082.海を眺めたくなるのはなぜ

波の音や海風を感じながら海に癒されるというかたも多いのでは。
人間と海の関わりについてお話伺いました。

 

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三上:はい、みなさん、こんにちは。こころメンテナンス。本日もアシスタント三上恵と、氣功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい、さあ皆さん。7月と言う事で夏本番を迎えてる、まあ、沖縄も既に迎えてるんですが(笑)

吉村: はい。

三上: 今日はですね、私自体が「海が大好き」で、ふと時間があれば海に行くんですけども、人って何故?例えば朝日とかサンセットとか夜の海とかそうなんですけど、「海を眺めたくなるのは何故だか?本能的なものがあるのかな?」っていう部分で氣になっていて、

吉村: ふんふん。

三上: 人間の中には海を眺めると、何か効果というか、何か感じるものがあったりするのかな?というふうに思ったので、「海を眺めたくなるのは何故?」をテーマに、ちょっと今日取り上げてみようかなと思ったんですけど。
人間と海の関わりは、地球、宇宙もそうだと思うんですけど、その関わりの中で感じるものがあったりするんですかね?吉村さんのちょっと考えを聞けたらなって思うんですが。

吉村:そうですね。全ての人が、「海」好きかどうかっていうのはちょっと僕もよく分からないところはあるんで。

三上:そうですよね。うん。

吉村:はい。ただ例えば、僕達が使っている肉体って、元々地球上の生命体から譲り受けて使っているわけですよね。そうすると、地球上の生命って何処から来たんだ?って言ったら、元々は恐らく海の中で発生してるわけですよ。
それがどんどん進化して、色々な多様化していくなかで、地上に出て暮らすっていう選択をした者達がいて、地上で進化発展してきた哺乳類がまた色々とどんどん枝分かれしたりとか、進化・多様化を繰り返してって、それで霊長類ですね、猿の仲間になってったところで、僕達人間にだいぶ近いとこまで進化して来たところで、僕達の魂はこの肉体と結合するっていう選択をしたんだと思うんですね。

三上: ふううん。

吉村: だから、生命そのもの、僕達の肉体の故郷と言うのかな?起源みたいなのは海の中なんで、そこでもしかしたら、海の持つ波動であったりとか、DNAの中に刻まれている海の中での、言ってみたら歴史みたいなものが僕達のDNAに刻まれてるが為に、「海が懐かしかったり」とか「海に対する心惹かれる」みたいな形で現れてる可能性はあるなと思いますね。

三上:そうなんですね。そう思ったのと、それもきっと生命の起源であるのかなって思ったのと、やっぱり同じ波動じゃないですか?同じ「海が好きなメンバー」って、前世とかにもその何か関わりが海にある人が、皆んなが皆んな「海好き」ってわけじゃないですよね。
なので、そういった関わりが、最近思うのは、やっぱり氣功のお話とか聴くなかで、やっぱ好きなメンバーとかって、共通する部分があったりとかするので、その前世の中でそういった海に関する、まあ、近かったのかな?っていうふうに思ったりもするんですけど。

吉村:そうですね。人間として、海と関わりが深い人生を何度もされている人達もいるでしょうし、後、これはバシャールの言ってた事なんですけど、「僕達の地球人の魂って、地球上では人間だけじゃなくて、イルカやクジラの仲間として転生する事もある」みたいなんですね。
確か、バシャールが言っていたのは、「地球上の生物で、魂が輪廻転生してるのは、人間と、それから、イルカやクジラの仲間達だけだ」って言っていたんですよ。

三上: あっ。

吉村: それは、バシャールがそう言ってたっていうところしか出典がないから(笑)本当かどうか確かめようはないんですけど、ただ僕が仕事として色々な方の潜在意識の中にアクセスさせて頂いて、色々とクリアリングをするみたいな事をしてくなかで、色々な方達の過去生をみてきてるわけですよね。
そうすると、結構イルカだった事がある人、クジラだった事がある人達っていうのが、実はちょこちょこいるんですよね。

三上:はあー。

吉村:多分、実際、海の中で暮らしてた過去生を持ってる人達とかは、特に海が言ってみたら自分の庭だった時があるわけじゃないですか。(笑)
そういう意味では、海が好きになるというのは、そういうところが関係している可能性はあるなと思いますね。

三上:はー、なるほどですね。じゃあ、きっと私は、海の、もしかしたらイルカとかクジラだったかも知れない?って事ですね、きっとね。

吉村:その可能性は高いかも知れないですよね。

三上:であれば、納得です。ふふふふふ。

吉村:ふふふふふ。面白いのはね、イルカとクジラって生物学的には同じ種族らしいですからね。サイズが違うってだけで。

三上:結構、サイズ違いますよね。

吉村:ね、結構、違いますよね。

三上:コミュニケーションの取り方というか、発しないけども、お互いに波動で感じるみたいな感じなんですかね?

吉村:よく分からないですけど、大きい犬と小さい犬みたいなのを、もっと差が激しいようなものなんじゃないですか?生物学的には同じ種族らしいんですよね。

三上:じゃ、シャチとかサメは違うって事ですよね?

吉村:そう、違うんですよ。サメは魚類だから、明らかに哺乳類ではないんですけど(笑)

三上:形だけ、形だけシルエットだけちよっと見てみましたね。ごめんなさい。

吉村:(笑) シャチは、同じ哺乳類なんですけど、全然獰猛で、氣質が違うみたいな話を聞きますからね。

三上:ふううん、なるほど、面白いですね。
逆に、海での今お話をしましたけど、緑とか自然が好きっていう人もいらっしゃるじゃないですか?それは、やっぱり、森とか緑に触れてる機会が長かったというか、前世にですね。そういう可能性もあったりするんですかね?逆に。

吉村:可能性としては、やっぱり有ると思いますよね。過去生の記憶自体を持ってまた転生しちゃっている人の話っていうのも、よく色々な研究者の人達の文献とかにも出て来るし、ネット上の都市伝説系のチャンネルとかでも、そういう話とかってよく出て来るんで、記憶はないけど、その時の例えばなんだろうな?森の中で楽しく暮らしていた過去生が有ると、それが楽しかったという感覚とかが残ってるみたいな事はあり得るでしょうしね。

