305.夏休み

8月も残り1日、学生のみなさん夏休み満喫しましたか?夏休みの思い出について吉村さんにお話伺いました。

 

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三上:皆さん、こんにちは。こころメンテナンス、本日もアシスタント三上恵と、氣功ヒーラーの

吉村:吉村竜児です。

三上:吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:さあ、配信日が8月30日金曜日ということで、もう8月も終わりに近づいて、夏休みも終わったところもあるのかな?ということで、早いですね。

吉村:そうですね。

三上:夏休みということで、吉村さんご自身もお子さんといろいろ出かける予定もあったかと思うんですけど。

吉村:そうですね。もちろん、今、収録しているこの時点では、8月の始めの方で、8月の終わりではないから、これからというところもあるんですけど。一応仕事の予定とかも、やっぱり学生はずっと休みになりますけど、やっぱり個人事業主とか経営者としては、仕事をしないとその分収入が下がってしまうので。

三上:そうですね。

吉村:通常通り、仕事の予定は入れていますし、お盆とかもね、僕結局、両親も早くに亡くしちゃってるし、だから、そういういわゆる帰る田舎とか地元みたいなのは特にないんですよね。生まれ育った場所とそんなに離れてないところで今暮らしてるから、あんまりお盆で帰省するみたいな発想もないから。

それこそね、娘たちとトライクでツーリングで巨石を見に行こうかみたいな話をしていたりとか、あとは音楽ライブとかを配信で視聴したりとか、そんな感じで、まあそういうトライクでツーリングする以外は基本的にはいつものインドアな生活をして、アニメ見たり映画見たりとかっていうような時間の使い方になるんじゃないかと思うんですけどね。

三上:なるほど、いいですね。でもなんかこう、私もそうですけど夏休み家族と過ごした思い出っていうのは、大人になっても自分の、私の場合はですよ、ベースとしてやっぱり息子にもそうしたいっていう考えは、やっぱり親から教えていただいたその環境だったり楽しみ方っていうのは今でもあるのかなっていうふうに感じたりするんですけど。

そうですね、家族で出かけたり、何氣ないお弁当作って、どこに豪華な場所に行くわけでもないんですけど、自然と触れ合いながらっていうところもやっぱり自分の今の自然が好きなところに戻ってきてるのかなって。

吉村:いいですね。

三上:息子にもそういった、遊園地だけじゃないんだよ、自然もこうだよっていうのはそこから教えてもらったのかなって改めて感じたりもするんですけども。

吉村:いいですね。僕の場合はね、子供時代結構家庭がすごい崩壊してて、転々といろんなところで暮らすみたいなこともあったんで、僕の中で一つ確立している夏休みはこういう感じみたいなのがあんまりないんですよね。時々だいぶ様相が違うっていうかね。

なので、今は逆に僕の娘たちはずっと同じ家で、同じ地域でずっと18年間暮らしてるんで、それがどういう感じなんだろうっていうのは僕の中ではちょっと第三者として観察してるみたいなところがあって、自分自身が同じ地域で同じように毎年夏休みがあって同じ両親でずっと暮らしてとかっていう経験をしてないから、それがどんな感じなのかっていうのは娘たちを観察して、間接的にこういう感じなのか面白いなみたいな風に見てるっていうかね。

それが良いか悪いかっていう話ではないんですけど、なんとなく娘たちはきっとそれなりに楽しく幸せに生きてくれているんだろうなって思いながら、それを父親として見てるっていうね、この時間の過ごし方が今の僕にとってはすごく穏やかでありがたくて、

夏休みとかも学校がなくて娘たちが家にいると、うちの奥さんはご飯作ったりとか世話しなきゃいけないみたいなので大変っていうのはあるんでしょうけど、それこそだいぶ夏休みだからといってダラダラ遊びほうけてるっていうよりは、

ちゃんとその間に課題をきちっと片付けていくとかっていうのは、うちの奥さんが指導してくれたおかげで娘たちはちゃんとやってるんですよね。僕なんかは結局、親からほったらかしにされてたから、夏休みの宿題とかまともに全然やった試しがないんですよね。

三上:ふふ。

吉村:結構早い段階から、うちの奥さんは娘たちに夏休みの宿題を早めに終わらせるっていうことを習慣づけさせてたっていうかね。こうしなさいっていうのはすごく細かく指示を出してたっていうのがあるから、逆にその指示を出されないと何もできないみたいなところが出ちゃってる部分もあるんですけど、

そこら辺はだから、どこまで指示をしてどこまで自主性を持たせるか、自主性を持たせるための指示の出し方みたいなのを研究して、だいぶそのまた今ちょっと軌道修正してきてるんですけど、でもなんかちゃんとその課題を、だから要は毎年夏休みの課題をきちっと提出するっていうことをやってて、なんか僕全然それやった試しがないからすごいなーみたいな。

三上:見ながら逆にね。

吉村:そうですね。もうそれこそ15からアメリカに行ってしまって、アメリカの学校って新学期が夏休み明けなんで、夏休みって基本的に宿題出ないんですよね。

三上:ですね。アメリカの場合はね。

吉村:だから夏休みの宿題を本当にまともにやってないんですよ。小学校中学校とかなんかすごい適当にしかやってなくて、だから夏休みの宿題を全部きちっと終わらせて、全科目で提出しましたってことは多分僕小学校中学校通してないですね。

三上:いろんなところ見れてますね。自分自身と逆にお子さんがこうしっかりやってるパターン。

吉村:うちの奥さんからするとその夏休みの宿題をやらないっていう人のなんか考えがわからないみたいなね。小中学校の時にそういうのを出さない人たちを軽蔑してたっていう。同じクラスだったら軽蔑されてたんだなって感じなんですけど。

三上:いいバランスで、吉村さんのところちゃんとサポートない部分がお互いいろんなピースがはまる感じなんでしょうね。今お話聞いてると。

吉村:いやもうありがたいですね。僕が一人で子育てしてたらとんでもないことになってたかもしれないんで。

三上:お話聞きながら素敵だなと思って。ただ私伝えたいことが皆さんにあって、例えばお子さんもそうですけど大人の皆さんも、例えばここに連れてってあげられなかったとか。親の目線だったらね、お仕事で忙しくてとか。

子供だったら本当にみんなが行ってるディズニーランドに行きたいとか、どこどこに行きたいって思うんですけど、その時はね。でもきっと子供たちは些細なことで楽しみを見つけられてると思うんですよ。

大人になってお母さんたちが頑張ってくれたっていうのをちゃんと見てるし。だからそこは氣にせずちゃんと帰ってきた時に子供と向き合ってほしいっていう、場所じゃなくて。そういった時間を大切に、私の個人的な意見なんですけど。ここに連れてってあげたかったなとかっていうよりは、そのことをちゃんと帰って向き合ってほしいっていう方がありますね、思いが。

吉村:そうですね。コミュニケーションをきちっと取っていくっていう話でもあるのかなって感じはしますよね。1個こっちから言うだけじゃなくて、ちゃんと話に耳を傾けて、なおかつこちらのいろんな思いとかもきちっと伝えていくみたいなね。

三上:そういうことを言ってくれたらたぶん子供たちも理解してくれるのかなって。全部があれじゃなくても思いは少しでも受け取ってもらえるのかなと思うので、そういったところをやっぱり口でちゃんと、行動と口でっていうところも大切なのかなって思ったりしますので。夏休み、子供たちにとって大きなイベントというか、大きな行事の一つになってくるので、そういったところも大切なのかなと思います。私自身が育ってきた環境の中で。

吉村:会話があるとかっていうのもやっぱり大事ですよね。

三上:今はやっぱりスマホで。よく思うんですよ、ご飯食べに行ってても、みんなスマホ家族、お父さんお母さん、子供もスマホを見てるんですよ。それを見てると、私的にはですよ、ここに食べに来る意味あったのかなとか個人的な意見ですよ。なんかね、うーんって思ったりする場面があって、時代になっていくのかなって思いながらも、やっぱりちょっと悲しいなって個人的にはすごい思ったりしてました。

吉村:なんかね、スマホで情報を取り入れるっていうのも、例えばそれをまた、これ面白いなって思ったのを一緒に見るみたいなね、ということしたら、たぶんまたそこで交流ができると思うんで、たぶん一人一台持ってるから、みんなそれ見てそっちばっかりになっちゃうと、こっちの対人っていうところがどんどん希薄になっちゃうと思うんで、

せっかくいいテクノロジーだから、人生を豊かにする方向に使うこともできると思うんでね、スマホと自分ばっかりの中に取り込まれていくと、たぶん言ってみたらテクノロジーに支配されてるようになっちゃうから、自分主体でそのテクノロジーをうまく使いつつ、人生をどう豊かにするかみたいなことができると、もっと家族間の会話のネタになるのかもしれないし、楽しい時間を過ごすための道具として使うことも可能だと思うんですよね。

三上:そうですね。スマホでこういうの買ったよとか、ここどう?ってみんなで情報を語るとか。

吉村:うちは僕だけじゃなくてみんなで見てて、かわいい猫動画とか見つけると。

三上:いいじゃないですか。そういう風景だとほっこりするんですけど、最近そういう場面が多かったので、ここ踏まえてね、やっぱり人対人っていう時間も大切にしてほしいな、夏休みって思いました。はい、ということで今日はもうちょっと夏休みを振り返りじゃないですけど、思い出も話しながらストーリー、吉村さんとお話しさせていただきました。はい、本日は吉村さんありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

304.個性的で魅力的な人

型にハマってない個性的で魅力的な人ってみなさんの周りにもいませんか?そのような人が惹きつける魅力とは?

 

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三上:皆さん、こんにちは。こころメンテナンス、本日もアシスタント三上恵と、氣功ヒーラーの

吉村:吉村竜児です。

三上:吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:今日は、吉村さんもそうだと思うんですが、私もやっぱり仕事柄、一般というか、いろんな個性的な方が多いんですけども、今日のテーマは、型にはまってない方の魅力について、ちょっといろいろ吉村さんとディスカッションというか、お話できたらなと思うんですけど。私の周りに、悪く言えば変態が多いんですよ。

吉村:なるほど。

三上:変態。でも、良く言うと、すごい魅力的で個性的な方が多いんですけど、私はそういった方に、まずどんな方なの?どういう考えがあるの?どういう経験してきたの?っていうところで、まず変態って聞くと、ん?待って待ってってなるんですよ。

吉村:なるほどですね。

三上:昔は、そんなことなかったです。変態って聞くと、ちょっと距離を置く感じのタイプだったんですけど、今はいろいろやっぱり経験値も増えて、いろんな方と出会って、すごい個性的な方に魅力を感じるんですけど、吉村さんご自身はどうですか?

