149.ジェンダー

今日はひな祭り、女の子のお祭りですね、イベントも性別関係なく楽しめるイベントが増えるといいですね。

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三上:みなさん、こんにちは。こころメンテナンス。本日もアシスタント三上恵と、気功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:さあ、放送日、3月3日、そうです、ひな祭り。なじみありますか。お子さん、女の子ふたり。

吉村:実は、僕の家ではあんまり、行事ごととか、ほとんどやってないんで、むすめたちが、小学校あがるぐらいまでは、小さい、紙で作った雛人形みたいなのを、テレビの前とかに、ポンポンと並べて、テレビ台の上に並べたりとか、しましたけど、基本的には、ひな祭りということで、スーパーとかに雛あられとか、菱餅とか、ああいうちょっと可愛いピンク色のお菓子とか出るから、たぶん、娘たちがそういうお菓子が食べられる日みたいな感じで捉えていたんじゃないかなと思いますね。

三上:うーん。わたしの場合は、ほんとに二人姉妹なので、小さなころから、雛人形、そして、おかあさんが、ちらし寿司、ケーキというような、3月3日、女の子の祭りということで、いろいろ華やかな日というイメージがあるんですけども、最近は、女子、とか、男子、というお話は、タブーになってきている時代だと思うんですが、

吉村:ああ、そうですよね、ジェンダーがね、別に、単純に男性、女性だけじゃなくて、中間とか、いろいろ、いろんなカラーや、グラデーションも存在しているというのが段々、みなさんの共通の認識になりつつあるのかなという感じはありますよね。

三上:そうですよね。なので、今日は、3月3日、ひな祭り、女の子のお祭りということなんですけども、いろんな性別関係なくということで、ジェンダーのお話をいろいろきかせていただきたいなと思っているんですが、ここ近年、わたしの周りにも、いろいろな愛の形があるなというふうに、わたしもみる機会が多いのですけども。吉村さん的に、こういったジェンダーのかたというのは、周りにも、多いですか。

吉村:そうですね。僕の世間が狭い頃には、そんなに、いなかったわけですけど、年齢が上がると、それだけいろんな人と会う機会が増えてくるので、その中で、どんどん、直接関わる機会とかも増えてきて、僕の周り、知り合いで、いわゆるLGBTとかっていうカテゴリーに入るような人たちというのも、知り合う機会がすごく増えてきましたね。

三上:うーん。

吉村:あとは、たとえば、小学生の頃に、ひとり、男子なんだけど、女子っぽい、という言い方で合っているのかな、ひとり、一般的な感じに見えない子がいたんです。それは、その子がなよっとした、フェミニンな感じの男子というわけではなくて、どっちかというと、男まさりな女子みたいな子っているじゃないですか。

三上:いますよね。

吉村:体がちょっと大きくて、なんかジャイアンみたいな感じの女子って。そういう感じに見える男子なんですよ。だから、すごい不思議な感じで、だから、男子っぽく見える女子、みたいに見える男子なんですよ。わかります?

三上:わかりますよ。

吉村:で、ツルンでいる子たちも女子だから、女子同士で、ツルンで遊んでいるのを見ると、小柄な感じの女子たちがいるなかに、ちょっと、大柄な、男まさりタイプの女子がいる、みたいな感じの子で、各クラスにそんなグループって、なんか小さいグループってあるじゃないですか。

三上:うんうん。

吉村:だから、僕のいたクラスにも、そういう、ほんとに生物学的に女子の子なんだけど、体が大きくて、ちょっと男まさりで、みんなを引っ張っていくリーダー気質の子がいて、その周りに、小柄な女の子たちが集まってグループ作ってる、みたいな感じに見える、そのグループが、隣のクラスにいるんだけど、その中心になっている子というのが、実は、生物学的には男子である、というね。

