105.同調圧力

同調圧力とは?日本人が群れたがるのはなぜ?

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三上:みなさん、こんにちは。こころメンテナンス。本日もアシスタント三上恵と、気功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい。さあ、今日はですね、日本人は特に多いんじゃないかなということで、「同調圧力」というテーマでお届けしていこうと思います。そもそも、「同調圧力」とは、どんなことを意味するんでしょうか。吉村さん。

吉村:はい。「同調圧力」って、ネットで検索すると、いろいろ解説しているページとか出てくるんですけど、そのひとつを読み上げますと、「同調圧力とは、少数意見を持つひとが、多数意見に合わせるよう、暗黙のうちに、強制するものです」みたいなことが書かれているわけですね。

三上:うーん。なるほどですね。今ね、学生の頃に、いじめられたことを、ちょっと思い出しましたね。

吉村:あ、そうですか。

三上:なんかね、周りの意見に流されて、みんな、そう。いじめないと、自分がいじめられる、みたいなね。

吉村:あー、はいはいはい。

三上:そこも、同調圧力リーダー格がいて、自分の意見に従え、みたいな感じで、みんな、型にはまって出ない、という。

吉村:うーん。言ってみたら、脅迫されているわけですよね。その、「あいつ、いじめちゃおうぜ」みたいな、それで、それにのってこなかったら、「お前、のり悪いやつだな」みたいなので、今度は、そのひとがターゲットされてしまうみたいな。

三上:そう。

吉村:結局、それって、一種の脅迫が、まずあって、周りのひとたちというのは、結局、自分がターゲットにされたくないというのがあるから、目立たないように、みんなと同じことをやろう、みたいなふうに思うことで、ほんとは、そのひとに恨みとかあるわけでもないのに、一緒になって、いじめるとか、無視する、みたいなことになっていっちゃう。なんか、変な空気の読み方みたいなのが起きるわけですね。そうすると、別に、その、リーダー格のひとが、ああしろ、こうしろと言わなくても、先読みして、みんなと同じようにしておけば、安全だろうみたいな、それって、言ってみたら、世間体を気にするひと、みたいな、ね、ひとたちがやっているのと同じだし、空気読めないことが、よくないこと、というふうな、語られ方が、かなりあるじゃないですか。「あのひと、KYだ。」

三上:言われますね。ありますよね。

吉村:それって、空気読んで、みなまで言わなくても、同じように振る舞うべきである、という、考えがあるわけですよね。そうすると、ちょっと、そこから、はずれるひとは、出る杭は打たれる、みたいな感じで、攻撃されたり、陰口を言われたりすることで、ひとと違うことを、すごいしにくい状況が作られているということですよね。だから、たとえば、それがあるから、残業頼まれたら、残業代出ないのに、残業しないわけにはいかない、みたいな状況になってしまったりとかも、起きるし、たとえば、今なんかだと、タバコ吸わないのが、いいことだとされているから、タバコ吸うひと、どんどん減っていっているわけですけど、僕が中高生のときとかって、ヤンキー文化全盛みたいなときっていうのは、結構、男子とかは、タバコを吸ってないと、なよなよした、弱いやつ、みたいな見られかたするから、そのために、タバコを吸って、一応、自分は、強い男子の仲間だぞ、みたいな、ポジションをとろうとしたりということがね、あったりするわけですよね。自分の意見とかは、関係ない。言いたいことがあっても、言えなくて、みんなに合わせるしかない、というような選択肢がない状態に、追い込まれているわけですけど、今なんか、コロナ禍で、みんな、マスクするべきである、みたいな感じになって、外歩くときとかも、みーんな、マスクしているんですけど。

三上:そうですね。外では、今、熱中症とかで、無理せず、みたいな感じもね、出てますけど、やっぱり、みんなしてると、ああ、自分だけ、みたいな感じになっちゃいますもんね。

吉村:そうですよね。それって、結局、マスクしなきゃ、駄目だ、駄目だって、散々言い続けたから、みんなが、じゃあ、マスクするもの、みたいな、なんか共通の認識が出ちゃったから、実際に、それで、熱中症で倒れるとか、体育の授業で、倒れる子とかが出ても、で、これは、まずいなとなったんで、無理しないようにしましょう、みたいなこと、言い出しているんですけど、結局、マスクしなきゃ、駄目だ、という、そっちの圧力があまりにも、強すぎたから、ここで、ちょっと、無理しないようにしましょう、と言っても、しなきゃ、駄目だ、がずっと残っちゃって、はずすタイミングが伺えないみたいな、状態になっちゃているわけですよね。結構、海外の様子とかを、ニュースとかで、みると、海外のひとたちとか、全然マスクしないで、普通に、大勢のひとがいるところに集まって生活とかしているから、だいぶ状況は変わってきているんですけど、日本国内では、マスクするのが当たり前みたいなのが、できあがっちゃているから、たぶん、マスクして外歩いているひとたちも、これ、あんまり要らないんじゃないかなと思っているひとも、だんだん増えてきていると思うんですね。

三上:うーん。そうですよね。

吉村:でも、まあ、ここでね、じゃあ、一番最初にマスクはずすひとには、なりたくないしな、みたいな感じで、これが続いている、ということなわけですよね。

三上:うーん。

吉村:これが、だから、日本の社会って、結構、同調圧力が強い状態になっているというふうに、言えるわけですけど、でも、まあ、実際、それって、僕たちのこころのなかで起こっていることにすぎないから、いわゆる、空気読めないひとだったら、いくら、周りが、こうしろ、こうしろって、プレッシャーかけたとしても、全然そういうの気にしないで、マスクしないで、歩いているひともいるわけですよね。どうしても、そういうひとたちって、少数派にはなってしまう。

三上:そうですね。

吉村:そんなようなことが起きているんだけど、だから、受け取り手のほうが、受け取らなければ、その同調圧力って、別に、なにか、ほんとうに、強制力があるものでもないし、マスク着けているひとが、みんな、ほんとうに、同調圧力を発しているのか、といったら、あんまり、そんなこともない、わけですよね。だから、現状、多くのひとが、これをやっているから、なんとなく、それをやるのが当たり前という、無意識の、刷り込みが日本人にされているために、起きちゃっている現象なわけですよ。だから、この同調圧力って、別に、現実のなかに存在している、リアルな圧力ではないんですよね。これが、もし、だって、現実だったら、測ることができそうじゃないですか。だって、気圧とかって、今日の気圧は、何ヘクトパスカルとかって、出るわけですよね。計測できるわけじゃないですか。機械とか使って。同調圧力というものが、ほんとうに、リアルに存在していたら、マスクに関する同調圧力は、なになにヘクトパスカルですね、みたいなことが言えるはずなんですよ。だから、そうすると、ちょっと、今日は、同調圧力強いんで、外出するときは、気をつけましょう、みたいなことが可能なはずなんですけど、そんなことできないじゃないですか。

三上:うーん。

吉村:ということは、僕たちの、頭の中で起きていることで、現実ではないんですよね。。

三上:うーん。たしかに。無意識のうちに、そうしてますもんね。

吉村:そうなんですよ。だから、別にその、そういう、みんなと同じことをやるべきであるという、常識が特にない国だと、別に、自分は、要らないと思っているから、着けません、みたいな感じのひとたちが出てきて、そっちがだんだん、多数派になっていくみたいなことが起きるわけじゃないですか。それって、現実みたときに、コロナで亡くなっているひとって、少なくなっているよね、とか、毒性上がってきているみたいだから、別に、そこまで気をつけなくていいんじゃない、みたいなのが、たとえば、感染者数に対する、重症化するひととか、亡くなるひとの割合とか、みていったら、現実的に考えて、もういいんじゃない、というふうになっているんですけど、結局、今の日本で起きていることって、現実で、数字が出ても、でも、とりあえず、マスク着けておかないと、みんなの目がこわいから、着けておこう、みたいなのが、続いているということだから、現実をみていないんですよね。

三上:うーん。

吉村:だから、ここの同調圧力に対して、同調圧力に負けない自分になっていくには、どうするか、みたいなことを考えたときに、ちゃんと、現実に即しているのかどうかというのを、考える。たとえば、クラスのリーダー格の、圧の強いひとが、いじめちゃおうぜと言ったときに、そのひとをいじめることで、一体、どういうことになるのか、とか、人をいじめることが、正当化される、正当な理由みたいなものが、果たして、あるのだろうか、とか、自分がいじめられたら、嫌だなと思っているのに、それを他者にやることが、果たして、真っ当なことなのだろうか、とか、なんかそういうことを考えたら、みんながやっているから、とりあえず、それに合わせて、やろうという発想にはならないと思うんですよね。そこって、その、現実ちゃんとみてないから、よくわかんないけど、みんながやっているから、まあいいか、みたいなことになっているんですよね。だから、きちっと、現実をちゃんとみて、何が適しているのか、今ここで、選ぶ選択肢として、自分がどう生きていきたいか、どうありたいか、ということと、自分の選択が合っているのか、どうか、ちゃんと考えたほうがいいと思うんですよね。

三上:うーん。たしかに。日々のなかで、こういった、同調圧力って、多いかもしれませんね。

吉村:そうですね。

三上:気づかないうちに、多いかもしれません。あー。なるほど。

吉村:果たして、現実みろって、僕は言ってきましたけど、じゃあ、その現実って、何なんだ、ということを、また、次回、お話できたらなというふうに思っています。

三上:はい。次の回で、「現実って、何」について、詳しく伺っていきたいと思います。とても気になります。はい、今日も、ありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

104.守護霊を選び直すことってできるの?

ハンドルネーム rioさんからのメッセージを取り上げて、吉村さんからお話伺いました。

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三上:はい、みなさん、こんにちは。こころメンテナンス。本日もアシスタントは、三上恵と、気功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:さあ、今日も、メッセージ取り上げて、ご案内していきたいと思いますが、みなさんから、たくさんのメッセージ、そして感想など、来ていただいて、ほんとうにうれしいです。さあ、今日はね、ハンドルネーム、りおさんからのメッセージ、読み上げたいと思います。8月26日放送ですね、95回目、「守護霊・疫病神」のお話、たいへん、おもしろかったです。守護霊を車のナビのようなものと考えると、自分で新しいナビに取り替える、つまり、自分で、今と違う守護霊を選び直すということはできるのでしょうか。できるとしたら、それは、どんな方法なのか教えてください。と、来ていますね。

吉村:はいはい。なるほどですね。守護霊が入れ替わるということは、結構、どうやら、よくあることではあるみたいなんですね。人生のなかでの、フェーズが変わるとかね、なんか、そういうようなときに、守護霊が入れ替わるという話は、僕もきいたことがありますし、入れ替わりがが起きているなというのは、僕もリーディングしていくなかでね、ああ、これは入れ替わっているんだろうなというところは、何度か目にしているんですけど、守護霊を選び直すということに関して、僕は、特にそれを自分で意図的にやるということを、特にやっていないので、サービスとして提供するということもやってはいないんですけど、ただ、それができるという話はよく耳にするんですよね。こういうスピリチュアルなことをされているかたとか、霊能者のかたで、「守護霊の選び直し、しますよ」みたいな話とかというのは、きくことがあるので、たぶん、やりかた知っているひとには、できるということなんじゃないかな、とは思いますね。

