142.ごめんなさい言えますか?

あなたの周りにもいませんか?謝る事が苦手な方、どうすれば素直に謝ることができるのか?吉村さんから伺いました。

感想、ご質問はこちらにお願いします!
https://forms.gle/HhW7cXuA345QYmDZ7
YouTube:
https://www.youtube.com/c/kokoro-me
Web:
https://m-e-science./com

◆文字起こしはこちら
https://kokoro.koelab.net/142/
==================

三上:はい、みなさん、いかがお過ごしでしょうか。こころメンテナンス。本日もアシスタント三上恵と、気功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい、さあ、今日はテーマご紹介する前に、わたしの身近にもいます。そして、息子にも教えています。「ごめんなさいとありがとうは言えるようにしましょう」と話しているんですけど。どうでしょうか。リスナーのみなさんのなかにも、自分自身もそうかもしれません。何かあったときに、素直にごめんなさいと言える人でしょうか。ということで、今日のテーマは、「謝ることが苦手。どうすれば、素直に、謝れるようになりますか」ということで、吉村さんに、質問をしていこうかなと思うんですけど。素直に「すみません」、「ごめんなさい」って謝れるひとと、そうでないひとの、違いって何なんですかね。子どもでもそうですよね。素直に、「ごめんなさーい」とか「ありがとうございましたー」、言える子もいれば、全く、「あ」みたいな、クールな感じの子もいれば。何が違うんですかね。

吉村:物事の捉え方の癖みたいなところに、違いがあるから、態度に違いが出てきているということだと思うんですね。まず、謝るという行為に、どういう意味付けをそのひとはしているのかというところがかなり重要になってくると思うんですよ。本来、謝るというのは、何か自分の過失とかね、思い違いみたいなことで、他の人に対して、損失を出してしまったとか、害を及ぼしてしまった、相手の機嫌を損ねてしまったみたいなことがあったときに、そのことに対して、「わたしは、あなたが困ったことに対して、それはよくないことだって、認識しましたよ」っていうような意思表示なわけですよね。

三上:うーん。

吉村:だから、「このことで、あなたを困らせてしまいましたね。すみません」みたいな意味合いのことだと思うんですよ。ということは、それって、「あなたのことを尊重していますよ」という意思表示なんですよね。

三上:うーん。

吉村:となると、相手のことを尊重していないひとからは、その言葉はなかなか出てこないですよね。言葉というか、態度は出てこないということですよね。だから、まずひとつには、相手を尊重しているかしてないかというところでも、そこの違いが出てきちゃうというのがあるし、じゃあ、その相手を尊重することができていないひとは、どういうことなのかといったら、それは、その人自身が、被害者意識を持っているとかね。だから、自分が尊重されていないって感じているとなると、自分が尊重されていないのに、人のことを尊重してられるかよ、みたいな感じの気持ちになってしまいますよね。

三上:うーん。

吉村:なので、自分に余裕がない状態のひとは、ひとのことを尊重することもできないので、そうすると、何かあったときに、ごめんなさいというのが難しいという状態になりますよね。自分に余裕がない状態のひとたちというのは、どんな状態のひとたちがいるかといったら、たとえば、自分がいつも責められていると思っている人たちは、自分は悪くないんだというアピールをいつもしなきゃいけなくなってしまうわけなんですよ。

三上:うーん。

吉村:それって、相手が自分のことを責めているかどうかということよりも、そのひとが、自分が責められていると感じるかどうかというところの反応なんですよね。

三上:自分が責められているかどうか。

吉村:責められていると感じるかどうか。だから、要はそういうブロックがあるという話なんですよ。なので、相手のひとが自分のことを責めているかどうかということに関わらず、自分は責められているというフィルターを持っているひとは、何を言われても、責められていると感じてしまうわけですよね。

