099.ジャッジを少なくすることは好き嫌いを減らすことと同じなのか?

ハンドルネーム ポポさんからのメッセージを取り上げて、吉村さんからお話伺いました。

 

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三上:はい。みなさん、こんにちは。こころメンテナンス。本日もアシスタント三上恵と、氣功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい。さあ、今日はですね。一般向け、メッセージが来ておりますので取り上げてお話していきたいと思います。

吉村:はい。

三上:はい。ハンドルネーム、ポポさん。ハンドルネームも可愛いですね。来てますよ。はい。
「吉村先生、三上さん、いつもほのぼのとした温かい雰囲氣と、とても勉強になる内容の配信をありがとうございます。早速、質問なんですが、吉村先生がよく仰っています。『ジャッジを減らしたほうがいい』というお話を聞いて私もそうなりたいと思うのですが、
ジャッジを少なくすることは、好き嫌いを減らすことと同じでしょうか。自然に湧き上がってくる感情をどのように変えていけばよいのか、ジャッジの減らし方について何かアドバイスやヒントがありましたら教えて頂きたいです。よろしくお願いいたします」と、来ておりますよ。はい。

吉村:はい、うんうん。なるほどですね。これはね、非常に面白い、興味深い内容のご質問で、ですね。まあ多分ジャッジを減らすというところから、好き嫌いを減らすということに関連づけられちゃうということはよく起きてしまいがちなことなんじゃないかなというのはすごく思いますね。
だから、ここでこういうことなのかなという疑問が出てきたというのはすごくよく分かりますね。きっとそこに関連づきやすいだろうなというところなので、ただここは、じゃあ好き嫌いってそもそも何なのかというところから、ひも解いていった方がいいんじゃないかなと思うんですよね。

三上:好き嫌いとは何か。えー、好き嫌い。感情、私の場合、感情のままに、「ワクワクする」とかが好きで、嫌いなときは「なんか嫌だ」みたいな「ここに居たくない」みたいな感じですけど。私の場合は。

吉村:そうですね。自然に湧き上がってくる感情とおっしゃっているし、ポポさんも。まず感情というのは自然に湧き上がってくるもので、それに対して人はなかなか抵抗することはできないよねという前提があると思うんですよ。
実際、感情が湧き上がってきてしまった場合、それに抵抗するということは、非常に難しいし抵抗してもあんまりうまくいかないから、時間やエネルギーの無駄なのでまず抵抗はしない方がいいんですよね。

三上:抵抗しない方がいい。はい。

吉村:そうそう。感情に対しては。ただ感情に飲み込まれてしまっている状態、感情に突き動かされて行動を起こすということというのは、必ずしも感情が出てきたら、その感情は何かしら言動に乗っからなければといけないのかといったらそんなこともないんですよね。
だから、まず大事なことは「自分は今こういう感情が出てるんだな」というふうに、一回自覚することなんですよ。
そのことに対しても、この感情はいいとか悪いとかジャッジをしないで、「今、私こう感じたんだ。」ということを、まず一回、その感情と向き合うというのかな。例えば「ここに居るのは嫌だ」という感情が出てくるという話、先ほどあったじゃないですか。

三上:はい。

吉村:そうしたら、「嫌だ」といっても、すぐにバーっと飛び出すんじゃなくて、「あ。今、私、嫌だって思ってるな。」というのを認識して欲しいんですよ。
そうすると、その感情は一体、何に対して反応して、「嫌だ」ってなったのかってというのと向き合うことができる可能性が出てくるわけですよね。