三上:なるほどですね。そう考えると、面白いですね。(笑)

吉村:そうですね。それこそ、過去生で例えば楽器を演奏してた人とかっていうのは、音感が良かったりみたいな事が有るっていう話も聞きますし、結構一回一回の人生って全然関係ないっていう捉え方も出来るけど、そこで培って来たものが後の別の人生で、別の形で活かされるって事はきっとあるんじゃないかな?って思いますね。

三上:なんか、良いですね。自分に、皆さんも捉えて頂だいて、「何をしている時が、自分居心地良いのかな?」
それにはね、もしかしたら前世に関わりがあった事が、今にも心地良いと感じている部分があるかも知れませんね。

吉村:そうですね。だから、僕も自分の事ってあんまりよく分からないんで、他の人にみてもらうことが多いんですけど、

三上:そう、吉村さんのこと、今知りたいと思いました。(笑)

吉村:(笑) やっぱりなんか、過去生でもエネルギーワークの研究してたっていうような事を言われる事が有りますよ。
「ちょっとその時代の有名なヒーラーさんだったりとか、預言者みたいな所に弟子入りして、めちゃめちゃ研究しているみたいな場面が視える」みたいな話を聞いて、それって、それこそ「占いなんか信じないぜ」みたいな人達のうがった見方をすれば、僕がこういう仕事してるの知ってるから、(そう言っとけば多分喜ばれるだろうっていうふうな感じで、そういう話をでっちあげることも出来るよね)っていう見方も出来るんですけど。
実際、そこはちょっと証明のしようがないんですけど、ただ、なんとなく今迄僕が色々な人をみてきて、「きっとこの過去生が有るから、この人今こういう事やってんだろうな?」という、僕自身もみてきてるんで、自分の事に関しても、(まあ多分そうなんだろうな?)というふうに思うと、(多分きっとこの人が言うように、昔からそういう事やってたんだろうな?)っていうふうに受け取ってますね。

三上:うーん、私も話を聴きながら、きっと、吉村さんは前世でも人にアドバイスしながら、色々お話聞いて情報与えるそんなようなお仕事を、お仕事というか、そういう人だったんだろうな?っていうふうに思いながら、私も感じてました。(笑)

吉村:ありがとうございます。

三上:そう捉えると、面白いですね、今の人生も。今に生きてますけど、そういう事があったっていうきっかけを知ると、(あっ、なるほどね)って思うところも、今現在、生きるとあったりするかも知れませんね。

吉村:そうですね。だから、多分、今の僕の顕在意識では計り知れないような、もう少し高いところから俯瞰してみている僕自身が何かやりたい事があるとか、目的や目標みたいなものを持ってて、僕はその波に乗っかって生きているのかな?というような捉え方ですね。

三上:はい、ということで、今日は、話途中で脱線してしまったんですけど

吉村:(笑)
三上:「海を眺めたくなるのは、何故?」っていう事で、海好きな人は凄い感じてもらえる部分があったと思うんですが、そうじゃない方も、自分の前世の捉え方とかね今の考え方、(居心地が良いって、ああこういった理由なんだ)というふうに、色々な受け取り方があったら良いなと思いました。
はい、吉村さん、本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

081.気功ってアジアだけなの?

氣功と聞くとアジアのイメージ湧きませんか?世界にも氣功は存在するのか吉村さんにお話伺いました。

 

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三上:みなさん、こんにちは。こころメンテナンス。本日もアシスタント三上恵と、氣功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、よろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい。さあ、今日のテーマなんですけど、「氣功」って聞くとアジアだけなのかな?って私の個人的なイメージなんですけども、

吉村 : はいはい。

三上 : 実際、「氣功」に携わって、色々な事に携わっている吉村さんですから、吉村さんの考えとかお話も聴いてみたいなと思ったんですが、「氣功」っていうのは、やはりアジアで広まっているんですかね?

吉村:まあ「氣功」っていう言葉が、日本だったら中国から伝わって来たものだったりとかってするんで、「氣功」っていうとそっちのものって言うようなイメージはあるとは思うんですけど、「氣功」って要するに「氣を取り扱う手法」みたいな意味合いなわけですよ。

三上 : はいはい。

吉村 : 漢字も「氣」っていう字と「功」という字で、「功」っていうのは「巧みに取り扱う」みたいな意味合いの言葉だから、そういうふうに捉えると「氣」っていうものを取り扱うものは「氣功」って言えるんじゃないかな?って思うわけですよ。

三上:ふうーん。

吉村:じゃあ、「氣って何か?」というふうに言った時には、要するに目に見えないエネルギーっていうのを例えば、意識の何かが「氣になる」とか「氣を配る」とかっていう、考えたりとか思ったりする時の意識のエネルギーみたいなものを「氣」って呼んでたりするわけですね。
「氣候」とか、あの氣候って季節の氣とかね、「天氣」みたいな自然の状態、大自然の状態とかも「氣」っていう言葉で現わされたりとかするし、そこら辺を、日本語の「氣」っていう言葉が付いている文字が含まれている言葉をいっぱい並べてみると、かなり沢山の色々な言葉があるわけですよ。

三上:そうですね、今ね、並べてました。「氣分」「氣候」「元氣」「氣持ち」とか。(笑)

吉村:はいはいはい。「氣力」とかねえ。だから、そういう目には見えないけど、情報として存在してるとか、要するに情報とか力を伝達するようなものっていうような捉え方が出来るわけですよね。
てなると、そういうの全部「氣」って言うんだったら、目には見えないエネルギー全般、例えば、「癒やし」であったりとか「健康増進」とか「体を強くする」とかね、それから「氣を強くする」って言うと性格的な部分だったりとかコミュニケーションに関する事だったりするわけじゃないですか。
だから、そういうの全部含めて、「氣」って呼んでるとしたら、それって別にアジア人に限らず、世界中の人達が色々な言葉で扱ってるものだと思うんですよ。
それが現代の日常の中で、大事にされてるかとか、よく取り扱われてるかどうかっていうのは、文化とかによって多少違いはあると思うんですけど、元々はみんなが使ってたものだと思うんですよね。