三上:うーん。前回のお話で、わたしのイメージでは、守護霊って、ひとりなのかなと思っていたんですけど、何名か、いらっしゃるんですよね。

吉村:そう。あるひとが言うのは、メインになっている守護霊がひとりいるんだけど、それ以外は、いっぱい、ばーっといて、それがどんどん入れ替わっていくというようなことをおっしゃっていたかたもいますし、そこって、ほんとに、システムで動いているというような感じなんだろうなと僕は思っていまして。そのシステムがね、完全に、僕の中では、解明できているわけではないので、あんまり、その、勝手にいじったりとかは、自分では、あんまりやっていないんですけど、ただ、そこに、バグがあるみたいな状態のときは、そのバグのクリアリングということをやっているんですよね。だから、本来の働きと違うことをやっているなというのが、ブロックによって、それが起きている場合は、それをクリアリングするんですけど、どういう守護霊が、どういうひとが守護霊になってくれたら、そのひとの今やりたいことに適しているのか、みたいなのを、どういう観点で、評価すればいいのか、僕にはよくわからないので、だから、そこの、守護霊の交換みたいなことに関しては、僕は、サービスとしては、今やっていないんですよね。結局、それが、そのひとにとって、どうするのが一番適しているのか、というのが、どこで評価したらいいのか、わからないから。はい。ただ、たぶん、それをサービスとして、提供されているかたたちは、独自の、選ぶ基準が、あるのかもしれないし、今のところ、僕の場合は、それが、よくないから変えようということよりも、うまく機能していないんだったら、うまく機能することを邪魔している要因を、取り除こうということを、やっているわけですよね。

三上:うーん。なるほど。なので、吉村さんが今されているのは、守護霊がいるとして、その守護霊さんが持っているブロックを取り除いて、本来のものを、本来のかたち、というか、本来である守護霊に戻すということをされているということですよね。

吉村:そうですね。

三上:たとえば、守護霊が、もし、入れ替わったとして、そのひとの身に起きることとかは変わってくると思うんですけど、そのひと自身の中身だったり、とかも、合わせて、変わってくるんですか。

吉村:そこら辺って、そのひとの性格が変わるとか、ということが起きるかどうか、ちょっとわからないんですけど、ただ、その、引き寄せの質とかは、変わるでしょうね。どういう出来事を引き寄せるかって、結構、守護霊のやっている部分って、大きいと思うんですよ。あとは、何かに対しての、ナビになる、ガイドをするというのが、守護霊の仕事なわけですけど、「こっち方向に行くと、危ないよ」みたいな、警告も出してくれたりするわけですけど、そこが、守護霊さんの性格とかで、どんどんリスクとって、冒険していっちゃおうぜ、イエイ、という守護霊さんなのか、そういうリスクは極力なくして、堅実に行きましょう、という守護霊さんなのか、とかで、おそらく、その、案内してくるナビの案内の仕方だったりとか、警告の出し方が、たぶん、ちがうと思うんですよね。そういう意味では、そのひとのやりたいこと、進みたい方向と、守護霊さんの性格みたいなのが、合っているかどうかというところも、たぶん、大事になってくることはあると思うんですよね。

三上:なるほどですね。ということで、どうですかね、今回、りあさんから頂いた、守護霊は選ぶことが、変えることが、できるんですか、自分で、ということをおっしゃっていましたけども、やっぱり、本来、持っている、守護霊さんを、吉村さんの場合は、クリアリングして、その、持っている本来のかたちで、戻していくということをされているということですので、それでも、気になっているという場合は、自分でググってもいいですしね。ご自身で。

吉村:そうですね。たぶん、そういうのをサービスとして、やってらっしゃる、霊能者のかたたちとか、いると思うので、そのかたたちが、どういう観点で、どういうふうにやっているのか、とかを、僕がみることができれば、ああ、じゃあ、そういうときって、僕の手法でやるんだとしたら、こういうかたちでやるのが適切かなとか、見えてくるかもしれないとは思うんですけど、現状、僕が、その情報をあんまり持っていないので、今回のお便りをきっかけに、少し研究してみてもいいかなという気持ちには、今なってきましたね。たぶん、結構、これはこれで、すごい、奥が深い世界なんじゃないかなと思うんですよね。

三上:守護霊の、この。

吉村:そうですね。だから、そこに、どのくらいの、手間暇をかけるかというのと、また、今、僕は僕で研究している領域というのがあって、もしかしたら、のちのちには、この領域も研究する必要性というのが出てくるかもしれないし、今が、もしかしたら、いいきっかけなのかもしれないし、なんともいえないですけど、僕の方で、今、興味が少し出てきたというのが、今後ね、約束はできないんですけど、もう少しね、守護霊について詳しく調べてみてもいいかなという気持ちにはなりましたので、ご自身でも、いろいろと調べてみたらいいんじゃないですかね。

三上:うーん。そうですね。ご自身で、まず、調べてみて、もしかしたら、吉村さんからも、守護霊に関する、また、何か、お話が、あるかもしれませんので、はい。

吉村:そうですね。

三上:そこは、ちょっと、楽しみにしていただきたいと思います。改めて、自分の守護霊って、どんなひとかという、自分も気になってはいますけど、でも、なんか、それよりも、今の自分と向き合いたい気持ちが、わたしのほうは、強いですが。

吉村:そうですね。あくまでも、ナビとかガイドだと思うので、守護霊というのは。だから、自分が、ほんとに、どうしたいのか、とかっていうことが、やっぱり、大事だと思うので、ほんとに、自分がどうしたいのかというのが、はっきりしてくれば、おそらくは、守護霊が、もしそれで、この守護霊は合わないなとなったら、なんらかのシステムが働いて、そこは、そこに合った守護霊に入れ替わるということは、結構自然に、行われている部分もあるんじゃないかなと、僕は思っているんですよ。

三上:うーん。逆に、守護霊が合わないなって、離れていくんですね。

吉村:なんか、ちょっと交代したほうがいいから、ここは交代しましょう、みたいなことをやっているんじゃないかなと思うので、だから、自分がほんとに、どうしたいのか、自分の魂は、何から喜びを得ているのか、という、そこを明確にして、自分の人生をそっちに照準を合わせていくということが大事かなとは思いますね。

三上:そうですね。守護霊に頼るというよりも、自分自身、どうしたいのか、どう生きたいのかというのが、やっぱり、軸にしてね、生きるとやっぱり楽しいですよね。

吉村:そうですね。たぶん、守護霊もそちらに合わせてくれるんじゃないかな、という、感じですよね。

三上:うーん。ということで、今日、守護霊のお話を取り上げましたけども、いいですね、こういうふうに、みなさんからも、こういった、疑問とか、質問とか、ありましたら、是非是非、ご応募していただきたいと思います。メッセージしていただきたいと思いますし、りあさんのほうにも、お話きいて、どうでした、という感想もいただけたらと思います。はい。本日も、吉村さん、ありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

103.先祖の問題を背負わさられるのはなぜ?

ハンドルネーム むにちゃんさんからのメッセージを取り上げて、吉村さんからお話伺いました。

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三上:はい、みなさん、いかがお過ごしでしょうか。こころメンテナンス。本日もアシスタント三上恵と、気功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:さあ、今日もですね、メッセージ、取り上げて、読んでいきたいと思いますよ。ハンドルネーム、ムニチョンさんから来ているメッセージです。読み上げたいと思います。「吉村先生、こんにちは。はじめまして。前に」、こちら、お名前、ご案内していいんでしょうかね。

吉村:スミレアキコさん。ユーチューバーのかたの。動画に、僕出させていただいたんで、そのときの、お話だと思いますね。

三上:ということで、その内容なんですけども、「目に見えないエネルギーの世界を、論理的に、理路整然と、またやさしい言葉を選んで、説明して下さるので、とても、わかりやすく、いつも配信を楽しみにしながら、チェックしています。最近は、寝るときにも、流しっぱなし動画を開くことが多くなりました。ありがとうございます。」

吉村:ありがとうございます。

三上:はい。「素朴な疑問なんですけど、ひとつ、どうしても気になることがあります。クリアリングで、よく、依頼者のかたの、祖先のブロックがくっついていることがありますよね。亡くなったひとは、また、生まれ変わるのだから、過去世のカルマとして、次の人生で、自分で持ってくればいいものを、なぜ、わざわざ、他人の、ある子孫に投げるのでしょうか。亡くなったかたの意思でそうするのか、それとも、そういった宇宙のライフサイクル的なしくみがあるのでしょうか。いずれにしろ、他者の問題を背負わされたほうは、たまったもんじゃないし、そこから、新たなブロックが生まれる可能性もあるとしたら、なんだか、理不尽すぎるなと思っています。そのあたり、詳しく教えていただけると、うれしいです。よろしくお願いします。」と、来ています。

吉村:はー、はー、なるほどですね。このご意見は、僕も、すごく、ごもっともだと、思いますよ。理不尽というかね。

三上:わたしも、ききながら、なぜ?、なぜ?と思います。たしかに。

吉村:そうですね。これに関していうとですね、人間の肉体と、魂が渡り歩いていくという、輪廻転生の仕組みというところで、ある意味、仕方ないんじゃないかなという感じもしなくはないんですよ。肉体って、僕たちの魂としては、借りて使っているようなものなわけですよ。三次元世界だと、見て触ることができるのは、肉体、ぼくらが他のひとをみたときに、そのひとの肉体を見ているし、自分といったときも、この肉体を指して、自分と言っている感じがするんですけど、でも本質としては、その魂があって、輪廻転生しているのは、その魂のほうなわけですよね。だから、この肉体って、実は、この三次元世界で、人間として生きるために、借りて、使わせてもらっている乗り物みたいなもので、これはこれで、他の地球上の生物と同じように、DNAを持っていて、それで、いろいろと繁殖していく、みたいな、DNAをコピーして、繁殖していくみたいな仕組みを持っているわけですよ。このDNAが受け継がれて、どんどん、後世に受け継がれて、生物がどんどん、ずっと、生き続ける、という、この仕組と、魂が輪廻転生する仕組みというのは、全然、別の仕組みなんですよ。だから、魂が輪廻転生していない生き物というのは、実は、このDNAが生きながらえているということで、ずっと生き続けているものなんで、ひとつひとつの個体としての、存在というのは、この種全体としてみると、その種全体の一部であって、個として、独立して、存在しているものとは、ちょっと言い難いんですよね。他の、魂が輪廻転生していない、生き物というのは。だから、種として、ひとつの生き物、みたいなとこがあるんですよ。でも、人間の場合、魂が主体で、魂は、ひとつの肉体で、ひとりの人生を生きると、そこから離れて、また次の肉体と結合して、次のひとりの人生を生きるとなるから、人間そのものの、種としての意識というのは、実は、この肉体のほうに属しているものであって、魂は、全然別の存在なんですよ。この肉体からしてみると、勝手に、乗っ取って、肉体を使っている、お客さんみたいな、そういう感じなんですよね。「お客さん、よく来てるな」みたいな、そういうような感じの存在なんですね。だから、「自分の先祖が、持っていたブロックというのは、そのひとのもので、わたしには関係ないよね」という発想というのは、魂としては、たしかに別者なんですけど、肉体と考えた場合、同じ、人間という種の、同じDNAのライン上に、いるものだから、実は、そういうブロックを持った先祖がいるという肉体を選んで来ているというふうに言えなくもないんですよ。結局、そこって、切り離して、考えられる、別々のものじゃなくて、この肉体を選んでいるんだけど、実は、この肉体に到るまでの流れ全体を含めて、選んでいるという話になるわけですよ。だから、先祖のブロックの影響を受けてしまっているというのは、この仕組み全体をとらえた場合、それも含めて、この肉体を選んでいるんだから、それはしょうがないよね、という話になっちゃうんですよね。なので、イメージとしては、レンタカーを次々借りていってるみたいな、同じレンタカーをいろんなひとが借りていっているんですよ。だから、次のかたに、ちゃんと、快適なドライブを楽しんでもらいたかったら、レンタカー返すときに、ちゃんときれいにして、たとえば、ちょっと壊れているところがあったら、きちんと修理した状態にしたりとか、ガソリンも入った状態で返すというのをマナーとして、やっていったらいいと思うんですけど、それが、そういう仕組みを、みんな知らずに、「自分の人生、これで終わったから、はい、これで終了」みたいな、「あと、知りません」みたいな感じで、みんなが生きているから、だから、そのときの肉体にたまっていた、いろんなブロックとか、ネガティブな感情とか、残ったまま、後世の、次のドライバーに受け渡されているわけですよね。なので、そういう意味では、マナー的にとらえて、きちっと、きれいにして返すということを、みんながやったほうがいいんじゃないかなと、僕は思ってはいるので、そういう意味では、クリアリングをきちっとやっておくというのが、いいんじゃないかなと思いますよね。

