284.複数の存在や宗教にお願いしたり、感謝してもいいのか?

ハンドルネーム まりおさんからのメッセージを取り上げて、吉村さんからお話伺いました。

 

感想、ご質問はこちらにお願いします!
https://forms.gle/HhW7cXuA345QYmDZ7
YouTube:
https://www.youtube.com/c/kokoro-me
Web:
https://m-e-science.com

==================
◆文字起こしはこちら↓

 
三上:皆さん、こんにちは。こころメンテナンス、本日もアシスタント三上恵と、氣功ヒーラーの

吉村:吉村竜児です。

三上:吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:本日はお便りが来ていますので、メッセージをまずご紹介していきたいと思います。ハンドルネーム、まいくさんから来ております。吉村先生、三上さん、こんにちは。いつも為になるお話ありがとうございます。質問です。私は仏教の教えに基づいた行動、そして自分や家族を守ってくれている存在へのお願いや感謝をしています。

そしてスピリチャルにも興味があるので、そのような情報を見ているうちに、龍神、神道、守護天使、または自分の内面とつながるハイヤーセルフなどの存在についても知るようになりました。どれも真実であるのかは証明できないかと思うので、何を信じ誰にお願いすればいいのかわかりません。自分や家族を守ってくれている存在がいるならば、すべてに感謝し守ってもらいたいと思っています。

そこで質問ですが、このように複数の存在や、宗教に頼ってお願いしたり感謝するというのはいいのでしょうか?それともお願いしたり信じるのは一つの存在や宗教だけに絞った方が良いのでしょうか?吉村先生のアドバイス、考えをお聞かせいただけたら幸いです。よろしくお願いいたします。

そして別で来てるんですけど、267回目の「イライラ」の配信の中で、責任の一端は自分にもあるというお話でしたが、私が興味を持っているホ・オポノポノも同じような考えで共感できました。このホ・オポノポノも含め、願いや感謝するのに信じることを一つに絞るべきなのか迷います、ときています。

吉村:なるほどですね。とても興味深い、良いご質問ありがとうございます。

三上:ありがとうございます。

吉村:多分これがちょっと氣になってるみたいな人は他にもたくさんいらっしゃるんじゃないかなと思うんですよね。

三上:ありますね。お正月とか。

吉村:これはね、宗教を実際に入信して活動している方たちっていうのは、色んな各宗教で色々いるし、世界中の色んな宗教の信者の人たちって、累計したらものすごい数の人たちがいるわけですよね。その人たちに対して何が正しいか間違ってるかみたいなことを言っても、ただ喧嘩になっちゃうだけなんで、あんまり何が正しいかみたいなことは言いたくないんですけど、

宗教ってそもそも元々は、今世界で大きなメジャーな宗教っていうと、キリスト教とかイスラム教みたいな、一神教っていうのが結構幅を利かせてるわけですよ。でもそれ以外のキリスト教、イスラム教、それからユダヤ教ですね。この3つの宗教は、言ってみたら信者がすごい多いいわゆる一神教って呼ばれてるね、一人って数えていいのかな?わかんないですけど、一人の神様を信じてる宗教なんですよ。

キリスト教は別にキリストのことを神として崇拝してるってわけではなくて、キリストは神が自分の息子を人間界に送ってきて、それで人間に神の正しさを伝えたみたいな宗教なんですよ。だからキリストのさらに上に神という存在がいるわけですよね。

この神って、実はキリスト教で言ってる神と、それからイスラム教で言ってるアラーっていうのと、それからユダヤ教で言っている神様、ユダヤ教で神のこと何て呼んでるかちょっと忘れちゃったんですけど。とりあえず特定の呼び名で神のことを呼んでるわけですよ。実はこの3つの宗教で言ってる神って、実は同じ神を指してるんですよね。

三上:じゃあ、神といえば同じということですか。

吉村:元々はユダヤ教があって、ユダヤ教がなんとかっていう神が唯一の神であると。他の宗教は全部邪教だからそれは許してはならないみたいなことを言い出して、ユダヤ教からキリスト教が派生したんです。イエス・キリストってユダヤ人で、あなたたちは神とこういうふうな契約で色々とこうやって、こういうふうに生きなさいって神から言われて、そういう生き方を選んでるけど、

でも神はそのやり方じゃなくて新しいあり方を選びなさいって言ってるんですよと。同じ神が前はこう言ってたけど、私はこの新しい神からのメッセージを持ってきましたみたいな感じのことを言ってるわけですよ。

三上:うん。

吉村:だから同じ神がいて、神から神のメッセージを伝える人たちっていうのがいるわけですね。その預言者って言うんですけど、預言者は未来を言う預言者じゃなくて、預かってる言葉、神から預かってる言葉を伝える人っていうことで預言者なんですけど、そのユダヤ教の時代からその預言者が、例えばエジプトでユダヤ人が奴隷になってたところを、みんなエジプトからユダヤ人を連れ出して脱出したっていうね、モーセっていう人がそういうことをしたっていうふうに旧約聖書に書かれてるんですけど。

