143.ポジティブ思考

ネガティブよりポジティブな方が良いイメージありませんか?そのポジティブは本当に感じている事なのか?

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143.ポジティブ思考


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三上:はい、みなさん、こんにちは。こころメンテナンス。本日もアシスタントは三上恵と、気功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい。さあ、今日は、わたしも普段なるべくポジティブ思考で生きているほうなんですけども、ポジティブ思考って、実際、危険性とか、本当にいいのかという、たまにネガティブになる自分に対して、「三上、ポジティブで生きろ」という、自分のなかで、なるときもあったりもするんですけども、いろんな感情が日々あるんですが、実際、ポジティブ思考って、いいのか、ちょっと吉村さんのお話もききたいなと思うんですけど。

吉村:はい。後ろ向きな考え方とか、生き方、態度に対して、「前向きなほうがいいよね」というところっていうと、後ろ向き・前向きみたいなところで、ポジティブ・ネガティブと言っているんだとしたら、「ポジティブのほうがいいですよね」という話にはなると思うんですよ。

三上:うんうん。

吉村:ただ、ポジティブっていうのをどう捉えているかみたいなところで、そこって変わってくると思うんですよね。ポジティブの定義とは、みたいな話になってくるんですけど。ここって、どうしても、この世界が、たとえば、陰と陽みたいな、昼と夜みたいな、ものがあるとという世界では、どうしても物事を両極とか、対立で見がち、どっちのほうがいいか悪いかというジャッジをしがちになってしまうので、そこのジャッジという観点での、ポジティブは正しくて、ネガティブは悪いことみたいな話になってくると、ちょっとそこら辺は、問題を引き起こす原因になりやすいんじゃないかなということになってくるんですよね。

三上:うーん。

吉村:だから、ポジティブ思考ということで、ネガティブを排除しなきゃとか、ネガティブなことは悪いことだというようなジャッジが出てきちゃうと、人間関係でトラブルの原因になってしまう可能性も出てくるわけですよね。

三上:うーん。

吉村:なんでかというと、要は特定のタイプの人を否定するということになるわけなので。

三上:たしかに。

吉村:そういう否定的な態度とか、考え方が果たしてポジティブといえるのだろうか、みたいな話になってくると、僕の考え方は、前向きではないですよね。だって、こういうやつは悪いやつだ、みたいな形で糾弾したりとか、否定してくるわけじゃないですか。だから、「こういうふうな生き方がいいよね」ということと、「これは悪いよね」ということというのは、実は、エネルギーの出どころが違うわけですよ。

三上:うーん。

吉村:だから、自分が理想とする状態というのがあって、それに対して、そこに向かっていくというのが、ひとつの方向性だとして、「この状態は悪いから、こうならないようにしなきゃいけない」といって、それを避けるために何か方向性を決めていくという、これがもうひとつあるわけですよ。

三上:うん。

吉村:これは、前にも例で出したことなんですけど、選択肢がふたつあるとするじゃないですか。選択肢Aと選択肢B。選択肢Aがいいと思っているから、Aに向かっていくというのと、選択肢Bが駄目だから、これは悪い選択肢だから、消去法的に、Bは避けてAを選ぶということをした場合、「AとBのどちらを選びましたか」という、その結果だけみると、どっちもAを選んでるんですね。

三上:うんうんうん。

吉村:でも、Aが欲しいからAを選んでいるというのは、ストレートにそっちに行っていますけど、「Bが嫌だからAを選びました」という人は、本当は別にAを選びたかったわけじゃなくて、Bが嫌だったから、それで消去法的に他の選択肢がAしかなかったから、Aを選んでいるわけで、本当は別にAのほうに、向かってはいないんですよね。意識は。

三上:うん。

吉村:だから、選択肢が他にもあった場合、選択肢A、B、Cみたいなのがあった場合、Bを避けた結果、Aに行くかもしれないし、Cに行くかもしれないけど、でも、どっちもその人にとっては、それがいいから選んでいるんじゃなくて、Bを避けるための結果として、AとかCを選んだという話になってくるんで、これは、実は、エネルギーが出どころが違うんですよ。これが、よくスピリチュアルの界隈で言われている、愛なのかおそれなのか、という話になってくるんですけど、Aが欲しいからAに向かうということは、要は、Aに対する愛があるということなんですよね。言い換えると。