三上:うーん。すごい、わかりやすいです。何度か、ね、肉体と魂のお話はでてきますけど、初め、きかないと、「どういうこと?」、「え?」というふうに思いますけど、別々のものなんだととらえると、すごいわかりやすいですよね。

吉村:そうですよね。たしかに、先祖のやらかしたことも、責任を今とらされている風な、構図に見えてしまうから、「なんで、そんなこと、自分がしないといけないんだよ」って、思うのかもしれないですけど、同じ生き物をみんなでシェアして使っているみたいな感じなんですよね。レンタカーという見方もできるかもしれないし、馬とかね、僕のおじいちゃんが乗ってた馬を、お父さんが譲り受けて、それで、僕が今回乗ってますよ、みたいな話なので、馬は馬として、ケアしてあげないと、おじいちゃんがひどい乗り方して、だいぶ、へばった状態の馬をもらってしまいました、みたいな感じになったら、最初から、しんどい状態で、始まってしまうわけなので、そこは、だから、ちゃんと、きちって、ケアして、いい状態で、次の世代に渡すということを、みんなが意識してやったほうが、それは、いいですよね、ということなんでね。だから、そういう、理不尽だなと思うというのは、ほんとに、僕も、それは、まったくそのとおりだと思いますよ、ということなんですけど、何かが悪いとか、誰かが悪いとかって話じゃなくて、ちゃんと、正しいケアの仕方を、みんなが知らなくて、ほったらかしにしてるから、そうなっているという話だと思いますね。

三上:なるほどですね。いやー、そうですね。結構、多いんですかね。やっぱり。ちゃんと、きれいにしないで、次に行くというのが。

吉村:今、ほとんどのひとがそうじゃないですか。だってね、自分の人生、自分が好き勝手やって、終わったら、それで、オシマイと思っているひとたちって、すごい多いと思うんですよ。たとえば、僕と、僕の娘たちふたりというのは、一見、離れているようですけど、半分は、同じDNAの情報を持っているから、そこって、共振共鳴が起きているので、言ってみたら、つながっているんですよね。ほんとうは。エネルギー的には。ということは、僕が、ネガティブな感情をちゃんとケアしないで、食べまくって、この先の人生を生きていたとしたら、その影響って、肉体としては、離れているけど、うちの娘たちも、結局、そのネガティブな感情の影響を受けている状態で、これからの人生がずっと続いていくことになってしまうんですね。だから、それって、別に、うちの娘たち、何も悪くないのに、僕が、ネガティブな感情をほったらかしにしているために、うちの娘たちがしんどい思いをするということになってしまうわけですよね。そうすると、ちょっと、それは嫌だなと、僕は思うので、僕の代で、きっちりきれいにしたいし、うちの娘たちにも、そういうネガティブな感情をためこまないで、生き方をちゃんと選ぶんだよ、ということは、きっちと、伝えておきたいですよね。

三上:今お話きいて、思ったのは、勉強とか、そういうお話とかで伝えるというのは、家族のなかで、いろいろあったりするんですけども、こういう伝え方というのは、日常のなかでは、ないなというふうに。なかなか、ないですよね。たぶんね。そういうことも、やっぱり、伝えていくべきですね。話きいていて、思いました。さあ、ムニチョンさん、今のお話きいて、なるほど、わかりやすく、いつも解説、お話してくれるので、きっと、ムニチョンさんも、リスナーのみなさんにも伝わったかと、わたしも、毎回、学んで、情報がいっぱい増えて、日常のなかにも、取り入れています。はい。

吉村:よかったです。

三上:本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました

102.恥ずかしさの中身

ハンドルネーム イオさんからのメッセージを取り上げて、吉村さんからお話伺いました。

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三上:はい、みなさん、こんにちは。こころメンテナンス。本日もアシスタント三上恵と、気功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:さあ、今日はですね、一般のみなさんから頂いたメッセージ、回を増すごとに増えていってるなという気がして、とてもうれしいんですけども。

吉村:ありがたいですね。

三上:ほんとですね。感想とか入れてくれたりとか、話をききたいというメッセージが増えてきていますので、今、聴いているリスナーのみなさんも、気になったら、是非、メッセージを送っていただきたいと思います。さあ、今日はですね、ハンドルネーム、イオさんから来たメッセージを読み上げていきたいと思います。「こんにちは。いつも楽しみにしています。恥ずかしいという感情は、怒りと他にいくつかの感情が合わさったものと、昔なにかで読んだことがあります。確かに、恥ずかしいと言うときは、本場の麻婆豆腐を食べたとき、いくつかの刺激を同時に受けて、どうしていいのかわからない感じに似てるような気がします。恥ずかしいというときは、何が起きているのか、お話していただけたら、うれしいです」と、来ています。

吉村:なるほどですね。例えがおもしろいですね。

三上:おもしろい。表現がね。おもしろいなと思って。ユーモアがありますね。

吉村:そうですね。感情というのはね、一時的、一次感情として出てきているものだけじゃなくて、また、出てきた感情をごまかすために、他の感情でカバーするとか、二次感情、三次感情みたいに、何か、感情を上塗りすることで、元々の感情がよくわかんなくなっていく、みたいな、ことっていうのがよくあるんですよね。いろんな色が混ざって、マーブル模様みたいになっちゃてるみたいなね、それの表面的に目立つところをとらえて、この感情と捉えていたりとかするんですけど、実際には、他のいろんな感情が混ざりあって、現状ができているというような場合がけっこうあるんですよ。たとえば、恥ずかしいと一つとっても、どういう場面で、恥ずかしいと感じるかって、いうのによって、実は、同じ言葉で表現しているけど、全く同じとはいえないんじゃないかなというものもあると思うんですよ。たとえば、子どもの頃のちょっとした失敗談を、親が友だちに話してしまって、恥ずかしいみたいなのと、道歩いていて、ハッと、自分の来ている服にタグが付いたままだと気がついたことがあって、そのときも恥ずかしいという言葉で表現しますけど、同じ感情とは言えなかったりするんですよね。だから、一概に、恥ずかしいというのは、こういうことですと言える話ではないんですけど、感情って、ひとつには、ネガティブな感情に関していえば、攻撃性が内側に向いているか、外側にむいているかという、違いがあるじゃないですか。たとえば、後悔するとか、自己嫌悪におちいるとかって、内側に攻撃性が向いてるの、わかりますよね。

三上:はい。

吉村:だけど、「あいつ、けしからん」とか、「許せない」とか、怒りとか、憤りの感情って、今度は、攻撃性が外側に向いていますよね。

三上:向いてますね。

吉村:あと、感情のボルテージが、高い感情、低い感情なのかというのも、内側から、そこら辺で、グラフみたいなのに、点を打っていく、みたいなね、そういうので、なんとなく、この辺のものには、これぐらい、こんな感じって、名前をつけているだけなんですよね。だから、同じ言葉を使っているけど、微妙に違うということは、充分あり得るので、どういうシチュエーションで、自分が何に対して、ネガティブな反応をしたのか。そのことに対して、自分は、どう捉えているのか、みたいなことで、実は、感情の反応って、出ているんですよ。

三上:うーん。

吉村:だから、恥ずかしいというのも、「わ、恥ずかしい」って、なんか「きゃ!」みたいなのと、「この恥は、自分のことが許せません」みたいな恥ずかしいのと、違うじゃないですか。

三上:まったく違いますね。

吉村:だから、その辺も含めて、自分がそういったものに、どう反応しているのかというのをよくみていくと、感情の、どういうものが混ざりあって、その感情になっているのかって、みえてくると思うんですよね。そうすると、感情そのものをどうにかしようと思うよりも、何に反応しているのか、それはなぜ、その反応になるのか、という、そこをみていったほうが、感情を取り扱い易くなるんですよね。一回出てきちゃった感情を抑え込むって、ほぼほぼ無理なんですよ。結局、それをやっても、どこかにたまっちゃうだけで、あとで、どこか、違うかたちで、現れるとかね、体調が悪くなるというかたちで現れることが起きちゃうから、出てきた感情に関しては、「ああ、自分、今、あのことに対して、こういうふうに思っているから、こういう反応が出たんだな。」たとえば、みんなの前で、かっこいい自分でいたいと思ってるから、だから、子どもの頃の恥ずかしいエピソードを親に言われたときに、すごくネガティブな反応をしたんだなって、なったら、別に、子どものときに、そのぐらい、みんな普通だよ、とか、みんなの前で、自分、いつもかっこいいひとでいる必要ないよね、というふうに、捉え方が変われば、別に、そのエピソードって、ただの面白エピソードで終わっちゃうわけですよね。恥ずかしいとは思わなくて、「あはは、そんなこともあったよね」みたいな、「子どもって、かわいいよね。あはは」で、別に済んじゃう話かもしれないですよ。「やめてよ、そんな恥ずかしい話するの」とかなるということは、自分がかっこいいひとでいなきゃいけないって思っているからじゃないですか。

三上:たしかに。同じエピソードであっても、ひとによって、言い方違いますもんね。内容が一緒だったとしてもね。

吉村:そういうことなんですよ。そうそうそう。だから、この辺の、ネガティブ、要するに、攻撃性が含まれている、なんか否定が含まれている感情ですよね。そういった気持ちが出てくるってことは、何かを自分が否定的にとらえているということなので、自分が何を否定的にとらえているのかというのが、わかると、それを否定的にとらえるのをやめるという選択肢が次にあらわれてくるわけですよ。

三上:うーん。

吉村:「別に、そんなこと、否定しなくていいよ。だって、子どものときの、そういうエピソードって、考えようによっちゃあ、かわいいじゃん」みたいな感じで、そのとらえかたが変わると、全然、その感情の反応も変わってしまうんですよね。

三上:うーん。なるほど。じゃ、ご自身が「なんか恥ずかしい」思っている感情を、まずは、どういった状況で起きているのかっていうのをとらえる、というか、感じる。

吉村:そうそう。何をいけないとか、よくないと思っているのか、というところまで、ちゃんと、立ち返って、分析することができると、「別に、これ、恥ずかしいという捉え方、しなくてもいいんだな」という感じになってくるわけですよね。だから、恥ずかしいと思っているのを、「恥ずかしいと思っちゃ、駄目だ」とやると、これはうまくいかないんですよ。絶対無理なんですよ。

三上:ですね。たしかに、恥ずかしいでも、ひとによって、全然、今ね、二個目かな、タグ付いてたとかってお話されていたんですけど、わたし、よく、それあるんですよ。「ああ、恥ずかしい」と思いながらも、次に切り替えるから、「これは、次のネタに」みたいな、「話のネタに、これをもっていこう」みたいな、「こんなことがあったよ」みたいなのを変えたりするんですけど。

