111.完璧主義

世の中に完璧な人っているのか?完璧主義で生きづらさを感じてる方には是非聴いて頂きたい話題です。

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三上:はい、みなさん、いかがお過ごしでしょうか。こころメンテナンス。本日もアシスタント三上恵と、気功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい。今日のテーマは、以前のわたしもそうだったんじゃないかな、というふうに、感じるテーマです。さあ、今日のテーマは、「完璧主義」で、お届けしていきたいと思います。だいぶ楽になりました。吉村さん。昔に比べて、わたしも。

吉村:ああ、よかったですね。素晴らしい。

三上:家事に関しては、ちゃんと朝起きて、朝ごはんをしっかり作って、ちゃんときれいにアイロンして、こう、ね、息子にはかせて、とか、ちゃんと、かたちを作って、という自分がいたんですけど、それは、もうしません。もちませんでした。

吉村:なるほどですね。

三上:最近は、いろいろなものに頼って、完璧じゃなくて、息子がちゃんとはいてなかったら、「あなたの責任だよ」というふうに。

吉村:ははははは。

三上:だいぶ、はい、楽になりましたけど、やっぱり、でも周りには、わたしの母もそうなんですけど、完璧主義というかた、多いような気がします。ということで、今日は、「完璧主義」をテーマに、お届けということですが。

吉村:はい。そうですね。完璧主義って、なんでも物事を完璧に成し遂げようという、そういう傾向を持ったかたたちが、完璧主義って、話なんだと思うんですけど。

三上:はい。

吉村:結構、日本人、勤勉だし、ものづくりとかでも、すごいものを作ったりするんで、完璧主義がいいことみたいな感じでとらえられているところもあるのかな、という部分はあるんですよ。たしかに、そういう、ものづくり、すごいよね、みたいな話というのは、あるから、日本人の特性とか、いいところではあるとは思うんですけど、全てにおいて、完璧なひとって、どう考えても、いるわけがないんですよね。

三上:いるわけがない。

吉村:そうですね。だから、ひとって、なんでも、一長一短があって、得意な部分では、すごい力発揮するけど、苦手なことは、それほどでもないとか、下手をすると、平均をだいぶ下回ってしまうという、こともあるわけですよ。だから、ひとの持っている、得意分野とか、強みをかけ合わせていくことで、なにかすごいものができるというのは、あるわけなんですけど、それって、別にひとりの完璧なひとがやっているという話ではないわけですよね。

三上:そうですね。

吉村:はい。だけど、なんか、その、これって、日本の学校の教育とかで、減点法で、全部の教科で、平均以上をとりなさいみたいなことをやっているから、起きちゃう可能性もあるなと、僕なんか、思っているんですけど。そういう、完璧にやらなきゃ、みたいなことを、知らないうちに、無意識に思っているがために、苦しくなってる、生きづらくなっているひとたちというのは、結構いるなと思うんですよね。

三上:うーん。

吉村:だって、完璧になんなきゃ、駄目だ、って思ってると、自分がやったことに対しても、これは、完璧かどうか、みたいな、ジャッジが起き始めるんですよね。そうすると、どこかまだ完璧じゃないところなんで、さがせば、いくらでも、出てきちゃうから、そうすると、いつまでたってもね、まだ駄目だ、まだ駄目だってなっちゃうわけですよね。だから、たとえば、僕の娘たちは、趣味で、ずっと絵を描いていたわけですけど、最近、美術系の高校に通うようになったんで、そうすると、周りに、絵のうまい子たちって、結局いっぱいいたりとか、やっぱり、SNSとかを見てると、うまい子たちが絵を発表してたりするわけですよ。そうすると、それと比べて、自分は、まだまだ駄目だって、なってしまってたときもあるんですね。