吉村:そうですね。僕もやっぱり、個性的な人たちの方が、魅力的に感じるところはすごいあるんですよね。ただね、多分世の中の型にはまっちゃってるふうに見えてる人たちっていうのも、たぶん、よくよくすごい話を聞き出したり、それこそ調べ上げたりしたら、たぶんね、すごい個性的なんだと思うんですよね。

だから、そういう意味では、別に本当の意味で個性がない人っていないんじゃないかなと思うんですけど、世の中に適応するために、いってみたら自分の個性を抑えて、世の中の求めているとされている在り方に自分を当てはめて、型にはめてっちゃった結果、型にはまった人たちができてて、

逆に、そこに型にはまらない人たちっていうのは、そこで型にはまることに意義だったり楽しさを見出せなかった人たちとか、あるいは型にはめようとやってみたけど、はまりきらなかった人たちみたいな人たちが、いってみたら個性的な人たちっていう話になるんじゃないかと思うんですよね。

三上:確かにそうかもしれないです。今お話聞いて、型にはまってない方も、実際掘り下げたらいろんな経験値があったり、かもしれないですね。

吉村:そうですね。あと、変態っていう言葉は多分、時とともに定義が変わってきてから、だから、昔変態って聞いて、わって感じてた時の変態っていう言葉は、どっちかっていうと性的な意味合いみたいなね。性的な思考がちょっと一般的じゃないみたいな意味合いのが強かったと思うんで、そうすると変態、嫌みたいな感じだったと思うんですけど、

今って変態っていう言葉の定義が変わってきて、それこそすごくマニアックな打ち込み方をしてる人たちのこととかも変態っていうじゃないですか。アイスがすごい大好きで、すべてのメーカーのアイスを食べ比べして、データ取ってるんですよみたいな。変態的ですねって感じになるわけじゃないですか。

三上;なります、なります。

吉村:それが一種の褒め言葉っていうか、すごいですねみたいな話で、そこら辺ってちょっと変態っていう言葉の意味が変わってきてるんだろうなっていうところですよね。それってオタクっていう言葉の定義も変わってきてるじゃないですか。昔はオタクっていうとコミュニケーションまともに取れない、根暗な奴らみたいな感じでしたけど、

それこそオタクって言葉もさっき変態でお話ししたような、一つのことにすごい特化して打ち込んでる人たちとか、そのことに対してすごく造詣が深い人たちのことをオタクって言うようになってきてるから、そういう意味合いだとオタクと変態って同義語みたいな感じの扱いになってると思うんですよね。

僕自身、自分でオタクだなと思うところはあって、特定のジャンルのことで言えば、全然僕をはるかに凌駕してる人たちすごくいっぱいいるわけですよね。

三上:うん。

吉村:僕アニメ大好きですけど、じゃあ僕自分のことアニメオタクと言えるだろうかってなった時に、多分世間一般の平均っていうところと比べたら多分いろんなアニメ見てるし詳しい方だなと思うんですけど、世の中のアニメオタクっていう人たちの中でってみたらだいぶ僕ぬるいんですよね。

そんなに全部の作品を網羅して見てたりしてるわけでもないし、結構好きなジャンルとか偏りがあるから、アニメ好きな人たちからしたら、アニメ好きだったらこれ見とかなきゃダメだろうみたいな作品を全然見てなかったりもするんですよね。

だから、そこらへんってなんだろうな、これもまただから例えばアニメ好きならこうあるべきみたいな型みたいなものになってしまってる可能性もあるわけですよね。だから、ここにまた自分はアニメオタクだから、アニメオタクとはこうあるべきっていうこの型に自分をはめていかなければいけないのがあるとなっちゃったら、多分やってること一緒なんですよね。社会人だったらこうあるべきみたいな自分を当てはめていくっていうのと。

だから、そういうものからいかに自由でいられるかみたいなことっていうのは、僕は結構自分らしく生きていくっていう上では大事かなって思うんですけど。これって多分、今の世の中がみんなと一緒じゃない人でも居場所を見つけられるとか、そういった意味での多様性とか寛容さが出てきたから成立してることなんじゃないかなって思いますよね。

三上:うん。

吉村:僕たぶん小中学生の頃って、大体みんな、みんなと同じであることが正しいっていうような、例えばテレビをつけるとだいたい高視聴率の番組って決まってるから、みんなだいたい土曜日の夜は「8時だよ全員集合」見てるとか、流行りの歌は全部「ザ・ベストテン」でいれられてるとか、そういう感じだったんで。

そこがね、結構ちょっとそこから外れるみたいなのは、なかなか大変な周りからの圧みたいなものを感じながら、それでも自分はね、どうもベストテンでかかる曲とかピンとこないんだよなみたいなので、僕は洋楽とか聞き出したんですけど、周りに本当に洋楽聞く人いなかったから、小学生の時とかすごい多分浮きまくってたでしょうしね。

だからあんまり学校でも好きな曲の話とかはしてなかったと思いますよ。話題に出しても誰も知らないし、ベストテンの何とかちゃんの何とか見た?とか言われても、あんまり知らないみたいなね。ピンクレディの新しい曲がとか、女の子たちが話しててもそうなんだみたいな。

三上:でもやっぱり子供の頃から持ってたんですね。

吉村:僕は子供の頃から変わり者だったんで、僕の場合はもう本当に、型にはめようと思ってもそれができないっていう感じでしたよね。合わせた方がいいのかな?みたいな氣持ちもあったんだけど、どうにもそれができないっていうか、自分がワクワクする対象が全然違うんですよね。

だから当時誰もやってなかったようなことみたいのに、なんかこう惹かれるものが多くて、パソコンとかもね、周りの人誰も触ったこともないようなものだったけど、すごく興味があって。で、実際にだから、僕、父が会社を始めたから、その会社にパソコンが導入されたんで、それで、そこの父の会社のオフィスに、休みの日とか遊びに行ってパソコンいじったりしてたんですけど、

なんか僕の記憶をたどると、たぶんその前の段階ですでに、なんか雑誌かなんかで今なんかこういう新しい、世の中にこういう新しいものが出てるみたいな、なんかこうそういう記事を見て、で、これは面白そうと思って、それでそのパソコンに関するなんか本とか雑誌とかを、もうなんか先に読んでたんですよね、実際現物触る前に。

三上:へーすごい。

吉村:で、なんかこれ面白そうみたいな、なんかちょっといつか触ってみたいとか、これでなんか自分でゲーム作ったりして遊べるのか、すごいなみたいな感じで、思って本とか見てたら、したらしばらくしたら、そのなんか父がね、あのなんかお父さん会社始めることにしたとか言って、えー何?みたいな感じで、

それでなんかそのパソコンがあったから、えーパソコンだ!みたいな。で、社員の人たちがそれでプログラムをカチャカチャ組んだりしてて、で、それでそこに休みの日に遊びに行って、なんかこれ教えてーとか言って、なんかちょっと邪魔な子供みたいな感じだったんですよね。

なんか仕事の合間にその社員の人がなんかいろいろ教えてくれて、で、なんか自分でプログラムを組んだりとかして遊んだりとか、そこからもうずっとなんかそういうパソコンとか、ITガジェットみたいなものっていうのを、ずっと好きでなんか、それと共に生きてるみたいなところがありますよね。

三上:いやでも本当にあの昔に比べ、そういったね、あの型にはまってない方も生きやすい、働きやすい、過ごしやすい時代にもなってきたと思うので、なんかね、少し一緒じゃないからって、でもその人の個性がいろいろね、表でも表現しやすい時代になってきたので、ぜひあの、リスナーの皆さんにも、今日お機会に型にはまってない方も、ちょっと魅力をですね、探していただきたいということで。

吉村:そうですね。あとはその、なんだろうな、型にはまらなくてもいいんだよっていうことが、一つの選択肢として持ってもらえるといいですよね。たぶんその、本当はなんか内心めちゃめちゃ個性的なのにもかかわらず、なんか型にはまらなきゃいけないって思って苦しい思いして生きてる人たちっていうのが、実は結構いるんじゃないかなと思ってて。

僕のところに個人セッションとかで相談に来られる方たちも、結構やっぱりそういう、型にはまれないんだけどすごくそれをやんなきゃいけないって思ってるために苦しんでるって人たちは結構多いんですよね。だから、もちろんね、なんだろうな、周りにある程度合わせられるようなスキルを身につけるっていうことも大事なことだと思うんですけど、

でもね、そのために自分を押し殺してずっとなんか生きていくとかってやっぱりしんどいじゃないですか。だからその、なんか居場所がないなら自分で作るぐらいの氣持ちでやったほうがいいんじゃないかなっていう氣がしますよね。

三上:ぜひこれをきっかけに皆さんにもそういったね、方もいるんだよってところを理解を深めていただけたらなと思いました。はい、本日も吉村さんありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

303.直感

直感はあたるなんてよく聞いたことありませんか?そもそも直感とはどこからくるの?

 

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三上:皆さん、こんにちは。こころメンテナンス、本日もアシスタント三上恵と、氣功ヒーラーの

吉村:吉村竜児です。

三上:吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:今日のテーマはよくね直感、女性、女性に限らずかな、女性直感を当たるとかも聞いたりしますけど、直感についていろいろお話、吉村さんと伺っていきたいなと思いますが、吉村さん、直感ってあるじゃないですか。これもしやみたいな感情が出てくる瞬間があるんですけど、これっていうのはどこから出てるというか、なぜその直感で出てくるのかなと、まず。

吉村:なるほどですね。直感って、定義みたいな話をすると、瞬間的に出てくる考えとか感情とかで、それに従って自分が選択をするかどうかみたいな話なんじゃないかと思うんですよ。

で、その瞬間的に出てくるものって多分いろいろあると思うんですよね。なんか例えば、何かに対する反応でその瞬間的な感情が出てくるとかね、自分が例えば氣にしている、コンプレックスに感じているようなことを誰かに言われたりしたら、瞬間的になんかその怒りのスイッチが入るとか、防衛的になって、こいつ敵だみたいな感じになったりとかっていうのも、これも瞬間的に出てくるものですけど、

多分世の中的に言われている直感に従った方がいいよみたいな話で言ってる直感っていうのは、そういったものとは多分違う話じゃないかと思うんですよ。

三上:うん。

吉村:で、だからまず多分スピリチュアルの界隈だけじゃなくて、いろんなところで直感を信じた方がいいみたいな話で出てくる直感っていうのは、多分自分自身のスピリットとか高次元の意識がキャッチして、情報を受け取った時のことを言ってるんじゃないかなと思うんですよね。

これは僕たちの顕在意識っていうのは、今この瞬間に五感から入ってくる視覚情報だったり聴覚の情報だったりっていうところから来る情報を受け取って、それに対して反応してるわけですよ、顕在意識っていうのはね。だけど潜在意識、無意識のレベルではもっと多くの情報を一氣に受け取って、それに対する処理がなされてて、潜在意識の中で行われた処理の結果が顕在意識に現れてきてるわけですよね、多くの場合。

そうするとその中には、僕たちがブロックって呼んでいる恐れに基づいた反応のパターンっていうところから来るものと、それからブロックよりももっとさらに深いところの自分の魂であったりとか、高次元の、いってみたらその人がこの三次元の世界でうまく生きていくために見守ってくれてるようなシステムとかもあるわけですよね。

それは例えば守護霊みたいな言い方をされてるケースもあるし、自分のハイヤーセルフだとかいうような、そういった領域で、より俯瞰した場所からこの世界を見てて、ある程度先が前もって見えてる状態での情報で、何かそっち行くと危ないよとか、こっち行った方がうまくいくよとかいうようなアドバイス的なものを受け取ってたりすることもあるわけですよね。

これがだから、実はその出どころが違うわけですよ。恐れに基づいた反応のシステム、これがブロックですね。

三上:はい。

吉村:これはいってみたら怖いから、なるべく危険から身を守ろうとかね。あとは未知のものと出会ったときに、これが危険か安全かとか、敵か味方かみたいなね。そういうのを早いところ判断して、それで自分をいかに危険から遠ざけるかみたいなことをやってるわけですよ、ブロックはね。

だけど、スピリチュアルな領域、自分の魂、ハイヤーセルフとか、守護霊的な存在とかは、いってみたらその人の魂がこの人生で成し遂げようとしてることをちゃんと遂行していくためにはこっちに行った方がいいよってことを教えてくれるわけですよ。

ここのどっちの情報を受け取ってるのかによって、その先の展開がすごく変わっていってしまうんですよね。ブロックのいうことを全部聞いてると、どんどん疑心暗鬼になっていくし、いってみたら新しいことにチャレンジするよりも、誰もいないところで静かに引きこもってる方が危険に晒されないで済むみたいな発想になってっちゃうんですよ。