吉村:エピソードトークになりますもんね。

三上:なりますよね。ほんと。考え方によって、全然、恥ずかしさもポジティブというか、プラスに変えれるような、考え方に変わるといいですよね。

吉村:そうですね。

三上:そうやると、毎日がだんだん、楽しくなってくるんですよね。

吉村:そうですね。うち、娘、双子なんで、運動会のときに、小学校のとき、ひとりが、赤組で、もうひとりが白組、みたいな感じで、組が分かれていたんですよ。そうすると、家のなかで、必ず、運動会に勝ったほうの子と、負けたほうの子が発生してしまうんですよ。毎年。で、4年生ぐらいまで、かたっぽうが、連続で負けていたんですよね。そうなると、そのあとのケアが大変じゃないですか。ひとりは「よかったね」で、もうひとりは、「残念だったね」みたいな。ちっちゃい子どもだと、本気で、落ち込んじゃうから、運動会で負けたことぐらいのことでもね。小学校の先生にお願いしたんですよ。「うち、こういう事情でね、別のチームになると、いろいろとあとが大変なんで、うまいこと、同じチームになるように、できませんか」と言ったら、気を使って、それをやってくれたんですよね。だから、小学校5年生からは、同じチームになって、いつも負けていたほうの子が、「これで、勝てる。やった!」とかって言ったんですけど、結局、そのあと、2年連続で、負けちゃったんですね。だから、ひとりは、小学校6年間、ずっと、運動会、負け続けるという、なんかすごいことになってて、本人は、そのとき、すごい落ち込んでいたんですけど、僕が、「いや、この話はね、大きくなってから、絶対、この話したら、鉄板でうける話になるから、実は、ほんとすごい得しているんだよ」と言っていたんですよね。すぐには入っていかなかったみたいですけど、最近では、新しくできた友だちとかに、その話すると、めちゃめちゃうけるらしくて、だから、「ほらね」って、「結果、よかったでしょ」って。

三上:そうですよね。たしかに、勝って、負けてって、同じ比率だと、えーってなりますけど、「ずっと6年間負けてんだよ」なら、すごい、もってんじゃない、逆に、というぐらいね。

吉村:なりますよね。

三上:捉え方、考え方って、大切ですね。

吉村:そうですね。

三上:たのしくなってきましたね。話すの。

吉村:よかったですね。はい。

三上:ということで、イオさんも、どんなときに、自分がね、恥ずかしいという感情が降りてくるのか、落ちてくるのか、というのをまず、とらえて、いただきたいと思います。

吉村:そうですよね。はい。

三上:そうですね。いいお話でした。はい。

吉村:ありがとうございます。

三上:吉村さん、今日も、ありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

101.コロナ体験談

吉村さんが新型コロナウイルスに感染した時の症状や療養生活についてお話伺いました。

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三上:はい、みなさん、いかがお過ごしでしょうか。こころメンテナンス。本日もアシスタント三上恵と、気功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい。さあ、吉村さん、実は、ここ最近、コロナに、流行りに乗っちゃったと、伺いましたけど、体調はいかがでしょうか。

吉村:はい。今もう、待機期間も過ぎて、熱も下がってますし、だいぶよくなっているんですけど、やっぱり、体力がすごい落ちてしまっているなと感じますし、朝起きたときにね、すごい脱水していて、少し頭が痛いみたいなところから、一日が始まるので、結構、しんどい感じはありますね。

三上:初めてかかったんですかね。

吉村:初めてですね。コロナに限らず、実は、僕、ここ何年も、風邪、あんまりひいたことなくて、だから、風邪を引き慣れていないというかね、熱が出たりとか、頭痛があるみたいな状態は、あんまり、長らく経験していないので、こんなにつらかったんだ、みたいな感じにはなりましたね。

三上:うーん。相当ですよね。今まで、たとえば、熱を出したことがなかったら、ほんとに、久々の、しかもコロナという。

吉村:そうですね。最初は、コロナで亡くなっちゃうひとがいるから、危険みたいな話だったときって、呼吸困難になるみたいな話があったから、幸いなことに、全然、そっちのほうは問題なくて、念のため、指につけて測る、パルスオキシメーター、血中酸素濃度を調べる機械とかつけたんですけど、そっちも全然正常だったので、呼吸に関しては、全然問題無かったんですけど、熱が出るとだるかったりとかね、からだが痛くなったりとかするじゃないですか。それが、慣れてないから、こんなにつらいのか、みたいな感じで、ぐったりしていましたよ。しばらく。

三上:どれぐらいで、熱とか、だるさというのは、だんだん、よくなってきたんですか。

吉村:でもね、高熱が出たのは、ほんと一日目だけで、僕がかかってしまったので、家族にも、結構、うつしてしまって、僕の奥さんと、双子の娘のうちのひとりがかかってしまったんですよ。双子の娘のひとりは、やっぱり、一日目だけ、高熱が出たんですけど、もう翌日からは、完全にケロッとしてて、娘たちは、以前にもコロナ、かかっているので、ひとりは2回目で、もうひとりは、前回かかったけど、今回、かからなかったという感じなんですけど、やっぱり、若いからか、回復が速いみたいで、全然普通なんですけど、僕と奥さんは、結構、げっそりしちゃった感じですね。

三上:はあ。おうちでね、コロナの期間中というのは、ご飯とかって、どうされていたんですか。

吉村:東京都がやっている支援みたいので、電話かけると、段ボール箱に食料品をまとめて、何日か分、どさっと送ってくれるんですよね。

三上:そうなんですね。

吉村:はい。だから、それで、まあね。あとは、家で、お米あるし、みたいな感じで、なんとかやっていけるんですけど。

三上:コロナに関して、どうやって防ぐというのは、難しいとは思うんですけど、気分的なもので、どう、コロナに、自分たちが、かかったかたもたくさん、なかにはね、リスナーのみなさんにも多いと思うんですけど、自分の意識的なものを、高めるじゃないですけど、落ちたときに、どう上に上げていくかという、感じな、方法とかって、あるんですかね。

吉村:どうなんでしょうね。ただ、僕、実際、コロナかかったときって、要は、自分自身、仕事詰め込みすぎていて、このままだと、気を付けないと、ちょっと危なそうだなと思っていたときに、やっぱり、もらっちゃったから、たぶん、免疫が落ちてしまっていたんだろうなという自覚はあるんですよね。なので、やっぱり、無理しすぎないというのは、大事なんじゃないかなという気はしますよね。

三上:じゃあ、このタイミングに、休んでください、という。

吉村:そういうことなんですけど。ほんと、僕みたいに、ひとりで仕事していると、休んでいる間に、できなかった仕事って、消えてなくなりはしないから、結局、あとで、またどこかに、隙間にいれて、やるしかないから、そこは、結構、やっぱり、厳しいなって、感じましたね。

三上:そうですね。そのときに、コロナ禍で分かれますよね。働き方というかね。

吉村:そうですね。

三上:いいも悪いも、いろいろ考えてしまいますけども。今後かかった、今後かかる可能性が、みなさん、あると思うんですけど、何か、こうしたほうがいいよ、ではないですけど、何かアドバイスできることってありますか。実際、かかったかたが感じることは、いろいろあると思うので。

吉村:うーん。そうですね。僕の場合は、その、風邪引き慣れてないというので、かなり大きかったから、ほんとに、ぐったりしちゃって、僕も、どうしたらいいのか、よくわからんみたいな状態で、寝込んでしまっていたんですけど、やっぱり、周りの経営者仲間の話とかきくと、結構、みなさん、ちょこちょこ、かかっているんですよね。だから、「2回目もかかった」っていうひとの話をきくと、いろいろ話きくと、「1回目は、つらかったですよ」みたいな感じの話をきくので、ということは、2回目は1回目ほどつらくないのかな、とか、そうするとね、やっぱり、慣れなのかな、みたいな、そういう感じもありますよね。

三上:なるほどですね。そういうふうに、ちょっと構えるというか、1回かかったかたは、次来ても、という気持ちで、まあ、その状態にもよると思いますけどね。

吉村:幸いなことにね、それで重篤化して、入院しちゃいました、みたいなひととか、周りにいないし、なんか全然、亡くなっているひととかも、いないので、普通に、風邪引いたときの、ケアのしかたというのをきちっとやっておけば、大丈夫なのかなという印象はありますけどね。実際のところ、どうなのかわからないし、僕の知らないところではね、何か大変な、重症化しているひととかいるのかもしれないですけど、でも、まあ、国から出ている統計データとかみても、亡くなっているひととか、どんどん、減っているみたいだし、亡くなっているかたたちって、他の、病気をお持ちだったりとか、というような感じなんで、そういう意味では、それほど、心配しなくても、大丈夫な病気になりつつあるんじゃないかなという、そんな感覚はありますよね。

三上:そうですね。ちょっと、インフルエンザみたいな感じでね。ちょっと、そういった方向というか、ね。ていうふうになってくれれば、わたし、日常生活、ちょっと、気が楽になるというか、ほっとする部分もありますけどね。

吉村:そうですね。インフルエンザ、僕なんか、何年か前に1回かかったんですけど、そのときは、病院に行って、かかって何日目以内に、飲んでおけば、重症化しにくいみたいな薬が、あるじゃないですか。タミフルみたいな。ああいうのを出してもらったら、全然たいしたことなかったんで、そんときは、ほんとに、たいしたことないじゃん、って感じだったんですけど、高校生のときかな、インフルエンザかかったことあるんですけど、そのときは、ものすごい熱が出て、すごいつらかったんですよ。そのときって、アメリカの高校の寮にいて、高校の寮とかって、学校に行きたくない子がさぼる口実でつかうとかってあるじゃないですか。だから、寮の先生とかも、子どもが熱出ているんですよとか言っても、あんまり真剣にとりあってくれないケースが多いんですよ。「とりあえず、寝とけ」とかって言われて、そのまま寝ていて、でも、全然熱下がらないし、苦しいし、みたいな、ほんとに、のたうち回っていたんですけど、あんまりひどかったから、ようやく、病院に連れて行ってもらったら、「これは、インフルエンザだね。かかって、すぐだったら、薬出せたんだけど、今だと、もうあんまり関係ないよ」とかって、言われちゃって、フルにインフルエンザのつらい時期をフル体験したというのが、あったんですけど、あのときのつらさと比べると、まだましかなという感じはあるんですよ。ほんとに、インフルでのたうち回っていたときとか、一日中、うー、うー、うなっているみたいだったんで、そこまでひどくはなかったから、もちろん、個人差とかもあるでしょうし、体質の違いとかもあるだろうから、一概には言えないとは思うんですけど、高校時代にかかったインフルと比べたら、まだまだ、全然、たいしたことはないな、って、だから、どっちかというと、すごい激しい症状が出るというよりは、ちょっと気になる嫌な感じが、ずっと続いているみたいな、そういう感じの症状でしたよ。今回のコロナに関していうとね。

三上:なるほど。学生時代のすごい、インフルの経験が、人生の経験みたいな感じで、あ、これぐらいだっけという感じで、とらえられたということですね。

吉村:そうですね。あのときは、なんかね、思い出しても、つらかったよなあ、と。高校だから、もう15年以上は、ほとんど風邪ひいてないんですよ。だから、こういう、熱出て、何日も調子悪いのが続くみたいなのは、ほんとに、十何年ぶりなんで、かなり、こたえてしまいましたけど。でもまあ、昔のインフルと比べると、たいしたことないよな、と、そういう感じですね。

