086.番組、YouTubeについてお知らせ!

Podcastだけでなく、吉村さんのYouTube番組「ゆるライブ」「ゆる友ライブ」について詳しくご紹介頂きました。

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085.下半期ためになるヒント

今年も残り半分をきりました。
皆さんやり残した事はありませんか。
達成感がない自分がいませんか。
下半期楽しく過ごすためにも聞いて頂きたいお話です。

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083.夏に向けてわくわく

今年の夏は何をして楽しみますか?最近何かわくわくする事ありましたか?
自分に自信が持てると更に楽しみが増えるかも、そんなお話です

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三上:はい、みなさん、いかがお過ごしでしょうか。こころメンテナンス。本日もアシスタント三上恵と、気功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい、みなさんは夏に向けて、いろいろな計画立ててますでしょうか。三上はね、満喫しようということばっかり考えているんですが、今日はですね、テーマ「夏に向けてわくわく」、そういうわくわくになるようなヒントを吉村さんからいろいろ、お話伺えればなと思います。ずっと、コロナ禍でね、なかなかでかけられなかったっていうかた、多いと思うんですけど、徐々に、やっぱり人出も、沖縄もそうですけど、観光客の方も結構いらして、前のにぎわいが少しずつ戻ってきているんですが、

吉村:はい。

三上:はい。どんな「夏に向けてのわくわく」、話していきましょうか。

吉村:そうですね。僕、自分が生まれたのが夏なんで、結構なんかね、1年の中の季節というと、夏が一番、なんだろうな、特に理由もなく、わくわくするとか、居心地のいい感じがするんで、それって結構、他の誕生月がいついつですというひとに話をきくと、そのぐらいの時期が調子がいいって、よく耳にするんで、なにかそういうね、生まれたときの宇宙の波動というのは、そのひとのなかにずっと残り続けているから、自分の波長と今の宇宙の波長が近くなったときにいい感じになるというのはあると思うんですよね。

三上:ふーん。

吉村:そうすると、冬生まれのひとは、夏ワクワクしないのかといったら、ちょっとそこはわかんないんですけどね。

三上:リスナーさんに、逆に教えてほしいです。冬に生まれた方、冬はわくわくするのかどうか。

吉村:はい、ね。僕は個人的には夏は、ほんとにそれこそ、花火大会があったり、夏祭りがあったりとかっていうので、なんだろう、すごい楽しい感じなんですけど、このコロナになっちゃってから、そういう夏祭りとか花火大会とかがなくなっちゃっているんで、そこを早く復活してほしいなという気持ちはすごくありますね。

三上:うーん。同じくそうですね。夏というか、6月、6月生まれなので、梅雨明けと同時に、わたしのテンションも上がるという上では、それもあるのかなという(笑)。沖縄はね、6月くらいに梅雨に入るって、そうそうそう。

吉村:ほー、6月末がお誕生日なんですね。

三上:そうなんですよ。

吉村:ほー、今ちなみにこの収録してる日が6月の末のほうなんでね、

三上:そうなんですよ、あしたなんですよ、吉村さん。わははは。

吉村:そうなんですか。

三上:収録日の翌日、明日が誕生日なので、今日はね、わくわくしてますよ。

吉村:あー、いいですね、それはおめでとうございます。

三上:はい。少し早いですけど。今話して、気持ちがなんとなく、わかると思いました。

吉村:はははは。そうですね、今、沖縄はね、完全に梅雨明けちゃってるわけですもんね。

三上:そうなんですよ。だから、この時期が、すごい、梅雨の時期は、いつ明けるんだろう、いつ明けるんだろう、て思いながら、梅雨明けと同時に、わたしのテンションは1年の中で、マックスなんですね。

吉村:なるほどですね。

三上:なので、今もマックスの状態です。うふふ。

吉村:ふふふふ。よかったです。なるほどですね。はい。

三上:やっぱり、夏になると、今はほら、コロナ禍で出れなかったからか、やっぱ恋愛するのも、ね。昔だったら、何泊もできたかもしれませんけど、今ってコロナ禍でなかなかマスクしてると、マスクとったときに、「あら、違う」、「イメージと違う」という、わかんないですよ、もしかしたら、いるかもしれないじゃないですか。なんか、こう、出会うヒントとか、なんか、ありますかね。

吉村:うーん。なんかやっぱね、夏になると、みんながちょっとこう浮かれた感じの波長になるという感はありますよね。たとえば、ドラマなんかもね、夏にやるドラマとかは、ちょっとそういう、なんだろうな、なんだろ、軽い感じの恋愛を題材にしたドラマがすごい多かったりして

三上:ひと夏の恋、とかね。

吉村:わはははは。そんなイメージ、ありますよね。はいはい。なんか、元々、いつもの日常と違う感覚で、特別なところに行ったりすると、それによって、気分が既に高揚している状態で、初めて誰かに会ったとなったら、高揚した気分で、そのひとをみたときに、その高揚した感じが恋愛の感情に近いみたいなのって、ちょっとこう「吊り橋効果」的なものがあったりすると、「あ、このひと、ビビッときた」みたいなことがある可能性はありますよね。だから、「このひとが運命のひとに違いない」と思って、がーっと突き進むんだけど、しばらくして、熱が冷めてきたら、「あれ、やっぱ違ったかもしれないな」みたいなことって、話もよくきくんですけど、そこら辺は、ある程度、慎重さみたいなものをもったほうがいいんじゃないかなというふうには思いますよね。

三上:そうですね。

吉村:最近の若いひと全般が、恋愛離れをしているみたいな話もきくんで、

三上:ニュースとかでもあがっていましたね。

吉村:ねえ。でも、それって、結構、世の中がきゅうくつになってきているとか、貧富の差みたいなものが出てきたりとか、若いひとがかなりきりつめた生活をしなきゃいけない状態に世の中全体がなってってるみたいなところで、恋愛するにしても、お金かかるしみたいになっちゃってる部分もあるかもしれないし、あとは、自分に自信がなくなっちゃてるみたいなひともおおいんじゃないかと思います。そうすると、恋愛とかパートナーみつけるって、自分自身をプレゼンして、「僕と一緒にいると、こんないいことありますよ」みたいなことをプレゼンして、相手のひとが、「それ、いいっすね」みたいな感じになったときに、「じゃあ、一緒にどこか行きましょうか」とか「共に時間を過ごす、そういう時間をふやしていきましょうか」って話になった先に、結婚とかいう話も出てきたりすると思うんですけど、なかなか、自分自身を自信もって、「はい、こんなわたしです。どうですか」みたいなことがしにくくなっちゃってるのかなと思いますよね。

