144.愛について

今日はバレンタインデー。愛にはいろいろな形がありますよね。愛にまつわる話題を取り上げてみました。

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144.愛について


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三上:はい、みなさん、こんにちは。こころメンテナンス。本日もアシスタント三上恵と、気功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、よろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい。さあ、今日はね、配信されている日付は、2月14日、バレンタインということで、ハッピーバレンタイン!うふふふ。

吉村:ははははは。

三上:で、いいのかしら。

吉村:ははははは。そうですね。

三上:日本でも、だいぶ、みなさん、告白する日とか、何かあげたりとかね、習慣になってきましたけど、今日は、ハートにまつわる、「愛について」、テーマにお届けできたらと思います。いろんなかたちの愛があると思うんですけど、わたしに関しては、大人になって、自分自身が母になって思う、お母さんの愛というか、見返りのない愛に、いやあ、すごいなあ、わたしは、まだまだ返せていないな、とか思いながら、最近、感じることが多いですね。

吉村:なるほどですね。はいはい。そうですね。見返りがないと言ってますけど、たとえば、僕自身は、子育てした、今でもね、子どもたちは高校1年生なんで、子育て中といえば子育て中なんですけど、男性にしては珍しい、赤ちゃんのときの、赤ちゃんを育てるということをやっている経験があるんで、感じるのは、よく、子どもは三歳までに親への恩は全部返し終わっている、みたいな話ってきいたことあるんですけど、それって、本当にそうだなと、僕自身はすごく思ったんですよ。赤ちゃんのときのうちの娘たち、本当にかわいくて、お世話をすることで、喜んでくれてるんだとか、僕のことを慕ってくれているんだみたいなことを、すごくダイレクトに感じられたし、僕がこの子たちをお世話しなかったら、死んじゃうかもしれないということで、

三上:うん。

吉村:この子たちの生命を守るという、大切な役割を今自分が果たせているんだ、みたいに思ったことでも、すごく、自分の、自己価値が上がった、自己受容感が上がったし、すごく、僕自身、子育てをすることで、成長させてもらえたというのがすごくあるんですよね。

三上:うーん。

吉村:未だに、やっぱり、当時の、赤ちゃんだったときの娘たちのことをたまに思い出すと、本当に、何かほわーっとなる感じ、ああ、かわいかったなあ、みたいなこと、そのときの幸せな気持ちとかも蘇ってくるから、僕にとっての、代えがたい財産みたいな時間を過ごさせてもらったし、それが、だから、今でもずっと、自分にとって、いい影響がずっと残っているということでは、すごくもらっているわけですよね、既に。

三上:うーん。

吉村:もちろん、見返りを求めるのか、求めないのか、みたいな話になると、わかりやすいのは、経済活動ね。買い物しました、お金払う、当然じゃないですか。それっていうのは、物を用意してくれたというような、関わっているひとたちの、労働であったりとか、価値の提供に対する対価を支払っているわけですよね。言ってみたら、わかりやすい、その場での、何かしてもらったので、お返しに何か、みたいなことだけじゃなくて、価値とか貢献というのは、世の中を巡り巡っているわけですよね。

三上:うーん。

吉村:だから、直接その人から返してもらってなくても、巡り巡って、他から返ってくる、みたいな、愛と感謝が循環してるみたいなことっていうのが、この社会のなかで、社会が何かひとつの生き物みたいな感じでとらえると、生き物のからだのなかを血液が循環することで、その生き物は健やかに生きているわけじゃないですか。

三上:うーん。

吉村:社会という生き物がそれをやっていて、社会のなかの細胞であったりとか、臓器であったりということを、僕らは一人ひとり人間としてやっているわけで、それは、いろんなかたちで、愛と感謝が巡り巡っていて、そのなかに、きっと、母の愛もあるんでしょうし、

三上:うーん。

吉村:いわゆる、恋愛、バレンタインデーで、たぶん皆さん、最初に思い浮かぶのは恋愛みたいな話だ思うんですけど、そこも、本当は、愛と感謝の循環というなかに、入ってくるものだと思うんですけど、ただ、結構恋愛の話になると、たとえば、独占欲であったりとか、

三上:うふふふ。

吉村:みたいな話になりやすいんで、ここが、本当の愛ってそこじゃないですよ、ということが結構大事なとこかなと思いますよね。

三上:うーん、そうですよね。ヤキモチ焼いたりとかね、嫉妬したりとかって、みんな、結構あったりしますもんね。

吉村:ねえ。それって、結局、ひとを独占したり所有したりすることができる思っているから、たぶん、そういう嫉妬みたいな話にもなってくると思うんですよね。

三上:うーん。

吉村:だから、本当に、お互いのことを大事に思って、尊重しあってというところが、愛だと思うんですよ。これが、だから、また、恋愛となると、パートナーシップを組んで、共に協力しあって、なにか社会のなかで、自分たちのポジションをとって協力しあって生きていきましょうね、というパートナーシップというのと、ドキドキする相手と一緒の時間を長く持っていたいというところは、重なる部分もあるけど、完全一致かどうか、わからないわけじゃないですか。

三上:うん。そうですね。

吉村:だから、ドキドキする相手に惹かれるというも全然悪いことではないんですけど、そこが本当にお互いを尊重しあっているというところに持っていけるのか、それとも、要は、そのひとを所有しようとしているのかというところ、というところは、これが本当に愛なのか、というところを見極めるポイントになってくるかなという気がしますね。

三上:そうですね。今ちょっとね、愛について、恋しているかたとか、ちょっと改めて考えてほしいきっかけになる、今日の話題かもしれませんね。

吉村:そうですね。だから、わかりやすいところで見返りを求めているとしたら、愛と感謝が循環するシステムにうまく乗れていないわけですよね。やってやったんだから、早く返せよ、みたいな。

三上:うんうんうん。

吉村:になっちゃうから、それって、たぶん、どっちもお互いに出し渋っている状態じゃないですか。できることなら、こっちを渡したくなくて、早くよこせということだけをお互いが言っているみたいな、ね。食べ物屋さんに行ってね、「まずは、注文する前にお金払ってくださいよ」と言って、「いやいや、出してから、食べ終わってから、金払うから、先に出せよ」と言って、押し問答が起きているみたいなね。はははは。

三上:(笑)

吉村:それって、おかしいじゃないですか。そこは、別に、そのお店のシステムが前払いなのか、先払いなのかというのは、ささいな話で、要は、ちゃんと、美味しいものを提供しますよという気持ちで商売している人と、いいものを食べたら、ちゃんとその分お金を払いますよという気持ちの人が、ちゃんとそこがマッチングしたときに、

三上:いい関係性が、

吉村:成立するわけですよね。それって、お互いに、受け取ろう、奪い取ろうみたいな感じだと、話が先に進まなくなっちゃうわけですよ。

三上:はあー、ねえ。

吉村:そういう意味では、先に与えるということは、結構大事なわけですよね。たぶん、ちゃんとうまく機能している親子の関係、一般的には、赤ちゃんを育てているのは女性が多いから、母の愛という話になってくると思うんですけど、本当は、赤ちゃんは周りの大人たちにすごくいいものをいっぱい与えてくれているわけですよね。

三上:うーん。

吉村:で、それをちゃんと受け取れているかどうかというのも、差が出てきちゃうわけですけど、それを全く受け取れていなくて、「おむつの交換したくないのにやらされて、やだなあ」と思いながらやっているのか、というところとか、あとは、だから、これを、「まず、この子が健やかに育つようにお世話をするぞ。楽しいな」みたいな感じでやっているのかという。お互いに与えるというのを先にやっていて、それをちゃんと受け取れているというようなことが、成立しているときに、愛と感謝の関係性って、バランスがとれているわけですよね。

三上:うーん、ですね。今吉村さんのお話きいて、わたし、子育てのときに、もちろん、息子の存在自体には、すごい嬉しかったんですけど、その当時のわたしは、自分のことも、やっぱり考えが、すごい強くて、結構、子育てに対しての、いいイメージが今までなかったんですよ。大変だった。すごい大変だったんで、深夜4時までずっと起きていてというのもずっと続いて、で、今振り返って、吉村さんの話ききながら、いやー、もっと前に、こういった話をききたかったな、というのと同時に、今があるからこそ、学びがあるんですけど、いろんな感情を思い出しながら、

吉村:ふふふ。

三上:あー、すごいなー、その当時から、生まれた瞬間に幸せだったって、口から出る、吉村さんのお話が、いろんなものがわたしのなかで響きました。

吉村:ああ。ふふふふ。そうですね。だから、やっぱり、ちゃんと余裕がある状態を自分に作っておくというのも大事ですよね。だから、たぶん、そこで、大変だったということのほうが、大きくなっちゃうとしたら、本当に大変だったと思うんですよ。それって。ということは、自分に余裕がないから、大変だったんですよね。自分に余裕があれば、そんなに大変って思わないから、そうすると、そこでの何がプラスになって、プラスのほうに目が行きやすいですよね。

三上:うーん。

吉村:だから、もともと、マイナスがあるから、マイナスを埋めることから始めないといけないから、そうすると、結局、そこに何かプラスがあったとしても、まだマイナスとか、やっとゼロになったみたいなところなわけですよね。だから、そこは、ご自分に余裕があれば、プラスは全部プラスに見えるというかね、本当は、別に、マイナスとかないというところに、心持ちになれると、いろんな、大変なことも含めて、いい経験みたいなとらえかたができると思うんで、

三上:そうですね。

吉村:だから、何を当たり前と思うかどうかみたいなところも結構重要なポイントになってくるんじゃないかなと思うんですね。

三上:うーん。

吉村:たとえば、女の人が赤ちゃんの世話をするのは当たり前、みたいな感じで、周りの人が思っていると、そうすると、そこが、赤ちゃんの世話をしたという、すごいプラスを生み出しているにもかかわらず、当たり前なんだから、別にそこを感謝することはないよね、みたいな感じになっちゃうんですよ。でも、本当は、そんなことなくて、赤ちゃんの世話をすることもプラスだし、赤ちゃんがかわいくて、親にいろんな経験をさせてくれるということもプラスだし、となると、マイナスは無いんですよね。全部プラスになっていくんだけど、何かを当たり前とか、こうあるべきみたいなのが出てきちゃうと、結局、その基準に満たないものは、全部マイナスという意味づけになっちゃうから、そこって、本当は、マイナスが本当にあるんじゃなくて、マイナスっていう意味づけをしているから、マイナスになっちゃうわけですよね。

三上:うーん、いやあ、そうですね、今こう、子育てして、悩みを抱えているかたも、実際いらっしゃると思うんですよ。いろんな、たぶん、感情で、伝わったかと思いますし、今の私なら、たぶん、当時は余裕がなかったけど、たぶん楽しめる気がします。

吉村:うんうんうんうん。なんかね、だから、僕は本当に、いろんな人から、大変だったでしょうって言われるんですけど、でも、なんか、普通、男の人、この体験なかなかさせてもらえないから、赤ちゃんを育てるって、こんなに、今までの人生で全然経験が無いことをやらせてもらえたわけで、これは面白いなという感じだったですよ。本当に。あ、育ってる、育ってる、とか、なんかね、あ、息してる、とか、なんかね、目開けた、なんか微笑んでる、とか全部面白くて、

三上:うーん。

吉村:結構夢中になって、なんかやってたから、もちろん、大変だったとは思うんだけど、本当にいい経験をさせてもらったなというのが大きいですね。

三上:はい。今日、吉村さんのお話も踏まえながら、「愛について」、取り上げました。いろんな愛があって、捉え方次第で、感じ方も違うなと思いながら、わたし自身も、今きいてましたし、今日は、告白したりする人も多いのかな、ははは。

吉村:ふふふ。そうですね。

三上:愛とは何か。

吉村:そうですね、ざっくり言うと、たぶん、「それでよし」みたいなのが愛だと思うんですよ。そういう、いいとこ、悪いとこ、あっての、人だから、まず、ありのままで、「それでよし」ということだし。これが、「今のありのままから変わらないでほしい」となると、執着じゃないですか。

三上:うんうん。

吉村:今のままでもいいし、あなたが成長していったら、それも一緒に喜びますよ、みたいな、そういう感じが、愛なんじゃないかなと思うんで、恋愛関係なんかのときも、その姿勢でお互いをみれると、またちょっと、レベルの違う恋愛ができるんじゃないかという感じがしますよね。

三上:はい、そうですよね。今日、みなさん、この話をちょっと、耳に残して、頭のなかに残して、告白して頂きたいと思います。今日、告白するかたは。

吉村:はははは。

三上:なんか、いいですね。ということで、今日は、「愛について」、テーマ取り上げたんですが、是非みなさん、聴いていただいリスナーのみなさん、感想だったり、「成功しました」でもいいですし、「いろいろ感じました」とかね、ふふふ。はい。あとは、こういったテーマ、今後取り上げてほしい、など、是非リンクからメッセージ、コメント、いただけたらなと思います。はい、今日も、吉村さん、ありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

143.ポジティブ思考

ネガティブよりポジティブな方が良いイメージありませんか?そのポジティブは本当に感じている事なのか?

