307.過去との向き合い方

自分の過去の選択に対して後悔してしまうことがあります。過去を受け入れ、前向きに進む方法はありますか?
の質問に吉村さんに答えて頂きました。

 

感想、ご質問はこちらにお願いします!
https://forms.gle/HhW7cXuA345QYmDZ7
YouTube:
https://www.youtube.com/c/kokoro-me
Web:
https://m-e-science.com

==================
◆文字起こしはこちら↓

 
三上:皆さん、こんにちは。こころメンテナンス、本日もアシスタント三上恵と、氣功ヒーラーの

吉村:吉村竜児です。

三上:吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:今日もちょっと匿名できていますね。これよく私も聞くんですけども、自分の過去の選択に対して後悔してしまうことがあります。過去を受け入れ、前向きに進む方法はありますか?ときてますね。

吉村:なるほどですね。

三上:なんかこう、ありますよね。話題、友達同士でお話ししてても、例えば職場とかでも、私自身もそういう時、ありますよ。

吉村:そうですね。結構やっぱり、僕のところに相談に来られる方たちのお話を伺ってても、すごいこの方、後悔があるんだなっていう方は結構いっぱいいて、

過去のことを何か悔いていることで前に進めなくなってしまっているっていうケースが、やっぱりよくあるんだろうなっていうのはすごく感じますね。

これブロックって話で言うと、意識が前に向かないで後ろにばっかり向いてしまうっていうような状態がブロックによって作られているっていうケースが実はあるんですよ。

そうすると、過去のことを悔いているから、そこから派生して今いろんな問題が起きているっていう見方も一つあるんですけど、その場合そうしたら意識を前向きにしたらいいんじゃないっていう話で片付いちゃうんですけど、要は前向きになった方がいいってわかってるのにそれができないっていう状態ですよね。

三上:そうですね。

吉村:となると、それってブロックによって意識の向く方向が固定化されてしまっているからそうなっているっていうのはやっぱり結構あると思うんですよね。

そうすると、そこはやっぱりクリアリングをするとか、瞑想をするとかで前向きになるっていうことを意識して、自分の意識が後ろ向きになるように固定しているものを見つけてそれを手放していくっていうプロセスがやっぱり必要になってくるとは思うんですけど、

そこの氣づきの部分でそこを手放していくっていうところのヒントというか方向性としては、まず一つには物事が単純に良いか悪いかで、二つに分けて考えることは本当はできないっていうことなんですよね。

三上:これはダメ、これはいい、OK、NO。

吉村:だからそれって僕がいろんなところで言っているジャッジっていう話で、ジャッジは極力しない方が人生は楽で豊かになるんですよ。

ジャッジするからしんどくなっていくっていうことなんですね。だからそのいい悪いっていう価値判断をしてるんですけど、でもちょっと長い目で見て、時間軸での物事の因果関係っていうのを見ていったときに、

今まで自分の人生の中で、これは良かったなって思うことと、これは悪かったなと思うことをもしちゃんと並べていって、どういう因果関係でつながってるかっていうのを全部見ていった場合、

結構たくさんの良かったことって、その前に何か悪かったことがあったから、その結果としてこの良いことが起きてるっていうのは、たぶんすごいたくさん見つかるはずなんですよ。

三上:確かに。

吉村:だからそう考えたら、じゃあその悪かったことって、その時は不快だったりとか悲しかったりするかもしれないけど、それがなかったらその後の良いことが起きてないわけじゃないですか。

考えたら、別にこのこと自体は本当に良いか悪いかの2つに1つで判断できることなのかって言ったらちょっと何とも言えないですよね。

じゃあこの悪かったことをなくしちゃったとして、例えば時間の編集みたいなことが可能になったとして、これがあったのは嫌だったからこれなくしてしまえって言ったら、その後にそれが原因で何か起きたこととか手に入ったものとかっていうのも全部なくなっちゃうわけじゃないですか。

三上:そうですね。

吉村:だからちょっと長いスパンで物事を考えたら、全てのものは実は良くも悪くもないんですよね。

結局その時々で、自分がそれを心地よいと感じたか不快と感じたかみたいなところで、その時々で判断してジャッジしてそこに良い悪いっていうレッテルを貼ってるだけであって、そのこと自体は別にその良くも悪くもないっていうふうに考えると、その良いか悪いか決めてるのは自分自身なんですよね。