三上:うーん。ただ、やっぱり言ってました経済的な部分とか、自由がなくなるのが嫌とか、これは、ニュースでわたしがみたものなんですけど、

吉村:うんうんうん。

三上:やっぱり、自分に余裕があったり、心の面、金銭面の余裕がないと不安という意見も結構多かったりとか、

吉村:うーん、だから、社会的な制約みたいなもので、若いひとが恋愛したりとか、結婚、子育てを視野に入れた関係性を構築するのがすごく難しくなっちゃってるというのはあるのかなと思うんで、制度の部分って、政治に詳しいひとだったら、選挙のときに投票することで世界は変えられるんだみたいな感じで思われたりすると思うし、それもある意味間違ってはいないと思うんですけど、アプローチのひとつとしては。ただ、自分の内面が変わることで、現実をよりよくしていくことができるなと僕は思って、内面のなかにある、そういった不安であったりとか、自分の自信をなくしてしまっている要因をちょっとずつ見つけて手放していくというのは、今現時点で、そこまで、余裕、金銭的な余裕がなくても、自分は自分の力で頑張って、人生切り開いていけるんだというような、そっちのほうの安心感みたいなのが得られると、自由にすきなことだけやって、誰にも束縛されないという楽しみかたもあるかもしれないけど、自分が好きなものとかを共に分かち合う相手がいると楽しいかもね、みたいな感じになってくると、波長がちゃんと合うひとと、必要性が合って、人間関係がつくっていける可能性もあると思うんですよ。それが、必ずしも、恋愛でなきゃ駄目ってことでもないと思うんですけど、セルフイメージが低いと、恋愛にも発展しにくいというのはあると思って、たとえば、エステに通って、脱毛することで、自分に自信をつけるという方法もあるかもしれないですけど、まず、自分にOKを出せる自分みたいなね、要は、現状このままの自分でも、まずはOKと、だから、ここから、よりよくするには何ができるだろうか、みたいなことが、そういう発想でいくと、また、引き寄せるひとの質とかも変わってくるんで、それで、「夏だから」とかいった話とはまた違った話にはなってきちゃうとは思うんですけど、ははは。周りの「わーっ!」という雰囲気で流されていたのとはまた別に、自分軸で自分の人生どうしていくか、どんなひととそれを分かち合って生きていきたいか、みたいなことができてくると、そういう恋愛離れみたいなところとはまた違った流れが自分でもつくっていけるんじゃないかという気がしますよね。

三上:そうですよね。それはもう感じます。だって、昔なんて、もちろん金銭的にも大変だったりとか、自由はいまほどなかったり、そんななかでも、普通に恋愛をして、というかたは多かったじゃないですか。やっぱり、その、社会的な部分でそういった環境になって、自分自身の内面の部分が、という若い方が増えているというのはあると思うので、恋愛だけじゃなくても、いろんな幸せをみつけていただきたいなと、まあ、何が幸せかって、そのひと次第なんですけど、

吉村:そうですね。

三上:ね。

吉村:だから、その、どういうかたちでもいいけど、なんかしらの希望をもって、生きられる状態かどうかっていうこと、そっちのほうが大事だと思うんで、なかなか、未来に希望がもてないと、なんにもやる気が起きなくなってきちゃうということはあると思うので、与えられた「これが正しい幸せの形です」みたいなのっていうのが、みんなが合わせていた時代というのが、たぶん、あるんですよね。そこで、それで幸せに思える人はいいんですけど、でも、万人の幸せって全部一緒じゃないから、そこからあぶれちゃったひとたちというのが、「なんか、やってらんねーぜ」みたいになってきたというのがあって、なかなか、「世の中、みんな、同じ価値観で生きられないよね」ってなってきたんで、たぶん、今、多様化しているんですけど、多様化している状態に、僕らの心とか世の中の制度とかが、たぶん、ついていけてないから、

三上:うーん。

吉村:だから、そこをうまいこと、やっぱり、多様化していて、みんながみんな違う価値観で生きていてもいいよね、という方向になんとか、もっていけると、もっとみんな幸せになる、生きていく選択になるんじゃないかなという感じがしますよね。

三上:そうですね、はい。今日は、ちょっと、話が途中から変わっていったんですけども、やっぱり、統一するのは、自分自身が楽しまないと、結果、「あれ!?」ということが、どちらにしろ、夏の恋にしろ、ある場合もあるかもしれないので、まずは、自分自身に少しでも、自信をもてることとか、自分自身を見つめ直すこととかっていうのは、恋愛においてもそうですけど、そうでなくても、大切になってくると思うので、まず自信をもつと楽しくなりますもんね。

吉村:そうですね。それで、自分の軸みたいなものがちゃんとできてきますからね。

三上:はい。わたしもだんだん、だんだん、できてきて、周りのことは、気にするときもありますけど、気にしないときも多いです。はい、楽しんでいます。

吉村:いいと思います。ふふふ。

三上:バランスをとりながら生きておりますので、是非みなさんもこのテーマをきっかけに、ちょっと自分自身見つめ直していただきたいと思います。はい、今日も、吉村さん、ありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

082.海を眺めたくなるのはなぜ

波の音や海風を感じながら海に癒されるというかたも多いのでは。
人間と海の関わりについてお話伺いました。

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三上:はい、みなさん、こんにちは。こころメンテナンス。本日もアシスタント三上恵と、気功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい、さあ、皆さん、7月、夏本番を迎えている、沖縄は既に迎えているんですが、今日はですね、わたし自体が海が大好きで、ふと時間があれば海へ行くんですけども、ひとってなぜ、朝日とかサンセットとか、よるの海とかそうなんですけど、海を眺めたくなるのは、なぜだか、本能的なものがあるのかなという部分で気になっていて、人間のなかには、海を眺めると、なにか効果というか、なにか感じるものがあったりするのかなというふうに思ったので、「海を眺めたくなるのは、なぜ」をテーマに、ちょっと今日とりあげてみようかと思ったんですけど。人間と海の関わりは、地球、宇宙もそうだと思うんですけど、その関わりのなかで感じるものがあったりするんですかね。吉村さんの考えをちょっとききながら、思うんですが。