三上:うんうん。

吉村:これに対して、魂はもともと何かやりたいことだったりとか、表現したいことがあってこの世界に来てるから、それをできなくなってしまうわけですよね。ブロックのことばっかり聞いてると。そうすると魂はやりたいことがあってこの世界に来てるのにそれができないってなると、いってみたら目的が果たせてないからどんどん元氣を失っていってしまうわけですよね。

三上:うん。

吉村:ここが直感っていうのが、自分の魂の深いところからきいてるのか、それとも潜在意識のまだ浅いところにいるような恐れに基づいたものですよね。これは擦り込みだったり過去のトラウマだったり、先祖とかから受け継いでしまったパターンだったり、いろんなもののケースがあるんですけど。

ここは他の配信でもちょくちょくお話に出してると思うんですけど、恐れに基づいたパターン、ブロックっていうのは感情的なエネルギーでいうと恐れのエネルギーでできてるわけですよね。

三上:はい。

吉村:自分の魂から来るメッセージですよね。これっていうのは言ってみたら愛のエネルギーでできてるんですよ。これがやりたい、これが好き、これと一緒になりたいとか、これと近づきたいとか、これ全部愛のエネルギーなんですよね。何かに近づきたい、一つになりたいっていう方向に力をかけてるエネルギー。

逆に恐れは怖いから引き離したい、離れたいっていうこっちのエネルギーで、この力のかかってる方向っていうのが結構重要なんですよ。だからそれを例えばスピリットから来るエネルギーっていうのはワクワクするんだみたいな感じで表現されてるケースが結構あると思うんですけど、とにかくそれが好きとかそれと一緒に、要はそれと一緒にいたい、一つになりたい、近づきたいみたいなその感覚っていうのが実はすごく大事なんですよね。

三上:うん。

吉村:これが好きなことをやってる時に感じるワクワク感っていうのと、嫌な状態から逃れられたっていう開放感みたいなのって、似てるんだけど、実は似て非なるものなんですよね。

ここの違いが見極められるかどうかっていうのは結構すごく重要なポイントで、だからそこに恐れのエネルギーが含まれてない直感っていうのが来た時に、それは多分乗っかった方がいい内容なんですよね。

だけどこれが見極められないと直感的にこう感じたんだと思ってそっちに行ったら結果悪い展開になっちゃう、その人にとっての悪い展開になってしまうってことがあり得るんですよね。だから直感は大事にしたいんだけど、いつでも直感頼みになっちゃうっていうのは危険かなと僕は思ってて。

三上:うんうん。

吉村:だから僕はたまたま特性としてすごく物を考えたり分析したりすることが好きなんで、直感的に感じたことがあったら、いってみたら、大体こっち方向に行った方が良さそうだなって直感があったとしたら、大体頭とか心ではそっちに行くだろうなっていうのはある程度決まってはいるんだけど、

念のためそれが理にかなってるかどうかみたいなことを考えるんですよね。いろいろと情報を集めたり分析したりして、それで直感的にこっちって思ったけど、確かにこっちに行くのは理にかなってそうだっていう2つのプロセスを経てそっちに進んでいくみたいなね。だからなんとなくそっちに進む方向にちょっと舵を切りつつ確認するみたいなことをやってるんですよね。

三上:うん。

吉村:だから大体それで自分で腑に落ちた状態で進んでいるから、多分うまくいってるんだろうなと思うんですよ。でもこれって考えたり分析したりするのって誰でも得意かって言うと、多分そんなこともないと思うんで、だからそうするとそこは直感で受け取った方にパッと舵を切れる人がうまくいくっていうケースももちろんあると思うんですよね。

だからそこら辺はご自身の特性を見極めるっていうことも大事だと思うし、あとは恐れから来ている恐れのエネルギーが含まれているかどうかみたいなことにちょっと敏感になるっていうかね。結局、しんどい状態から解放されたとか解放されるかもしれないという時に、人はカタルシスによる解放感を感じるんですよ。

で、結構そこと自分が好き、ここに近づきたい、俺と一緒になりたいっていうこの感覚の違いっていうのが分かっているかどうか、分かっていない人は結構多いと思うんですけど、ここの違いを見極められるようになるっていうのはすごく重要かなと僕は思いますね。

三上:なるほど、皆さんも是非ちょっと直感がね、きっと皆さんもあると思うんですけど、その中でちょっと待てよと。一回ちょっとその直感はどこからみたいなところを考えて。いろんなタイプのいろんな性格もいると思いますし、私も参考になりました。この感情はっていうところを一旦どこからワクワクしているのかとか。

吉村:そうですね、何でしょうね。例えばその直接的な身の危険を感じるみたいなところの感覚っていうのも、結局そのじゃあそういうね、僕たちの肉体っていうのは、事故にあったりしたら大怪我したり死んだりする可能性があるっていうね、すごく有限でか弱いものだから、そこはその身の危険を感じた時にパッとそこから離れるみたいな、なんかそういうのも大事っちゃ大事なんですよね。

ただ、だからこれがその自分が何かどっちに進みたいかっていう時に受け取ってるものなのか、あるいはそのなんかこう本当に危険だからその場をなんか離れた方がいいっていうことなのかっていうところも見極めた方がいいですよね。

実際にね、僕もだからあの虫の知らせみたいなことだったりとかね、なんか本当にあのちょっと不思議なケースだと、なんか友達と街中で立ち話をしてた時があったんですよ。すごい広い道路のある通りのところで、カフェみたいなところの前で立ち話ししてて、で、なんかよくわかんなかったけどちょっとこっちに移動しようよってなんか僕は言って、そのなんか友達数人とその場をちょっとこう移動したんですね。その時に僕がなんでこっちに移動しようよって言ったのかっていうのは、なんかその思い返してみてもよくわかんないんですよ。

三上:うん。

吉村:ただなんとなくだからこうあの通ってる人の邪魔に、往来の邪魔になったりするんじゃないかなみたいな感覚だったんだと思うんですけど、でもその日その時ってなんか徹夜明けですごい早朝だったから周りほとんど人いなかったんですよね。

だからまあそんなにそのそこにいてもそのなんかこう人の邪魔になるみたいな話ではなかったにもかかわらず、なんかちょっとこっちに移動しようって言って端に避けたらそしたらそこに車がボーンって突っ込んできて、だから多分なんか居眠り運転とかだったんじゃないですかね。

三上:あー怖い。

吉村:居眠りだったのか酔っ払いだったのかわかんないですけど、なんか突っ込んできてそれでそのカフェにガチャンってぶつかって、だからあわや大事故ですよね。だからそれとか、もうあれもだから多分何か直感の一種だと思うんで、でもあの時も別にそのなんかこうどっちかというとその恐怖心みたいな恐れに基づいたなんかっていうのはないんですよね。

なんかよくわかんないけどふっとなんかここを移動した方が良さそうだなみたいな感じになったんで、その友達と一緒にちょっとこっち側に移動しようって言うんでなんか移動したらゾロゾロゾロって移動したらガシャンってきたっていう。

だからそういう意味ではね本当にその僕たちって見えない世界からすごいたくさん情報をもらって、そのなんか活かされてるんだなっていうのはねあるんで、なんかその受け取った情報のその入ってき方みたいなところですかね。

そういうのにこう意識を向けるとその自分がそのあれですよね。採用した方がいいものなのか、それともこれはあまり氣にしないでなんか脇に避けておいて、まずは進んだ方がいいって話なのかっていうのもだんだん見えてくると思うんですよね。

だから直感と自分が感じているものっていうのをちょっといろいろとその検証したりとか、なんかよく観察してみるっていうその辺が結構役に立つんじゃないかなと思うので、良かったらチャレンジしてみてください。

三上:そうですね。なんかいろいろチャレンジしたこの直感だといいんだろうっていうふうに自分の経験をね、していただいて、いいかもしれないですね。なんかいろいろやっぱり人間はまだまだ知らない世界があるんだろうなと思いながら今日もお話聞かせていただきました。吉村さん本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

302.歳を重ねての好みの変化

子供の頃に好きだった場所や食べ物が大人になると変わる方もいらっしゃるのでは、なぜ変化がおきるのか?

 

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三上:皆さん、こんにちは。こころメンテナンス、本日もアシスタント三上恵と、氣功ヒーラーの

吉村:吉村竜児です。

三上:吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:吉村さん、先日かな、私お休みの時に、収録日の週末かな、いつも海に行くんですけど、その時はね、なぜか森に行きたいなということで。

最近、森と川で遊んできたんですけど、やっぱり私自身、年を重ねることによって、昔はディズニーランドとか、都会に行ったりとか、飲みに行ったりっていうのが楽しかったんですけど、最近はですね、自然に触れることが私の楽しみになってきたんですけど、やっぱり、どうですか、吉村さんご自身は、年を重ねての好みの変化だったりってありますか。

吉村:それはすごい感じますね。

三上:ほうほう。

吉村:例えば、味の好みなんかはだいぶ変わったなって思いますし、例えば、子供の頃に好きで食べてた駄菓子とかね、やっぱり大人になって食べるとすごい大味で、これ大好きだったんだよなと思って食べてみたら、こんなの食べてたんだみたいな感じになることもあるし、逆に子供の頃食べられなかった、苦手だった食べ物とかが、今はすごくおいしく感じるようになったりっていう、この辺は、味を感じる感覚が、昔と比べてすごく繊細になったんだろうなって思うし、

都会が好きだったところから自然が好きになったっていうのは、これも少なからず僕も感じている部分があって、子供の頃とかはね、僕は川崎の工業地帯とか、駅の近くで盛り場が多いようなところで育ったから、大体遊ぶ場所ってゲームセンターだとか、そういう感じの雑踏みたいな中で遊ぶ場所を見つけて遊んでたみたいなところなんですよね。

一時期、小学校3、4年の時に父親と2人暮らしした時は、川崎の隣の横浜で、横浜っていうと海の近くのおしゃれな場所っていうイメージを持っている人多いと思うんですけど、実は結構山もあって、海から離れると途端にすごく田舎な感じになるんですよ。

山の中をちょっと切り開いて住宅地作りましたみたいなところに住んでたんで、そうすると子供たちがそのあたりで遊ぶところっていうと、やっぱり裏山とか沼とかそういうところでザリガニとったりとかね、カブトムシとったりみたいな遊びになるんですけど、結構子供の頃は川崎の都会で育って、それでいきなりそこに行ったら、そこに適応するのが難しかったっていうかね。

ゲームセンターとかもないし退屈だみたいなのもありましたけど、またそれで川崎に戻った時にはちょっとほっとしたみたいなところはあったんですけど、それは多分僕がそういうところで生まれ育ったからそっちの方が合ってたっていうのはあると思うんですけど、若い頃はやっぱり何でもかんでもいつも刺激を求めてたなっていう感じはありますよね。

三上:それが今となって満たされたんですかね。

吉村:だから刺激が欲しいっていう心理状態って、一つには新しい情報を取り入れたいって、結局人生の今までの積み重ねみたいなのがないから、いってみたら空っぽな状態なわけじゃないですか。そこに対して刺激を取り入れることで、要は新しいもので自分の中を満たしていくみたいな、そういうことをやろうとしてたんじゃないかなっていうふうに振り返ってみると感じるところはありますよね。

だから何でも知らないこと、新しいことに飛びついて、新しいことをやっていきたいみたいな、他のみんなが知らない何かを知っている自分になることでちょっと差をつけたいとか、そんなような意図でいろんな情報集めをしてたなとか、経験値稼ぎみたいなことをしてたなっていう感覚はありますよね。

三上:確かにそうですね。氣になるって思ったらそこに行ったりとかあったと思うんです。だいたいそれが満たされたからかなって今、話を聞きながら吉村さんの、私もそういうことなのかな、今自然に戻ってきてるのはっていうふうに。

吉村:だから結構そういう刺激的なものってだんだん慣れてきちゃうし、言ってみたら似たようなものがちょっとだけ姿形を変えてローテーションのようにやってきてるみたいなところもあるじゃないですか。