三上:十何年、今まで、そういう、大きい、熱とかね、かかってないということだったんですけど、日頃から、心がけていることとか、あるんでしょうか。

吉村:ネガティブな感情をずっとため込まないようには気を付けているというのはありますよね。クリアリングすることで。ネガティブ感情がたまっていない状態になるべくキープしておくという、僕は、昔、こういう心のことを研究し始める前とかは、年に2回ぐらいは、熱を出していたんですよ。そのときって、病気の母を半分介護しながら、日々生活していたということと、それから、あと、僕自身が、役者だったけど、全然売れてなくて、人生に対する不平・不満がすごい多い状態で、生きていたわけですよね。だから、今、その状態を振り返ってみると、たしかに、あれは病気になりやすいよね、と思うような、生活をしていたので、それと比べると、ストレスがすごい少ない生活が、今できているというはあるので、おかげさまで、仕事はすごい忙しくなっているというのはあるので、そこで、ちょっと、無理しすぎたなというのは、今回の反省点ではあるんですけど、当時のね、不平不満ばかりのなかで、生きている状態と比べると、だいぶストレスの少ない生活をしているおかげで、あんまり、風邪ひかないで済んでいるんだろうなという感覚はありますよね。

三上:うーん。やっぱり、運動するとか、そういうのもね、健康面に気を付けるというのも含めて、あとは、自分自身も、中身というかね、自律神経というか、そういったところも整えていかないといけないですね。そこがまた大切になってくるんでしょうね。

吉村:そうですね。気の持ち様って、すごく大事だなというふうに、僕は思うので、健康に気を使うことって、やりだすときりがない部分もあるじゃないですか。

三上:そうですね。

吉村:だから、ある程度、ほどほどには、気をつけたほうがいいというのは、もちろんあるんですけど、それが度を越えていくと、気の持ち様が悪いのに、栄養でなんとかしようとか、運動でなんとかしようとかってことばっかりになってしまうと、今度は、強迫的にそれをやるようになってしまうと、こころの部分のストレスとか、ネガティブ感情が、どんどん増えているのに、一所懸命、サプリメントとって、健康に、みたいな話になってしまったりとかってなると、ほんとに、今度は、あれ食べたら危険だ、これやったら危険だ、そういうふうな方向にいっちゃうと、どんどん、おかしな方向に行ってしまう可能性もあるわけですよね。それこそ、気をつけたほうがいいと思うのは、健康のためなら、死んでもいい、みたいなメンタリティーになってしまうことだと思うんですよ。それって、完全に本末転倒だと思うんですね。

三上:たしかに。そうですね。うーん。ちゃんと自分と向き合って、今の状態を確認するということが大切になってきますね。

吉村:そうですね。

三上:ということで、みなさんも、いつ、自分にね、くるか、わからないですから、日頃から、ストレス抱えてしまうと、免疫落ちちゃうとかね、いろんなものをもらっちゃいますんで、わたしも今お話ききながら、日々ちゃんと自分と向き合って、いこうかなとおもいました。みなさんも、体調にお気をつけてください。そして、吉村さんもね、一日も早く、元の体調に戻るのを、わたしも願っております。

吉村:ありがとうございます。

三上:本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

100.こころメンテナンス100回記念

100回目の配信迎えましたー!!
番組の振り返り、今後について伺いました。

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三上:はい、みなさん、いかがお過ごしでしょうか。こころメンテナンス。本日もアシスタント三上恵と、気功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい、さあ、吉村さん。本日は、記念すべき日です。なんと、100回目、迎えました。

吉村:おー、すごいですね。

三上:うわあ、もう100回目ですよ。

吉村:ねえ。週2回、配信してるから、約1年ということですかね。100回ということは。

三上:そうですね。出会って、1年。いろいろ、回を重ねていきましたけども、今日はですね、100回目を記念して、番組を振り返ったり、あとは、これから、どんな番組にしていこうか、という話をみなさんに、お届けできたらなと思います。

吉村:はい。

三上:100回目を迎えて、どうですか。周りの反響は?

吉村:そうですね。たまに、月曜日のゆるライブ、You Tubeでライブ配信してるときとかに、「ポッドキャストから来ました」というコメントをチャット欄にくださるかたがいたりして、先にポッドキャストをきかれて、こちらに来られたかた、いるんだ、とか、あとは、たとえば、チャット欄で質問されているかたに、別の、リスナーのかたが、「その話は、ポッドキャストの第何回で、詳しく解説されていますよ」とか。

三上:逆に。

吉村:そういうふうに、コメントしてくださったりして、聴いてくださるかた、いるんだな、うれしいなというのは、ありますね。

三上:ああ。ですね。わたしも、周りにも、興味があるひとには、こういう番組やってるよって、わたし自身も、気功というのは知ってましたけども、なかなか、周りいないので、自分自身も学べる、回を重ねるごとに、だんだん、自分も優しくなれる。

吉村:いいですね。

三上:自分も成長できる番組だなというふうに、いつも、吉村さんにお世話になっております。

吉村:お友だちで、聴いてくださっているかた。

三上:います。いますし、うちの母も聴いていただいてて、やっぱり、気功ってね、周りにいないと、どういうものかというのが、わからないじゃないですか。周りに、どうしても、コロナ禍で、ネガティブなときとか、そういう感情を持っているかたが多かったときに、「実は、わたし、こういうことをやっていて」と、「今、気功の番組を持っていて」と、「いろんな考え方があって」と、こういう話をしてみると、「聴いてみる」と言って、「じゃあ、テーマに分かれているから、気になってることだけでもいいから、まず聴いてみて」というふうに案内して、聴いた友だちからは、「なんか、自分が、いろいろ、ネガティブな感情とか多かったけど、聴いて、気分、すっきりした」と言って、「今度から、どんどん、聴いていくね」と言ってました。

吉村:ああ、うれしいですね。

三上:うーん。だから、そういった感想いただけると。でも、もっと、いろんなひとにね、知っていただきたいなというふうにも思ったりしますね。

吉村:そうですね。

三上:そうですね。あと、やっぱり、いろんな、この番組を通して、わたしは、なかなかね、リスナーさんとからむ機会はないので、メッセージとかいただけると、吉村さんに対してのが主ですけど、たまに、三上さんの話が出てくると、なんかちょっと、ほっこりしたり。

吉村:そうですね。

三上:はい。しますね。あとは、前回、吉村さんのYou Tubeにライブ出演、ゲストで出たときも、すごい楽しかったですよ。

吉村:ああ、よかったです。はい。

三上:うーん。1時間ちょっとでしたっけ。

吉村:そうですね。1時間…。まあ、大体、いつも、1時間から1時間半ぐらいを目安にやっている感じではあるんですけど、結構、たくさん、お話したなという印象はありますよね。

三上:そうですね。あとは、やっぱり、自分自身も、ちょっと変わってきたかなというのが、この番組を通してですね、子どものこともそうですし、自分がこうしたいというのを押し付けていたなとか、吉村さんと話をして思っていたのは、この子自身の成長でなくて、わたしがこういうかたちにしたいから、叱っている自分がいるなとか、こういう自分がいるなという振り返りとか、というのは、すごい、この番組を通して、私自身は、考えさせられることがいろいろあったりとか、プラーベートで、すごい、だから、広くなったと思います。以前より。こころが。

吉村:ああ、よかった。

三上:はい。今聴いているかたたちも、そういう影響をたくさん受けていると思うんですけども、今回、100回目を迎えてですね、今後、どういう感じで、していきたいという、吉村さんの、お気持ちとか考えとかあるんでしょうか。

吉村:そうですね。やっぱり、僕としては、一番、変わらずにやっていきたいことは、潜在意識というものが、僕たちの日常生活にどう関わっているのかというところを、より多くのひとに、ちゃんと知ってもらって、うまい取り扱い方というかね、自分とどう向き合っていったら、自分の人生のクォリティを上げられるのかとか、周りのひとたちとのコミュニケーションがよくなっていくのかということ、これを、知らないと、自分の潜在意識がやっていることに、ただ翻弄されて生きているということになっちゃうわけですよね。だけど、これがわかっていると、「あ、今、自分は何か反応したけど、それって、きっと、潜在意識のなかで、こういうジャッジが起きているんだな」とか、自分のなかで、自動的に起きている何かによって、こうなってるのか、というのは、認識できるだけでも、1回、そこから、自動的な反応に飲み込まれている状態から、ちょっと俯瞰して、自分を捉えられる。翻弄されている波から、顔を出すことができるのでね。そこで、「じゃあ、これって、自分の本質のものではなくて、手放すことが可能なものなんだ」ということを知ってもらうだけでも、だいぶ、気持ちが楽になると思いますし、そこから、実際、気を整えるエネルギーワークをすることで、自動的な反応を、ほんとうになくして、手放していくということに興味をもってもらえたら、そういう、僕とか、僕の生徒さんたちが提供している、クリアリングという手法であったりとか、あとは、You Tubeとかを使って、提供させていただいている、動画にエネルギーを込めた、流しっぱなし動画であったりとか、ACTであったりとか、エネルギーワークを手軽に人生のなかに取り入れていく選択肢というのも提供していますし、そういったものに興味を持ってもらって、実際、使って、自分の人生をよくしていくことができるんだということを知ってもらいたいなというのはあるんですね。なので、これは、ずっと、続けていきたいし、そのベースがあって、その上で、それをより効果的に多くのひとに知ってもらって、実際にね、じゃあ、この気というもの、このエネルギーというものを自分自身に取り入れようと思ってもらうために、何をしていくかというところは、今後もいろいろと、試行錯誤してやっていきたいなというのはありますよね。

三上:そうですね。まず、この番組で興味を持ってもらって、そういったYou Tubeとか、まずみて、活用してもらって、あと、やっぱり、自分を愛すること、よく、愛のお話もしてくれると思うですけど、やっぱり、自分を愛することで、それじゃないと、相手のことも、ハッピーというか、愛せないとは思うので、私自身も、回を重ねて感じることは。自分が豊かになること、なってからこそ、相手にも、手を差しのべることができるのかな、ちゃんとね。思うので、わたし自身も、回を重ねてきて、思うことがたくさんあります。是非、みなさんにもね、これをきっかけに。

吉村:そうですね。結局、潜在意識のなかに、僕らがブロックと呼んでいる、自動的に反応して、勝手なことをやっているような、エネルギー的な回路、これがあるということを知らないと、物事がなにかうまくいかなくなったときに、ひとは、大体、誰かが悪いと思うんですよ。これが、ジャッジなわけですけど、そのジャッジの場合も、ブロックが引き起こしているんですけど、誰かが悪いとなったら、自分の周りにいる、あのひとか、あのひとか、あるいは、自分自身か、って、とにかく、誰かが悪い。このひとが悪くないんだったら、きっと、別の何かが悪いんだろうとか、やっぱり自分が悪いのかとか、世界が悪いんだとか、神様が悪いんだとか、とにかく、何かが悪いというのを、矛先が、ただ、次々、変わっていくだけで、何かが悪いが、ずっと続いていくわけですよ。でも、実は、それが、全部、何かが悪いと言っているのは、ブロックがやっていることであって、自分のほんとうの魂は、何かが悪いとは言ってないんですよね。そのことに気づいてもらえると、ひとだったり、自分だったりを責めることを、手放せる可能性がひろがってくるので。何かを責めても、結局、解決しないんですよね。だから、ほんとうに、自分の人生を豊かに、快適にしていくんだったら、まず、何かが悪いという、何かを責めるとか、それ自体をやめていくということなんですよね。それが、許しという話につながっていくんですけど、だから、許しという話を、先に出してしまうと、大体、悪いことがあって、その悪いことを許さなきゃいけないのかという発想になるわけですね。だけど、その、いいか悪いかというジャッジをしていること自体を、手放すと、実は、許すことは、そんなに難しくない、というか、そもそも、悪くないんだから、許すもなにもないよね、という話になるんですよね。そこら辺の、結構、言葉で言うと、心理的なトリックみたいに聞こえてしまうんですけど、実際は、そういう、悪い、悪いと言っている何かが、自分に、心の奥、潜在意識、無意識の領域に住み着いてしまっているから、それが、あたかも、自分の考えとか気持ちと思ってしまっているだけなんですよね。だから、これは、ほんとの自分じゃないということに気づいてもらうきっかけをね、いろんな、メディアを通して、みなさんに、一所懸命、伝え続けたいなというところですよね。

三上:リスナーのみなさんも、気になっているひとがいたら、発信してほしいですね。「こういう番組あるよ」、「こういうこと話してる番組あるよ」というふうに、伝えていただけたらなというふうにも思いますし、逆に、リスナーのみなさんにも、今後こういうふうに、番組してほしいですという案があればね、メッセージいただきたいと思います。
、。

吉村:はい。

三上:ということで、今日は、100回目を、こころメンテナンス、迎えました。ということで、それについてね、今後もいろいろ発信していきたいと思いますので、吉村さん、そして、リスナーのみなさん、よろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい。本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

099.ジャッジを少なくすることは好き嫌いを減らすことと同じなのか?