三上:うーん。なるほどですね。確かに、同じね「氣分」とか「氣候」とかっていうのも、世界共通する、地球上に居る人なら感じてる事あると思うので、なるほどですね。

吉村:そこに名前を付けて、言葉で言語化して取り扱ってるかどうかっていうところでは、結構、日本語とか中国語とかにもそういう言葉はいっぱいあるのかも知れないですけど、僕ちょっと中国語が分からないので、日本語と比べてどうなのかっては分からないですけど、少なくとも僕が知っている英語と比べると、日本語にはそういう言葉がすごい含まれてるんですけど、でも概念としては、うっすら存在はしてるわけですよね、英語の中でも。使ってる言葉が違うというだけで。
だから、そういう意味では、それを専門的に扱う技術っていうふうに捉えたら、色々なものが「氣功」というジャンルの中に入って来ると思うんですよ。

三上:そうですね、今思ったけどヨガとかも、若干違いますけど「氣功」の一部、似てる部分もあったりするのかな?って今イメージしたりしたんですが。

吉村:そうですね。ヨガでも「プラーナ」っていう概念があって、それが宇宙に満ちている生命のエネルギーみたいなことを「プラーナ」と呼んでいるんですけど、それが指している物が何かっていうふうに紐解いていくと、これ氣のこと言ってんじゃない?って感じがするんですよね。
だから、色々な違う名前で呼ばれてるけれど「氣」だよね?っていうふうに考えると、かなり色々なものが「氣功」というジャンルの中に取り入れてもおかしくはないみたいな話になると思いますし、後は中国の「氣」に関する技術であったりとか知識みたいなものって、多分インドから伝わって来てる物も多いと思うんですよね。

三上:インドから?

吉村:例えば、日本に仏教が伝わって来たのは、仏教は中国から入って来てますけど、そもそも仏教ってインドで始まっているもので、それが中国に輸入されて、そこで独自の発展をして中国の仏教になってったわけですよね。
「お釈迦様」と呼ばれてるブッダさんは、元々はインドの人だし、インドにはアーユルヴェーダとかね、そういう健康法みたいなのが元々あったわけですよ。
それは中国に伝わって、中国でも独自の進化・発展を遂げてって、それがだいぶ中国の「氣功」っていうものに取り入れられてると思うんですよね。

三上 : ふううん。

吉村 : インドもアジアといえばアジアなんで、その辺りで来てる流れっていうのがあるわけですけど、でも多分、ヨーロッパの方とかもキリスト教がバアーって来て、昔からあった土着の信仰とかをだいぶ駆逐してしまった為に、そういうものだいぶ失われちゃってるんですけど、
キリスト教が入って来るまでは、そこの元々自然信仰みたいな事をしてた人達って、ヨーロッパにはいっぱい居て、そういう人達は、薬草使かったりとかってこともしてたでしょうけど「ヒーリング」的なこともやってたわけですよね、恐らく。
その中には、多分、薬とかだけじゃなくて、痛い所に手を当てて「癒やす」みたいなものっていうのは多分あったと思うんですよ。

三上:ふうーん。

吉村:そうすると、どういう経緯でそれらが伝わったのか、その人達がある日突然氣が付いて、「これ、いけんじゃん!」みたいな感じでやり始めたのかは分からないですけど、恐らく、見えないエネルギーを使って、何かをするっていう事はやってたと思うんですよね。
アメリカ大陸に元々いたネイティブインディアンの人達も、色々な儀式的な事をやって、神秘的な文化みたいなのをすごい持ってた部族とかもいるわけですよ。

三上:今考えて思うのは、昔の人ってすごい色々な氣付きが、今の私達より多いですね。今、当たり前にあるようで、本当は氣付ける事が沢山あるけど、物に溢れてたりとか、色々な情報が飛び交い過ぎて、逆に氣付けてない環境があるのかな?っていうふうに聴きながらですね、思ってましたけども。

吉村:そうですね。例えば、オーストラリアの先住民族の人達って、それこそテレパシーみたいなものが使えてたという話とかあるんですよね。そうすると、遠く離れててもお互いの考えとか伝わっちゃうみたいな事があると、そういう人達のことを支配するのって難しくなっちゃうじゃないですか?

三上:うーん、たしかに。

吉村:だから、そうすると一部の人が大多数の人達を支配して、奴隷みたいに自由に好きな事やらせて、自分達の為に働かそうみたいな事を考えた時に、そういう人達からなるべく色々な力や知識を奪って、「あなた方は私達の言うことを聞いて、従うしか生きる道はないんですよ」って思わせといた方が支配がし易いっていうのがあるから、多分それで、色々な本当はこういうの使えたら、もっと大きな力を発揮できる色々な知識とかが、意図的に奪われちゃったり隠されちゃったりして来た事って、いっぱいあるんじゃないかな?と思うんですよね。

三上:なるほどです。人間の欲が、ね(笑)。なるほど、今日のテーマに沿って思ったのは、「氣功」はアジアだけではなくて、まあそうですよね、漢字で「氣功」って書くから尚更、アジア感はありますけども、同じ人として色々感じるものとか捉え方っていう部分では、世界中に「氣功」というのは名前は違うけれども有るという事で。

吉村:そうですね。だから、スピリチュアル系の人達なんかは、結構「エネルギーワーク」っていう言葉をよく使っているのを耳にしますよね。

三上:最近、よく聞きますね、「エネルギーワーク」ね。

吉村:そうですね。それも要するに「氣功」を英語で言うと「エネルギーワーク」なんじゃないかな?と僕は思っているんですよ。

三上:実際、吉村さん、「氣功」って英語で何て言うんですか?「氣功」って言うんですか?