だからこれ新しいぞってわっとテレビとかで話題になるみたいなものが来たとしても、人生経験がある程度あると、でもこれって昔流行ったあれとあんま変わんないよねみたいな感じになってくるから、あんまり刺激に簡単に飛びつかなくなってきちゃったっていうのはあるんじゃないかなと思いますよね。

三上:確かにだいぶ落ち着きました私も。これね、そうねぐらいの。新しい新メニューとか今流行ってるご飯とか見ても、でも私こういう氣分じゃないなとかね。

吉村:だからどっちかっていうと、また多分より繊細なものとか、やっぱり刺激の先にある細かい情報、これが情報として捉えた場合、刺激って言ってみたら荒いっていうかね、波動みたいな捉え方すれば、大きくて鋭角な波動みたいなね。

すごい振れ幅が広い大きな波動は目立つから、そこの刺激を楽しんでいたんだけど、その辺の刺激がだいたいこんなもんだってわかってきたら、実はその大きな波動の奥にすごくきめの細かい波動が隠れてて、そっちに意識が向くようになったら、

こっちの方がより奥が深くて、広くて深い世界が実は広がってたみたいなね。雑踏の騒がしさの奥の奥にすごい耳を澄ましたら、実はすごくきれいな旋律の音楽が流れてて、それが最初は雑踏の大きな音だったりとか、そういう騒がしさでかき消されて氣がつかなかったんだけど、そっちの大きな音にばっかり意識が向いてたのが、

そこが耳を澄ませたら、実は全然その雑踏とは違った世界がその奥に広がってたことに氣がつくことができるようになったみたいな、そういうことが人間的な成長みたいなところと連動してるんじゃないかなっていう感覚はありますよね。

三上:うん、ありますね。若い頃は新しいデータとか情報とか欲しかったけど、一通り経験してみると自分が今必要と求めてるものというところでは、やっぱり食べ物も環境も人もだいぶ付き合い方、向き合い方変わってきたかなって思いますよね。

吉村:なんかやっぱりその若い頃って、今と比べるとなんかもっとなんかすごい必死だったんだなっていう感じがあって、たぶんこれっていってみたら、若い頃ってDNAが種を保存しなければいけないみたいな本能を持ってて、それにすごくなんか突き動かされて、なんかすごいこの生存競争みたいなのをやってたんだと思うんですよね。

だから、なんとかして異性にモテて、自分のDNAのコピーを残さなければいけないのであるみたいなのは、少なからずたぶんDNAからそういうメッセージって、僕たちは思春期の頃から受け取り始めてるんですよ。それをどのぐらい自覚してるかどうかっていうのはちょっと個人差はあると思うんですけど、

だから今思うと本当に、いかにして異性にモテるかみたいなことにだいぶ自分の時間とか、自分の脳の容量みたいなのをすごい使ってたなって思うんですよね。だから、みんなからすごい奴だって思われたいみたいな、だいたい、元をたどっていくと結局のところは異性に見えるからモテたいっていう話で、

それは性的嗜好みたいなので、人によってそこに差はあるから、場合によっては別に異性じゃないかもしれないけど、でもとはいえ、なんだかんだで、不特定多数からチヤホヤされたいみたいな、そんなようなのがすごく当時あったわけですよね。

三上:うん。

吉村:別にそういう時代があることを否定はしないですけどね。多分、それがあるからいろんな文化が生まれたりとか、新しい発明が生まれたりっていうのも、そういう本能に突き動かされた欲求みたいなものがあって、それを満たすために何をするかというようなことを僕たちが先祖代々繰り返してきたから、多分、いろんな文化的な発展とかもあったんだろうと思うんですけど、

ただ、結局それって一過性のものなわけじゃないですか、なんだかんだ言って。だから、そうするとその波が過ぎ去った後に、なんかあれって、自分そこまで今それ求めてないなみたいな感じになると、多分、求めてるものがだいぶ変わっちゃうんじゃないかなって。

僕は、それこそうちの娘たちが生まれて、いってみたら、一人の種としてのオスっていう個体から、いってみたら、お父さんっていう役割を持った人にそこでステップアップしたわけですよね。ステップアップって言い方が適切かわかんないんですけど、言ってみたら自分の役割が変化したわけですよ。

そうしたら、結構そこで自分が求めてるものとか、自分が思う自分のあるべき姿、やるべきことみたいなのが、だいぶガラッと変わってしまったんですよね。

三上:うん。

吉村:それこそ、僕が独り身だった頃って、半分やけくそみたいな生き方をしてたところがあるんで、本当にその頃、刺激を求めて、一か八かみたいな、例えば役者やってたときも、これで売れたら人生大逆転で、売れなかったら一人で野垂れ死ぬだけだから、別にいいだろうみたいな感じで生きてたんですけど、その生き方って守る相手ができるとできないじゃないですか。

三上:確かに。

吉村:僕がその辺で野垂れ死んじゃったら、うちの娘たちはどうなるんだみたいなことになったら、あれいかんな、こういう生き方じゃないな、僕が求めてるのはみたいな感じになったわけですよね。

だからそこはやっぱりすごく大きな変化っていうかね。だから、自分さえ良ければそれでいいみたいな考えから、だいぶ自分と家族みたいなところのつながり。で、家族にとっての安心・安全っていうのを考えたときに、やっぱりうちの家族だけ、世間から孤立して幸せでいるとかって無理だから、やっぱり世の中とのつながりみたいなことの延長線上で出てくると、

そうすると自分だけとか身近な人だけじゃなくて、本当に世界が平和でいるってことがすごく大事なんだなみたいなね。うちの娘たちだけじゃなくて、うちの娘たちが幸せに生きるためには、同世代の人たちが幸せであるってことはきっと大事だし、

それにうちの娘たちが今後結婚して子供を作ったりするかどうかっていうのは、今の時点ではわからないんですけど、でももしその先の世代とかが生まれてきたとしたら、別にそれは僕の家系上じゃなくて、世の中的に次の世代、その次の世代って生まれてきた時に、この人たちがちゃんと幸せでいられる世の中であってほしいなっていうような思いとかも出てくるようになったわけですよね。

この辺って多分若い頃の僕には全然なかった感覚だから、そうすると全然、自分が魅力を感じるとか、琴線に触れる情報とか波動っていうのは、やっぱり当時と今は全く変わってきましたよね。

三上:今日はですね、歳を重ねて好みの変化ということで、吉村さんのストーリーも段々大きくなっていったんですけど、今思ったのは、ぜひリスナーさんも含めて若い世代の方にも、こういう風に変化があるから楽しいんだよ、人生っていう。

そういう意味でも、今日はすごい聞いていただきたいなと思いました。ぜひリスナーの皆さんからの自分の変化だったりとか、あとはこういうのをテーマにしてほしいっていうご要望などもお待ちしております。素敵なお話、吉村さんありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

301.夏の思い出

吉村さんの子供の頃の思い出を聞かせていただきました。
みなさんも今も尚思い出す夏の思い出はありますか?

 

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三上:皆さん、こんにちは。こころメンテナンス、本日もアシスタント三上恵と、氣功ヒーラーの

吉村:吉村竜児です。

三上:吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:今、夏休みも入って、みなさん楽しんでいらっしゃると思うんですけども、今日はですねお盆も近いということで、夏休みの話題だったりお盆の夏の思い出を吉村さんに伺っていきたいと思うんですが、いかがですか?今でも記憶に残る夏の思い出、夏休みの思い出ってありますか?

吉村:そうですね。子どもの頃のことを思い出してみると、僕、川崎の南部の工業地帯が近いところに住んでたんですけど、

 そこにいた頃っていうのは、当時から人口の多い町だったわけですけど、多分、住んでた人のかなり大部分って、どこか別の地方から移り住んできた人たちが多かったんですよ。

 多分工業地帯で栄えた町だから、高度経済成長の時に、工場で働くとか、周りのいろんな産業とかで働く人たちっていうので、わーっと人が集まってきたから、おじいちゃんおばあちゃんの代から川崎の地域にいましたよっていう人っていうのはあまりいなかったんですね。

 うちは、僕のおじいちゃんは中国出身なんですけど、それこそ第一次世界大戦とかよりももっと前に日本に来て、ずっと横浜川崎のあたりで住んでた人なんで、川崎でお店を構えていたから、僕もおじいちゃんの家で住んでたんで、

 おじいちゃんの住んでる田舎っていうのは、僕が今住んでるところみたいな、そういう感じだったわけですよ。

 夏休みお盆とかね、それから正月とかになると、結構みんな地元のご両親の実家、おじいちゃんおばあちゃんのいるところに帰省するみたいなね。お盆は田舎に行くからとかっていう感じで、みんな人がいなくなっていっちゃうんですよ。

 なので、夏休みの特にお盆のあたりっていうのは、町がすごく閑散としてね、全然周りに人がいなくて、友達もみんな田舎に行くからとかって言っていなくなっちゃうから、結構ね暇はしてたなっていうそんなイメージですよね。

三上:そうなんですね。人が集まるんじゃなくて、少なくなるっていうことで。

吉村:そうですね。コンビニとかもなかった時代なんで、人がいなくなるとお店とかも閉まっちゃうわけですよ。

三上:そうですよね。

吉村:だからね、本当に外歩いてても、どこも休みで誰もいなくてみたいなそんな感じでしたよ。

三上:でも、昔はお盆も正月もお店閉まってるところ多かったですよね、今に比べてね。

吉村:そうですね。

三上:そんななかどうですか、お盆は。ちょっと人が少なくなったということで、どんな感じで過ごしてたんですか。

吉村:だから、町中をブラブラ歩いてても、普段すごく人がいっぱいいる町で車もいっぱい走っててみたいな感じなんですけど、本当に誰もいない、ちょっと廃墟みたいになっちゃったようなところをブラブラしてるとか、そんな感じでしたよね、子供の頃は。

 だから、それはまた非日常的で面白かったっていうのはあるんですけど、全然周りに人がいないっていうのが面白かったなっていう印象で。

 あと、僕は小学生の時に2年間だけ川崎の隣の横浜市で父と2人暮らししてた時期があるんですよ。小学校3年生、4年生の頃かな。

 父と2人暮らししてた時っていうのは、いろんなところでも話してますけど、結構父の暴力だったりモラハラがあって、小学校ではすごくひどいいじめにあってた時期になるんですよ。だから夏休みになるとまずその中の学校がなくなるわけじゃないですか。

 だから学校でのいじめに対する恐怖や不安っていうのから解放されるっていうので、日中は父も会社行って仕事して家にいないから、だからそうするとその間は結構解放されてホッとできる時間みたいな感じで。

 そういう時はちょっと山の中に突然できた住宅街みたいな感じのところに住んでたんで、本当に自然とかもあったから、その当時犬を飼っていたんでね。犬と一緒にその辺をぶらぶらしたりとか、そんな感じで。

 漫画とかは結構あれでしたね、漫画は結構あったんだ。父の本棚にも手塚治虫の漫画がこうダーっていっぱいあったりして、それを読んでたりとか。

 あとはたまに母方の祖父母に会う機会がたしかあったんですよ。それは結局僕の父があまり経済的に自立できてなかったから、たぶん離婚した元奥さんの両親から経済的に援助を受けてたんじゃないかなって思うんですよ。だからすごいメンタルだなって思うところがあるんですけど。

 そういうのがあって、たまに母には会えなかったんだけど、祖父母に会う機会がたまにあったんですよ。そういうときにお小遣いもらったりとか、あと結構、本は好きなだけ買っていいよみたいな感じの方針だったんですよね。

三上:へえ。

吉村:それで川崎に父親と行って、おじいちゃんおばあちゃんに会って、お小遣いもらったら、本屋に行って買いたい本をバーッといっぱい買って、漫画が多いんですけどね。漫画とあとは当時の学研の秘密シリーズ。

三上:ああ。

吉村:それで恐竜の秘密とか、体の秘密とか、そういうのを買っていって、そういうのをまた家に持ち帰って、学校終わったらいじめられたくないから走って帰っていって、家に閉じこもって、犬と一緒に漫画読んでみたいな感じで。

 夜に父が帰ってくると、いろいろと怒鳴られたりとか、ネチネチ嫌なこと言われたりとかっていうようなことがあるけど、それをなんとかしのいでとかっていう感じだったんですけど、

 夏休みはちょっと解放されている時間が長いっていうところが印象的だったんですけど、それもだから続いたのは2年間だったんで、その後はまた母方の祖父母の家に引き取られて、住み慣れた川崎の町で。

 ただそうなると今度は休みの時期に誰もいないから、なんか退屈だなって、一緒に遊んでる友達とかもいなくなっちゃうんで。しかも川崎の工業地帯は自然もないから、犬と一緒に山に出かけてみたいなこともできないんで。

 ただうちは中華料理屋だったから、そういう意味ではいつもおいしいものは食べられたんで、そんな感じで実家を過ごしてたんじゃないかな。

三上:でも今お話聞くと、寄り添ってくれるワンちゃんがいたって大きかったんじゃないですか?