吉村:そうですね。すべてのひとが、海が好きかどうかは僕よくわからないところはあるんで、

三上:そうですよね。

吉村:はい。でも、たとえば、僕たちが使っている肉体って、元々地球上の生命体から譲り受けてつかっているわけですよね。そうすると、地球上の生命ってどこからきたんだって言ったら、元々はおそらく海のなかで発生しているわけですよ。それがどんどん進化して、いろんな多様化していくなかで、地上に出て暮らすという選択をしたものたちがいて、地上で進化発展してきた哺乳類がまたいろいろと枝分かれしたりして、進化、多様化を繰り返していって、それで霊長類ですね、猿の仲間になっていったところで、ぼくたち、人間にだいぶ近いところまで進化してきたところで、僕たちの魂は、この肉体と結合するという選択をしたんだと思うんですよね。だから、生命そのもの、僕たちの肉体のふるさとというのかな、起源というのは海のなかなんで、そこでもしかしたら、海のもつ波動であったりとか、DNAのなかに刻まれている、海の中での、言ってみたら、歴史みたいなものが、僕たちのDNAに刻まれているがために、海が懐かしかったりとか、海に対する心ひかれるみたいなかたちであらわれている可能性はあるなと思いますね。

三上:そうなんですね。そう思ったのと、それもきっと生命の起源であるのかなと思ったのと、やっぱり同じ波動じゃないですけど、同じ、海の好きなメンバーって、前世とかにもその関わりが、なにか海にあるひとが、みんながみんな、海好きってわけじゃないですよね。なので、そういった関わりが、最近思うのは、やっぱり、気功のお話とかきくなかで、やっぱ好きなメンバーって、共通する部分があったりとかするので、その前世のなかで、そういった海に関する、近かったのかなと思ったりもするんですけど。

吉村:そうですね。人間として、海と関わりの深い人生を何度もされているひとたちもいるでしょうし、これは、バシャールの言っていたことなんですけど、僕たちの地球人の魂って、地球上では、人間だけじゃなくて、イルカやくじらの仲間として、転生することもあるみたいなんですね。バシャールが言っていたのは、地球上の生物で、魂が輪廻転生してるのは、人間と、それから、イルカやくじらの仲間たちだけだと言っていたんですよ。それは、バシャールがそう言っていたというところしか出典がないから、ほんとかどうか確かめようがないんですけど、僕が仕事として、いろんなかたの潜在意識のなかにアクセスさせていただいて、いろいろと、クリアリングをしていくみたいなことをしていくなかで、いろんなかたたちの過去生をみてきているわけですよね。そうすると、けっこう、イルカだったことがあるひと、くじらだったことがあるひとたちというのが、実はちょこちょこいるんですよね。

三上:はー、はー。

吉村:たぶん、実際、海の中で暮らしてた過去生をもってるひとたちというのは、結構いるんですよね。。

三上:はー。

吉村:なんで、実際海の中で暮らしてた過去生をもっているひとたちとかは、特に海が、言ってみたら、自分の庭だったときがあるじゃないですか、そういう意味では、海が好きになるというのは、そういうところが関係している可能性はあるなと思いますね。

三上:はー、なるほどですね。じゃあ、きっとわたしは、海の、もしかしたらイルカとかくじらだったかもしれないってことですね、きっとね。

吉村:その可能性は高いかもしれないですよね。

三上:であれば、納得です。ふふふふふ。

吉村:ふふふふふ。面白いのはね、イルカとくじらって生物学的には同じ種族らしいですからね。サイズが違うだけで。

三上:けっこう、サイズ違いますよね。

吉村:けっこう、違いますよね。

三上:コミュニケーションの取り方というか、発しないけども、お互いに波動で感じるみたいな感じなんですかね。

吉村:よくわからないですけど、大きい犬と小さい犬みたいなのを、もっと差が激しいようなものなんじゃないですか。生物学的には同じ種族らしいんですよね。

三上:じゃ、シャチとかサメは違うということですよね。

吉村:違うんですよ。サメは魚類だから、明らかに哺乳類ではないんですけど、

三上:かたちだけ、シルエットだけみてましたね。ごめんなさい。

吉村:ははははは。シャチは、同じ哺乳類なんですけど、全然獰猛で、気質が違うみたいな話をききますからね。

三上:なるほど、おもしろいですね。逆に、海の、今お話をしましたけど、緑とか自然が好きというひともいらっしゃるじゃないですか。それは、やっぱり、森とか緑に触れてる機会が長かったというか、前世ですね。そういう可能性もあったりするんですかね。

吉村:可能性としては、あると思いますよね。過去生の記憶自体をもって、転生しちゃっているひとの話というのは、よく、いろんな研究者のひとたちの文献とかにも出てくるし、ネット上の都市伝説系のチャンネルとかでも、そういう話ってよく出てくるんで、記憶はないけど、そのときの、なんだろうな、たとえば、森の中で楽しく暮らしていた過去生があると、それが楽しかったという感覚とかが残っているみたいなことはあり得るでしょうね。

三上:なるほどですね。そう考えると、面白いですね。

吉村:そうですね。過去生で楽器演奏してたひととかっていうのは、音感がよかったりみたいなことがあるという話もききますし、一回一回の人生って全然関係ないものというとらえかたもできるけど、そこで培ってきたものが、のちの別の人生で、別のかたちで活かされるということはきっとあるんじゃないかなと思いますね。

三上:なんか、いいですね。自分に、みなさんもとらえていただいて、何をしているときが、自分、居心地いいのかな。それにはね、もしかしたら、前世に関わりがあったことが今にも心地よいと感じている部分があるかもしれませんね。

吉村:そうですね。だから、僕も自分のことってあんまりよくわからないんで、他のひとにみてもらうことが多いんですけど、

三上:そう、吉村さんのこと、今知りたいと思いました。

吉村:ははははは。やっぱり、なんか過去世でもエネルギーワークの研究してたというようなことを言われることありますよ。その時代の有名なヒーラーさんだったりとか、預言者みたいなひとに弟子入りして、めちゃめちゃ研究している場面がみえるみたいな話をきいて、それって、「占いなんか信じないぜ」みたいなひとたちのうがった見方をすれば、僕がこういう仕事してるの知ってるから、そう言っとけば、たぶん喜ばれるんだろうという感じで、そういう話をでっちあげることもできるよね、という見方もできるんですけど、実際、そこは証明のしようがないんですけど、ただ、なんとなく、僕が今までいろんなひとをみてきて、きっと、この過去世があるから、このひと、今こういうことやってんだろうなという、僕自身もみてきてるんで、自分のことに関しても、まあそうなんだろうなというふうに思うと、たぶん、このひとが言うように、昔からそういうことやってたんだろうなというふうに受け取ってますね。