ハンドルネームポポさんからのメッセージを取り上げて、吉村さんからお話伺いました

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三上:はい、みなさん、こんにちは。こころメンテナンス。本日もアシスタント三上恵と、気功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい。さあ、今日はですね、一般向け、メッセージがきておりますので、取り上げて、お話していきたいと思います。

吉村:はい。

三上:はい。さあ、ハンドルネーム、ここさん。ハンドルネームもかわいいですね。来てますよ。「吉村先生、三上さん、いつも、ほのぼのとした、温かい雰囲気と、とても勉強になる内容の配信をありがとうございます。早速、質問なんですが、吉村先生がよく仰っています、『ジャッジを減らしたほうがいい』というお話をきいて、わたしもそうなりたいと思うのですが、ジャッジを少なくすることは、好き嫌いを減らすことと同じでしょうか。自然に湧き上がってくる感情を、どのように、変えていけばよいのか、ジャッジの減らし方について、何かアドバイスやヒントがありましたら、教えて頂きたいです。よろしくお願いいたします」と、来ておりますよ。

吉村:うんうんうん。なるほどですね。これはね、非常に面白い、興味深い内容の、ご質問で、ですね。たぶん、ジャッジを減らすというところから、好き嫌いを減らすということに関連づけられちゃうということは、よく起きてしまいがちなことなんじゃないかなというのは、すごく思いますね。だから、ここで、こういうことなのかなという疑問が出てきたというのは、すごくよくわかりますね。きっと、そこに関連づきやすいだろうなというところなので、じゃあ、好き嫌いって、そもそも何なのかというところから、紐解いていったほうがいいんじゃないかなと思うんですよね。

三上:好き嫌いとは、何か。えー、好き嫌い、感情、わたしの場合、感情のままに、「ワクワクする」とかが好きで、嫌いなときは、「嫌だ」みたいな、「ここに居たくない」みたいな感じですけど。わたしの場合は。

吉村:そうですね。自然に湧き上がってくる感情とおっしゃているし、ここさんも。まず、感情というのは、自然に湧き上がってくるもので、それに対して、ひとは、なかなか抵抗することはできないよね、という前提があると思うんですよ。実際、感情が湧き上がってきてしまった場合、それに抵抗するということは、非常に難しいし、抵抗しても、あんまりうまくいかないから、時間やエネルギーの無駄なので、まず、抵抗はしないほうがいいんですよね。

三上:抵抗しないほうがいい。

吉村:そうそう。感情に対しては。ただ、感情に飲み込まれてしまっている状態、感情に突き動かされて行動を起こすということは、必ずしも、感情が出てきたら、その感情は言動にのっからないといけないのかといったら、そんなこともないんですよね。だから、まず、大事なことは、自分は今こういう感情が出てるんだな、というふうに、一回、自覚することなんですよ。そのことに対しても、この感情はいいとか悪いとかジャッジをしないで、「いま、わたし、こう感じたんだ」ということを、まず、一回、その感情と向き合うというのかな、たとえば、「ここに居るのは嫌だ」という感情が出てくるという話、さきほどあったじゃないですか。そうしたら、「嫌だ」といっても、すぐに、バーっと飛び出すんじゃなくて、「あ、いま、わたし、嫌だって思ってるな」というのを認識してほしいんですよ。そうすると、その感情は、一体、何に対して、反応して、「嫌だ」ってなったのかってというのと向き合うことができる可能性が出てくるわけですよね。そうすると、感情にもう突き動かされて、バーっと飛び出してしまうのではなくて、「あ、このことに対して、わたし、反応してるな」って、「じゃあ、この部分に関しては、なにか手を打てるんじゃないか。改善できることがあるんじゃないか」とか、あるいは、「これに反応したけど、よく考えたら、この反応のしかたって、ちょっとおかしいんじゃないかな」というような、1回、冷静に、自分が何に反応したのかということを検証することが可能になるんですよね。なので、まず、感情が出てきました、それに対しては、隠したりとか、みないふりをしたりとか、抑え込んだりするんじゃなくて、「今、自分、これに反応して、こうなったんだ」というところを見てほしいんですね。もちろん、自分が、楽しいとか、「ここ大好き」とかいうのに関しては、全然、それを存分に味合うのはいいんですよ。だけど、ここで、「嫌だ」という感情は、1回、俯瞰して、向き合って見てくださいと、で、好き、楽しいという感情は、存分に楽しんでくださいという、ふたつ別々の対処法みたいなことを、僕、お伝えしましたよね。

三上:うんうん。

吉村:というのは、なぜ、そうなのかといったら、嫌だとか、嫌いという感情と、好き、楽しいという感情は、実は別のものなんですよ。

三上:別のもの。

吉村:そうそうそう。感情って、ひとつの言葉で表しているから、だから、ネガティブな感情も、ポジティブな感情も、感情というものが、まずあって、それのメーターがネガティブよりになっているか、ポジティブよりになっているか、みたいな、で、同じ感情というものなんだけど、そのなかのカテゴリーに、ネガティブ感情、ポジティブ感情というカテゴリーがあるというふうに、みなさん、たぶん、とらえていると思うんですよね。感情は、感情でしょ、って。ここ、実は、すごい微妙な話なんですけど、この好きと嫌いというのは、同じものの、メーターの向きが違うということではなくて、そもそも、別の独立したものなんですよ。

三上:独立したもの。

吉村:はい。好き嫌いというと、好きの反対が嫌いで、嫌いの反対が好きって、聞こえるじゃないですか。

三上:はあ、はい。

吉村:だけど、好きと嫌いが同居している状態って、体験したこと、ありません?ひとりのひとに対して、このひとのこういうところ、好きなんだけど、ここ嫌いなんだよな、って。

三上:ある。あります。

吉村:ありますよね。そのひとに対しての感情は、好きという感情と、嫌いという感情が同居していますよね。

三上:してますね。

吉村:これ、もし「感情というものがひとつです、だから、ものさしが1個あります」と、「このものさしの中間地点がゼロで、こっちがわにかたむいていたら、好きで、こっちがわにかたむいていたら、嫌いです」ってなったら、中間はゼロだけど、そこのゼロよりちょっとでも好きだったら、もう嫌いじゃないということだし、ちょっとでも、ゼロよりも嫌い寄りだったら、嫌い側だったら、全然好きじゃないということになっちゃうじゃないですか。だから、真ん中にゼロがある1本のものさしがあるんじゃなくて、この好きというメーターと嫌いというメーターが別々にあって、それぞれが上がったり下がったりしているんですよ。わかります?

三上:うーん。わかります、わかります。

吉村:だから、好きの反対は、そんなに好きじゃない。嫌いの反対は、そんなに嫌いじゃない、というのが、メーターふたつある状態ですよ。

三上:はいはいはい。うんうんうん。

吉村:別のエネルギーなんですよ。

三上:はー、なるほど。ちょっと深いですね、話がね。うん。

吉村:そうなんですよ。で、この嫌いというエネルギーというのが、要するに、「愛とおそれ」という話でいうところの、おそれの部分なんですね。おそれているから、嫌いなんですよ。よくないというジャッジをしているわけなんですよね。

三上:はいはいはい。

吉村:で、この「ジャッジは、少ない方がいい」と、僕、いつも言っているんですけど、「ジャッジをすべてなくしてください」とは、言っていないと思うんですよ。それは、なんでかというと、僕たちの肉体は、生きていくために、ジャッジがどうしても必要なんですよ。だから、「生きること、好き」、「死ぬこと、こわい」となるから、生きようとするわけですよね。だから、「栄養のあるものを、食べ物、食べたいよね」、「毒はとりたくないよね」とかっていうのは、からだを健やかに生かしておくには、必要なことなんですよね。だから、からだ動かしたいときには、動かしたいし、ということは、そのときに、閉じ込められていたら嫌だよねという話だったりとかね、「疲れているから、休みたいです」と、「もう寝たいんです」と言ったら、そのときにむりやり起こされて、何かこき使われたら、嫌だよねとなるわけですよね。だから、その、望ましい状態の反対側は、嫌だよね、というジャッジをするのは、肉体にとっては、当然のことなんですよ。ただ、何が自分にとって、よくない状態なのかっていうのを、見極めるというのが、肉体の五感を通してだけだと、ちょっとむずかしいというのはあるわけですよね。たとえば、青酸化合物とかあるじゃないですか。ちょっとでも飲んだら、ひと、死んじゃうような、おそろしい猛毒ですよ。でも、あれって、臭いをかぐと、アーモンドの臭いにすごく似ているらしいんですよね。ということは、臭いかいだだけだと、これが毒だとわかんないです。

三上:わかんないですね。

吉村:わかんないですよね。でも、毒飲んだら死んじゃうから、毒は嫌じゃないですか。だけど、これで、アーモンドの臭いがするもの、全部駄目となったら、アーモンドチョコレートとかも食べられなくなっちゃうわけですよね。

三上:あー、なるほどですね。

吉村:だから、自分にとって、何が利益なのかというのが、ちゃんとわかっていないと、判断のしようが、ほんとは、ないんですよ。だけど、僕たちの五感というのは、全部、何が自分のからだにとって、ほんとは害があるのかとか、不利益なのかとか、というのを、完全には、その一瞬ではわからないから、だから、ちゃんと検証しないと、わかんないんですよね。もうひとつ、僕たちの魂ですよね。この肉体は、肉体という乗り物で、この世界で生きるにあたって、僕たちの魂が使っている、乗り物というのが一番わかりやすい例えだと、僕は思っているんですけど、そこに魂が、乗り手として、乗っかることで、この世界での、人生という旅をしているわけですけど、魂は別に死なないんですよね。肉体が死んじゃっても、別に、次の肉体と結合して、また生まれ変わってくるから、魂って、不滅の存在なんで、ということは、何かを避けなきゃいけないということは、特にないんですよね。

三上:うーん。

吉村:たとえば、僕たちが、高い所に登って、こわいと感じるのは、落っこちたら死んじゃう可能性があるから、肉体を守るためには、こわいという感情があれば、不用意に高い所に近づかないとか、そういう、自分のからだを守るための、選択ができるから、こわいという感情を持っているんですけど、でも、別に、魂からしたら、肉体が死んでも、魂自体はなくならないから、魂にとっては、別にこわいことではないんですよね。

三上:うーん。うんうんうん。

吉村:なので、こわいとか嫌いという感情の出どころというのは、肉体なわけですよ。だけど、魂は、ワクワクしたり、楽しいことがしたいと思って、この世界に来ているわけですよね。

三上:そうですね。うん。

吉村:だから、肉体と結合して、楽しい旅を送っていこうというのが、魂の目的だとすると、この旅を安全に続けていくためには、肉体が途中で故障して動けなくなっちゃったら、途中で旅が終わっちゃうわけじゃないですか。だから、この肉体がちゃんと、健やかな状態で、旅を続けられるようにするためには、危険なものを避けなきゃいけないよね、ということが、肉体にとっては、条件としてはあるので、それをふたつ併せ持っているのが、人間という存在なんですね。なので、「好き、嫌い」というのは、好きと嫌いが、同じものさし上にあるのではなくて、別々のものであるということを知ってもらうと、ジャッジというのは、要は、嫌いとか、こわいとか、いやとかっていう、そこの部分の話をしているわけですよね。

三上:うーん。

吉村:なので、別に、好きにならなくてもいいんだけど、嫌わなくてもいいんじゃない、ということが、世の中には、すごくいっぱいあるわけですよ。わかります?

