機会があれば、是非、お願いします。

吉村:この間の配信のあとに、結構、リスナーのかたたちから、三上さんとはなしているときの吉村さんは、いつもよりも、笑顔が多かった、みたいなコメントが、

三上:(笑)

吉村:はははは。

三上:いや、うれしい。うれしいことです。

吉村:はははは。そういうふうに見えたんですね。

三上:でもね、ほんと、距離が、今きっと聴いてるリスナーさんも、そのときに、もしね、また出る機会があったら、からんでいただければ、わたしもハッピーなんで、またね、ご一緒させてください。はい。

吉村:あー、是非是非、よろしくお願いします。

三上:これ、告知、たとえば、ゆるライブに関しては、毎週月曜日夜8時から、ということなんですが、ゆる友ライブに関しては、水曜日の夜8時ですけど、ゲストとか、時間という、事前にわかったりはするんですか?

吉村:はい。僕のホームページがあるんですけど、こころメンテナンスの、そちらのトップページから下の方にスクロールしてもらうと、スケジュールカレンダーというのがありまして、そこのカレンダーに、配信の予定の日は、全部入れてあるんですよね。だから、ゲストのお名前だったりとかは、そちらでみていただくことができます。

三上:あっ、ということは、いつ配信されるのか、今回はどのゲストかということを事前にチェックすることができるということなので、是非是非、みなさんも、このポッドキャスト以外の、You Tubeのライブ配信を是非チェックして、コメントも。贅沢ですよね、コメント入れて、吉村さんが返事をその場で返してくれるなんて、とても素晴らしい時間になると思いますので、お時間あれば皆さんそちらも。

吉村:はい。是非、よろしくお願いします。

三上:ということで、今日のこの時間は、ですね、番組、そしてYou Tubeに関するお知らせ、みなさんにご案内させていただきました。はい。毎回聴いている、リスナーのみなさん、是非是非、You Tubeもチェックしてください。はい。吉村さん、本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

085.下半期ためになるヒント

今年も残り半分をきりました。
皆さんやり残した事はありませんか。
達成感がない自分がいませんか。
下半期楽しく過ごすためにも聞いて頂きたいお話です。

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三上:はい、みなさん、こんにちは。こころメンテナンス。本日もアシスタント三上恵と、気功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:さあ、暑い日が続いておりますが、もう1年も半分、あっという間に過ぎましたね。

吉村:あっという間ですね。。

三上:あっという間ですよ。ほんと、年を重ねると、早いなとおもったりもしますが、さあ(笑)、今日のテーマは、あの、もう、ね、下半期ということで、たとえば、1年、もう、あと残り半分じゃないですか。なんか、このまま、1年過ぎていいのかなと、私自身も、なんか、大丈夫かなという不安があったり、このまま、また1年迎えたくないな、まだ、やりたいことあるはずなのに、というかたも、中には、多いと思うので、今日は、吉村さんに、「下半期、ためになるヒント」、なにかアドバイスを頂けたら、と思いまして、こちらをテーマにとりあげてみました。

吉村:なるほどです。はい。そうですね、その、下半期、この残りの下半期をどう過ごすかみたいな話の前に、要は、ちょっと、あせりがあるひとが多いんじゃないか、という、ことなのかなというふうに、ちょっと、今話をきいてて、きこえてきたんですけど、そういう感じでとらえても、よいでしょうかね。

三上:そうですね。わたし自身、そうだと思います。なので、この考えが出たと思います。はい。

吉村:はいはいはい。そうですね。だから、あせりが出てくるということは、もっとやれたことがあったはずなのに、やれてないなあ、みたいなことだったりとか、今までの、ここまでの自分の歩みに対して、評価を下していて、なにか、ちょっと足りていないんじゃないかという考えかたが出てきてるということなんじゃないかなと思うんですよね。

三上:確かに。うふふふふ。

吉村:ふふふふ。で、なにか、時間遡って、そこを穴埋めすることができるかといったら、そんなことはできないので、このあと、どうするかということを考えたほうがいいわけですよね。ただ、とはいえ、じゃあ、なんで、ここまでのところで、やりきれてない感が残っているのかというところでいうと、おそらくは、振り返ってみたときに、あのとき、あれができていたかもしれないのに、やらなかったわたしがいるな、というところが見え隠れするんで、なんか、あのとき、もっとちゃんとやっておけばよかったとか、これもチャレンジしておけばよかったみたいなことが、今年の下半期にかぎらず、人生通して、いろいろあるから、だから、今年もあっという間に半年過ぎてしまったという話になっているんだと思うんですよ。

三上:はい。ずばり言われました。はい。うふふふふ。

吉村:はははは。はい。なので、何が足止めしてるのかみたいなところでいうと、成功するかどうかわからない、失敗して恥をかいたらやだなみたいな、要は、失敗するとか、かっこ悪い思いをするみたいなことをおそれているわけですよ。

三上:うんうんうん。

吉村:これって、言ってみたら、僕たちの、その、祖先のひとたちが、長年、たぶん、旧石器時代とかから、群れをつくって暮らしている時代から、僕たち、社会のなかで生きているんで、野生動物の弱肉強食のなかのサバイバルとは別の、人間のコミュニティのなかでもサバイバル術みたいなものというのが、だいぶ、その、しみついているわけなんですよ。ね。

三上:うんうん、うんうん。

吉村:言ってみたら、昔のひとたちって、群れをつくって、限られた、その、たとえば、スペースであったりとか、限られた食糧のなかで、生きていくためには、仲間から、自分は重要な人間だっておもってもらう必要があるわけですよね。そうしないと、狩りに行ったときに、ピンチになって、野生動物に、肉食動物に襲われているみたいなときに、自分がこの群れにとって、重要な人間だと周りのひとたちがおもっていたら、たぶん、みんな必死で助けてくれるんですよ。あいつが死んだら、このあと、困るから。だけど、自分がたいしたことないやつだと思われていたら、あいつひとり死んでも、この先困らないし、たぶん、食い扶持がひとり減るから、むしろいいだろう、みたいな感じで、見捨てられちゃうかもしれないわけですよね。

三上:うん。

吉村:だから、そのために、自分はすごいやつなんだぞというアピールをしなきゃいけないというのは、たぶん、長年の刷り込みで、構築されてるんで、それで、一所懸命、いいカッコしようとするんですよね。

三上:そうですね。あると思う。見栄とかね。

吉村:その、見栄とかね。それは、現代社会で、あんまり効果がないというか、すぐばれちゃうんですよ。今って、もうね、情報が簡単に手に入るし、まわりのひとたちと情報交換すれば、あいつ、カッコつけてるけど、全然薄っぺらくて、中身ないよね、みたいなことは、すぐばれちゃうから、そういう表面を取り繕って、いいカッコするということが、要は、社会のなかでのサバイバルの戦略として、もう通用しなくなっちゃってるんですよね。

三上:うん。

吉村:となると、実の部分のほうが、ほうを、上げていくことが、ほんとは、より重要な話になってくるわけですよね。だから、ちゃんと自分がやりたいと思っていることをきちっとやって達成できているとか、自分がちゃんと充実感、満足感をもって生きているということのほうが、表面的にみて、まわりからかっこ悪いと思われない、みたいなことよりも、ほんとは、重要だから、そっちのほうに意識を向けたほうがいいわけですよ。

三上:うーん。なるほど。うん。

吉村:となると、本当に自分が成長したいんだったら、むしろ、失敗を繰り返して、そこから学んで、実際にちゃんと内面的にも、成長していく、その結果、周りのひとたちからの評価も後からついてくるものとして、上がってくるという、順番ですよね。そういう戦略で生きたほうが、今の社会のなかでのサバイバル術としても、理にかなっているわけです。

三上:じゃ、これから、ちょっと、わたしみたいに、なにかね、達成感がないと思ってたひとって、日々の、毎日の、今の時間が充実してたら、そんなことは、きっと、ないでしょうね。

吉村:うん。そうですね。あとは、いろいろと新しいことにチャレンジするみたいな、大きなことじゃなくてもいいんだけど、たとえば、やったことないことをちょっとやってみるとか、通ったこと無い道を通ってみるとか、そんなことをすることで、自分の世界がひろがっていくわけじゃないですか。

三上:ふんふん。

吉村:それは、失敗したくないとおもっていると、既に知っている安全なところで、生きていこうとするから、どんどん世界が狭くなってっちゃうわけですよね。そのなかでは、かっこ悪い思いもしないかもしれないけど、成長もないという状態になっちゃうから、これちょっと気になるなとおもったら、調べてみるとか、ちっちゃな行動というのを、いつも、ちっちゃなチャレンジ、ちっちゃな新しいことみたいなのをちょこちょこやっていくことで、自分の経験値が上がっていくわけですよね。それによって、だんだん、自分の世界がひろがっていくし、これがその、ちょっと失敗したくないから、安全なとこにいようみたいなことをやっていると、結果的には、どんどん、どんどん、自分で自分の首を真綿でしめているみたいな状態になってっちゃうんですよ。なんでかというと、時間が過ぎていくスピードって、年齢とともに、どんどんあがってっちゃうんですね。