三上:グサッ。

吉村:だからあの時ああしておけばとかって言っても別にその時代に戻ってそれをやり直すことなんてそもそもできないわけじゃないですか。

もし仮にその時に違う選択をしてた世界が存在してたとしても、じゃあそっちの世界線って概念があるんですけど、僕らが今生きてていろんな選択するたびにそれを選択した世界線と選択しなかった世界線とかって分岐して、世界が並列で沢山生まれるっていう考え方ですね。

これは量子力学の平行世界とか多次元解釈みたいなものの考え方の一つなんですけど、でも実際に別の世界線に行ったとしてその先が全てバラ色かどうかなんて分かんないわけですよね。

三上:分かんない。

吉村:分かんないですよね。どっちを選んだとしても結局その都度自分にとってそれが心地よいか不快かっていうことで、良いとか悪いとかっていうジャッジをし続けることになるわけだから、

そうすると別にその時々での良い悪いはあるかもしれないけど、長い目で見てそれが良いか悪いかなんて分かんないわけですよね。

だから実際には本当に起きてることは良くも悪くもなくて、言ってみたら全て中立なんですよ。それに対して自分が良い悪いっていう価値判断をしてるだけなんで、悪いっていう判断をするのをやめれば別に全て良くなるんですよね。自分の要は考え方次第っていう話になっちゃうわけですよ。

三上:そうですよね。確かにああいう時もあったよねぐらいのね。

吉村:例えば結婚とか離婚とかって多くの人たちにとってはすごい大事な話だと思うんですよ。

僕はいろんなところでお話ししてると思うんですけど、離婚歴があって、前の奥さんとの間の娘たちを一人で育ててて、その時に今の奥さんと出逢って、今の奥さんとの間では子供はいないんで、うちの奥さんは血の繋がらない娘たちを僕と一緒に育ててるっていう状態なわけですよ。

僕にとってはこの娘たちはすごい大事な存在だし、すごいたくさんの幸せを共に過ごしてきたし、もちろんイラッとすることとか数え切れないほどいろいろあるから、そこを悪いところを探したらキリがないとは思うんですよね、

その時に自分が不快だって感じたことは。でも全然そんなのチャラになるぐらいに幸せな思い出がたくさん作れたと思うし、子育てから僕自身がすごく成長させてもらえたんで、すごい素晴らしい経験をさせてもらってるんですけど、

例えば時間遡って前の奥さんともう一度結婚生活したいかというと、ちょっとそれは勘弁してくださいって感じなんですよ。

もちろん離婚に至ったというところでは双方の問題でもあるから、向こうが一方的に悪いとかって話はもちろんないですけど、僕にも至らなかった点はいろいろあると思うんですけどね。

いってみたら、前の奥さんとの結婚生活は僕にとっては全然いい思い出ではない、もう一回やってくださいって言われたら、本当に全力ですみません、それだけはお願いですから勘弁してくださいって感じの話ではあるんですけど、僕の人生の歴史の中からそれをなくしてしまったら何が起きるかって言ったら、うちの娘たちはいないんですよ。

三上:うん。

吉村:それを耐えられるかって言ったら、僕は耐えられないですよね。

だから、時間遡って人生をもう一回やり直しってなった時に、うちの娘たちには出逢いたいけど、そのためには前の奥さんともう一回結婚生活しなきゃいけないとか言ったら、もう恐ろしい究極の選択みたいな話になってしまいますよね。

だからそうなると、あの時は大変だったけど、それを乗り越えて今があるから良かったなって感じだし、あの時の大変な時期を乗り越えた自分、よくやったっていうふうにねぎらう氣持ちこそあるんですけど、あの時あれさえなければみたいなことはないですよね。

三上:でも、それがあったからこその今ですよね。それがなかったらまた違った人生かもしれないし。

吉村:そうそう、結局そこで色々と学ぶことができたから、僕自身も人間的に成長できたところもあっての、今に至るなので、本当にだからしんどかったけど、別に悪いことばっかりではないっていうかね。

この人と結婚することを選んでしまった自分みたいなね。今の自分だったら、あの人と結婚することは選ばなかっただろうなって。

なんであの人をあの時選んでしまったんだろうっていうのは、自分の中で今振り返って分析すると、こういうところがあったからなみたいな色々と反省点っていうかね。自分の至らなかったところがあって、

自分の中で母親との葛藤がちゃんと解消されてなかったことで、こういうタイプの女性と一緒にいるっていうことを選択してしまったんだろうなみたいなね。

三上:うん。

吉村:そういうこともあるわけですよ。そこに氣がつけたから、一緒にいて結構大変だった、離婚で裁判とかまですることになっちゃったとか、色々あったわけですけど、

そのプロセスで、こういうところの判断ミスがあったんだな、自分の中のこういうところがあったから現状こうなってんだな、あの時はああだったんだなとかって色々と学びがたくさんあったわけですよね。

