268.他人の成功を喜べない

他人の成功を喜べない、他人の成功を喜ぶ心を養うためのアプローチとは?

 

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三上:皆さん、こんにちは。こころメンテナンス、本日もアシスタント三上恵と、氣功ヒーラーの

吉村:吉村竜児です。

三上:吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:今日のテーマは、他人の成功を喜べない方に、他人の成功を喜ぶ心を養うアプローチについてお話伺っていきたいと思います。居ますよね、もしかしたら私もやってるのかな、ひがみとか嫉妬とかね。言ってる方がいるような氣がするんですが、人の成功を喜べたら、こちらまでハッピーな氣持ちになりそうな氣がするんですけどね。

吉村:うん。人の成功を喜べないっていうのは、習慣的にそういう捉え方がパターン化してるっていうケースもあるのかなっていうふうに思う部分もあるんですよね。

三上:パターン化。

吉村:いくつかここに繋がってる理由とか原因になるものっていくつかあるんですけど、まずそのうちの一つとしては、例えば周りの人たちがいつもそういう会話ばっかりしてるから、そういう会話をするのが当たり前だって思っちゃっているみたいなね、ところもあるかもしれないですね。

本当に感情的に妬み、嫉妬、ひがみみたいな氣持ちが出てて、そういう発言をしてるっていうケースももちろんあると思うんですけど、周りの人がそういう例えば人の陰口ばっかり言ってるとか、悪口やひがみたいな発言を周りの人たちがいつもしてるから、日常会話ってこういうもんだって思い込んじゃってるみたいなケースがあるんじゃないかなっていうのが、ちょっと僕の個人的な過去の自分を振り返ってみると、そういう氣がするとこがまず一つありますね。

僕の周りの大人たちは、結構あいつはああいうとこがダメだよねみたいなことを、例えば僕の父親なんかよく言ってた人なんですよね。テレビとか見てて、出てくる人とか見ても結構そういう人の文句言ってたりとか、あとは知り合いの人の悪口だったりとかを、家で僕と二人きりのときに言ってたりとかっていうことだったり、僕の祖母なんかも結構そういう裏表がすごいある人だったから、人に会っていい顔してるんだけど、その人がいなくなったらその人の悪口を言い出すみたいな。

そういうのを見てて、それをさも楽しそうに僕に話すから、こういう話に乗っかると僕の親が喜ぶから、だからこういう会話をするっていうのは、人を楽しませる会話なんだろうなっていうふうに思い込んじゃったとこがあったわけですよ。

三上:ああ、なるほどね。

吉村:それで、例えば何かで成功しましたとか良い思いしてますみたいな人が出てきたときに、その人の上げ足取りみたいなこととか、その人の他の上手くいってないところをあげつらって、でもあいつこうこうなんだぜみたいな話をして、影で笑いものにするみたいなことを、特に僕の父と祖母がよくやってたんで、そうすると、それが場を和ませる楽しい会話の仕方なんだろうっていう学習をしちゃってたんですよ、僕は。

三上:自然とそうなりそうですよね、環境的にね。

吉村:だからそこで、例えば僕小学校のとき、結構酷いいじめにあってた時期とかもあるんですけど、確かにいじめはよくないことだし、そこはちゃんといじめが起きにくいような環境づくりとかを、例えば周りの大人たちとか、学校のシステム上でそういうことをするっていうのは大事だと思うんですけど。

ただ、当時の僕の発言とかをちょっとうろ覚えだけど何となく振り返ってみると、こういう発言をよくしてたから、多分嫌われてもしょうがないよなみたいに思うところっていうのは、結構あったんですよね。だからそういう意味では、僕は完全な被害者ではなくて、責任の一端は自分自身にもあるっていうね、

前回の話にも共通するところなんですけど、そこのそういう発言をよくしてたから、多分印象悪くなったんだろうなっていう、そういうとこはあったんだけど、それって周りでそういう発言する人を見て学習しちゃってたんですよ。

三上:自然とね、やっぱそうなっちゃうんだろうな。

吉村:ここが僕にとって転機だったのは、アメリカに留学したときに、たまたまかもしれないですけど、僕の周りのアメリカ人はあんまりそういうひがみ発言とかはしないし、場所によって自分の発言を変えるみたいなね。本人の前でいい顔してるんだけど、裏で陰口叩くみたいなことっていうのをそんなにする人はあまり居なくて、どっちかっていうと、友達にいいことがあったら、まるで自分のことみたいに、よかったねとか嬉しいよとかっていう感じの、本当に喜んで一緒に喜ぶみたいな感じの態度を取る人が多かったんですよ。

