247.ニュートラルなものの見方

ハンドルネーム なここさんからのメッセージを取り上げて、吉村さんからお話伺いました。

 

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三上:皆さん、こんにちは。こころメンテナンス、本日もアシスタント三上恵と、氣功ヒーラーの

吉村:吉村竜児です。

三上:吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:お便りが来ておりますので、読み上げたいと思います。

吉村:はい。

三上:なここさんですね。きております。

吉村:はい。

三上:「吉村先生、三上さん、いつもホッとするお話をありがとうございます。早速質問ですが、世界平和と犯罪や災害についてどうお考えですか。悪いことが起きることを想定して、不安をもとに防犯や備蓄をしたら、かえって悪いことが起きそうな氣もします。かといって、恐れのエネルギーを恐れて何も考えず思考停止するのも違うと思いますし、世界平和が実現していくプロセスで万が一に備えておくときニュートラルなものの見方のヒントがあれば、シェアをお願いしたいです。どうぞよろしくお願いします。」と来ております。

吉村:なるほどですね。これはなかなか素晴らしい質問だと思います。

三上:はい。

吉村:まず一つの方向性としては、なここさんがすでに質問の中でおっしゃっていることがすごく重要なポイントで、「恐れのエネルギーを恐れて」っていう表現を使われているんですけど、これ結構重要なポイントで、恐れることを恐れてしまうとか、恐れている状態とか恐れのエネルギー自体を恐れてしまうとなると、恐れが入れ子状に重なっていくわけですよね。

三上:うーん。さらに恐れてる。

吉村:そういうことを恐れて恐れてってなっちゃうから、だからまず恐れ自体のこともそんなに恐れないほうがいいわけなんですよ。ちょっと禅問答みたいになっちゃうんですけど。これどういうことかっていうと、恐れのエネルギー自体が悪いわけではないんですね。

いいか悪いかっていうふうに判断をすると、これがジャッジなわけですよね。これはいい、こっちは悪い、だから悪い方はけしからんと、排除しなければならないみたいな感じになると、これがジャッジなんですよ。恐れの感情とか恐れてるっていう状態、恐れそのものに対してこれは悪いものっていうレッテル貼りをするから、だから恐れに対してまた次の新たな恐れが生まれちゃうんですね。

だからまず恐れとジャッジっていうのは、ワンセットなものだと思ってもらえたらいいかなと思うんですよね。言ってみたら、ジャッジをするからジャッジをして悪いっていうふうにレッテルを貼った対象に対する恐れが出ちゃうわけですね。

あと恐れてる時の感情って恐怖であったり不安であったりっていうこの感情も不快な感情なわけですよ、僕たちにとっては。だからこれ不快であることは悪いことっていうジャッジが起きちゃうから、だからこれは良くないけしからんとか排除しなければいけないとかっていう、また次のいろんな新たなジャッジや恐れに発展してっちゃうんですね。

三上:うん。なるほど。

吉村:でも、恐れの感情自体は実は悪いものではなくて、僕たち肉体を持った人間という生き物としてこの世界で生きてますよね。僕たちの本質は魂で不滅の存在なんですけど、この肉体っていうものは有限なわけですよ。そうすると怪我したら痛いし、障害を負っちゃってその残りの人生がすごく制限を負うことになる可能性もあるし、下手したら死んじゃうかもしれないわけですよね。

それはこの肉体が有限であるから起きることであって、肉体を持ってない魂の意識体とかエネルギー体の状態だったら、まずこの肉体が傷つくようなことで傷つくことはないわけですよ。

三上:うん。

吉村:魂自体は不滅なんで死ぬことがないから何も恐れてないんですね。だから元は愛だけの存在なわけですよ。だけど肉体は死んだりとか大怪我を負ったりするかもしれないから、そこから自分を守らなきゃいけないんですよね。自分を守るために恐れっていう感情が存在するんですよ。

これは今危険ですよとか、このまま行くと危ないですよっていう危険信号を恐れの感情として僕たちは信号を受け取ってるわけですよね。

三上:うん。

吉村:なので別に、危険信号自体が悪いわけじゃないじゃないですか。例えば火災報知器なんてまさにピッタリな例だと僕は思うんですけど、火災報知器が鳴ってることが悪いことではないんですよね。

火災報知器が鳴ってるってことは煙が出てるとか火が危ないですよってことを火災報知器が教えてくれてるわけですよ。ということは火災報知器が鳴り出したら火の元大丈夫かなって確認をして、ここちょっと煙出てるぞとか火出てるな危ない危ないって消すわけじゃないですか。

三上:なるほど。

吉村:火事になりそうですよって、本当に燃え出す前に火を止めましょうねっていうことを、火災報知器が教えてくれてるわけであって僕たちが持っているネガティブな感情っていうのはそういう類のものなんですよ。

三上:なるほどね。恐れてるなって知った上でどうしたらいいのかなっていう考えであれば、ジャッジしなければってことですね。

吉村:そのための対処対応をするために今何かやる必要がありますよってことを教えてくれてる信号なんですよ、感情は。ただここでちょっと氣をつけた方がいいのが、この僕たちの感情って結構騙されやすいんですね。

三上:騙されやすい。

吉村:だから何か本当は危険じゃないものに対しても、これは危険だっていうジャッジをしちゃう可能性があるわけですよ。それが一種のレッテル貼りっていうことですよね。

だから何かこれは良くないものであるっていうふうにレッテルを貼っちゃうと、そのレッテルに対して反応が出るから、別に何か良くも悪くもないものだったら何の反応も起きないはずなのに、これは悪いものっていうレッテルを貼るからそれに対してネガティブな反応をするってことが起きちゃうんですね。だから火災報知器の設定が間違ってる状態みたいな感じですよ。

三上:はい。

吉村:だから、火災報知器は火事になる恐れがあるぐらいの煙であったりとか熱であったりを感知して鳴るようになってたら、これは良い状態の火災報知器なわけですよ。

でもこれが例えば人が入ってきて、人の体温でビービー鳴り出したとかってなったら、これは君ちょっと設定間違ってるよっていう話ですよね。
人間の体温で鳴っちゃったら、それは人間の体温で火事にならないから。でもそれはその温度が上がったっていうところでは一緒じゃないですか。ただ程度の問題なわけですよね。

三上:うん。

吉村:だから、そこの設定が間違っちゃうことがあるから、その場合には要は現状、事実と照らし合わせて、今鳴った警報は事実をちゃんと本当に火事になりそうだったのかどうかっていうのを検証する必要があるんですよ。

鳴りました、だから「鳴ってる、うるさい、止めろ」みたいなのだと本当に火事になりそうだった時に燃えちゃうから困るじゃないですか。だけど本当に警報が鳴りました、もうすぐに放水ってなったら、別に本当は設定が間違っていて、火事になる心配が全くないのに水浸しになるみたいなことが起きるわけですよね。

三上:なるほどね。あー、はいはいはい。

吉村:だから感情っていうのは実はそういう感じのもので、結構簡単に騙されちゃって設定がずれちゃう可能性があるから、絶えず設定がちゃんと合ってるかっていうのを確認して、おかしかったら直していく必要があるものなんですよ。

だけど、感情自体は確かにネガティブな感情は不快だから、ずっと出しっぱなしにしてたら不快になっていくし、実は結構肉体にとっては毒でもあるんで、ネガティブな感情をずっとほったらかしにしとくと下手すると病氣になっちゃう可能性も出てくるんですよね。

だからここはネガティブな感情が出てきたら、ネガティブな感情が出てこないようにする必要があるわけですよ。肉体が病氣になっちゃうのを防ぐためには。だけど、ここでじゃあ感情だけを抑えちゃうと何が起きるかって言ったら、本当は危険、火事になりそうなのに警報器の音だけを止めるみたいなことをしてることになっちゃうんですよ。

三上:それは大変なことになっちゃう。

吉村:音うるさい、不快だ、音止めようってやっちゃうと火事になっちゃうわけですね。それが要は薬で飲んで不安な氣持ちだけをなくすみたいなことをしたりとかね、とりあえずお酒を飲んでパッと忘れようみたいなことをしてると、実際には解決しなきゃいけない問題があるのに、それを不快感だけごまかして、ほったらかしにするってことにもなりかねないわけですよね。

防犯とかっていうのも、防犯防災っていうのも、恐れてる状態をさらに恐れるってなると、恐れが上塗りされていくことで余計に複雑になっちゃうから、まともな対処ができなくなっちゃうわけですよね。

なので、例えば防犯っていうことに関して言えば、今住んでる地域がどのぐらいの危険な場所なのか、安全な場所なのかっていうのは調べればある程度わかる話だと思うんですよ。周りの他の家がどのぐらいの感じなのか、例えば海外のスラム街とかだったら、窓に鉄格子とかつけてたりするわけじゃないですか。それだけ治安が悪いから、そのぐらいやっとかないと危ないよっていうことなわけですよね。

三上:うん。

吉村:でも日本だったら、とりあえず玄関の鍵閉めとけばまあまあ大丈夫だったりとか、ちょっと心配だったらセコム入れとくとかって、日本でも地域によって違うじゃないですか。

三上:はい。

吉村:だからその辺は、ちゃんと地域の治安とかそういうのを調べたり、周りの家がどのぐらいやってるかって見れば、どの程度やっとけば大丈夫だろうっていうのはわかるんで、そこまでやっとけば普通は大丈夫だろうって思ってもいいはずなんですよ。危険度はあんまりもうないなっていうことなんですよね。

だから例えば、これって例えば高いところに上がったときにどのぐらい怖いかみたいな話も一緒なんですよ。なんかその落ちたら大怪我するとか、死ぬ可能性がある高さだったらもう怖いのが当然なんですよね。だから高所で作業するときは、そういう安全ベルトつけましょうねとかっていうような、安全対策をすればそんなに怖くないわけですよね。

だけど安全対策を結構しっかりやってるにもかかわらず、もう怖くてガタガタ震えてどうにもならないってなったら、多分それはちょっと怖がりすぎなわけじゃないですか。

三上:うんうん。

吉村:あとは例えば、高さが30センチの台に乗っても怖いんだったら、これは30センチだったら普通そんな怪我しないでしょっていう感じなのに怖いってなったらやっぱり怖すぎなわけですよ。ということは何か、そこには何か恐れのブロックがあって、恐れなくていいものに対して恐れが出てるっていう話なんですよね。

だから恐れっていうのは、自分の要は命とか体の安全を保つためにある火災報知器みたいなサインみたいなものなんで、それを適切に使えていれば安全に人間として生きながらえていくことができるってことですよね。

三上:うーん。

吉村:でも僕たちの本質は魂なんで、あくまでもこれはその肉体を守るためのものですよね、恐れっていうのはね。だからある程度、肉体側にはリスクがあっても魂がやりたいことをちゃんとやっていくっていうほうが、その人のトータルで見たらその人の幸せであったり充実感っていうのが得られるわけですよ。

この身の安全だけを完全に守っていこうってなったら、あんまり活動しないほうがいいわけじゃないですか。リスクを最低限にして、だから引きこもって生活して、最低限の食事をとるためだけに活動して、あとはなるべく隠れて暮らすみたいな。それって野生動物はだいたいそういう生き方してるんですよ。

三上:そうですね。

吉村:餌をとりに行くとき以外はだいたい寝てたりするわけじゃないですか。体力を温存してるわけですよね。だけど人間ってそんな生き方できないんですよね。それは何でかっていうと、人間は野生動物じゃなくて魂があって魂のほうが本体だからなんですよね。

三上:わかりやすい。はい。

吉村:だからそこのバランスの兼ね合いっていうのが実は結構大事なので、その防犯とか防災っていう意識に関しても、まず自分の身の安全っていうところで、最低限これくらいやっておけばだいたい大丈夫じゃない?みたいなラインを見極めるっていうことですね。

このラインは人とか地域によって変わるっていうのは当然なので、これが周りの人たちと見比べてみて、同じぐらいやってるのにまだ不安が消えないとか、もっとやらなきゃ心配とかってなってるとしたら、多分そっちの設定が間違ってるから、そこはクリアリングすることで調整していくことは可能なんですけど。

かといって、出かけるときに鍵閉めないとか、SNSで個人情報全部ばらまくとかっていうのは、すごい高いところに何にも命綱もつけないで、ヒャッハーって踊ってるのとは変わらないわけですよ。

そうすると、しばらくは大丈夫かもしれないですけど、ひょっとした拍子に落ちて死んじゃうかもしれないわけですよね。だからそこら辺をバランスを考えながら調整していくっていうのがいいんじゃないかなと思いますね。

三上:はい。今日はなここさんのメッセージを取り上げて、ニュートラルなものの見方のヒントを吉村さんからお話を伺いました。やっぱりいろんな具体例が出るので、とてもわかりやすいですね。肉体と魂。

魂で生きてますから、ワクワクすることとか、自分が感じるままに今の人生を楽しみたいなって私も改めて思いました。

吉村:そうですね。それをちゃんと長く続けるためには、肉体の安全も大事なんで、バランスが大事ってことですよね。ワクワクするためのリスクを取ることも必要だけど、じゃあ安全は要らないのかっていったらそんなこともないっていうね(笑)

三上:なるほどね。はい、今日もわかりやすくご説明してくださいました。吉村さん、本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

246.断る勇気

他人の好意を断るのが苦手な方もいますよね、キッパリ断れるにはどうしたらいいのか吉村さんからお話伺いました。

 

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三上:皆さん、こんにちは。こころメンテナンス、本日もアシスタント三上恵と、氣功ヒーラーの

吉村:吉村竜児です。

三上:吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:今日はですね、私も氣になるテーマでお届けしていきたいと思います。ズバリ、他人の好意を断るのが苦手、きっぱり断れる自分になるには。こちらをテーマに。