三上:そうなんですよ。速いんですよ。はい。

吉村:これは、もう相対的なもので、ちょっと考えてもらえばわかるのは、1年の長さって、一歳のこどもにとっては、今までの一生分の長さと一緒なんですよ。だから、すごい、とてつもなく長く感じることなんだけど、僕なんか、今年53歳になるから、僕にとっての1年間って、53分の1、自分の人生の時間の53分の1でしかないですよね。ということは、1歳のこどもよりも53倍速いスピードで一年が過ぎていくんですよ。これは、来年になったら、僕の1年間は、54倍になっていくんですよね。

三上:えっ。(笑)

吉村:どんどん速くなっていくから、だから、まだいいだろうとか、またちょっと後にしようとおもっている間に、時間の過ぎるスピードはどんどん速くなっちゃうから、ほんとに、気になったことがあったら、すぐに調べてみる。別に、調べてみて、別にいいかなとおもったら、それはそれでいいんですよ。ただ、ちょっと、この道、どこにつながってんだろうとかおもったら、試しに行ってみるとかね、もちろん、治安の悪い地域とかもあるから、そこは、気をつける必要あると思うんですけど、自分に、安全にある程度気をつけながら、常に新しいことをさがしてみるとか、チャレンジしてみるということをして生きていくと、たぶん、やり残したなあとか、こんなことでいいんだろうかという感じにならないで済むんじゃないかなと思いますね。

三上:あ、いいご意見を今日はたくさんいただきました。そうなんですよ。人生はね、長いようで短いですから、きっと。

吉村:そうですね。

三上:だから、居心地がいいって留まるのはね、確かに居心地はいいかもしれないけども、わたしみたいに、「あー、あと半年!」というのも、たぶん、達成できていないというかたも多いと思うんで、日々、小さな変化でもいいから、ちょっとでも前に進んで行くというのは、大切なことなんで。

吉村:そういうことですね。

三上:うーん。大きくなくてもいいので、わたしも、小さな変化をつけて、一年、あ、今年も楽しかったっていうふうに終えるよう、楽しみたいと思います。はい。

吉村:はい。

三上:今日は、いろいろアドバイス、ありがとうございました、吉村さん。

吉村:ありがとうございました。

 

084.人生は修行なのか?

魂を磨き続ける人生は修行なの?
今ある人生において修行は大切なの?
気になる吉村さんのお話伺いました。

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三上:みなさん、こんにちは。こころメンテナンス。本日もアシスタント三上恵と、気功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい。さあ、今日のテーマ、わたしたち生きている、今の、この時代、「人生は修行なのか」

吉村:はははは。

三上:どうなんでしょうか。教えてください。(笑)ということで、テーマ「人生は修行なのか」で、吉村さんにいろいろきいていこうかなと思うんですけど、

吉村:はいはい。そうですね。結構そういう言い分というのは、よく耳にするんですよね。たとえば、ちょっと厳しめの宗教とかに入られてるかたたちだったりとか、結構昔ながらのそういう、精神世界のことをあつかっているひとたちは、大体そういうことをおっしゃっている場合が多くて、「修行をして魂を磨いていくことが目的なんだ」ということをおっしゃるかたたち、多いなと僕思うんですけど、そこでちょっと、僕は、やや「あれ?」と思うところがいくつかありましてね、

三上:はい。

吉村:普通、なにかこう、練習するとか、練習してなにか技能を身につけるみたいなことって、言ってみたら、修行ってことじゃないですか。

三上:はい。

吉村:だから、これが、何かの練習をするということは、何かの技術を身につける、技能を身につけて、たとえば、その世界でプロとして活動できる自分になる、とかね、目的があって、そのための練習をするわけですよね。そうすると、その目的、練習って、目的のための手段であって、練習すること自体が目的ではないじゃないですか。

三上:そうですね。たとえば、試合に出るために練習して、という目的がありますよね。

吉村:そうですね。そう考えると、人生は、修行をして魂を磨く、その修行が目的なんだとなったときに、「その修業って、なんのためにやってんの?」みたいな感じがするんですよね。魂を磨くといっても、「魂を磨いたらどうなるの?」ということが、あんまり見えてこないんですよね、その話だと。

三上:うーん。

吉村:なんで、「ほんとにそうなのかな?」という疑問が、僕は、出てきたんですよ。

三上:今、お話きいて、わたしも、「ずっと修行」はしたくないです。

吉村:ねえ、そうですよね。「ずっと修行」だったら、いつまでも、試合に出ることもなく、ただ、なんかね、ウサギ跳びをし続けるみたいな話、

三上:(笑)

吉村:「ええー、それほんとにやりたいの?」って話になっちゃいますよね。実際そういう感じで、「顔色が土」みたいな状態になって、苦しい人生を生きているかたたちというのも、目にしてきているわけですよ。ほんとにそれが、すごい、行くところまで行くと、「人生楽しんじゃ、駄目だ」みたいな言い分とかにもなっちゃうわけですよね。苦しんで修行をすることが目的だから、楽しむべきではない、みたいな、自己啓発の厳しいやつとか、ちょっとその、かわった宗教みたいなのに入られているかたたちの話をきくと、そんなようなお話が多いんですよね。実際、そのひとたちは、確かに、はたからみてても、そんなに幸せそうにみえないわけですよ。そうなると、「なんのためにやっているんだろう?」という感じがするんですよね。そこは、その、今苦しい思いをして、なんか、死んだあとに天国で幸せになるために、今これを、この苦行を耐えているのである、というような話があるんですけど、「実際、それ、見てきたの?」というのは、ちょっとわかんないですよね。なので、目的があって、それに対して修行をするというのは、全然ありだと思うんですけど、目的がはっきりしてないのに、ただ、その人生の目的自体が修行そのものである、みたいな捉え方をすると、別にそれが正しいか、正しくないかはわからないけど、正直、目的がはっきりしないまま何かをやる、というのは、迷子になる、一番の要因なわけですよ。目的地がわからないのに、まず歩き出しちゃうみたいな、ね。「その辺を散歩、散策したいんです」と言ったら、それはそれで、散策という目的があるじゃないですか。これが、目的が全然わからなくて、ただあるき出すっていったら、それはその、ちょっとあれですよね、アルツハイマーの入っちゃったひとが、徘徊してるのとあんまりかわんない状態になっちゃうわけですよ。

三上:そうですね。(笑)

吉村:なので、別に、修行という捉え方もいいとは思うんだけど、なんのためにこれをやっているのかというのを、ちゃんと、自分が、その、はっきりかたちとして、腑に落ちる、成果が得られるような目標を立てて、やらないと、それこそ、死んだあとに天国で幸せになれるはずだ、とおもっていて、苦しい思いをして一生、きましたってなって、死んだときにおもっていたのと違ったら、その間の修行全部、無駄になっちゃったっていうことになりかねないわけですよね。

三上:そうですよね。死ぬ間際に、きっと感じることがたくさんあるんでしょうね。

吉村:本当に、修行をするためだけに、この世界に来てるんだとしたら、その先に何か修行をして得られる成果があるはずだと思うんですけど、でも、結構、ひとは、何度も繰り返し、輪廻転生を繰り返して、この世界に来ているわけですよね。だから、そういう意味では、なんかこう、僕たちは、結構、この世界のリピーター率が高い、この世界が結構リピート率が高い世界で、みんながリピートして来ているわけなんですよね、で、もし、ほんとに、死後の世界で幸せになるために、今苦しんで修行をしているんですっていう話だとしたら、みんながそれをやっていてもおかしくないし、この世界に、言ってみたら、幸せとか喜びって無いはずじゃないですか。だから、実際に、僕たちは、たいへんな状況を乗り越えて、何かそれによって、親しいひととの関係、絆がより深まって、これが自分の幸せにつながる、みたいな、そういう経験とかを自分自身でしていることもあるでしょうし、周りのひとたちがそういう経験をしているのを目にしてきているわけですよね。ということは、これが、人生、苦しい思いをして修行をすることが目的なんです、となった場合、そういう、この世界における、喜びとか感動とかってものが全部、そういう死の、死んだあとに天国に逝くことを邪魔する誘惑みたいなものなのか、みたいな、そういう理屈になっちゃうんですよ。実際、そういう理屈で生きているひとたちって、いると思うんですよね。たとえば、僕、アメリカに行ったときに、最初に入った高校って、結構厳しいキリスト教の学校で、そこもかなり、現世的なものはすべて、悪魔の所業で、聖書の教えに沿って生きることだけが、真の、天国へ逝く条件だ、みたいなことを言ってたわけですけど、その学校の先生方とか、教会の牧師さんたちとか。それが、だからね、それでそのひとたちが満足してるなら、それでもいんですけど、それを今度まわりのひとたちに押し付け始めると、押し付けられた人たちは、結構苦しい思いをすることになるわけですよね。それこそ、高校生時代の僕とかは、かなり、自分自身の、自分が幸せに生きるということに対して、かなり罪悪感を植え付けられちゃったとかって、した時期もあるわけですよ。

三上:えー。

吉村:好きなことばっかやってると、地獄に落ちるぞ、みたいなことをずっと言われ続けていると、もしかしたら、そうなのかもしれない、地獄こわいな、みたいな感じになるわけですよね。

