098.マウント

自分がよかれと思った行動が、相手にとってはマウントと感じられる事も
そもそもマウントとは?

 

感想、ご質問はこちらにお願いします!
https://forms.gle/HhW7cXuA345QYmDZ7

YouTube:
https://www.youtube.com/c/kokoro-me
Web:
https://m-e-science./com

==================
◆文字起こしはこちら↓

 
三上:はい、皆さん、こんにちは。こころメンテナンス。本日もアシスタント三上恵と、氣功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい。さあ、今日はですね。私も身近に感じることがあってですね。今日はね、「マウント」皆さん聞いたことがある方も多いと思いますが、「マウント」を取り上げていこうかなと思います。よくなんかこう「あの人、マウント取っているよね。」とかという話は聞いたりすると思うんですけど、
今回、私が感じたのが、吉村さん。逆の立場、そうそうそう。私が思ってなかったんですけど、言葉に発したことが相手にとって「マウント取ってるよね」みたいな感じで言われ「え!?」ってことがあったんですね。
なので、「逆でもそういうふうに感じるんだ。私はマウント取ってたのかな。え、そんなつもりなかったけどな。」みたいな考えがあって、「マウントってそもそも何?」ってだんだん思ってきて。
なので、ちょっと今日は「マウント」を取り上げてお話を聞いていこうかなと思うんですけども。そもそもマウントとは改めて話をしていくと、自分の方が地位が高いみたいな感じでね、話をしていく。「私が上よ」みたいな感じだと思うんですけど。それについてどう思いますか?マウント自体。吉村さんは。

吉村:マウントの取り合いということは、大昔から人はやっていたことじゃないかなと思うんですよね。こういう行為がマウントを取ろうとする行為で人を不快にさせるよねということが、言葉や概念として広まってきたのは、比較的最近のことなんじゃないかなと思うんですよね。そういうふうにみんなが「あの人、マウント取ろうとするよね」とか「マウント取るのやめてほしいんだよ」というような会話をするようになったというのは、最近のことだというだけで多分昔から、みんなやっていたことだとは思いますね。
なんでそれをやるのかといったら、要は相手よりも優位に立ちたいみたいな氣持ちがあるから自分の方が上だぞというアピールをするわけですよね。これって要は動物が群れの中で「俺の方が強いから、ボスになるのは俺だ」みたいなことをやっているのと同じことを人が会話とかコミュニケーションの中でやってるから「自分の方が上だぞ、強いぞ。」ということをアピールする、相手に分からせようとする行為ということですよね。

三上:うーん。なるほどですね。私の例としてはですね、アクターズ。アクターズスクールといって、みんな学生の頃はそこを目指して女子とかみんな憧れの場所だったんです。そこの出身なのでネタの話題としてある女の子はアクターズに入りたかったけど三回落ちたと、その状況を知っている上でその子がいる周りの中で、「アクターズ、何回で受かったの?」みたいな話になるとするじゃないですか。
その子が居るから、「あ、ごめんね。私、1回で受かりました。」となったときに、その「ごめん」って要らないよねみたいな。まあ、話のネタでもあるんですけど、「ごめん」って要らないよねみたいな。「それ、マウント取っているよね」みたいな話で言われて、「え!?」みたいな。「へっ!?」みたいな感じだったんです。なので、「え、マウント?これマウントなの?」みたいな。

吉村:なるほどね。はいはいはい。

三上:私はそんなつもりじゃなかったけども、相手にとってはそれがマウントって感じるんだというので、「そもそも、マウントって何?」というふうに感じたときがあったんですよ。

吉村:うーん。要はマウントを取ることはよくないことであるという認識が世の中に広まったというのが、まずあるじゃないですか。そうすると、今度次に何が起こるかというとあの人はマウントを取る人か取らない人かとか、この発言はマウントを取っているのかそうじゃないのかというジャッジが起きるようになるわけですよね。
これは、要は自分の方が上か下かみたいなので争そっていたのがマウントの取り合いだったわけですけど、それも上か下かでジャッジしていたから起きていたことなんですけど、今度、それをやることはよくないことだよねという認識が広まったことで、今度これはマウントかそうじゃないかという、新しいジャッジが起きるようになったわけですよ。分かります?

三上:はい。なるほどですね。

吉村:なので、お相手の方というのは、多分、そのアクターズスクールだっけ。入りたかったのに受けたけど落ちてしまったという経験をしたことが、その人にとっては辛い思い出というかね、なっているわけですよね。

三上:はい。

吉村:そこで傷ついている状態で、そこが癒えていない古傷に対して刺激を受けてしまったから、そのときの辛い氣持ちがまた蘇ってしまって、アイタタタという状態になるわけですよ。そこはその、三上さんは別にそういうことをしようと思って言ったわけではないけど、その人が傷がついていたから別に傷ついてないところを触っても別に痛くないけど、傷があるところを触ったら痛いわけじゃないですか。それは触るという行為自体がいいか悪いかという話ではなくて、傷があるところを知らずに触ってしまったということでもあるわけですよね。
だけど、触られた方としては「私が触られてこんなに痛い場所なんだから、そこをみんな知っているべきだろう」みたいな。これまた、ある意味私の状態を知っているべきであるという、「べき」とか「ねばならない」という話、これも一種のジャッジなわけですよね。これが起きているから、私が傷付いているところを配慮もなしに触ってきたあの人のあの態度はよくないというジャッジが起きているわけですよ。
なので、これは結局のところはね、「上か下か」というジャッジが次の段階に入って、「マウントか、マウントじゃないか」というジャッジであったり、「私のこの状態をちゃんと分かってくれているか、くれていない人か」みたいなジャッジだったりとか、ジャッジって次々と連鎖して積み上がっていくわけですよね。