で、僕はそれを見て、この環境ではこういう振る舞い方をした方が多分溶け込みやすいんだろうなっていうふうに思ったんですよ。だからそういうひがみ発言とかしてる人がいなくて、むしろそういう発言をしてる人たちはどっちかっていうと、ちょっと仲間外れにされてたりとかしてるっていうのを見てたから、自分がここでうまくやっていくためには、こっちの仲良くうまくやってる人たちの真似した方がいいだろうなって思ったんで、そっちを真似するようにしたんですね。

恐らく日本にいたときも、学生時代もそういうひがむ発言とかしてない人たちも多分いたんですよね。ただ、そのときはコミュニケーションとかこういうものだって思い込みがあったから、そっちの人を見て真似するってことをしてなくて、親の真似をしてたし、それにひがみ発言する人たちっていうのもやっぱり少なからず居たから、そっちが普通だろうと思ってたんで、そっちに合わせてたんですけど、アメリカにいて全ての環境が変わって、言葉も全然言ってみたらゼロから覚え直しみたいな状態なんで、誰を真似したら一番自分にとってメリットがあるだろうかっていうのを考えて、真似する相手を選んだんですよね。

三上:うん。

吉村:だから、子供の頃は真似する相手を選んでなくて、なんとなく周りに近いところにいる人の真似をしてただけだったんだけど、アメリカに行ったことで、自分で自発的に真似する相手を選ぶっていう機会に恵まれたんで、だったら仲良くやれてる人生充実してそうな人の真似した方がいいよねっていうので、そっちの真似をし始めたんですけど、そうしたら自分の氣持ちがだんだん前向きになっていったわけですよ。これに関して言うと、まず形から入ったわけですよね、その時は。

三上:うん。

吉村:だから、形から入ったんだけど、やってるうちに自分の内面がだんだんそっちに寄っていったっていうことで、それが自分にとって普通のことになっていったっていうね、自分のその癖が矯正されたっていうのが一つあったんで、そのやり方っていうのは、まず喜んでなくても喜んだふりをしてみるみたいなことで、まず形から変えていくっていうのは一つやり方としてはありなんじゃないかなっていう提案が一つあるのと、

あと、じゃあなんでひがんでしまうのかっていうところを紐解いていくと、またそれをやめる可能性が開けてくるんじゃないかなと思うんですけど、僻むっていうことは、まず一つには自分の方が相手よりも下だっていうふうにどっかで思ってるからじゃないですか。

三上:うん、そうだと思います。

吉村:なんか負けてるとか下だって思ってるけど、そのことを認めたくないから自分の方が上なはずだっていうふうに自分に言い聞かせるっていうことをしてるんですよね、無理やり。それで一生懸命頑張って自分を大きく見せようみたいなことをしてる中で、自分よりもいい思いをしてる人を見た時に、これは何かの間違いだとこんなことは許されない、あってはならないことだみたいなジャッジが起きて、それでそこに対して嫉妬とかひがみっていう感情の反応が起きてるんですよね。

三上:そうなんですよね、満たされてないからね、自分がね。

吉村:そういうことなんですね。だから、そうすると自分を満たしてあげるっていうのが大事だよねみたいな話にはなってくるかと思うんですけど、でもまず大事なのは、本当は別に上でも下でもないっていうことなんですよね。

例えば、僕よりもお金持ちの人なんて数えたらキリがないぐらいいるし、僕よりもお金がない人たちも数えたらキリがないぐらいいるわけですよ。そこでどのぐらいお金持ってるかとかお金稼げてるかみたいなので序列を作ったら、すごい氣長で根氣強い人がやったら、世界の70億人ぐらいいる人たちを全員一つの序列のランキングに出すみたいなことはできるのかもしれないですけど、理論上ね。

三上:うん。

吉村:でも、バカバカしい話なんですよ、それって。実際にお金持ってる人の方が偉いかとか、そういう話でもないし、僕よりもお金稼げてない人が僕よりも下等な存在なのかっていったら、そんなことはないですよね。だから、そうすると別にそれはどっちがお金持ってるかっていうことだけで比べたら別にそこで優劣っていうのかな、上下みたいなのつくけど、それってあくまでもその基準で測ったらっていうことに過ぎないんですよ。

じゃあ朝の朝礼のときに身長が低い順に並びなさいって言われたら、確かに序列ができるけど、でも別に、背が低い人は前にいるから背高い人よりも偉いのかっていったらそんなこともないし、背高い人の方が背低い人よりも偉いのかっていったらそんなこともないわけですよね。