これは奴隷になっていたユダヤ人を、モーセが神からのお告げをもらって奴隷から解放して約束の地へ連れて行きましたっていう話なんですよ。だからそのユダヤ人のお話で、その続きみたいなところにイエス・キリストがいるわけですよ。神がまた新たな預言者を使わせましたよみたいなね。今度は人間にメッセンジャーになってもらうんじゃなくて、神の子をそのまま人間界に送りましたって言ってるんですね。それがキリスト教で。

三上:はい。

吉村:イスラム教っていうのはイエス・キリストは別に神の子じゃなくて、神が今まで人間界に使わせた色んな預言者の一人であると、イエス・キリストはね。その後にモハメットっていう新たな預言者を使わせて、モハメットからのメッセージに基づいてこういう生き方をしていこうっていうことをやってるのがイスラム教っていう話なんですよ。

だからみんな同じ神から、神のメッセージを違う人たちから受け取った人たちみたいな話だから、まずその時点で、何を選ぶかというか、同じ神を本当は信じてるんでしょって。だけど誰が伝えたかによってメッセージの内容が違うから、そのことで宗教戦争とかが起きてるわけですよ。

これってイエス・キリストが唯一の神の子だから、それが絶対正しい、この聖書の言うことが一番正しいんだって言ってる人からすると、他の教えはあれは異端だ許せんみたいな感じになっちゃうのは、それぞれ仕方ないのかなとは思うんだけど、それが良いか悪いかみたいな話で言うと、色んな争いのもとにはなってるよねっていうのが僕の見解なわけですよ。正しいか正しくないかは、さておきね。

三上:うん。

吉村:しかもユダヤ教の人たちが、本当の真の神はこの神だけで、他の宗教は全部異端だとかって言い出す前に、宗教観ってどうなってたかって言ったら、神様って天界に色々いて、その中のどの神様を信じて拝むかみたいなのは、それぞれの人たちが自分たちで自由に選んでやってるみたいな感じだったのが多神教なわけですよ。

例えば、エジプトの壁画とか見ても、色んな神様がいるわけじゃないですか。なんとか神、なんとか神って。太陽神がいて、月の神がいて、なんとか神がいてって。その中で、自分が好きな神様を拝んでるみたいなのって、なんか推し活みたいなもんじゃないかなと僕は思ってるんですよね。

三上:今で言うね。

吉村:そうそう、好きなアイドル、色々いっぱいアイドルいるけど、その中でこのアイドルが好きだから、僕はこのアイドルのライブ見に行ってグッズ集めてますみたいな感じの話に近いと思うんですけど、その中で突然、真のアイドルはこの人だけで、それ以外は全部認めないっていう人たちが出てきたような構図だと思うんですよ。その一神教が現れたっていうのは。

だからその段階で、宗教っていうのと、真の見えない世界、人間のこの世界とは別のところに、さらに高度な意識の世界が存在するっていう考え方っていうのは別に宗教である必要はないなと思ってるんですよ。

三上:うん。

吉村:だから結局、僕たちは見えない存在の影響下にいて、色んな見えない存在たちから守ってもらったりとか、導いてもらったりして、この三次元の世界で人として生きてるから、そういう意味では、それらの存在に感謝をするっていうのはいいことだと思うんですけど、

でもそれらの存在っていうのは、僕たちは目で見て確かめることもできないし、その存在たちが、僕の目の前に現れて身分証明書を出して「私、天界からやってきた何々という神なんですけど。」とか言って、名刺交換してみたいな話じゃないから分かんないんですね。

誰が僕のことを守ってくれてるかとかってなると、僕はきっと色々守ってくれてる存在がいるだろうから、それらの存在に感謝しながら生きてるっていうスタンスなんですよね。僕は今まで大変な人生を、かなりアップダウンの多いすごい大変な人生を生きてきたけど、それでもちゃんと無事ここまで生きてこれてるってことは、相当守られてるなっていうふうに感じるんで。っていうことは、守ってくださいって僕がお願いする前から守られてるんですよね。

三上:なるほど。

吉村:だからってなると別にわざわざ、何々神に僕が守ってくださいってお願いするとかっていう、それ意味あんのって感じに僕は感じてしまうんですよね。だってもう既に誰かが守ってくれてるんだから、僕は守ってくれてる誰かが何者か分かんないけど、いつも守ってくれてありがとうっていう感謝を持って生きてるっていう、それだけで多分、十分だと思うんですよね。

三上:ね。

吉村:そこに自分が感謝する相手に何かしらそのアイデンティティをつけることで、実感を持ちやすいっていうことは出てくると思うんですよ。だからきっと僕は、「守ってくれてるこの神様は何々神だと思うから、だから何々神ありがとう」っていうようなことをやり始めた太古の人たちが、「僕を守ってくれてるのは多分太陽の神様だと思うから、僕は太陽神を信仰する」とか、「私を守ってくれてるのは多分月の神様だと思うから、だから私は月の神を信仰する」とかっていうようなことをやってきて多神教が生まれてると思うんですよね。