三上:うーん。

吉村:でも、それって、完璧になるまで、人前に出すことはできないと思っていたとしたら、いつまでも、人前に出すことはできないまま、時が過ぎていくわけですよね。

三上:そうですね(笑)。

吉村:これ、完璧じゃなくてもいいから、SNSで絵をアップする、みたいなことをすると、その、みているひとが、いろいろコメントくれたりして、それで、いろんなひとが、これいいねって、言ってくれると、それでも元気もらえたりするし、また、他のひとたちの絵をみて、このひとのこういうところ、いいな、取り入れよう、みたいなことをやっていくと、言ってみたら、場数を踏んでいくことで、自分が成長していけるわけですよ。

三上:うーん。

吉村:これ、完璧になるまでは、人前に見せられない、完璧なものを仕上げるんだ、といっても、これ完璧じゃない、これも完璧じゃないって、完璧じゃないところをさがしたら、いくらでも出てきちゃう。だから、結局、完璧なものというのは、作りようがないんですよね。しかも、経験も浅ければ、技術もどうしても低いから、だから、完璧じゃなくてもいいから、いっぱいやり続ければ、言ってみたら、それよりもレベルの低いひとたちからみたら、すごく、完璧に見えるようなものになっていくわけですよね。実際、描き続けている本人からしたら、どんどん、自分自身も成長しているから、他の伸びしろとか、まだ、ここ、もっとできるなとか、見えてくるから、その段階では、そのひとにとっては、まだまだ完璧じゃないから、もっともっと、ここ、伸ばしていけるよな、というところを、また努力して、身につけていくことが可能になるわけですけど、人と比べたりして、自分の駄目なところばかりに意識が向くと、萎縮しちゃって、それを、たくさん、コツコツやっていくということができない状態になっちゃうんですね。

三上:うーん。たしかに、そうですね。いいものをずっと見ると、なんか、自分は、駄目なんだとかっていう、どんどんね、ネガティブな方向に、なってしまいますよね。

吉村:そうですね。別にその、そこって、完璧を目指してなければ、いいものみたときに、「あ、これいいな」って、「自分もこのひとのこういうところ、真似してみよう」とか、もっと軽い気持ちで、自分を成長させる方向に、意識であったり、行動であったりというのは、向きやすくなるわけですよね。

三上:うーん。

吉村:だけど、これが、自分にダメ出ししちゃうと、「駄目だ、駄目だ」って、結局、自分を抑えつけているから、自分が前に出にくいというか、成長しにくいとなっちゃうんで、言ってみたら、自分に栄養を与えてあげないと、自分が成長できないわけですよ。こころの栄養みたいなものをね。だけど、そこで、自分にダメだしをするということは、その栄養を、こころの栄養を与えているんじゃなくて、むしろ、こころに毒を盛っているようなことになっちゃうから、かえって、成長しにくくなっちゃうわけですよね。

三上:うーん。

吉村:それで、完璧主義のひとたちというのは、むしろ、その完璧を目指しているのに、そこにたどり着きにくくしているわけですよ。そもそも、完璧なんてものはないから、完璧なんて、なりようがないんですけど。自分が成長しちゃえば、自分の基準も、一緒に上がっていっちゃうから、「これは、完璧だ」とはならないんですけど。ただ、今のあなたが、完璧だと思っている、あのひとのレベルに、自分が、行きたいとおもったら、要は、自分を元気にさせてあげて、要は、コツコツやっていくということをしたほうが、実は、そこのレベルに、早く到達できるし、あとは、たとえば、絵の例えが続いちゃいますけど、絵をふたつ並べてね、どっちのほうがうまいかどうかって、技術的なところで評価したりすることもできるとは思うんですけど、決して、技術がすごいわけじゃないんだけど、なんか、この絵、好きだな、みたいなものってあったりするわけじゃないですか。ということは、単純に、どっちのほうが、上か下かって、はかれるものでもないんですよね。

三上:うーん。

吉村:ひとつのものさしがあって、そのなかで、どうかということをみたら、それは、たしかに、10センチの長さの紐よりも、20センチの長さの紐のほうが長いから、こっちのほうが長いよね、という評価はできるわけですけど、別に、この紐、何に使いたいかって考えたときに、10センチの紐のほうが、ちょうどいいという用途はきっとあるわけですよ。