三上:うーん。

吉村:だけど、Bが嫌だって、Bを避けるということをしているということは、Aに対して愛があるんじゃなくて、Bをおそれているから、そのおそれているBを遠ざけるために、Aを選んでいるということなので、これは、愛に基づいた選択をその人はしていないんですよね。おそれに基づいてた選択をしている。

三上:うーん。

吉村:だから、これ、選択しているものが別に逆になっても、Bが好きだから、Bが欲しいから、Bをいいと思っているから、Bを選ぶんだという人と、Aが嫌だから、結果的にBを選んだと言う人、同じ話なんですよ。ただ単に選択肢が逆だけど、なので、ということは、Aを選ぶことと、Bを選ぶことのどちらが正しいかという話じゃないんですね。Aをえらびたい人がAを選びました、Bを選びたい人がBを選びましたといったら、それはどちらも、自分が好む方、要は自分が愛を感じる方を選んでいるということであって、Bが嫌だからAを選んだ人、それから、Aが嫌だからBを選んだ人というのは、どっちもAとBと分かれるけど、何か嫌なものを避けるために、その逆を選んでいるということは、そのおそれに基づいた選択をしているということでは、実は同じことをやっているわけですよ。

三上:うーん。

吉村:なので、表面的に見える、結果としてのどっちを選んだかということではなくて、その人がどういうエネルギーでそれをえらんでるかという、そっちのそういう違いの話であって、何を選んでいるかというのは、実はそれほど重要じゃないんですよね。

三上:うーん。とてもわかりやすいです。たしかに。選択だけど、深さが違うというか。違いますね。

吉村:そうですね。だから、そういう意味では、自分が好きな方とか、要は自分の愛を感じる方ですよね。それをたとえば、わくわくするほうを選ぶとか、という言い方でもいいと思うんですけど、それを選ぶということが、結果的に、そのひとが、成果を生み出すとかね、その人が幸せになる近道になるわけですよね。

三上:うーん。

吉村:だから、それをポジティブということもできるわけですよ。そうすると、そっちの選択をするほうが、わくわくする選択をするほうが、そのひとは幸せになれるよね、というところで、それを前向き、ポジティブと言うこともできるんですけど、もし、その人が言っているポジティブというのが、「ネガティブ倒すぞ。おー!」みたいな感じのところで、「ポジティブシンキング、イエーイ!」みたいな感じの、ちょっと無理して、やっている感じだと、結果的には、「ポジティブ、ポジティブ」と、口では言っている割に、何か成果を生み出せていない人とかになっちゃう可能性もあるわけですよ。

三上:うーん。

吉村:それは、要は、その人の中に否定的な選択をさせている、後ろ向きな要素があるのに、それを力でねじ伏せるとか、隠して見なかったことにして、それでポジティブってやっている状態だと、うまくいかないですよということ。だから、一見、ポジティブに見えるけど、とか、一見ネガティブに見えるけど、でも、それが、その人の愛に基づいているかどうか、みたいなところが本当は、重要なんですよ。だから、たとえば、元気で、パリピみたいな、「ウェ~イ!」みたいな人たちと、たとえば、家で静かにしているのが好きみたいな人たちって、みたら、見た目では、その「ウェ~イ!」とやっている人がポジティブで、家で静かにしている人たちは、ネガティブに見えるじゃないですか。

三上:うふふ。ぱっと見、イメージで、まあね。

吉村:でも、それが、本当に好きでやっていれば、別に、どっちもいいんですよ。それはそれで。見え方は違うかもしれないけど。要は、ワイワイするのが、好きな人、それを愛している人たちと、なんか静かにしていることを愛している人たちがいて、自分の愛に基づいてやっているんだったら、いいわけですけど、でも、なんか、ああいう「ウェ~イ、ウェ~イ」した人たち、嫌だよね、みたいな感じで、否定しながら静かにしている人もいれば、なんか、ああいう暗いやつら嫌だよな、みたいな感じで、俺たちは、明るくいくぜ、イエーイ、みたいな感じの人たちとなると、要は、本当にそれ、好きでやってるの、みたいなことですよね。