吉村:はい。結構、やっぱり断るのが苦手みたいな話っていうのは、よく相談内容であったりとか、日常会話の中でも、そこに問題があるっていう人の話は聞きますよね。

三上:多いですか。

吉村:多分日本人に多いんじゃないですかね。断るのが苦手みたいな。だから、お店とかでいろいろすすめられると断りにくくてつい買っちゃうみたいな話とかを聞いたりとかですよね。断るのが苦手だと、たぶんそういういらないものを買ってしまったりとか、そういう問題が起きやすいんじゃないかなって思いますよね。

三上:そうですね。いつもマネキンさんに引っかかるんです、私。スーパーとか行くと、よく食べてどうですかってすすめられるじゃないですか。

吉村:試食販売の方ですね。

三上:そう、試食勧められると、食べる手前なんか買わないといけないかなとか思っちゃって、一旦カゴに入れるんですけど、一周して考えます。

吉村:なるほどね。(笑)

三上:そんなところとかね、普通に自分が必要なければいいです、結構ですって言えばいいことなんですけど、そういうところとかですね、きっぱりいいですって言いたいなとか思ったり、でも食べたいな試食とか思ったり。(笑)

吉村:なるほどね。それって何かあれなんですかね、断ると角が立つんじゃないかみたいのもあるってことですかね。

三上:断る、たぶん自分がいやなのかなっても、いい人でいたいっていうどこかにあるのかもしれないです。

吉村:なるほどね。(笑)誰にとってのいい人でいたいのかみたいな話ですよね。見ず知らずの試食販売の方にとっていい人であることが自分の人生にとってどれだけ重要なのかっていうことを考えると、あんまり大して重要な話ではないから、たぶん冷静に考えたら、これ要らないよなっていうのはわかると思うんですよ。

例えばそういうお店で買い物をするっていうことに限って言うと、そういう試食販売の方たちってすすめるのが仕事で、味見してもらって、氣に入ってもらえたら買ってもらえるっていうような、そういう仕事をしてるわけですよね。

三上:うーん。

吉村:だからたぶん断られるの前提で仕事をしているはずなんですよ。100人に声かけて、その中で10人が買ってくれたら、10人分の売り上げになるわけじゃないですか。あと90人に断られたところで、痛くも痒くもないんですよね。

それよりは、このお客さん100人いる中で、誰も氣がついてくれないから1個も売れないっていうよりは、100人に声かけて10人が買ってくれたらそれで売り上げになるから、それを目的にやっているっていうふうに考えたら、別に試食販売の人に断るっていうことは別に失礼なことでも意地悪なことでもなくて、

むしろ目の前でどうしようかなってうーんうーんやっている時間が長い方が、多分試食販売の人にとっては迷惑かかるんじゃないかなって思いますよね。(笑)買わないなら、美味しかったですけど、でも結構ですって言ってすっと去ってくれたら、次の人にどうですかってすすめられるわけじゃないですか。

三上:はい。(笑)

吉村:これは全部理性的に頭で考えたらそうなるよねっていう話なんで、多分感情面でいろいろとあるから、なかなかそれができないっていうことなんだと思うんですよね。(笑)

三上:そうですね、それもあるんですけど、例えば、その日に、これ今からここでみんなで集まるけどどう?とか言われたら、いろいろ仕事があるのに行きたい自分がいて、無理に行ってる自分とか。

吉村:そこは本当に行きたいんだったら、別に自分の予定を調整して行くっていうのはありだと思うんですよ。これが自分が行きたいからそのためにいろいろと頑張りました、で、行けましたってなったら、自分がやりたいことができたからOKじゃないですか。むしろ喜ばしいことですよね。

三上:うんうん。

吉村:だけど、例えば、誘ってくれた人に悪いからここで断ると、みんなに角が立ってあいつ付き合い悪いなとか思われちゃうかもしれないから、だから無理して本当はしんどいんだけど頑張っていきましたってなると、これは自分がやりたいことをやってるんじゃなくて、人から悪く見られたくないから、それを避けるために自分を犠牲にしましたみたいな構図になるんですよね。

三上:なるほど。

吉村:予定が立て込んでいるのに、それを頑張って調整して、それで誘われたところに行きましたっていう表面的な部分は一緒なんですよ、どっちのケースも。

それがどういうモチベーションでやってるかっていうので、全く意味が変わっちゃうから、だからそこは、むしろ自分が行きたいと思ったら、そのために頑張って予定調整していくっていうのを選ぶのは、自分の魂が喜ぶことをやってるから、これは多分いい結果になるんですよ。

それによって楽しい時間が過ごせました。やっぱり頑張ってそこに参加できてよかったなっていうことになるんですけど、これがみんなから付き合い悪いやつだって言われたくないからすごい頑張りましたってなったら、たぶん行った時間をどう楽しむかっていうところのエネルギーが変わっちゃうんで、

結局あんな頑張って来たけど、思ったよりみんな私の話そんなに興味なさそうだったし、期待したほどチヤホヤしてもらえなかったからなんか嫌だったなみたいな、そういうふうになっちゃうと、いってみたら元氣がなくなっちゃうわけですよね。

三上:その時の状況にも、表面上は一緒でも中身がってことですよね。

吉村:だから自分が元氣になれることをやった方がいいわけですよ。結果、元氣になれる。それはお店の人に何かすすめられた時に、こんなのもあったんだ、まさに欲しかったとか、食べてみておいしい、これ家でも食べたいってなって買うんだったら、これはいいと思うんですよね。

何か断りにくいから、ちょっとモヤモヤしてるんだけど、分かりました買いますとかってなると、結局すすめられたものを買ったっていう行動は一緒なんですけど、多分その後の結果は全然違う方向に流れていくと思いますよ。

三上:確かに。

吉村:断るっていうのも、断ることが悪いこととか失礼なことみたいな、多分そういう風潮が日本には少しあるのかもしれないですよね。それに関しては結構、僕アメリカで暮らしてたときは、アメリカ人はいらないものはすぐにノーノーって。

だからそこら辺は、別に断ることで相手を傷つけたりはしないっていうことをまず頭で知っておくことと、あとやんわりだけどきっぱり断るっていう、フレーズを自分の中に用意しておくといいんじゃないですかね。アメリカ人はね、ノーセンキューとか、さらっと言うんですよね。

三上:自分に正直じゃないんでしょうね、私って。今話しながら思いました。

吉村:(笑)だから、お店で試食販売のときなんかは、僕は一応食べてみるんですって、あ、美味しいですね、じゃあちょっと考えておきます、(笑)とか言って去るとかね、もうちょっと他見てみますとか言って、スッて去ったりとか、友達に誘われたときなんかは、すごい行きたいけど、この日これがあるからちょっとダメだな、また誘ってねとかって言って、

三上:角が立たないようにね。

吉村:角が立たないようにね。俺はなんとなくお決まりのフレーズみたいのを用意しておけば、それを別に自分が乗り氣だけどいけない場合でも、あんまり乗り氣じゃないから断ろうと思ってる場合でも、同じフレーズを同じように言うことはできるんですよね。

結果、本当は行きたかったけど、こっちを優先しないといけないから、ちょっと残念だけど、今回はこれを優先しようって言って断るっていうことと、あんまり乗り氣じゃないけど、相手に失礼にならないようにうまく断ろうっていうのと、一応、行けないとかあるいは行きたくないものに対して断るっていう、行動としては一緒なわけじゃないですか。

三上:うーん。なるほど。今日話を聞いて、、(笑)でも、きっとリスナーの皆さんの中にも、試食に関しては同じような人きっといる氣がするんですよ。

吉村:本当、まずお仕事をされている方たちは、お仕事としてそれをやってるんで、そこをちゃんとリスペクトして、別に断ることは失礼には当たらないっていうことを、知識として知っておくっていうことは結構大事じゃないかなと思いますよ。そこで相手が氣を悪くしてくるようだとしたら、それって押し売りじゃないですか。

三上:うん、確かに。

吉村:むしろそっちの方に問題がある、その人に問題があるってことですよ。セールスマンに、断ろうとしたら、ちょっと語気が荒くなってきたとか、感じが悪くなってきたってなったら、それは、それこそ消費者センターとかに電話かけていいような案件だと思うんで。

そうじゃなくて、本当に真面目にお仕事をしている人だったら、まずはこういうのがあるんですよ、どうですかっていうのは、その人たちはお仕事としてやってるんで、それに対して、はいかいいえかっていうのを、こっちもちゃんと、それが欲しいか別に欲しくないかっていうのをきちっと伝えた方が、その人は、あ、そうなんですねって、すぐに次のお客さんに行けるかどうかっていう、ここのタイムラグがあるかないかみたいなところで、スっと断ってくれた方がすっと次に行けるから、多分ありがたいと思ってくれると思います。

三上:はい、私は断る勇氣をしっかりと持ちたいと思います。(笑)ということで、いろんな今日はメモしながら、どうやって断るリストをちょっと考えながら聞いてました。

吉村:(笑)

三上:ということで、今日はちょっと私が思っていたテーマで、他人の好意を断るのが苦手な私がきっぱり断れる自分になるにはということで、吉村さんから、いろいろアドバイスいただきました。吉村さん、本日も素敵なアドバイスたくさんありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

245.節分

もうすぐ節分、昔は節分が1年のはじまり、今で言うお正月だったようですよ、今年の運勢や占いに関するお話しも吉村さんから伺いました。

 

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三上:皆さん、こんにちは。こころメンテナンス、本日もアシスタント三上恵と、氣功ヒーラーの

吉村:吉村竜児です。

三上:吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:もうすぐ節分がやってきますね。吉村さんのお自宅なんかでも豆投げますか?豆投げますかって。

吉村:豆投げるのは、もう何十年やったことがないですね。娘たちが、そういえば保育園の時にね、保育園で娘たちはやってるんですけど、家ではね、うちは家の中では豆投げないからって言って、結局掃除するのが大変だったりとかするじゃないですか。

三上:確かに。

吉村:そういう習慣には参加してないですね。

三上:今、いろんな落花生になったりとかね、いろんなバージョンが出てきてますよね、節分もね。

吉村:そうなんですね。うちは家族揃って食べることが大好きな人たちが多いので、恵方巻は結構やってますよ。近くのお寿司屋さんに注文して、みんなで太巻を食べてますね。

三上:ちなみに今年はですね、東北東を向いて食べるということで。昔は食べる習慣なかったような氣がしますけどね。

吉村:これは関西の方の習慣なんで、関西の人たちは多分昔からやってたんだと思うんですよ。多分コンビニとかいうお店が、この習慣を全国に広めれば多分全国で恵方巻売れるぞっていうふうに、多分思ってそういうマーケティングをした結果、僕が住んでる東京の方とかにも恵方巻の習慣がやってきたんじゃないかなっていうふうに思ってますね。

三上:なるほどですね。今年も恵方巻を家族で食べる予定ですかね。

吉村:全然関西人じゃないんですけど、だから昔はそういうの知らなかったからね。太巻きを丸々一本一人で食べるとかっていう感覚がなかったから、そんな食べたらお腹いっぱいでもたれちゃうんじゃないかみたいな感じで思ってたんですけど、

やってみたら案外食べられるって、恵方巻ってこういう食べ方できるんだなみたいな。とりあえずね、やっぱりおいしいし、後で散らばった豆を片付けなくても済むみたいなことから、恵方巻をうちでは習慣として取り入れることにしましたね。

三上:いいですね。私も今年は恵方巻頼んじゃうかな、作るんじゃないんですよ。はい。思うんですけど、確かこの節分がお正月みたいな話をしたと思うんですよ。

吉村:はいはい。そうですね。だから日本の昔の暦だと、節分で新年明けるみたいな感じになってたようなので、だから算命学とか四柱推命とか、あとなんか九星氣学みたいな、誕生日から占う占い、統計みたいなことを使ってやってる占いっていうのは、日本のものは節分で年が切り替わるっていうふうな、そういう暦になってるんですよね。

だから今年も新年明けて辰年になってますけど、昔の暦の感覚でいくと節分から辰年になるんで、それまではまだ兎年の状態なんですよね。僕はその中、四柱推命とか算命学でいうところの虎兎天中殺っていう、そういうカテゴリーの人なんで、虎年と兎年は天中殺って調子が悪くなる年なんですよ。

三上:これがもうそろそろ抜けるわけですね。

吉村:天中殺は算命学とか四柱推命だとある概念で、九星氣学とかだとまた違うバイオリズムみたいなのがあるらしくて、そっちで見てもらうと、僕にとっての過去2年というのは決して悪い時期ではなくて、むしろ良い時期だったみたいなんで、

たぶんそっちの、天中殺で調子が悪くなっているのに対して、算命学の方の氣学か、氣学の方の調子がいいよっていう流れと合わさって、中和されて悪くない時期を過ごせたんじゃないかなっていうふうに思ってるんですけど。またこれで天中殺が開けるとさらに良くなっていくんじゃないかなという期待感はありますよね。

三上:やっぱりこういうふうに四柱推命とか天中殺でしたっけ?

吉村:天中殺っていうのが四柱推命とか算命学でいうところの、12年のうちの2年間調子悪いみたいな。

三上:実際どうでした?

