276.他人への期待

他人の期待に応えることで自分が疲れてしまいます。他人の期待に振り回されない方法はありますか?
の質問に吉村さんに答えて頂きました。

 

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三上:皆さん、こんにちは。こころメンテナンス、本日もアシスタント三上恵と、氣功ヒーラーの

吉村:吉村竜児です。

三上:吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:さあ、今日のテーマなんですけども、【他人の期待に応える事で自分が疲れてしまいます。他人の期待に振り回されない方法はありますか?】はい、この質問で取り上げていきたいと思います。どうしても期待に応えたいっていう気持ちもあるけど、自分も尊重したいとかね。色々テーマを読みながら、今2つの感情が出て来たんですけど。

吉村:そうですね、他人の期待に過度に応えようとして自分が疲弊している人って、多分、(人からの評価で自分の価値が決まる)って思っちゃってるんだと思うんですよ。だから、他人の期待に応えたら相手が喜ぶから、それによって相手からの自分に対する評価が上がって、それ=自分の価値が上がる事って思ってるわけですね。そうすると自分の価値が下がるのは恐ろしい事だから、一生懸命(期待に応えなきゃ〜応えなきゃ)っていう方向に行ってしまうわけですよ。

三上:うん。

吉村:だけど、これは先ず、凄く大きな間違いがあるんですね。土台の部分の前提に凄く大きな間違いがあって、これはですね、人が自分の事をどう思おうが、自分自身の価値は上がったり下がったりしないんですね。

三上:うん、自分自身はね。

吉村:うん。もっと言うと、人の価値っていうのは実は上がったり下がったりしないんですよ。

三上:そうですね。私が思ってるだけでね。

吉村:そうそう、「価値って何なのか?」っていうところで、価値って、例えば骨董品とか鑑定士さんが見て「これは300万円です」「これは1万円です」とかって値段がつくから、そうすると、その物の価値が「これは300万円の価値があるもの」「こっちは1万円の価値があるもの」「これは誰も買い取ってくれないから価値ないもの」とかっていうふうに、価値をお金に換算した数値化されたものがスコアみたいなのが付くわけじゃないですか。

三上: うんうん。

吉村: それによって、これの価値が違うっていうふうな話になってくるんですけど、でもこれって、別の人が鑑定したらちょっと違う数値がつく可能性もあるわけですよね?

三上:うんうんうん、そうですね。

吉村:って事は、「この300万円っていうのは、この物の絶対的な価値ではなくて、それを鑑定した人が300万円って言うのか、これは250万円ですねって言うのか?」みたいな、そこで差が出ちゃうって事は、その数値って絶対的なものじゃないんですよ、実は。

三上:うん。

吉村:これは、だから世の中的には他の色々な要素が組み合わさってくるわけですよね。こっちの鑑定士さんの方が世間的に知名度が高くて権威があるから、だからこっちの鑑定士さんの言う事よりこっちの鑑定士さんの言う事の方が、皆んな受け入れるというか信用するみたいな事で、だから「この物の価値は300万円なんです、以上」みたいな感じになってるけど、でもそれも「本当に?」「絶対?」って突き詰めていったら分かんないじゃないですか。

もしかしたら、どっかの大富豪が「私はこれ1000万円で買います」って言って買っちゃったら、「いやこれ1000万円になったよ。300万円じゃないじゃん」ってなっちゃうわけですよね。

だから、物の価値さえもそんな感じのものなわけですよ。だから、人の価値っていうのはそういう数値化して測れるようなものではそもそもないんですよね。これはちょっと、多分世の中的にはまだそんなに一般的ではない捉え方なんで、僕の中からの提案として聴いてもらえたらいいと思うんですけど【人の存在って、実はその存在そのものが価値なんですよね】

三上: うーん。

吉村: だからその存在そのものが価値だとしたら、その価値は別に上がったり下がったり増えたり減ったりしないんですよ。だってその存在そのものが価値だから。

三上:うんうん。

吉村:ここで、「この人の価値とこの人の価値は違う」っていう事は事実なんだけど、でも別にどっちが上でも下でもないんですよね。なんて言うのかな?平たい場所を違う方向に向かって歩いてるとするじゃないですか。

三上:はい。

吉村:そしたら、別にその人がどっち方向にどこまで歩いたところで高さは変わらないんですよね。

三上: うん、そうですね。

吉村: 「平たい所を歩いてるから。そうすると、北に向かって100メートル歩いた人と東に向かって1キロ歩いた人、どっちの方が上にいますか?」って言ったら別に上にはいないんですよ(笑)

三上:そうですね、確かに。

吉村:そんなような話なんです。【人ってその存在そのものが価値】だから、そうするとその価値は上がったり下がったりはしなくて、その価値は一人一人が全然違う価値を持ってるわけですね。ただ、【周りの人の評価が変わる】っていうところはその事実として、評価が上がったり下がったりするわけですよ。

だから、その価値が上がったり下がったりしてるんじゃなくて、評価が上がったり下がったりしてるから、あたかも「この人はこの人より価値が高い」とか「この人は価値がない」とかって言うふうに見えちゃってるだけですね。

三上: うんうん。

吉村: 評価が低かったとしても、その人はその人の価値が存在してるわけですよ。ただ、その人の価値はもしかしたら上手く表現されてないから、周りの人にその人の価値が伝わっていないとかね。後は、その人の行動に問題が〜言動に問題があるから、周りの人達に悪い印象を与えてしまってる。