三上:うーん。

吉村:なんか、暗いやつだと見られたくないから、一所懸命明るく振る舞っているんです、とか、ということかもしれないし、なんか、ああいうやつら、なんかこわくて嫌だから、隠れて静かにしてよう、みたいなことって、なると、本当はおそれに基づいたことをやっているわけですよ。

三上:うーん。そうですね。じゃあ、本当に、本人の、わたしの場合でいうと、ワクワクか、ワクワクする場所、居心地のいい楽しみ方、という、ポジティブというより、本当に今ある、中から出てくるもの、

吉村:そうですね。ポジティブ・ネガティブという、ポジティブは良くて、ネガティブは悪いという考え方がもしあるんだとしたら、、そこはちょっとジャッジをなくしてニュートラルに捉えられるようにしたほうがいいわけですよね。

三上:うーん。

吉村:だから、別に、元気でワイワイすることも、それはそれで悪くないし、ただそういうのが好きという人たちで、静かにおとなしくしているのが好きな人たちは、そういうのが好きな人たちで、別にどっちも、よくも悪くもないというか、この人はどっちを好むかという違いでしかないんですよね。

三上:うーん。

吉村:だから、そこに対して、どっちのが良い悪いというのはないんですよ。だから、ここが、ポジティブ・ネガティブという言葉に、良い悪いというのがついちゃっているとしたら、それは、別に、ポジティブでもネガティブでも、ジャッジしていることには変わりないよねということになっちゃうんで、どういう言葉でそれを表現するかって、実はそんなに重要じゃないんで、自分が持っているエネルギーがちゃんと自分の愛に基づいているかということですよね。

三上:うーん。そうですね。自分の愛に基づいていれば、ポジティブとかネガティブという発想がまず出て来ないですもんね。

吉村:そうですね。だから、結局、何を指してポジティブとかネガティブと言っているのかという、そこから、ちゃんと、向き合って、自分がジャッジをしているかどうかというところをみていくと、本当の意味で、自分の愛に基づいた選択をできるようになっていくんじゃないですかね。

三上:はい。皆さんは、どう感じましたか。ははは。わたしも今までポジティブ思考というのがいいって、勝手にジャッジして、イメージしている部分があったので、今日のお話をきいて、やっぱ、ニュートラルに、そのなんか、ジャッジする癖があるなと気づきながら、この回、わたしも話を収録しながら感じました。

吉村:そうですね。だから、別に決してこれって、たとえば、前向きな人は、リスクヘッジをしないのか、みたいなことを考えるとわかると思うんですよ。別にリスクヘッジをしておいた方が、何かあったときに、安全なわけじゃないですか。

三上:うんうんうん。

吉村:と考えたら、別に、リスクヘッジをすることは、悪いことを考えているから、これはいけないのであるって、言い出したら、これもジャッジなんですよ。だから、向かいたい方向を定めることと、それに対するリスクヘッジをするというのは、これは、言ってみたら、表裏一体というか、対のことで、その両方は、バランスよくあるから、目的が果たせるわけじゃないですか。ここに対して、またポジティブ・ネガティブみたいな話、どっちが良い悪いみたいな話を持ち込んじゃうとまたうまくいかないわけですよね。だから、そういう意味では、自分のものをみる見方みたいなのは、ニュートラルに、で、何を選択するかというところは、自分の中の愛を基準に選んでいくみたいな、そういうのがうまくいくコツなんじゃないなかなと思いますね。

三上:はい。いろんなものが、皆さん、響きませんか。はははは。ということで、今日は、「ポジティブ思考っていいの?」について、吉村さんからいろいろお話うかがいました。今後、わたしも活かしたいと思います。

吉村:ははははは。

三上:素敵なお話をありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。