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143.ポジティブ思考


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三上:はい、みなさん、こんにちは。こころメンテナンス。本日もアシスタントは三上恵と、気功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい。さあ、今日は、わたしも普段なるべくポジティブ思考で生きているほうなんですけども、ポジティブ思考って、実際、危険性とか、本当にいいのかという、たまにネガティブになる自分に対して、「三上、ポジティブで生きろ」という、自分のなかで、なるときもあったりもするんですけども、いろんな感情が日々あるんですが、実際、ポジティブ思考って、いいのか、ちょっと吉村さんのお話もききたいなと思うんですけど。

吉村:はい。後ろ向きな考え方とか、生き方、態度に対して、「前向きなほうがいいよね」というところっていうと、後ろ向き・前向きみたいなところで、ポジティブ・ネガティブと言っているんだとしたら、「ポジティブのほうがいいですよね」という話にはなると思うんですよ。

三上:うんうん。

吉村:ただ、ポジティブっていうのをどう捉えているかみたいなところで、そこって変わってくると思うんですよね。ポジティブの定義とは、みたいな話になってくるんですけど。ここって、どうしても、この世界が、たとえば、陰と陽みたいな、昼と夜みたいな、ものがあるとという世界では、どうしても物事を両極とか、対立で見がち、どっちのほうがいいか悪いかというジャッジをしがちになってしまうので、そこのジャッジという観点での、ポジティブは正しくて、ネガティブは悪いことみたいな話になってくると、ちょっとそこら辺は、問題を引き起こす原因になりやすいんじゃないかなということになってくるんですよね。

三上:うーん。

吉村:だから、ポジティブ思考ということで、ネガティブを排除しなきゃとか、ネガティブなことは悪いことだというようなジャッジが出てきちゃうと、人間関係でトラブルの原因になってしまう可能性も出てくるわけですよね。

三上:うーん。

吉村:なんでかというと、要は特定のタイプの人を否定するということになるわけなので。

三上:たしかに。

吉村:そういう否定的な態度とか、考え方が果たしてポジティブといえるのだろうか、みたいな話になってくると、僕の考え方は、前向きではないですよね。だって、こういうやつは悪いやつだ、みたいな形で糾弾したりとか、否定してくるわけじゃないですか。だから、「こういうふうな生き方がいいよね」ということと、「これは悪いよね」ということというのは、実は、エネルギーの出どころが違うわけですよ。

三上:うーん。

吉村:だから、自分が理想とする状態というのがあって、それに対して、そこに向かっていくというのが、ひとつの方向性だとして、「この状態は悪いから、こうならないようにしなきゃいけない」といって、それを避けるために何か方向性を決めていくという、これがもうひとつあるわけですよ。

三上:うん。

吉村:これは、前にも例で出したことなんですけど、選択肢がふたつあるとするじゃないですか。選択肢Aと選択肢B。選択肢Aがいいと思っているから、Aに向かっていくというのと、選択肢Bが駄目だから、これは悪い選択肢だから、消去法的に、Bは避けてAを選ぶということをした場合、「AとBのどちらを選びましたか」という、その結果だけみると、どっちもAを選んでるんですね。

三上:うんうんうん。

吉村:でも、Aが欲しいからAを選んでいるというのは、ストレートにそっちに行っていますけど、「Bが嫌だからAを選びました」という人は、本当は別にAを選びたかったわけじゃなくて、Bが嫌だったから、それで消去法的に他の選択肢がAしかなかったから、Aを選んでいるわけで、本当は別にAのほうに、向かってはいないんですよね。意識は。

三上:うん。

吉村:だから、選択肢が他にもあった場合、選択肢A、B、Cみたいなのがあった場合、Bを避けた結果、Aに行くかもしれないし、Cに行くかもしれないけど、でも、どっちもその人にとっては、それがいいから選んでいるんじゃなくて、Bを避けるための結果として、AとかCを選んだという話になってくるんで、これは、実は、エネルギーが出どころが違うんですよ。これが、よくスピリチュアルの界隈で言われている、愛なのかおそれなのか、という話になってくるんですけど、Aが欲しいからAに向かうということは、要は、Aに対する愛があるということなんですよね。言い換えると。

三上:うーん。

吉村:だけど、Bが嫌だって、Bを避けるということをしているということは、Aに対して愛があるんじゃなくて、Bをおそれているから、そのおそれているBを遠ざけるために、Aを選んでいるということなので、これは、愛に基づいた選択をその人はしていないんですよね。おそれに基づいてた選択をしている。

三上:うーん。

吉村:だから、これ、選択しているものが別に逆になっても、Bが好きだから、Bが欲しいから、Bをいいと思っているから、Bを選ぶんだという人と、Aが嫌だから、結果的にBを選んだと言う人、同じ話なんですよ。ただ単に選択肢が逆だけど、なので、ということは、Aを選ぶことと、Bを選ぶことのどちらが正しいかという話じゃないんですね。Aをえらびたい人がAを選びました、Bを選びたい人がBを選びましたといったら、それはどちらも、自分が好む方、要は自分が愛を感じる方を選んでいるということであって、Bが嫌だからAを選んだ人、それから、Aが嫌だからBを選んだ人というのは、どっちもAとBと分かれるけど、何か嫌なものを避けるために、その逆を選んでいるということは、そのおそれに基づいた選択をしているということでは、実は同じことをやっているわけですよ。

三上:うーん。

吉村:なので、表面的に見える、結果としてのどっちを選んだかということではなくて、その人がどういうエネルギーでそれをえらんでるかという、そっちのそういう違いの話であって、何を選んでいるかというのは、実はそれほど重要じゃないんですよね。

三上:うーん。とてもわかりやすいです。たしかに。選択だけど、深さが違うというか。違いますね。

吉村:そうですね。だから、そういう意味では、自分が好きな方とか、要は自分の愛を感じる方ですよね。それをたとえば、わくわくするほうを選ぶとか、という言い方でもいいと思うんですけど、それを選ぶということが、結果的に、そのひとが、成果を生み出すとかね、その人が幸せになる近道になるわけですよね。

三上:うーん。

吉村:だから、それをポジティブということもできるわけですよ。そうすると、そっちの選択をするほうが、わくわくする選択をするほうが、そのひとは幸せになれるよね、というところで、それを前向き、ポジティブと言うこともできるんですけど、もし、その人が言っているポジティブというのが、「ネガティブ倒すぞ。おー!」みたいな感じのところで、「ポジティブシンキング、イエーイ!」みたいな感じの、ちょっと無理して、やっている感じだと、結果的には、「ポジティブ、ポジティブ」と、口では言っている割に、何か成果を生み出せていない人とかになっちゃう可能性もあるわけですよ。

三上:うーん。

吉村:それは、要は、その人の中に否定的な選択をさせている、後ろ向きな要素があるのに、それを力でねじ伏せるとか、隠して見なかったことにして、それでポジティブってやっている状態だと、うまくいかないですよということ。だから、一見、ポジティブに見えるけど、とか、一見ネガティブに見えるけど、でも、それが、その人の愛に基づいているかどうか、みたいなところが本当は、重要なんですよ。だから、たとえば、元気で、パリピみたいな、「ウェ~イ!」みたいな人たちと、たとえば、家で静かにしているのが好きみたいな人たちって、みたら、見た目では、その「ウェ~イ!」とやっている人がポジティブで、家で静かにしている人たちは、ネガティブに見えるじゃないですか。

三上:うふふ。ぱっと見、イメージで、まあね。

吉村:でも、それが、本当に好きでやっていれば、別に、どっちもいいんですよ。それはそれで。見え方は違うかもしれないけど。要は、ワイワイするのが、好きな人、それを愛している人たちと、なんか静かにしていることを愛している人たちがいて、自分の愛に基づいてやっているんだったら、いいわけですけど、でも、なんか、ああいう「ウェ~イ、ウェ~イ」した人たち、嫌だよね、みたいな感じで、否定しながら静かにしている人もいれば、なんか、ああいう暗いやつら嫌だよな、みたいな感じで、俺たちは、明るくいくぜ、イエーイ、みたいな感じの人たちとなると、要は、本当にそれ、好きでやってるの、みたいなことですよね。

三上:うーん。

吉村:なんか、暗いやつだと見られたくないから、一所懸命明るく振る舞っているんです、とか、ということかもしれないし、なんか、ああいうやつら、なんかこわくて嫌だから、隠れて静かにしてよう、みたいなことって、なると、本当はおそれに基づいたことをやっているわけですよ。

三上:うーん。そうですね。じゃあ、本当に、本人の、わたしの場合でいうと、ワクワクか、ワクワクする場所、居心地のいい楽しみ方、という、ポジティブというより、本当に今ある、中から出てくるもの、

吉村:そうですね。ポジティブ・ネガティブという、ポジティブは良くて、ネガティブは悪いという考え方がもしあるんだとしたら、、そこはちょっとジャッジをなくしてニュートラルに捉えられるようにしたほうがいいわけですよね。

三上:うーん。

吉村:だから、別に、元気でワイワイすることも、それはそれで悪くないし、ただそういうのが好きという人たちで、静かにおとなしくしているのが好きな人たちは、そういうのが好きな人たちで、別にどっちも、よくも悪くもないというか、この人はどっちを好むかという違いでしかないんですよね。

三上:うーん。

吉村:だから、そこに対して、どっちのが良い悪いというのはないんですよ。だから、ここが、ポジティブ・ネガティブという言葉に、良い悪いというのがついちゃっているとしたら、それは、別に、ポジティブでもネガティブでも、ジャッジしていることには変わりないよねということになっちゃうんで、どういう言葉でそれを表現するかって、実はそんなに重要じゃないんで、自分が持っているエネルギーがちゃんと自分の愛に基づいているかということですよね。

三上:うーん。そうですね。自分の愛に基づいていれば、ポジティブとかネガティブという発想がまず出て来ないですもんね。

吉村:そうですね。だから、結局、何を指してポジティブとかネガティブと言っているのかという、そこから、ちゃんと、向き合って、自分がジャッジをしているかどうかというところをみていくと、本当の意味で、自分の愛に基づいた選択をできるようになっていくんじゃないですかね。

三上:はい。皆さんは、どう感じましたか。ははは。わたしも今までポジティブ思考というのがいいって、勝手にジャッジして、イメージしている部分があったので、今日のお話をきいて、やっぱ、ニュートラルに、そのなんか、ジャッジする癖があるなと気づきながら、この回、わたしも話を収録しながら感じました。

吉村:そうですね。だから、別に決してこれって、たとえば、前向きな人は、リスクヘッジをしないのか、みたいなことを考えるとわかると思うんですよ。別にリスクヘッジをしておいた方が、何かあったときに、安全なわけじゃないですか。

三上:うんうんうん。

吉村:と考えたら、別に、リスクヘッジをすることは、悪いことを考えているから、これはいけないのであるって、言い出したら、これもジャッジなんですよ。だから、向かいたい方向を定めることと、それに対するリスクヘッジをするというのは、これは、言ってみたら、表裏一体というか、対のことで、その両方は、バランスよくあるから、目的が果たせるわけじゃないですか。ここに対して、またポジティブ・ネガティブみたいな話、どっちが良い悪いみたいな話を持ち込んじゃうとまたうまくいかないわけですよね。だから、そういう意味では、自分のものをみる見方みたいなのは、ニュートラルに、で、何を選択するかというところは、自分の中の愛を基準に選んでいくみたいな、そういうのがうまくいくコツなんじゃないなかなと思いますね。

三上:はい。いろんなものが、皆さん、響きませんか。はははは。ということで、今日は、「ポジティブ思考っていいの?」について、吉村さんからいろいろお話うかがいました。今後、わたしも活かしたいと思います。

吉村:ははははは。

三上:素敵なお話をありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

142.ごめんなさい言えますか?

あなたの周りにもいませんか?謝る事が苦手な方、どうすれば素直に謝ることができるのか?吉村さんから伺いました。

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三上:はい、みなさん、いかがお過ごしでしょうか。こころメンテナンス。本日もアシスタント三上恵と、気功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい、さあ、今日はテーマご紹介する前に、わたしの身近にもいます。そして、息子にも教えています。「ごめんなさいとありがとうは言えるようにしましょう」と話しているんですけど。どうでしょうか。リスナーのみなさんのなかにも、自分自身もそうかもしれません。何かあったときに、素直にごめんなさいと言える人でしょうか。ということで、今日のテーマは、「謝ることが苦手。どうすれば、素直に、謝れるようになりますか」ということで、吉村さんに、質問をしていこうかなと思うんですけど。素直に「すみません」、「ごめんなさい」って謝れるひとと、そうでないひとの、違いって何なんですかね。子どもでもそうですよね。素直に、「ごめんなさーい」とか「ありがとうございましたー」、言える子もいれば、全く、「あ」みたいな、クールな感じの子もいれば。何が違うんですかね。

吉村:物事の捉え方の癖みたいなところに、違いがあるから、態度に違いが出てきているということだと思うんですね。まず、謝るという行為に、どういう意味付けをそのひとはしているのかというところがかなり重要になってくると思うんですよ。本来、謝るというのは、何か自分の過失とかね、思い違いみたいなことで、他の人に対して、損失を出してしまったとか、害を及ぼしてしまった、相手の機嫌を損ねてしまったみたいなことがあったときに、そのことに対して、「わたしは、あなたが困ったことに対して、それはよくないことだって、認識しましたよ」っていうような意思表示なわけですよね。

三上:うーん。

吉村:だから、「このことで、あなたを困らせてしまいましたね。すみません」みたいな意味合いのことだと思うんですよ。ということは、それって、「あなたのことを尊重していますよ」という意思表示なんですよね。