三上:そうですね、洗脳じゃないけど、ね。うん。

吉村:そうそうそう。それもなんか、僕問題起こして、そこの学校、退学になっちゃったんで、別の高校に編入してるんで、そっちでは、また全然、先生の子どもたちに対する接し方とか、全く違ったから、なんかだいぶそれで、僕は救われたし、そのおかげで、学校で勉強することも楽しくなってきたから、成績も上がって、ちゃんと州立の大学に進むこともできたりとかっていう、その、目に見える、何か成果を生み出せたんですよね、少なくとも。

三上:うん。

吉村:だから、ここの世界で、全く、目に見える成果がないままで、死んだ先に、あるかどうかもよくわからない、天国のために、苦しい思いをし続けるというのと、着実に一個一個、目に見える成果を積み上げていく、その間にも、たくさんの幸せだったり、感動だったり、というのを得られる人生と、どっちを選ぶか、という、最終的には、そういう選択の話にはなっちゃうと思うんですけど、僕はいつ来るかわからない、天国での永遠の喜びというよりも、なんかいろいろ、いいこともわるいこともあるけど、そのなかで、一歩一歩進んでいって、自分の人生がちょっとずつよくなっていく、それこそ、ちゃんと修行をしたら、それに見合ったレベルアップがついてくる、みたいな、そういうゲームみたいなのをやってるという捉え方でこの人生を生きていくほうが、僕は幸せだなと思うんですね。

三上:わたしも同じくそう思います。

吉村:だから、ほんとに、その、他の宗教のことを悪く言いたくもないんですけど、世の中には、神の教えにそむくやつは、ぶっ殺してもいいんだ、みたいなことを教えとして、伝えている宗教とかもあるわけじゃないですか。だから、その、神の教えにそむくやつらを、たくさん殺せば、それで天国に行けるからっていうふうにして、小さいこどもに爆弾もたせて、自爆テロやらせたりするようなひとたちも世の中にはいるわけですよね。それって、たぶん、その宗教を信じているひとたち全員が、それをよしとしているということは、僕はないと思うんですよ。だから、一部の、その、過激な捉え方、極端な捉え方をしているひとたちが、そういうおかしな方向に行っちゃうのかなと思うんで、だから、バランスをちゃんととって、生きていくためには、何かしら、ちゃんと、目に見える指針であったりとか、ちゃんと、今、これがうまくいってるのかなということを常に確かめながら進んでいくということは大事だと思うんですよね。

三上:うーん。確かにそうですね。こういうこともあるけど、ああいう、自分で、やっぱりセンサーはって、いろんなのをみて、最終的に、自分で判断するというのは、ほんとにね、大切になってきますし、それも、次の世代の子どもたちに、やっぱり、なんだろうな、子どもたちだけでなく、親の環境とか、そういうまわりの環境って、受けやすいと思うので、まだちっちゃい子供なんて、選択なんて、選べないので、やっぱり、わたしたち、大人自身が、いろいろ学んで、子どもたちにもいい環境を作ってあげるというのも大切になってくると思いますね。

吉村:そうですね。だから、なんにも考えないで、とりあえず、ウサギ跳びしとけ、と言うような、ふふふ、ふふふ、なんかそれは、僕は、ちょっとね、すくなくとも、これからの時代には、そぐわない、なんか、その考え方、方法論かなと思うんで、だって、ウサギ跳びをしたことで、この競技のこの部分のパフォーマンスが実際に上がりました、とかっていうのって、ちゃんと検証すれば、本当に上がるのか、上がらないのか、なんか、ただ足を傷めるだけなのか、というのは、わかるわけじゃないですか。実際に、それを、スポーツ科学のひとたちが検証してきた結果、ウサギ跳びはやんないほうがいいんじゃない、というような結論になったわけですよ。

三上:(笑)

吉村:だから、世の中、そういう思い込みで、これが正しい、っておもって、やられていたことが、よくよく検証したら、なんか、これは、あんまり意味ないんじゃない、とか、かえって、逆効果だよね、ということがわかったということが、いっぱいあるわけですよね。

三上:(笑)そうですね。さあさあ、今日、みなさん、お話きいて、さあ、修行は必要なのか、そうじゃないのか、いろんな考えがあると思いますが、みなさん、今日、お話をきいて、どう思われたんでしょうかね。いろいろ感じていただける時間になったと思います。ね、あの、そうなんですよ。ね、今、いろんなテーマでお届けしているんですけど、是非、なんか、みなさんから、感想とか、ご要望とか、次回、こういったテーマ、取り上げてほしい、とかっていうのが、あったら、是非、リンクのほうから、コメントとかメッセージをいただければ、うれしいなと思いますので、ね、是非、みなさんからのメッセージをお待ちしております。はい。吉村さん、本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

 

083.夏に向けてわくわく

今年の夏は何をして楽しみますか?最近何かわくわくする事ありましたか?
自分に自信が持てると更に楽しみが増えるかも、そんなお話です

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三上:はい、みなさん、いかがお過ごしでしょうか。こころメンテナンス。本日もアシスタント三上恵と、気功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい、みなさんは夏に向けて、いろいろな計画立ててますでしょうか。三上はね、満喫しようということばっかり考えているんですが、今日はですね、テーマ「夏に向けてわくわく」、そういうわくわくになるようなヒントを吉村さんからいろいろ、お話伺えればなと思います。ずっと、コロナ禍でね、なかなかでかけられなかったっていうかた、多いと思うんですけど、徐々に、やっぱり人出も、沖縄もそうですけど、観光客の方も結構いらして、前のにぎわいが少しずつ戻ってきているんですが、

吉村:はい。

三上:はい。どんな「夏に向けてのわくわく」、話していきましょうか。

吉村:そうですね。僕、自分が生まれたのが夏なんで、結構なんかね、1年の中の季節というと、夏が一番、なんだろうな、特に理由もなく、わくわくするとか、居心地のいい感じがするんで、それって結構、他の誕生月がいついつですというひとに話をきくと、そのぐらいの時期が調子がいいって、よく耳にするんで、なにかそういうね、生まれたときの宇宙の波動というのは、そのひとのなかにずっと残り続けているから、自分の波長と今の宇宙の波長が近くなったときにいい感じになるというのはあると思うんですよね。

三上:ふーん。

吉村:そうすると、冬生まれのひとは、夏ワクワクしないのかといったら、ちょっとそこはわかんないんですけどね。

三上:リスナーさんに、逆に教えてほしいです。冬に生まれた方、冬はわくわくするのかどうか。

吉村:はい、ね。僕は個人的には夏は、ほんとにそれこそ、花火大会があったり、夏祭りがあったりとかっていうので、なんだろう、すごい楽しい感じなんですけど、このコロナになっちゃってから、そういう夏祭りとか花火大会とかがなくなっちゃっているんで、そこを早く復活してほしいなという気持ちはすごくありますね。

三上:うーん。同じくそうですね。夏というか、6月、6月生まれなので、梅雨明けと同時に、わたしのテンションも上がるという上では、それもあるのかなという(笑)。沖縄はね、6月くらいに梅雨に入るって、そうそうそう。

吉村:ほー、6月末がお誕生日なんですね。

三上:そうなんですよ。

吉村:ほー、今ちなみにこの収録してる日が6月の末のほうなんでね、

三上:そうなんですよ、あしたなんですよ、吉村さん。わははは。

吉村:そうなんですか。

三上:収録日の翌日、明日が誕生日なので、今日はね、わくわくしてますよ。

吉村:あー、いいですね、それはおめでとうございます。

三上:はい。少し早いですけど。今話して、気持ちがなんとなく、わかると思いました。

吉村:はははは。そうですね、今、沖縄はね、完全に梅雨明けちゃってるわけですもんね。

三上:そうなんですよ。だから、この時期が、すごい、梅雨の時期は、いつ明けるんだろう、いつ明けるんだろう、て思いながら、梅雨明けと同時に、わたしのテンションは1年の中で、マックスなんですね。

吉村:なるほどですね。

三上:なので、今もマックスの状態です。うふふ。

吉村:ふふふふ。よかったです。なるほどですね。はい。

三上:やっぱり、夏になると、今はほら、コロナ禍で出れなかったからか、やっぱ恋愛するのも、ね。昔だったら、何泊もできたかもしれませんけど、今ってコロナ禍でなかなかマスクしてると、マスクとったときに、「あら、違う」、「イメージと違う」という、わかんないですよ、もしかしたら、いるかもしれないじゃないですか。なんか、こう、出会うヒントとか、なんか、ありますかね。

吉村:うーん。なんかやっぱね、夏になると、みんながちょっとこう浮かれた感じの波長になるという感はありますよね。たとえば、ドラマなんかもね、夏にやるドラマとかは、ちょっとそういう、なんだろうな、なんだろ、軽い感じの恋愛を題材にしたドラマがすごい多かったりして

三上:ひと夏の恋、とかね。

吉村:わはははは。そんなイメージ、ありますよね。はいはい。なんか、元々、いつもの日常と違う感覚で、特別なところに行ったりすると、それによって、気分が既に高揚している状態で、初めて誰かに会ったとなったら、高揚した気分で、そのひとをみたときに、その高揚した感じが恋愛の感情に近いみたいなのって、ちょっとこう「吊り橋効果」的なものがあったりすると、「あ、このひと、ビビッときた」みたいなことがある可能性はありますよね。だから、「このひとが運命のひとに違いない」と思って、がーっと突き進むんだけど、しばらくして、熱が冷めてきたら、「あれ、やっぱ違ったかもしれないな」みたいなことって、話もよくきくんですけど、そこら辺は、ある程度、慎重さみたいなものをもったほうがいいんじゃないかなというふうには思いますよね。