吉村:過去2年間の今回の天中殺の時は、自分なりにちょっと色々氣をつけたりもしてたんで、全然悪くはならなかったですね。むしろ例えばそういう仕事に関してとかは良くなってたし、結構全然悪くはなくて、むしろ良いっていう感じですね、全体的に見た時に。

もちろんその間の上がり下がりみたいなものはあるんですけど、ただ12年前の前回の天中殺の時期っていうのは、僕すごい大変な時期だったんですよね。それこそ離婚裁判があったりとか。

三上:ああ、うーん。

吉村:仕事の方もうまくいかなくなっちゃって、売り上げが激減してしまって、そこからリカバリするのにちょっと大変だったりとか。ただ、そこもその時すごい苦しい時期はあったんですけど、

その苦しい時期があったから、例えばちゃんとビジネスの勉強とか経営の勉強しなきゃっていうふうに思い立って、ちゃんと勉強することができたから、多くの経営者の方たちとのつながりができて、たくさんの学びを得ることができたっていうのもあるし、

例えば結婚とか子育てに関しても、なんとなく僕は流れみたいなのってそんなに深く考えてなくて、とりあえずこんな感じで進めればいいのかなみたいな感じで、ぬるっと結婚してしまったんですけど、

やっぱり家庭を一緒に運営していくっていうことっていうのは、そんなに簡単な一筋縄ではいかないから、お互いちゃんとコミュニケーションとって、どうしていきたいのかみたいなね、意思確認であったりとか、本当に協力し合って家庭を運営していくことができるかどうかみたいな、そういう視点ですよね。

ただ好きだから一緒にいるとかだけじゃなくて、ちゃんと一緒に人生を運営していく、歩んでいく、お客さんとして体験してるんじゃなくて、運営していく側として運営するっていうこの感覚ってすごい大事だと思うんですけど、これをすごい学ばせてもらった、学ばないとこれは立ち行かなくなるぞっていうふうに、自分を追い込んでくれた経験だったんですよね。

そこまで追い込まれなかったら、僕はダラダラと生きるままのが続いてたと思うんですけど、ちゃんと自分で考えてやっていかなきゃいけないんだ、人と協力し合うってことも、そのためにはこれだけのコミュニケーションも必要だし、自分からいろいろと与えることをしないと、人に対して要求できないんだとか、そういうすごく大事なことを、学ばざるを得ない状況に追い込んでくれたんだな、それは本当にありがたい経験だなっていうふうに今は思ってますね。

三上:だから今があるんですもんね。

吉村:そういうことなんですよね、本当に。

三上:なるほど。先ほど天中学でしたっけ?

吉村:天中殺ですね。

三上:天中殺ですね。それを参考にこういった今流れなんだっていうふうに、片隅に捉えるっていうのもいいかもしれないですね。

吉村:そうですね。僕はそういう暦を使った占いっていうのは、ちゃんとやってる人たちの言ってることは参考になるなと思ってるんですよね。星占いとかもね、ざっくり言ってみると、宇宙がどういう状態なのかっていうことと、今の自分のエネルギーの相性によって、リズム、バイオリズムみたいなのが生まれてるっていう、それを見てるわけで。

だからそこの、それをしっかりやってるのか、それとも適当にやってるのかっていうところを見極める必要はあると思うんですよ。たぶん占いの流派みたいなのがいろいろあって、どこを強調して見てるかっていうのも違うと思うんで、そこは自分のバイオリズムと、占いで言ってるものが合ってるのかみたいな、そこの相性もたぶんあると思うんで、そこをちゃんと自分に合ってるものが見つかれば、結構信頼できる部分、全部100%を鵜呑みにするっていうわけではないんですけど、

やっぱり人生には上がり下がりの波があるわけで、この波っていうのが実は結構、宇宙の持ってる波と連動してる部分があるんですよね。全てではないんだけど、自分のこの上がり下がりの波って、占いで言ってるところのこの上がり下がりと結構連動してるなってことが分かれば、なんとなく今下がる時期だから氣をつけようとか、上がる時期だから今ここで氣をつけたほうがいいなとか、そういう自分が進んでいく方向に対しての戦略を立てる参考になるんで、

そこはまずこの人の言ってることが信頼できるかっていう、そこを見極めるっていうのがまず1段階あるんですけど、でもそこが分かってくると、何を参考にして自分がどういうギアの入れ方ですとか、自分で考えるっていうのにかなり役に立つと思いますよ。

三上:ぜひ今日、吉村さんのお話も聞いて、皆さんもちょっと氣になったわっていう方もいらっしゃると思いますので、私も後で天中殺を見てみようかなと思います。今年どんな感じなのかなって。

吉村:本当にやっぱ大事なのは鵜呑みにすること。いろいろと情報を入れた中で、どれを参考にして最終的には自分で決めるっていうこれが大事ですよね。

三上:全部鵜呑みにしないでね、ちょっとそれもあるかなっていう感じの感覚で捉えていただきたいなっていうふうに思います。吉村さん、本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

244.時間の流れ

歳を重ねると子供の頃にくらべ時間が経つのがはやいと感じませんか?今吉村さんが感じることも併せて伺いました。

 

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三上:皆さん、こんにちは。こころメンテナンス、本日もアシスタント三上恵と、氣功ヒーラーの

吉村:吉村竜児です。

三上:吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:配信日が1月30日火曜日ということで、年が明けて約1ヶ月経ちましたけども、なんかもう既に早いなと感じております。

吉村:そうですね。

三上:今日は吉村さんにいろいろ伺っていきたいんですけど、年を重ねるうちに本当に1年が早いなというふうに感じるんですけども、これって何か理由があったりするんですかね?

吉村:はいはい。実はこれは結構明快な説明がありましてですね、僕もこれなんか人から聞いて、確かにその通りだなって思った内容で、多分聞いたことある方もリスナーの方たちの中には、いらっしゃると思うんですけど、すごい単純な話なんですよ、

実は。これね、1年の長さをどのぐらいに感じるかっていうのを体感する長さが短くなっていくから、どんどん1年が早く感じてるってことだと思うんですけど。1年の長さって実は、例えば1歳の子、まだ物心ついてないからその子をどう捉えてるかって聞くことは難しいんですけど、理屈で考えると1歳の子にとっての1年間って一生分の長さなんですよ。

三上:一生分、はい。

吉村:だって今まで1年生きてきて1歳じゃないですか、その子にとっての向こう1年って考えた時に、今までの人生全部と同じ長さがこの先1年間に控えてるわけですよね。

三上:そうですね。

吉村:これが2歳の子供にとっての1年っていうのは、1年の長さが突然半分の長さになっちゃうんですよ。

三上:はい。

吉村:ってことは、5歳の子にとっての1年間っていうのは、人生の5分の1の長さなわけですよね。

三上:はい。

吉村:で、僕今年55歳になるんですけど、55歳の僕にとっての1年っていうのは、この一生の長さの55分の1の長さなんで、それは短いよねっていう話なんですよね。

三上:いやー、本当に学生のうちは早く大人になりたくて、時間長いなっていうふうに感じてたんですけど、今のこの歳になると、もうあとプラス4時間欲しいなって、時間が足りない。本当に早いんですよ。今、吉村さんがおっしゃってた、もうだんだん本当に短くなっていくんですね。

吉村:そういうことですね。だから、相対的に自分の今まで生きてきた人生と比べるとってなるんで、時間が短くなっていく一方なんですよね。これ以上長くなることはないって思った方がいいってことですね。

三上:いやー。その考えでいくと。じゃあ時間って大切ですね。

吉村:そうですね。

三上:うーん、なるほど。すごいわかりやすかったです。

吉村:本当だって、若い頃、10年とかいったら途方もない時間みたいに思ってましたけど、今、僕振り返って、この10年とか、本当あっという間ですからね。

だから、うちの子どもたちとか、もう今年18になるんですけど、でも、本当に子どもたちが園児さんの頃とか、昨日のことのように覚えてますからね。

三上:子どもの成長、早いですよね。うーん。あと思うのは、みんな年を重ねて、私の同世代もそうですし、先輩方を見てると、同じ時間、同じ年を重ねながらしてると思うんですけど、輝き方というか、あふれ出てくるものって、人によって本当に違うなっていうふうに感じるんですよね。

吉村:うんうんうん。

三上:吉村さんご自身も、年を重ねて今思うことっていうのを、この機会にちょっと聞けたらなって思うんですけど。

吉村:なるほどですね。年を重ねるっていうのは、単純に時間が過ぎて、生きてきた時間が長いか短いかみたいな話じゃなくて、その時間でその人が何をやってきたかとかね、そういうところで積み上がってくるもので、どうしても差が出てきちゃってるっていうのはあるんじゃないかなと思うんですよね。

三上:経験とか学びとか。

吉村:そうですね。だから、言ってみたら、何も学ばずに時間だけ過ぎてきた人だったら、多分そこは積み重なっているものがないから、言ってみたらこの年でそんな子供っぽい考え方なのか、まいったなみたいな人もどうしても出てきちゃうというかね、いると思うんですけど。

やっぱり結構大事なことって、自分が生きてきた経験からどれだけちゃんと自分が学びを得ているかっていうところが大事なんじゃないかなって思うんですよね。

例えばうまくいくこともあれば、いかないことも人生あるわけじゃないですか。上がり下がりみたいなこともあって。僕もそういう失敗したなみたいなこととかも、たくさん経験してるし遠回りしてきたこととかもあるわけですよ。

でも、それって、その先での人生で、今までの過去の失敗から学んだことが活かされて、それで何か大きな成果が生み出せたとか、あるいは大きなトラブルを回避できたみたいな経験があると、

過去の失敗したなっていう出来事が無駄じゃなくなるっていうか、むしろあの時あの失敗してたおかげで今これができてるんだなとか、なんかこのより大きなトラブルを回避できたんだなってなると、

その過去の失敗が悪いことではなくなっちゃうんですよね。だから、もう極論を言えば、それはもう失敗ではなくて学びだったっていう話になるわけですよ。もう失敗でさえなくなっちゃうっていうことですね。

そこをちゃんと積み上げてこれた人なのか、それともなんか、あれはダメだった、私の黒歴史だ、なくしてしまいたいって思ってるのかっていうので、そこの経験がその人の糧になってるのか、それとも消してしまいたい過去みたいな感じで、ただ引きずってるものになるのかっていうところで、その人の輝きが変わってきちゃいますよね。

三上:そうですね。例えば、今聞いてる方でもすごい苦しいっていう方でも、今がこれがきっと何年後かにはもしかしたら、こういうのがあったから今っていう振り返りができるかもしれないですよね、時期的にね。

吉村:そうですね。だから本当に消してしまいたい過去みたいなものも、一回ちょっと否定するのをやめて、あれがあっての今の私が、ここからどうさらに成長していくかとか、輝いていくかみたいなことを考えて、今自分がどっちに向かって進んでいくかっていうことを考えるといいんじゃないかなっていうのがありますよね。

あとは、それだけ話すと人生がすごい辛い修行みたいな風に聞こえちゃうかもしれないんですけど、僕自身の個人的な話で言うと、やっぱり一つには人生経験をたくさん積んでくると、全く新しい経験をする頻度が減ってくるわけですよ。

三上:そうですね。

吉村:そうすると、言ってみたら感動や驚きっていうのはどんどん減っていく一方なんですよね、頻度っていうところで言うと。

三上:確かに。

吉村:でも、それでもまだたまに新しいこととか、驚きや感動ってたまに来るわけですよ。そうすると、今までこれだけ長く生きてきた中で得られなかったものがここに来たかっていう、この時の感動や驚きって結構大きかったりするわけですよね。

そうすると、それって別に頻度は減るけど、それだけ大きな感動っていうのがまだまだこの先に控えてるんだろうなっていう期待感みたいなものはありますよね。

三上:確かに。頻度は減ってちょっと新鮮さもだんだんあれですけど、いつかわからないパッてくる感動がね。

吉村:そう、なんかそれより大きくなるし、それとあとですね、やっぱり物事を見るときにより大局を見やすくなるっていうかね。小さい1点だけを見るっていうことがやっぱり若い子に多いわけじゃないですか。

全体像が見えてないから。そうすると、木は見えてるけど森は見えてないみたいな状態なわけですよ。これをいろんな木を見るみたいなことをずっとやっていくと、そうするとそのうちに、あれ、これって森っていう全体像が存在するぞみたいなね。

これ山なんだみたいなことがわかってくると、そうするとこれってかなり大きな感動というか驚きがあるわけですよね。今までこの木、この木って一本一本見てたけど、この山って捉えたときに、この山ってこういう山なんだみたいなね。

そうすると、今度はこの山と、じゃああっちの山ってどう違うんだろうみたいなことをやっていくうちに、あっ、この地球っていう星なんだみたいなね。規模が大きくなってそこで得られる感動とか、実は全然別の事柄だと思って見てたことが、実はこういう繋がり方してるんだとかね。

こういうふうに影響し合ってるんだみたいなことがわかってくると、それがすごく面白いんですよね。多分それって皆さんのそれぞれの専門分野だったりとか興味の対象も、一つのこれが好きですごいこだわってやってきたみたいなところからちょっと広い視野が出てくると、

また違った面白さっていうかね、こうこうこうでこうだったから、今こうなってるのね、みたいなことがわかると、そうすると全体の大きな流れみたいなのが見えてくるんで、若い頃にはそういうのが見えてなかったところから、今それが見えるようになってきた面白さみたいなね、そういうのがありますよね。

三上:そうですね。同じ場所に若い頃に行った時と年を重ねていくと、違った景色に見えてきたりしますので。

吉村:そうですね。

三上:年を重ねるって本当は私は楽しいって思いますので、だんだん短くなっていくと思いますけど、自分自身を見つめ直して楽しみを見つけていくと人生もまた楽しくなっていくと思いますので。

吉村:そうですね。

三上:ということで、今日はね、だんだん私たちは短くなっていきますけど、皆さんにも生き生きと楽しんでほしいということで、ちょっとね、人生あっという間かもしれませんので、毎日を楽しんでいきましょうということで、いろいろ吉村さんからお話を伺いました。本日も吉村さんありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

243.頭の中での会話

匿名さんからのメッセージを取り上げて、心理状態に関する質問とアドバイスを吉村さんに伺いました。

 

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三上:皆さん、こんにちは。こころメンテナンス、本日もアシスタント三上恵と、氣功ヒーラーの

吉村:吉村竜児です。

三上:吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上はい。今日はですね、お便りきております、匿名さんからです。では、読み上げたいと思います。

吉村:はい。

三上:吉村先生、心理状態に関する質問とアドバイスをいただきたくこちらに送っています。

私は人と会って別れた後、無意識のうちに、その人との会話が頭の中で再現されて、相手がいるかのように会話をしてしまいます。家で一人でいるときは、声にも出ているかもしれません。そして再現するうちに、新しい会話も始まっています。どのような理由で会話の再現が始まっているのか、つまりこのようなことをしてしまう心理状態を知りたいです。