三上:うーん。

吉村:となると、相手のことを尊重していないひとからは、その言葉はなかなか出てこないですよね。言葉というか、態度は出てこないということですよね。だから、まずひとつには、相手を尊重しているかしてないかというところでも、そこの違いが出てきちゃうというのがあるし、じゃあ、その相手を尊重することができていないひとは、どういうことなのかといったら、それは、その人自身が、被害者意識を持っているとかね。だから、自分が尊重されていないって感じているとなると、自分が尊重されていないのに、人のことを尊重してられるかよ、みたいな感じの気持ちになってしまいますよね。

三上:うーん。

吉村:なので、自分に余裕がない状態のひとは、ひとのことを尊重することもできないので、そうすると、何かあったときに、ごめんなさいというのが難しいという状態になりますよね。自分に余裕がない状態のひとたちというのは、どんな状態のひとたちがいるかといったら、たとえば、自分がいつも責められていると思っている人たちは、自分は悪くないんだというアピールをいつもしなきゃいけなくなってしまうわけなんですよ。

三上:うーん。

吉村:それって、相手が自分のことを責めているかどうかということよりも、そのひとが、自分が責められていると感じるかどうかというところの反応なんですよね。

三上:自分が責められているかどうか。

吉村:責められていると感じるかどうか。だから、要はそういうブロックがあるという話なんですよ。なので、相手のひとが自分のことを責めているかどうかということに関わらず、自分は責められているというフィルターを持っているひとは、何を言われても、責められていると感じてしまうわけですよね。

三上:うーん。

吉村:要は、ブロックって、そのひとの受け取り方に影響を及ぼすわけですよ。物事の受け取り方とか、解釈の仕方とか、

三上:同じ言葉でも、ってことか。

吉村:そうそうそう。だから、入ってくる情報というのが、まずインプットされるわけじゃないですか。たとえば、「床にゴミが落ちていたよ」とかって言われたとするじゃないですか。「床にゴミが落ちていたよ」という情報がインプットされるわけですね。ここに、あんまり余計な意味づけがされなかったら、「床にゴミが落ちているんだ。床にゴミが落ちている状態は望ましくないから、ゴミがない状態にするためには、それを捨てればいいんだな」みたいな感じの話になるんですね。

三上:うんうん。

吉村:「じゃあ、捨てとくね」とか、というような反応になるのが、特に余計な情報が入っていない、その情報をそのままニュートラルに受け取った場合の反応になるわけですよ。だけど、自分が責められているというブロックを持っていると、「床にゴミが落ちていたよ」という、この情報に、「ゴミ落ちているのに、お前はそれを放置していたのか。お前はどこに目がついているのか。駄目なやつだ」みたいなことを言われた気になっちゃうんですよ。

三上:うーん。

吉村:何でも自分が否定されたと感じるから、それに対して、防御したりとか、反撃したりしなきゃいけなくなっちゃうんで、なんかね、「わかってるよ!」みたいな感じの反応になっちゃったりとか、「今やろうと思ってたんだよ」とかって、そういう感じになってしまったりするわけですよ。そうすると、「あ、ごめん、気がついてなかった。なんか捨てとくね」みたいな感じの反応とは違う反応になっちゃいますよね。

三上:うーん、うんうん。ああー、わかる。

吉村:これが、だから、結構、いろんな、ブロックによるフィルターで余計な意味付け、ちょっと間違った解釈みたいなことがすごく起きやすいんですよ。そういうひとがどういった解釈をしているのかというのが、本人も自覚がないし、傍からみているひとも、よっぽどしっかりその人を観察しないと、なんでそのひとがそんな反応をしているのかわからない、ただただ、「なんで、このひとはこういう感じになるんだろう」っていう、ハテナマークばっかり出てくることになっちゃうので、結局、結果的に、「このひと、謝らないひとだよね」みたいな感じになってしまうわけですよね。

三上:うーん。なるほどですね。ひとによっては、そういうように追い込むような言い方をする人もいませんか。

吉村:もちろん。それは、そういう言い方をするひとのほうに、ブロックが発動しているわけですよね。

三上:ああ。

吉村:たとえば、自分はいつも侵害されている、みたいな、要は、自分はリスペクトされていない、尊重されていないというような、ブロックによるフィルターを持っているひとだと、何か起きたときに、それが自分に対する悪意のように、感じてとらえてしまう、わけですよ。

三上:うーん。

吉村:床にゴミが落ちていましたというのを、そのひとが見たときに、「あ、床にゴミが落ちてるなあ」みたいなね。これが、たとえば、自分がそれを落とした心当たりがなかった場合、「たぶん、あのひとが落としたんだな」みたいな感じだとしたら、あのひとがちゃんと自分が気がついて捨てられるようにしたほうがいいよねというような考えが働いたら、別にそのひとを責め立てるんじゃなくて、「なになにさん、ゴミが落ちてますよ」と教えてあげる。そのひとは、「ほんとだ。ゴミ箱に捨てたつもりだったのに、落としちゃったな。ごめんなさいね」と捨てて、丸く収まることになるはずなんですけど、

三上:うん。

吉村:これが、尊重されてないというブロックを持っているひとは、床にゴミが落ちているのを見たときに、「この人は、わたしを不快にさせるために、ゴミをわざと放置してるんじゃないか」みたいな受け取り方になるんですよ。

三上:うん。

吉村:とかね、わざとじゃなかったとしても、ゴミが落ちているというこの状態はわたしに対する、非道な、無礼な、「こいつ、俺をなめているのか」みたいな感じの受け取り方になるから、そうすると、相手に対する言い方とかも、責め立てる言い方になっちゃいますよね。

三上:いやあ、それは、ブロックなんですね。

吉村:そうなんですよ。だから、何か揉め事とか争いが起きるときって、たいてい、どっちのサイドも何かブロックを持っていて、ブロック同士が反応し合うことで、揉めているわけですよね。別にニュートラルにとらえていれば、別に、ゴミが落ちているという事実しかなくて、別に、ゴミ箱に捨てるつもりだったのに、落としちゃったということなのか、後で捨てようと思ったけど忘れちゃっていたとか、いろんな可能性はあるけど、

三上:うーん。

吉村:でも、別に、それって、だからといって、ゴミが落ちているという状態があって、その原因が自分にあるんだったら、「はい、教えてくれて、ありがとう」、捨てる、みたいな感じで済んじゃうという話なんですよ。だけど、そこで、このゴミをここに放置しておくことで、自分は楽をして、このわたしに捨てさせようとしているのではないかとか、みたいなのがあると、「ふざけんなよ。自分が落としたゴミなんだから、自分で捨てとけよ」みたいな感じになっちゃうし、言われたほうも、「ゴミちゃんと捨てないなんて、駄目なやつなんだ」と言われているというふうに感じちゃうと、「必要と思ってたけど、なんかね、今捨てようと思ってたのに」という感じになっちゃたりするわけ。だから、本当にニュートラルにとらえることができていて、お互いに尊重する気持ちがあれば、別にたいした話ではないですね。

三上:うん。うふふふふ。

吉村:そうすると、謝るとかいうハードルはそんなに無いんですよ。別に、なんか。

三上:うーん。

吉村:これが、自分に対する攻撃とか、そういう受け取り方があるから、それに対して、反撃するみたいなことが起きちゃうんですよね。あとは、物事を勝ち負けでとらえるひととかね、対立構造でとらえるひととかも、「ここで謝ったら、自分は負けちゃうんじゃないか」というふうになったら、一所懸命謝らないで、いろいろ言い訳を言い出したりとかするんですよね。

三上:うーん。

吉村:だから、ここは、実際に別に勝ち負けとか無いじゃないですか。そのところで。事実としては、ゴミが落ちてます、と。望ましい状態は、このゴミはゴミ箱に捨てられていることで、ここの床がきれいな状態が望ましいです、ということ、お互いに合意ができていれば、別に誰が落としたゴミなのかとか、そんなのも、本当はどうでもいいんですよね。

三上:そうですね。

吉村:ゴミ落ちてるな、捨てておこう、みたいなね。自分で捨てるという選択肢もあるし。そういう不注意とか、認識違いみたいなことがある可能性があれば、じゃあ、それを、みんなで何か合意を作っておいたほうがいいねとなれば、「ゴミ落ちてるんで、捨てておくね。ゴミ捨てるときにちゃんと確認しておいてね」とか、そういうような感じで、「あ、わかった、わかった。たぶん、僕がさっき見ないでゴミ捨てちゃったんで、それが落ちちゃっていたんだと思います。気をつけます。」以上、みたいな感じで、丸く収まるはずなんですよ。

三上:今きいて、たぶん、ほとんどのひとが経験ありそうな内容だと思うんですよ。うふふふふ。ほんとですよね。言い合いの原因って、ほんと些細な、小さなことですよね。実際は。

吉村:本当に思い違いみたいな話で、結局、たとえば、誰かが僕のことを睨んでいると思っているから、目の前のひとが僕のことを睨んでいるぞって思って、こいつに負けないようにしなきゃみたいな感じになっているけど、その睨んでいる顔というのは、僕がかけているメガネに描いてある顔だったりするわけですよ。だから、相手のひとは、別に睨んでいなくても、メガネに睨んでいる顔が描いてあるから、そのひとをみたときに、こっちを睨んでるって見える、それがブロックの仕組みですよね。

三上:はい。今日は、いいお話が、皆さん、わたしもふまえて、聴けたと思います。今日はね、「謝ることが苦手。どうしたら素直に、謝れますか」というのを取り上げて、お話うかがいましたけども、ちょっと、皆さん、ニュートラルを忘れずに。ひひひひ。ね、皆さん、一人ひとりが心がけていただけたらなと思います。はい、吉村さん、今日もためになるお話をありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

141.YouTubeの流しっぱなし動画について

YouTubeの流しっぱなし動画について、なぜ音や映像も流れてないのにクリアリングされるのか吉村さんから伺いました。

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三上:みなさん、こんにちは。さあ、こころメンテナンス。本日もアシスタントは、三上恵と、気功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい。吉村さんご自身今現在、ポッドキャストとかユーチューブとか、あと、いろんな発信をされて、みなさんにね、こういった気功の良さをお話しされているかと思うんですけど、ちょっと質問をしてもいいですか。

吉村:はい。

三上:吉村さんご自身、ユーチューブでね、ライブ配信とかもいろいろされていらっしゃるかとも思うんですけど、このユーチューブのなかで、わたしも拝見したことがあるんですが、流しっぱなしの動画があるじゃないですか。

吉村:はい。

三上:音も映像もないのに、あ、映像はありますよね、ユーチューブの場合は、映像はあるのに、なぜ、クリアリングされるのか。どういうふうにクリアリングされていくのか、ちょっと疑問に思ったので、ちょっと今日はそれについてお話、うかがえたらなと思うんですが。

吉村:なるほどですね。わかりました。ここは、結構、みなさん、不思議に思われるだろうポイントだと思うんで、解説をしていきたいと思います。まず、ユーチューブの動画に、気を込める方法というのかな、流すと気が流れるという状態を作る方法って、いくつかあるわけですよ。気というのは要するに波動なわけですよね。

三上:はいはい。

吉村:なので、まず、記録媒体に波動を込めるということは、そもそもそういうことをされている方たちというのは、いたわけですよね。わかりやすいところだと、音楽とか音に、特定の周波数を入れて、音として録音する。音といっても、人間の耳に聴こえる音と聴こえない音というのがあるわけですけど、聴こえない音でも、記録することができれば、それを再生したときに、聴こえない音が、鳴っているという状態が作れるわけですよね。

三上:うーん。

吉村:そうすると、耳には聴こえないけど、波動を流れているという状態を作ることができるわけですよ。

三上:あー、なるほど。

吉村:これが、たぶん、よく、多くの方たちがやっている方法なんじゃないなかなと思うんですよね。あとは、映像に特定の図形だったりとか、色だったりとかいうものを使って、波動を出す条件をクリアするようなものを入れていくという方法、これも、目に見える光と目には見えない光というものがあるので、光として目には見えていないけど、画面に実は映っているみたいなことをすることができれば、それによって波動が流れるということを作り出すことも可能になるわけですよ。

三上:うーん、なるほど。

吉村:なんにしても、デジタル情報のなかに、波動そのもの、周波数そのものを録画したり録音したりということで、それが順次再生されるというものを作ることも可能なんですね。

三上:うーん。

吉村:そこで、見えない音とか見えない光とかっているかたちで、波動を入れるという方法はありますね。その場合は、画面が表示されていなきゃいけないとか、一応ボリューム、音は出ていないけどボリュームは上げておかなきゃいけないというようなことも起きうると思うんですよ。あとは、音楽として、音を流しておかなきゃいけないとか。僕もいくつか方法を検討したなかで、ひとつは念写みたいな方法を使って、画面に波動を書き込んじゃうという、やり方というのも試してみたんですね。

三上:うん。

吉村:たぶん、それも効果は出ていると思うので、僕の流しっぱなし動画の古いやつのほうには、そういう念写みたいなことをして、実は画面に映って見えてはいないけど、そこに波動の情報が書き込まれているというのをやってみて、それなりに効果はあるだろうなというのは、別に証明ができるわけじゃないですけど、僕が実際にそれを再生してみたりとか、使ったひとからフィードバックをもらったなかでは、この方法は一応使えるなというふうに、僕のなかでは、使える認定がされているやり方にはなったんですけど、