吉村:そうですね。僕は小さい頃から猫好きだったんですけど。

三上:猫のイメージがあるから、え?と思ったんですけど。

吉村:父が犬を飼ってくれたんですよ。飼ったっていうかもらってきたんですけどね、保護犬を。それで犬と仲良くしてくれて、犬は本当に寄り添ってくれる。当時飼ってた子はすごくいい子でしたね、頭が良くて。

 昔って多分猫に対する印象、みんなが持ってる猫に対する印象が今と比べるとあんまり良くなかったんじゃないかなって思うんですよ。うちのばあちゃんもよく、犬は人について、猫は家につくって言うからねみたいなことを。

三上:言いますよね。

吉村:そういう猫ってあんまり役に立たなくて、人に懐かなくてみたいなふうに思ってる人が多かったんだと思うんですよ。

三上:猫除けとかありましたもんね。

吉村:僕は幼少期母と2人暮らししてた時に隣の家で猫飼ってたんで、そこの家の猫とよく遊んでたから、その頃からずっと猫好きだったんですけど。

 なんでそんなこと言うんだろうとかっていつも思ってたんですよね。

 結局うちのばあちゃんもね、うちの母が外で迷ってミィミィ鳴いてる子猫を保護して、母が家で飼うって言い出したんですよ。

 その前に僕が猫拾ってきたときには、うちは猫は飼えないから捨ててきなさいみたいな感じで言われて、泣く泣く外で家から離れたところに置いて泣きながら帰ってくる。

 うちの母が連れてきた猫はなぜか飼っていいことになって、なんじゃそりゃみたいな話だったんですけど。でもその後あれでしたよね。

 その後、僕がアメリカから帰ってきたら、ばあちゃんが猫を何匹もいっぱい飼ってて、なんじゃ?みたいな感じで、すっかり猫派になってて。

 あんた猫は良くないみたいなこと言ってたよなみたいな感じだったんですけど、僕も猫好きだから可愛いねとか言って一緒に可愛がるようになりましたけどね。

三上:今日は吉村さんの夏の子供の頃から思い出とか伺いましたけど、最後にですね、いろんな夏の夏休みか、お盆だったり思い出がある中、猫につながってる部分とか、こういった過ごし方、

 見つめ合う時間も多かったのかなってお話聞いて、自分とね、子供の頃からいろいろ考えながら過ごしてたのかなと思うんですけど、今にそれがつながる部分とかっていうのがあれば最後に教えてください。

吉村:今ね、三上さんがおっしゃってたような話だと思いますよ。言ってみたら、一人になる時間がすごい多かったわけですよね。

 川崎にいた頃と横浜で父と暮らしてた頃、全然環境が違うから、そこでもガラッと違う色合いの時間を過ごしてたなって思うんですけど、

 僕の中ではめまぐるしく人生がすごい変化していくっていうのは、子供時代にすごくあったから、しかも親切にしてくれる人はすごく親切だし、言ってみたら攻撃的な人はすごく攻撃的だし、どういう人と近くにいるかで自分の人生がすごく変わるわけですよ。

 子供って周りの環境に翻弄されがちじゃないですか。自分が選べないから、言ってみたらそこに状況に流されてそこにいるみたいなことで、本当に自分のいる場所が変わるだけで、言ってみたら人生の質がガラッと変わっちゃうわけですよね。

 そんな中で過ごしてきたことで、言ってみたら、人生がしんどい時もこれって別にずっと続くわけじゃないだろうなっていうね、そういう俯瞰して自分の現状を見るみたいな夢が養えたんじゃないかなって氣がしますよね。

 仲良くして遊んでる友達もお盆になるとバッといなくなっちゃって、それに関して僕が何かできることがあるわけじゃないけど、夏休みが終わったらまた学校で顔を合わせて一緒に、昨日見たテレビ番組の話をしてみたいな時間を過ごせたりとか。

三上:うん。

吉村:言ってみたら、すべてがいつも流れて流転してるみたいなね、常に変化してるみたいなところっていうのを、その時になんとなく感じ取れたんじゃないかなっていう氣がしますよね。

 それこそ諸行無常万物流転って仏教の哲学の話で、これって結局その量子力学にも共通してる考え方なわけですけど、これを子供の頃になんとなく感覚的に多分捉えてたんじゃないかなっていう感はありますよね。

三上:ありがとうございます。本当にお話聞きながら、ドラマのストーリーというか、いろんなページをめくられての今なんだなっていう、思いながらお話を聞かせていただきました。ありがとうございます。

 皆さんにもこの吉村さんのストーリーを聞いてご感想だったりとかね、今度こんなの取り上げてほしい、吉村さんのこういうところを聞きたいっていうのがありましたら、またメッセージ皆さんからもお待ちしております。

吉村:はい。

三上:吉村さん、本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

300.友達の定義

あなたの友達の定義とは?
吉村さんと友達の関係性についても伺いました。

 

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三上:皆さん、こんにちは。こころメンテナンス、本日もアシスタント三上恵と、氣功ヒーラーの

吉村:吉村竜児です。

三上:吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:今日は、私のエピソードを皆さんにシェアして、吉村さんにもお話を聞いていただきたいなと思っています。

吉村さん:はい。

三上:というのも最近、友達とメッセージやり取りしてたら、1ヶ月くらい会ってないかな、お友達から。私たちって友達だよね、というメッセージが来たんですね。

 その時に、私は正解が何かちょっとわからなかったんですけど、自分の氣持ち的に、なんか、ん?っていうモヤモヤが溢れてきてしまって、その日、彼女の誕生日だったんですけど、私氣づかなくて、何か彼女が求めてるなと感じたんですよ。

 だから、友達の定義って私はみんな違うから、自分が友達って思えば友達だし、相手に求めるのは違うんじゃないかなと、個人的にはすごい思っちゃってその時に。で、その考えを、何が正しいなんて自分次第なんですけど、聞きたくて、どうなんだろうと思って、みんなそういうことあるのかなとか。

吉村:なるほどですね。でもね、友達の定義、友達ってなんだろうっていう話になると、なんか僕もあんまりよくわかってないところはあるかなと思うんですよ。なんかその定義が曖昧じゃないですか。

三上:そうですよね。吉村さんの逆に友達ってどういう方が友達なんですか。

吉村:いやー、僕の中では、その友達の定義って、まず一つには、なんかもう超ゆるい定義ですよね。なんかそういう、顔見知りで別に、顔見知りっていうレベルがあるじゃないですか。例えば、近所のすれ違ったら挨拶する人たち。

三上:はいはいはい。

吉村:あの人たちが友達かっていうと、多分ちょっと違うかなっていうような感じなんですけど、でもお互い名前を知ってて、それで会話が成立する人たちみたいなぐらいになったら、別に友達って言っても差し支えないんじゃないかなみたいなぐらいのゆるい定義がまず一つあるわけですよ。

 ところで言うと、僕と三上さんもリアルではまだお会いしたことないですけど、でもこんなによく話してて、友達と言えなくもないかなっていう感じかなと僕は思ってるんですよね。

三上:そうですね。

吉村:でも、ってなると友達が無数にすごいいっぱいいるわけですよ。自分で何人いるかもよくわかんないぐらいにいっぱい、お互い名前を知ってて、会話が成立するみたいなね。そうなってくると、それよりも親密度みたいな話になると、どこで線引きしたらいいかわかんないじゃないですか。

 月に何回か会ってたら友達とかいうような話、それも変な感じじゃないですか。

 だから、どのぐらい会ってるかとか、どのぐらいお互いのことを知ってるかとか、数値で測りようがないような話になってくると、線引きのラインがわかんないんですよね。

 そうなると、例えば子供時代にどういう人を友達と思ってただろうかみたいな感じだと、学校に行ってたから、学校でよく話をする子みたいな趣味が合って、会話が多い子が友達みたいなイメージですよね。

 学生時代、少し歳が上がって学生とかになってくると、一緒に遊びに行く人とかね、会った時に電話する相手とか、クラスで同じ授業をとってる人で、課題やる時に情報交換したりする人も、友達と言えなくもないけど、別に卒業後、特に交流が続いてない人の方が大多数で。

三上:そうですね。

吉村:一応今、学生時代アメリカに留学してた頃の友達で、日本帰ってきてる友達とかもいるんで、そういう人たちとはLINEとかFacebookとかで連絡取り合ってて、たまに会ったりするんですけど、その人たちは友達だなっていうカテゴリーに入ってるんですけど、

 でも、その人たちとそんなにしょっちゅう交流してるかっていうと、そうでもないんですよね。たまに、今度誰それが日本に戻ってくるみたいだから、ちょっと集まるとか、行く行くみたいな感じですよね。そうすると、滅多にそんなに話もしてないわけですよ。

 だから、どっちかというと、昔親密で結構時間を長く過ごしてたことがある人みたいな人たちがそこのカテゴリーに入ってるんですね。

 でも、これってその人たちと言ってみたら、仕事上の繋がりがあるわけでもないから、だから、その人たちをどういうカテゴリーに入れるかっていうときに、友達ぐらいしかあんまり形容する言葉がないから、友達って言ってるってとこもあるんですよね。

三上:確かに、くくりとしてね。

吉村:だから、仕事仲間だったら仕事仲間とかっていう風になるけど、仕事仲間じゃないけど、たまに連絡取ってるから、友達かなっていう感じになるわけですよね。

 そうすると、どっちかっていうと、私たち友達だよねみたいな、食い気味に積極的に定義してるような感じじゃなくて、消去法的に他に適切なくくりがないから、友達カテゴリーに入ってるみたいな感じじゃないですか。

 言ってみたら、彼らのためだったら他のことを投げ打ってでも、そちらを優先して、そっちの集まりに僕は参加するとかっていう感じでは全然ないんで、多分、この日どうとかって言われたときに、ごめん、その日ちょっと仕事入ってるわとかって言って、普通に仕事優先するような間柄なわけですよね。

三上:そうですね。

吉村:だから、そういう意味では、ちょっと友達ってなんだろうって言ったときに、そのぐらいの緩い定義になっちゃうわけですよ。だから、かなり友達を大事にしてる人たちみたいなのもいるじゃないですか。

三上:いますね。

吉村:そういう人たちが定義してるような友達みたいなところになったら、多分、僕そういう友達いないですよ、今。

 必ず毎月1回はこのグループで必ずお茶会してますみたいな、そういう人たちも世の中にいるのはわかるんで、別にその人たちがどうこうっていうのはなくて、その人たちがそれで楽しければ、人生が豊かだったらそれで全然いいと思うんですけど、でも、そういう関係性の人が今の僕にいるかって言ったら、いないですよね。