三上:うーん、うんうん。

吉村:そうすると、感情にもう突き動かされて、バっと飛び出してしまうのではなくて、「あ、このことに対して、私、反応してるなあ。」って、「これはじゃあ、この部分に関しては、なにか手を打てるんじゃないか。改善できることがあるんじゃないか。」とか、
あるいは「これに反応したけど、でもよく考えたらこの反応の仕方って、ちょっとおかしいんじゃないかな。」というような、一回、冷静に自分が何に反応したのかということを検証することが可能になるんですよね。
なので、まず感情が出てきました。それに対しては隠したりとか、見ないふりをしたりとか抑え込んだりするんじゃなくて、「今、自分、これに反応してこうなったんだ」というところを見てほしいんですね。
で、もちろん、自分が楽しいとかここ大好きとかいうのに関しては、全然それを存分に味わうのはいいんですよ。だけど、ここでじゃあ「嫌だ」という感情は、一回俯瞰して向き合ってみてくださいと。で、好き楽しいという感情は存分に楽しんでくださいという二つの別々の対処法みたいなことを、僕お伝えしましたよね。

三上:うんうん。

吉村:というのは、なぜそうなのかといったら、嫌だとか嫌いという感情と、好き楽しいという感情は、実は別のものなんですよ。

三上:別のもの。うん。

吉村:そうそうそう。感情って一つの言葉で表しているから、だから、ネガティブな感情もポジティブな感情も、感情というものがまずあってそれのメーターがネガティブ寄りになっているか、ポジティブ寄りになっているかみたいなので、同じ感情というものなんだけどその中のカテゴリーにネガティブ感情、ポジティブ感情というカテゴリーがあるというふうに、みなさん捉えていると思うんですよね。感情は感情でしょって。

三上:うんうんうん。

吉村:ここ、実はすごい微妙な話なんですけど。この「好き」と「嫌い」というのは同じもののメーターの向きが違うということではなくて、そもそも別の独立したものなんですよ。

三上:独立したもの。うん。

吉村:はい。好き嫌いというと好きの反対が嫌いで、嫌いの反対が好きって聞こえるじゃないですか。

三上:はあ、はい。

吉村:だけど、好きと嫌いが同居している状態って体験したことありません?

三上:あー。

吉村:一人の人に対して、この人のこういうところ好きなんだけど、ここ嫌いなんだよな、って。

三上:ある。あります。

吉村:ありますよね。その人に対しての感情は好きという感情と嫌いという感情が同居していますよね。

三上:してますね。

吉村:これもし「感情というものが一つです。だから、ものさしが1個あります」と、「このものさしの中間地点がゼロで、こっち側に傾いていたら好きで、こっち側に傾いていたら嫌いです。」ってなったら、中間はゼロだけどそこのゼロよりちょっとでも好きだったらもう嫌いじゃないということだし、ちょっとでもゼロよりも嫌い寄りだったら・嫌い側だったら全然好きじゃないということになっちゃうじゃないですか。

三上:うんうん。

吉村:だから、真ん中にゼロがある1本のものさしがあるんじゃなくて、この好きというメーターと嫌いというメーターが別々にあって、それぞれが上がったり下がったりしているんですよ。分かります?

三上:うーん。分かります、分かります。

吉村:はい。だから、好きの反対はそんなに好きじゃない。嫌いの反対はそんなに嫌いじゃないというのが、メーター二つある状態ですよ。ざっくり言うとね。

三上:はいはいはい。うんうんうん。

吉村:別のエネルギーなんですよ。

三上:はー、なるほど。ちょっと深いですね、話がね。うん。(笑)

吉村:そうなんですよ。で、この嫌いというエネルギーというのが要するに、「愛と恐れ」という話でいうところの恐れの部分なんですね。恐れているから嫌いなんですよ。よくないというジャッジをしているわけなんですよね。

三上:はいはいはい。

吉村:で、この「ジャッジは少ない方がいい」と、僕いつも言っているんですけど、「ジャッジを全てなくしてください」とは言っていないと思うんですよ。

三上:うんうん。

吉村:それは、なんでかというと僕たちの肉体は生きていくために、ジャッジがどうしても必要なんですよ。だから、「生きること好き」「死ぬこと怖い」となるから生きようとするわけですよね。だから、「栄養のあるものを、食べ物食べたいよね」「毒はとりたくないよね」とかっていうのは、体を健やかに生かしておくにあたって必要なことなんですよね。
だから、体動かしたいときには動かしたいし、ということは、そのときに閉じ込められていたら嫌だよねという話だったりとかね。
「疲れているから、休みたいです」と「もう寝たいんです」と言ったら、そのときに無理やり起こされて、何かこき使われたら嫌だよねとなるわけですよね。