三上:うんうんうん。

吉村:ただ、その場合に画面を出しておかなければいけないというところが、ちょっと不便だなと思ったんですよ。で、もうひとつ、今までの中に出していなかった別の方法があって、最近の僕が作っている動画は、大体、その方法で、気を入れているし、あとは、僕が仲良くさせてもらっている、今ハワイ在住のハワイさんというヒーラーさんですよね。が、されている動画、気を入れた動画というのも、そのやり方でやっているんですけど、それは何かというと、この動画が再生されたら、ユーチューブを通して、この動画が再生されたら、気が流れるという条件を作って、そのプログラムを組んでいるんですよ。そういう高次元の領域、集合無意識とかの領域に、僕たちはプログラムを組むことができるんですよね。

三上:うーん。

吉村:たとえば、ご利益のある儀式みたいなこと、たとえば、満月に向かってお財布を振るみたいなのをされるひとっていますよね。

三上:いますね。

吉村:あれって、もちろん、月が持っている波動がお財布に転写されるという要素もあると思うんですけど、結構、実は多くのひとが、これをやると金運上がると思っているから、だから、それがプログラムとして形成されて、金運が上がる波動みたいなのが、この儀式をすることで、金運の上がる波動が流れるという、プログラムが組まれているんですよ。

三上:ああ。あはははは。自然と。はい。

吉村:自然と。あるいは、もしかしたら、誰かが意図的に組んだプログラムが、多くのひとがそれを信じることで、さらに強化されて、みたいなことが起きているんだと思うんですけど、そうやって、ひとって、無意識の領域とか高次元の領域に、プログラムを組むことで、それをやると、そのとおりのことが起こるみたいな、現実に対して、影響を及ぼす、プログラムを作ることができるんですね。これが、言ってみたら、魔術とか呪いみたいなものも、こういう意識のプログラムを使って、作っているものだったりするんですけど、

三上:はあー。

吉村:それのなかの、ひとつの、この条件を満たしたら、自動的に近くにいるひとにこのエネルギーが流れるという、セットアップというのかな、設定をすることで、気を流すという方法があって、それをつかってるんですね。

三上:うーん。なるほどですね。今聴いている皆さんも、「どういうこと?」って、初めて聴く方は、とてもね、気になっているかとは思うんですが。吉村さんのユーチューブの方に、今わたしも観ながらお話しさせていただいているんですけど、いろんな項目があるんですよね。

吉村:はい。すごく人気のもので、僕が初期の頃に作って、多くの人に、たくさん再生してもらっているのは、「金運が上がる」というものですね。

三上:ああー。なるほど、うんうん、ほんとだ、ありますね。

吉村:他には、たとえば、いろんなことを俯瞰してとらえることが難しいときに、「俯瞰することを邪魔しているブロックをクリアリングしますよ」というものだったりとか、

三上:うんうん

吉村:あとは、そうですね。「体にたまっちゃている負の感情を浄化しますよ」とか、そんなようなものがありますね。あとは、「幼少期のトラウマを癒やす」とか、

三上:うーん。「忙しいひとのための深い眠りに」とかもありますね。

吉村:そうですね。

三上:そうなんです。いろいろありますので、今日初めてきいたというかた、是非、こういったね、流しっぱなしの動画で、効果を実感していただきたいなと思います。

吉村:はい。そうですね。使ってみて、気持ちが軽くなったとか、体がリラックスしたとかっていう声をたくさん頂きますね。

三上:逆に、流しっぱなし動画を体感したかたは、感想を是非、いただきたいですね。吉村さん、ね。

吉村:ああ、そうですね。こちらのポッドキャストでもご紹介できたらと思いますね。

三上:はい。なので、是非皆様、まずは体感していただいて、是非皆さん、メッセージも、お寄せいただけたら、嬉しいです。

吉村:そうですね。はい。動画のコメント欄とかにもいただけると、嬉しいですし、是非、このポッドキャストのほうのね、お便りフォームでもいただけると、嬉しいですね。

三上:はい、ということで、今日は、流しっぱなし動画についてですね、どういうふうに、クリアリングしてるのという話もふまえて、吉村さんからお話、うかがいました。はい。本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

140.感情的にならず冷静になるには

感情的にならずに余裕のある自分でいたいと感じた事はありませんか?怒りやネガティブな反応を見つめ直して、豊かになれるヒントが沢山あるお話しです。

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三上:はい、みなさん、こんにちは。こころメンテナンス。本日もアシスタント三上恵と、気功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい、さあ、今日のテーマ、わたしもこのテーマでちょっと変われたらいいな、「感情的にならず、冷静になるには」でお届けしていきたいと思います。

吉村:はい。

三上:いやあ、これは、感情がちょくに落ちてきて、表現するタイプのわたしにとっては、すごい、これは、今日は興味深いお話になると思います。

吉村:ああー、なるほどですね。

三上:私自身は、やっぱり感じたままにすぐ出てくるんですよ。全部が。

吉村:ふんふん。

三上:なので、逆に、怒るときもそうですけど、笑うときも、喜怒哀楽が激しいタイプなので、きになるところではあるんですが。逆に、吉村さんのように、常に冷静で、神のような、ゆとりがある感じ、逆にわたしはすごいあこがれるんですよ。

吉村:なるほどね。

三上:なので、冷静になるにはどうしたらよろしいんでしょうか。

吉村:はははは。なるほどね。感情って、ひとくくりでね、喜怒哀楽全部、感情というくくりで、みんな、とらえているじゃないですか。たとえば、三上さんからみた僕とか、多くの視聴者のひとからみた僕というのは、結構、たぶん、冷静に見えているのかなとは思うんですど。

三上:はい、見えてます。

吉村:どうも。たぶん、いい意味で言って下さったんだと思うんですけど、ははは、とはいえ、それって、僕がいつも無感情ですんとしているという感じではないですよね。

三上:ではないです。ではないです。

吉村:だから、たぶん、ネガティブな感情みたいのが、あんまりなくて、穏やか、一般的に普段穏やかでいるということを指して、吉村さん冷静だなって見てるんじゃないかと思うんですよ。

三上:うんうんうん。そうですね、はい。

吉村:ということは、僕がさっき、三上さんと一緒に笑ったりしてたということは、感情がないわけじゃないんですよね。

三上:うんうん。もちろんです。

吉村:となると、冷静に見えることと、感情があるかないかということって、必ずしも、一致してないかもしれないですよね。

三上:そうですね。

吉村:だから、感情的かどうかということと、冷静かどうかというのは、実は別の話ととらえたほうがいいかもしれないなと思いますよね。

三上:たしかに、今お話をきいて、ああ、そうですね。

吉村:まず、一般常識として思われているんだけど、ここがすごい落とし穴だったんだなと思うことがひとつありまして、いわゆるポジティブと言われるような、楽しいとか、うれしいとか、ワクワクとか、好きとか、感情がありますよね。それと、怒りだとか、不安とか、疑いとか、憎しみとか、いわゆる一般的にネガティブと言われる感情。これは出どころが違うんですよ。

三上:出どころが違う。

吉村:だから、同じ感情というもののなかに、喜怒哀楽があるんじゃなくて、ポジティブな感情というエネルギーと、ネガティブなかんじょうというエネルギーが別々に孤立して存在しているんです。

三上:ああ、ああ、ああ。なんとなく、なんとなくわかります。

吉村:たとえば、前にもお話ししたかと思うんですけど、好きという感情と嫌いという感情って、共存することありますよね、という話を、いつかの回で話したことあると思うんですよ。好きだけど、嫌いなって、このひと、こういうところ好きだけど、こういうところ嫌い。じゃあ、このひとのこと、好きなの、嫌いなの、どっちなのと言ったら、どっちもですという話になっちゃうじゃないですか。

三上:うんうんうん。

吉村:だから、もし好きと嫌いが同じ物差し上にあって、真ん中にゼロポイントがあるとしたら、ちょっとでも好きのほうに傾いていたら、一切嫌いじゃないはずだし、ちょっとでも嫌いのほうに傾いていたら、ちょっとでも嫌い側にいたら、好きじゃないはずじゃないですか。これが一個の物差し上にあったとしたらね。

三上:はいはい。

吉村:でも、同時に好きと嫌いが共存するということは、物差しは一個じゃないと思ったほうがいいということなんですよ。

三上:はー、なるほどね。ああ。うふふ。

吉村:大事なのは、感情をなくすことではなくて、ネガティブな反応をなくすことなんですよね。

三上:そうですね。特にわたしは、今話をききながら、怒りだなと思いながら。

吉村:はははは。だから、怒りの反応が出ちゃうということは、なにかに対して、これはよくないというジャッジがあるから、怒るんですよ。これは別によくも悪くもないよねとなれば、好きかどうかでいえば、そんな好きじゃないけど、別に嫌いでもないですよみたいな感じになるわけですよ。

三上:うーん。

吉村:好きと嫌いが別の物差しだったら、好きメーターがゼロから100まであって、嫌いメーターがゼロから100まであって、みたいな感じで、どっちが優勢かみたいなので、どっちかといえばこっちです、みたいなのがあるんだけど、実際のところは、両方が混在しているわけですよね。だから、そのなかのネガティブのほうを減らしていけば、ポジティブな感情表現というのは、別に普通にいつもしていて、笑ったりとか、楽しさを表現するいろんなことありますよね。そういう感情表現というのはあるけど、別に、いかったりとか、ひとの悪口言ったりとかはないという状態にもっていくことはできるわけですよ。

三上:うーん。

吉村:だけど、冷静なひとって、みんな思い浮かべたときに、感情の起伏がないひとって、たぶん、自動的に関連付けて考えちゃうんだけど、そんなことないんですよ。別に感情の起伏があってもいいのですよね。むしろそのほうが人生楽しいんですけど、ただ、そのときにネガティブな反応というのが無いほうが、ポジティブな感情の起伏を楽しんで生きているということができるわけですよね。

三上:うーん。

吉村:なんか言ったら、いきなり怒り出すみたいなひとが、取り乱すということが、このひと、冷静じゃないねという話なんですよ。要は、取り乱した状態、英語でいうと、アップセットな状態ですよね。心がかき乱されている状態というのは、物事に対して冷静な判断とかができなくなっちゃうから、これは、このひとは冷静じゃないよね、すぐ感情的になって嫌だよね、みたいな感じの見え方がするわけですけど、でも、よく笑っているひとを見て、このひと、すぐ感情的になるよね、とはならないじゃないですか。

三上:たしかに。

吉村:だから、感情的といって、悪い意味でいうときというのは、別にそのひとがよく笑ったりとか、楽しくて小躍りしたりとかしてることを指しているんじゃなくて、大体、怒ったりとか、恨みつらみや愚痴言ったりしてるみたいな状態のことを指して、このひと感情的になるから嫌だよねと言っているので。そこは、同じ感情でも違うエネルギーだというのを区別して考えないと、すごく混乱しちゃうんですよね。

三上:なるほどですね。たしかに、感情的というなかで、自分のなかでひとくくりにしてましたけど、違ってますね。

吉村:そうですね。本当に、いつも笑顔だったり、よく笑ったりとかってすることが、別に全然悪くはないし、よく笑うひとがよく怒るわけではないですよね。

三上:うんうんうん。たしかに。

吉村:感情表現が多いひとと言ったときに、これがもし、ポジティブな感情とネガティブな感情が同じメーター上にあって、その振れ幅が大きいことが感情的とか感情表現、感情がよく表に出るひと、みたいなくくりだとしたら、そしたら、よく笑うひとは、その分、よく怒ってなきゃいけないという話になって。

三上:ふふ。

吉村:必ずしもそうじゃないんじゃないですか。ねえ。

三上:そうですね。

吉村:いつも怒ってばっかりのひととか、よく笑うけど、あんまり怒んないひととか、いるわけですよね。となると、この感情というのは、全部ひとくくりで一緒にしちゃ駄目なものなんですよ。ちゃんと区別して考えないと、認識がおかしくなっちゃうんですね。このネガティブな反応が少なくなってくれば、別に、よく笑うひとでも、大事なときには冷静な判断ができると思うんですよね。穏やかでいることみたいなのを目指すのがいいんじゃないかと思うんですよね。別に冷静という言葉を使ってもいいとは思うんですけど、必ずしもそれは感情が無いことが冷静ということじゃないですよね。

三上:うーん。

吉村:なので、そこを一緒くたにしちゃうと、目標がうまく立てられないというかね。ふたつ別々の場所に、同時に行こうとしているみたいなことになっちゃうんで、そこをきちっと目標定めて、そっちに向かって進んでいけば、ゴールにたどり着けるわけですよ。

三上:うーん。いやあ、たしかに。今日のテーマ、「感情的にならず冷静になるには」じゃなくて、「怒りにまどわされず穏やかになるには」みたいな、違うテーマだったほうがよかったかもしれないです。ふふ。

吉村:だから、そういうことなんですけど、ただ、そういう認識をみなさん持っていないので、本当はこっちなんですよとお伝えしたかったということですよね。

三上:そうですね。一般的にこれをみて、今日のテーマをみて、今のお話をきくまでは、全然落ちなかったですもん。うーん。

吉村:そうですよね。だから、そこはたぶん、この認識が変わるだけでも、だいぶ、自分はこういうひとになりたいんだという目標が明確になれば、そっちに向かって進みやすくなりますし、もちろんそれを手に入れるためにクリアリングというのは、すごく効果的な方法だと思うので、そういうネガティブな反応をしているということは、そこで、これはよくない、これは許せないとか、ジャッジがブロックによって引き起こされているので、そういう無意識レベルのジャッジをクリアリングしていけば、何かスイッチが入るとすぐにカチンとなるみたいなことが、機会が減っていくわけですよ。