そこで言ってみたら中東だったりとかヨーロッパの方とか、陸続きのところって、争いが絶えないっていうかね、限られた食料とかを奪い合って生き延びなきゃいけないみたいなことがあるから、争いが絶えない中で勝つか負けるかがすごい重要な話になってくるんで。その中であいつらの宗教じゃなくて俺らの宗教の方が絶対なんだみたいな話が出てきやすくなっちゃうっていうことがあったんじゃないかなっていうのはちょっと推察できるわけですよね。

その点、日本で例えば縄文時代の人たちが暮らしてた頃とかってかなり自然が豊かで、普通に暮らしてて食べ物に困ることがないみたいな状態だから、みんなのんびり暮らしてるわけじゃないですか。その間に色んな宗教的な神を祈る、神に対して祈るとかそういうことが哲学とか文化みたいなものとして多分育っていってると思うんですよね。

日本は古来から色んな神様、だから八百万の全てに神が宿ってて、それら全てに感謝しながら生きましょうっていう考え方が元々の考え方で、それが多分今の神道のもとになってるわけですよ。神道は神社があって、色んな神社ごとに何々神とかって祀ってる神様がいっぱいいて、それだけじゃなくて、全て、ご飯一粒一粒にも神が宿ってるみたいな考え方ですよね。

僕はそれ、すごい素晴らしいなと思ってて。いいところって、結局外国から渡来人がやってきた時に、俺たちはこの神を信仰してるんだっていう人たちが来たら、日本にいた人たちとおそらく「あ、そうなんですね、あなたたちの神様も八百万の神々の中の一人だからきっと仲良くできますよ。」みたいな感じで、どんどん取り込んでっちゃうってことをしてるんですよね。

だから神社の祀られてる神様とかのルーツをたどっていくと、それこそ、中東の方だったりとかインドの方だったりの神様が日本の神社で祀られてるっていうことがよくあるんですよ。

三上:へー、面白い。

吉村:だから日本人の懐の深さみたいなね、言ってみたら色んな文化を取り入れて争わずに仲間になっていくみたいなことで、新たな文化を育てていくってことをやってきたから、今の宗教的なごった煮みたいな状態、お正月に初詣に行って、お葬式はお寺であげて、クリスマスとかハロウィンはお祝いパーティーしてとかっていうのは、全部なんでもOKですよっていう日本の考え方、これが日本人の一種の宗教観だと思うんですよ。

だから日本人は自分たち無宗教ですって言ってる人たちが多いんですけど、アンケートとか取ると。でも実際は無宗教だって思ってるけど、実はすごい何でもありっていう宗教をやってるんだと思うんですよね。

三上:確かに、イベントとか見るとね。

吉村:それが僕は日本人のすごい素晴らしいところだと思っていて、別にそれが正義だとかっていうつもりは全くないんですけど、何でもいいじゃんみたいな考え方で、とりあえず仲良くできるなら何でも取り入れちゃおうよっていう発想がすごく素晴らしいと思うんですよね。

なので、僕は見えない存在に感謝したりとか、見えない力を利用して生きていくっていうことに関して、別に何か特定の宗教だったり流派を絶対選ばなきゃいけないってことはないと思うんですよね。実際、例えば空手だって何かもう数えきれないぐらい、ものすごいたくさんの流派があるわけじゃないですか。どれが正しいかとかないですよね、正直。

三上:ないですね。自分がどれをやりたいかですもんね。

吉村:だいたいそれに各流派ごとに特色はあるんですけど、長距離で相手との戦いのときに広い間合いで戦いたい人と、近い間合いで戦いたい人と、中ぐらいの間合いで戦いたい人っていうので、多分その人の体格だったりとか、氣質とかで多分違いがあると思うんですよね。

で、同じ空手って言っても、かなり流派によって技の組み立て方とか違ってて、ある流派はすごい長距離から飛び込んで攻撃するし、ある流派はすごく近いところで体の一部が触れ合っているような状態で戦うみたいなことをやってるんだけど、なぜそれが生まれたかって言ったら、多分それを作った人がやりやすいやり方を追求した結果そうなったんだと思うんですよね。

だってどっちもチャンピオンクラスの人たちって、とんでもない強い人たちなわけじゃないですか。特定のルールに基づいて試合をしたらどっちが勝つとかっていうのがあるのかもしれないけど、それだって結局たまたまそのルールでやったらそうなったに過ぎなくて、どっちが正しいかって必ずしも判断できないんですよね。

そうすると、その戦い方が自分の体格とか筋力とかに合ってるのかどうかみたいなところで選ぶみたいな話になってくるから、宗教も言ってみたらそんなようなもんですよね。宗教とか哲学とかも別にどっちが正しいとかっていうんじゃなくて、自分に合ってるかどうかっていうことぐらいでしか判断のしようがないと思うんですよ。

三上:今日お話を聞いて、すごい歴史の勉強もさせていただいた氣が私はすごいしました。

吉村:良かったです。

三上:今日はまいくさんのメッセージからお話、吉村さんの色んなご意見とかお考えも伺いましたけども、まいくさんからの聞いた後のリアクション、メッセージもお待ちしております。はい、私は今日色んな学びがありました。なるほどって思いながら聞かせてもらいました。今日も素敵なお話、吉村さんありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。