だから、しんどかったかどうかっていうところで言われたら、もう相当しんどかったんですよとしか言いようがないんですけど。裁判で僕なんかだいぶ白髪増えちゃったし、とてもとても楽な道ではなかったし、それは多分相手方にとっても大変だったんだろうなとは思うんですけどね。

三上:うん。

吉村:でも、それさえなければみたいな話とか、例えば今振り返れば、あの時にこういう風にしとけば裁判避けられたかもしれないなとか、みたいなのも考えればいくらでも出てくるわけですよ。

もうちょっとうまくやれれば、そこまでダメージ大きくない形で別れることもできてただろうなみたいなのもあるんですけど、でも結局のところ裁判やるっていう経験をしたことで、

自分の中で経験値がすごい上がって、物事に対してあんまり動じないっていうか、ちゃんとやっていればなんとかなるだろうみたいな氣持ちになれたっていうのは、裁判を経験したからだろうなっていうところもあるんで、そうすると、言ってみたらすごく大事な修行をさせてもらったっていう捉え方もできるわけですよね。

三上:そうですね。なので、今回の質問に対してはすごい、だからこう、何て言うんですか、自分次第ということで。

吉村:そうですね。だから長いスパンで考えたら、結局その物事は良くも悪くもなくて、そのことに対して自分が本当にジャッジしてるだけなんだなっていうことがわかってくると、今度何か選択するっていうときに、選択する基準みたいなものが変わってくると思うんですよね。

僕が本当に皆さんに伝えたいのは、やっぱり人って、もともとは魂が僕たち人間の本質で、魂は愛だけの存在なわけですよね。

だからその人らしい愛の表現をするっていうことが、言ってみたら魂にとってのこの今世、この人として生きるっていう選択をした目的みたいなものだと思うんで、そういう意味では自分が愛であると、

愛だったとしたらどういう選択をするだろうかっていう判断基準で物事を選択していたら、言ってみたら悪い方向には行きようがないんじゃないかなと思うんですよね。

三上:吉村さんのエピソードも踏まえながらですね、わかりやすく伝えていただきました。ぜひこれを活かしながら、今回の質問を考えていただきたいと思います。

今回もすごくわかりやすい説明でした。やっぱり実際のエピソードが吉村さんご自身があるからこそ、すごいわかりやすかったし、聴いているリスナーさんも含め、私も含め、すごい落ちてきました内容が。

吉村:よかったです。

三上:ありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

306.感情や思考について

自分の感情や思考に対してオープンになる方法はありますか?の質問に吉村さんに答えて頂きました。

 

感想、ご質問はこちらにお願いします!
https://forms.gle/HhW7cXuA345QYmDZ7
YouTube:
https://www.youtube.com/c/kokoro-me
Web:
https://m-e-science.com

==================
◆文字起こしはこちら↓

 
三上:皆さん、こんにちは。こころメンテナンス、本日もアシスタント三上恵と、氣功ヒーラーの

吉村:吉村竜児です。

三上:吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:今日は、匿名さんからお便りが来ていますので、読み上げたいと思います。自分の感情や思考に対してオープンになる方法はありますか?と質問が来ております。

吉村:オープンになる方法はありますか?っていうふうに聞いてるってことは、この人自身はオープンになれていないっていう悩みを抱えてるっていうことですよね。

三上:はい、だと思います。でも私、この文面を見て思ったのは、以前も私はそうだったなって思ってます。私も思ういろんな感情を抑えてました。出しちゃダメなんだろうって。

吉村:なるほどですね。だから、オープンになれてないっていうのは、要するに自分の感情や考えを受け入れられてないとか、それを外に出したら、みんなから受け入れられないかもとか、迷惑をかけちゃうかもみたいな、そういう感じだったってことですかね。

三上:そうですね。周りを見ながら、今この感情を抑えなきゃいけないなとか、この時はちょっと出していいかなみたいな、今になったらいろいろわかるんですけど、その当時はそれも合ってるかどうかもわからない、このモヤモヤ感。