吉村:これはね、中国語の読み方を、そのままアルファベットで書いて、「チーコン(Qigong)」とかっていうような。Q、I、ハイフンしてKなのかCなのかな、とにかく「チーコン」という中国語の読みで表記される場合もあるし、後は日本語の「KIKOU」ってローマ字で書く「KIKOU」かな「氣功」って。
これも詳しい人だったら、知ってる言葉になってますよね。それこそ、「TSUNAMI」という言葉とか、「SUSHI」と言う言葉も日本語だけど、世界中に広まっているじゃないですか。そんな感じで、「KIKOU」とか「チーコン」という感じで、知ってる人は知ってる言葉にはなってるんですけどね。

三上:ふううん。いやあ、この時間、なんか色々な氣付きと学びも、やっぱ毎回なんかね、学ばせて頂いてますね。

吉村:(笑)。僕も最初、この仕事始めた時に、「エネルギーワークやってます」ってよく言ってた時期があったんですよ。だけど、そうすると、こういうスピリチュアルな事とか全く縁がない、例えば、ビジネスマンの人達との集まりとかに行って「エネルギーワークです」と言うと、「ああ、石油を取り扱われているんですか?」

三上:(笑)たしかに。

吉村:それで参ったなと思って、もっと日本語として馴染みのある言葉を使おうって思って「氣功」って言うようになったんですよね。

三上:なるほどですね。確かに少し前で、そういうふうに言われると「うん?何?」てなりますもんね。今だからこそ、だんだん増えては来てますけどね。

吉村:そうですね。だから、言葉で何と呼ぶかって事よりも、実の部分というかね、何を取り扱ってるかという、そこが大事かなというふうに思いますね。

三上:そうですね。改めてこの時間、私も感じました。(笑)

吉村:(笑)。

三上:多分、リスナーの皆さんもきっと私と同じ方も多いと思いますので。はい。今日も、吉村さん、学びをありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

080.お便りフォームから

ハンドルネームともさんからのご感想と、ことさんからのメッセージを取り上げて、吉村さんからお話伺いました。

 

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三上:はい、みなさん、こんにちは。こころメンテナンス。本日もアシスタント三上恵と、氣功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい、さあ今日は久々にお便りフォームから、取り上げていこうかなと思います。
そうなんです、皆さん。 ちょこちょこ、お伝えするのを忘れておりました。このね、

吉村: (笑)

三上: 今のお話聴いてるなかでも、「お便りフォームリンク」があるので、「リンク」から入って頂いて感想とか、こういう事ちょっと訊いてみたいなっていう、皆さんからのメッセージもお待ちしております。っていう事でですね、
今日は頂いた「お便りフォーム」から取り上げていきたいと思います。先ずは、ともさんからお話、来ていますね。
これは、「吉村さん、三上さん、いつも楽しく聴いています。[周りの空気を読んでしまう]を聴き」、前回、お話ししたテーマですね。

「私もバリューフォーミュラにケアが入っていて、空間に蜘蛛の巣を張り巡らせるように周りの空気を読んで、(なんで、あの人達は空気を読まないんだ!氣付かないんだ!)と怒ってしまいます。バリューフォーミュラが違うのですね?
最近はだいぶ改善されましたが、職場でガンガン氣を使い過ぎて、家では抜け殻のようになっていました。ケアの概念を好む影が強くなるとジャッジが強くなる。本当、その通りですね。」っていう感想、来ています。

吉村:はい。

三上:はい。ありがとうございます。

吉村:はい。だから、ケアをする事を好んでるっていうのが本来の在り方なんですけど、その影になるとケアがない事を否定するっていう、反対を否定するというふうになり易いんですよね。
そうすると、ケアというのを持っている人は、周りでケアを必要としてる人に直ぐ氣が付くから、その方に対して声掛けするみたいな空気を読んだ行動とかをする能力に長けているわけですけど、

三上 : ふううん。

吉村: その事はとても素晴らしい事なんですけど、他の方達が同じレベルでケアが出来るかって言ったら、ケアのバリューフォーミュラを持ってない人達は、そこまでその能力高くないわけですよね。

そうすると、それに対して(なんで、あの人達は空気読めないんだ!)っていう否定になってしまうと苦しくなっちゃうっていう、それが有るという事、その事に氣が付かれたという事ですよね、ともさんは。

三上:良いですね。こういうふうにメッセージを頂けると、嬉しいですよね。

吉村:そうですね。だから、本当に自分にとっての大事にしている価値の方に目を向けて、その反対を否定するっていうのに入らないように、そこをちょっと軽く意識しとくだけで、多分見え方とかそれに対する感情の反応とかって変わって来るんじゃないか?と思いますね。

三上:はい、ありがとうございます。ともさん、メッセージ頂いて、ありがとうございます。皆さんからのメッセージもお待ちしております。

吉村: はい。

三上: さあ、続いてはことさんから来たメッセージをお読みしますね。

吉村: はい。

三上:「少し個人的な質問で申し訳ございません。前回ですね、『未完成の過去生』という言葉が出てましたけども、過去生が未完成という事は、過去生で出来た負の感情がまだ残っているという事でしょうか?また、宇宙の過去生という事は、宇宙人がいて、その宇宙人であった事が有るということでしょうか?
地球人の後に宇宙人に転生して、また地球人に生まれてみたいな事もあるのでしょうか?よかったら教えてください。」と来ております。

吉村:はい。そうですね、先ずちょっと細かい話なんですけど、未完成の過去生ではなくて、僕は「未完了の過去生」っていう言い方を普段してます。
別に言葉の選び方とか、そこまで重要ではないんですけど「未完成」っていうと、なんとなく正しい完成形があって、そうなってるか・なってないかで「完成」か「未完成」かっていうふうになってるように、ちょっと聴こえちゃう可能性も有るんで「未完了」という言葉を使っているんですけど。
それは要は、完了してるかしてないか?正しい形になっているかなっていないか?っていう事よりも、「現状これがこの形で終わってこれで良し」としているかどうか?っていうところが、完了しているかどうか?と言うところなんですよね。

三上: ふううん。

吉村: そういう意味で言いますと、過去生で出来た負の感情がまだ残っているという事は、その負の感情がいっぱいあり過ぎて、わだかまりみたいな状態で残っている「これで良し」として終われてないというのが「未完了」と言う事なんで、そういう意味ではこの認識は間違ってないですね。
勿論、負の感情っていう事だけじゃなくて、ちゃんとここで終わっても良いよね?っていう状態になれているかどうか?っていう事がポイントなんで、言ってみたら(このままじゃ終われないぞ!あいつに復讐してやるんだ!)みたいなのがあったりすると、未完了になる確率は上がるわけですね。

三上: ああ。

吉村: 所謂、平たい言葉で言うと成仏出来てないみたいな感じの状態っていうのが「未完了」であるっていう事ですね。
で、宇宙での過去生っていうふうにお伝えしている事に関しては、まさにことさんが言われてるように、「僕達、地球人の魂が輪廻転生してる先っていうのは、ここ地球だけではないな」と言うのが、僕の今迄色々みてきた中で感じてる事ですね。