自分としては、言いたいことが伝えられなかったからかなと思ったり、実は本音で話をしていなかったからかなと自分では、氣がついていない潜在意識下に原因があるのかなと思っています。

さらに、その会話の内容と直結はしていないものの、関連したネガティブなことや、氣に悩んでいることも出てくることもあるので、頭の中での会話の再現を止めたいと思っています。アドバイスがありましたら、よろしくお願いいたします、とメッセージ来ております。

吉村:なるほどですね。僕のセッションを受けられたクライアントさんたちの中には、このセッションを受けたことで、頭の中のおしゃべりがなくなりましたとか、静かになりましたというような感想をいただくことって結構多いんですよ。ということは、それだけ頭の中のおしゃべりがうるさかった人たちがいっぱいいたということだと思うんですよね。

三上:はい。私もです。

吉村:そうですか。頭の中のおしゃべりが多いっていうのは、結構ブロックが原因のことが多いんじゃないかなって思うんですよ。僕のところに来られるクライアントさんでこれだけそういう人が多いってことは、一般社会の中でも相当数の人たちがやっぱり、そういう頭の中のおしゃべりがいつも続いてるみたいな状態で日常を送られてる人たちが結構いるんじゃないかなって思うんですよね。

こちらの投稿者の方がおっしゃってた中で結構やっぱりポイントかなと思うのが、人と話してたときのその会話の再現だけじゃなくて、一緒に関連するようなネガティブな事柄とかも一緒に出てくるっていうお話なので、

ここがやっぱりそういうネガティブな事柄とか氣に病んでることが出てくるっていうのは、ブロックがそういうネガティブなところにフォーカスして関連性を見つけて、潜在意識の中にストックしている嫌な思い出であったりとか、不安や懸念みたいなものを引っ張り出してネガティブな状態にしようとしてるわけですよ。

ブロックは基本的には、これは野生動物が弱肉強食の世界で生き残るために作られているシステムなんで、なるべく危険から身を潜めて、ひっそり安全に暮らしたいっていう考えが根底にあるわけですよ。

だから世界は非常に危険である、自分は危険から身を隠してひっそりしてなきゃいけないっていう考えをブロックっていうのは根底には持っているので、それと人間の日常の活動であったりとか社会活動であったりっていうところで、マッチしない部分が出てくるんで、うまく機能しなくなってるっていうことなんですね。

三上:うーん。

吉村:なので、そういう不安であったりとか懸念であったりっていうのがまずあるっていうことが、一つ、そこにブロックが発動してるっていうこと。

なので、このおしゃべりを止めるためには、無意識以下にある不安や懸念っていうのを減らしていくっていうのが一つと、それからそういう不安な事柄にフォーカスすることで自分の身を守ろうとしているブロックっていうのを、こちらを見つけてクリアリングしていくっていう、両方をやっていくっていうのが効果的だと思うんですよ。

三上:うん。

吉村:このクリアリングをするっていうのは、すごく実は手っ取り早くっていい方法だと僕は思っているんですね。これは言ってみたら、昔の人はそういう問題が無意識以下にいろいろ問題が起きてるときって、時間かけて瞑想したりとかして、

自分の内面を内観して自分の内面と向き合っていくっていう時間を取って、それでそこで自分こういう、言ってみたら、昔の人の言葉だと邪念みたいな感じで捉えてたんじゃないかと思うんですけど、こういう邪念があるなってこれを手放してこうみたいなことをやってたんだと思うんですよね。

ただそれを日常の中でやっていくためにはそれなりに時間的な余裕も必要だし、そういうふうにして自分の心の中を綺麗にしてお掃除していくんだよっていう知識が必要なわけですよ。

現代人はまず学校でそうやって自分と深く自分を内観して自分と向き合っていくんだよっていうことを学校とかで習ってないですよね。

三上:習ってないです。教えてほしかった。

吉村:知識として知らないっていうのが一つあるのと、それから日常生活が忙しすぎるわけですよ。学生の間も受験戦争みたいなのがあったりとかするし、それに就職とかするともう本当に結構やることが多かったり残業が多かったりとか、そうすると自分のための時間を取るっていうことが、多分難しい日常を過ごしている方達っていうのも結構多いんじゃないかと思うんですよね。

そういう人でも短時間で深い部分をバッと探索して、こういうのがあるからこうなってるんだなっていうのを見つけてそこをクリアにしていくっていうところでは、このクリアリングっていう手前味噌ではあるんですけど、いい方法だなと僕は思ってまして。

三上:うん。

吉村:そこでクリアリングをしないでこれをどう扱っていくかってなると、自分の中にある不安や懸念っていうのを言ってみたら向き合って、この不安や懸念っていうのは実はそんなに実態がない幻みたいなものなんだなってことに氣づいていくっていうことが大事ですよね。

あと、たぶん会話が実際にした会話だけじゃなくて、そこからまた新たな会話が始まっちゃうっていうのは、たぶんブロックが自分に何か影響であったりとか、例えば良い悪いの評価を下しそうな人をコピーして、それで自分の中にバーチャルな、他人の目みたいなのを作り出して、

それに合わせて自分がバーチャル他人の目からダメなやつで見られないように生活していこうみたいなことをたぶんブロックがやってるんですよ。

三上:うんうんうん。

吉村:もしかしたらこちらの投稿者の方は人からどう思われるかみたいなことに結構そういうことが氣になっていたりとか、あるいは顕在意識では氣がついてないけど、無意識レベルではかなりそこに意識がいっちゃってる可能性もあるわけですよね。

そうすると、やっぱり人の目をあまり氣にしないで生きていけるようになるかっていう話になってくると、言ってみたら自分軸を作ってくるとか、そういう話になってくるんですよね。

三上:私のテーマは自分軸、他人の他人軸じゃなくて自分軸に変えていこうって私も思っていて、最近ちょっと会話があったので、すごいタイムリーな話を聞いてました。

吉村:そうですね、自分と向き合って、これは自分じゃないなっていうものをどれだけ手放して、そして本当の自分っていうものをちゃんと見極めて、自分軸をはっきりさせていくっていうそこなわけですけど、これは実際いろんな自己啓発とかの話でも同じことを大体皆さん言ってると思うんですよね。

だから文にして書き出しちゃうと、すごい当たり前のことというか、みんなそう言ってるよねみたいな簡単な話になっちゃうんで、それをどうやってやるかっていうところでは、じっくり時間かけやっていかなきゃいけないことが多くなっちゃうかなと思うんで、

そういう意味ではクリアリングはそこをかなり短縮できる方法なので、まずはね、例えばそういうお金を支払って個人セッションを受けるっていうところにちょっとハードルがある場合は、月曜日のゆるライブで相談をあげていただくとか、

あるいはその流しっぱなし動画とかもね、僕はYouTubeチャンネルの方でやってますんで、そちらで何か今抱えていらっしゃる問題に近い内容を見つけて、まずは動画を流してみて、エネルギーで何かちょっと変化が起きたりとか、少し解放される部分がないだろうかっていうところをちょっと確認していただくのはどうかなと思いますね。

三上:ありがとうございます。今日は匿名さんからのお便りを読んで、吉村さんからお話を伺いました。まずはね、流しっぱなし動画とか、毎週月曜日のゆるライブ、YouTubeだったり、あとはセッションとかクリアリング、ご検討していただきたいと思います。吉村さん、本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

242.AIとの向き合い方

匿名さんからのメッセージ
「最近どんどん便利なツールAIなどが登場し、より「能力のない人はいらない」という風潮が強まっているように感じます。僕はIQが低いのですが、自己肯定感を保ちながら生きていくにはどうしたら良いでしょうか。」
の質問に吉村さんに答えて頂きました。

 

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三上:皆さん、こんにちは。こころメンテナンス、本日もアシスタント三上恵と、氣功ヒーラーの

吉村:吉村竜児です。

三上:吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい。匿名さんから来ています。

吉村:はい。

三上:最近、どんどん便利なAIなどが登場し、より能力のない人はいらないという風潮が強まっているように感じます。僕はIQが低いのですが、自己肯定感を保ちながら生きていくにはどうしたらよいでしょうか。と来ています。

吉村:なるほどですね。

三上:確かにそう思います。だんだん仕事なくなっていくのかなって、私も思ったりしますけど。

吉村:うんうん。確かにAIにもできる仕事だとしたら、多分AIだったらね、AIを動かしているコンピューターの状態をちゃんとキープできれば、別にお給料を払ったりとかしなくても黙って働いてくれるし、24時間働かそうと思えば働いてくれるから、そういうね、じゃあAIでもできることだったらAIにやらせた方がいいよねってなっちゃうんじゃないかなと思うんですよ。

三上:うん。

吉村:ただ、全ての仕事をAI任せにできるかって言ったら、多分そんなこともないと僕は思ってまして。

三上:うん。

吉村:はい。人間でないとできないことっていうのは、やっぱあるんですよね。

三上:吉村さんが思うAI、人間しかできないことって具体的にどういったところですかね。

吉村:例えば、一つ一例を出すとしたら、今ってAIが絵を描けるようになってるじゃないですか。

三上:はい。

吉村:で、AIが絵を描けるんで、AI絵っていうのはどんどん増えていってるんですよね。これって絵を描く人達の仕事とか活躍の場を奪っちゃうんじゃないかっていうふうに危惧されてる人達って、結構いるんだと思うんですよ。

三上:うん。

吉村:ただ、AIの描く絵って確かに上手く描けてるんですけど、見るとこれAIの絵だなっていうのはすぐ分かっちゃうんですよね。

三上:へー、分かるんですね。

吉村:そうなんですよ。結構、これAIだわっていうのは分かるんですよ。ていうことは、具体的にどこかって説明するのはちょっと難しいんですけど、僕も絵の専門家じゃないんですけどね。だけど、僕はオタクだから、オタクコンテンツとか結構見たりとか買ったりとかしてるんで。

そうすると、同人系のコンテンツとか見てるとAIで描いたやつっていうのも、そういう同人コンテンツの中に増えてきてるんですよね。だけど、AIと実際に作家さんが手を動かして描いたものっていうのを見ると明らかに違うんですよね。

三上:うん。

吉村:で、もちろん絵が描けない人達が、AIを使って絵を描くことが出来るようになったっていうような見方も出来るんで、それはそれで別にAIが悪いっていうふうに思わないんですけど、なんとなくイラスト集とか見るとAIが描いたイラストと絵描きの人が描いたやつと明らかに違って、一視聴者として見た時にAIのイラスト集ってそこまで魅力的じゃないんですよね。

三上:うん。

吉村:例えば、あとはイラストだけじゃなくて、漫画とかも僕は買って読むわけですけど、漫画全編AIで描いた漫画ってどのぐらいあるだろうかっていうと僕はあんまり見たことないですよね。だから、漫画をAIが作れるのかどうかってなってくると、これ本当にAIが漫画を描けるのかなっていうのは、僕はなんとも言えないですよね。

三上:うん。

吉村:あと、他にも多分色んな分野とかあるんだけど、そこの分野で実際に物を作ってる人達とか、あるいはそれをすごくよく利用してる人達からするとなんか分かっちゃうっていう部分があると思うんですよ。で、これが人の魂が入ってるかどうかみたいな話なんじゃないかなと僕は思ってるんですよね。

三上:なるほどね。温かみがある感じというか。

吉村:だからそこって、やっぱり機械には真似できない何かエネルギー的なものを僕達人間は持ってるんですよね。それが僕達が生み出すものは、込められていくわけですよ。だけど、AIに何か作らせた場合、多分そこまでできるようになるのは難しいんじゃないかなと僕は思ってるんですね。

もしかしたら、いつかそれさえも模倣してそれっぽくできちゃうかもしれないけど、でも少なくともイラストに関して言うと、これが本当に人が描いたのと全く見分けがつかないみたいなものとかにはなかなかならないんじゃないかなと思うんですよ。なんかね、このAIの癖みたいなものがあるんですよね。

三上:へー、もう独特、これAIっていうのがあるんですね。

吉村:そうですね。なんか例えば、背景がやたら細かいみたいなところだったりとか。絵をもし描くとしたら、手数がすごい必要になるものみたいなのをAIは出してくるんですよ。

三上:うんうん。

吉村:多分人が描くとそうはならないんですよね。

三上:できないっていうか、難しいですよね。

吉村:だからそこがそのAIが人が描くとしたら、どこを省略するのかとかどこを重視して作っていくかみたいな、そこの部分っていうのは人の感覚的な部分っていうのは、AIには分からないんじゃないかと思うんですよね。

三上:でもそうですよね。私もお話の仕事してると、司会もできるようにAIもきっとなってくるんだろうなって思ったりもするんですが、やっぱり温かみのある言葉のトーンとかタイミングっていうのはまだまだやっぱり人間の方があるのかなっていうふうに思ってはいるんですけど、今後どういうふうになっていくかわからないですけど。

吉村:そうですね、例えば司会とか僕も役者やってたことがあるんで、ちょっと司会みたいなことをたまたまちょっと依頼があった時、やってみたことがあったんですけどすっごい難しかったんですよね。これ僕にはできないなって思ったんですよ。というのが、実際現場で何かやるってなった時に色んなことが起こり得るわけじゃないですか。

三上:うん。

吉村:実際出演されるはず、壇上に上がってくる予定の人が遅れちゃってて時間伸ばさなきゃいけないみたいな、場を繋がなきゃいけないみたいな場面とかで、びっくりするぐらいに自分は対応できなかったんですよね。

即興で演劇やってるにも関わらず、そこに対応ができなくてこういうところを全部見ながらバランス取ってやっていく必要があるんだっていう、その時に舞台に上がってから分かったことがすっごい多かったんですよ。

すっごい大変なことで独特のセンスが必要だし、あるいはそれに向けたトレーニングとかをしないとできないなって思ったんで、だからこれなんか自分には向いてないから、これ系の仕事は受けないようにしようって思ったんですよ。

だから、突発的な場面で自分が何をするかっていうのを適切に判断してやるみたいなところで、AIがどこまでそれをできるのかみたいな話とか、今結構それって自動運転をするためのプログラムに組み込む、何をどういうふうに判断させるかっていうところで、結構ハードルになってるって話を聞いたことがあるんですよ。トロッコ問題って聞いたことあります?