三上:そうですよね。私も同じで、友達って今のステージによって違うじゃないですか、私はそう思ってて。昔はこの人のためだったら大変な思いでもいくっていう自分もいたんですけど、今の自分は自分が満足じゃないと相手にもできないっていうのが強いので、

 同じく彼女のためにすごいエネルギーは注がれないかなって思っていて、なので、みんな友達が違うじゃないですか。

 彼女がそれに対して求めてきたのが、うーんと思って、その時の返しも自分も友達だよねって言われて、一応連絡取ってるから友達ですよって返したんですけど。

吉村:そうですね。だから、多分それってその人は何かブロック発動してそういうふうになってるんだろうなっていうのは推測できますよね。何かそういう要求が強くなってるっていうのは、多分何か不満があるからっていうことじゃないですか。

三上:うん。

吉村:あとはその人の中で、友達だったらこのぐらいすべきであるっていうような、独自のルールというか定義があっての話だと思うんですけど、そこでまた、何だろうな、じゃあその人は自分が友達だって思ってる人の誕生日を全部覚えてて、

 その度に連絡したりとか何か会を開いたりみたいなことをその人自身がやってるのか、それとも別に自分はやってないのに、自分に対してそれをすることを周りに要求してるだけなのかっていうのでも、だいぶその人の温度感って違う感じがするんですよね。

 世の中にはめちゃめちゃ世話好きな人とかいて、すごいこまめに連絡くれる人とかもいるわけですよ。そういう人はそういう人で素晴らしい、何かその人ならではのそういう能力を発揮して、多分そういう人ってそういうまめな連絡をしたりとか何か会を開いたりすること自体が楽しくてやってるんだと思うんですよ。

 だから僕の大学時代の留学生仲間の中にもそういう世話好きな友達がいるんで、彼がいろいろと今度ここで集まろうよとかってやってくれるから、それで僕も参加できるからすごいありがたい人なわけですよね。そこはそれでいいと思うんですよね。

 だからそこが例えば自分が要求するだけになっている人だったとしたら、多分何かちょっと他に問題を抱えている人だと思いますね、その人はね。

三上:たぶんそうだろうなと思ったので、今後ちょっと。。。彼女がね誕生日に私にメッセージをくれたんですよ。多分私がそれがなかったから、私はしたのになんでないのっていうふうに思ったのかなって思ってて。

 多分彼女の中ではそれが友達のルールじゃないですけど、きっと私はしたのになんでっていうのがあったんじゃないかなって思ってるんですよね。

吉村:そうすると多分ちょっとギブ&テイク的な感覚で、自分がこうやってやったんだからそっちもやるのが当たり前だろうっていう発想を持っているわけですよね。

 それって多分本当に好きだからやってるっていうよりは、自分が欲しいから先に何かこうね、純粋に自分が楽しいからやってるんじゃなくて、自分が欲しいものを手に入れるために先に何か布石を打ってるみたいな話だから、

 なんとなくその押し売りっぽい感覚ですよね。なんかこれを買うまで、あんたがこれ買うまで帰らないぞみたいな感じになってるわけじゃないですか。

 だからそこって多分何かその人の中の恐れであったりとか、自分が大切にされていないっていう感覚だったりとかがあって、それを自分が周りから大切にされてないっていう感覚を持ってる人っていうのは無意識に本当は自分自身のことを大切にできてないんですよ。

三上:だと思います。

吉村:だからそれを周りに要求してるわけですよね。で、その人は自分がそうだから多分周りの人もみんなそうだろうと思ってるんで、

 だからなんか私がこれを出したら向こうも返してくるに違いないっていう独自の世界観とかルールを構築して、頭の中で先に結果を決め打ちして何かコミュニケーションを取ってるんですよね。

 だからそれに対してその通りじゃない答えが返ってくると何かイラっときちゃうみたいなことが多分起きてるんでしょうね。

三上:今後の付き合い方にも私も個人的に考えてて、友達であればちょっと遠回しじゃないけどあなたが求めてる友達と私が違うっていうのか、徐々にフェードアウトしていくのか、いろいろちょっと考えていかないといけないなって思いつつも、

 ちょっとこういうことがあったということで、こういう状況ってどうなんだろうっていうことをちょっと吉村さんにも、そしてリスナーの皆さんにもこういう場合が多いのかなっていうのでちょっとご相談させていただきました。

吉村:だから、例えばクリアリングで何かそういう対応をしていくっていうことも可能だと思うんですよ。

 その場合言ってみたら、その方をクリアリングするという労力をこちらが払うことになるから、そこまでやりたいような相手なのかっていうところにもなってくるわけですよ。

 僕もねやっぱりそのお仕事としてクリアリングをしてるんで、そんなに無料でクリアリングをするっていうのは自分の家族だったりとか、あとは明らかにそのなんかこの人クリアリングしないと自分にとってマイナスだなって思うような相手だったら、別にお金もらわなくてもクリアリングするわけですね、

 っていうのは結局それって周り巡り巡って自分のためなんで、だからそれは言ってみたら先ほど三上さんがおっしゃってたように自分がちゃんとしてるから周りの人たちにも貢献ができるっていうようなところにもなるんで、まず自分が主になるっていう、そこが大事だなと思うんですよね。

三上:うん。

吉村:多分その方は自分が主になるってことはできてないから、周りに要求するっていうような流れになっちゃってるんで、言ってみたらその方が自分がそういうふうになっちゃってるなって氣がついて、自分自身のことをクリアリングしていこうっていう流れになってくれたらいいんでしょうけど、

 あとは周りでその人のことを大事にしてる人、例えば家族とか近しい人が、この人今ちょっと変な感じになってるからクリアリングしてあげたいなっていうふうになったときに、そういう人がクリアリングするっていう、

 言ってみたらそういう選択肢を持ってれば、その方をクリアリングするっていうような可能性が開けてくるってことですかね。

三上:ありがとうございます。やっぱりね皆さんも、きっとリスナーの皆さんもいろんなお友達がいて、いろんな付き合い方があると思うんですけど、今日のちょっと私みたいな方がいらっしゃったら、ちょっと参考にしていただきたいと思います。

吉村:そうですね。

三上:はい、ということでお話聞いてくださって、吉村さん、そしてリスナーの皆さんありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

299.平和について

1945年8月9日 長崎市への原子爆弾投下されました。今も尚世界のどこかで戦争がある現状、改めて平和について吉村さんに伺いました。

 

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三上:皆さん、こんにちは。こころメンテナンス、本日もアシスタント三上恵と、氣功ヒーラーの

吉村:吉村竜児です。

三上:吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:配信日、8月9日、金曜日、今日は何の日でしょうか、吉村さん。

吉村:この日は長崎の原爆の日ですよね。

三上:はい、ということでちょっと今日はですね、平和について、そして長崎の原爆の日ということでちょっと絡めてですね、こういった平和のお話をちょっとしていきたいなと思うんですけども、

 やっぱり世界的にもこの戦いとか戦争っていうのはみんな平和平和って言いながらも、なかなかそういう現状があるっていう世の中ですけども、吉村さん的には、戦い、戦争だったり平和についてどうお考えで、いろんなご意見があると思うんですけど皆さん、どう思われますか、どういう考えをお持ちですか。

吉村:そうですね、地球上で戦争があるとか、地球人同士で争いが絶えないっていう、これって、たぶん地球上の文明が進化する段階の中のどっかのフェーズとして、今僕たちはそういうフェーズにいるんだろうなとは思うんですよね。

 これは結構僕はやっぱり、こういうスピリチュアルに興味を持つようになって、結構最初の頃に出会った文献みたいなものとして、宇宙人のバシャールのチャネリングが結構やっぱり僕に影響が大きかったんですよね。

 バシャールが言ってたこととか、あとは他に「アミ・小さな宇宙人」という本があって、これもスピリチュアルの界隈では有名な宇宙人との交流を描いてる作品で、そこはアミの話してた内容とかでも結構内容的に一致してるんですけど、

 やっぱりこの地球人がこの宇宙の他の文明とコンタクトを取って一緒に歩んでいけるレベルまで進化するためには、戦争を手放すっていうフェーズにステップアップしていく必要があるよっていうことを、やっぱり宇宙人の人たちは、チャネリングとか作品を作る人たちのインスピレーションを通して僕たちに伝えてくれてると思うんですよね。

三上:うんうん。

吉村:だからそういう意味では、今の僕たちにとってすごく重要な課題というか、プライオリティが高い課題の一つが、やっぱりこの戦争を終わらせるっていうことなんじゃないかなっていうふうに思ってるんですよね。

三上:うんうんうん。

吉村:じゃあなんでその戦争が終わらない、続いてるのかって言ったら、僕たちの心の中に恐れに基づいた考えとか反応のパターンとかね、そういう感情の心の傷のようなものがあって、やられる前にやらなきゃいけないとか、傷つけられたからこっちがやり返さないと納得できないぞとかいうようなそういう思いがあっての、終わらない攻撃の連鎖が起きてるわけですよね。

 ここをどう終わらせるかって言ったら、やっぱり外的な行動レベルの話ではなくて、僕たちの心の中からそういう恨みつらみとか、あいつらと我々みたいな考えとか、分断とか断絶みたいなものをなくしていく。

 心の中で許しと統合みたいなことを行っていく必要があると思うんですよね。みんなの心の中が平和になっていけば、たぶん世の中全体がどんどん平和になっていくという流れに変わっていくと思うんですよ。

三上:そうですね。確かに。今ちょっとパッと思ったのは、もともと例えば人間ができてからっていうのは変ですけど、その時からそういった争い、本能的に守るとかっていう戦いはしてたのか、それとも助け合って生きてたのかって今すごいちょっと氣になったんですけど。

吉村:これもまた結構そういう、宇宙人からのメッセージみたいな、そういうのを降ろしてる人たちって他にもいろいろいるんで、そういう人たちの本とかを読むと、いろんな壮大なストーリーみたいなものがあって、結構その中には共通したものとかもあるから、

 そこが全部が全くの信憑性ない作り話って話でもなく、結構そこからその中には真実性が高いものとか情報も含まれてると思うんですけど、とはいえいろんな説があるみたいな感じなんで、

 僕もどれが本当に実際に起きたことをより正確に伝えてるものが何なのかっていうのは、ちょっと僕にはわからないところもあるんですけど、僕の考える一つの考え方の方向性というか、僕なりの説というふうに捉えてもいいのかなと思うんですけど、地球上の生態系って弱肉強食の世界じゃないですか。

三上:そうですね。

吉村:だからそこって食うか食われるかみたいな中で、生き物は日々生き延びるために戦ったり逃げたり隠れたりしながら生きてるわけですよ。これが僕たちの心の中にも色濃く残ってるんですよね。

 これは肉体が持ってるDNAの中にある、言ってみたらそういう本能ともいえるような、長年にわたって弱肉強食の世界で進化、発展を遂げてきた生き物の行動パターンみたいなね、思考や行動のパターンっていうのが、多分その僕たちのDNAの中に残ってて、その影響がまだあるから、

 だから多分、食うか食われるかってなったら食われるのが嫌だから、やられる前にやってやるみたいなことだったりとかっていうね、恐れに基づいた考えとか感情のパターンっていうのが、僕たち人間の心にも存在してるわけですよ。これって、僕たち人間の本質は、この肉体の方じゃなくて、この肉体を乗り物として使ってる魂が、僕たちの本質なんですよね。

三上:はい、よく出ます。そうですね。

吉村:ということは、この乗り物をちゃんとうまく乗りこなしていけば、言ってみたらその本能のままに生きるんじゃなくて、そこをちゃんと、なんていうのかな、てなずけていくっていうことは、この乗り手の魂としては、これは不可能なことではなくて、むしろそれをできるようになることが、言ってみたら、人類の文明をステップアップさせることになるんじゃないかなと思っているわけですよ。