三上:仰ってましたね。クジラとかもあり得る、イルカとかもあり得るっていう話も前回お話してますもんね。

吉村:はい。で、どっか別の星での文明みたいな所で生きてたっていう過去生を持っている人もいますし、この宇宙だけじゃなくて、別次元のどこかで生きてたっていう過去生を持っていた人達も居るんで、結構僕達の魂って、広い範囲で行ったり来たりしながら、悠久の時を生きてるんじゃないかな?っていうふうに、思ってるんですよ。
まだ時間っていう概念自体が、多分、外側に出ちゃうとね、時間軸っていう捉え方も全く変わってくると思うんですけど、この3次元の地球の中の顕在意識の全貌は分からないんですけど、そういう外の世界に僕らの魂の本体は居るんで、そこから色々な所にアクセスして、色々な人生を生きて、それらの経験ていうのを、何かしら僕らは持ち続けてるという事が起きているんだと思うんですね。
その中で、「何かの人生では凄く心残りになってる事が有る」とか「ネガティブな感情が全然解消されずに凄い残ってる」とかってなると、「未完了」と言う状態になっちゃって、それが、その後の他の人生にも影響を及ぼしちゃってるところに、例えば今の人生での「生きづらさ」みたいな事が繋がってたら、「そこはちゃんと完了させたほうが良いですよね」って言う事をお伝えしているっていう、こんな感じですね。

三上:ふううん、なるほどですね。だから、その状態が有るからこそ例えば今回の今の人生の中で、ちょっと関わるものがあったりとかっていうのも、やっぱり氣付いていく、自分と向き合って氣付いていくとかっていうのもそうですし、やっぱり吉村さんとお話して、氣付かせてくれる人がいるっていうのもヒントになりますよね、人生の中で。

吉村:そうですね。はい。言ってみたら、今回の人生と関係ない所でのわだかまりが原因で、今回の人生であんまり役に立たない囚われを持ち続けてるみたいな状態になっちゃってたとしたら、それってかなり大きなハンデになっちゃうと思うんですね。
そこはクリアリングっていう方法で、古い、今の人生にはそれほど関係がない、むしろ問題の原因になってる割合のほうが多い部分というのは、エネルギー的に完了させていったほうが、要は、エネルギーを送って「これで良し」っていう状態にしていく。
「あの人生では色々と悔しい思いとかしたけど、それはそれでそこから学んだ事もあるから、それで良いよね!」みたいな感じで終わらせるっていう事ですよね。

三上: ふううん。

吉村: ちゃんとそっちが終わってた方が、今の人生にもっと集中しやすいですよねっていう話ですよね。

三上:そうですね。私達もちゃんと完了出来るように、日々湧き出てくる楽しさ・ワクワクする事って大切ですね。

吉村:そうですね。まさに、今の人生をちゃんとフルに生きて、生き切ったって思って終わらせられると、きちっと人生完了するから、次の人生ももっと自由な人生が生きられる可能性が高まるわけですよね。

三上:うううん。はい、という事ですが、どうですか?ことさん。

吉村: はい。

三上: 是非、皆さんもこういったふうにお便り頂けると、取り上げて、吉村さんの深い話・良いお話、沢山聴けますので、是非是非お便りお待ちしております。
リンクの方から是非開いて送って下さいね。はい、ともさん、そして、ことさん、メッセージありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

三上:そして、吉村さんもありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

079.自由

自由になれたらいいのにって思った事はありませんか?
規制がなく自由になれたら幸せなのか?
深いお話です。

 

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三上:みなさん、こんにちは。こころメンテナンス。本日もアシスタント三上恵と、氣功ヒーラーの

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい、今日のテーマ、私もそういう人間でありたいとは思っているんですけれども、自由ですね。縛られたくない私にとっては自由ってすごいいい言葉だなというふうに思うんですけど、はい。
でも、自由というテーマで取り上げる中で、自由とは何なんだというくらい幅が広い(笑)と思っているんですが、さあ、このテーマ自由。今日はなぜこれをテーマに吉村さん、取り上げたんでしょうか。

吉村:はい。その、世の中的にそう思われているけど、それをもう一度見直してみようよという感じで前回、前々回のお話をしてきたと思うんで、その中でこの自由ということも世の中的には大事なことで、素晴らしいことというふうな認識は皆さん持っていらっしゃると思うんだけども、果たして自由って何なのかという概念そのものをきちっと定義されているのかというところ、
ここがちょっとふわっとしたまま自由、自由と言っていても、じゃあ理想の状態はどういう状態なのということがハッキリしていないと、そこに辿り着きようがないじゃないですか。

三上:うん、うん、うん。

吉村:だから、なんだかよく分からないものを求め続けていても手に入らないんで、キチッとそれがどういうものなのかという定義を明確にしたほうがいいのかなというふうに思う感じで選ばさせて頂きました。

三上:たしかに、自由ときいて、皆さんの自由はきっと違いますもんね。ひとりひとりの自由というのは、きっと違うと思います。

吉村:うん、うん。

三上:なるほど。

吉村:自由という言葉を取り上げて、そこを単純に捉えたらどうなるかといったら、おそらく制約が少なければ少ないほど自由ってことですね。制約が多ければ多いほど不自由な感じになってくるじゃないですか。
ということは、その逆に少なくなっていけば自由という話だと思うんですよ。その考えを突き詰めていくと、究極的な自由というのは全てに一切の制約がない状態という話になっちゃいますよね。

三上:そうですね。そうなるとどうなるんだろう。(笑)

吉村:はたして、そんなものがあるのかどうかという、そこなんですね。
一切の制約がない究極的な自由というのを僕らは持ち合わせているのか、あるいは僕らが想像出来るどこかで、そういうものが存在するのだろうかと考えた時に、実際、僕らが人として生きていくにあたって肉体というものの制約の中で生きているわけですよね。
人間の肉体の中で生きているということは鳥みたいに空を飛ぶことも出来ないし、魚みたいにエラ呼吸で水中で生活することも出来ないし、僕が吉村竜児という人である限りは僕は三上恵さんという人でいることは出来ないんですよね。(笑)。