三上:トロッコ問題?

吉村:はい。暴走してるトロッコがあって、線路の分岐のレバーがあってトロッコは止めることはできないから分岐でどっちに行かせるかっていう判断だけを自分ができる状態、分岐のスイッチするレバーのところに自分がいて一つの先には5人の高齢の方達がいますと。

で、もう片方分岐させて反対に行かせた場合、1人の小さな子供がいますと。このレバーをどっちにスイッチするかで5人の高齢者が亡くなるか、1人の小さな子供が亡くなるかどっちを選ぶかみたいなね。どっちを選ぶ方が正しいのかとか、その人がどっちを判断するのかみたいなことっていうのが結構長年の問題となっている思考実験なんですよ。

三上:うん。

吉村:で、これって人が死ぬ数が少ない方がいいよねっていう考え方だったら、子供の方に行かすわけですよ。だけど、小さい子供には未来があって、高齢者の人達はこの先そんな長く生きるわけでもないし、世の中に対するどれだけ生産性があるのだろうかとか色々考えた場合、子供を助けて5人殺した方がいいんじゃないかとか色々と色んな考え方があるけど、結局その人が何を重視するかで決めてるわけじゃないですか。

三上:うん。

吉村:しかも例えば、どっちを選んだとしても多分亡くなった方達の親族からは、なんでそっちを選んだんだって責められることになるわけですよね。だから、そんな中でその人はとっさにどっちか選ばなきゃいけないみたいな話なんですけど。

これをじゃあAIにどう選ばせるのかって、コンピューターに機械に選ばせるとしたら、その基準を前もってプログラムしとかなきゃいけないわけじゃないですか。こういう場合は、こっちを優先するとかって優先順位を先に決めとかないといけないわけですよね。

それを機械にやらす、機械がどういう判断をするかっていうのは例えばAIだと、色んな今までの事例とかを取り入れてそれをディープラーニングして、その中からどっちか選ぶって話になるんですけど多分どっちでも文句言う人は出てくるわけですよね。悲しむ人達は必ずいるっていう話になる。

三上:みんながね、そうですよね。

吉村:だから結局、人が選んだ場合その人がどっちを判断したかっていうことになって一方からは称賛されるけど、一方からは恨まれるみたいなので、例えばその人が明らかに大多数の人達がその判断は間違ってるっていう判断をした場合、その人が裁判にかけられて有罪になるみたいな形で何かしらの形でその人が罰を受けて、それで責任とったよねみたいな形になるわけですけど。

AIがそれやった場合、AIにどうやって責任を取らせるの、AIに罰を与えるって何?みたいな話になってきちゃうから。そうなると、やった人が人間だったら納得いくけどAI がやっちゃった場合誰も溜飲が下がらないというか、この先裁判で判決出すのがAIってなった場合にみんな納得するのかなみたいな話になりますよね。

三上:うん。確かにそうですね。

吉村:そう考えると機械にできるかどうかっていう問題もあるけど、機械にやらせた時にみんながそれで納得するのかどうかっていう話も含まれてくるわけですよね。

そうなってくると、人間でしかできないことってなくならないかなと思うんですよっていうのが一つあるのと、あとこの相談者の方で。

三上:はい、匿名さんです。IQの話も出てましたね。

吉村:ね。そうそう、僕はIQが低いのですがって、これはIQを測って数値が出た上で言ってるのか、それとも自分がIQが低いって思い込んでるのか、これも分からないですよね。

三上:確かにそうだ。

吉村:例えば、僕の娘達は勉強嫌いなんですよ。自分は頭悪いから頭いい人達はいいよねみたいなことを言ったりとかするんですけど、最近勉強辛い辛いこんなのやってらんないとか言ってるんで試験勉強どんなふうにやってるのかっていうのをうちの奥さんが見たら、一つの教科をダラダラと3時間ぐらいかけてずっとやってるんですよね。

それ見て、このやり方じゃダメだよみたいなところで、でも実は結構前から言ってたんですよ、一つのことをダラダラやるよりも切り替えてやった方が効率上がるよとかっていうことを言ってたんですけど、多分それピンときてなかったんだと思うんですよ。

だからじゃあ分かった、20分タイマーかけてやって20分過ぎてタイマーが鳴ったら、今やってることが区切りがいいか悪いかとか関係なくそこで時間で区切って止めて、必ずそこで休憩入れるかあるいは別の教科に切り替えるかして同じことを20分以上やらないでやってみて、そこまで細かく指示出してやらせたら全然すごい早く覚えられて、こっちの方が全然楽だとかって言い出したんですよ。

だから、君達バカなんじゃなくて要はやり方が間違ってただけなんだよねって、そういう話をしたら確かにって。それでそこからポロッと娘達から出てきたのが、ツイッター見てると仕事が辛いとか勉強辛いとかっていう投稿がすごい流れてくるんで、それを見てるうちに自分でそういうふうに思い込んじゃってた氣がするとかって言い出して、いやそれでしょうみたいな。(笑)だから先日のSNSの話、繋がってくるんですけど。

三上:うんうん。

吉村:ネガティブな情報をそのままずっと見続けてるうちに、無意識の中で自分にすり込んでいっちゃったんですよね。で、結局だから人の愚痴とかをずっと聞いてるうちに、愚痴のメンタリティになっていっちゃったわけですよ。

だから、実は結構やり方を変えるだけでパフォーマンスって上げられることいっぱいあるし、それに人にもやっぱ特性が色々あるから、このやり方はこの人にとってうまくいくんだけど、別の人にとってはそのやり方だと全然成果上がらなくて別のやり方をした方がこの人にとってはすごくうまくいくってこともあるから。多分僕はIQ低いんでって言ってるのは本当かっ?って僕は思いますね。

だから、何かちょっとそこの自分の思い込みを疑って何かやり方を変えてみるとか、あるいは何か得意な分野が他にあるかもしれないし、そういう全然AIには真似できない何かっていうのを、みんな本当は持ってると思う。

三上:持ってる。私もそう思う。

吉村:それがうまく表に出てるかとか、自分が氣づいてるかどうかっていうところで、差が出ちゃってるんじゃないかなって思いますよね。

三上:今日も情報たっぷりで(笑)

吉村:(笑)

三上:お話ししてくださいましたけど、AIが今増えてる色んな中でもやっぱりまだまだ人間にしかできないこと、あると思いますので。任せる上で納得するっていうのを思いながら、人間もまたAIに頼らないといけないっていう部分とかあると思いますので。

吉村:そうですよね。だからうまく共存していけるものだと思いますよ。

三上:そうですよね。だって人口が減っていく上で必要になってくるものだと思うので、私達もうまく向き合って付き合っていかないといけないですね。

吉村:そうですね。あとは自分が秘めた力を、どこに持ってるのかっていうそこですよね。

三上:改めて考え直すきっかけだと思います。はい、吉村さん、本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

241.好きの定義とは

匿名さんから頂いたメッセージ
「結婚しているのですが、新しく大好きな人ができてしまいました。子供も家もあるので離婚は考えていないのですが、自分をコントロールできない時はどうすべきなのでしょうか?」
の質問に吉村さんなりのお考えを伺いました。

 

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三上:皆さん、こんにちは。こころメンテナンス、本日もアシスタント三上恵と、氣功ヒーラーの

吉村:吉村竜児です。

三上:吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい。今日は、匿名さんからメッセージが来ていますので、読み上げたいと思います。

吉村:はい。

三上:結婚しているのですが、新しく大好きな人が出来てしまいました。子供も家もあるので、離婚は考えていないのですが、自分をコントロールできない時は、どうすべきなのでしょうか?教えてください。とメッセージが来ております。

吉村:なるほどですね。今の話だと自分をコントロールできないということが、問題ということなんですかね。

三上:どうなんですかね。そうじゃない氣がしますけどね。

吉村:まず、大好きな人ができたという話なんですけど、その人にとっての大好きかどうかっていうのを、どこで見分けているのかっていう定義の部分っていうのがあるんじゃないかと思うんですね。その人の中での。

三上:うん。

吉村:というのは。うん。例えばですよね。僕、結婚していて家族居るんですけど、アニメがすごく好きで、特にバンドリっていうコンテンツが大好きなんですよ。アニメそのものだけじゃなくて、それを演じている声優さん達、声優さんたちが実際にライブ活動とかやってるんですね。

ガールズバンドを題材にしたコンテンツなんで、声優さん達が実際に楽器を演奏して、バンドとしてライブをやってるんですね。そういうの大好きですごい見てるんですよ。だから、そういう意味では大好きな異性がいるっていう状態なんですよね。

結婚して、奥さんも子供もいるんだけど、大好きな異性が居ますみたいなね。ただ大好きなんだけど別にその人達とどうにかなりたいとかっていうのは、特にないですよね。ただその人達がライブとかやると、僕はお金を払って配信見たりとかしてるわけですね。

三上:うん。

吉村:だから、どこでじゃあこれはOKで、これはダメかみたいなところっていう話になってくるんですよね。そうなってくると多分、揉めて裁判とかになった時に、どこが争点になるだろうかみたいな話になった時に大体、体の関係があるかどうかみたいな話で大体争点になりますよね。

それが1回きりだったのか、繰り返し行われてたのかみたいな話になってくるんで。だからこの方が「どうしましょう。」って言ってるっていうのをその観点で考えると、要は自分の性欲がコントロールできるかどうかみたいなところが問題なのかなっていう話なんじゃないかなみたいな話にもなってきますよね。

三上:うん。そうですね。

吉村:これは、僕どうなんだろうな。平均がどうなのかっていうのは分からないわけですよね。世の中の人達がどのぐらいの性欲があって、それをどのぐらい持て余してるのかとか僕には分からないんですよ。

三上:そうですよ。みんな違うからね。

吉村:だから、確かに僕も性欲ないわけでではないから、性欲があってそれをどういうふうにコントロールっていうのか、取り扱ってるかっていうのは、僕個人のレベルの話になってくるんで、それが世の中的にどうなのかっていうのは分からないんですけど、大抵の人はそれがよく分からないまま生活されてると思うんですよね。

三上:うん。

吉村:だから、じゃあ、一概に不倫するやつは悪だとかって言えるかっていうと、何とも言えないですよね。

三上:うん。

吉村:例えば僕、離婚歴があるんで、結婚したら一生一緒みたいな話で考えると、僕はそこ失敗してるし、それができなかったらダメな奴っていう判断になっちゃうと思うんですけど。でも人の氣持ちとか状況なんてね、絶対的なものとは言えないから途中で氣持ちが変わっちゃうとか、思ってたのと違うみたいなことになることっていうのもあると思うんで。

だから、その一概に何がいいか悪いかっていう判断もつきかねる部分はあるんですよね。例えば、世の中には、今ってすごく性に関しても、すごく多様性が受け入れられるようになってきたんで、それこそ昔だったら、同性愛とか死刑になってた時代とかもあるわけじゃないですか。

三上:そうですよね。

吉村:国とか文化によってはね。だけど、今ってもっとそういう人達のことを受け入れようというような動きも出てきてるわけですよね。それはすごく僕はいいことだと思うんですよ。

だってね、例えば、同性愛の人に「お前それはダメだから、絶対に異性と恋愛、セックスしなきゃいけないんだ。」とかっていうようなことを言うのって、逆に返せば、僕に「男の人と恋愛してセックスをしろ。」って僕がそういうふうに言われてるのと、同じ感じなんじゃないかと思うんですよ。

で、僕それできるかなって言ったら、なんかとてもできる氣がしないんですよね。「いやこれ君ちょっと頑張ったら、すごいお金あげるからやってごらんよ。」とか言われても、「いやぁ。」てなるんですよ。だから、ちょっとそういうお金積まれたぐらいでは、とてもできると思えないことなんですね。僕からしたら。

ってことは、同性愛の人に無理やり、異性と一緒になりなさいって言うのと、そういう人達がそういうふうに言われてるのと、僕がなんかね、「じゃあ同性とセックスしなさい。」って言われてるのと、これが同じような感じだとしたら、耐えられないのかなって思うんですよね。

ってことは、そこの部分ってやっぱりちゃんとその人にとってのその部分って、大事にされるべきだと思うんですよ。で、かたやね、バイセクシュアルの人達、「別にどっちでも大丈夫ですよ。」って人達も居るし、だからそれって全部感覚が違うんだと思うんですよね。

で、まあそんな中で、最近ポリアモリーっていう人達が居るっていうのを知ったんですよ。ポリアモリーっていう性のカテゴリーっていうのかな、そういうのがあるっていうのを最近知ったんですよ。

三上:うんうんうん。ポリアモリー。はい。

吉村:はい。で、このポリアモリーっていうのは、複数の恋愛パートナーを持つ人達らしいんですね。

三上:複数の恋愛パートナーを持つ。

吉村:うん。

三上:一人の人に絞らないということですね。

吉村:そうですね。一人の人に絞らない。で、なんかそういう生き方を選んでる人達がいるっていう、多分、LGBTとかそういう人達と同じように、そういう性的な思考としてはすごく少数派、マイノリティの方になるんだと思うんですけど。

例えば、結婚してる人います。で、その人とは別にお付き合いしてる人がいて、それを双方はそのことを知ってると、で、自分のパートナーになってる人達も、それぞれまた別にお付き合いしてる人が居たとしたらそれはそれで、受け入れますみたいな。

三上:えー、やだ。私は、個人的に嫌です。

吉村:そうですね。それがダメだ、耐えられないって人もいるし。むしろ、そっちの方がなんか居心地がいいっていう人達もいるってことなんですよね。

三上:あー、なるほどですね。色んな人がいますね。

吉村:そうですね。で、まあこのポリアモリーの人達っていうのは、自分は恋愛とかセックスのパートナーが一人だと、自分らしく生きられないんだっていうことなんだと思うんですよ。だから、複数いるのが当たり前というか、それが自分にとっての普通っていう考えで、そうなると相手の人も別に複数いても、別にそれはそれでそういうもんだよねっていう話に、なるんだと思うんですよね。