三上:うーん。

吉村:すると結果的には、いつも穏やかですよねと言われるようなひとになっていくという感じですね。

三上:はい。さあ、みなさん、今年はそれを取り入れて、ちょっとわたしも穏やかな一年になれるよう、わたしも、息子だけなんですよ。すごいジャッジしちゃうのが。一番。わかってはいるんです。

吉村:そうですね。たぶん、それって、こうあってほしいというのがあるから、そうじゃないときに対して、これはけしからんとなるわけですよ。だから、こうあってほしいというところをまずよく精査して、本当にそれが彼にとって、幸せなのかみたいなこととか、あとは、これは駄目じゃなくて、お母さんは、これを望んでいるんですよ、あなたのために、という伝え方をする。これは駄目です、じゃなくて、こっちのほうがいいと思わない?みたいな、伝え方もあるかもしれない。これが駄目というところじゃなくて、本当は自分は何を求めているんだろうか、みたいなほうに意識を向けると、またちょっと見え方が変わってくると思いますよ。

三上:そうですね。その子自身をちゃんと見つめてあげないとなというのを所々感じたりします。それを感じれる自分になったのは、ちょっと成長してるかなって思いますけども。

吉村:僕も今でこそ、穏やかとみんなに思われるような感じになってますけど、以前は、本当にいつも怒っていたので、

三上:ねえ、おっしゃってましたね。

吉村:そうですね。そこは本当にクリアリングしていくことで、いろんな、そういうネガティブな反応というのは、減っていくと、まず自分自身はすごく楽になるんですよ。余裕があると、別にそんな怒ったりもしなくなってくるんで、そうすると結果的には、いつも冷静ですよねという感じに言われるんですけど、とはいえ、僕、結構よく笑うほうだと思うし、感情はそれなりに豊かなほうだとは思うんですよ。それが、だから、怒りとか、憎しみというかたち、そっちのほうに、いってないというだけの話ですね。

三上:うーん。さあ、今日は、テーマ「感情的にならずに冷静になるには」でお届けしました。みなさんも、日々の生活のなかで感じること、今日お話きいてイメージ変わったとか、学びがあったかと思います。さあ、今年一年、みなさん、いい年にしていきましょう。今日もいいテーマでお届けさしていただきました。吉村さん、本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

139.正直者が損する世の中なの?

正直者が損をするって皆さんは耳にした事ありませんか、そもそも正直者とはなんなのか?その思想自体がどうなのか、吉村さんのお考えを伺いました。

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三上:はい、みなさん、こんにちは。こころメンテナンス。本日もアシスタント三上恵と、気功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい。今日は、ちょっと気になるテーマ、個人的に。「正直者が損する世の中な気がします」ということで、

吉村:ははははは。

三上:取り上げていこうかなと思うんですけど。世の中的にも、これを正直にしたからこそ、ちょっと捕まっちゃったとか、うふふ。

吉村:はははは。

三上:そんなことあったりするよなみたいな話も最近、周りで、わたしはしてたり、友だちと会ったりしてたんですけど。確かに、正直者が損すると思うところと、いや、そうじゃなくて、素直な気持ちを持つというのは大切だなって、思う気持ちと、あるんですけど、

吉村:はいはい。

三上:吉村さん的には、どう思いますか。うふふふ。

吉村:ああー。そういう考え方があるというか、そういう意見を持っているひとがいるというのは、僕もね、ああ、そういうひといるなっていうのは気がついているというかね、ところではあるんですよ。実際にそういう意見を言っているひとというのを見たことがあったりとか、たとえば、記事のなかで、誰かの書いた記事とかブログとか読んだら、このひとって、そういう考え方を持ってるなって。ただ、正直者が損をする世の中だなっていうのは、事実かどうかっていったら、正直なひとが損をするケースもあれば、してないケースもあるよねという話だし、損をしてるひとが全般的には正直なひとであるケースもあれば、別に正直じゃないひとが損をしているケースもあると思うんですね。

三上:うーん。たしかに。

吉村:と、考えると、そういうこともあるかもしれないし、そうでないケースもあるかもしれないよね、みたいな話になると思うんですよ。

三上:うんうんうん。

吉村:というふうに考えると、実はこれは事実じゃなくて、そういう思想があるという話なんですよ。正直者が損をするという思想を持っているひとがいるという話。

三上:ああ、ああ、なるほど。はあー、事実ではなくて。

吉村:そうそう。だって、正直であることと、損をすることというのは、別にダイレクトにつながってないじゃないですか。正直だったら、誰でも損をするのかと言ったら、別にそういうわけでもないし、損をしているひとがみんな正直なのかといったら、そうでもないですよね。

三上:たしかに、そうですね。

吉村:これって、特に根拠のない、一種の思い込みみたいな話なんですよね。

三上:うーん。

吉村:で、これは、スピリチュアル界隈のひとが大好きな引き寄せの法則って、僕もこれは一応法則性として存在しているものだと思っているんですけど、ただ一般的な解釈と若干ちがうところもあるんですが、いわゆる一般的に言われている引き寄せの法則という大きなくくりで言うと、それに照らし合わせると、正直者は損をすると思っているひとは、正直者は損をするというふうにみえる現実を引き寄せるんですよ。

三上:ああー、なるほどね。

吉村:これは、意識的に思っている部分と、無意識の、潜在意識で思っている部分って両方あるわけですけど、厄介なのは、潜在意識のなかに、正直者は損をするという思い込みが入っているときですよね。そっちのほうが、より強い力で引き寄せが行われるので。

三上:うんうんうん。

吉村:表層の顕在意識で、そのひとが正直者は損をすると思っているかどうかに関わらず、潜在意識が正直者は損をすると思っていたら、実際に正直者が損をしているようにみえる出来事がいっぱい引き寄せられてくるわけですね。

三上:なるほどですね。

吉村:そうするとね、実際に、正直者は損をしているという現実をいっぱい目にすることになるから、余計にその考えは強化されちゃいますよね。ほら、やっぱりそうだという感じになるわけですよ。なので、そういう思想が潜在意識に入ってて、実際にそういう現実を引き寄せいているということがわかったら、そこはクリアリングしていったほうが、人生は快適になりますよね。

三上:そうですね。そういうかたに関しては、クリアリングが一番、

吉村:そう思います。あと、もうひとつポイントなのが、そのひとの言う正直者って、どういうひとを正直者と言っているのかというのがありますね。いつでも完全に正直で有り続けているひとて、たぶん、そんないないと思うんですよね。

三上:いないと思う。わたしも。ふふふふ。

吉村:ふふふふ。だってね、たとえば、思ったけど、口に出してないことがあったとしたら、それって意地の悪い見方をすれば、隠し事をしてると言えなくもないですよね。といったら、本当に究極的に正直かといったら、そうでもないという話になっちゃいますよね。僕なんか、頭のなかで、しょうもないこととか、くだらないことをよく考えているんですけど、それを全部言ってたら、たぶん周りのひとはうんざりしてくると思うから。どうでもいいダジャレとか、この言葉とこの言葉は韻を踏むなとか、そういうようなことをよく考えているんですよ。ふふふふ。

三上:ふふふふ。

吉村:でも、それをいつも僕が言っていたら、周りのひとはすごいうんざりしてくるから、口には出さないで、頭のなかで勝手に考えているんですけど、それを僕がいつでも絶対に正直であろうとなったら、それを全部言わなきゃいけなくなっちゃうじゃないですか。

三上:たしかに。

吉村:だから、そういう意味では、正直者って、どのラインから正直者と呼べるの、みたいな基準がよくわからないですよね。

三上:そうですね。たしかに。そもそも正直者っているのかって、今思いましたもん。はははは。

吉村:はははは。そうですね。そこは、たとえば、自分が不利になるようなことでもどんどん言っちゃうひとが正直者だという定義だとしたら、それはそのひと損するのは当たり前だよねという話になるわけですよ。ふふふ。

三上:そうですね。ああー、なるほど、なんか意味がわかりました。すごい。

吉村:ははははは。だから、そういう考え方を持っているひともいるとは思うんですけど、その考え方を持つことが、あなたの人生を快適にしますか、という話なんですよね。なので、実際に、自分が思っているような現実をそのひとは引き寄せちゃうから、ということは、楽しい現実を引き寄せたほうが得なわけじゃないですか。となったら、自分の引き寄せる現実という、今こういう現実をよく引き寄せているなというのがあれば、たぶん、それって、ブロックによって、作られているパターンなわけですよね。

三上:うーん。

吉村:たとえば、僕の例でいうと、プライベートなことでの例でいうと、僕の母親というのは、すごくネガティブなひとだったんですよ。体が不自由なひとだったので、身体障害者の手帳を持っていたんですけど、そうすると、電車とか乗ったら、当然優先席とかに座らせてもらうのが全然OKな感じのひとなんですよ。もう見るからに、体が不自由だというのが、一発でわかるようなひとだったから。そうすると、たまに、僕が母とでかけたりするじゃないですか。電車に乗ります。それなりに混んでいる電車でも、優先席のほうに行けば、たぶん母は座らせてもらえるだろうなと思って、僕が「ちょっと優先席のほうへ行こうよ」と言うと、母は、「いや、絶対譲ってもらえないから、そんな嫌な思いするの嫌だから、行かなくていい」みたいな感じで言うんですよね。僕は、ええっ、このひと、何言ってるんだろうみたいな感じで、「いいから、行こうよ」みたいな感じで連れて行ったら、そしたら、母を見たひとが、優先席に座っていたひとが、ハッと気がついてぱっと立って、「あ、どうぞ」と言ってくれたんですよ。「ほら、譲ってくれたじゃんか。ありがとうございます」って、母のこと、座らせたんですけど、逆に席を譲ってもらって、母がすごいびっくりした顔をしている。口をあんぐり開けている状態なわけですよ。このひと、一体どうなってんだろう、頭おかしいのかぐらいの感じでそのとき思っていたんですけど、

三上:うーん。

吉村:でも、あとになって、振り返ってみると、たぶん、母がひとりで出かけたときは、本当に譲ってもらえないとか、意地悪なことをされるという現実を引き寄せていたんですよね。

三上:うーん。

吉村:だから、実際にそういう経験をしてるんで、世の中のひとたちは冷たい人ばっかりで、体の不自由なわたしは、意地悪をされて、嫌な思いをすると思っていたから、実際にそういう経験をしてるんだと思いますよ。だから、僕と一緒にいたときに、その展開にならなかったので、びっくりしたんだと思うんです。

三上:そうですね。今の話をきいて、たぶんそう引き寄せているんでしょうね。なるほど、じゃあ、今、この、今日のテーマの「正直者が損をする世の中」というのも、考え方が大切ですね。

吉村:そうですね。だから、わたし正直者で、やっぱり損してるわって、だから、正直者にならないほうがいいんじゃないかって考えているかたもいるかもしれないですけど、正直者になるかどうかはさておき、正直者は損をするという、その考え方を変えていくということですね。ちょっとむずかしいのは、顕在意識の部分だけじゃなくて、実際、大事なのは、潜在意識のなかのほうの、思い込みなので、そこをどう変えていくかというところでは、いろんなやりかたがあると思うんですけど、やっぱりクリアリングがとても効率的で、手っ取り早いやりかただと思いますよ。

三上:はい。いやあ、きっと、リスナーのみなさんのなかにも、こういう感じの話をきいたことがあるひと、自分も言っているというひと、結構いるような気がするんですよ。わたしも含めて。

吉村:ははは。そうでしょうね。

三上:なので、今日、みなさん、色々感じる時間があったかと思います。やっぱ、考え方とか、思考とか大切ですね。

吉村:そうですね。ふふ。

三上:ということで、今日のテーマは、「正直者が損する世の中」というお話で、取り上げて、吉村さんから色々お話うかがいました。本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

138.先祖代々のエネルギーについて

ハンドルネーム こゆさんからのメッセージを取り上げて、吉村さんからお話伺いました。

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三上:はい、みなさん、こんにちは。こころメンテナンス。本日もアシスタント三上恵と、気功よしむらりゅうじヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい、さあ、今日もね、メッセージを取り上げてご紹介していきたいと思います。ハンドルネームこよさんからのメッセージです。「吉村先生、こんにちは。先祖代々のファミリーエナジーが、自己否定や行動に影響を与えていますよね。以前、教えていただいたことがあります。未完了の先祖でも、集合意識とも違う、もっと霧のようなエネルギーの集合体らしいのです。これを書いているときも、すごい抵抗があります。吉村先生は、どんなふうに感じられますか。教えていただけると幸いです」とメッセージ来ています。

吉村:はい。この先祖代々のファミリーエナジーって話は、教えていただいたというのは、誰かそういうのがみえるというかたに、相談したら、こういうのがあるよと教えてもらったっていうことなんでしょうね、おそらく。

三上:そうでしょうね。

吉村:僕のとらえかたとかでは、ファミリーエナジーと呼んでいるものは特にないので、このかたがファミリーエナジーと呼んでいるものが何なのかというのがはっきりわからないというのが、ひとつありますよね。これは、僕たちがコミュニケーションとるときに、言葉でコミュニケーションを主にとっているわけですけど、その言葉に対して、どういう意味がついているか、みたいなね。このファミリーエナジーが何を指しているかみたいなのって、この定義を共有しないと、何のことを言っているのかわからないということになっちゃいますよね。たとえば、外国語で、なんとかかんとかという単語を言われたときに、その言葉知らなかったら、何のことだかよくわからないってなっちゃう。この言語マップという、ひとりひとりが持っている、この言葉に対してこういう意味が割り当てられてますよという、エネルギー的な構造を僕らは潜在意識のなかに持っているんですけど、この言語マップが、この言葉に対してどういう意味を割り当てているかというのは、必ずしも、ひとりひとり同じではないわけですよね。