三上:ですよね。分かりますよ。

吉村:そうなると全然自由じゃないじゃないですか。その辺に関していうと、僕が改名して名前を変えるということは自由に出来るかもしれないけど、それをしたからといって僕個人が別の人になるのかといったら、そんなことはないですよね。
例えば僕が「今日、改名してきました。これからヤマダタロウと名乗ります」と言っても、多分昨日までの僕を知っている人が道端で僕に会ったら「あ、吉村さん」てなるわけですよ。だから、いってみたらその辺って、制約だらけなんですよね。

三上:うん、確かに。肉体に入っただけで、もう自由じゃないですもんね。

吉村:そうなんですよ。でも、じゃあ人としてどう生きていくかみたいな部分というのは、僕はその吉村竜児という人としてどういう選択をしていくかってなると、そこって選択肢がいくつかある中で何を選ぶかということに関しては、自由なんですよね。

三上:うん、うん、うん。

吉村:ね。そうすると自分の選択肢が、例えば1個しかないってなったら、これしか選べないわけだから、あんまり自由じゃないじゃないですか。

三上:うん、そうですね。

吉村:選択肢が2個あったら2個の中から選べるから、1個しかないよりかは自由に選べているかなとなるけど、でも、それが選択肢が5個ある人と比べたら5個の人は2個よりも3つ別の選択肢があって、その中からも選べるという自由をもっているから、もっと自由ですよねという話になるわけですよね。
そういう意味でいうと、選択肢を無限に増やしていけばいいのかという話になるのかもしれないですけど、そうするとなんかね、例えば僕の選択肢は100億あります、それを全部吟味してその中から自由に選べますってなったら、100億の選択肢をいちいち吟味するために相当の時間と労力がかかるとなると。
今度は僕が生きている時間というのは、大体決まっているわけですよね。宇宙の時間と比べたら、実はごく僅かな時間しか吉村竜児として生きていないから、その間に100億の選択肢を吟味していたら、その間にだいぶ時間過ぎちゃって、この選択は5年前に選んでくれていたらいけてたんだけど、ちょっと今は無理ですよみたいな話になってしまう可能性もあるわけじゃないですか。

三上:うーん。

吉村:そうなると「あれ?自由じゃない!」みたいな話になるんで、ということは、一切の制約がない究極の自由を目指すということ自体が馬鹿馬鹿しい話になってくるわけですよね。

三上:そうですね。今話きいて「自由って何なんだ?」って今なってます。

吉村:(笑)だからそういう意味では、本当の自由って、究極的な本当の自由みたいなものはないんですよね。
だから、せいぜい僕たちが出来ることって今ある制約の中で、どれだけ自分が自由に選んでいくかという話なんですけど、それって、あてずっぽうで選ぶとかサイコロ振ってでてきたのを選ぶというのと、どう違うのみたいな話になってきちゃうじゃないですか。

三上:うん、そうですね。

吉村:となると、結構そこで大事になってくるのは、そもそも自分がこの選択をした先に何を求めているのかという話になるわけですよ。
その人が持っている目的、目標、夢みたいなのがあって、そこにちょっとでも近づきやすそうなものを選ぼうみたいな話になってくるわけですよね。その人にとっての、言ってみたら効果的な選択ということになってくるわけですよ。
効果的な選択も1個じゃなくて幾つかあるかもしれないし、そうなったら、その中からまた自由に選ぶとか、他のその人がもっている「せっかくだから、もっとこうなりたいよね」みたいなのに近づきやすいのはきっとこっちだろうなと考えて選んだりとかもすると思うんですけど、
自由ということにこだわりすぎると制約があるということに目が行っちゃって、この制約をなくそう、無くそうみたいなことやっていると、要は制約って永遠に全部無くなりはしないから、色んな制約が目について一所懸命それを攻撃してなくそうとするみたいなこととか、あるいは、なくしようがない制約に関してだと、愚痴を言い続けるみたいな話になりかねないわけですよね。「あれがもっとこうだったらな」みたいな(笑)

三上:(笑)

吉村:「なんでも10円で買えたら良かったのにな」みたいな話になっちゃうんですよね。(笑)それってなんか馬鹿馬鹿しい話じゃないですか。

三上:うーん。

吉村:なので、どっちかというと今あるものとか状況をまず受け入れて、その中でどれだけ自分が自由に選んでいくか、自由に表現していくかってことをやるというのが、これが本当の自由だと僕は思うんです。
「制約があります」この制約の中で、どれだけ自由を探究出来るかというのが本当の自由を謳歌するとかね、求めて自分を自由に表現するとかの醍醐味みたいなのは、その制約の中にあるということが結構ポイントだと僕は思うんですよね。

三上:そうですね。今話聞いて思ったのが、子供って上手いなと思いました。
制約の中で、自分らしく、なにも無いなかで生み出して遊ぶという能力は、自分から湧き出てくるものをそのまま楽しんでいるというのは、凝り固まった大人よりは絶対、そのまま湧き出てくる感情で動いているので、あ、そういうことなのかなと思いながら聞いてましたけどね。

吉村:例えば「この公園の中の、この場所の中で好きに遊んでいいよ」と言ったら、色んなことをやり始めるじゃないですか。

三上:そうなんですよ。

吉村:ねえ。 それがね、そういうのもなく、勝手にして自由にやって公園の外に行くとトラックとか走ってきてはねられて死ぬかもしれないけど、それも自由だよと言ったらもう怖くて動けなくなっちゃいますよね。

三上:確かに、確かに。

吉村:「この公園の中だったら、ちゃんとみていてあげるから、きっと安全だから、ここで好きなことやってごらんよ」とやったら、本当に色んなことやり始めて、すごいクリエイティブになっていくわけですよね。
だから、この制約があるということが、僕らを逆にクリエイティブにさせてくれているということもいっぱいあるんですよね。
僕はね、以前インプロという台本のない即興でやるお芝居をやってたことがあるわけですけど、インプロって本当になんにもなく台本ないから、もう好き勝手やってみたいなものかと思うと、実はそうじゃなくて「なんにもありません、はいどうぞ」と言われてもなんにも出来ないんですよ。
そこにちょっと、縛りを付けるんですよね。例えば「セリフが全部しりとりになるように話してみましょう」みたいなことしたりとかね。だから「こんにちは」って、ひとりが言ったら、次のひとは「わ」から始まるセリフを言わなきゃいけないみたいなね。

三上:はー。へー、難しそう。

吉村:「私、ここよく来るんですけど、あなたも来られるんですか」みたいな感じだったら、しりとりになっているじゃないですか。

三上:「買い物でよく利用します」みたいな。

吉村:そんな感じ、そんな感じ。そうそう、そう。
突然、今そういうことをやったことがない三上さんでさえ今出来たじゃないですか。今のセリフとか、僕が「これ言ってください」と言ったセリフじゃなくて三上さんの中から出てきたわけですよね。

三上:はい、そうですね。

吉村:だからこれって、制約が一個ついただけで、とたんにすごく自由になれたということだと思いません?