だから、当事者が全員、当事者全員の中で公認でそれが行われてるっていうところが、ポイントなんだと思うんですよ、そのポリアモリーの人達のコミュニティみたいなことになるんですかね。で、例えば、一夫一妻制、一夫多妻制っていうのがあるとしたら、多夫多妻制みたいな感じってこと。で、そこにその相手が異性になるのか同性になるのか、どっちもありなのかっていうのも含まれてくるみたいなので、かなり色んなケースがもちろんあると思うんですけど、相手が大勢いるのがOKなのか、嫌なのかみたいなところで、多分そこに線引きがされると思うんですよ。

で、じゃあ、私のパートナーはもう一人だけで、相手にとっても私が唯一のパートナーであるっていうこの状態を私は好みますと。そうでなかったら嫌ですっていうのが、尊重されるとしたら、私達はみんな相手が複数いてもOKで、むしろそっちの方が居心地がいいんですっていう、これが同じように尊重されてもいいんじゃないかっていう話になってくるわけですよね。

それは、僕が恋愛やセックスは異性としかできませんっていうところが尊重されるのと同じように、「いや、同性でないとダメなんですよ。」っていう人が尊重されてもいいし、いや別にどっちでもいいんだけどなっていう人の在り方も、尊重されてもいいはずなんですよね。となると、不倫だなんだっていうところの問題って、何が問題かって言ったら、要は嘘ついてやってる場合が多いじゃないですか。隠してるわけですよね。

三上:うんうんうん。

吉村:だから、そこは隠し事とか嘘があるから、問題になってるんだと思うんですよ。

三上:そうですね。そこでね、和解、和解というか本人同士が納得しているのであればね。

吉村:そうなんですよね。だから僕も別に、自分がOKかどうかみたいなところだけに絞って考えたら、僕がちゃんと騙されたりとか、隠し事をされたりとかしてる感じでなかったら、相手にまた別のパートナーがいることが大丈夫か大丈夫じゃないかって言ったら、多分大丈夫だと思うんですよ。そのことに関して僕が騙されてるとか、

三上:はい、はい。

吉村:僕が知らないところで勝手に行われてて、僕が稼いだお金がその人に流れてるとかってなったら、「いやいや、ちょっと待ってよ。」ってなると思うんですよね。あと、もしそっちが他にパートナー作ることがOKなんだとしたら、僕が作るのもOKだよねって、そこが全部当事者がみんなそれをOKとして、知ってて尚且つOKだったら別に大丈夫だと思うんですよ。ただ、それを実際に実践しようってなった場合に、ものすごく多くの人とのコミュニケーションとか、折衝(せっしょう)が必要になってくるじゃないですか。

三上:うん、うん。

吉村:しかも、これをうちの娘達はOKって思うかなってなった場合に、娘達が「嫌だよ。」って言った時に、「いや、それでもこれはパパの生き方だから、お前らはそれを受け入れるべきだ。」って言えるかっていったら、「うーん。」ってなるから、今僕の奥さんと娘達でこの一家族っていうので、うまくこれを運営していくのだって、相当なエネルギー使ってやってるわけですよ。

だから、そこにまた新たな何か要素を入れることで、余計に難しくするってなったら、「うーん、ちょっとなんか、そこまでしたくないな。」っていう感じになるんですよね。だから、そこまで全部みんなでコミュニケーション取って、折衝(せっしょう)してこれOKだよね。これはダメなんで、じゃあここがこういうところで落とし所にしようって、じゃあこことここがこう言ってるから、この人達の間を取るとしたらとかってなったら、すごい大変なことをポリアモリーの人達やってんなっていう感じになるわけですよね。

で、実際に僕のゆるともライブのゲストで出てくださってる方の中には、VTuberでね。実際のお顔は出されてないんですけど、ポリアモリーとして生活されてる人っていて、色々僕もお話聞いたんですけど、「わ、すごいな。面白いことやってるな」っていうのはあるんですけど、同時に大変なことやってるなこの人達は、難しいことにチャレンジしてそれをやってるんだなっていうとこもすごく伝わってくるんで、そういう生き方を僕は尊重はしますよ。

ただ、自分ができるかって言ったら、多分これ自分でやるのきつそうだからやめとこうっていう、それだけの話なんで。だから、「大好きな人ができたんです。」って言う場合も、じゃあどこまで嘘偽りなくそれをできるかっていうことを考えて、それが可能だったらやってみたらいいんじゃないですかっていう感じですよね。だからその時には、この方が男性なのか女性なのか分からないんで、奥さんなり旦那さんなりが納得してくれるかどうかとか。

三上:離婚は考えてないって、おっしゃってましたもんね。

吉村:そうですね。お子さんとか家とかっていうことも、どういうふうに整理をつけてくのかっていうところで、当事者全員に嘘偽りなく。

三上:オープンに。

吉村:そうオープンに、それを実践できるかどうかっていうところで、考えてされたらいいんじゃないかな。もし子供もいるし離婚したくないな、経済的な理由で家手放したくないからとか、だから黙っとこうみたいな感じでやるんだったら、そこって嘘ついてるって話になるじゃないですか。

家を手放したくないから嘘をつき続けて、この先一生生きてきますみたいな。実は、すごい自分に制限かけてるわけですよ。嘘がバレないようにいつも、そこに頭使って生きなきゃいけないわけですから。自分のリソースがそっちに裂かれちゃうわけですよね。

三上:なるほどですね。今日お話聞いて、私も色んな匿名さんからの話題を取り上げて読みましたけど、
色んな恋愛があるんだなとか思いながら話聞いてました。

吉村:そうですね。色んな生き方があるっていうね。

三上:受け入れ方もありますね。

吉村:そうですね。別に、要は誰も迷惑かかってなかったら、別にどんな感じで、恋愛なり性なりを謳歌するのも自由だと思うんですよね。結婚という制度だって、人間が勝手に作ったものの一つだと思うんですよね。野生動物の世界で、一生一対一で添い遂げる動物ってすごい少数派なわけですよ。

三上:そうですね。

吉村:だから、そういう意味では、人間もすごく多様な生き物なんで、色んな生き方を選んでいいと思うんですけど、大事なのはそこに嘘偽りなく、生きられるかどうかってことなんじゃないかなって思いますね。

三上:はい。私も今日は学びがありました。はい、ということで、本日も吉村さんありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

240.SNSのあり方

世界中の人々とコミュニケーションがとれたり、様々な情報が飛び交う今、何を信じるか見極める力も必要ですね。

 

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三上:皆さん、こんにちは。こころメンテナンス、本日もアシスタント三上恵と、氣功ヒーラーの

吉村:吉村竜児です。

三上:吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:今日は、一人一台スマホを持っている時代と言えばいいんですかね、と思うんですけど、やっぱりSNSを日ごろ皆さんされる方、見る方も多いと思うんですが、今回はちょっとSNSのあり方について、ちょっと話をね、進めていこうかなと思っています。

というのもですね、やっぱりこうSNSが普及することによって、いろんな情報が飛び交う中で、これが正しいって思い込む人、うちの息子もそうなんですけど、「ママ、こういうニュースが流れてる、どうしよう」とか、なんかね勝手に、これだけでジャッジじゃないけど、決めちゃう、決めつけちゃうっていうのが、まあ息子以外にも周り私も含めてでも、なんですけど、あるなっていうふうに感じたので、この今の状況、昔なかったじゃないですか。ね。

吉村:そうですね。

三上:だから、吉村さん的にはどうお考えかなっていうふうに、ちょっと思ったりするんですけど。

吉村:はいはい。まあ、だいたいどんなものでも新しいものが出てきた時って、これは危険なんじゃないか、良くないんじゃないかっていう論調が出てくるものなんで、なんかそういう意味合いでSNS良くないって叩いてる人たちも、もちろんいると思うんですけど、だいたいどんなものでも良い面と悪い面と両方あるわけですよね。だから一概にあれがいかん、これがいかいかんという話ではないんですけど、

言ってみたらどういうリスクが存在してるのかっていうのを、ちゃんと分かっていればそこをちゃんと氣をつけながら、便利な部分を活用して、言ってみたら暮らしをより快適にしていくっていう使い方もできるものだと思うんですよ。

で、SNSの前からインターネットそのものっていうところまで遡って考えると、実際それがなかった時代と比べたら、世界中の情報がすぐに手に入るし、すごく離れたところに住んでる人とも、すぐに一瞬で連絡が取り合えたりとかっていうところの便利さっていうのは、もう計り知れないと思うんですよね。

三上:うん。

吉村:僕、若い頃アメリカに留学してたんで、家族と連絡取るとかってね、それこそ電話するとすごいお金かかっちゃうから、手紙書いたりとかね、でやり取りをするわけじゃないですか。それってすごい大変だったわけですよ。電話かけるってなると、もう本当にすごいお金かかるの覚悟の上で、それこそ小銭いっぱい持って公衆電話、学校の寮の中に公衆電話があったんで、小銭をジャラジャラ持ってって、ガチャガチャ入れながら電話かけたりとかっていうのをやってた。

三上:1秒10円くらいでしたもんね。

吉村:国際電話とかめっちゃ高かったから、それと比べたら本当に便利で。

三上:確かに。

吉村:電子メールが使えるようになって、すごい便利だって思ったわけですよ。でもメールアドレス知らないといけないとか、どんどんそのうちにスパムメールとかが増えたりとかして、メール使いにくいなっていうところが出てきた中で、SNSがあると、スパムは全くないわけではないですけど、でも電子メールと比べるとだいぶスパムに悩まされることは少ないし、

ちゃんと相手の人がそれを読んだかどうかが分かったりとか、あとは友達登録してない人からは、そもそも別のフォルダー分けされたりすることで、知らない人からのメールとかメッセージとかは、基本的には無視するみたいなこともできたりするんで、すごく連絡取り合うツールとしてはめちゃめちゃ便利なんですよね。

三上:うーん、確かに。

吉村:なおかつ、検索機能とか使えるから、言ってみたらそれこそ僕アメリカで高校大学って卒業して日本帰ってきちゃったから、今度当時の高校時代の友達とかとの連絡も一回完全に途絶えちゃってたんですよね。だけどSNSが普及してくれたおかげで、僕のことを検索してくれた人がいて、だから高校時代の友達とまた繋がることができたりとかっていうところで、それこそだから一回途絶えたら、また繋がるのにすごい大変だったと思うんですよ、そういうのがなかった時代って。

だけど今だったら当時の友達とまた繋がれて、「わ、懐かしいね」みたいなことができるようになったっていうのは、すごい恩恵を受けてるんですけど、ただそうなってくると今度はいろんな情報が飛び交うようになってくるんで、それが流れてくる情報が本当の信憑性があるものなのか、それとも本当に嘘なのか、下手をすると言ってみたら、世の中を混乱させて楽しんでるような愉快犯みたいな人や、あるいはスパムも一緒ですけど人を騙してお金を騙し取ろうっていう人たちが流してる情報とか、そういうのも来るようになって、

また情報が本当かどうかっていうのを精査するのがすごく難しくなってるっていうのはあるんですよね。情報が多すぎるから、これがどれが本当なのかとかって、もちろんそういうの得意な人とかは、一次ソースまで遡っていってね。それで本当に言ってることが本当かどうかっていうのを、ちゃんと調べてこれ嘘じゃないかとかって、調べる人もいるわけですよ。そこまでやったほうが本当はいいんだと思うんですけど、結構それはそれで時間と根氣と集中力が必要とされるんでそもそもそういうのってできないよねっていう人たちも、いると思うんですよね。

僕も言ってみたら、流れてきた情報が本当かどうかを、一次ソースまで遡って調べるとかって、正直やりたくないんですよね。その大変だから。

三上:うん。

吉村:ただ自分の専門分野に関してだとなるべくちょっと遡って、この言い分ってどこから来てるんだろうみたいなことっていうのは、ちょっと調べなきゃいけないから調べるみたいなことをすることもあるんですけど、普段からそれを、じゃあ全ての情報に関してできるかって言ったら、とてもやってられないから、そうするとやっぱり、流れてくる情報全体に対して、「嘘か本当か分からないよね」っていうスタンスで捉えておくっていうのが大事かなって思うんですよ。

本当にこれが役に立つものかどうか、これを取り入れるかどうかっていう判断をする際に、しっかり調べるっていう方法もあるし、あとは自分なりの基準を作っておくっていうのも大事ですよね。例えば、信頼できる情報筋みたいなのを自分の中で決めておく、だからこのルートから来た情報は信憑性高いなとか、自分の中でランク付けをしておいて、なるべくこの人とかこの人たちが言ってることは取り入れていこうっていうような判断基準ですよね。

ただ氣をつけないといけないのは、それを間違っちゃった場合は、それこそ嘘を鵜呑みにしていくことにもなりかねないんで、だからどっかでその人たちのことを、なぜ自分は信頼できるっていうふうに判断したのかっていう、そこも大事な話ですよね。

一応僕の、判断基準っていうか、判断と言えるかどうかわかんないですけど、その取り入れる基準、いくつかあるんですけど、その中の一つとしては、基本的には、ネガティブな情報は、あまり取り入れないようにするっていうことをしてますね。

だから、これも絶対的に正しいかどうかっていう話になると、なんとも言えないんですけど、例えばこれこれこういうものがいいよっていう発信の仕方をしてる情報と、これこれこういうものは良くない、これは絶対ダメだっていう情報の発信の仕方をしてる投稿があったとしたら、あんまりこれはダメだ危険だっていうのは、割合としては多く取り入れないようにしてるんですね。

三上:あー。うんうん。

吉村:あとこれがいいよっていうものに関しても、特定の商品を勧めてるとかだと、これって宣伝とかマーケティングなんだろうなみたいな話になってくるんで、そうするとその中で自分が興味惹かれるかどうかってとこで取捨選択ができるから、