三上:なるほどですね。そういうふうに感じたので「あの時、私はじゃあどうすればよかったんだ」というふうに考えたりしたんですね。

吉村:うーん。でもね、人によるその地雷を踏んでしまうというのは、ある意味、完全に予防することは不可能だと思うんですよ。だって、その人のどこに地雷が埋まっているかって分からないわけだから。本人は無意識でもその地雷を避けて生活をしているわけですよ。だけど、他の人と関わると他の人が自分のそのフィールドのどこに地雷が埋まっているか分からないから、距離が近づいてくると知らず知らずにお互いの地雷を踏みあってしまうということが起きるわけですよね。
だから、地雷が少ない人だったら地雷を踏まれる確率は低くなるわけですよ。少ないから。だけど地雷が多い人は、あるいはみんながよく歩く場所に地雷が埋まっているとかいうふうになると踏まれる機会が多くなってしまうわけですよね。だから、クリアリングという僕がエネルギーワークで提供しているサービスというのはその地雷を撤去する作業なわけですよ。エネルギー的に。
なので、その地雷を少なくするとことで、生活をより快適にするということは可能になるわけですね。人に踏まれると不快というのもあるけど、同時に自分はいつもその地雷を避けて生活しているわけですからそういう意味では自分の活動範囲も狭くなっているわけですよ。あんまりそれで自分が不自由しているという自覚はないかもしれないけど。
実は結構それを避けて生活するために、沢山のエネルギーを使っていたりとか、一生懸命人にその地雷を踏まれないための防御をするみたいなことでも手間暇をかけていたりするわけなので、地雷のない方がよっぽど快適に暮らすことができるわけですね。
なので、クリアリングをすることができるという選択肢がある場合は、実は人が地雷を踏んでくれることは有難いことでもあるんですよね。「あ、ここに地雷あったんだ」って氣付けるから。
だから、自分はこういうことですごい傷ついていたんだなって、これをいなして手放せた方が、自分はもっと快適に暮らせるよねっていうふうに氣付くチャンスでもあるんですけど、大抵の人は自分が傷ついているその傷というのは、一生墓まで持っていくものというふうに無意識に思っているケースが多いので、地雷をなくすんじゃなくてみんなが私のこの地雷を避けるべきであるという考えになりがちなんですよ。

三上:なるほどですね。ある意味、もしクリアリングとかそういう方法とかって頭にあったら、「あ。私、今ここでグサッときたな。」と氣付ける。で、何か変わりたいとなった場合は、クリアリングしてですけど、あー、そこがちょっと難しいところですね。自分で私がアドバイスすることで、逆にマウントって。

吉村:そうなってしまうんでね。だから、中々これをクリアリング無しに、コミュニケーションでなんとかするというのは難しいことではありますよ。ご本人が氣付いて、「自分、ここなんか地雷持ってんだな。」って、
じゃあ地雷があると分かったときに、次に何が起きてしまうかというとここに地雷を持っていることは恥ずかしいことであるとかね、こういう地雷を持っている私はダメな奴だというジャッジが起きてしまう可能性がまた出てくるから、これを人に知られないように隠しておかなきゃということをやり始めるんですよ。
でも、そうすると余計に知らずに踏まれる可能性が高くなってしまうんですよね。だから、本当は、結構辛いことではあるかもしれないんですけど、自分はそこで傷ついているということを一回認めて、周りの人にも「自分はこういうことで傷ついているんだよね。」ということを、ちゃんとコミュニケーション取って知ってもらうことをした方が、周りの人も「あ、そうか。この人と会話する時は、アクターズスクールの話はあんまり出さないようにしよう。」みたいな氣の遣い方ができるわけじゃないですか。
だけど、本人は、自分がそこで傷ついているということをカッコ悪いことと思ってるから言わないようにすると、そうすると知らずにまたその地雷踏まれてボンとなるわけですよね。結構そこの悪循環が起きているんですけど、本当はそれをもっと自分をさらけ出していった方が楽になれる可能性は広がっていくと思いますよね。

三上:うーん。そうですね。みんな隠さず素を出していくと、「この人、こんな人なんだ。じゃあ、こうしよう」というのが見えて、お互いの信頼、距離が縮まりますもんね。

吉村:そうなんですよね。

三上:いやー、すごい分かりやすかった。すごい安心、安心というか自分の氣も楽になりました。

吉村:よかったですね。

三上:そこまで深くは考えてなかったんですけど。(笑)こういう場合もあるんだなというぐらいで私も思っていたので。いい時間でした。皆さんも多分、マウントって聞くと思うんですけど、自分に置き換えて周りにもこういう人居たな、自分もこうだったなというふうに振り返っていただきたいと思います。今日は、「マウント」でテーマお届けしました。吉村さん、本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。