三上:うーん、わたしも話をききながら、きっと、吉村さんは前世でもひとにアドバイスしながら、いろいろお話きいて、情報与えるようなお仕事を、お仕事というか、そういうひとだったんだろうなというふうに、思いながら、わたしも感じていました。

吉村:ありがとうございます。

三上:そうとらえると、面白いですね、今の人生も。今に生きていますけど、そういうことがあったというきっかけを知ると、なるほどねって、思うところも、今現在生きるとあったりするかもしれませんね。

吉村:そうですね。だから、たぶん、今の僕の顕在意識では計り知れないような、もう少し高いところから俯瞰してみている僕自身がなにかやりたいことがあるとか、目的や目標みたいなものをもっていて、僕はその波に乗っかっていきているのかなというようなとらえかたですね。

三上:はい、ということで、今日は、話途中で脱線してしまったんですけど

吉村:ははは。

三上:「海を眺めたくなるのは、なぜ」ということで、海好きなひとは、すごい感じてもらえる部分が合ったと思うんですが、そうじゃない方も、自分の前世の捉え方とか、今の考え方、居心地がいいって、こういった理由なんだというふうで、いろんな受け取りかたがあったらいいなと思いました。はい、吉村さん、本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

081.気功ってアジアだけなの?

気功と聞くとアジアのイメージ湧きませんか?世界にも気功は存在するのか吉村さんにお話伺いました。

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三上:みなさん、こんにちは。こころメンテナンス。本日もアシスタント三上恵と、気功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、よろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい、今日のテーマなんですけど、気功ときくと、アジアだけなのかなと、わたしの個人的なイメージなんですけども、実際気功に携わっている、いろんなことに携わっている吉村さんですから、吉村さんの考えとかお話をきいてみたいとは思ったんですが、気功というのは、やはりアジアでひろまっているんですかね。

吉村:まあ、気功という言葉が、言ってみたら、日本だったら、中国から伝わってきたりとかってするんで、気功というとそっちのものというイメージはあると思うんですけど、気功って要するに気を取り扱う手法みたいな意味合いなわけですよ。漢字もその、気っていう字と功という字で、功というのは、「巧みに取り扱う」みたいな意味合いの言葉だから、そういうふうにとらえると、気というものを取り扱うものは気功っていえるんじゃないかなと思うわけですよ。

三上:うーん。

吉村:じゃあ、「気って何か」というふうに言ったときには、要するに目に見えないエネルギーというものを、なんだろうな、たとえば、意識の、「気になる」とか「気を配る」とかっていう、考えたり思ったりするときの意識のエネルギーみたいなものを気と呼んでいたりするわけですね。「気候」とか、季節の気ね、天気とか、自然の状態、大自然の状態とかも気という言葉であらわされていたりとかするし、そこらへんを、日本語の「気」という言葉がついている、文字が含まれている言葉をいっぱいならべてみると、かなりたくさんのいろんな言葉があるわけですよ。

三上:そうですね、今ね、並べてました。気候、元気、気持ち、とか。

吉村:はいはい。気力とか、ねえ、だから、そういう目には見えないけど、情報として存在してるとか、情報とか力を伝達するようなものというようなとらえかたができるわけですよね。となると、そういうの全部、気っていうんだったら、目には見えないエネルギー全般、たとえば、癒やしであったりとか、健康増進とか、体を強くするとかね、「気を強くする」というと、性格的な部分だったりとか、コミュニケーションに関することだったりするわけじゃないですか。だから、そういうの全部含めて、気って呼んでるとしたら、それって別にアジア人に限らず、世界中のひとたちが、いろんな言葉であつかってるものだと思うんですよ。現代の日常のなかで、大事にされてるか、とか、よく取り扱われてるかというのは、その文化とかによって、多少違いはあると思うんですけど、もともとはみんなが使っていたものだと思うんですよね。

三上:うーん。そうですよね。たしかに、同じね、気分とか気候とかって、世界共通する、地球上にいる人なら感じてることであると思うんで、なるほどですね。

吉村:名前をつけて、言語化して取り扱っているかどうかというところ、それは、結構、日本語とか、中国語とかにもいっぱいあるのかもしれないですけど、僕あんまり、ちょっと中国語わからないので、日本語と比べてどうなのかとかはわからないですけど、少なくとも、僕が知っている英語と比べると、日本語には、そういう言葉がすごい含まれているんですけど、でも、概念としては、うっすら存在しているわけですよね、英語のなかでも。つかっている言葉が違うというだけで。だから、そういう意味では、それを専門的に扱う技術というふうにとらえたら、いろんなものが、気功というジャンルに入ってくると思うんですよ。

三上:そうですね、今思ったけど、ヨガとかも、若干違いますけど、気功の一部、似てる部分もあったりするのかなと今イメージしたりしたんですが。

吉村:そうですね。ヨガでもプラーナという概念があって、それが宇宙に満ちている生命のエネルギー、そういうことをプラーナと呼んでいるんですけど、それが指しているものは何かというと、紐解いていくと、これ、気のこといってんじゃないって感じがするんですよね。だから、いろんな違う名前で呼ばれているけれど、気だよねというふうに考えると、いろんなものが気功というジャンルの中に取り入れてもおかしくない話になってきますし、あとは、中国の気に関する技術であったりとか知識みたいなものって、たぶんインドから伝わってきているものも多いと思うんですよね。

三上:インドから。

吉村:たとえば、日本に仏教が伝わってきたのは、中国から入ってきてますけど、そもそも仏教ってインドで始まっているもので、それが中国に、言ってみたら、輸入されて、独自の発展をして、中国の仏教になっていったわけですよね。お釈迦様と呼ばれているブッダさんは、元々は、インドのひとだし、インドには、アーユルヴェーダとかね、そういう健康法みたいなのが元々あったわけですよ。それは、中国に伝わって、中国でも独自の進化、発展を遂げて、それがだいぶ中国の気功というものに取り入れられていると思うんですよね。インドもアジアといえばアジアなんで、そのアジアの辺りで来ている流れがあるわけですけど、でも、たぶん、ヨーロッパのほうとかも、キリスト教が来て、昔からあった土着の信仰とかはだいぶこう駆逐してしまったために、そういうのもだいぶ失われちゃっているんですけど、でも、キリスト教が入ってくるまでは、元々自然信仰みたいなことをしていたひとたちって、ヨーロッパにはいっぱいいて、そういうひとたちは、薬草つかったりとかもしてたでしょうけど、ヒーリング的なこともやってたわけですよね、おそらく。そのなかには、たぶん、薬とかだけじゃなくて、痛いところに手をあてて癒やすみたいなものはあったと思うんですよ。