三上:あ、思います。なんか、自分の中から出てきたものが繋がったという感じ、感覚が出てきています。

吉村:そうそうそう。だから、お膳立てもなにもなく「はいどうぞ」と言って、今のセリフ出てきたかというと、出て来ないですよ。

三上:うーん。うんうん、そうですよね。分かりやすい。

吉村:(笑) だから自由というのは、ひたすら制約をなくす先にあるものなんじゃなくて「今ある制約って何だろう」「このなかで出来ることって何だろう」というところから生まれてくるものなんですよ。

三上:はぁー。みなさん、リスナーのみなさん、さあ、自由のイメージ変わったんじゃないですか。いやあ、私も語りたい。なんか、こういうふうに。(笑)

吉村:(笑) 飲み会の席とかで話しちゃっても・・・(笑)

三上:そうそう。「みんな制約がなくて伸び伸びしてるけど、そうじゃないんだよ」みたいな。(笑)きっとね、自由という、この2つの漢字が合わさったものですけど、いやあ、自由って捉え方も見方も考え方も、毎回続いてますけど、深いなと思いながら。(笑)

吉村:そうですね。制約のある中で、こう色々と向き合って考えていったら、多分その先には、この制約なくすと、もっと自由になるなというのももしかしたら出てくるかもしれないから。
そうすると、どういうふうに僕らはルールを変えていったら、もっと楽しくなるんじゃないかという議論も出来るようになると思うんですよね。それが、このルールは正しいか正しくないかというところで話しちゃうと多分喧嘩になるだけなんですね。

三上:(笑)

吉村:このルールって、そもそもどういう意図で作ったんだっけみたいなね、これによって出来ること出来ないことって何だっけとか、
そういうのちゃんと考えて議論する場とかを作っていくと、僕たちの社会システムを今後どうしていくかみたいなこととかも、ただ一概に「あいつらが悪いから困っているんだ。あいつら叩きのめせ」みたいな話じゃなく、もっとね、お互い仲良く楽しくやっていくにはどうしたらいいだろうというところに意識が向くんじゃないかなというふうに思いましたね。

三上:思いますね。そうですね。同じ考え方というか、そういうふうに感じてくれる人が増えていって社会がより良くなってほしいですね。

吉村:そうですね。あと、自分と違う考え方の人をどれだけちゃんと受け止めて、そういう人達とも仲良くしていくには、どんなふうな選び方がいいんだろうとか、そういうところまで広げていけると、もっと本当はそっちのほうが自由なんじゃないかなという感じがしますよね。

三上:なるほど。今日も良い時間でした。もっと話をして欲しいんですけど(笑)
吉村:(笑)

三上:また次を楽しみにしております。吉村さん、本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

078.犯罪者

犯罪者ときいて、人間ではないかのように見てしまう方もいるかも知れません。
しかしそれに至るまでの裏側を知る事で違うイメージを持つかも。

 

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三上:はい、皆さん、いかがお過ごしでしょうか。こころメンテナンス。本日もアシスタント三上恵と、氣功ヒーラーの

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、よろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:さあ、今日はですね、ここ最近、ニュースなどでも色々な事件が増えてきているなっていうふうにも感じたりするんですけど、そんななか今日は、犯罪者というテーマでお届けしていくんですが、
犯罪といっても小さなことから大きなことまで、色々と差があると思うんですけど、さあ、吉村さん、今日はなぜこの犯罪者をテーマにとりあげたんでしょうか。

吉村:前回の正義感について取り上げたというのがあったんで、その流れで正義とか悪とか、そもそもそういうジャッジって、無くてもいいんじゃないっていう話に一応なったと思うんです、前回の話というのは。

三上:そうですね。

吉村:そんな単純な話でもないっちゃね、ないわけですけども。

三上:そう、深かったですよね。

吉村:まあ、それをザックリ言うと、そもそもそういうジャッジって要らないんじゃないというような側面があったと思うんですけど、それに対して凶悪な犯罪者とかをそういうひどいことをする奴らを許していいのかと、犯罪被害にあった人達の気持ちはどうなんだ、そういうようなな言い分、議論も出てくると思うんですけど、
その辺で、犯罪とか犯罪者ということに対して僕がどう捉えているのかなというところをお伝えできたらいいかなと思って、今回のテーマを選ばさせて頂きました。

三上:はい。実際に犯罪者って一般の人からみたら、怖い人だなとか、近寄りがたいなというイメージをもたれる方、多いと思うんですけど、吉村さん的な考えとしては、どう思われるんですか。

吉村:はい、まず、これも色んな側面があるんですけど、ひとつ紐解いていくのに、そのとっかかりとなる部分としては「犯罪者」という人種がいるわけではないということですよね。

三上:イメージは皆さんそうですよねきっと。
外、外国とか、自分たちとは違う人というイメージがありますよね。

吉村:そうですね、はい。だからそういう種族とか別の生き物という感じで、犯罪者という何者か猛獣みたいなやつが社会の中に潜んでいて、みたいな感じのイメージを意識的に顕在化している場合もあれば、無意識でそういうふうに思っているから自覚はないけど、そういう捉えかたをしているという、そういうのが両方あると思うんですけど、
実際、犯罪者というのは、言ってみたら「人」というところでは、すべての人と同じ「人」っていう種族なわけですよね。

三上:そうですよね。変わらないですよね。

吉村:犯罪というカテゴリーのレッテルが貼られている、その行為をしてしまった人とか、それをその日常的にしている人達のことを犯罪者というふうに呼んでいるという話なんですよね。