三上:そうですね。

吉村:まあ、10センチと20センチは、ちょっと微妙かもしれないけど。日本のことわざでも、「帯に短し襷に長し」みたいな言葉があるじゃないですか。ということは、帯にするんだったら、充分な長さ、帯とたすきと、ちょうどいい長さというのが、それぞれあるということですよね。だから、そこに、どっちにもあってないよね、みたいな話のことわざではあるんですけど、でも、帯の長さと、たすきの長さと、どっちのほうが、正しいのかといったら、別に、帯に使いたいなら、帯の長さだし、たすきに使いたいなら、たすきの長さが正しいという話になるわけですね。

三上:うーん

吉村:それが、その長さと、この長さは、どっちのほうが、上ですかといっても、いや、基準は何ですか、という話になるわけですよ。だから、これは、ほんとにね、絵にかぎらず、他のいろんなことにおいて、いえるわけですよね。

三上:そうですね。いつも、ジャッジしてますもんね。自分のなかでね。

吉村:そうそうそう。だから、別に、その、家事なんかの話でいえば、掃除・片付け、めっちゃ、苦手なんだけど、すごく美味しい料理が作れます、とかって。じゃあ、掃除・片付けは、他のひとに、お願いして、美味しい料理作るほうに、注力したほうが、いいのかもしれないですよね。もしかしたら。

三上:すごい、わかりやすい。なにか、自分が満足して、自信がもてるものがあれば、その絵がうまかったとしても、「あ、すごい、ここいいな」というふうな、とらえかた、「ここ、自分も取り入れようかな」という感覚になると思うんですよね。

吉村:そういうことですね。だから、ダメ出しをするんじゃなくて、いいところを見つけるということをしたほうが、ひとは伸びるわけですよね。それは、たぶん、子育てで、子どもに対しての、コミュニケーションのとりかたでも、そうだし、自分自信に対する、コミュニケーションですよね。でも、これ、同じことなんですよ。だから、「あれは駄目だ、これは駄目だ」って言っていると、もっともっと、駄目になっていっちゃうから、駄目なことをさがして、そこをつぶすことで、完璧にしようという発想というのが、たぶん、結構あると思うんですけど、それは、うまくいかないですよ、ということを、ちょっと、今のうちに、お伝えして。

三上:はい。リスナーのみなさん、ききましたか。でも、わたしたちの、ほんとに、普段の生活に、関わることですから。今のお話ね。なので、ひとに会ったときも、悪い部分じゃなくて、これ、完璧主義と、ちょっと離れますけど、いい部分を見つけて、いきたいですね。

吉村:だから、完璧主義というのは、結局のところ、ジャッジの結果で、そうなっている、というか、ダメ出しをするのが正しいという考え方から、完璧主義になってしまっているというのが、問題なのであって、いいところを見つけるとか、いいところを伸ばすという発想は、悪いところを見つけて、ダメ出しするというのと真逆の発想になってくるので。だから、完璧主義の逆だから、なんでも、適当に、なあなあでやりゃあいいのかといったら、そういう話ではないんですよね。だから、完璧主義というのは、ジャッジの結果として、そうなってるから、苦しくなってくるのであって、いいところをみつけて、もっと伸ばしていこうという発想だったら、いわゆる完璧主義なひととは、全然違う感じの在り方になってくし、でも、結果的には、おそらく、他のひとからみたら、あのひとすごいよね、というような、状態になっていくんですよ。その、いいところを伸ばすということをやり続けたら。そうすると、別に、その本人は、全然、自分完璧とは思っていないんだけど、周りのひとは、あのひと、完璧だよね、って思うような、状態にまで、なっちゃうわけですよ。だから、それって、じゃあ、そのひとは、それで完璧なのか、といったら、全然そんなことはないわけですよね。完璧なんてものが、そもそも、存在していないということなんですよね。

三上:はい。いいお話が、わたし自信も、改めて、きけましたよ。みなさんも、いかがでしたでしょうか。完璧主義について、改めて、考えるきっかけに、なったと思います。はい。さあ、今日のテーマは、「完璧主義」で、お届けしました。吉村さん、本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。