三上:うーん。

吉村:そうすると、それもどういう経緯でそれらが伝わったのか、そのひとたちがある日突然気がついた、「これ、いけんちゃう」みたいな感じで、やり始めたのか、わからないですけど、おそらく、見えないエネルギーを使って、何かをするということは、やってたと思うんですよね。アメリカ大陸に元々いたネイティブインディアンのひとたちも、いろんな儀式的なことをやって、神秘的な文化をもっていた部族とかもいるわけですよ。

三上:今考えて思うのは、昔のひとって、いろんな気付きが、今のわたしたちより、多いですね。今、当たり前にあるようで、ほんとうは気づけることがたくさんあるけど、物にあふれていたりとか、いろんな情報が飛び交いすぎて、逆に気づけてない環境があるかなというふうに、ききながらですね、思ってましたけども。

吉村:そうですね、だから、たとえば、オーストラリアの先住民族のひとたちって、それこそテレパシーというものが使えていたという話があるんですよね。そうすると、遠くはなれていても、お互いの考えが伝わっちゃうみたいなことがあると、そういうひとたちのことを支配するのって難しくなっちゃうじゃないですか。

三上:うーん、たしかに。

吉村:だから、そうすると、一部のひとが、大多数のひとたちを支配して、奴隷みたいに自由に好きなことやらせて、自分たちのために働かそうみたいなことを考えたときに、そういうひとたちから、なるべく、力や知識を奪って、「あなたがたは私達の言うことをきいて、従うしか生きる道はないんですよ」と思わせたほうが、支配をしやすいというのがあるから、本当はこういうの使えたら、大きな力を発揮できる知識とかが意図的に奪われちゃったり、隠されちゃったりしてきたことが、いっぱいあるんじゃないかなと思うんですよね。

三上:なるほどです。人間の欲が、ね。ふふふふふ。なるほど、今日のテーマに沿って思ったのは、気功はアジアだけではなくて、まあそうですよね、漢字で気功と書くから、なおさら、アジア感はありますけども、同じひととして、感じるものとか、とらえかたという部分では、世界中に、気功というのは、名前は違うけれども、あるということで。

吉村:そうですね。だから、スピリチュアル系のひとたちなんかは、けっこうエネルギーワークという言葉をよく使っているのを耳にしますよね。

三上:最近、よくききますよね、エネルギーワークって。

吉村:そうですね。それも要するに、気功を英語で言うとエネルギーワークなんじゃないかなと僕は思っているんですよ。

三上:実際、吉村さん、気功って英語で何ていうんですか?気功って言うんですか?

吉村:これはね、中国語の読み方を、そのままアルファベットで書いて、チーコン(Qigong)とかっていうような。Q、I、ハイフンして、Kなのかな、Cなのかな、とにかく、チーコンという中国語の読みで表記される場合もあるし、あとは、日本語のKIKOUって、ローマ字で書く、KIKOUかな、きこうって。これは、もう詳しいひとだったら知ってる言葉になってますよね。それこそ、TSUNAMIという言葉がね、あるとか、SHSHIという言葉も日本語だけど、世界中にひろまっているじゃないですか。そんな感じで、KIKOUとかチーコンという感じで、知ってるひとは知ってる言葉にはなっているんですけどね。

三上:いやあ、この時間、なんかいろいろな気づきと学びも、やっぱ、毎回なんかね、学ばせていただいていますね。

吉村:僕も最初、この仕事始めたときに、「エネルギーワークやってます」とよく言っていた時期があったんですよ。だけど、そうすると、こういうスピリチュアルなことと全く縁がない、たとえば、ビジネスマンのひとたちの集まりで、「エネルギーワークです」というと、「ああ、石油をとりあつかわれているんですか」

三上:(笑)たしかに。

吉村:それで、まいったなと思って、もっと、日本語としてなじみのある言葉をつかおうと思って、気功というようになったんですよね。

三上:なるほどですね。少し前に、そういうふうに言われると、「何?」となりますもんね。今だからこそ、だんだん、増えてきてはいますけどね。

吉村:そうですね。だから、言葉で何と呼ぶかということよりも、実の部分というか、何を取り扱っているかという、そこが大事かなというふうに思いますね。

三上:そうですね。改めて、この時間、わたしも感じました。ふふふふふ。

吉村:ははははは。

三上:リスナーのみなさんもきっとわたしと同じ方も多いと思いますので。はい。今日も、吉村さん、学びをありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

080.お便りフォームから

ハンドルネームともさんからのご感想と、ことさんからのメッセージを取り上げて、吉村さんからお話伺いました。

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三上:はい、みなさん、こんにちは。こころメンテナンス。本日もアシスタント三上恵と、気功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい、今日は久々にお便りフォームから、取り上げていこうかと思います。そうなんです、みなさん、ちょこちょこ、お伝えするのを忘れておりました。このね、今お話きいているなかでも、お便りフォーム、リンクがあるので、リンクから入っていただいて、感想とか、こういうことちょっときいてみたいなっていう、みなさんからのメッセージもお待ちしております。ということでですね、今日はいただいたお便りフォームからとりあげていきたいと思います。まずは、ともさんからお話来ています。これは、「吉村さん、三上さん、いつも楽しく聴いています。『周りの空気を読んでしまう』を聴き、」はい、前回、お話ししたテーマですね、「わたしもバリューフォームラにケアが入っていて、空間に」、これはあれですかね、これは、蜘蛛か、「空間に蜘蛛の巣をはりめぐらせるように、周りの空気を読んで、なんで、あのひとたちは、周りの空気を読まないんだ、気づかないんだと、怒ってしまいます。バリューフォーミュラが違うのですね。最近は、だいぶ改善されましたが、職場でがんがん、気を使いすぎて、家では、抜け殻のようになっていました。ケアの概念を好む、かげが強くなるとジャッジが強くなる。ほんと、そのとおりですね。」という感想来ています。