三上:うーん。

吉村:だから、もしかしたら、僕が知っている何かで、違う名前で呼んでいるものに対して、このひとは、このファミリーエナジーという名前で、言っている可能性のあるし、そこがどういうものなのかというのが、送っていただいた文面だと、完全にはわからないというのはありますよね。というのが、「未完了の先祖でも、集合意識とも違う」というのも、たとえば、どういったところで、それが、「未完了の先祖でも、集合意識とも違う」ということがわかるのか、ていうところも、ちょっと、ここだとわからないじゃないですか。

三上:うーん。そうですね。

吉村:「霧のようなエネルギーの集合体」って、集合意識というのもいろんなひとの意識の集合体な、ひとつのエネルギーフィールドの単位をもつことで、集合意識というのができているんで、これも、集合体といえば、集合体なわけですよね。

三上:うーん。

吉村:だから、「霧のようなエネルギーの集合体」というのが、何を指しているのかも、よくわからないという感じになってしまうんですよ。あと、ちょっと気になっているのは、こよさんが「これを書いているときもすごい抵抗があります」というのは、この抵抗というのもね、どういった抵抗なのかとかね、何に対して反応している抵抗なのかというところも気になるところではありますよね。なにか、そういう抵抗感があるときって、何かブロックが発動している場合もあるんで、なので、僕が先祖代々の受け継いでいるものからの影響で不具合が起きているケースをこういうふうにみてますということを、今までにも何回かお伝えはしているんだけど、その振り返りと、最近新しく発見したものとかも含めて、ここでお伝えしてみようかなと思うんですよね。

三上:うん。

吉村:それが、だから、こよさんが以前に相談された、ファミリーエナジーについてお話しされたかたの見解と、もしかしたら、重なっているところもあるかもしれないし、なにかこのかたは、実際こういう構造があるんだけど、僕がまだ気がついてない何かについてお話しされている可能性もあると思うんですよ。それに関しては、僕が研究を進めていくなかで、本当にこういうのあるなとわかるかもしれないし、その可能性はゼロではないんですね。実際、何かがあるかないかというのをないということを証明することは実はできないんですね。これは論理的に不可能なんですよ。何かがないと証明することは。随分みた範囲のなかでなかったということはわかるけど。その外のところにもしかしたらあるとか。

三上:うん。

吉村:まだ、気がついてないけど、隠れているところにあるという可能性というのは、これで消し去られてないんですよね。だから、今全然気がついてないけど、みた範囲では、みつけられなかったけど、どこかにあるかもしれないという状態がいつまでも続くわけですよ。探し続けても。そういう意味では、この霧のようなエネルギーの集合体のファミリーエナジーというのは、今の段階では、あるとも無いともいえないというか、何のことかはっきりわからないという話になっちゃうんで。

三上:うーん。

吉村:一応僕が思うに、先祖代々受け継いでいるもので、今の時代に、現世のこのひとの、日常とか生活のクォリティを下げちゃっているもの、みたいなものとしては、こよさんも出されている、集合意識とか未完了の先祖というのは、その影響でそういう問題が起きているということは結構ありますね。

三上:うーん。

吉村:未完了の先祖というのは、僕たちが人間として生きて行くのに、たとえば、僕だったら、吉村竜児という肉体をもった人間をやっているわけですけど、この肉体というのは、そのうしろには、僕の両親がいて、その両親にもそれぞれ両親がいて、と代を重ねるにつれて、どんどん倍々になっていくから、とんでもない数の先祖が控えているわけですよ。

三上:うふふ。

吉村:そのひとたちが、DNAの受け渡しみたいなので、生命をつないでいってくれて、そのおかげで、今僕はこうして、人間として生きてられてるという、とても有り難い話なんですけど、同時にこのうしろのひとたちが負ってしまった心の傷であったりとか、変な思い込みであったりとか、思い残して、人生をきちっと終えられてないとかいうようなものがあると、それの影響も僕は受けちゃうということが、ひとつあるわけですよね。

三上:うーん。

吉村:あとは、人が集まるとそれによって集合意識というのが形成されるので、何々家みたいなやつがあるじゃないですか。昔のひとたちがすごいそういうのにこだわっていたわけですよね。

三上:はい。

吉村:そうすると、そういうところで集合意識が形成されるというのがあるので、ここで、何々家はこういう、こうしなくてはいけないのである、みたいなのが、みんなでそういう共通の思い込みを共有していると、その影響を今の時代の僕が受けちゃっている可能性もあると思うんですよね。

三上:ああ、ああ。なるほど。

吉村:僕の肉体のDNAって、僕の父のDNAと母のDNAから半分ずつもらって、僕のDNAはできているわけですよね。僕の両親もそれぞれ両親の、僕からみたら、祖父母のね、DNAを半分ずつもらって、父のDNA、母のDNAができている、これがさっきと同じように、代を遡ると、とんでもない数のひとたちが、バーっといて、そのひとたちのDNAが、半分、半分、半分みたいな感じで、送られてきているわけですけど、そうすると、かなりの数の、同じDNAの配列を共有しているひとたちが出てくるわけですよ。

三上:うーん。

吉村:もちろん、遡れば遡るほど、薄まっていきますけど、でも、何代かのひとたちというのは、結構同じ配列のDNAを持っているひとたちがかなり連なっているということですよね。

三上:うーん。

吉村:ここのDNAというのは、一種のアンテナみたいな役割をしていて、同じ配列のものは同じ周波数で振動してるんで、共鳴しあっているんですよね。なので、体は離れていても、同じDNAの配列をもっているひと同士は、共通した何かを共有しているということになるわけですよ。だから、何々家のひとたちは、こういうひとが多いよね、みたいなことが起きうるということなんですけど、

三上:うんうんうん。

吉村:そのDNAが何かの拍子にダメージを受けてしまうと、そのダメージを受けたDNAが共有されてっちゃうということが起きるので、そこでも特定のパターンが形成されちゃって、それが今の人生の足を引っ張るみたいなことになることもあるんで、そこら辺も、僕は最近わかってきたんで、それを修復する方法というのを見つけ出して、今クリアリングツールを使って、クリアリングで修復できるようになってきているんですけど。

三上:うーん

吉村:本当に日々研究を進めていくと、ひとりのひとの人生というのは、ものすごい、膨大な情報の集合によってできているんだなということが見えてきて、本当に面白いですよね。今生きづらくて苦しんでいるひとには、面白いとか言うなよと思っちゃうかもしれないですけど、実際に、今生きづらくても、そこを解消していくことで、人生をここから好転させていくことって、いくらでもできるんじゃないかなと僕は思っているんで、そのためにも研究を進めていますね。

三上:はい。今お話きいて、改めて思ったのは、この自分だけ、やっぱり一人じゃ生きていけないって、その今があるのには、たくさんの祖先のおかげで今があるんだなと改めて感じました。ですし、今日、こよさんからのメッセージを頂いて、吉村さんなりの解説というかお話をうかがいました。こよさんも今日お話をきいてですね、ちょっとやっぱりふんわりしている部分もあるので、詳しく、どういった意味なんだよというご意見とか、今日吉村さんにきいた意見で、どう感じましたという意見とかもですね、また改めてメッセージいただけたらうれしいなと思います。

吉村:はい。

三上:吉村さん、本日もわかりやすく、説明していただき、ありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

137. 皆さんからのお便り沢山お待ちしています!

ハンドルネーム ぽいんこさん、まどかさんからのご感想、メッセージご紹介しました、ありがとうございます!

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三上:はい、みなさん、いかがお過ごしでしょうか。こころメンテナンス。本日もアシスタント三上恵と、気功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい、今日は、よくメッセージ、みなさんから頂いているんですけども、そのメッセージ、感想も最近はよく増えてきています。そちらの感想、今日、2件来ているので、読み上げたいと思います。

吉村:はい。

三上:まずは、ぽいんぽさんから。前回、130回目の回で、ソウルメイトやツインソウルのお話、したんですが、そちらの回でのご意見来ています。「興味深く聴かせていただきました。スピリチュアルのツインレイの解説を吉村先生のような解釈をされているかたを聴いたことがなかったので、とても新鮮です。ツインレイが存在するとして、このひとが唯一無二のひとみたいな執着につながるのは苦しいし、自分や相手が幸せになれる相手なら、限定しないほうがライトでいいなと思ったので、ツインレイに興味があるひと、みんなに、聴いてほしいです」、はい、と、まず来ています。

吉村:はい。有り難いですね。やっぱり僕みたいな解釈しているひとって、他にあんまりきいたことないんで、たとえば、スピリチュアル界隈だとね、この概念を使って、お金を儲けているひとたちも結構いると思うんで、そういうひとたちから、反感を買ってしまうんじゃないか、ちょっと不安があってね、あんまり大きな声では言わないようにしているんですけど、一応、僕はこういう見解ですよというところを。これが、だから、絶対的に正しいかどうかもね、証明のしようがないんですけど、大事なことは、今回の人生、現世での人生で、ちゃんと快適に生きられているかどうかということがとても大事だと思うんですよね。

三上:うーん。

吉村:だから、快適で、しかもちゃんと自分のバリューフォーミュラに沿った人生を生きることで、ちゃんと幸せに充実感を持って生きているという状態。そうなると、やっぱり、特定の事柄に執着してるというのは、少ないに越したことはないし、結局、このために、自分の幸せを犠牲にしてしまうみたいなことが起きちゃうと、本末転倒なわけですよね。

三上:うーん。

吉村:やっぱり、パートナーシップというのも、自分が幸せに生きるための手段のひとつというのかな。選択肢のひとつだと思うので、別にパートナーがいなくても幸せに生きているひとはいくらでもいるし、たとえば、誰かとうまくいかなくて、それで、再婚をしたら、幸せになったというひともいるでしょうし、別に再婚する前の相手はずっと不幸なのかといったら、それも、その時々、ちゃんと自分が幸せになる生き方を選んでいれば、幸せだと思うんですよね。

三上:うーん。

吉村:だから、こういう条件が揃わないと幸せになれないみたいなことがあるとしたら、それはボタンの掛け違いが起きている可能性があるんじゃないかなというふうに思いますよね。

三上:うーん。こういった、吉村さんのように、ちゃんと自分ならではの解説でお話ししてくださるので、本当に、普段、なかなか、こういうふうに話してくださっているかたって、少ないと、この業界でも思うので、今後も、みなさん、楽しみにして頂きたいと思います。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい、そして、もう1件ですね、まどかさんから来ています。「こんにちは。先生、まみやでクリアリングしていただきました。」まみやはあれですかね。

吉村:あれじゃないですか。月曜日のゆるライブのときの、

三上:あー、ネームということですかね。

吉村:じゃないですかね。

三上:うーん。うん。ということです。「先生の声、落ち着いて、心地がいいです。ありがとうございます。」

吉村:ありがとうございます。

三上:「先生のクリアリングを通して、自分のなかで、ずいぶん、物事を客観的に見られる感じになってきました。その逆も感じることがあります。自分がどれだけいろんな経験をしてきた、またはやってきてしまったと、過去の自分を、たまに、あぁとがっかりすることがあります。わたしは自分がやってきたことを罪悪感で感じる癖と、自分を必要以上に大きく見せようとする癖もあるので、そういったところを気づかせいただきました。コツコツ向き合うのが大事って言われること、多いんですけど、自分の、この内面に気づいて、自分に集中することで、周りのひとたちが変わってくる、この世界を少しでも多くのかたが築けたら、よりよい世界になるとわたしは感じます。わたしは、根気よく、得意じゃないですけども、レベルを下げて、コツコツ自分と向き合うことを本気でやりたいと思います。ひとりひとりの心の平和が、本当に世界の平和につながるとわたしも信じています」と来ています。

吉村:なるほどですね。ご自身でも自分ってこういう傾向があるんだなっていうふうに気づかれているというところは、素晴らしいですよね。まず、全然気がついてないけど、そのパターンを繰り返しているという段階があって、「自分、こういうこと繰り返しているな」という気づく段階があって、そこから、そのパターンを手放していくという段階があると思うんですよ。手放していくのに、気が付いただけで、それを解消していくというケースももちろんあるし、ここのブロックが硬かったりすると、わかっちゃいるんだけど、このパターンから抜けられないとか、みたいなこともあったりもするんで、そういう場合とかに、クリアリングが御役に立つかと思うんですけどね。

三上:うーん。

吉村:まだ、全然気がついていない状態よりも、もう一歩前に進まれているということだと思うんで。自分がこういうパターンあるなと気づいたときに、そのことをいいとか悪いとかいうところでジャッジしないで、自分ってこういうところあるんだなっていうことに、俯瞰してとらえるみたいなね。これは、月曜日のゆるライブをご視聴いただいているということだと思うんで、ゆるライブの間は、僕が通常有料で提供しているACTというね、自動的にクリアリングするプログラムも、ゆるライブ中は動いているので、

三上:うーん。

吉村:ゆるライブをかけている間にご自身の傾向に対してね、ああ、自分こういう傾向あるんだよなっていうところ、けど、それが別に良くも悪くもなく、ただ、自分こういうパターンあるなというふうにみていくと、自分で気がついてクリアになっていくというのを、ACTもそういうクリアリングを手伝ってくれるようになっているんで、