三上:ね、言いますよね、光と影との話と同じようにね。二面性がいろいろあるといいますもんね。

吉村:そうですね。それが、だから、反対は、その反対なのである、みたいな、ね。そういう話ではなくて、別々に存在している。だから、たとえば、光と闇って、よく対比されるけど、闇というのは何かというと、要は、「光があんまり無いよね」という状態のことを、闇と呼んでいるだけだから、闇という何かがあるのではなくて、「ここには、光が少ないですね」と言っていることなんですよ。ほんとはね。だけど、「光の反対は闇だ」という認識があると、闇という何かが存在している感じになっちゃうんで、そうすると、それを、またおそれるようになっちゃうんですよね。

三上:うーん。うんうん。

吉村:なので、実際には、光がほんとに無い場所があるのかといったら、そんなことはなくて、僕たちの目が、「ここ、超暗闇で、なんだか、わかんないね」と言っていても、たとえば、赤外線だったり、紫外線だったりはあったりするから、赤外線が見える動物からしたら、全然暗くないよ、って話になるんですよね。なので、その「ジャッジを減らしていく」という話に関しては、好き嫌いを減らすということではなくて、たぶん、ここで、「好き嫌いを減らすことと同じでしょうか。湧き上がってくる感情をどのように変えていけばいいのか」という質問をされているということは、好き嫌いがあることに対してもジャッジが起きているわけですよね。好き嫌いがあるこは、よくないことである、みたいな、ジャッジが起きちゃっているんだと思うので、そこは、よくないものを排除しようとするんじゃなくて、自分がこれに対して、嫌いとか、こわいとか、嫌だと反応が起きたときに、何に反応して、それが起きているのかというのを、よく見てほしいんですよね。そうすると、確かに、これは避けたほうがいいことだということも、もちろんあると思いますよ。たとえば、高いところに登ったときに、手すりから手を離すのはやめたほうがいいよね、みたいなのは、これは、実際に危険だから、やめたほうがいいとわかるわけですけど、そうじゃなくて、たとえば、室内で、ガラス張りで、外は見えるけど、でも室内で、ここから落ちて死ぬことはまずないとなった場合、もしかしたら、たしかに、高いところにいるということで、すごくこわく感じているけど、でも、実際には、ここ、身の危険、あんまりないよなって、気がついたら、もしかしたら、あんまりこわくなくなるかもしれないですよ。あるいは、今、自分がこわいと感じているのは、この場所そのものに反応しているのではなくて、もしかしたら、昔、ジャングルジムから落ちた経験があって、あのときのこわいって感情がここで蘇っているのかもしれないなとかというね、そうすると、あのこわいと、この場所というのは、ほんとは、同じじゃないぞと気づくことで、もしかしたら、あんまりこわくなくなる可能性というのは、出てくるわけですよね。

三上:うーん。

吉村:なので、好き嫌いをなくしていくということではなくて、自分が嫌いとかこわいというものに出会ったときに、これは、何に反応しているんだろう、今のこの現状そのものに、ほんとに、反応しているんだろうか、というのを、ちょっと、見つめ直すということが、ジャッジを減らすということにつながるんじゃないかなと思いますね。

三上:はい。ということで、今日は、ここさんから、頂いたメッセージで、いろいろ、吉村さんに、くわしく、ちょっと深かったですね。お話がね。伺ったんですけども、なので、ここさん、このお話をきいて、どう感じて、どういうふうにやってみたのかとか、お話の感想をちょっと頂きたいなと思います。今日、すごい深いお話を、みなさん、きいてるかたも、ああ、なるほどと、いうふうに感じたと思いますので、ぜひぜひ、メッセージ、頂けたらなと思います。今日は、ハンドルネーム、ここさんから、メッセージをいただいた内容を吉村さんに詳しく、ご紹介していただきました。吉村さん、本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

098.マウント

自分がよかれと思った行動が、相手にとってはマウントと感じられる事も
そもそもマウントとは?

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三上:はい、みなさん、こんにちは。こころメンテナンス。本日もアシスタント三上恵と、気功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:さあ、今日はですね、わたしも、身近に感じることがってですね、今日はね、「マウント」。みなさん、きいたことがあるかたも、、多いと思いますが、「マウント」を取り上げて、いこうかなと思います。よく、「あのひと、マウントとっているよね」とかという話は、きいたりすると思うんですけど、今回、わたしが感じたのが、吉村さん、逆の立場、わたしが、思ってなかったんですけど、言葉に発したことが、相手にとって、「マウントとってるよね」みたいな感じで言われて、「え!?」ってことがあったんです。逆でも、そういうふうに、感じるんだ、わたしは、マウントとってたのかな、え、そんなつもりなかったけどな、みたいな考えがあって、「マウントって、そもそも、何?」って、だんだん、思ってきて。なので、今日は、「マウント」を取り上げて、お話をきいていこうかなと思うんですけども。そもそも、マウントとは、改めて話をしていくと、自分のほうが地位が高いみたいな、感じでね、話をしていく。「わたしが上よ」みたいな、感じだと思うんですけど。それについて、どう思いますか。マウント自体。吉村さんは。

吉村:マウントの取り合いということは、たぶん、大昔から、ひとはやっていたことじゃないかなと思うんですよね。こういう行為が、マウントをとろうとする行為で、ひとを不快にさせるよねということが、言葉や概念としてひろまってきたのは、比較的最近のことなんじゃないかなと思うんですよね。そういうふうに、みんなが、「あのひと、マウントとろうとするよね」とか、「マウントとるの、やめてほしいんだよ」というような会話をするようになったというのは、最近のことだというだけで、たぶん、昔から、みんな、やっていたことだとは、思いますね。なんで、それをやるのかといったら、要は、相手よりも優位に立ちたいみたいな気持ちがあるから、自分のほうが上だぞというアピールをするわけですよね。これって、動物が群れのなかで、俺のほうが強いから、ボスになるのは俺だ、みたいなことをやっているのと、同じことを、ひとが、会話とか、コミュニケーションのなかでやってるから、自分のほうが上だぞ、強いぞということをアピールする、相手にわからせようとする行為ということですよね。

三上:うーん。なるほどですね。わたしの、例としてはですね、アクターズ、アクターズスクールといって、みんな、学生の頃は、そこをめざして、みんな、女子とかみんな、憧れの場所だったんです。そこの出身なので、ネタの話題として、ある女の子は、アクターズに入りたかったけど、3回落ちたと、その状況を知っているうえで、その子がいる周りのなかで、「アクターズ、何回で受かったの?」みたいな話になるとするじゃないですか。その子がいるから、「あ、ごめんね。わたし、1回で受かりました」となったときに、その「ごめん」って、要らないよね、みたいな。ま、話のネタでもあるんですけど、「ごめん」って、要らないよね、みたいな。それ、マウントとっているよね、みたいな話で言われて、「え!?」みたいな。「へっ!?」みたいな感じだったんです。「え、マウント?これ、マウントなの?」みたいな。

吉村:なるほどね。はいはいはい。

三上:わたしは、そんなつもりじゃなかったけども、相手にとっては、それがマウントって感じるんだというので、「そもそも、マウントって、何?」というふうに感じたときがあったんですよ。

吉村:うーん。要は、マウントをとることは、よくないことであるという、認識が世の中にひろまったというのが、まず、あるじゃないですか。そうすると、今度、次に何が起こるかというと、あのひとは、マウントをとるひとか、とらないひとか、とか、この発言は、マウントをとっているのか、そうじゃないのか、というジャッジが起きるようになるわけですよね。これは、要は、自分のほうが、上か、下か、みたいなので、争そっていたのが、マウントの取り合いだったわけですけども、それも、上か下かでジャッジしていたから、起きていたことなんですけど、今度、それをやることは、よくないことだよねという認識がひろまったことで、今度、これはマウントか、そうじゃないかという、新しいジャッジが起きるようになったわけですよ。わかります?

三上:はい。

吉村:なので、お相手のかたというのは、たぶん、アクターズスクールだっけ、入りたかったのに、受けたけど落ちてしまったという経験をしたことが、そのひとにとっては、つらい思い出というかね、…になっているわけですよね。。

三上:はい。

吉村:そこで、傷ついている状態で、そこが癒えていない、古傷に対して、刺激を受けてしまったから、そのときのつらい気持ちが、また蘇ってしまって、アイタタタという状態になるわけですよ。三上さんは、別にそういうことをしようと思って言ったわけではないけど、そのひとが、傷がついていたから、別に傷ついてないところを触っても、別に痛くないけど、傷があるところを触ったら、痛いわけじゃないですか。それは、触るという行為自体がいいか、悪いかという話ではなくて、傷があるところを知らずに触ってしまったという、ことでもあるわけですよね。だけど、触られたほうとしては、わたしが触られて、こんなに痛い場所なんだから、そこをみんな知っているべきだろう、みたいな、これまた、ある意味、わたしの状態を知っているべきであるという、「べき」とか「ねばならない」という話、これも、一種のジャッジなわけですよね。これが起きているから、わたしが傷ついているところを配慮もなしに触ってきた、あのひとのあの態度は、よくない、というジャッジが起きているわけですよ。これは、結局のところはね、「上か下か」というジャッジが次の段階に入って、「マウントか、マウントじゃないか」というジャッジであったり、「わたしのこの状態をちゃんとわかってくれているか、くれていないひとか」みたいなジャッジだったりとか、ジャッジって、次々と連鎖して、積みあがっていくわけですよね。