例えば暴力を振るうみたいな事をしたら、痛い思いをした人は(この人嫌い)ってなるわけじゃないですか。そうするとその人の評価は下がりますよね。でも別に、暴力を振るったっていう行動をその人が取ったっていう事と、その人の存在そのものの価値っていうのは、また別の話なんですよね。

三上:うん。

吉村:だから、暴力を振ったっていう行動を取ったから、暴力を振るわれた人、周りから見てた人達のその人に対する評価が下がったっていうのは、これはこの人の行動の結果なわけであって、その人の価値そのものには関係ないんですよ。

三上: うんうん。

吉村: なので、先ず【自分っていう存在は、自分っていうそもそもの価値そのもの】であって、周りの評価を上げたいのなら、(自分の存在としての価値をどう表現するか)とか(それをどう人に受け取りやすい形で表現するか)(どう伝えていくか)みたいな事をする事で、その評価を上げる事は可能なわけですよね。

三上:うん、はい。

吉村:だからそれは、誰かが欲しがってる物を与えてあげるっていう事で、その人からの評価を上げるって事は出来るわけですよ。それは、欲しい物が手に入ったっていう事で、その人が喜んでくれるっていう事は、自分がその人に対して何か愛情表現をするとか貢献するっていう事で(その人が喜びました、それで評価が上がりました)っていう事は可能なわけですよね。

三上:うん。

吉村:だけど、それはあくまでも、こちらが余裕があるから出来る事であって、例えば、「この人が何か欲しがってます、僕はそれを持ってません」ってなったら、そもそもあげる事は出来ないわけじゃないですか?

三上:うん。

吉村:「もしかしたら、あの人に相談すれば何とかなるかもしれないよ?」って、誰か別の人を紹介してあげるみたいな形で貢献するって事は出来るかも知れないですけど、そこって自分が何か出来る事を探して、代替案みたいな事を出してそれをやってるわけであって、(この人の期待に自分が応えなきゃいけない)っていう構図を作っちゃうと、自分にとって出来ない事でも無理してやらなきゃいけないみたいな構図が出来ちゃうんですよね。

それは、この人の期待に何故応えなきゃいけないのか?っていう事を掘り下げていったら、恐らくは自分の価値っていうものがよく分からない状態になってるから、この人の期待に応える事で自分の価値を上げられるかも知れないっていう期待をしてるわけですよ。

三上:うーん。

吉村:だから実はこの人が「何かくれくれ」って言ってるから、(自分があげなきゃいけない)って思ってるっていうふうにこの人は思ってるかも知れないけど、実際のところは(これをやる事で、この人は私の価値を上げてくれるに違いない!)っていう期待をしてるんですよ。

三上:自分自身にね。

吉村:って事は、自分自身も「くれくれ」なんですよね、この時。

三上: (笑)

吉村:この人は「くれくれ」って言ってるから、私がこんなに頑張ってあげてるのに、なんでこの人は私に感謝してくれないんだ⁈みたいなね〜疲弊していくみたいな感じなんだけれど、それは要は(私の事をもっとチヤホヤしてよ)みたいな事を思って、一生懸命期待に応えようとしてるっていうね。

(期待に応える事で、きっと私の価値が上がる)っていう期待をしてるわけですよ。だから自分が(人に対して何か期待をしてるから、周りの人も私に対して何か期待してるであろう)と思ってるんですよね。だから「くれくれ同士がくれくれ言い合ってる」っていうような状態になっちゃってるんで。

そもそも別に自分はその人から何か貰わなくても【私は私で、私という価値が存在してるのである】って思ってたら、そしたら何か自分に余裕がある時に何か困ってる人がいたら何か助けるとか、これをしたら喜んでくれるだろうなっていうのがあったら、それをしてあげて、別にそれで何か喜ばれなかったら、(この人はこれをしても喜ばない人なんだっていう事が分かる)ってだけであって、

三上: うんうん。

吉村: 何か喜んでくれたら(喜んでくれた〜やった、もっとやろう)みたいな話になるだけなんですよね。だから、その相手から何か引き出そうとしてるから苦しいんですよ。

三上:でも、今日の話は、仕事とか恋愛とか家族色々なところであり得ますね。

吉村:そうなんですよね。だから、自分がちゃんと軸が出来てて余裕があれば【人に与える事が出来る人になる】し、与えてたら自然と受け取った人達からの評価は勝手に上がっていくから、多分、結果的には、その人が本来求めてた【周りからの愛情が本当欲しかった】みたいな話だと思うんですけど、それは【自分が与える側になったら手に入るんですよね】

だけど、ここで上手くいかなくて苦しんでる、期待に応えてるのに何故か自分が否定して疲弊していくばっかりだっていう人達は、自分の方が相手から引き出そうとして一生懸命押し売りみたいな事をやって、それで「もう帰ってくれませんか?」みたいな感じになって、(なんで?私こんな良いものを持って来たのに、なんで喜んでくれないんだ?)みたいな状態になってるんだと思いますよ。

三上:いいお話が聴けました。私もちょっと、自分自身の楽しむ事とかやっぱり相手じゃない〜相手っていうかそういう時もありますけど余裕があれば考えるきっかけというか、改めて感じる事が多かったなって(笑)思いました。

吉村: 良かったです。

三上: 今日のテーマは【他人の期待に応える事で自分が疲れてしまいます。他人の期待に振り回されない方法はありますか?】っていう事で吉村さんにお話を伺いました。きっと、色々感じる方、感じた方多いと思います。是非、皆さんからもこういったテーマを吉村さんに聴きたいとか、取り上げて欲しいという方がいらっしゃいましたら、是非、お便りメッセージお待ちしております。吉村さん本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。