三上:うーん。

吉村:是非、そういう使い方をしていただけると、ちょっとずつでも、ご自身のブロックが少なくなっていくと、自分のとらわれがすくなっていくと、解放されていくわけですよね。

三上:うん。

吉村:視野がひろがっていくとね、今まで見えてなかったことが見えてきたぞ、みたいなね。スピリチュアル的な意味だけじゃなくて、普通に世の中見回したり、自分の日常をみたときに、今までは気がついてなかった、事柄に気づける、みたいなね。たとえば、気がついてなかった、いいところに気がつけるかもしれないし、気がついてなかったけど、これもパターンで繰り返してるな、みたいなことに気がつくかもしれない。それをまた気が付いたことを手放していくということをやると、また、さらに視野がひろがって、という、それをコツコツ繰り返していくことで、本当に、見えてる世界が変わってくるというかね、人生が好転していくということにつながるんじゃないかと思いますね。

三上:うーん。生きやすくなっていきますよね。

吉村:はい。

三上:はい。ということで、そうなんですよ、月曜日にね、ご存知のかたも多いとは思いますが、ゆるライブ、配信してますので、こちらも是非聴いていただきたいと、みていただきたいと思いますし、今日は2件メッセージ取り上げたんですけど、今後もこういったメッセージは、わたしたちにとっても嬉しいですし、こういうふうに、みなさん、とらえて聴いてらっしゃるんだなと、感じる時間でもあるので、ぜひぜひいろんなかたから、もっと感想、ご要望、いただきたいですよね。

吉村:そうですね。すごく励みになります。

三上:うーん。ですし、これまでの回を重ねた結果が、リスナーさんにも届いているんだなと思うと、わたしたちも嬉しいので、是非是非みなさん、今後も、是非メッセージ、そして、聴いていただきたいと思います。

吉村:お願いします。

三上:お願いします。本日は、2件ね、リスナーさんからのメッセージ、ご紹介させていただきました。吉村さん、本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

136.カード占い

オラクルカードやタロット占いした事ありますか?その言葉はどこからおりてきてるのか?吉村さんのお考えを伺いました。

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三上:はい、みなさん、こんにちは。こころメンテナンス。本日もアシスタント三上恵と、気功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい。実は先日、お友達とお会いして、その方は、ホロスコープをされているかたなんですけど、

吉村:ふんふん。

三上:最近スピリチュアルのかたも増えてきてますよね。たぶん皆さんの知り合いとか、いらっしゃると思うんですけど、タロットカードとか、オラクルカードってきいたことあるんですが、初めてルノルマンカードをしてくださって、わたしは未来について、みていただいたんですけど、気になるのが、タロットとかオラクルカードってどういうふうに相手をみてるんだろうというふうに、個人的に気になったんで、吉村三的にはどういうお考えなのかなとこの時間、きけたらなと思いました。

吉村:なるほどですね。占いが、僕専門分野でないんで、僕が知ってる知識って、結構限定的なね、専門家のかたたちと比べると、そこまで深く詳しくは知らないんですけど、大きくとらえると、こういう感じなのかなというところでは、占いって、僕が知っているものだと、大きく分けて、ひとつは誕生日とかの数字の組み合わせとかから、割り出していくみたいな、やり方で、これは、その人の誕生日って、誕生日のその日には宇宙はこういう状態だったみたいなのがあるわけですよね。星がどういう配置でとかいう。それとそれによって宇宙のエネルギーというのが、この日の星の配列によって、宇宙のエネルギーがこんな感じです、みたいなのが、その人に書き込まれているわけですよ。その人の生まれたときの宇宙のエネルギーの波動と、今日の波動の相性はどうかみたいなところで、出していってるんだと思うんですね。それが、いわゆる占星術だったり、四柱推命とかね、気学みたいなものは、そういう出し方をしていて、それとはまた別に、カードを引くというのは、これは別に、そのひとの誕生日をきいて計算するとかじゃなくて、そのときにカードを切って、ポンと出した、そのカードがどうなっているかみたいなね、話ですよね。これって、中国式の考え方だと、易学と言われているような、分類のものだと思うんですよ。竹の棒をジャラジャラジャラとやって、ピッと引くみたいな

三上:ああー。

吉村:占いの仕方って、あるじゃないですか。ああいうくじ引きみたいな感じで出てきたものによって、情報を読取るみたいなね、ものだと思うんですよ。これって、くじ引きというのは、完全に確率論だけで、なにもそれ以外に、くじ引きに影響を及ぼすものは存在しないという考えかただとしたら、それって、ただの当てずっぽうじゃんということになっちゃうと思うんですけど、

三上:そ、そう、そうですね。

吉村:ここが、違いがあるというか、トリッキーなところで。言ってみたら、偶然は存在しないという考え方もあるわけです。

三上:そうですね。

吉村:くじ引き的な偶然の要素が全くゼロかと言ったら、そんなこともないと僕は思ってるんですけど、と同時に、占いでカードを引くというのは、完全にくじ引きの確率論しかないのであるという考え方も、僕はちょっとどうかなと思ってるんですね。だから、たぶん、両方の要素って、実はちゃんとあるんだと思うんですよ。

三上:うーん。

吉村:これが、そのときに、どのカードを引くかみたいなのって、実はそのときの、たとえば、カード引いたひととか、占おうとしている対象のひとのエネルギー、周波数、波動の関係によって、出てくるカードが、どのカードが出てくるかというところに影響を及ぼしているであろうと考えたら、これは、そのカードを引いたことで何か、引いたカードが何か、意味を持っているというふうに捉えることができるわけですよね。

三上:うーん。

吉村:ここのところに、たとえば、スピリチュアル的な言い方をすると、引き寄せの法則みたいなものが働いていると仮定したら、これはなにか今の状況とか、そのひとの内的な潜在意識が持っている波動とかによって、それにあたったカードが引き寄せられていいるというふうな説明がつきますよね。

三上:ああー。そうですね。

吉村:なので、僕は、こういうカードリーディングとか、ああいうタロットであったりオラクルカードであったりというようなタイプの占いというのを物を媒介にして、普段の僕たちの顕在意識の外側にいる見えない存在とか、高次元の意識とかと交信をしている類のものなんじゃないかなというふうに思ってまして、

三上:はいはい。

吉村:だから、さらに、突き詰めて言うと、物を媒介にしたチャネリングなんじゃないかなと思ってますね。

三上:なるほどね。チャネリングという言葉もよく出てきますけど、ああー。

吉村:チャネリングというのは、一般的には、普段の自分の意識とチャンネルを変えて、高次元の意識と交信をするみたいなね。チャンネルを別の周波数に合わせることで、そこの情報を受取る。ラジオのチューナーの周波数を合わせると、違う局の番組が流れてくるじゃないですか。

三上:うんうん。

吉村:それと同じように、普段の意識とは違うところの意識にチャンネルを合わせて、そこから情報をもらう。だから、たとえば、イタコとか、沖縄だったらユタさんとかが、口寄せみたいなので、亡くなったかたの意識を呼び寄せるみたいな、ああいうものも一種のチャネリングだと思うんですよね。

三上:うーん。

吉村:それを物を媒介にして、行っているのが、カードリーディングだったりとか、易者のひとが竹の棒引いて、みたいなことをやっているんじゃないかなと思ってまして。これって、ただのくじ引きじゃんって、確率論以外にそんなもんないだろうって、言っちゃうとそれで話が終わっちゃうんですけど。だから、実際は、ただの確率論じゃないよねって、いうところで考えると、そう説明がつくわけですよ。実際に、量子力学とかの実験で、実験結果に対して、そこでひとがね、「こっちになれ」って念じるだけで、実験結果が、たとえば普通だったら、たぶん確率論で言ったら、半々で出る、結果が出るはずのところを、すぐ近くに人を座らせて、「Aになれ」とか「Bになれ」とかって、念じてもらうと、実際に実験結果に偏りが出るというのが

三上:ええー。

吉村:本当に、素粒子って、原子のもっと小さい、原子を作り出している、もっと小さい単位が素粒子なんですけど、素粒子レベルで実験をすると、人の意識とか念が、その結果に影響を及ぼしちゃうんですよ。

三上:すごいですね。

吉村:だから、カードとかも原子でできているわけじゃないですか。原子は素粒子でできていて、その素粒子は人の念によって、影響を受けるということは、カードが人の持っている波動とか念によって影響を受けるといっても、辻褄は合いますよね。

三上:そうですね。

吉村:今の科学だと、まだ完全にはね、カードという大きなものが、そんなに影響出るもんか、みたいなことを、

三上:おっしゃるかたも。

吉村:言われることもあると思うんですけど、でも、実際、ミクロのレベルで考えたら、人の念の影響受けるから、てことは、大きな世界も何か間接的にその影響下にあると考えるのは自然なことですね。

三上:いや、なにか、スッキリしました。ははは。たぶん、わたし以外のリスナーさんのかたも、そういうカードは知ってるけど、実際、どういうふうに、みてくださっていつんだろうという謎は、結構、多くのかたが持ってるんじゃないかなと、わたしは思えていたので、今、今日の説明をきいて、あ、なるほどな、ああ、そういう、有り得るなという、感覚で今日、お話きいていました。

吉村:だから、もちろん、僕らが普段生活しているなかでは、ものすごい多くのひとたちの念が飛び交っているでしょうし、

三上:そうですよね。

吉村:言ってみたら、すごい波動が、たくさんあるなかで、限定的に、あなたの未来を占いますね、みたいなことで、範囲を小さくすることでね、情報を受け取りやすくするみたいなことをしてるんじゃないかとは思うんですけど、だから、念で結果が変わるんだったら、よし、宝くじ買いにいくぞとか、競馬やるぞとかって考えだったら、それはちょっと、僕は、いやいや、考え直したほうがいいですよと思います。というのは、結局、競馬とか宝くじって、当たりたいと思っている人たちがものすごい数いるわけじゃないですか。

三上:うーん。

吉村:みんながそれぞれで引っ張り合っているわけですよ。そのなかで、ごくわずかなひとがそれを引き当てるとなるから、それと、タロットとかオラクルカードとかの、あなたの未来を占いましょうというのは、全然違う話になってくるんでね。

三上:そうです。自分自身のことですからね。

吉村:そこで、みんなで、引っ張り合いみたいなことが起きてない状態だと、より正確な、完全に正確ではないでしょうけど、信頼性のある情報が拾いやすいとは思うんですよね。

三上:いや、すごい、今日、すっきりしました。うふふ。

吉村:よかったです。

三上:なんかね、こう、説明できないじゃないですか。でも、是非、そういう疑問があるかたに、みなさん、こういった配信あったよ、こういう話があったよって、教えていただけたらなって、いうふうにも感じました。この回。

吉村:はい。ふふふふ。そうですね。

三上:うーん。ということで、今日は、実際わたしが最近体験しました、オラクルカードに近いですね、ルノルマンカードに合わせて、吉村さんから話をいろいろうかがいました。はい、とても、わかりやすかったです。ありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

135.人生の成功とは

皆さんの人生の成功とは?富や名声?それは自分の心が望む事ですか?人生の成功に導く気づきが沢山あるお話です。

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三上:はい、みなさん、こんにちは。こころメンテナンス。本日もアシスタント三上恵と、気功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい、さあ、今日のテーマはですね、誰もが思うんじゃないかな、「人生の成功とは」をとりあげて、お話を進めていきたいと思います。今収録前に、ちょっと考えたんですよ。人生の成功とは、自分のなかで、なんだろうというふうに思ったんですけど、わたしのなかで思ったのは、死ぬ前に、この人生楽しかった、悔いはないと思えたら成功かなと思えました。

吉村:ああ。

三上:わたしのなかでの成功というのは。

吉村:はいはい。でも、なんかね、すごいいい線いってるんじゃないかな。

三上:よかった。いい線いってます?はは。

吉村:ははははは。それって、結局、三上さんご自身がどう感じるかという話じゃないですか。

三上:うんうんうん。

吉村:だから、悔いがなかったなと思えるというのは、要は何か他の基準に合わせて決めてないから、だから、そういう意味では、自分が主体になっているというところはすごく重要だと思うんですよ。

三上:はいはい。そうなんですね。

吉村:ただ、その場合、要は、死ぬ間際でないと自分が成功してるかがわからないという話にもなってしまうので、それまでは、自分がどっちに向かっているかわかんないまま、最終的に、最後の最後で、わかりましたってなると、なかなか参考にしにくいんですよね。

三上:あはは。そうですね。

吉村:だから、生きてる間に、自分がちゃんと成功にむかっているのかどうかというところは見極められるようにしたほうがいいのかなって思うんですよ。

三上:ああ。なるほど。人生の成功とは、たとえば、人によっては、お金持ちになりたい、結婚したいとか、いろんなのがあると思うんですけど、そもそも、人生の成功とは、改めて考えたときに、わたしは、ぱっと思いつかなくて、これかな、一番大きいのはというのが、さっきの内容だったんですけど。

吉村:はいはいはい。たとえば、死ぬ間際に、自分は悔いなかったな、やりきったなと思えていたら成功だという発想だとしたら、今この瞬間死んでも、別に悔いはないなという生き方ばできていれば、まあ悪くないということじゃないですか。