三上:なるほどですね。そういうふうに感じたので、あのとき、わたしは、じゃあ、どうすればよかったのかというふうに、考えたりしたんですね。

吉村:うーん。でもね、ひとによる、その地雷を踏んでしまうというのは、ある意味、完全に予防することは不可能だと思うんですよ。そのひとの、どこに地雷が埋まっているかって、わからないわけだから、本人は、無意識でも、その地雷をよけて、生活をしているわけですよ。だけど、他のひとと関わると、ほかのひとが、自分のそのフィールドのどこに地雷が埋まっているかわからないから、距離が近づいてくると、知らず知らずに、お互いの地雷を踏みあってしまうということが起きるわけですよね。だから、地雷が少ないひとだったら、地雷を踏まれる確率は低くなるわけですよ。少ないから。だけど、地雷が多いひとは、あるいは、みんながよく歩く場所に、地雷が埋まっているとかいうふうになると、踏まれる機会が多くなってしまうわけですよね。だから、クリアリングという、僕がエネルギーワークで提供しているサービスというのは、その地雷を撤去する作業なわけですよ。エネルギー的に。なので、その地雷を少なくするとことで、生活をより快適にするということは、可能になるわけですね。ひとに踏まれると不快というのもあるけど、自分はいつもその地雷をよけて、生活しているわけですから、そういう意味では、自分の活動範囲も狭くなっているわけですよ。あんまり、それで、自分が不自由しているという自覚はないかもしれないけど。実は、結構、それをよけて生活するために、たくさんのエネルギーを使っていたりとか、一所懸命、ひとにその地雷を踏まれないための防御をするみたいなことでも、手間暇をかけていたりするわけなので、地雷のないほうが、よっぽど、快適に暮らすことができるわけですね。なので、クリアリングをすることができるという選択肢がある場合は、実は、ひとが地雷を踏んでくれることは、有難いことでもあるんですよね。「あ、ここに地雷あったんだ」って気づけるから。だから、自分は、こういうことで、すごい傷ついていたんだなって、これをいなして、手放せたほうが、自分は、もっと快適に暮らせるよね、って、いうふうに気づくチャンスでもあるんですけど、たいていのひとは、自分が傷ついている、その傷というのは、一生、墓まで持っていくものというふうに、無意識に思っているケースが多いので、地雷をなくすんじゃなくて、みんながわたしの、この地雷をよけるべきであるという考えになりがちなんですよ。

三上:なるほどですね。ある意味、もしね、クリアリングとか、そういう方法とかって、頭にあったら、「あ、わたし、今ここで、グサッときたな」と気づける。で、何か変わりたいとなった場合は、クリアリングして、ですけど、あー、そこがちょっと難しいところですね。自分で、わたしが、アドバイスすることで、逆に、マウントって。

吉村:そうなってしまうんですよね。だから、なかなか、これをクリアリング無しに、コミュニケーションでなんとかするというのは、難しいことではありますよ。ご本人が気づいて、「自分、ここ、なんか地雷持ってんだな」って、じゃあ、地雷があるとわかったときに、次に、何が起きてしまうかというと、ここに地雷を持っていることは、恥ずかしいことであるとかね、こういう地雷を持っているわたしは、ダメな奴だというジャッジが起きてしまう可能性が、また出てくるから、これをひとに知られないように隠しておかなきゃということをやり始めるんですよ。そうすると、余計に、知らずに踏まれる可能性が高くなってしまうんですよね。だから、ほんとうは、結構つらいことではあるかもしれないんですけど、自分はそこで傷ついているということを一回認めて、周りのひとにも、自分はこういうことで傷ついているんだよね、ということを、ちゃんとコミュニケーションとって、知ってもらうことをしたほうが、周りの人も、あ、そうか、このひとと、会話するときは、アクターズスクールの話は、あんまり出さないようにしよう、みたいな気のつかいかたができるわけじゃないですか。だけど、本人は、自分がそこで傷ついているということをカッコ悪いことと思ってるから、言わないようにすると、そうすると、知らずに、また、その地雷踏まれて、ボンとなるわけですよね。そこの悪循環が起きているんですけど、ほんとうは、それを、もっと自分をさらけ出していったほうが、楽になれる可能性はひろがっていくと思いますけどね。

三上:うーん。そうですね。みんな、隠さず出していくと、「このひと、こんなひとなんだ。じゃあ、こうしよう」というのがみえて、お互いの信頼、距離が縮まりますもんね。

吉村そうなんですよね。

三上:いやー、すごい、わかりやすかった。すごい、安心。安心というか、自分の気も楽になりました。

吉村:よかったですね。

三上:そこまで深くは、考えてなかったんですけど。こういう場合もあるんだなというぐらいで、わたしも、思っていたので。いい時間でした。みなさんも、たぶん、マウント、マウントってきくと思うんですけど、自分に置き換えて、周りにもこういうひといたな、自分もこうだったな、というふうに振り返っていただきたいと思います。今日は、「マウント」で、テーマお届けしました。吉村さん、本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

097. サブチャンネル

YouTubeにてサブチャンネル開設しました、テーマ事にわかりやすい動画になっていますよ、YouTube登録も是非宜しくお願い致します。

感想、ご質問はこちらにお願いします!https://forms.gle/HhW7cXuA345QYmDZ7

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三上:はい、みなさん、こんにちは。こころメンテナンス。本日もアシスタント三上恵と、気功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい。今日は、みなさんにお知らせがありますね。ちょうど1ヶ月前くらいですか。

吉村:はい。そうですね。

三上:サブチャンネルを開設したということで、おめでとうございます。

吉村:ありがとうございます。

三上:さあ、どんな内容になっているのか。まず、みなさんに、ご案内をお願いします。

吉村:そうですね。はい。サブチャンネルは、毎週、月水金で、3回、更新なんですけど、普段、僕が月曜日のゆるライブで、公開グループセッションをしてるときに、クリアリングをしながら、同時にそのかたの、相談内容から、どういうブロックによって、この現象が、おきているのかとか、実際、そのブロックが、潜在意識のなかで、どういうことをしていて、結果的にどういうかたちで、表層的な問題だったり、悩み事として、かたちの世界にあらわれてくるのか、というのを、解説しながら、クリアリングをやっているわけですよね。なので、話している、その内容というのが、多くのかたたちに、ブロックってこういうものなんだとか、悩み事って、実はこういう仕組みで、できているんですよということを知ってもらうことでも、自分の現状と向き合うとかね、自分自身と向き合うということのヒントになって、結構、クリアリングして、問題の原因となっているブロックがなくなるというのが、一番いいことではあるんですけど、ブロックがあるということがわかっているだけでも、ブロックに突き動かされて、問題行動を起こしてしまう自分自身を責めてしまったりとか、あとは、身の回りの問題を起こしているかたたちに対する、またさらなるジャッジを引き起こしてしまうということを避けられると思うんですよね。なので、話している内容を、ちゃんと、知ってもらう機会を作りたいなと思いまして、それで、切り抜きというかたちで、月曜日の配信のなかから、トピックを抜き出して、切り抜き動画を作ってもらっているんですね。

三上:はい。わたしも拝見しましたけども、すごいわかりやすいんですよ。みなさんから頂いた内容もね、この動画の下のほうに、文章として載っていますので、すごい内容がわかりやすいですよね。、

吉村:そうですね。僕が話している内容も全部テロップ入れてもらっているので、わかりやすいですし、ただクリアリングを受けるということではなくて、知識として、ブロックって、こういうものなんだよとか、知ってもらえるとさらに、自分自身との向き合いかたとか、たとえば、人間関係でもね、他のひとをみたときに、何か問題を起こしているひとに対して、即ジャッジするということじゃなくて、「あ、きっと、このひとのなかで、こういうことが起きているから、今、このひとの、こういう態度とか、発言につながったんだな」となると、ただ単に、「あいつ、悪い奴らだ」とか「嫌なやつだ」ということではなくて、「このひとのなかで、こういうことが起きているんだな。なるほど、自分にもあり得ることだから」、たとえば、「問題回避するために、距離を開けよう」というのはいいと思うんですけど、「悪い奴だから、攻撃してやれ」とか、「罰を与えてやれ」みたいな発想にならないで済むんじゃないかなというところですよね。

三上:うーん。そうですね。いろいろなかたの、メッセージのなかには、お悩みのね、内容とかもあると思うので、自分としてとらえて、いろんな見方で、感じれる、振り返ることもできる、学ぶこともできる、サブチャンネルになっていますよね。

吉村:そうですね。月曜日の配信だと、どうしても、僕がクリアリングしてますよ、というかたちになってしまうので、受け身になりやすい要素があるかなというところもあるので、サブチャンネルのほうでは、学習しやすいように、というようなところを、実際、その切り抜きをしてもらっているスタッフのかたたちと、よく話し合って、こういう趣旨でやりたいんですよ、というところで、内容のチェックとかも、話し合って、いろいろやっているところですよね。月曜日の配信の場合、お悩みの内容に対して、僕がクリアリングをしているので、クリアリングをするときに、送っている、クリアリングのエネルギーが、配信を視聴されているかたとか、アーカイブをみているかたでも、同じ周波数のブロック、近い内容のブロックが、潜在意識の表層に出てきている場合は、一緒にクリアリングするということをしているので。

三上:そうなんですね。

吉村:はい。お悩みの、その相談をされているかただけじゃなくて、近いお悩みを持たれているかた、実際の悩みの内容というより、ブロックがちかいということなんですけど、近いブロックを持っている方は、一緒にクリアリングをしているので、動画を流しておくだけでも、知らないうちに、自分のなかのブロックがクリアリングされているということもあり得るわけですよね。近いものをお持ちの場合は。ただ、切り抜き動画の場合は、クリアリングというのをやっていない。トピックの内容に対するクリアリングをしている部分というのは、無言になっている場合が多いので、そこは全部、カットしてもらっているから、そのかわりに、全体を通して、サブチャンネルの動画を流している間は、ざっくりとした、内容を特定しないヒーリングのエネルギーを流し続けるということをやっています。だから、流しっぱなし動画の、もう少し内容が広い版というのかな、…をずっと流し続ける感じで、やっていますので、そういう意味ではね、リラックス効果であったりとか、広い範囲のヒーリング効果というのは期待できるんじゃないかなとは思っています。

三上:はい。見てるかたにとっても、影響があると。

吉村:そうですね。だから、エネルギー動画なんだけど、同時に学習もできますよというようなところを目指してやっているというところですかね。、

三上:そうなんです。テーマをちゃんと設けて、それに沿って、話しているので、みているほうもわかりやすいんですよね。

吉村:そうですね。あとは、その、内容をみていただいて、「自分もこのブロックありそうだな」って思われた方は、概要欄のほうに、元動画の切り抜きしているところにちゃんと飛ぶようにリンクを貼っているんですよ。なので、月曜日のゆるライブだと、たくさんアーカイブあるなかからね、ご自身の内容に合ったのを見つけていくのって大変たと思うんですけど、サブチャンネルの場合、タイトルが、いちとぴくずつ、ついているので、まず、そちらでさがして、内容をきいていただいて、「このクリアリングを、自分も受けたいな」と思われたら、そこの概要欄のリンクから、元の、ゆるライブのアーカイブまで飛んでいただければ、それでクリアリングされるという流れになっていますので、そんな使い方もできると思います。

三上:うん。すごいいいですね。やっぱり、自分が今、とてもこれ気にしているんだというのを一目でみてわかりやすいというのは、見てるほうも助かりますね。

吉村:ありがとうございます。

三上:はい。サブチャンネルは、毎週月、水、金。

吉村:そうですね。

三上:ゆるライブは、月曜日。

吉村:そうですね。はい。

三上:ということですので、もちろん、みなさん、聴いているかたはね、YouTubeフォローしているとは思うんですけど、改めて、今日は、サブチャンネルのお知らせということで。

吉村:そうですね。サブチャンネルのほうも、是非、チャンネル登録して、ご利用いただけれと、うれしいです。

三上:はい。こちらの登録もお願いします。サブチャンネルのほうにも、コメントというのは、入れられるんですか。

吉村:動画のコメント欄に、コメントを入れることは、もちろん、できますので。ライブ配信ではないので、チャットはないので、動画のコメント欄に、いろいろ感想とか、ご質問とか頂ければ、いただいたコメントは、僕が、目を通して、ハートマークをつけさせていただいてますので。

三上:はい。ということですので、みなさん、見て頂いたかた、もし感想やコメントがあったら、是非送っていただいて、吉村さんもちゃんとチェックしているそうですので。感想頂けたらなと思います。

吉村:よろしくお願いします。

三上:さあ、今日は、この時間は、吉村さんのサブチャンネル、開設しましたよ、というお知らせをみなさんに、お届けしました。吉村さん、本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。