だからそこで僕は例えば、じゃあ今期どのアニメを見ようかなみたいなのを考えるときには、この選別の仕方は結構役に立つんですね。このアニメは良くない、こんなのクズだとかっていうのは、まずその時点でシャットアウトして、これいいよっていう情報の中から、自分がこれ面白そうだなって思うものを選んで、でとりあえず第1話見てみると。

で、第1話見て、でなんかこれは続き氣になるな、面白そうだなと思ったら見るんですけど、第1話見てうーんっていう感じ、あんま面白そうじゃないなと思ったら、そこでちょっと見るのストップしちゃうみたいな感じですよね。だけどこれがまた周りの人たちと会話してる中で、いやいやあの作品ちょっとスタートはスローなんだけど、あの後すごい盛り上がるんだよ、面白いんだよとかって熱く語る人とかが出てきたら、そしたらじゃあ分かったじゃあもうちょっと見てみようかなみたいな感じでこうやっていくっていう、なんかそんな選び方をしてるんですね。

三上:自分の基準を設けるっていいかもしれないですね。

吉村:自分の中で基準を設けて、だけどその基準もあんまり絶対的なものとはしないで、なんかいつでもね微調整するつもりでやっていく、だから何かを、これここは言ってるんだから絶対本当に違いないみたいな話になっちゃうと、それこそ昔の人たち、ちょっと年が上の人たちとかは、テレビが言ってるんだから本当だろうみたいな感じだったりとか、僕の母なんかは、えそんなことあんの?とかっていうと、いや本に書いてあったみたいな感じのことを言うんですよ。

だから僕の母の場合は、出版されて活字になってれば全部本当みたいな感じだったっぽいんですよね。だけど実際はテレビが言ってることも雑誌が言ってることも、嘘多いわけじゃないですか。だから、何が本当で何が嘘かわからないっていうことで言えば、昔のメディアも同じようなもんだと思うんですよね。

だから、それを鵜呑みにするのか、役に立ちそうな情報を自分で選んで取り入れるのかっていうところでは、多分マスメディアがもうマスメディア一強みたいな時代と、今の本当にすさまじい数の情報があふれた中から選んでいかなきゃいけないっていうことで、嘘か本当かわからないってところで言うと、実はあんま変わってないんですよね。

三上:そういうことですね。テレビとね。うん。

吉村:ただ、その情報ソースがすごく多くなったっていうことによって、昔だったらテレビ新聞雑誌しかないから、そこが言ってみたら出してくる情報の中からしか選べなかったんだけど、今だとものすごい数の情報ソースがあって、言ってみたら昔だったら全然つながれなかった人たちとつながれるから、情報そのものに触れることもできなかった、本当はあるけどアクセスできなかったみたいなところにも、アクセスが可能になったわけですよね。

三上:確かに。

吉村:そういう意味で言うとね、例えば今のこのポッドキャスト聞いてくださってる皆さんは、僕の発信してる情報を選んで聞いてくださってるわけですけど、僕の情報につながることができるのは、言ってみたらYouTubeであったりとか、こちらのポッドキャストだったりっていうところから情報を拾えるわけですけど、これってそういうプラットフォームがなかった時代だったら、まず僕が一人でそれこそ数人の人を集めて、こういうふうにするともっと生きることは楽になるんですよみたいなことを言ってたとしても、誰にも伝わらないわけですよね。

そこの本当に限られた人たちにしか伝わらないわけですよ。それが今ってこういう僕みたいな個人で活動してる人でも、それなりの発信力を持つことができるようになったっていうところは、SNSのすごくありがたいところだなって思うんですよね。

ただ、じゃあ、僕が言ってることが全て本当で間違ってないかって言ったら、そんなの分からないわけですよね。僕だってこれが正しいって思ってたことが、実はこれって間違ってたんだっていうことなんて、今までの人生でもいくらでもあるし、なるべくだから僕は、物事を断定するような伝え方はしないようにしていこうとか、自分なりに氣をつける基準みたいなのを設けて、皆さんに情報を発信してるんですけど、こういうもんだって決めつけちゃうと、やっぱりこれはネットだろうがテレビ・新聞だろうが、多分決めつけちゃうと危険っていうのは変わらないことですよね。

三上:うん。

吉村:あとはあれですね。やっぱりこの情報ソースが多くなったっていうことで起きてる、今までにはなかった、多分ちょっと新しい問題みたいなものもあると思うんですけど、そこら辺もちょっとね。今日は収録時間がだんだん長くなってきているから、また別の機会にお話できたらなと思います。

三上:はい、ということで、SNSのあり方改めて、今日は皆さんに考えていただきたいと思います。はい。吉村さん本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

239.自己肯定感を上げるには

自己肯定感を高めたい人にオススメな一冊を吉村さんに伺いました。
本を読んだだけではわからないお話をして下さいました。

 

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三上:皆さん、こんにちは。こころメンテナンス、本日もアシスタント三上恵と、氣功ヒーラーの

吉村:吉村竜児です。

三上:吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい、さあ今日は久々に吉村さんにちょっと伺いたいと思います。さあ、吉村さんが自己肯定感を高めたい人におすすめな一冊をちょっと今日はご紹介していただきたいなと思いますが。

吉村:はい、自己肯定感を高めたい人におすすめの一冊っていうことは、本ってことですよね。

三上:はい。

吉村:はい、そうですね。自分が今まで読んできた本とかあと漫画とかも入れて考えると、これを読んだから、自己肯定感が上がったなみたいなのって、ちょっと今すぐにピンとくるものはないんですよね。で、自己肯定感って多分、多くの人たちは下がりすぎちゃってることが問題なんだと思うんですよね。

三上:下がりすぎちゃってる。

吉村:うん。下がってるから、じゃあ上げればいいんじゃないかっていう発想で、上げるためのことっていうのを考えてると思うんですけど、実際は、例えば車のアクセルとブレーキの関係みたいな感じで考えてもらうといいんじゃないかなと思うんですけど、その自己肯定感が上がってる状態っていうのは、加速できてるとか、早く走れてる状態で、で、それがスピードが落ちてきちゃってるっていうのは、自己肯定感が下がってきてるっていうふうな状態だと捉えると、
多くの人たちは、自己肯定感を上げるために、アクセル踏んでエンジンの回転数を上げたい、ブーストしたいっていうふうに考えてるんだと思うんですよ。でも実際、自己肯定感が下がっちゃってるのはなぜかっていうところを考えたときに、ブレーキがかかってるわけですよね。
ブレーキがかかってて、スピードが出せない。遅くなっちゃって。ブレーキがかかってるとか、あとは、積載量が多すぎてすごい重い荷物を載せてるとか、人がいっぱい乗りすぎてるとかで、エンジンのパワーが運べないぐらいの重さのものを載ってたら、これはスピードが落ちてっちゃうわけですよ。
っていうことは、ここから自己肯定感を上げたいって考えたときに、ブレーキ踏んだままで、荷物もすごい、重荷がすごい載ってるっていう状態で、アクセルを一生懸命踏んでも、スピードは上がらないし、逆に車のエンジン壊れちゃうかもしれないですね。そんなことやってたら。

三上:うん。

吉村:それが現代人の多くの人たちが陥ってる状態だというふうに僕は捉えて、これをどうするかって言ったら、ブレーキかかってるところをまず外していくっていうことも大事だし、載っかってる重荷を下ろしていって、身軽にしていくっていうこの辺のことが本当はすごく必要なんですよ。
そのために僕はクリアリングっていう手法を考えて、クリアリングっていうのは無駄な荷物をとにかく減らしていくためにやってるわけですよね。それで、車自体が身軽になっていくっていうことと、あと自分でブレーキをかけるのをやめていくっていうことで、これでアクセルを一生懸命踏まなくても、スピードが上がっていくようにすることができるわけですね。
多分、一冊の本で自己肯定感を上げようっていう発想は、この一冊本を読むことで、すごいブーストかけて、わーっとスピードが上がるんじゃないか、多分期待されてるんだと思うんですけど、最初にやるべきなのは、載っかってる無駄なものを削ぎ落としていくっていうことと、あとは、多分知らず知らずに自分でブレーキを踏んじゃってるわけですよ。
ここをちゃんと自分でコントロールできるように、アクセルとブレーキをいいタイミングで調整できるようにしていったほうがいいわけですよね。

三上:うんうんうん。

吉村:ただ、ベタ踏みしてどんどんブーストしていけばいいっていう発想だと、今度、ひたすらスピードを速ければいいのかっていうふうになっちゃうと、これは多分、脳内物質のバランスとかが崩れてきて、自分がすごい万能な人だっていう変な思い込みとかを持つようになっちゃうと、逆に奇行に走ってしまうかもしれないわけですよね。俺は何でもできるんだイエーイ! みたいな感じになっちゃったら、これはこれで社会生活おかしなことになっちゃうじゃないですか。

三上:そうですね。うん。

吉村:だから、実はバランスがすごく大事で、そのバランスをちゃんと調節しながら生きていくには、自分でアクセル、ブレーキ、きちっと操作ができて、なおかつ無駄な荷物が載ってない状態にしていきたいわけですよね。

この無駄な荷物にあたる物っていうのを、僕らはブロックって呼んで、これをエネルギーを送ることで、中和していくっていうか溶かしてなくしていくことで、車の積載量を下げていくっていうことをやってるわけなんですけど。

このブロックっていうのは、言ってみたら、育ってきた環境で積み上がってきてしまった、自分自身とか周りの環境に対する、ネガティブな思い込みだったりとか、考え方、解釈の仕方、あとは感情の反応の仕方のパターンみたいなものが積み上がっていくことで、知らないうちに重荷が増えてるわけですよね。

三上:うん。

吉村:これは心理学の考え方だと、大体そういう生まれてから、今日までの間にできたものっていう考え方を取り入れてる場合が多いと思うんですけど、実際にスピリチュアル的な考え方も取り入れると、実はそこだけじゃなくて、人生っていうのは、今のこの1回の人生だけじゃなくて、何度も僕たちの魂っていうのは輪廻転生していろんな人生を繰り返してきてるわけなんですけど、そこでの過去の既に終わってるはずの人生の中で、ちゃんと完了しきれてなかった思い込みであったり、思いだったりとかね、感情だったりっていうものも、実は潜在意識の中には残ってる場合があるんで、そういったものがまたそういうブロックの原因になっていくっていうこともあるし、
あとは僕たちの体ですよね、DNAっていうのは、両親とか、またそれぞれの両親とか、先祖代々昔の人たちが使ってたものを、受け継いで使ってるわけなんですけど、ここにもやっぱり先祖の方々がやり残したいろんな思い残したこととかが実は情報として入ってるんで、これらが知らないうちに、僕たちの足を引っ張るっていうかね、重荷になってることで、よりブロックが形成されやすくなってしまったりっていうようなことが起きてるんですよね。
なので、これらを実はちゃんとクリアリングして、そぎ落としていくことで、実はこの車のパフォーマンスっていうのはもっとどんどん上げられるし、ただひたすらアクセル踏んで、加速していけばいいんだっていう発想ではなくて、ちゃんと自分でアクセルブレーキを調整しながら、ちょうどいいスピードで走っていけるようにしていくっていう、これが大事なんですね。
だから、何か本を読んだりとかっていうことで、何かそこの氣づきになって、「自分はそんなにアクセル踏み続けなくてもいいんだ」とか、「まずはこのままの自分をちゃんと大事にして、このままの自分がうまくバランス調整をしながら、走っていくことができるようになるんだ」っていう、そういう氣持ちになれるようなものっていうのは、多分、一冊の本でバーンみたいな感じじゃなくて、いろんな人たちのいろんな体験とか経験とかから、いろんな生き方してる人たちがいるんだなって、
で、その人たちもそれぞれ苦しい時も楽しいこともあったりして、その中でいろいろと乗り越えていくことで、自分を受け入てれ、「これでいいのだ」みたいな感じに捉えることができるようになって、それで自由になって力を発揮できるようになっていったんだな、みたいなことがいろんな例を見ていく中で、自分の中で腑に落ちてくれば、多分そこが言ってみたら、自分がこんないろいろといらないものをいっぱい抱えてたんだなって、氣づくきっかけになると思うんですよね。だから、いろんな人の人生を読んでみて、「いろいろあっていいんだな」みたいなね。

三上:うんうん。

吉村:だから、自分もいろいろいる中の一人で、自分なりのバランスをどう整えていくかとかっていうことが、受け入れられれば、そこからまず、無理しなくてもいいんだなっていうところに慣れると、多分そこで自己肯定感って、だんだん上げていけるんじゃないかなって氣はしますよ。

三上:ありがとうございます。そうですね。もう一冊じゃちょっと語れないですよね。

吉村:そうですね。だから、やっぱりいろんな本読んで、いろんな人の人生とかを見ていくと、こんな人もいるんだとか、こんな大変な人生を乗り越えてきたんだな、この人はすごいなみたいなところから、まあじゃあね、そんな大変な思いしてる人もいるから、
この件に関しては、この人、僕よりも全然大変な思いしてるじゃん、それでも生きてるんだから、まあ僕もね、今までこうやって生きてるんだし、まあまあ、なんかそんなもんだよね、みたいな感じになってくると、自分に対してね、ああでなきゃいけない、こうでなきゃいけないっていうのは、多分減らせると思うんですよね。

三上:うん、確かに。ですね、自分がもうこうじゃなければ、とかでなければならないっていうのがね、だいぶ、うん、軽くなってくるのかな。

吉村:そうですね。だからそれで自分で自分を縛っちゃってるから、まあ言ってみたら、こう自分でブレーキずっと踏んじゃってるわけじゃないですか、だからブレーキ踏みながらアクセル一生懸命こう吹かしても、やっぱりスピードは出ないんですよね。だから、この自分がこうでなきゃいけないとかっていう思い込みで、まずブレーキかけてるのをやめてくっていうのは大事ですよね。