三上:うーん。

吉村:要は、ブロックって、そのひとの受け取り方に影響を及ぼすわけですよ。物事の受け取り方とか、解釈の仕方とか、

三上:同じ言葉でも、ってことか。

吉村:そうそうそう。だから、入ってくる情報というのが、まずインプットされるわけじゃないですか。たとえば、「床にゴミが落ちていたよ」とかって言われたとするじゃないですか。「床にゴミが落ちていたよ」という情報がインプットされるわけですね。ここに、あんまり余計な意味づけがされなかったら、「床にゴミが落ちているんだ。床にゴミが落ちている状態は望ましくないから、ゴミがない状態にするためには、それを捨てればいいんだな」みたいな感じの話になるんですね。

三上:うんうん。

吉村:「じゃあ、捨てとくね」とか、というような反応になるのが、特に余計な情報が入っていない、その情報をそのままニュートラルに受け取った場合の反応になるわけですよ。だけど、自分が責められているというブロックを持っていると、「床にゴミが落ちていたよ」という、この情報に、「ゴミ落ちているのに、お前はそれを放置していたのか。お前はどこに目がついているのか。駄目なやつだ」みたいなことを言われた気になっちゃうんですよ。

三上:うーん。

吉村:何でも自分が否定されたと感じるから、それに対して、防御したりとか、反撃したりしなきゃいけなくなっちゃうんで、なんかね、「わかってるよ!」みたいな感じの反応になっちゃったりとか、「今やろうと思ってたんだよ」とかって、そういう感じになってしまったりするわけですよ。そうすると、「あ、ごめん、気がついてなかった。なんか捨てとくね」みたいな感じの反応とは違う反応になっちゃいますよね。

三上:うーん、うんうん。ああー、わかる。

吉村:これが、だから、結構、いろんな、ブロックによるフィルターで余計な意味付け、ちょっと間違った解釈みたいなことがすごく起きやすいんですよ。そういうひとがどういった解釈をしているのかというのが、本人も自覚がないし、傍からみているひとも、よっぽどしっかりその人を観察しないと、なんでそのひとがそんな反応をしているのかわからない、ただただ、「なんで、このひとはこういう感じになるんだろう」っていう、ハテナマークばっかり出てくることになっちゃうので、結局、結果的に、「このひと、謝らないひとだよね」みたいな感じになってしまうわけですよね。

三上:うーん。なるほどですね。ひとによっては、そういうように追い込むような言い方をする人もいませんか。

吉村:もちろん。それは、そういう言い方をするひとのほうに、ブロックが発動しているわけですよね。

三上:ああ。

吉村:たとえば、自分はいつも侵害されている、みたいな、要は、自分はリスペクトされていない、尊重されていないというような、ブロックによるフィルターを持っているひとだと、何か起きたときに、それが自分に対する悪意のように、感じてとらえてしまう、わけですよ。

三上:うーん。

吉村:床にゴミが落ちていましたというのを、そのひとが見たときに、「あ、床にゴミが落ちてるなあ」みたいなね。これが、たとえば、自分がそれを落とした心当たりがなかった場合、「たぶん、あのひとが落としたんだな」みたいな感じだとしたら、あのひとがちゃんと自分が気がついて捨てられるようにしたほうがいいよねというような考えが働いたら、別にそのひとを責め立てるんじゃなくて、「なになにさん、ゴミが落ちてますよ」と教えてあげる。そのひとは、「ほんとだ。ゴミ箱に捨てたつもりだったのに、落としちゃったな。ごめんなさいね」と捨てて、丸く収まることになるはずなんですけど、

三上:うん。

吉村:これが、尊重されてないというブロックを持っているひとは、床にゴミが落ちているのを見たときに、「この人は、わたしを不快にさせるために、ゴミをわざと放置してるんじゃないか」みたいな受け取り方になるんですよ。

三上:うん。

吉村:とかね、わざとじゃなかったとしても、ゴミが落ちているというこの状態はわたしに対する、非道な、無礼な、「こいつ、俺をなめているのか」みたいな感じの受け取り方になるから、そうすると、相手に対する言い方とかも、責め立てる言い方になっちゃいますよね。