三上:(笑)

吉村:だから、その望ましい状態の反対側は嫌だよねというジャッジをするのは、肉体にとっては当然のことなんですよ。ただ何が自分にとってよくない状態なのかっていうのを見極めるというのが、肉体の五感を通してだけだとちょっと難しいというのはあるわけですよね。
例えば、青酸化合物とかあるじゃないですか。ちょっとでも飲んだらヒト死んじゃうような、恐ろしい猛毒ですよ。でも、あれニオイを嗅ぐとアーモンドのニオイにすごく似ているらしいんですよね。ということは、ニオイ嗅いだだけだとこれが毒だと分かんないです。

三上:分かんないですね。

吉村:分かんないですよね。でも、毒飲んだら死んじゃうから毒は嫌じゃないですか。だけど、これでアーモンドのニオイがする物全部駄目となったら、アーモンドチョコレートとかも食べられなくなっちゃうわけですよね。

三上:あー、なるほどですね。

吉村:だから、自分にとって何が不利益なのかというのがちゃんと分かっていないと、判断のしようが本当はないんですよ。だけど、僕たちの五感というのは、全部何が自分の体にとって、本当は害があるのかとか不利益なのかとかというのを完全にはその一瞬では分からないから、だから、ちゃんと検証しないと分からないんですよね。
あともう一つ、僕たちの魂ですよね。この肉体は肉体という乗り物で、この世界で生きるにあたって僕たちの魂が使っている、いってみたら乗り物というのが一番分かりやすい例えじゃないかと僕は思っているんですけど、
そこに魂がいってみたら乗り手として乗っかることで、この世界での人生という旅をしているわけですけど、魂は別に死なないんですよね。肉体が死んじゃっても別に、次の肉体と結合してまた生まれ変わってくるから、魂って不滅の存在なんで、ということは何かを避けなきゃいけないということは特にないんですよね。

三上:うーん。

吉村:例えば、僕たちが高い所に登って怖いと感じるのは、落っこちたら死んじゃう可能性があるから、肉体を守るためには怖いという感情があれば、不用意に高い所に近づかないとかそういう、自分の体を守るための選択ができるから怖いという感情を持っているんですけど、でも別に、魂からしたら肉体が死んでも、魂自体はなくならないから魂にとっては別に怖いことではないんですよね。

三上:うーん。うんうんうん。

吉村:なので、怖いとか嫌いという感情の出どころというのは肉体なわけですよ、大体。だけど、魂はワクワクしたり、楽しいことがしたいと思ってこの世界に来ているわけですよね。

三上:そうですね。うん。

吉村:だから、肉体と結合して楽しい旅を送っていこうというのが魂の目的だとすると、この旅を安全に続けていくためには、肉体が途中で故障して動けなくなっちゃったら、もう旅が終わっちゃうわけじゃないですか。だから、この肉体がちゃんと健やかな状態で、旅をし続けられるようにするためには、危険なものを避けなきゃいけないよね、ということが、肉体にとっては条件としてあるので、
それを二つ併せ持っているのが人間という存在なんですね。なので、「好き、嫌い」というのは、好きと嫌いが同じものさし上にあるのではなくて、別々のものであるということを知ってもらうと、ジャッジというのは、要は、嫌いとか怖いとか嫌とかっていうそこの部分の話をしているわけですよね。

三上:うーん。

吉村:なので、別に好きにならなくてもいいんだけど、嫌わなくてもいいんじゃないということが、世の中にはすごくいっぱいあるわけですよ。分かります?