吉村:はい。なるほどですね。

三上:はい。ありがとうございます。

吉村:はい、だから、ケアをすることを好んでるというのが本来の在り方なんですけど、その、かげになると、ケアがないことを否定するという、反対を否定するというふうになりやすいんですね。そうすると、ケアというのを持っているひとは、周りでケアを必要としてるひとにすぐ気がつくから、その方に対して、声掛けするみたいな、空気を読んだ行動をする能力に長けているわけですけど、そのことは、別に素晴らしいことなんですけど、他の方たちが同じレベルでケアができるかといったら、ケアのバリューフォーミュラを持っていないひとたちは、そこまで、その能力高くないわけですよね。そうすると、それに対して、なんで、あのひとたちは空気読めないんだという否定になってしまうと苦しくなっちゃうという、それがあるということ、そのことに気が付かれたということですよね。このともさんは。

三上:いいですね。こういうふうにメッセージをいただけると、うれしいですよね。

吉村:そうですね。だから、ほんとに、その、自分にとっての大事にしている価値のほうに、目を向けて、その反対を否定するというのに入らないように、そこをちょっと軽く意識しておくだけで、見え方とか、それに対する感情の反応とか変わってくるんじゃないかと思いますね。

三上:はい、ありがとうございます。ともさん、メッセージいただいて、ありがとうございます。みなさんからのメッセージもお待ちしております。さあ、つづいては、ことさんからきたメッセージをお読みしますね。「少し個人的な質問で申し訳ございません。前回ですね、未完成の過去生という言葉が出ていましたけども、過去生が未完成ということは、過去生でできた負の感情がまだ残っているということでしょうか。また、宇宙の過去生ということは、宇宙人がいて、その宇宙人であったことがある、ということでしょうか。地球人のあとに宇宙人に転生して、また地球人に生まれて、みたいなこともあるのでしょうか。よかったら、教えてください。」ときております。

吉村:はい。そうですね、まず、細かい話なんですけど、未完成の過去生ではなくて、僕、未完了の過去生という言い方を普段しています。別に言葉の選び方とか、そこまで重要ではないんですけど、未完成というとなんとなく正しい完成形があって、そうなってるかなってないかで、完成か未完成かってなってるように、ちょっときこえちゃう可能性もあるんで、未完了という言葉を使っているんですけど、それは要は、完了してるかしてないか、正しい形になっているかなっていないかということよりも、現状これで、このかたちで終わって、よしとしているかどうかというところが、完了しているかどうかというところなんですよね。そういう意味でいいますと、過去生でできた負の感情がまだ残っているということは、その負の感情がいっぱいありすぎて、わだかまりみたいな状態で残っている、これでよしとして終われていないというのが、未完了ということなんで、そういう意味では、この認識は間違っていないですね。もちろん、負の感情ということだけじゃなくて、ちゃんと、ここで終わってもいいよねという状態になれているかどうかということがポイントなんで、言ってみたら、このままじゃ終われないぞ、あいつに復讐してやるんだみたいなのがあったりすると、未完了になる確率は上がるわけなんですね。いわゆる平たい言葉でいうと、成仏できてないみたいな感じの状態というのが、未完了であるということですね。宇宙での過去生とお伝えしていることに関しては、まさにことさんが言われてるように、僕たち、地球人の魂が、輪廻転生している先というのは、ここ地球だけではないな、というのが、僕の今までいろいろみてきたなかで、感じてることですね。

三上:くじらとかもあり得る、イルカとかもあり得るという話も前回お話してますもんね。

吉村:はい。で、どっか別の星での文明みたいなところで、生きてたという過去生をもっているひともいますし、この宇宙だけじゃなくて、別次元のどこかで生きてたという過去生をもっているひとたちもいるんで、結構僕たちの魂って、広い範囲で、行ったり来たりしながら、悠久の時を生きているんじゃないかなというふうに、思ってるんですよ。まだ時間という概念自体が、たぶん、その外側に出ちゃうとね、時間軸というとらえかたも全く変わってくると思うんですけど、この何次元の地球のなかの顕在意識の全貌はちょっとまだわからないですけど、そういう外の世界に、僕らの魂の本体はいるんで、そこからいろんなところにアクセスして、いろんな人生を生きて、それらの経験というものをなにかしら、僕らは持ち続けているということが起きているんだと思うんですね。そのなかで、なんかの人生では、すごく心のこりになっていることがあるとか、ネガティブな感情が全然解消されずにすごい残っているとかってなると、未完了という状態になっちゃって、それが、その後の他の人生にも影響を及ぼしちゃっているというところに、たとえば、今の人生での生きづらさみたいなことがつながっていたら、そこはちゃんと完了させたほうがいいですよね、ということをお伝えしているという、こんな感じですね。

三上:ふーん、なるほどですね。だから、その状態があるからこそ、たとえば今回の今の人生の中で、ちょっと関わるものがあったりとかいうのも、やっぱり気づいていく、自分と向き合って、気づいていく、とかっていうのもそうですし、吉村さんとお話して、気づかせてくれるひとがいるというのもヒントになりますよね、人生のなかで。

吉村:そうですね。はい。言ってみたら、今回の人生と関係ないところのわだかまりが原因で、今回の人生であんまり役に立たないとらわれを持ち続けているという状態になっちゃっていたとしたら、それってかなり大きなハンディになっちゃうと思うんですね。そこは、クリアリングという方法で、古い、今の人生にはそれほど、関係がない、むしろその、問題になっている割合のほうが多い部分というのは、エネルギー的に完了させていったほうが、要は、エネルギーを送って、これでよしという状態にしていく。あの人生では、いろいろと悔しい思いとかしたけど、それはそれで、そこから学んだこともあるから、それでいいよねみたいな感じで終わらせるということですよね。ちゃんと、そっちが終わってたほうが、今の人生に集中しやすいですよね。

三上:そうですね。わたしたちもね、ちゃんと完了できるように、日々湧き出てくる楽しさ、わくわくすることって大切ですね。

吉村:そうですね。まさに、その今の人生をちゃんとフルに生きて、生ききったと思って終わらせられるときちっと人生完了するから、次の人生ももっと自由な人生が生きられる可能性が高まるわけですよね。

三上:うーん。はい、ということです。どうでした、ことさん。是非、みなさんもこういったふうにお便りいただけると、とりあげて、吉村さんの深い話、いいお話たくさんきけますので、是非是非お便りお待ちしております。リンクのほうから開いて、是非送ってくださいね。はい、ともさん、そして、ことさん、メッセージありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