三上:うーん。

吉村:だから、僕らとしては、それがすごい不思議な感じというか、今思うと、すごいひどいことなんだけど、ちょっとおもしろいよね、みたいな、ちょっと笑っちゃう、というような、感じでとらえていたので、その彼というか、彼女というか、わからないけど、隣のクラスの子のことを、不良少女と呼んで、揶揄するみたいなことをしていたんですよね。そういう人たちがいると知らない世界で暮らしていたんですよ。僕が小学生の頃といったら、1980年代初頭とか、ですよね。小学校高学年に入ったぐらいの頃とかって。だから、テレビをつけても今みたいに、オネエ枠の人とか、セクシャルマイノリティ枠の人とかもいないから、ただ異質な、ちょっと変わった子がいるという、感じだったですよ。ただ、ちょっとふざけてからかったりするけど、向こうは、それこそ男まさりだから、「うるさいわね」という感じで、ギャハハみたいな感じで、なっていたから、別に陰湿ないじめみたいな感じにはなってなかったんですけど、それって、僕がいたグループと、その子のグループとの間のことなので、別のところで陰湿なこともあったかもしれないけど、そこは、僕にはわからないわけですよ。

三上:うーん。

吉村:だけど、だいぶたって、大人になって、30代とかになってからだと思うんだけど、SNSのミクシィって、前にあったじゃないですか。

三上:はいはいはい。やりましたね。

吉村:ミクシィをやり始めたら、その子が僕のアカウントを見つけて、連絡をくれたんですよ。プロフィール写真とかをみると、完全に、女の人になっていて、「なになにだけど、覚えている?」みたいな感じでメッセージもらって、「あ、はいはいはいはい、なになに君ね」みたいな、「ああ、やっぱり、きみ、そういう感じだったのね」みたいな。ははは。

三上:うんうんうん。

吉村:そんな感じで、話きくと、今は、性転換の手術をしてるかどうかまではわからないんだけど、性自認としては女性として暮らしていて、男性のパートナーと一緒に暮らしてる、みたいな話で。そこにいたるまでの間に、僕も、直接ゲイのかたと知り合う機会がなかったところから、直接知り合う機会があって、それまでは、僕がアメリカで高校生だったときとかって、ゲイ差別とかがまだまだ激しかったときなんか、周りの同年代の男子と話しているときに、たとえば、誰かを揶揄するとか、馬鹿にする言葉として、ゲイという言葉を使う、みたいなこととかというのが、横行していて、僕も、悪気なく、みんなに調子を合わせて、やっていたわけですよね。

三上:うーん。

吉村:だけど、実際に社会に出るようになったりして、自分の知り合う人が増えて、世間が広くなると、そういう人たちと知り合う機会が出てくるじゃないですか。そうすると、知り合って、仲良くなってから、自分はゲイなんだという話を、僕に話してくれると、それまで、ゲイってよくわからない、異質で、なかば馬鹿にしていた対象だった人が、リアルにいて、その人と仲が良くて、いい人だってこともわかっているわけですよ。となると、そのときに、ようやく、ゲイだからっていう理由で馬鹿にするとか、差別するって、すごいひどいことをしてたなって、ようやく僕はそこで気が付いたわけですよね。

三上:うーん。

吉村:実際に、自分の周りにそういう人がいることがわかって、あ、いるんだ、この人、こんなに、いい人だから、ここから僕が手のひら返したように、差別したり、馬鹿にしたりとかできないなとなったから、本当に個性として受け入れないと、まずいなというのは、そのときに思って、そこからは、自分の向き合いかたというか、捉え方がすごい変わったんですね。だから、そういう経験を経て、10年ぶりぐらいで、小学校のときの隣のクラスの子と、SNS上ですけど、再会して、すごい感慨深いというか、自分らしく生きられるようになって、よかったね、とそのときはすごく思ったんですよね。

三上:うーん。昔は社会的にもカミングアウトできないという、状況が多かったと思うんですけど、今からもっと、こういったジェンダーのかたは増えていくと思うんですけども、それと同時に思うのは、子どもの頃って、わたしたちはそういう教育を受けていない、男性か、女性か、となると、やっぱり、そういったことが起きますよね。「え、お前はどっちなの?」みたいな、