吉村:なるほどですね。

三上:あった氣がします。

吉村:なるほどな。でもあれですよね、あんまりネガティブな感情とか、考えを外に向かって垂れ流すのはあまり良くないとは思うんですよ。

結局、それを受け取った側が不快な思いをする可能性が高いから。なので、そこの取り扱い方っていうのは結構やっぱり大事かなと思うんですよね。

多分、ちょっとボタンの掛け違いが起きているところは何かっていうところでは、自分の中から感情が出てくるっていう状態と、それを人に対して投げかけるっていう状態って、これって段階としては別々の段階じゃないですか。

三上:はいはい。

吉村:感情が出てきても、それが人に伝わらなければ別に周りの人に迷惑がかかったりすることはないわけですよね。

三上:そうですね、確かに自分の中でね。

吉村:だから感情を出しちゃダメって話ではないと思うんですよ。

三上:確かに。

吉村:だって感情って何かに対する反応で出てきてるだけだから、もちろんその反応っていうのが何かその人が持っている解釈に基づいて起きるものなんで、その解釈を作り出しているものの中にブロックがあると、言ってみたらネガティブな反応をしなくてもいい場所なのにネガティブな反応をしてしまうっていう現象が起きるわけですよね。

望ましいのはそこでネガティブな反応をしない自分になっていくっていうことが望ましいんですけど、それをやるためにはその反応の元になっているブロックを手放していく必要があるわけですよ。

ブロックを手放すためには何かそういう深いレベルの氣づきを得る、あるいはクリアリングするっていうような方法があるわけですよね。

深いレベルの氣づきを得るためには自分と日々よく向き合っているとか、瞑想をするとかっていうような習慣が必要だったりとか時間がかかるプロセスなんで、そこをクリアリングでもっと簡単に済ませることができますよっていうのがこころメンテナンスで提唱しているクリアリングの話なんですけど、

ただ、ブロックがありますって状態で反応が出ちゃいましたっていう状態っていうのは、ブロックがあれば反応が出ちゃうのは仕方がないことなんですよね。

三上:うんうん。

吉村:このブロックを手放すための最初のステップとしてもすごく大事なのは、自分の中でそういう反応が起きていることに対して、これを良い悪いのジャッジをしないで、まずは自分このことに関してこういう反応が出てるなって受け入れることが大事なんですよ。

三上:なるほど。

吉村:それができるとブロックを手放していくための、まず最初の準備ができてるっていう状態、そこから手放していくっていう方法としてクリアリングだったり瞑想だったりっていうのがあるってことなんですけど。

まず感情が出てきました、それを自分こういう反応してるんだって受け入れるっていうことと、この感情を出しちゃダメだから私はこの反応をしちゃダメなんだとか、この感情を抑え込まなきゃいけないんだっていうのは言ってることが真逆じゃないですか。

三上:確かに。

吉村:感情をいってみたら、これは悪い感情だから出しちゃダメなんだとか、こんなことを考えてしまう自分はなんて悪いやつなんだみたいな感じで抑え込もうとすると、何が起きるかっていうと、

余計に感情とかネガティブなエネルギーが内に向かって入り込んでしまう、内在化してしまうんですよね。で、余計に手放しにくくなってしまうっていうことが起きるんですよ。

三上:でした。

吉村:だから、まずは自分がそういう感情を持ってるとか、何かに関してネガティブな考えを持ってしまうとかっていうことに対して、それを悪いことって捉えるんじゃなくて、自分今そういう状態なんだって受け入れることが大事なんですよね。

三上:まずは受け入れる。

吉村:だから、そこでオープンになるかならないかみたいなところで、何か葛藤が起きてるってことは、感情が出るイコール、それを人にぶつけるというのがワンセットになってるっていう。

三上:そうですね。

吉村:でも、それは自分の感情が何か出てきてても、それを人にぶつけないで済む方法なんて、考えればいくらでも実はあるんですよね。

カラオケ行くとか、運動するとか、ストレス発散とかってやってて、そういう自分なりのストレス発散法を持ってる人たちっていうのは、言ってみたら出てきた感情をそういう形で発散させてるから、人にぶつけないで済んでるんですよね。

なので、そこでちゃんと発散することができてる人たちっていうのは、対人になった時には、この人ってちゃんと穏やかでセルフコントロールができてる人だなって見えてると思うんですよ。

でも、その人たちは感情が出てないわけじゃなくて、出てるけど取り扱い方をちゃんと分かってやってるから、人にぶつけないで済んでるんですよね。

三上:そうですね、確かにこの感情イコール人と向き合うっていうイメージがありましたね。

吉村:そこって自分の感情を人にぶつけちゃうから嫌がられたりとか、後でそのことでまた罪悪感感じたりとかっていうことが起きてるわけで、

まず感情があるっていうことを受け入れて認めるっていうことですよね。

自分は言ってみたら人間だし、人間っていうのは自然界の動物から借りて使わせてもらってるから、この肉体は感情を持ってるものだし、そういうものであるっていう風に受け入れるっていうのが、まず最初大事ですよね。