三上:そして、みなさんもありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

079.自由

自由になれたらいいのにって思った事はありませんか?
規制がなく自由になれたら幸せなのか?
深いお話です。

感想、ご質問はこちらにお願いします! https://forms.gle/HhW7cXuA345QYmDZ7

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三上:みなさん、こんにちは。こころメンテナンス。本日もアシスタント三上恵と、気功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい、今日のテーマ、わたしもそういう人間でありたいとは思っているんですけれども、自由、ですね。しばられたくないわたしにとっては、自由ってすごいいい言葉だなというふうに思うんですけど、はい。でも、自由というテーマでとりあげる中で、自由とは何なんだというくらい、幅が広い(笑)、と思っているんですが、さあ、このテーマ、自由、今日はなぜこれをテーマに、吉村さん、とりあげたんでしょうか。

吉村:はい。その、世の中的にそう思われているけど、それをもう一度見直してみようよという感じで、前回、前々回のお話をしてきたと思うんで、その中で、この自由ということも、世の中的には大事なことで、素晴らしいことというふうな認識はみなさん持っていらっしゃるとおもうんだけども、果たして、自由って何なのかという概念そのものをきちっと定義されているのかというところ、ここがちょっとふわっとしたまま、自由、自由と言っていても、じゃあ、理想の状態はどういう状態なのということがはっきりしていないと、そこにたどりつきようがないじゃないですか。

三上:うん、うん、うん。

吉村:だから、なんだかよくわからないものを求め続けていても、手に入らないんで、きちっと、それがどういうものなのかというのを、定義を明確にしたほうがいいのかなというふうに思う感じで選ばさせていただきました。

三上:たしかに、自由ときいて、みなさんの自由はきっと違いますもんね。ひとりひとりの自由というのは、きっと違うと思います。

吉村:うん、うん。

三上:なるほど。

吉村:自由という言葉をとりあげて、そこを単純にとらえたらどうなるかといったら、おそらく、制約が少なければ少ないほど、自由ってことですね。制約が多ければ多いほど、不自由な感じになってくるじゃないですか。ということは、その逆に少なくなっていけば、自由という話だと思うんですよ。その考えをつきつめていくと、究極的な自由というのは、全てに一切の制約がない状態という話になっちゃいますよね。

三上:そうですね。そうなると、どうなるんだろう。(笑)

吉村:はたして、そんなものがあるのかどうかという、そこなんですね。一切の制約がない究極的な自由というのを僕らは持ち合わせているのか、あるいは、僕らが想像できるどこかで、そういうものが存在するのだろうかと考えたときに、実際、僕らがひととして生きていくにあたって、肉体というものの制約の中で生きているわけですよね。人間の肉体の中で生きているということは、鳥みたいに空を飛ぶこともできないし、魚みたいにエラ呼吸で水中で生活することもできないし、僕が吉村竜児というひとである限りは、僕は三上恵さんというひとでいることはできないんですよね。ふっふ(笑)。

三上:ですよね。わかりますよ。

吉村:ふふ、そうなると、全然自由じゃないじゃないですか。そのへんに関していうと。僕が改名して名前を変えるということは自由にできるかもしれないけど、それをしたからといって、僕個人が、別のひとになるのかといったら、そんなことはないですよね。たとえば、僕が「今日、改名してきました。これから、ヤマダタロウと名乗ります」と言っても、たぶん、昨日までの僕を知っている人が道端で僕に会ったら、「あ、吉村さん」てなるわけですよ。だから、いってみたら、その辺って、制約だらけなんですよね。

三上:うん、たしかに。肉体に入っただけで、もう自由じゃないですもんね。

吉村:そうなんですよ。でも、じゃあ、ひととしてどう生きていくかみたいな部分というのは、僕はその吉村竜児というひととして、どういう選択をしていくかってなると、そこって、選択肢がいくつかあるなかで、何を選ぶかということに関しては、自由なんですよね。

三上:うん、うん、うん、うん。

吉村:ね。そうすると、自分の選択肢が、たとえば、1個しかないってなったら、これしか選べないわけだから、あんまり自由じゃないじゃないですか。

三上:うん、そうですね。

吉村:選択肢が2個あったら、2個の中から選べるから、1個しかないよりかは、自由に選べているかなとなるけど、でも、それが選択肢が5個あるひとと比べたら、5個のひとは、2個よりも、3つ別の選択肢があって、その中からも選べるという自由をもっているから、もっと自由ですよねという話になるわけですよね。そういう意味でいうと、選択肢を無限に増やしていけばいいのかという話になるのかもしれないですけど、そうすると、なんかね、たとえば、僕の選択肢は100億あります、それを全部吟味してその中から自由に選べますって、なったら、100億の選択肢をいちいち吟味するために相当の時間と労力がかかるとなると、今度は、僕が生きている時間というのは、大体、決まっているわけですよね。宇宙の時間と比べたら、実はごく僅かな時間しか吉村竜児として生きていないから、その間に100億の選択肢を吟味していたら、その間に、だいぶ時間過ぎちゃって、この選択は5年前に選んでくれていたらいけてたんだけど、ちょっと今は無理ですよみたいな話になってしまう可能性もあるわけじゃないですか。そうなると、「あれ?自由じゃない!」みたいな話になるんで、ということは、一切の制約がない究極の自由を目指すということ自体が、馬鹿馬鹿しい話になってくるわけですよね。

三上:そうですね。今話きいて、「自由って何なんだ?」って今なってます。

吉村:ははははは。だから、そういう意味では、ほんとうの自由って、究極的なほんとうの自由みたいなものはないんですよね。だから、せいぜい、僕たちができることって、今ある制約のなかで、どれだけ自分が、自由に選んでいくかという話なんですけど、それって、あてずっぽうで選ぶとか、サイコロ振ってでてきたのを選ぶというのと、どう違うのみたいな話になってきちゃうじゃないですか。

三上:うん、そうですね。

吉村:となると、結構、そこで、大事になってくるのは、そもそも自分がこの選択をした先に何を求めているのかという話になるわけですよ。そのひとがもっている、目的、目標、夢みたいなのがあって、そこにちょっとでも近づきやすそうなものを選ぼうみたいな話になってくるわけですよね。そのひとにとっての、言ってみたら、効果的な選択ということになってくるわけですよ。効果的な選択も1個じゃなくて、いくつかあるかもしれないし、そうなったら、その中から、また自由に選ぶとか、他の、そのひとがもっている、せっかくだから、もっとこうなりたいよねみたいなのに近づきやすいのはきっとこっちだろうなと考えて選んだりとかもすると思うんですけど、自由ということにこだわりすぎると、制約があるということに目が行っちゃって、この制約をなくそう、なくそう、なくそうみたいなことやっていると、要は、制約って、永遠に全部なくなりはしないから、いろんな制約がめについて、一所懸命それを攻撃してなくそうとするみたいなこととか、あるいは、なくしようがない制約に関してだと、愚痴を言い続けるみたいな話になりかねないわけですよね。あれがもっとこうだったらなみたいな、(笑)