吉村:そうなんですよね。だから、そこって、たぶん、日本にひな祭りがあったりとか、5月5日の端午の節句とあるという、あれって、たぶん、子どもの頃に、男か女というジェンダーはどっちかしかありませんよ、ということを、植え付けるためにやってきたことなんだろうなと思うんですよね。

三上:うーん。

吉村:だから、そういう意味で、別に出だしがそういうものだったしても、その思想でずっとやり続ける必要はないと思うんで、ひとつの祭りみたいな感じで考えて楽しむ分には全然いいと思うんですけど、だから、どっちかしかないという考えかたというのが、もう、あまり必要ないよな、という感じがしますよね。

三上:うーん。ですね。やっぱり、同性愛のかたでも、本当に、色んな経験をして、苦しい思いもして、でも、結果、カミングアウトして、相手のパートナーのひとを見つけて、幸せそうに、過ごしているかたもいらっしゃるじゃないですか。最後にききたいのは、ジェンダーで悩んでいるかたって、本当に多いと思うんですよ。わたしの周りもいっぱいいるんですけど、そんなかたに、もし、吉村さんの考えのなかで、アドバイスというか、何かメッセージとかがあれば、いただきたいな、ひとことって、今ちょっと思ったんですけど。

吉村:そうですね。世の中がもっとオープンになっていく必要があるよね、というのは思うんですけど、世の中って、結局、僕ら一人ひとりの集合体なので、まず最初にできることは、自分自身がオープンになって、自分自身に対して、これでいいのだ、って、言えることだと思うんですよね。どうしても、白か黒か、とか、どっちサイドか、みたいな話が多いし、僕の子どもの頃なんか、学校に行くと、お前はどっちのグループなんだ、とかね、どっちの味方なんだ、みたいな、話ってよくあって、すごい居心地悪いなと感じていたんですよね。どっちかにつかなきゃいけないとか、どっちかに属していないといけない、白か黒かのどっちかじゃないといけないという発想というのは、みんなの心のなかに、ちょっとずつ、そういうものがあって、それが、寄り集まって、大きな流れとか形として、現れちゃっているということがあると思うので、別にどっちかじゃないといけないなんてことはないんだなということを、まずは、一人ひとりの心のなかで、別に大きなぼんやりした傾向みたいなものがあったとしても、自分がそのなかのどこに位置しているかというのは、自分の話だから、白か黒じゃなくて、すごい膨大なグレーゾンみたいなのがあるなかに、僕らは暮らしているわけで、もちろん、社会が変わっていけば、カミングアウトなんて言葉自体がそのうちなくなってしまうような時代とかも来るんじゃないかと思うんですけど、そこに向かっているんだという意識で、まずは、自分自身が、これでいいのだと思って生きていけるように、していくということが先決じゃないかな。たとえば、ちょっと昔の100年前とかだったら、同性愛というだけで、犯罪扱いされて、投獄されたりとかね、今の時代でも、たぶん、日本の外の別の国とか行ったら、そういう国もあると思うんですよね。

三上:うーん。

吉村:そういうところにいる人たちって、本当に苦しいと思うんですけど、でも、幸いなことに、今僕らはある程度、ジェンダーって、男と女だけじゃないよね、ということが、だいぶ、オープン、OKになってきている、世界と時代にいるわけじゃないですか。まだ、過渡期なところもあるとは思うんですけど。世の中は、段々、そちらの方に向かって進んでいるから、それに自分がのっかって、自分自身が、これでいいんだ、自分は自分で、これでいいんだという、気持ちで生きていくということをしていくと、たぶん、それが段々ひろがっていくんじゃないですかね。

三上:はい、ありがとうございます。今日は、ひな祭りに配信ということで、ちょっとかけてですね、ジェンダーに関するお話も、いろいろなアドバイスもいただけたと思います。わたしたちもそうですけど、周りにいる、こういったかたにもひろめていただきたいなという話題でもあったかと思います。

吉村:そうですね、はい。

三上:吉村さん、本日も素敵な話題をありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。