三上:そうですね。

吉村:だから、例えば何か特定のスポーツとかをやるときにどっちの方が有利かみたいな話になったときに、これだってどういうスポーツをやるかによっても全然変わってきちゃうんですよね。バスケとかバレーボールみたいな身長が高い人が有利なスポーツもあれば、乗馬みたいに小柄な人の方が有利なスポーツもあるんですよね。別にどっちの方が良いか悪いかって話っていうのは、それを使って何をしようかってときに良いか悪いかっていうのが評価が可能になってるだけで、絶対的なその人の存在価値だったりとか、良いか悪いかみたいな、その人が善か悪かみたいなこととは全く何の関係もないんですよね。

三上:こっちもね、ジャッジしちゃったりとかいうことですね。

吉村:そうなんですよ。そこのジャッジをやめて、別に上も下もない。良くも悪くもない。ただ、たまたまこの人は自分よりも早く昇級したとかね。オーディションに受かっていい役もらえたねっていう話だけど、別に自分は別の自分が力発揮できるところで自分に合った仕事をするのに、何か違うところで評価を上げることをするとか、やろうと思えばできることは色々あるわけですよ。

三上:そこだけじゃないですよね。

吉村:そういうことなんですよ。だから、この評価基準で全てが決まるって思ってたら、そこで負けたら全て終わりになっちゃうわけじゃないですか。そうすると、じゃあ自分がもっと他で力発揮できて、評価を得られるようなことがどういったことがあるだろうか、何ができるだろうかっていうことを考えてそれを実行していくっていう流れに向かなくなっちゃうわけですよね。そうすると結果的に自分が評価を得られるような現実を作り出すことにとっては、ひがんだりとか嫉妬したりすることはマイナスに作用してるわけですよ。

三上:成長というか自分の先にってことですね。

吉村:そういうことですね。だから何かしらで成長すれば何かしらで成果を生み出すこともできるし、何かしらで成果を生み出せばそのことで評価を受けることはできるわけですよ。ただそれがたまたまこっちのこの人が得られた評価、この人が力を発揮した分野で得られた評価っていうのとは別のものだったっていうだけの話で、それがどっちの方が優れてるとか偉いとかっていう話ではないんですよね。

だからそこで嫉妬してひがんで、それで自分がふてくされてくすぶってる時間っていうのは、他のところで自分が力を発揮できる場所を見つけて、そこで頑張るっていうことを妨げちゃうから、結果自分の評価を上げたいっていう目的にとってはマイナスなことをしてるから、それはいってみたらその選択が良い選択か悪い選択かっていうところで言うと、悪い選択なんですよね。

三上:うん、なるほど。ご自身でリスナーの皆さんの中でも、そういう方もいらっしゃるかもしれません。今日のテーマで喜べないっていう方も。やっぱり今のお話を聞いて、ジャッジとか受け入れるってことは関係してきますね。

吉村:そうなんですよね。だから本当に実はほとんどの問題ってジャッジを手放すだけで解決できることが大半なんで、僕は皆さんから色々質問を受けたりして、お話しさせていただくことは色々あって色んなテーマでお話しさせていただいてるんですけど、実は結論は大体いつも同じなんですよね。

だから、同じ話を何百回も違う切り口で同じ話をしてるだけなんですけど、それが実は同じ話だっていうことに氣づくためには、何通りもの道を通って、全部同じところにたどり着いてるっていうのを経験すると分かることなんで、そこがそのプロセスの途中に皆さんいるっていうことじゃないかなと。もちろん僕もまだまだ全然成長していける伸びしろがあるって自分で思ってるんで。皆さんも一緒に自分の伸びしろってどこにあるんだろうっていうのを一緒に、一緒にっていうかそれぞれで探すわけですけど。

でもきっと、そういう観点でコミュニケーションを取ったら、お互い結構協力し合えることって色々あると思うんですよね。そういう中で、相手をライバルって思うよりも、それぞれの力を発揮できるようになる自分を、自分で見つけていくための協力関係みたいなふうに捉えたら、もっと人のことをいいことがあったときとかに一緒に喜べる自分になれるんじゃないかなっていう氣がしますよね。

三上:本当に今日のテーマ、こころメンテナンスだなって思いながら、本当。だから個人個人がやっぱりこころメンテナンスしていただいて、このお話聞いていただいて、個人個人色んなステップアップして、毎日を楽しんでいただきたい内容だなって改めて聞きながら今思ってました。

吉村:ありがとうございます。

三上:本日も素敵なお話ありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。