三上:そういうことですね。ああ、なるほどですね。それは、今とこう一致する部分もあります。明日死ぬかもしれないから、毎日楽しむというのはあるので。

吉村:そう考えると、たとえば、今ものすごい苦しいんですという状態のときに、今死んでしまって、悔いがない状態になれているかといったら、それどうなんだろう、難しいなとなってしまうから、言ってみたら、今が充実した状態が作れているかどうか、ね。今もしそうじゃなかったら、そっちにちゃんと向かってるかどうかというところが大事だと思うんですよ。だから、今この瞬間も大事だけど、中長期的にみて、自分がいつ死んでも悔いはないなと思える状態にもっていけているかどうかというところが、指針というか、どっちの方向に向かっていくといいのかなというところ、見極める目安になるのかなと思うんですよね。

三上:ああ、なるほど。やっぱり、自分の心が望むことをどうかなえていくかという、

吉村:うん、そうですね。そこで参考になるかなと思うのが、心理学の分野ではよく使われているもので、マズローの欲求5段階説みたいなのがあるんですよ。

三上:もう一度言って下さい。

吉村:マズローというひとが、心理学者なんですけどね、提唱した、考案したもので、人間の欲求の5段階、5段階の欲求がありますよ、というふうに言っているんですね。

三上:うんうん。詳しく教えてください。

吉村:段階が、低いところから、段々、高いところに行くというような発想で、その第一段階が満たされていると、第二段階のところへ行けるし、第一と第二段階が満たされていると、第三段階の欲求が出てくるという感じですね。なんとなく、ピラミッドの下の方から、徐々に上に向かって、段階が上がっていくというようなイメージなんですけど、

三上:うんうんうん。

吉村:一番下の第一段階というのは、生理的欲求という部分で、生きていくための本能的な欲求ですよね。食事、睡眠、排泄とか、これが無かったら死んじゃうよというようなね。だから、生きて行くのに、必要なものがちゃんとそろっているかということ。で、これが、生きて行くのに必要だというものがある程度ちゃんと満たされていると、次の第二段階、安全の欲求というものが出てくるわけですよ。これは、要は、安全でいられるということです。食べものがありません、今すぐ行動を起こさないと餓死しそうです、みたいな状態だったら、安全かどうかじゃなくて、まず食べ物となるから、危険な場所にも行って食べ物とってこなきゃというようなことになるわけですけど、食べ物が充分にありますよということになったら、今度はわざわざ危険な思いしなくても、ちゃんとここで生きていけるようにしたいよね、という欲求が出てくるので、まず安全を確保しましょうという欲求が出てくるわけですよ。

三上:うん。

吉村:で、これが、生きていくのに最低限必要なものもある、安全もある程度確保できましたとなると、三段階は、社会的欲求といってね、集団に属したりとか、仲間を求めようとする欲求なわけですよね。だから、孤立してないかとか、感情とかを共有できるような、共感できるような仲間がいるかとか、そういうような話になってくるわけですよね。ここにくると、今度は、物質的なものだけじゃなくて、気を許せる仲間がいるかとか、家族がいるかとか、そういうような物質的なものだけでは満足が得られない欲求になってくるわけですよね。これが、第三段階の特徴みたいな感じで、この辺がちゃんと満たされてくると、次の第四段階で、承認欲求といってね、社会のなかで、自分の、自分らしさみたいなものを出して、個性を出していきたいとか、周りのみんなから高い評価を得たいとかね。

三上:うん。

吉村:この辺が、これは、自分を成長させる原動力にもつながるわけですけど、結構、生きづらさを感じている人たちというのが、ここの承認欲求の段階で、つまづいていたりとかね、承認欲求だけで自分を幸せにしようとなってしまっているひとが多かったりするわけですよ。

三上:はい。そうですね。

吉村:これって、だって、周りから承認されて、やっと自分は安心できるみたいな。となると、自分を承認してくれないひとが現れたときに不安になっちゃたりするし、人が自分のことをどう思っているかということばかり気になってしまうわけですよね。

三上:うーん。

吉村:たとえば、ちっちゃい頃、親からちゃんと承認受けてたとなると、ここの欲求がだいぶ満たされてくるんで、その次の段階に行く準備ができるようになっていったりするんですけど、ここが満たされてないと、いくら承認されても、ここが満たされないみたいな、心に傷を負っちゃって、ここが満たされないようになっちゃっているひとたちというのが、結構ここで、堂々巡りにはまっちゃうわけですけど。でも、ここがちゃんと、この欲求が満たされて、承認を求めることだけが自分の人生じゃないよねみたいな感じになってくると、自己実現の欲求という話になってくるわけですよ。

三上:自己実現。

吉村:これは、もう、本当に、自分の使命は何なんだろうかとか、自分の人生で何を成し遂げていきたいかとか、あるいは、自分は何を成し遂げるような役割を持った人間なのだというような、そういうものを求めるわけですよね。

三上:ああ。うーん。

吉村:この、5段階あるというところで、ここの自己実現の欲求が満たされて、自分が自己実現できてるぞとなったら、人は究極的に幸せな状態になるよねというのが、たぶん、マズローが言っていることなわけですよ。

三上:うーん。話をきくと、わたしの周りは承認欲求で止まっているひとが多いですね。

吉村:ははは。たとえば、この先、貧富の差が激しくなっていったりとか、経済が厳しくなっていったとしたら、最低限日々の生活ができるぐらいの、経済的な状態にする必要があるよねということが、まず前提としてはあるんですけど、ただ、お金さえあれば幸せになれるのかというと、それって、結局この5段階のなかでは、お金があるということは、そんなに自己実現と直結してないじゃないですか。

三上:そうですね。

吉村:だから、お金稼いだら、そのあと何をするかみたいなので、このピラミッドの上に段々上がっていくことは可能だと思うんですけど、そこが全然なくて、ただ、持っているお金を増やしていくんだとか、ということになると、途中でモチベが続かなくなっちゃうんですよね。多くのひとたちは、たとえば、ある程度生活はできてますよねとなると、さっき三上さんがおっしゃったように、承認欲求のところで、沼にはまっちゃって、一所懸命みんなからチヤホヤされるためのことを頑張ってやるんですけど、でも、結局、そこだけだと、本当の満足が得られないから、だから、もっと多くのひとから承認してもらおうとか、というような変なサイクルにはまっちゃうんですよ。それが、SNSでひたすら、いいねが欲しいとか、バズりたいとかってばっかりになってしまったひとたちっていうのは、実はその先に、自己実現というのがあるということが気がついていないのか、それとも、その承認欲求がいくらやっても満たされないから、その次の段階に行けなくなっているのか、というところだと思うんですよね。

三上:うふうふ、うふうふ。ごめんなさい、わたし、今ね、自分とフラッシュバックがね、ふふふふ。いや、わかりました。言ってること、よくわかります、はい。

吉村:まずは、そこを越えて、自己実現の段階まで行くのが大事だよねという前提でお話しすると、その自己実現、どうすれば、自己実現できのか、ということになってくると、これが実は一人ひとり違うんですよ。だから、成功とはこういうものですと一言では言えない段階になってきちゃうんですよね。結局、僕にとっての自己実現と三上さんにとっての自己実現というのは、同じものになりようがないんですよ。なぜなら、本当の自分らしさを発揮して、自分が人生で何を成し遂げるかというのは、そもそも特性が違うし、元から持っているものとかも違うんで、同じにはならないんですよね。これは、僕は、魂が持っている価値観という、バリューフォーミュラという概念で、配信でもたびたびお話ししてるんですけど、そのひとの魂がそもそもどういう価値観を持っているか、どういった表現を好むかという、ところに違いがあるんで、そこに沿って、自分の魂が喜ぶ状態に持っていってあげれば、これが自己実現に一番つながりやすい、本当に魂が喜んでいる状態になるんで、より高いパフォーマンスが発揮できるようになっていくわけですよ。

三上:うーん。

吉村:ここでちょっとトリッキーなところはですね、マズローの欲求の5段階って、下から順番に満たしていかなきゃいけないという話だったじゃないですか。

三上:はい。

吉村:でも、実は、魂が喜ぶことをすると何が起きるかというと、魂はそのひとのパフォーマンスを上げてくれるし、そのひとの現実を魂がコントロールすることができるんですよ。

三上:うーん。

吉村:要は、そのひとにとっての、よりよい状況とか、魂が自己実現しやすい状況を作り出すために必要なものを引き寄せることができるんですね。

三上:うん。

吉村:これが、要は、僕たちの顕在意識が認識できている領域の外側、潜在意識ができることのなかに含まれているんですけど、潜在意識のなかにある、波動、周波数に共鳴する、近い周波数を持ったものを引き寄せる力を持っているんですね。

三上:うーん。

吉村:そうすると、たとえば、自己実現するためには、最低限、食べていけないと苦しいよね、それがないと、自己実現までいかないよねっていうふうになっていたとしたら、じゃあ、まず食べれる状態作るから、だから、魂が喜ぶことしてね、という感じで、自分の魂が喜ぶことをしてあげれば、それを継続的に行うのに必要な状況みたいなものを、お膳立てを魂のほうが、作ってくれるわけですよ。

三上:ほうほう。

吉村:そうすると、それによって、たとえば、自分が魂がワクワクすることをやることが収入につながるとかね。あと、それを一緒にやる仲間を引き寄せてくれるとか、ひととの御縁を引き寄せてくれるとか、そういうようなことを魂のほうでやってくれるんですよ。

三上:うんうん。

吉村:なので、まずは食べていけるようにならなきゃって、これはもちろん大事なんですけど、このときに、ちゃんと自分の魂が喜ぶことをやろうというのを同時に持っておくと、まずは食べていけるようになろうの段階が、越えやすくなるんですよね。

三上:はあー。なるほど。必ずしも、ピラミッドの下からって、今の話の内容があったじゃないですか。これから、これからっていうわけじゃなくても、いいってことですね。

吉村:そうなんですよ。逆にどっちかというと、自己実現の段階で出てくる、魂が喜ぶことというのを最初の段階から持っていたほうが、その下の段階を越えやすくなるんですよ。

三上:ああー。なるほど。

吉村:だから、順繰りにこれが上がっていきやすくなるんですよ。たとえば、食べていくのにお金が必要だから、お金稼ぐためだったら、なんでもやりますよみたいな話になると、それって結構魂が喜ぶことから離れていっちゃうことだって、考えられるわけですよ。要は、犯罪に手を染めるとかね。そういう。

三上:ああー。

吉村:暴力団みたいな人たちと関わって、悪いことしてお金稼ぐみたいなことをした場合、それって、要は、愛じゃないですよね。魂って、そもそも愛だけの存在だから、自分らしい愛をどう表現するかっていうのが魂の欲求なんで、愛を表現する、しかも自分の魂の特性に合ったしかたで表現するということをすると、食べていける状態であったり、必要な仲間であったりとか、というのを引き寄せてもらえるんで、そうすると、結果的に、いい仲間たちと一緒に世の中的にいい仕事をすれば、自然と、万人からはほめられないかもしれないけど、その価値を受け取ってくれたひとたちからは、ありがとうという感謝とか、承認が得られるから、そうすると、もう、ボンボンボンと、さっきの5段階の欲求の上のほうまで、ポポポッといけちゃうわけですよね。

三上:うーん。

吉村:これが、たとえば犯罪とかしてお金稼いでいるひとたちというのは、世の中からは認めてもらうのはとてもむずかしいですよね。それによって集まってくるひとたちというのは、結局、自分と同じ波長の、お金のためだったら何でもしますよみたいひとたちとか、暴力で物事解決しますみたいなひとたちが集まってきちゃうと、結局そこでは、自分がいつ殺られるかわからないから、力でみんなを押さえつけとかなきゃいけないとか、自分の強さを誇示し続けなければいけないという、サイクルにはまっていくわけですよ。いつも不安の中にいるわけですよ。殺られる前に殺らなきゃみたいな。だから、これって、それによって、お金がすごい手に入ったとしても、じゃあ、安全かといったら、安全じゃないですよね。それに、周りのひとたちのことも、そんなに信頼できないようなひとたちのほうが、割合的に圧倒的に多いという中で、ごくわずかな、自分の力で押さえ込んでいる連中からは、アニキとかって、慕われるかもしれないけど、そのひとたちだって、裏で何を考えているかわからないじゃないですか。

三上:うーん。

吉村:結局ね、殴って従わせているような相手は、いつか、アイツ殺ってやると思ってるかもしれないわけですよね。そうすると、また、そのことが不安になってくるから、余計に、てめえ、俺にたてつこうとしてんじゃねえぞ、みたいな、余計に、また力で押さえつけようとして、というところで、悪循環が始まっていくわけですよね。

三上:うーん。

吉村:なので、それよりも、まず、最初の段階で、自分の魂がどういう愛を表現したいのかというのをもって、それを持ったまま、まずは自分が日々食べていける状態を作っていこうってなると、要は自分の魂が協力してくれるから、お膳立てがそろって、次の段階に行きやすくなるんですよね。

三上:うーん。やっぱり、バリューフォーミュラは、いろいろ通じるというか、必要な部分ですね。うふふ。

吉村:そうですね。だから、本当にバリューフォーミュラに沿って、魂がキラキラ輝いて、高いパフォーマンスで生きているという状態が作れたら、結構それって、そのひとにとっての成功ということじゃないかなと思いますよね。

三上:はい。今日はいろいろうかがいましたけれど、みなさんの人生の成功って、改めて、何でしょうかっていうきっかに、わたしはなりました。みなさんもなっていただけたらなと思います。今日もいろいろと吉村さんがお話ししてくださいました。ちょっと、いろいろ考えちゃいますね。吉村さんご自身は、もうあれですけども、わたしも含め、みなさんがキラキラした日々を、人生の成功が達成できますように。今日は、ありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。