三上:ね、言いますよね。光と影との話と同じようにね。二面性が色々あると言いますもんね。

吉村:そうですね。それが、だから、「反対は反対なのである!」みたいなね。そういう話ではなくて、別々に存在しているんです。だから、例えば、光と闇ってよく対比されるけど、闇というのって何かというと要は、「光があんまり無いよね」という状態のことを闇と呼んでいるだけだから、
闇という何かがあるのではなくて、「ここには、光が少ないですね」と言っていることなんですよ、本当はね。だけど、「光の反対は闇だ」という認識があると、闇という何かが存在しているっていう感じになっちゃうんで、そうすると、それをまた恐れるようになっちゃうわけですよね。

三上:うーん。うんうん。

吉村:なので、実際には光が本当に無い場所があるのかといったらそんなことはなくて、僕たちの目が、「ここ、超暗闇でなんだか分かんないね」と言っていても、例えば、赤外線だったり紫外線だったりはあったりするから、赤外線が見える動物からしたら、全然暗くないよって話になるんですよね。(笑)

三上:(笑)

吉村:なので、「ジャッジを減らしていく」という話に関しては、好き嫌いを減らすということではなくて、多分ここで「好き嫌いを減らすことと同じでしょうか。湧き上がってくる感情をどのように変えていけばいいのか」という質問をされているということは、好き嫌いがあることに対してもジャッジが起きているんですよね。
好き嫌いがあることはよくないことであるみたいな、ジャッジが起きちゃっているんだと思うので、そこって、よくないものを排除しようとするんじゃなくて、自分がこれに対して嫌いとか怖いとか、嫌だと反応が起きたときに、「何に反応して、それが起きているのか」というのをよく見てほしいんですよね。

三上:うん。

吉村:そうすると、確かにこれは避けた方がいいことだということももちろんあると思いますよ。例えば、高いところに登ったときに、手すりから手を離すのはやめた方がいいよねみたいなのは。(笑)

三上:(笑)

吉村:これは実際に危険だからやめた方がいいなと分かるわけですけど、そうじゃなくて、例えば、室内でガラス張りで外は見えるけど、でも室内でここから落ちて死ぬことはまずないとということになった場合、もしかしたら「あ、確かに高いところに居るということですごく怖く感じているけど、でも、実際にはここは身の危険あんまりそんなにないよな。」って氣が付いたら、もしかしたらあんまり怖くなくなるかもしれないですよ。
あるいは、今、自分が怖いと感じているのは結局この場所そのものに反応しているのではなくて、もしかしたら昔ジャングルジムから落ちた経験があって、あのときの怖いって感情がここで蘇っているのかもしれないなとかというね。
そうすると、あの怖いとこの場所というのは、本当は同じじゃないぞと氣付くことで、もしかしたらあんまり怖くなくなる可能性というのは出てくるわけですよね。

三上:うーん。

吉村:なので、好き嫌いをなくしていくということではなくて、自分が嫌いとか怖いというものに出会ったときに、これは何に反応しているんだろう、今のこの現状そのものに本当に反応しているんだろうかというのを、ちょっと見つめ直すということがジャッジを減らすということに繋がるんじゃないかなと思いますね。

三上:はい。ということで今日は、ポポさんから頂いたメッセージで色々吉村さんに詳しく、ちょっと深かったですね、お話がね。

吉村:そうですね。(笑)はい。

三上:ね。伺ったんですけども。なので、ポポさんこのお話を聞いて、どう感じてどういうふうにやってみたのかとか、お話の感想をちょっと頂きたいなと思います。
今日、すごい深いお話を、みなさん聞いてる方も「ああ、なるほど」というふうに感じたと思いますので、是非是非メッセージ頂けたらなと思います。今日はハンドルネーム ポポさんからのメッセージをいただいた内容を、吉村さんに詳しくご紹介していただきました。吉村さん、本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。