三上:そうですね。

吉村:最近の若いひと全般が、恋愛離れをしているみたいな話もきくんで、

三上:ニュースとかでもあがっていましたね。

吉村:ねえ。でも、それって、結構、世の中がきゅうくつになってきているとか、貧富の差みたいなものが出てきたりとか、若いひとがかなりきりつめた生活をしなきゃいけない状態に世の中全体がなってってるみたいなところで、恋愛するにしても、お金かかるしみたいになっちゃってる部分もあるかもしれないし、あとは、自分に自信がなくなっちゃてるみたいなひともおおいんじゃないかと思います。そうすると、恋愛とかパートナーみつけるって、自分自身をプレゼンして、「僕と一緒にいると、こんないいことありますよ」みたいなことをプレゼンして、相手のひとが、「それ、いいっすね」みたいな感じになったときに、「じゃあ、一緒にどこか行きましょうか」とか「共に時間を過ごす、そういう時間をふやしていきましょうか」って話になった先に、結婚とかいう話も出てきたりすると思うんですけど、なかなか、自分自身を自信もって、「はい、こんなわたしです。どうですか」みたいなことがしにくくなっちゃってるのかなと思いますよね。

三上:うーん。ただ、やっぱり言ってました経済的な部分とか、自由がなくなるのが嫌とか、これは、ニュースでわたしがみたものなんですけど、

吉村:うんうんうん。

三上:やっぱり、自分に余裕があったり、心の面、金銭面の余裕がないと不安という意見も結構多かったりとか、

吉村:うーん、だから、社会的な制約みたいなもので、若いひとが恋愛したりとか、結婚、子育てを視野に入れた関係性を構築するのがすごく難しくなっちゃってるというのはあるのかなと思うんで、制度の部分って、政治に詳しいひとだったら、選挙のときに投票することで世界は変えられるんだみたいな感じで思われたりすると思うし、それもある意味間違ってはいないと思うんですけど、アプローチのひとつとしては。ただ、自分の内面が変わることで、現実をよりよくしていくことができるなと僕は思って、内面のなかにある、そういった不安であったりとか、自分の自信をなくしてしまっている要因をちょっとずつ見つけて手放していくというのは、今現時点で、そこまで、余裕、金銭的な余裕がなくても、自分は自分の力で頑張って、人生切り開いていけるんだというような、そっちのほうの安心感みたいなのが得られると、自由にすきなことだけやって、誰にも束縛されないという楽しみかたもあるかもしれないけど、自分が好きなものとかを共に分かち合う相手がいると楽しいかもね、みたいな感じになってくると、波長がちゃんと合うひとと、必要性が合って、人間関係がつくっていける可能性もあると思うんですよ。それが、必ずしも、恋愛でなきゃ駄目ってことでもないと思うんですけど、セルフイメージが低いと、恋愛にも発展しにくいというのはあると思って、たとえば、エステに通って、脱毛することで、自分に自信をつけるという方法もあるかもしれないですけど、まず、自分にOKを出せる自分みたいなね、要は、現状このままの自分でも、まずはOKと、だから、ここから、よりよくするには何ができるだろうか、みたいなことが、そういう発想でいくと、また、引き寄せるひとの質とかも変わってくるんで、それで、「夏だから」とかいった話とはまた違った話にはなってきちゃうとは思うんですけど、ははは。周りの「わーっ!」という雰囲気で流されていたのとはまた別に、自分軸で自分の人生どうしていくか、どんなひととそれを分かち合って生きていきたいか、みたいなことができてくると、そういう恋愛離れみたいなところとはまた違った流れが自分でもつくっていけるんじゃないかという気がしますよね。

三上:そうですよね。それはもう感じます。だって、昔なんて、もちろん金銭的にも大変だったりとか、自由はいまほどなかったり、そんななかでも、普通に恋愛をして、というかたは多かったじゃないですか。やっぱり、その、社会的な部分でそういった環境になって、自分自身の内面の部分が、という若い方が増えているというのはあると思うので、恋愛だけじゃなくても、いろんな幸せをみつけていただきたいなと、まあ、何が幸せかって、そのひと次第なんですけど、

吉村:そうですね。

三上:ね。

吉村:だから、その、どういうかたちでもいいけど、なんかしらの希望をもって、生きられる状態かどうかっていうこと、そっちのほうが大事だと思うんで、なかなか、未来に希望がもてないと、なんにもやる気が起きなくなってきちゃうということはあると思うので、与えられた「これが正しい幸せの形です」みたいなのっていうのが、みんなが合わせていた時代というのが、たぶん、あるんですよね。そこで、それで幸せに思える人はいいんですけど、でも、万人の幸せって全部一緒じゃないから、そこからあぶれちゃったひとたちというのが、「なんか、やってらんねーぜ」みたいになってきたというのがあって、なかなか、「世の中、みんな、同じ価値観で生きられないよね」ってなってきたんで、たぶん、今、多様化しているんですけど、多様化している状態に、僕らの心とか世の中の制度とかが、たぶん、ついていけてないから、

三上:うーん。

吉村:だから、そこをうまいこと、やっぱり、多様化していて、みんながみんな違う価値観で生きていてもいいよね、という方向になんとか、もっていけると、もっとみんな幸せになる、生きていく選択になるんじゃないかなという感じがしますよね。

三上:そうですね、はい。今日は、ちょっと、話が途中から変わっていったんですけども、やっぱり、統一するのは、自分自身が楽しまないと、結果、「あれ!?」ということが、どちらにしろ、夏の恋にしろ、ある場合もあるかもしれないので、まずは、自分自身に少しでも、自信をもてることとか、自分自身を見つめ直すこととかっていうのは、恋愛においてもそうですけど、そうでなくても、大切になってくると思うので、まず自信をもつと楽しくなりますもんね。

吉村:そうですね。それで、自分の軸みたいなものがちゃんとできてきますからね。

三上:はい。わたしもだんだん、だんだん、できてきて、周りのことは、気にするときもありますけど、気にしないときも多いです。はい、楽しんでいます。

吉村:いいと思います。ふふふ。

三上:バランスをとりながら生きておりますので、是非みなさんもこのテーマをきっかけに、ちょっと自分自身見つめ直していただきたいと思います。はい、今日も、吉村さん、ありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

082.海を眺めたくなるのはなぜ

波の音や海風を感じながら海に癒されるというかたも多いのでは。
人間と海の関わりについてお話伺いました。

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三上:はい、みなさん、こんにちは。こころメンテナンス。本日もアシスタント三上恵と、気功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい、さあ、皆さん、7月、夏本番を迎えている、沖縄は既に迎えているんですが、今日はですね、わたし自体が海が大好きで、ふと時間があれば海へ行くんですけども、ひとってなぜ、朝日とかサンセットとか、よるの海とかそうなんですけど、海を眺めたくなるのは、なぜだか、本能的なものがあるのかなという部分で気になっていて、人間のなかには、海を眺めると、なにか効果というか、なにか感じるものがあったりするのかなというふうに思ったので、「海を眺めたくなるのは、なぜ」をテーマに、ちょっと今日とりあげてみようかと思ったんですけど。人間と海の関わりは、地球、宇宙もそうだと思うんですけど、その関わりのなかで感じるものがあったりするんですかね。吉村さんの考えをちょっとききながら、思うんですが。

吉村:そうですね。すべてのひとが、海が好きかどうかは僕よくわからないところはあるんで、

三上:そうですよね。

吉村:はい。でも、たとえば、僕たちが使っている肉体って、元々地球上の生命体から譲り受けてつかっているわけですよね。そうすると、地球上の生命ってどこからきたんだって言ったら、元々はおそらく海のなかで発生しているわけですよ。それがどんどん進化して、いろんな多様化していくなかで、地上に出て暮らすという選択をしたものたちがいて、地上で進化発展してきた哺乳類がまたいろいろと枝分かれしたりして、進化、多様化を繰り返していって、それで霊長類ですね、猿の仲間になっていったところで、ぼくたち、人間にだいぶ近いところまで進化してきたところで、僕たちの魂は、この肉体と結合するという選択をしたんだと思うんですよね。だから、生命そのもの、僕たちの肉体のふるさとというのかな、起源というのは海のなかなんで、そこでもしかしたら、海のもつ波動であったりとか、DNAのなかに刻まれている、海の中での、言ってみたら、歴史みたいなものが、僕たちのDNAに刻まれているがために、海が懐かしかったりとか、海に対する心ひかれるみたいなかたちであらわれている可能性はあるなと思いますね。

三上:そうなんですね。そう思ったのと、それもきっと生命の起源であるのかなと思ったのと、やっぱり同じ波動じゃないですけど、同じ、海の好きなメンバーって、前世とかにもその関わりが、なにか海にあるひとが、みんながみんな、海好きってわけじゃないですよね。なので、そういった関わりが、最近思うのは、やっぱり、気功のお話とかきくなかで、やっぱ好きなメンバーって、共通する部分があったりとかするので、その前世のなかで、そういった海に関する、近かったのかなと思ったりもするんですけど。