三上:なるほど。うんうん。

吉村:これは、だから他の宇宙の別のところの文明が、そういう経緯を経て、進化、発展をしてるのかっていうのは、ちょっとわからないんで、他の星は、もしかしたらそういう弱肉強食っていうものが、そもそもない中で発展している、そういう人たちもいるんじゃないかなとは思ってるんですよ。ちょっと僕にはわからないんですけどね。

三上:はい。

吉村:少なくとも地球上の生態系が、弱肉強食っていうシステムをベースに進化発展してるって、このこと自体は別に良いとか悪いとかじゃなくて、多分そういう弱肉強食の中で競争して生きていかなきゃいけないっていうのがあったから、その生物がすごく多様化したりとか、面白い世界ができてるんじゃないかなっていうのは思ってるんですね。

三上:成長もするしね。

吉村:結局いろんな戦略を立てて生き延びなきゃいけないから、そこですごい多様性が生まれてくるし、それはすごく、多様性が多いか少ないかで言えば、多い方がやっぱり面白いと思うんですよ。

三上:確かに。それはね。

吉村:そういう意味では、地球上の生態系ってすごく面白いと思うんですけど、ただ、そこの生態系からシステムを譲り受けて人間として僕たちがここで生きてくるにあたっては、今度はそれをうまく共存して管理していく側になっていくっていうことが必要なんじゃないかなって思うんですよね。

 自然と戦うわけでもなく、自然に飲み込まれるわけでもなく、うまく共生して、そしてそれをうまくてなずけて管理していくことで、魂である僕たちが愛を表現する場として、面白い世界になっていくんじゃないかなって思うんですよ。

三上:うん。

吉村:なので、そういったプロセスを経て次のステップにいくってなると、やっぱりやるべきことは心をクリアにしていくことじゃないかなっていうことで、僕はクリアリングっていう方法を提唱しているわけなんですけど。

三上:でも、以前に比べて、昔に比べてというか、それも氣づき始めて、それをやっぱり自分の使命じゃないけど、そういうふうに伝えていっている方が増えてきてる氣がするんですけど、氣づかれてる方が増えたのかなって。

吉村:それは本当にそう思いますね。

三上:思いますよね。

吉村:だから、目に見えないものが実はすごく大事だっていうことに氣づいてる人が増えてきてるっていうのは、本当にここ10年、15年の間でもだいぶ世の中自体が、僕から見える範囲内での話にはなっちゃうんですけど、世の中がすごく変わってきてるなっていう感はあるんで。

 これって言ってみたら、科学が発展していったことで、一回物質主義みたいな方向にバーって触れてしまったところがあるんだけど、科学がさらに発展していったら、結局量子論とか超ひも理論とかっていうような、

 全てが実は波動でできているんじゃないかとか、目に見えないものが実は本当の本質なんじゃないかっていうところが、科学がそっちに追いついてきたわけですよね。

 だから、実際に科学がそこまで追いついてきてようやくわかってきたことっていうのが、仏教の教えとかの中にかなり含まれてるっていうことは、

 多分当時のお釈迦様だったりとか、昔の、言ってみたら賢者たちっていうのは、科学はそこまで発展してなかったけど、すでに何かインスピレーションで氣づいてたことだったりとか、あとは何か古代の叡智みたいなものも多分あったんじゃないかなって思うんですよね。

三上:うん。

吉村:世界中のいろいろな遺跡とか砂漠とかの中には、古代に核戦争があったのではないかっていうようなことを示唆するようなものが結構あったりするんですよ。

 砂漠の中で砂がガラス化してる場所があったりとか。なんでこんなことが起きるだろう、相当すごい高い熱が一気に放射されるようなことがないと、そういうガラス化したりとかってことはありえないはずなんだけどってなると、ここで核爆発があった可能性あるよねっていうような話とかもあるから、

 そうすると、もしかしたら古代にも何回か文明ができては、ちょっと間違った方向に行って一回リセットされちゃって、そこでまた残った人たちでまたやり直してとかっていうようなことが何回か繰り返されての今だとしたら、

 本当にそういうのを手放して、僕たちは次のステップに行けるかどうかっていうところでは結構重要なところに来てるんじゃないかなっていう感覚はありますよね。

三上:今の話聞いて、ますます人間って不思議だなって思いながら聞いてましたけど、本当に一人一人がそういう考えを、私もそういう考え方に変わって、付き合うステージも変わって、人も周りも環境が変わってきたってすごい思うので、たくさんの方に今の配信もそうですけども、こういう方が氣づきながらいろいろ心も豊かにというか、そういう人たちが増えていけばいいなと思ってます。

吉村:そうですね。

三上:なのでぜひリスナーの皆さんもこの配信をシェアしていただけたらなと思います。吉村さん本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

298.happy birthday!

本日8月6日吉村さんのお誕生日です。人生の振り返りやこれからやりたい事など伺いました。

 

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三上:皆さん、こんにちは。こころメンテナンス、本日もアシスタント三上恵と、氣功ヒーラーの

吉村:吉村竜児です。

三上:吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:配信日、8月6日ということで、今日は吉村さん、何の日ですか?

吉村:僕の誕生日ですね。

三上:おめでとうございます。

吉村:ありがとうございます。

三上:配信日に嬉しいなと感じるんですけども、改めて、歳、伺ってもいいんでしょうか?配信上で。

吉村:55歳になりましたね。

三上:55歳、節目じゃないですけど、すごいキリがいいなというふうに感じるんですが、どうですか?55歳を迎えて、振り返りというか。

吉村:そうですね。振り返りというか、まず一つは55歳になると、映画館の割引が適用されるようになるんで、本当に今日からは映画館の安い料金で、劇場で映画が見られるようになるんで、映画館行く機会が増えるかなとか、その辺は期待してるところですね。

三上:嬉しいですね。映画が結構高いですからね、最近はね。

吉村:そうですね。なんかね、ちょっと前からあともうちょっとで映画館安くなるのか楽しみだなみたいなのは何かありましたね、何年か前から。50歳を越えたあたりからね、50になって、あ、そうか、55歳から映画が安くなるんだ、じゃああと5年だとかって感じで考えてたんですけど、
 
 僕は結構ね、小さい頃から年下に見られることが多い方だったんで、男性だと下に見られると舐められるみたいなのは結構あるんですよね。

三上:そうなんですね。

吉村:はいはい。そういうのもあったんで、なんかちょっと年齢が上がることに関しては、あまり悪い印象というよりはどちらかというと、早く年相応に見られるようになりたいなとか、大人として見られるようになりたいな、みたいなのがあったから、

 年を重ねることに対してはあまり悪い印象もなく、楽しく年を重ねてくることができたんじゃないかなっていうふうに思ってますね。

三上:いいですね。楽しく年を重ねられるっていうのがやっぱりいいことだなって素敵だなっていうふうに思うんですが、これを機に映画鑑賞も増えていくわけですね、きっとね。

吉村:そうですね。とはいえ今ってだいたいほとんど配信で見られるようになって、劇場で公開されてから配信されるまでの期間も結構短いんで、なかなか劇場で見なくても、Netflixに出るまで待つかみたいな感じで、配信されてから見るみたいなものも多いんですけどね。大きなスクリーンで見たい映画とかもやっぱりあるんで、迫力のあるアクションのやつとかね。

 あとは、そんなに大画面にこだわらなくても氣になってて早く見たいとかっていう映画はやっぱり映画館で安く見られるっていうのはすごい魅力ですよね。

三上:そうですよね。映画館もいろいろ機能も発達してきてますしね。

吉村:昔と比べて映画館の居心地がいいっていうか、昔って席も指定じゃなかったから、行列にバーって並んで早足で入って席取ってとか、座れないと通路とかで立ち見してとか、結構ぎゅうぎゅうな感じで、今考えるとそこで火事とかになったら恐ろしいことになるんじゃないかなっていうね。

 だから多分その辺って消防法とかが整備されたりとか、チケットの予約とかもオンラインとか使ってうまくできるようになったから、今みたいな事前に3日くらい前からネットで予約入れて席が取れてとかっていう感じになったんで、映画館で並ばなくてよくなったっていうのはすごくいいですよね。

三上:確かに焦らなくていいですし、昔はだって1日中映画館にいれたって聞きましたけど。

吉村:そうそう入れ替えがなかったから、それこそ同じ映画をずっと席に座って何回も見るとかっていうのができたり、一つの映画館でスクリーンがいくつかあるようなとこだと、はしごして次のところに行ったりとかで、そういうのやってましたね。

三上:じゃあ1日中映画館楽しめたんですね、またちょっと時代というか、いろいろ感じることが。

吉村:そうですね、一本見てから次の見たい映画が始まるまでに30分以上あったりすると、その時間を潰すのが大変だったりするんですけどね。

三上:スマホとかあるわけでもないしね。

吉村:そうなんですよね。僕あれだったのは、小学校高学年か中学生ぐらいのときか、最初のガンダムの劇場版をやってたんですよ。それを見に行きたいから、お小遣いちょうだいって言って、ばあちゃんからお金もらって友達と映画を見に行ったんですけど、そのときにばあちゃんから、それこそまさに映画は何回見ても同じ料金だから、少なくとも2回以上は見なさいみたいに言われて。

 それはちょっとね、一本見て、話がちゃんと始まって完結してるわけじゃないですか。これをまた連続で同じ話をもう一回見るとか、苦痛ですよね。もう知ってるよとか思いながら見なきゃいけないわけじゃないですか。

 うちのばあちゃんは本当にそういうわけのわかんない要求を押し付けてくることが多くて。一回ばあちゃんに抗議したんですよ。それはちょっときついなーって言ったら、ばあちゃんは結構、自分が言ったことを相手がうんって言うまですごいけんまくで、わーってまくし立ててくるから、もう根負けしちゃって、もうわかったよみたいな感じで言ったんですけど、

 一緒に見に行った友達に、ばあちゃんからこんなこと言われてさ、どうしようとか言ってたら、友達が、えーやだよ、そんなん見たくねーよとか言われて、だからとりあえず一回見て、その後は普通に映画館から出て、映画2本見終わるぐらいの時間まで外で時間潰して、

 家に帰ってばあちゃんに、おい、ちゃんと2回見てきたかいって言われて、映画の感想とかじゃないですよね、2回見てきたかいって聞かれて、見てきたよみたいな感じで家に帰ったみたいな、そういう思い出がありますね。

三上:元は取ってきなさいよ、みたいなね。

吉村:そんな感じでしたね。

三上:いいですね、懐かしさというか、あの頃こうだったなって聞きながらね、あーって思ってる方もいらっしゃると思うんですけど。

吉村:そうですね、その頃と比べてだから、人生が全体的に快適になった感はありますよね。結局、年を重ねれば、上からそういうふうに、あーしなさい、こうしなさいって言われることもなくなるわけじゃないですか。

三上:本当ね、選択肢が増えますよね。

吉村:そうですね。

三上:さあね、振り返りながら、吉村さんのエピソードを伺いましたけども、今度はですね、今後55歳を迎えて、今後の目標だったりあれば、皆さんにも教えてください、シェアお願いします。

吉村:そうですね。まあね、なんか、それこそ昔だったら、人生50年ぐらいしかなかった時代だったら、もうね、すでに死んでいるわけですけど、だからそういう意味ではね、まだ人生が続いていて、いろいろとできることがあるっていうのはすごくありがたいことだなって思うわけですよね。

 どうなんだろうな、なんか結構僕子供の頃から占いとかで、君はすごく長生きするよってよく言われていたので、晩年の方が人生が楽しくなるから、今ちょっときついかもしれないけど、なんとか乗り越えなさいみたいな、そういう話がすごく多かったんで、それはあったんでね、結構幼少期つらかった時とかも乗り切れてたのかなっていう感もあって、