そこから次のステップとして実際にネガティブな反応のもとを手放していくっていうことは、次の段階としてはあるんですけど、

そこに行く前段階として、まずはそういうネガティブな感情が出てきても、それはしょうがないよねみたいな部分をちゃんと受け入れるっていうことと、

それを人にぶつけないで済む解消方法っていうのを持っておくっていうことができれば、たぶん私こんな感情を持ってしまってみたいなことにはならなくて済むんじゃないかなと思うんですね。

なので、例えば僕、今でこそかなり穏やかな人って皆さんから思ってもらえてるんじゃないかと思うんですけど。

三上:はい、私も思ってます。

吉村:ありがとうございます。もともとはすごい怒りでいっぱいだったわけですよ。世の中とか自分の親とかに対しての恨みつらみとかね。

だから若い頃とかいつもなんか怒ってたわけですけど、そこで僕が選んだ方法は、ヘビーメタルとか激しい音楽を聴くっていうことと、それから格闘技とかねやって、それこそサンドバッグをバシバシ叩いたり蹴ったりとかして、

そういうので発散させるっていうことをしていたから、めちゃめちゃ日頃から怒ってたけど、その割にはまともな社会生活できたんじゃないかなと思うんですよ。

もちろん当時の僕のことを知ってる人たちの中には、特に演劇やってた時代、即興の劇団やってた頃の仲間とかは、当時の僕はかなり怖いやつだって思ってたみたいで、

それは後から聞いてなんかすごい反省したんですけど、そういうようなかなり怒りを持ってたから、多分その当時の僕としては即興演劇やることも一種の感情を解放したりとかね、

発散する方法の一つだったと思うんで、それをやってなかったとしたら多分もっと怖いやつになってたりとか、下手したらすごい攻撃的な人になってた可能性はあると思うわけですよ。

そのぐらいの怒りや攻撃性をうちに秘めてたんで。でもそれを違う形で出してたから、自分の人たちからは怖いやつだって思われてたみたいで申し訳ないんですけど、

全体的に見たら多分そんなにやばいやつ認定されるぐらいのレベルではなかったと思うんで、そこって何かで発散するっていうことはすごくやっぱり、社会生活って考えた時にはすごい効果的だと僕は思いますね。

三上:そうですね。なんか本当に今のイメージだと、全然感じないんですけど。

吉村:それはね、だからその後クリアリングっていう方法を見つけ出して、自分の中の元々の解釈の癖みたいなものを手放すっていうことができたんで、要はなんか怒らなくてもいいことに対して怒ってたんだなっていう氣づきがあって、

それを手放せたから結果今そもそも反応しないっていう状態まで持ってこれたんですけど、でもそれはその反応する元があって反応しちゃってるんだとしたら、そこはそこでもうしょうがないんですよね。

それを抑え込んだとしてもなくなりはしないから、だから反応しちゃったんだったら何らかの形で外に出す必要あるんですけど、その時に人に対して直接的にそれを出しちゃうと、要は相手を傷つけてしまったりとか不快な思いをさせることになってしまうんで、

それだったら何かそういう、例えば運動だったりとか芸術だったりとかっていう形で昇華させるっていうね。

実際にその世の中のいろんな芸術作品とか見てると、作者のすごい怒りがかなり、この人たぶんすごい怒ってんだなみたいなのが伝わってくるものっていろいろあるじゃないですか。

でもそれって何らかの形で作品っていう形にしてくれてるから、その怒りをこっちにぶつけられてるっていう感じじゃなくて、この人すごい怒ってるんだな、でも自分もそういうときあるから氣持ちわかるなみたいな、共感のほうにいけるわけですよね。

だから攻撃じゃなくて、そこで同じような葛藤とか怒りを抱えてる人が共感できて、一緒にエネルギーを発散できるようなものになったら、世の中的にも価値があることだと思うんですよ。

何かしらそういう形で外に出す必要はあるけど、どういう形で出すかっていう、そこが大事ですよっていうところですかね。

三上:すごいわかりやすかったです。匿名さんの質問も今日のお話を参考に、まず自分の思っていた感情を否定せず受け入れる。そこから始めていただきたいと思います。吉村さん、本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。