三上:いやあ、それは、ブロックなんですね。

吉村:そうなんですよ。だから、何か揉め事とか争いが起きるときって、たいてい、どっちのサイドも何かブロックを持っていて、ブロック同士が反応し合うことで、揉めているわけですよね。別にニュートラルにとらえていれば、別に、ゴミが落ちているという事実しかなくて、別に、ゴミ箱に捨てるつもりだったのに、落としちゃったということなのか、後で捨てようと思ったけど忘れちゃっていたとか、いろんな可能性はあるけど、

三上:うーん。

吉村:でも、別に、それって、だからといって、ゴミが落ちているという状態があって、その原因が自分にあるんだったら、「はい、教えてくれて、ありがとう」、捨てる、みたいな感じで済んじゃうという話なんですよ。だけど、そこで、このゴミをここに放置しておくことで、自分は楽をして、このわたしに捨てさせようとしているのではないかとか、みたいなのがあると、「ふざけんなよ。自分が落としたゴミなんだから、自分で捨てとけよ」みたいな感じになっちゃうし、言われたほうも、「ゴミちゃんと捨てないなんて、駄目なやつなんだ」と言われているというふうに感じちゃうと、「必要と思ってたけど、なんかね、今捨てようと思ってたのに」という感じになっちゃたりするわけ。だから、本当にニュートラルにとらえることができていて、お互いに尊重する気持ちがあれば、別にたいした話ではないですね。

三上:うん。うふふふふ。

吉村:そうすると、謝るとかいうハードルはそんなに無いんですよ。別に、なんか。

三上:うーん。

吉村:これが、自分に対する攻撃とか、そういう受け取り方があるから、それに対して、反撃するみたいなことが起きちゃうんですよね。あとは、物事を勝ち負けでとらえるひととかね、対立構造でとらえるひととかも、「ここで謝ったら、自分は負けちゃうんじゃないか」というふうになったら、一所懸命謝らないで、いろいろ言い訳を言い出したりとかするんですよね。

三上:うーん。

吉村:だから、ここは、実際に別に勝ち負けとか無いじゃないですか。そのところで。事実としては、ゴミが落ちてます、と。望ましい状態は、このゴミはゴミ箱に捨てられていることで、ここの床がきれいな状態が望ましいです、ということ、お互いに合意ができていれば、別に誰が落としたゴミなのかとか、そんなのも、本当はどうでもいいんですよね。

三上:そうですね。

吉村:ゴミ落ちてるな、捨てておこう、みたいなね。自分で捨てるという選択肢もあるし。そういう不注意とか、認識違いみたいなことがある可能性があれば、じゃあ、それを、みんなで何か合意を作っておいたほうがいいねとなれば、「ゴミ落ちてるんで、捨てておくね。ゴミ捨てるときにちゃんと確認しておいてね」とか、そういうような感じで、「あ、わかった、わかった。たぶん、僕がさっき見ないでゴミ捨てちゃったんで、それが落ちちゃっていたんだと思います。気をつけます。」以上、みたいな感じで、丸く収まるはずなんですよ。

三上:今きいて、たぶん、ほとんどのひとが経験ありそうな内容だと思うんですよ。うふふふふ。ほんとですよね。言い合いの原因って、ほんと些細な、小さなことですよね。実際は。

吉村:本当に思い違いみたいな話で、結局、たとえば、誰かが僕のことを睨んでいると思っているから、目の前のひとが僕のことを睨んでいるぞって思って、こいつに負けないようにしなきゃみたいな感じになっているけど、その睨んでいる顔というのは、僕がかけているメガネに描いてある顔だったりするわけですよ。だから、相手のひとは、別に睨んでいなくても、メガネに睨んでいる顔が描いてあるから、そのひとをみたときに、こっちを睨んでるって見える、それがブロックの仕組みですよね。

三上:はい。今日は、いいお話が、皆さん、わたしもふまえて、聴けたと思います。今日はね、「謝ることが苦手。どうしたら素直に、謝れますか」というのを取り上げて、お話うかがいましたけども、ちょっと、皆さん、ニュートラルを忘れずに。ひひひひ。ね、皆さん、一人ひとりが心がけていただけたらなと思います。はい、吉村さん、今日もためになるお話をありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。