 だからなんとなく年をとって、死を恐れつつ健康にすごく氣をつけてとかっていう感覚はあんまりないんですよね。ただ今はね、本当に自分は何かお役目を持って、今の仕事を取り組んでるっていう氣持ちなんで、そこはしっかりやり遂げて、人生を終えていきたいと思っているので、

 そこをきちっと自分がやるべきことを遂行していくために、ちゃんと最低限自分の健康にある程度氣をつけつつやっていくとか、その辺のことは少し年齢的なところもあるんでね、氣をつけようかなっていうところはあるんですけど、

 とはいえね、あんまり自分の体を大事にしようということで健康に氣を使うっていうのと、死とか不健康、病氣とかを恐れて健康に氣を使うっていうのは、やっぱりここでエネルギー変わってきちゃうんで、だからその辺は、僕の中ではあんまり今って死を恐れるっていう感覚はなくて、どちらかというとやるべきことがあるから、

 それをきちっとやっていこうっていう感覚で人生を生きているんで、そこにうまく矛盾なく組み込めるレベルでの健康に氣を使うっていうようなとこのバランスを取ってやっていけたらいいのかなっていうのはありますよね。

三上:いいですね、確かにこの死が怖いからっていうのと、これを自分のライフスタイルの中でこの健康もって中でだと、やっぱり取り組み方とかね、生き方もストレスもね。

吉村:うん。

三上:ついてくると思うので、でもこのこころメンテナンスもいろんなことを吉村さんはシェアというか、皆さんに配信したりYouTubeもそうですけども、本当にそれで助けられている方がたくさんいらっしゃると思いますし、逆に私もこういうお仕事をしたいっていう方も多いと思いますので、今後も私も含めよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい、ぜひリスナーの皆さんからのお誕生日のメッセージでもいいですし、お便りご感想お待ちしております。はい、本日も吉村さんありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

三上:お誕生日素敵な1日を。

吉村:ありがとうございます。

297.プレッシャー

周りの期待に応えることがプレッシャーになります。他人の期待に振り回されない方法は?の質問に吉村さんに伺いました。

 

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三上:皆さん、こんにちは。こころメンテナンス、本日もアシスタント三上恵と、氣功ヒーラーの

吉村:吉村竜児です。

三上:吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:今日もご質問がきておりますので、読み上げたいと思います。「周りの期待に答えることがプレッシャーになります。他人の期待に振り回されない方法はありますか?」

吉村:なるほどですね。

三上:なんとなくわかる。子供の頃そうだったかもって思いながら読んでました。

吉村:結構、これで行きづらさを感じている人たちは結構多いんじゃないかなっていう感じがしますよね。

三上:そうですね。だったな、私も。

吉村:でもね、プレッシャーになっているんだなという氣づきがあるから、こういう質問が出てくるというところだと思うんですよね。

 しかも、「他人の期待に振り回されない方法は?」という質問をされているということは、要は他人の期待に振り回されたくないと思っているから質問になるということなんです。そこに疑問を持たずに、本当はしんどいんだけど、期待に答えていきなければいけないのであると思って生きている状態よりは、そこに疑問を感じたというところで、すでに一歩前進されているんだろうなという感はありますよね。

三上:確かにそうですね。

吉村:そこでね、他人の期待に振り回されないようになりたいっていうのが、今回のご質問のゴール設定になるんじゃないかと思うんですけど。多分ね、だから期待に答えることはプレッシャーになっているけど、それを続けている状態っていうのが今の状態ってことだと思うんですよね。

三上:はい。

吉村:これね、なぜそれが起きているのかっていうのを考えた時に、結構濃厚なのが、多分この人自身が他人に期待をしてるんですよ。

三上:他人に期待をしてる。

吉村:そう。だから他人に期待をしてるから、人からの期待に対して敏感になっちゃってるんだと思うんですよね。人がいくら期待してても、全然氣にならない人も多分いるはずじゃないですか。だから別に人から期待されてても、私は私のペースでいきますからみたいな感じで、自分のペースでできてる人は、多分そこはプレッシャーにはならないんですよ。いくら人から期待されたところで。

 だから人から期待されてるかどうかってことじゃなくて、その期待されてることをどう受け取ってるかとか、あるいはその期待されてるって自分が思ってるかどうかとか、そういうようなところでこの人の行きづらさが生まれてると思うんですよね。

三上:ああ。

吉村:だから周りの人が僕にめちゃめちゃ期待してたとしても、僕がそのことに全く氣づいてなかったら、期待されてるっていう感じはしてないわけじゃないですか。僕にとってはプレッシャーになってないんですよね。

 周りの人が僕に対して期待してなくても、僕が勝手に、周りの人はきっと僕にこういうふうにするように期待してるはずだから、これを何とかやらないとみんなからの評価が下がってしまうって思ってたとしたら、そうしたら、周りの人が期待してないにもかかわらず、僕は勝手にプレッシャーを受けている状態になるんですよね。

三上:はい、そうですね。

吉村:だから、多分ここで質問が出てくる、他人の期待に振り回されてるぞ、自分はって思ってるってことは、本当に周りの人は期待してるかもしれないし、もしかしたら期待してないかもしれないけど、少なくともこの人が期待されてるって感じてるっていうところが、この人の生きづらさの原因なんですよね。

 だから、周りの人からの期待をどうすればいいかって話じゃなくて、自分の中の捉え方の問題なんですよ、実は。で、多分その人から期待されてるってこの人は感じてるってことは、その人自身も無意識に周りの人に期待してるんですよね。

 だから僕が頑張ってここで何か成果を生み出したら、周りの人はそのことで評価をしてくれるだろうけど、でも僕がそれがうまくやれなかった場合、周りの人たちからの評価が下がってしまうであろうと思ってるってことは、周りの人に僕のことを評価してほしいっていう期待をしてるんですよ。

三上:そうですね。

吉村:だから、そこを手放すべきなのは、周りの人に自分のことをどういうふうに思ってもらいたい。みたいな、こっちの期待ですよね。こう思われたいとかね、こう思われるのは嫌だとか。

 で、これって多分ブロックが発動してるために無意識に人に期待をするっていうことが起きてるというふうに仮定した場合、ブロックっていうのは基本的には何かを避けようとしてるんで、こう思われたいって思ってるように見えるんだけど、本当はこう思われるのは嫌だっていうのの裏返しで、ダメなやつだって思われたくないからできるやつだって思われようとしてるみたいな。

三上:ああ、はいはいはい。

吉村:そういう話なんですよね。

三上:うーん、ああそうか、そうですよね。なるほど。

吉村:で、このダメなやつだとかできるやつかみたいな話って、これジャッジなんですよ。

三上:うーん。

吉村:だから周りの人からダメなやつだっていうふうに、ジャッジされるのが怖いから一生懸命頑張って、できるやつである自分でいようとしてるっていうことなんだと思うんですけど、でも人からジャッジされることを恐れているってことは、おそらくその人も周りの人をジャッジしてるんですよね、どっかで。

三上:うんうんうんうん。うーん、そうですね。

吉村:だから、本当は先に取り扱った方がいいのはそっちの方なんですね。自分がその周りの人をジャッジしてるっていう場面に氣づいて、それもだから無意識にやっちゃってるから、たぶん全然自分がジャッジしてるっていう自覚もなくジャッジしてるんだと思うんですよ。

 なんかこういう人は嫌いだとかね、これこれこういうことする人は許せないとかっていうのがたぶんいろいろあると思うんですよ。

 なんか歩き煙草する人は最低だとか、別に歩き煙草がいいって話をしてるわけでは全然ないんですけど、でも歩き煙草する人は最低だっていうジャッジをしてるから、だからたぶんそのジャッジが何かしらの形で自分に返ってきちゃうんで、それでなんかこうね、自分はちゃんとした人でなきゃいけないみたいなね。

 だからこのプレッシャーってなんか人の期待によって自分にプレッシャーがかかってると思ってるんだけど、そうじゃなくて自分で自分にプレッシャーかけてるんですよ。

三上:ああ。

吉村:想像上の期待に対して応えられる自分でなきゃいけないっていう。だからこういう頭の中で、無意識の中でこういうやつはダメだ、こういうのは最低だとか、こういうやつは許せないとかって言ってるの。

 そういう無意識の声があって、自分がそういうふうにしないと周りからきっとなんか総スカンを食らうであろうっていうような、勝手に想像が働いて一生懸命なんか自分にプレッシャーがかかってて、それを周りからの期待に応えなきゃいけないのであるっていうふうに捉えてるっていうことだと思うんで、

 まず自分自身が周りの人たちを許していくっていうことをしたほうがいいんじゃないかなとっていう感じがしますよね。

三上:受け入れる、許していく。

吉村:だからなんていうのかな。例えば、無知であることとかバカであることっていうのを結構みんなすごい悪いことって捉えがちじゃないですか、「こんなこともわかんないのか」みたいな感じだけど、無知だからやっちゃったってことに関しては、教えてあげればちゃんとできるようになる可能性ってあるわけじゃないですか。

 これやっちゃいけないってことを知らなかったからやっちゃいましたってことだったら、ここはこういうふうにやるんですよって教えてあげるみたいなね。で、あとは何かそれが正しくないことを正しいと思い込んじゃってるとかっていう場合は、思い込みを変えていくってなると、もうちょっと手間がかかることだけど、

 でもそれにしても結局その人が邪悪な存在なんじゃなくて、それが正しいってその人思い込んじゃってるから、その人の世界の中では正しいことをやろうとした結果が、周りの人から見たらちょっと眉をひそめられるようなことになってるみたいな話だったりするわけですよね。だから、そこって別に「悪」っていうよりは「間違い」なんですよね、ただの。

 間違いを許すかどうかみたいな話なんですよ。だって全てにおいて絶対に間違いない人なんていないわけですよ。どんなにしっかりやっててもミスが起きるっていうことは、歴史を通して僕たちはわかってるわけじゃないですか。

三上:人間はね。

吉村:だから駅員さんとかも毎回指差し確認とか声出して、なんとかよし、なんとかよしってやるのは、ミスが起きるって分かってるから、そこでミスを最低限にするためにどうするかっていうのをやってるわけですよね。もう完全にミスを起こさない人がいたら、別に指差し確認する必要もないわけじゃないですか。

三上:ロボットでいいですよね。

吉村:だから人間というのは、ミスをするから人間みたいなところがあると思ってるんで、ってことは自分がミスをすることがあり得る人間って思ってるんだったら、周りの人たちもそういうものだって思って考えた場合、ミスがあってもしょうがないよねみたいな、次氣をつけようよとか、じゃあお互いサポートし合って、このミスをどう減らしていくかってことを一緒に取り組んでいこうよっていう、そういう姿勢でいくのが本当の人間らしさだと僕は思うんでね。

 だからそこを許すっていうことは、自分自身を許すっていうことと、他者を許すっていうことは表裏一体なんですよね。どっちかだけをやろうとしたら多分うまくいかないんですよ。なんかおかしなことになるんですよね。誰のことも許さないで完璧を目指そうってこれもうまくいかないし。

三上:いかないですね。

吉村:だから自分のことも他者のことも許しつつ、じゃあそこからどうお互いにより良い状態に持っていけるだろうかっていうことを協力し合ってやっていくっていうのが、人としての自然な在り方じゃないかなと思うんですよね。

三上:ありがとうございます。今お話聞きながら、私も振り返りながら、許してるかなとかね、考えてましたけど、そうですね。私も昔はすごいジャッジをしてました。白か黒か。今はすごい、グレーはグレーでいいかなって思ってます。受け入れること、許していくことも大切ですね、ということで今日はまた質問を取り上げて吉村さんからお話伺いました。本日も吉村さんありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。