吉村:そうですね。人間として、海と関わりの深い人生を何度もされているひとたちもいるでしょうし、これは、バシャールの言っていたことなんですけど、僕たちの地球人の魂って、地球上では、人間だけじゃなくて、イルカやくじらの仲間として、転生することもあるみたいなんですね。バシャールが言っていたのは、地球上の生物で、魂が輪廻転生してるのは、人間と、それから、イルカやくじらの仲間たちだけだと言っていたんですよ。それは、バシャールがそう言っていたというところしか出典がないから、ほんとかどうか確かめようがないんですけど、僕が仕事として、いろんなかたの潜在意識のなかにアクセスさせていただいて、いろいろと、クリアリングをしていくみたいなことをしていくなかで、いろんなかたたちの過去生をみてきているわけですよね。そうすると、けっこう、イルカだったことがあるひと、くじらだったことがあるひとたちというのが、実はちょこちょこいるんですよね。

三上:はー、はー。

吉村:たぶん、実際、海の中で暮らしてた過去生をもってるひとたちというのは、結構いるんですよね。。

三上:はー。

吉村:なんで、実際海の中で暮らしてた過去生をもっているひとたちとかは、特に海が、言ってみたら、自分の庭だったときがあるじゃないですか、そういう意味では、海が好きになるというのは、そういうところが関係している可能性はあるなと思いますね。

三上:はー、なるほどですね。じゃあ、きっとわたしは、海の、もしかしたらイルカとかくじらだったかもしれないってことですね、きっとね。

吉村:その可能性は高いかもしれないですよね。

三上:であれば、納得です。ふふふふふ。

吉村:ふふふふふ。面白いのはね、イルカとくじらって生物学的には同じ種族らしいですからね。サイズが違うだけで。

三上:けっこう、サイズ違いますよね。

吉村:けっこう、違いますよね。

三上:コミュニケーションの取り方というか、発しないけども、お互いに波動で感じるみたいな感じなんですかね。

吉村:よくわからないですけど、大きい犬と小さい犬みたいなのを、もっと差が激しいようなものなんじゃないですか。生物学的には同じ種族らしいんですよね。

三上:じゃ、シャチとかサメは違うということですよね。

吉村:違うんですよ。サメは魚類だから、明らかに哺乳類ではないんですけど、

三上:かたちだけ、シルエットだけみてましたね。ごめんなさい。

吉村:ははははは。シャチは、同じ哺乳類なんですけど、全然獰猛で、気質が違うみたいな話をききますからね。

三上:なるほど、おもしろいですね。逆に、海の、今お話をしましたけど、緑とか自然が好きというひともいらっしゃるじゃないですか。それは、やっぱり、森とか緑に触れてる機会が長かったというか、前世ですね。そういう可能性もあったりするんですかね。

吉村:可能性としては、あると思いますよね。過去生の記憶自体をもって、転生しちゃっているひとの話というのは、よく、いろんな研究者のひとたちの文献とかにも出てくるし、ネット上の都市伝説系のチャンネルとかでも、そういう話ってよく出てくるんで、記憶はないけど、そのときの、なんだろうな、たとえば、森の中で楽しく暮らしていた過去生があると、それが楽しかったという感覚とかが残っているみたいなことはあり得るでしょうね。

三上:なるほどですね。そう考えると、面白いですね。

吉村:そうですね。過去生で楽器演奏してたひととかっていうのは、音感がよかったりみたいなことがあるという話もききますし、一回一回の人生って全然関係ないものというとらえかたもできるけど、そこで培ってきたものが、のちの別の人生で、別のかたちで活かされるということはきっとあるんじゃないかなと思いますね。

三上:なんか、いいですね。自分に、みなさんもとらえていただいて、何をしているときが、自分、居心地いいのかな。それにはね、もしかしたら、前世に関わりがあったことが今にも心地よいと感じている部分があるかもしれませんね。

吉村:そうですね。だから、僕も自分のことってあんまりよくわからないんで、他のひとにみてもらうことが多いんですけど、

三上:そう、吉村さんのこと、今知りたいと思いました。

吉村:ははははは。やっぱり、なんか過去世でもエネルギーワークの研究してたというようなことを言われることありますよ。その時代の有名なヒーラーさんだったりとか、預言者みたいなひとに弟子入りして、めちゃめちゃ研究している場面がみえるみたいな話をきいて、それって、「占いなんか信じないぜ」みたいなひとたちのうがった見方をすれば、僕がこういう仕事してるの知ってるから、そう言っとけば、たぶん喜ばれるんだろうという感じで、そういう話をでっちあげることもできるよね、という見方もできるんですけど、実際、そこは証明のしようがないんですけど、ただ、なんとなく、僕が今までいろんなひとをみてきて、きっと、この過去世があるから、このひと、今こういうことやってんだろうなという、僕自身もみてきてるんで、自分のことに関しても、まあそうなんだろうなというふうに思うと、たぶん、このひとが言うように、昔からそういうことやってたんだろうなというふうに受け取ってますね。

三上:うーん、わたしも話をききながら、きっと、吉村さんは前世でもひとにアドバイスしながら、いろいろお話きいて、情報与えるようなお仕事を、お仕事というか、そういうひとだったんだろうなというふうに、思いながら、わたしも感じていました。

吉村:ありがとうございます。

三上:そうとらえると、面白いですね、今の人生も。今に生きていますけど、そういうことがあったというきっかけを知ると、なるほどねって、思うところも、今現在生きるとあったりするかもしれませんね。

吉村:そうですね。だから、たぶん、今の僕の顕在意識では計り知れないような、もう少し高いところから俯瞰してみている僕自身がなにかやりたいことがあるとか、目的や目標みたいなものをもっていて、僕はその波に乗っかっていきているのかなというようなとらえかたですね。

三上:はい、ということで、今日は、話途中で脱線してしまったんですけど

吉村:ははは。

三上:「海を眺めたくなるのは、なぜ」ということで、海好きなひとは、すごい感じてもらえる部分が合ったと思うんですが、そうじゃない方も、自分の前世の捉え方とか、今の考え方、居心地がいいって、こういった理由なんだというふうで、いろんな受け取りかたがあったらいいなと思いました。はい、吉村さん、本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

081.気功ってアジアだけなの?

気功と聞くとアジアのイメージ湧きませんか?世界にも気功は存在するのか吉村さんにお話伺いました。

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三上:みなさん、こんにちは。こころメンテナンス。本日もアシスタント三上恵と、気功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、よろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい、今日のテーマなんですけど、気功ときくと、アジアだけなのかなと、わたしの個人的なイメージなんですけども、実際気功に携わっている、いろんなことに携わっている吉村さんですから、吉村さんの考えとかお話をきいてみたいとは思ったんですが、気功というのは、やはりアジアでひろまっているんですかね。

吉村:まあ、気功という言葉が、言ってみたら、日本だったら、中国から伝わってきたりとかってするんで、気功というとそっちのものというイメージはあると思うんですけど、気功って要するに気を取り扱う手法みたいな意味合いなわけですよ。漢字もその、気っていう字と功という字で、功というのは、「巧みに取り扱う」みたいな意味合いの言葉だから、そういうふうにとらえると、気というものを取り扱うものは気功っていえるんじゃないかなと思うわけですよ。

三上:うーん。

吉村:じゃあ、「気って何か」というふうに言ったときには、要するに目に見えないエネルギーというものを、なんだろうな、たとえば、意識の、「気になる」とか「気を配る」とかっていう、考えたり思ったりするときの意識のエネルギーみたいなものを気と呼んでいたりするわけですね。「気候」とか、季節の気ね、天気とか、自然の状態、大自然の状態とかも気という言葉であらわされていたりとかするし、そこらへんを、日本語の「気」という言葉がついている、文字が含まれている言葉をいっぱいならべてみると、かなりたくさんのいろんな言葉があるわけですよ。

三上:そうですね、今ね、並べてました。気候、元気、気持ち、とか。

吉村:はいはい。気力とか、ねえ、だから、そういう目には見えないけど、情報として存在してるとか、情報とか力を伝達するようなものというようなとらえかたができるわけですよね。となると、そういうの全部、気っていうんだったら、目には見えないエネルギー全般、たとえば、癒やしであったりとか、健康増進とか、体を強くするとかね、「気を強くする」というと、性格的な部分だったりとか、コミュニケーションに関することだったりするわけじゃないですか。だから、そういうの全部含めて、気って呼んでるとしたら、それって別にアジア人に限らず、世界中のひとたちが、いろんな言葉であつかってるものだと思うんですよ。現代の日常のなかで、大事にされてるか、とか、よく取り扱われてるかというのは、その文化とかによって、多少違いはあると思うんですけど、もともとはみんなが使っていたものだと思うんですよね。

三上:うーん。そうですよね。たしかに、同じね、気分とか気候とかって、世界共通する、地球上にいる人なら感じてることであると思うんで、なるほどですね。

吉村:名前をつけて、言語化して取り扱っているかどうかというところ、それは、結構、日本語とか、中国語とかにもいっぱいあるのかもしれないですけど、僕あんまり、ちょっと中国語わからないので、日本語と比べてどうなのかとかはわからないですけど、少なくとも、僕が知っている英語と比べると、日本語には、そういう言葉がすごい含まれているんですけど、でも、概念としては、うっすら存在しているわけですよね、英語のなかでも。つかっている言葉が違うというだけで。だから、そういう意味では、それを専門的に扱う技術というふうにとらえたら、いろんなものが、気功というジャンルに入ってくると思うんですよ。