三上:(笑)

吉村:ねえ。なんでも10円で買えたらよかったのにな、みたいな話になっちゃうんですよね。(笑)それって、なんか馬鹿馬鹿しい話じゃないですか。

三上:うーん。

吉村:なので、どっちかというと、今あるものとか状況をまず受け入れて、そのなかで、どれだけ自分が自由に選んでいくか、自由に表現していくかってことをやるというのが、これが、ほんとうの自由だと僕は思うんですよ。制約があります。この制約のなかで、どれだけ自由を探究できるかというのが、ほんとうの自由を謳歌するとかね、求めて自分を自由に表現するとかの醍醐味みたいなのは、その制約のなかにあるということが結構ポイントだと僕は思うんですよね。、

三上:そうですね。今話きいて思ったのが、こどもって、うまいなと思いました。制約のなかで、自分らしく、なにもないなかで、生み出して、遊ぶという能力は、自分から湧き出てくるものをそのまま楽しんでいるというのは、凝り固まった大人よりは、絶対、そのまま湧き出てくる感情で動いているので、あ、そういうことなのかなと思いながらね、きいてましたけどね。

吉村:たとえば、この公園のなかの、この場所のなかで、好きに遊んでいいよと言ったら、いろんなことをやり始めるじゃないですか。

三上:そうなんですよ。

吉村:ねえ。それがね、ほんとうにそういうのもなく、勝手にして、自由にやって、公園の外に行くとトラックとか走ってきてはねられて死ぬかもしれないけど、それも自由だよと言ったら、もうこわくてうごけなくなっちゃいますよね。

三上:たしかに、たしかに。

吉村:この公園の中だったら、ちゃんとみていてあげるから、きっと安全だから、ここで好きなことやってごらんよとやったら、ほんとうにいろんなことやり始めて、すごいクリエイティブになっていくわけですよね。だから、この制約があるということが、僕らを逆にクリエイティブにさせてくれているということもいっぱいあるんですよね。僕はね、以前、インプロという台本のない即興でやるお芝居をやってたことがあるわけですけど、インプロって、ほんとうになんにもなく、台本ないから、もう好き勝手やって、みたいなものかと思うと、実はそうじゃなくて、なんにもありません、はい、どうぞと言われても、なんにもできないんですよ。そこにちょっと、しばりをつけるんですよね。たとえば、セリフが全部しりとりになるように話してみましょう、みたいなことしたりとかね。だから、たとえば、「こんにちは」って言って、ひとりが言ったら、次のひとは、「わ」から始まるセリフを言わなきゃいけないみたいな、ね。

三上:はー。へー、難しそう。

吉村:「わたし、ここよく来るんですけど、あなたも来られるんですか」みたいな感じだったら、しりとりになっているじゃないですか。

三上:「買い物でよく利用します」みたいな。

吉村:そんな感じ、そんな感じ。そうそう、そう。突然、今そういうことをやったことがない三上さんでさえ、今できたじゃないですか。今のセリフとか、僕が「これ言ってください」と言ったセリフじゃなくて、三上さんのなかから、出てきたわけですよね。

三上:はい、そうですね。

吉村:だから、これって、制約が一個ついただけで、とたんにすごく自由になれたということだと思いません?

三上:あ、思います。なんか、自分の中から出てきたものがつながったという感じ、感覚が出てきています。

吉村:ねえ、そうそうそう。だから、お膳立てもなにもなく、「はい、どうぞ」と言って、今のセリフでてきたかというと、出て来ないですよ。

三上:うーん。うんうん、そうですよね。あー、わかりやすい。

吉村:はははは。だから、自由というのは、ひたすら制約をなくす先にあるものなんじゃなくて、今ある制約って何だろう、このなかでできることって、何だろうというところから、生まれてくるものなんですよ。

三上:はぁー。みなさん、リスナーのみなさん、さあ、自由のイメージかわったんじゃないですか。いやあ、わたしも語りたい。なんか、こういうふうに。うふふふ。

吉村:ふふふふふ。飲み会の席とかで話しちゃっても・・・(笑)

三上:そうそう。「みんな制約がなくてのびのびしてるけど、そうじゃないんだよ」(笑)きっとね、自由という、この2つの漢字が合わさったものですけど、いやあ、自由ってとらえかたもみかたも、考え方も、毎回、このね、続いてますけど、深いなと思いながら。(笑)

吉村:そうですね。制約のあるなかで、こうやって向き合って考えていったら、たぶん、このさきには、この制約なくすと、もっと自由だなというのももしかしたら、出てくるかもしれないから。そうすると、どういうふうに、僕らはルールを変えていったら、もっと楽しくなるんじゃないかという議論もできるようになると思うんですよね。それが、このルールは正しいか正しくないかというところで話しちゃうと、たぶん、喧嘩になるだけなんですね。

三上:ふふふふふ。

吉村:このルールって、そもそもどういう意図でつくったんだっけみたいなね、これによってできること、できないことって何だっけとか、そういうのちゃんと考えて議論する場とかつくっていくと、僕たちの社会システムを今後どうしていくかみたいなこととかも、ただ一概に「あいつらが悪いから困っているんだ。あいつら叩きのめせ」みたいな話じゃなく、もっとね、お互い仲良くたのしくやっていくにはどうしたらいいかねというところに意識が向くんじゃないかなというふうに思いましたね。

三上:思いますね。そうですね。同じ考え方というか、そういうふうに感じてくれるひとが増えていって、社会がよりよくなってほしいですね。

吉村:そうですね。あと、自分と違う考え方のひとをどれだけ、ちゃんと受けとめて、そういうひとたちとも仲良くしていくには、どんなふうな選び方がいいんだろうとか、そういうところまでひろげていけるともっと、そっちのほうが自由なんじゃないかなという感じがします。ね。

三上:なるほど。今日も良い時間でした。もっと話をしてほしいんですけど、また次を楽しみにしております。吉村さん、本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。