三上:うん。

吉村:で、そこでまたなんかね、あ、自分ってなんかこのちっちゃい頃のこういう経験から、それにとらわれちゃって、まあ言ってみたら重荷を増やしてるんだなってことが分かれれば、まあじゃあこれにとらわれるのをやめようってして、そのやめることができれば、その重荷っていうのは減らすこともできるわけですよね。
で、ここの部分はまあ言ってみたら、そういう自分がその無意識で抱えてるものっていうのに氣づくことができれば、まあ結構下ろしていくことはできるんですけど、ただまあ難しいのはその潜在意識っていうところで、自分がその意識できてる部分とできてない部分っていうのの中の、できてない部分に、実は見えない重荷がいっぱい載ってたりするんですよね。
だから、この意識できてない部分をどれだけ意識化していくかっていうのは、まあ言ってみたら、そういう瞑想をしたりとか、自分と向き合うっていうことでも、まあもちろんできるんですけど、まあここはそのね、やっぱりこう自分で全部やっていくよりも、そのクリアリングっていうその方法を使って、その無意識の領域をお掃除していくっていうことを取り入れた方が多分早いですね。

三上:はい、ということで今日はテーマは、まあ吉村さんに自己肯定感を高めたい人におすすめな一冊ということで伺いましたが、一冊では収まりきれませんので。はいぜひ、あの毎回ね、皆さん、リスナーの皆さんと回を重ねるたびにテーマに合うワードをね、聞いていただきたいなって思います。そこからまた自己肯定感を高めたい人にも繋がってくると。

吉村:そうですね。はい。

三上:吉村さん、本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

238.成人の日

成人を迎えたみなさまおめでとうございます!わくわくする事を見つけて人生楽しんで下さいね。

 

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三上:みなさん、こんにちは。こころメンテナンス、本日もアシスタント三上恵と、氣功ヒーラーの

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい。さあ1月8日は成人の日ということで、迎えたみなさん、おめでとうございます。

吉村:おめでとうございます。

三上:はい、いつだったんだろう、私たち。(笑)

吉村:(笑) 僕はちなみに成人式のときはアメリカにいたんで、日本の成人式に出たことないんですよね。

三上:ちなみに、アメリカはこういう成人式みたいなセレモニー的なものってあるんですか?

吉村:いや、聞いたことないですね。なんか特にないんじゃないですかね。また日本とね、何歳から成人みたいなのって、ちょっとこう違う感じで、確かあれですよね、日本だと選挙権が18歳からになったのって、つい最近その成人の年齢が18歳に引き下げになってからじゃないですか。

三上:そうですね。

吉村:はい。でも、アメリカは確か、18歳でもう選挙権あったと思いますよ、僕いた頃。まぁちょっと僕うろ覚えなんで、もしかしたら情報間違ってる可能性あるかと思うんですけど、確か18歳で選挙、投票もできるし、もし戦争が起きた場合に戦場に行くとかも、そうそうそう、なんか18歳からだったと思いますね。だけど、お酒飲めるのは21歳からなんですよね。これは、日本は20歳からだから、1年遅いんですよね。

三上:うーん。やっぱちょっと国によって違ったりするんですね。

吉村:だいぶね、違うんでしょうね。それに、そういう時代背景とかでもね、昔の日本では確か14歳くらいで元服とかっていって、大人になったから名前も変わっちゃうみたいな、なんか、そういうあったりとか。
でも昔はね、今と比べて平均寿命がすごく短かったはずなので、あんまりね、悠長なこと言ってたら、年老いていってしまうから、早めにそういうね、全部、大人になるっていうことをやっていかないといけなかったっていうのは、きっとあるんでしょうけどね。

三上:うーん。そうですよね。あの、沖縄はねいつもニュースに、成人式は。(笑)

吉村:(笑) ね、なんか騒ぎになる。

三上:結構そうです。私の時代、私の成人式のときは、結構やんちゃな子が多くてですね。えー、袴を着た男性が、観光バスから降りてきて、式場に現れるみたいな。みんな同じ袴を着て。

吉村:あ、そうなんですね。

三上:そう。で、そのあと、ちょっと街を、こう大きな車で練り歩くっていう。(笑)

吉村:(笑) そういう祭りみたいな感じですね。

三上:そういうイベント、セレモニー的な感じで。で、ちょっとニュースに出るっていう。

吉村:なんかね、酔っぱらって暴れちゃうんですよね。

三上:うん。そうなんですよね。あったりしますけど。でも、そもそも思うんですよね。まあ大人って20歳からっていうイメージですけど、なんか中には、ようやくちょっと大人になったかなって、私的には思ってるんですけど。遅いかな。

吉村:いやー。でもね、なんか、僕もかなりやっぱりちょっと大人になるの、精神的に大人になるの遅かった方だなって自分でも思うんで。それこそ20歳になったからってそういう責任ある大人だったかって言ったら全然そんなことなかったですよね。

あんまりそういう一概に年齢でズパって区切れるようなものではないなっていうのはすごく思いますね。

三上:思いますよね。まだね、子供な自分がいるんですよ。成人な部分もいるんですけど、たまに子供の自分がまだいるなって落ち着いてないなって思う時もあったり。(笑)

吉村:(笑) 実際だってね、なんか僕ももう50代半ばになってきましたけど、それこそ10代の頃のメンタリティとあんま変わってないなって思う部分もまだあるはあるですし。

三上:あります。どんなとこですか、ちょっと聞きたい。みんな多分聞きたいと思う。

吉村:(笑)

三上:どんなところがこう思いますか、自分で。

吉村:そうですね。まあまずこう権威みたいなものが苦手っていうのがあるんで、これはこうあるべきだみたいななんかこう言い分を聞いた時に、だいたいちょっとその反抗的な自分がムクッと出てきますよね。

三上:当たり前って何?みたいな。

吉村:そうそうそうそう、そんな感じ。

三上:なるほどね。

吉村:それをなんかあんまり、そのね、なんかこういう表情や言動に出すかどうかって、前にちゃんとワンクッション置いて、まあまあまあ、ちょっとね落ち着いて考えよう、みたいなことができるようになったって、そこが大人になったってことなんでしょうけど。
でもじゃあ、そのムクッと出てくるそういう、その反発心みたいなものがなくなったのかって言ったら、別にそういうわけではないんですよね。

三上:なるほどね。そういった時に感じるんですね。

吉村:そうですね。だからそこら辺はあんま変わってないなみたいな。やっぱりその好きな音楽とかっていうのを辿っていくと、その僕が若い頃は本当にハードロック、ヘビーメタルを聴いてた方で、まあそれってかなり世の中でこういう感じで、世の中とか自分の人生に対してこう怒りをすっごい抱えてた方だったんで、その怒りのエネルギーの発散場所が、まあそういうね激しい音楽だったわけですよ。
で、今大人になってそのだいぶ、そういうネガティブな部分とか怒りとかなくなってきたから、その当時、リアルタイムで聴いてた、その当時のヘビーメタルとかは、あんまり今でも聴こうって感じにはならないんですけど、むしろなんかこう、いいなって思うんだけど、だんだん聴いてるうちに疲れてくるんですよ。その怒りのエネルギーが多すぎるんで。

三上:ああ。

吉村:でも、まあじゃ今聴いてる音楽っていうのはどういうのかっていうと、まあアニソンとかが多いんですけど。

三上:全然、音楽のジャンルが違いすぎて。

吉村:そう思うでしょ。実際はね、今のアニソンってすごくロックやヘビーメタルの様子が散りばめられてるものが多いんですよ。だから多分、若い頃にそういうの聞いてた人たちが今アニソンとか作ってるんだろうなっていうとこがあって。

三上:例えばどういったところですか。ちょっと氣になります。

吉村:やっぱりコード進行だったりとか、ちょっとひずみのあるギターのソロが入ってたりとか、結構そういう音楽の構造の部分にハードロック、ヘビーメタルの影響っていうのがあるんですよね。

三上:へえ。

吉村:日本って結構、テレビとかには出てこないですけど、女性のガールズバンドとかで世界的にも評価が高い人たちが結構いるんですけど、その人たちが結構、実はメタルの音楽をやってたりするんですよ。

三上:へえ。

吉村:それって音楽の構造の部分は、ロックヘビーメタルの流れを組んでるんだけど、歌詞とかを聴くとすごく前向きな内容のことを歌ってたりするんで、なんていうのかな、音楽性を残しつつ、エネルギーが怒りとか憎しみのエネルギーじゃなくて、どっちかっていうと、もっと愛とか希望のエネルギーがそこに入ってるものっていうのが、結構受け継がれてるっていうか、そこは日本でロックが生き残ってたみたいな感じのところがあるんですよね。
だから、すごい僕はそういう今よく聴く音楽っていうのはそういうガールズバンド系とか、そのアニソンとかの音楽が多いんですけど、実はそこにヘビメタの魂みたいなのが宿ってるんですよね。

三上:ちょっと私もちゃんと聴いてみたいと思います。いつもやっぱり私も自分が好きな音楽しか、R&Bとかヒップホップとかしか聴かないので、ちょっとそこにもでもロックかな。ヘビー…

吉村:ヘビーメタル。

三上:ヘビーメタル、ちょっと前に、以前見に行って衝撃受けたんですけど、実際のライブを見に行ったんですよ。初めて。

吉村:おおお。

三上:そしたら外国の方ばっかりだったんですけど、そのホール、そのステージのホールをみんなこう「だぁぁっ」て飛び跳ねたり、走り回ってて。

吉村:モッシュピットってやつですね。

三上:モッシュピットっていうんですね。衝撃で、どうしたのみんなっていう。

吉村:はいはいはい。あれはね、結構怖いですよね。

三上:あれすごい、稲妻が起きたみたいな。

吉村:そういうモッシュピットができるようなバンドももちろんあるんですけど、アニソンとかになってくると、結構みんなちゃんと自分たちの席のところで、座って聴いてるとか、立ち上がってペンライト振ったりして。

三上:かわいい。

吉村:すごいお行儀いい感じになってますよ。アメリカ住んでた頃は、小さいライブハウスにメタルのライブとか見に行ってたんですけど、モッシュピットができると怖いですよ。僕体あんま大きい方じゃないんで、アメリカ人とかでかい人だらけじゃないですか。あの人たちがすごい勢いでぐるぐる回って、ああいうとこに、それこそ押されてボンって入っちゃう時とかも、たまにあるんですけど、そうするととにかく一周回って戻るみたいな感じのことをするんですけど、なかなか激しくて。
でもね、僕モッシュピットに入っちゃって、うわ、やべってなった時に、転んじゃった時あったんですよ。やば、踏みつぶされるされるぐらいな感じで、すごい怖かったんですけど、ちゃんと近くの人が、パッと僕のこと掴んで立ち上げてくれて、だからすごい、みんな助け合いの精神がこの中にあるんだみたいなのは感じて、だからモッシュピット思ったよりも優しい世界だぞっていうのはありましたね、その当時。

三上:確かにぶつかった時に「あ、ごめんね」って言ってましたもん。

吉村:あはは

三上:いやでも、やっぱり、今日は成人式のテーマ脱線してしまいましたけど、大人になったから、成人、二十歳になったからって言って、しっかりしなきゃっていうか、世間体的にはもう二十歳だよっ、責任持ってよっていうのもあると思うんですけど、子供の心は別に忘れてはダメっていうわけじゃないので、その頃の感性とかっていうのはそのまま残しつつね、皆さんこう人生楽しんでいただきたいなと、成人迎えた皆さんね。

吉村:そうですね、それに責任ある態度とかあり方って、多分後先考えられるようになったから、だんだん身についていくみたいなのもあると思うんですね。これをやったらこうなるだろうから、だからじゃあこれはやめてこっちを選ぼうみたいなのって、先にどうなるかっていうのを、想像して選ぶことができるようになるっていうのが、多分大人としての責任のある態度みたいな話なんかと、結構密接に関わってると思うんですよ。
で、ちょっとこれも僕だいぶ昔に聞いた話で、うろ覚えなんで、ちょっと間違ってるとこあるかもしれないですけど、脳の発達でやっぱりこの特定の部位が発達してくると、そういう後先を考えるっていうことができるようになるらしいんで、そこの部位が発達しきってないときって、今しか見えないみたいな感じになりやすいらしいんですよ。
だから、この後先を考えられるようになる、そこの部分の脳がしっかり発達するのが、20代の前半のあたりらしいんで、だから、そういうそこの脳がどのぐらいのタイミングで発達するのかっていうのはやっぱ個人差があると思うんで、そこの脳の成長具合によっても、精神的に大人になるかどうかっていうところは、結構関係してくるんだろうなと思うんですよね。

三上:うーん。

吉村:そうですね。僕なんかはね、なんか本当に若い頃は、だからさっき言ったような、ちょっとね反骨的なところっていうのは、やっぱりなんでそうなったかって言ったら、やっぱ幼少期に結構傷ついてたからっていうのはあると思うんですよね。だから、それこそ大人は敵だみたいな感じに思ってた時期があって、でね、「ちっ、大人のやつら」みたいな感じだったわけですよ。でも、こう時が経つときに容赦なく年齢が上がってくんで、自分自身が20代になった時に、なんかこうね、あれ、大人のやつらとかって言ってたけど、今自分大人じゃん、みたいな感じになってきたんですよね。
だからその時に、あんまり今までみたいなね、その場限りの反抗心だけで生きてたらちょっと逆に格好悪いなっていうふうになってきた時に、だんだんちょっと大人としての自覚が芽生えてきたっていうのはありますよね。

三上:うーん。なので、まあなんか、こうね個人個人やっぱり違うので、ね、ここはちょっと大切にしつつみんなに合わせなくていいですのでね。

吉村:そうですね。うん。自分のペースっていうのがね、あるでしょうからね。

三上:はい、なので、私はもうほんともう年を重ねて楽しいですので、はい。リスナー皆さん、今だけじゃなく今後もね、向き合いながら、楽しんでいただきたいと思います。

吉村:はい。

三上:はい。吉村さん、本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。