三上:そうですね、今思ったけど、ヨガとかも、若干違いますけど、気功の一部、似てる部分もあったりするのかなと今イメージしたりしたんですが。

吉村:そうですね。ヨガでもプラーナという概念があって、それが宇宙に満ちている生命のエネルギー、そういうことをプラーナと呼んでいるんですけど、それが指しているものは何かというと、紐解いていくと、これ、気のこといってんじゃないって感じがするんですよね。だから、いろんな違う名前で呼ばれているけれど、気だよねというふうに考えると、いろんなものが気功というジャンルの中に取り入れてもおかしくない話になってきますし、あとは、中国の気に関する技術であったりとか知識みたいなものって、たぶんインドから伝わってきているものも多いと思うんですよね。

三上:インドから。

吉村:たとえば、日本に仏教が伝わってきたのは、中国から入ってきてますけど、そもそも仏教ってインドで始まっているもので、それが中国に、言ってみたら、輸入されて、独自の発展をして、中国の仏教になっていったわけですよね。お釈迦様と呼ばれているブッダさんは、元々は、インドのひとだし、インドには、アーユルヴェーダとかね、そういう健康法みたいなのが元々あったわけですよ。それは、中国に伝わって、中国でも独自の進化、発展を遂げて、それがだいぶ中国の気功というものに取り入れられていると思うんですよね。インドもアジアといえばアジアなんで、そのアジアの辺りで来ている流れがあるわけですけど、でも、たぶん、ヨーロッパのほうとかも、キリスト教が来て、昔からあった土着の信仰とかはだいぶこう駆逐してしまったために、そういうのもだいぶ失われちゃっているんですけど、でも、キリスト教が入ってくるまでは、元々自然信仰みたいなことをしていたひとたちって、ヨーロッパにはいっぱいいて、そういうひとたちは、薬草つかったりとかもしてたでしょうけど、ヒーリング的なこともやってたわけですよね、おそらく。そのなかには、たぶん、薬とかだけじゃなくて、痛いところに手をあてて癒やすみたいなものはあったと思うんですよ。

三上:うーん。

吉村:そうすると、それもどういう経緯でそれらが伝わったのか、そのひとたちがある日突然気がついた、「これ、いけんちゃう」みたいな感じで、やり始めたのか、わからないですけど、おそらく、見えないエネルギーを使って、何かをするということは、やってたと思うんですよね。アメリカ大陸に元々いたネイティブインディアンのひとたちも、いろんな儀式的なことをやって、神秘的な文化をもっていた部族とかもいるわけですよ。

三上:今考えて思うのは、昔のひとって、いろんな気付きが、今のわたしたちより、多いですね。今、当たり前にあるようで、ほんとうは気づけることがたくさんあるけど、物にあふれていたりとか、いろんな情報が飛び交いすぎて、逆に気づけてない環境があるかなというふうに、ききながらですね、思ってましたけども。

吉村:そうですね、だから、たとえば、オーストラリアの先住民族のひとたちって、それこそテレパシーというものが使えていたという話があるんですよね。そうすると、遠くはなれていても、お互いの考えが伝わっちゃうみたいなことがあると、そういうひとたちのことを支配するのって難しくなっちゃうじゃないですか。

三上:うーん、たしかに。

吉村:だから、そうすると、一部のひとが、大多数のひとたちを支配して、奴隷みたいに自由に好きなことやらせて、自分たちのために働かそうみたいなことを考えたときに、そういうひとたちから、なるべく、力や知識を奪って、「あなたがたは私達の言うことをきいて、従うしか生きる道はないんですよ」と思わせたほうが、支配をしやすいというのがあるから、本当はこういうの使えたら、大きな力を発揮できる知識とかが意図的に奪われちゃったり、隠されちゃったりしてきたことが、いっぱいあるんじゃないかなと思うんですよね。

三上:なるほどです。人間の欲が、ね。ふふふふふ。なるほど、今日のテーマに沿って思ったのは、気功はアジアだけではなくて、まあそうですよね、漢字で気功と書くから、なおさら、アジア感はありますけども、同じひととして、感じるものとか、とらえかたという部分では、世界中に、気功というのは、名前は違うけれども、あるということで。

吉村:そうですね。だから、スピリチュアル系のひとたちなんかは、けっこうエネルギーワークという言葉をよく使っているのを耳にしますよね。

三上:最近、よくききますよね、エネルギーワークって。

吉村:そうですね。それも要するに、気功を英語で言うとエネルギーワークなんじゃないかなと僕は思っているんですよ。

三上:実際、吉村さん、気功って英語で何ていうんですか?気功って言うんですか?

吉村:これはね、中国語の読み方を、そのままアルファベットで書いて、チーコン(Qigong)とかっていうような。Q、I、ハイフンして、Kなのかな、Cなのかな、とにかく、チーコンという中国語の読みで表記される場合もあるし、あとは、日本語のKIKOUって、ローマ字で書く、KIKOUかな、きこうって。これは、もう詳しいひとだったら知ってる言葉になってますよね。それこそ、TSUNAMIという言葉がね、あるとか、SHSHIという言葉も日本語だけど、世界中にひろまっているじゃないですか。そんな感じで、KIKOUとかチーコンという感じで、知ってるひとは知ってる言葉にはなっているんですけどね。

三上:いやあ、この時間、なんかいろいろな気づきと学びも、やっぱ、毎回なんかね、学ばせていただいていますね。

吉村:僕も最初、この仕事始めたときに、「エネルギーワークやってます」とよく言っていた時期があったんですよ。だけど、そうすると、こういうスピリチュアルなことと全く縁がない、たとえば、ビジネスマンのひとたちの集まりで、「エネルギーワークです」というと、「ああ、石油をとりあつかわれているんですか」

三上:(笑)たしかに。

吉村:それで、まいったなと思って、もっと、日本語としてなじみのある言葉をつかおうと思って、気功というようになったんですよね。

三上:なるほどですね。少し前に、そういうふうに言われると、「何?」となりますもんね。今だからこそ、だんだん、増えてきてはいますけどね。

吉村:そうですね。だから、言葉で何と呼ぶかということよりも、実の部分というか、何を取り扱っているかという、そこが大事かなというふうに思いますね。

三上:そうですね。改めて、この時間、わたしも感じました。ふふふふふ。

吉村:ははははは。

三上:リスナーのみなさんもきっとわたしと同じ方も多いと思いますので。はい。今日も、吉村さん、学びをありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

080.お便りフォームから

ハンドルネームともさんからのご感想と、ことさんからのメッセージを取り上げて、吉村さんからお話伺いました。

感想、ご質問はこちらにお願いします!https://forms.gle/HhW7cXuA345QYmDZ7

YouTube: https://www.youtube.com/c/kokoro-me
Web: https://m-e-science.com/

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三上:はい、みなさん、こんにちは。こころメンテナンス。本日もアシスタント三上恵と、気功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい、今日は久々にお便りフォームから、取り上げていこうかと思います。そうなんです、みなさん、ちょこちょこ、お伝えするのを忘れておりました。このね、今お話きいているなかでも、お便りフォーム、リンクがあるので、リンクから入っていただいて、感想とか、こういうことちょっときいてみたいなっていう、みなさんからのメッセージもお待ちしております。ということでですね、今日はいただいたお便りフォームからとりあげていきたいと思います。まずは、ともさんからお話来ています。これは、「吉村さん、三上さん、いつも楽しく聴いています。『周りの空気を読んでしまう』を聴き、」はい、前回、お話ししたテーマですね、「わたしもバリューフォームラにケアが入っていて、空間に」、これはあれですかね、これは、蜘蛛か、「空間に蜘蛛の巣をはりめぐらせるように、周りの空気を読んで、なんで、あのひとたちは、周りの空気を読まないんだ、気づかないんだと、怒ってしまいます。バリューフォーミュラが違うのですね。最近は、だいぶ改善されましたが、職場でがんがん、気を使いすぎて、家では、抜け殻のようになっていました。ケアの概念を好む、かげが強くなるとジャッジが強くなる。ほんと、そのとおりですね。」という感想来ています。

吉村:はい。なるほどですね。

三上:はい。ありがとうございます。

吉村:はい、だから、ケアをすることを好んでるというのが本来の在り方なんですけど、その、かげになると、ケアがないことを否定するという、反対を否定するというふうになりやすいんですね。そうすると、ケアというのを持っているひとは、周りでケアを必要としてるひとにすぐ気がつくから、その方に対して、声掛けするみたいな、空気を読んだ行動をする能力に長けているわけですけど、そのことは、別に素晴らしいことなんですけど、他の方たちが同じレベルでケアができるかといったら、ケアのバリューフォーミュラを持っていないひとたちは、そこまで、その能力高くないわけですよね。そうすると、それに対して、なんで、あのひとたちは空気読めないんだという否定になってしまうと苦しくなっちゃうという、それがあるということ、そのことに気が付かれたということですよね。このともさんは。

三上:いいですね。こういうふうにメッセージをいただけると、うれしいですよね。

吉村:そうですね。だから、ほんとに、その、自分にとっての大事にしている価値のほうに、目を向けて、その反対を否定するというのに入らないように、そこをちょっと軽く意識しておくだけで、見え方とか、それに対する感情の反応とか変わってくるんじゃないかと思いますね。

三上:はい、ありがとうございます。ともさん、メッセージいただいて、ありがとうございます。みなさんからのメッセージもお待ちしております。さあ、つづいては、ことさんからきたメッセージをお読みしますね。「少し個人的な質問で申し訳ございません。前回ですね、未完成の過去生という言葉が出ていましたけども、過去生が未完成ということは、過去生でできた負の感情がまだ残っているということでしょうか。また、宇宙の過去生ということは、宇宙人がいて、その宇宙人であったことがある、ということでしょうか。地球人のあとに宇宙人に転生して、また地球人に生まれて、みたいなこともあるのでしょうか。よかったら、教えてください。」ときております。

吉村:はい。そうですね、まず、細かい話なんですけど、未完成の過去生ではなくて、僕、未完了の過去生という言い方を普段しています。別に言葉の選び方とか、そこまで重要ではないんですけど、未完成というとなんとなく正しい完成形があって、そうなってるかなってないかで、完成か未完成かってなってるように、ちょっときこえちゃう可能性もあるんで、未完了という言葉を使っているんですけど、それは要は、完了してるかしてないか、正しい形になっているかなっていないかということよりも、現状これで、このかたちで終わって、よしとしているかどうかというところが、完了しているかどうかというところなんですよね。そういう意味でいいますと、過去生でできた負の感情がまだ残っているということは、その負の感情がいっぱいありすぎて、わだかまりみたいな状態で残っている、これでよしとして終われていないというのが、未完了ということなんで、そういう意味では、この認識は間違っていないですね。もちろん、負の感情ということだけじゃなくて、ちゃんと、ここで終わってもいいよねという状態になれているかどうかということがポイントなんで、言ってみたら、このままじゃ終われないぞ、あいつに復讐してやるんだみたいなのがあったりすると、未完了になる確率は上がるわけなんですね。いわゆる平たい言葉でいうと、成仏できてないみたいな感じの状態というのが、未完了であるということですね。宇宙での過去生とお伝えしていることに関しては、まさにことさんが言われてるように、僕たち、地球人の魂が、輪廻転生している先というのは、ここ地球だけではないな、というのが、僕の今までいろいろみてきたなかで、感じてることですね。

三上:くじらとかもあり得る、イルカとかもあり得るという話も前回お話してますもんね。

吉村:はい。で、どっか別の星での文明みたいなところで、生きてたという過去生をもっているひともいますし、この宇宙だけじゃなくて、別次元のどこかで生きてたという過去生をもっているひとたちもいるんで、結構僕たちの魂って、広い範囲で、行ったり来たりしながら、悠久の時を生きているんじゃないかなというふうに、思ってるんですよ。まだ時間という概念自体が、たぶん、その外側に出ちゃうとね、時間軸というとらえかたも全く変わってくると思うんですけど、この何次元の地球のなかの顕在意識の全貌はちょっとまだわからないですけど、そういう外の世界に、僕らの魂の本体はいるんで、そこからいろんなところにアクセスして、いろんな人生を生きて、それらの経験というものをなにかしら、僕らは持ち続けているということが起きているんだと思うんですね。そのなかで、なんかの人生では、すごく心のこりになっていることがあるとか、ネガティブな感情が全然解消されずにすごい残っているとかってなると、未完了という状態になっちゃって、それが、その後の他の人生にも影響を及ぼしちゃっているというところに、たとえば、今の人生での生きづらさみたいなことがつながっていたら、そこはちゃんと完了させたほうがいいですよね、ということをお伝えしているという、こんな感じですね。

三上:ふーん、なるほどですね。だから、その状態があるからこそ、たとえば今回の今の人生の中で、ちょっと関わるものがあったりとかいうのも、やっぱり気づいていく、自分と向き合って、気づいていく、とかっていうのもそうですし、吉村さんとお話して、気づかせてくれるひとがいるというのもヒントになりますよね、人生のなかで。

吉村:そうですね。はい。言ってみたら、今回の人生と関係ないところのわだかまりが原因で、今回の人生であんまり役に立たないとらわれを持ち続けているという状態になっちゃっていたとしたら、それってかなり大きなハンディになっちゃうと思うんですね。そこは、クリアリングという方法で、古い、今の人生にはそれほど、関係がない、むしろその、問題になっている割合のほうが多い部分というのは、エネルギー的に完了させていったほうが、要は、エネルギーを送って、これでよしという状態にしていく。あの人生では、いろいろと悔しい思いとかしたけど、それはそれで、そこから学んだこともあるから、それでいいよねみたいな感じで終わらせるということですよね。ちゃんと、そっちが終わってたほうが、今の人生に集中しやすいですよね。

三上:そうですね。わたしたちもね、ちゃんと完了できるように、日々湧き出てくる楽しさ、わくわくすることって大切ですね。

吉村:そうですね。まさに、その今の人生をちゃんとフルに生きて、生ききったと思って終わらせられるときちっと人生完了するから、次の人生ももっと自由な人生が生きられる可能性が高まるわけですよね。

三上:うーん。はい、ということです。どうでした、ことさん。是非、みなさんもこういったふうにお便りいただけると、とりあげて、吉村さんの深い話、いいお話たくさんきけますので、是非是非お便りお待ちしております。リンクのほうから開いて、是非送ってくださいね。はい、ともさん、そして、ことさん、メッセージありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

三上:そして、みなさんもありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

079.自由

自由になれたらいいのにって思った事はありませんか?
規制がなく自由になれたら幸せなのか?
深いお話です。

感想、ご質問はこちらにお願いします! https://forms.gle/HhW7cXuA345QYmDZ7

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Web: https://m-e-science.com/

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https://kokoro.koelab.net/079-2/

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三上:みなさん、こんにちは。こころメンテナンス。本日もアシスタント三上恵と、気功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい、今日のテーマ、わたしもそういう人間でありたいとは思っているんですけれども、自由、ですね。しばられたくないわたしにとっては、自由ってすごいいい言葉だなというふうに思うんですけど、はい。でも、自由というテーマでとりあげる中で、自由とは何なんだというくらい、幅が広い(笑)、と思っているんですが、さあ、このテーマ、自由、今日はなぜこれをテーマに、吉村さん、とりあげたんでしょうか。

吉村:はい。その、世の中的にそう思われているけど、それをもう一度見直してみようよという感じで、前回、前々回のお話をしてきたと思うんで、その中で、この自由ということも、世の中的には大事なことで、素晴らしいことというふうな認識はみなさん持っていらっしゃるとおもうんだけども、果たして、自由って何なのかという概念そのものをきちっと定義されているのかというところ、ここがちょっとふわっとしたまま、自由、自由と言っていても、じゃあ、理想の状態はどういう状態なのということがはっきりしていないと、そこにたどりつきようがないじゃないですか。

三上:うん、うん、うん。

吉村:だから、なんだかよくわからないものを求め続けていても、手に入らないんで、きちっと、それがどういうものなのかというのを、定義を明確にしたほうがいいのかなというふうに思う感じで選ばさせていただきました。

三上:たしかに、自由ときいて、みなさんの自由はきっと違いますもんね。ひとりひとりの自由というのは、きっと違うと思います。

吉村:うん、うん。

三上:なるほど。

吉村:自由という言葉をとりあげて、そこを単純にとらえたらどうなるかといったら、おそらく、制約が少なければ少ないほど、自由ってことですね。制約が多ければ多いほど、不自由な感じになってくるじゃないですか。ということは、その逆に少なくなっていけば、自由という話だと思うんですよ。その考えをつきつめていくと、究極的な自由というのは、全てに一切の制約がない状態という話になっちゃいますよね。

三上:そうですね。そうなると、どうなるんだろう。(笑)

吉村:はたして、そんなものがあるのかどうかという、そこなんですね。一切の制約がない究極的な自由というのを僕らは持ち合わせているのか、あるいは、僕らが想像できるどこかで、そういうものが存在するのだろうかと考えたときに、実際、僕らがひととして生きていくにあたって、肉体というものの制約の中で生きているわけですよね。人間の肉体の中で生きているということは、鳥みたいに空を飛ぶこともできないし、魚みたいにエラ呼吸で水中で生活することもできないし、僕が吉村竜児というひとである限りは、僕は三上恵さんというひとでいることはできないんですよね。ふっふ(笑)。

三上:ですよね。わかりますよ。

吉村:ふふ、そうなると、全然自由じゃないじゃないですか。そのへんに関していうと。僕が改名して名前を変えるということは自由にできるかもしれないけど、それをしたからといって、僕個人が、別のひとになるのかといったら、そんなことはないですよね。たとえば、僕が「今日、改名してきました。これから、ヤマダタロウと名乗ります」と言っても、たぶん、昨日までの僕を知っている人が道端で僕に会ったら、「あ、吉村さん」てなるわけですよ。だから、いってみたら、その辺って、制約だらけなんですよね。

三上:うん、たしかに。肉体に入っただけで、もう自由じゃないですもんね。

吉村:そうなんですよ。でも、じゃあ、ひととしてどう生きていくかみたいな部分というのは、僕はその吉村竜児というひととして、どういう選択をしていくかってなると、そこって、選択肢がいくつかあるなかで、何を選ぶかということに関しては、自由なんですよね。

三上:うん、うん、うん、うん。

吉村:ね。そうすると、自分の選択肢が、たとえば、1個しかないってなったら、これしか選べないわけだから、あんまり自由じゃないじゃないですか。

三上:うん、そうですね。

吉村:選択肢が2個あったら、2個の中から選べるから、1個しかないよりかは、自由に選べているかなとなるけど、でも、それが選択肢が5個あるひとと比べたら、5個のひとは、2個よりも、3つ別の選択肢があって、その中からも選べるという自由をもっているから、もっと自由ですよねという話になるわけですよね。そういう意味でいうと、選択肢を無限に増やしていけばいいのかという話になるのかもしれないですけど、そうすると、なんかね、たとえば、僕の選択肢は100億あります、それを全部吟味してその中から自由に選べますって、なったら、100億の選択肢をいちいち吟味するために相当の時間と労力がかかるとなると、今度は、僕が生きている時間というのは、大体、決まっているわけですよね。宇宙の時間と比べたら、実はごく僅かな時間しか吉村竜児として生きていないから、その間に100億の選択肢を吟味していたら、その間に、だいぶ時間過ぎちゃって、この選択は5年前に選んでくれていたらいけてたんだけど、ちょっと今は無理ですよみたいな話になってしまう可能性もあるわけじゃないですか。そうなると、「あれ?自由じゃない!」みたいな話になるんで、ということは、一切の制約がない究極の自由を目指すということ自体が、馬鹿馬鹿しい話になってくるわけですよね。

三上:そうですね。今話きいて、「自由って何なんだ?」って今なってます。

吉村:ははははは。だから、そういう意味では、ほんとうの自由って、究極的なほんとうの自由みたいなものはないんですよね。だから、せいぜい、僕たちができることって、今ある制約のなかで、どれだけ自分が、自由に選んでいくかという話なんですけど、それって、あてずっぽうで選ぶとか、サイコロ振ってでてきたのを選ぶというのと、どう違うのみたいな話になってきちゃうじゃないですか。

三上:うん、そうですね。

吉村:となると、結構、そこで、大事になってくるのは、そもそも自分がこの選択をした先に何を求めているのかという話になるわけですよ。そのひとがもっている、目的、目標、夢みたいなのがあって、そこにちょっとでも近づきやすそうなものを選ぼうみたいな話になってくるわけですよね。そのひとにとっての、言ってみたら、効果的な選択ということになってくるわけですよ。効果的な選択も1個じゃなくて、いくつかあるかもしれないし、そうなったら、その中から、また自由に選ぶとか、他の、そのひとがもっている、せっかくだから、もっとこうなりたいよねみたいなのに近づきやすいのはきっとこっちだろうなと考えて選んだりとかもすると思うんですけど、自由ということにこだわりすぎると、制約があるということに目が行っちゃって、この制約をなくそう、なくそう、なくそうみたいなことやっていると、要は、制約って、永遠に全部なくなりはしないから、いろんな制約がめについて、一所懸命それを攻撃してなくそうとするみたいなこととか、あるいは、なくしようがない制約に関してだと、愚痴を言い続けるみたいな話になりかねないわけですよね。あれがもっとこうだったらなみたいな、(笑)

三上:(笑)

吉村:ねえ。なんでも10円で買えたらよかったのにな、みたいな話になっちゃうんですよね。(笑)それって、なんか馬鹿馬鹿しい話じゃないですか。

三上:うーん。

吉村:なので、どっちかというと、今あるものとか状況をまず受け入れて、そのなかで、どれだけ自分が自由に選んでいくか、自由に表現していくかってことをやるというのが、これが、ほんとうの自由だと僕は思うんですよ。制約があります。この制約のなかで、どれだけ自由を探究できるかというのが、ほんとうの自由を謳歌するとかね、求めて自分を自由に表現するとかの醍醐味みたいなのは、その制約のなかにあるということが結構ポイントだと僕は思うんですよね。、

三上:そうですね。今話きいて思ったのが、こどもって、うまいなと思いました。制約のなかで、自分らしく、なにもないなかで、生み出して、遊ぶという能力は、自分から湧き出てくるものをそのまま楽しんでいるというのは、凝り固まった大人よりは、絶対、そのまま湧き出てくる感情で動いているので、あ、そういうことなのかなと思いながらね、きいてましたけどね。

吉村:たとえば、この公園のなかの、この場所のなかで、好きに遊んでいいよと言ったら、いろんなことをやり始めるじゃないですか。

三上:そうなんですよ。

吉村:ねえ。それがね、ほんとうにそういうのもなく、勝手にして、自由にやって、公園の外に行くとトラックとか走ってきてはねられて死ぬかもしれないけど、それも自由だよと言ったら、もうこわくてうごけなくなっちゃいますよね。

三上:たしかに、たしかに。

吉村:この公園の中だったら、ちゃんとみていてあげるから、きっと安全だから、ここで好きなことやってごらんよとやったら、ほんとうにいろんなことやり始めて、すごいクリエイティブになっていくわけですよね。だから、この制約があるということが、僕らを逆にクリエイティブにさせてくれているということもいっぱいあるんですよね。僕はね、以前、インプロという台本のない即興でやるお芝居をやってたことがあるわけですけど、インプロって、ほんとうになんにもなく、台本ないから、もう好き勝手やって、みたいなものかと思うと、実はそうじゃなくて、なんにもありません、はい、どうぞと言われても、なんにもできないんですよ。そこにちょっと、しばりをつけるんですよね。たとえば、セリフが全部しりとりになるように話してみましょう、みたいなことしたりとかね。だから、たとえば、「こんにちは」って言って、ひとりが言ったら、次のひとは、「わ」から始まるセリフを言わなきゃいけないみたいな、ね。

三上:はー。へー、難しそう。

吉村:「わたし、ここよく来るんですけど、あなたも来られるんですか」みたいな感じだったら、しりとりになっているじゃないですか。

三上:「買い物でよく利用します」みたいな。

吉村:そんな感じ、そんな感じ。そうそう、そう。突然、今そういうことをやったことがない三上さんでさえ、今できたじゃないですか。今のセリフとか、僕が「これ言ってください」と言ったセリフじゃなくて、三上さんのなかから、出てきたわけですよね。

三上:はい、そうですね。

吉村:だから、これって、制約が一個ついただけで、とたんにすごく自由になれたということだと思いません?

三上:あ、思います。なんか、自分の中から出てきたものがつながったという感じ、感覚が出てきています。

吉村:ねえ、そうそうそう。だから、お膳立てもなにもなく、「はい、どうぞ」と言って、今のセリフでてきたかというと、出て来ないですよ。

三上:うーん。うんうん、そうですよね。あー、わかりやすい。

吉村:はははは。だから、自由というのは、ひたすら制約をなくす先にあるものなんじゃなくて、今ある制約って何だろう、このなかでできることって、何だろうというところから、生まれてくるものなんですよ。

三上:はぁー。みなさん、リスナーのみなさん、さあ、自由のイメージかわったんじゃないですか。いやあ、わたしも語りたい。なんか、こういうふうに。うふふふ。

吉村:ふふふふふ。飲み会の席とかで話しちゃっても・・・(笑)

三上:そうそう。「みんな制約がなくてのびのびしてるけど、そうじゃないんだよ」(笑)きっとね、自由という、この2つの漢字が合わさったものですけど、いやあ、自由ってとらえかたもみかたも、考え方も、毎回、このね、続いてますけど、深いなと思いながら。(笑)

吉村:そうですね。制約のあるなかで、こうやって向き合って考えていったら、たぶん、このさきには、この制約なくすと、もっと自由だなというのももしかしたら、出てくるかもしれないから。そうすると、どういうふうに、僕らはルールを変えていったら、もっと楽しくなるんじゃないかという議論もできるようになると思うんですよね。それが、このルールは正しいか正しくないかというところで話しちゃうと、たぶん、喧嘩になるだけなんですね。

三上:ふふふふふ。

吉村:このルールって、そもそもどういう意図でつくったんだっけみたいなね、これによってできること、できないことって何だっけとか、そういうのちゃんと考えて議論する場とかつくっていくと、僕たちの社会システムを今後どうしていくかみたいなこととかも、ただ一概に「あいつらが悪いから困っているんだ。あいつら叩きのめせ」みたいな話じゃなく、もっとね、お互い仲良くたのしくやっていくにはどうしたらいいかねというところに意識が向くんじゃないかなというふうに思いましたね。

三上:思いますね。そうですね。同じ考え方というか、そういうふうに感じてくれるひとが増えていって、社会がよりよくなってほしいですね。

吉村:そうですね。あと、自分と違う考え方のひとをどれだけ、ちゃんと受けとめて、そういうひとたちとも仲良くしていくには、どんなふうな選び方がいいんだろうとか、そういうところまでひろげていけるともっと、そっちのほうが自由なんじゃないかなという感じがします。ね。

三上:なるほど。今日も良い時間でした。もっと話をしてほしいんですけど、また次を楽しみにしております。吉村さん、本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。