三上:そうですね。一般的なルールを破ったこと、破った人。

吉村:うんうんうん。ルールというのは要は国が定めている「これはやっちゃだめですよ」と言っていることをやってしまったとか、それを日常的にやっているということで、じゃあいつも犯罪をしているじゃないか、犯罪者というレッテルが貼られているという話なんですね。
ただこの犯罪という行為ってこれもどう定義されるのかというふうになると、それは、言ってみたら国が‥とは言っているけれども、それを定めているのは人なので、どこかの誰かがこれは犯罪ですって決めた、これやっちゃいけませんって決めたことをやっちゃうことが犯罪っていうことになるわけですよね。
でもそれは国ごとに法律とか違うから、だから、ある国でこれをやったら犯罪だけど、こっちの国でやったら別に犯罪ではありませんということは、もう数え切れないくらいにあるわけですよ。

三上:うん。差が大きいですもんね。

吉村:そうなんですね、ものすごい数の国があって、例えばイスラム圏の国だったら、豚肉を食べるみたいなことはかなりの重罪なわけなんですよね。

三上:ほーっ(笑)

吉村:(笑)不浄なものというふうになっているわけですよ、豚肉って。そうすると、誰かに対して騙して無理矢理知らないうちに食べ物に豚肉を混入させて食べさせたってなったら、多分すごい重罪って扱いになって、下手したらものすごい罰を受けることになっちゃうわけで‥死刑とかなっちゃう可能性もあるんじゃないかなと思うんです。

三上:えーっ。

吉村:僕もそんなに詳しくはないんですけど。例えばアルコールを飲むこととか、イスラム圏ではすごい禁止だし、イスラム教の国もいっぱいあるんでね、そこに戒律に沿ってしっかりやろうとしている国もあれば少しゆるい国もあるんで、そこらへんの刑罰の重さとかも多少国によっても違うわけなんですけど。
でも例えば、違法薬物って日本でひとくくりになっているものでも、国によっては大麻は別に合法ですよって言っている国もあるわけですよね。

三上:うんうん。

吉村:日本だと犯罪になっちゃうから、そういう刑務所に入れられちゃうみたいな刑罰があるわけですよね。かたやイスラム教の国とかねアジアの他の国とかだと、シンガポールとかもそうかな、大麻とか持ってたら死刑ですよ。

三上:えーっ。そう!?

吉村:(笑)だから、同じことをやっていても、おとがめなしの国あり、法律違反だから刑務所入れられたりとか罰金取られたりとかしますよという国もあり、死刑になっちゃう国もあるというね。
そこって同じことをやっていても全然違う内容になっちゃうんです。それが犯罪であるかどうなのか、犯罪として重いのか軽いのかみたいなのって、それって絶対的な神が定めた真実の基準みたいなのがあるんじゃなくて、人が考えて運用しているシステムの中で行われていることなんですね。

三上:うーん。

吉村:例えば、人を殺しちゃうとか、何か事故で死なせちゃうとなると、それによって亡くなっちゃった人のことを大切にしてた人に対する、なんていうのかな‥そういう人達にとって傷つくショックな出来事だから、人を殺すのは良くないよねというのは、大体みなさん合意ができていることだとは思うんですけど、
これだって結局、例えばその人から金品を奪いたいからその人殺しちゃいましたということと、性的欲求を満たすために相手が言うことをきかないから殺しちゃいましたということと、大麻みたいなよくないものをやったから死刑です殺しちゃいました、いま戦争中の敵の国の兵士を戦場で殺しちゃいました、人を殺したということに関しては、全部やっていることは一緒なんです。

三上:一緒ですけど。うーん。

吉村:でも結局取り扱い方ってそこで変わってくるじゃないですか。

三上:うん、全然違いますね。

吉村:違いますね。そうすると人を殺すということひとつとっても、それがその、そのことに対する絶対的な善悪とか罪とかっていうのは、ひと言で「はい、これは罪です」と言えるものでは無くなっちゃうんですよね。
例えば、僕、戦争は全然よくないものだと思うんで、世の中から早くなくなってほしいと思ってますけど、実際現状世界中のあちこちでは戦争とか紛争とかって起きていて、言ってみたら戦闘行為で敵兵と戦って相手を殺さなきゃいけないみたいなときに、死ぬのは嫌だから怖いから逃げちゃいましたってなったら、むしろそれが敵前逃亡とかって、そっちが罪に問われたりする可能性も出てくるわけですよね。

三上:うーん。

吉村:だから犯罪ということも結局、僕らが定めたルールをちゃんと守って生きていくという選択をするのか、それを守らないという選択をするのかという選択の話になってくるわけですよね。
じゃあ、なんでルールを僕らは作るのかといったら、お互いに迷惑かけないで傷つけ合ったりしないで仲良くしたいよね、だからこのルールは守ってやっていこうよ、そしたらきっと仲良く出来るよというのが本当は一番根底にあるルールとか法律の存在意義みたいなものだと僕は思うんですよね。

三上:うん。

吉村:そこも、犯罪者とかっていう人種、種族がいるってわけじゃなくて、その人なりに正しいと思ったことをやった結果それが犯罪になってしまう場合であったりとか、何かやむを得ないと思ってやってしまったとか、何かその人が思う良くないことを避けようと思った結果が結局ルールを破るということに繋がって犯罪者となっちゃうとかって、色々なケースがあるわけですよ。

三上:うーん。

吉村:例えば、世の中的にすごいその許されないというカテゴリーに入りやすいものとしては、自分の快楽のために人を傷つけたり殺してしまうみたいな快楽殺人者みたいな人とか、性的な犯罪を犯す人達、これは許せないですよねという話にはなるとは思うんですけどね、その気持ちはすごいわかりますけど、というのは傷ついた方達は、たぶん僕の想像の範囲、範疇を超えたような恐ろしい目に遭われているなと思うんで。
ただじゃあその人達がただ邪悪なのかといったらそういうことじゃなくて、その人達は、何か他のことで喜びを得ることが出来なくなっているために、

三上:うん、うんうん。

吉村:その人の中の喜びの回路とかが故障しちゃって、

三上:うーん。

吉村:こういう他の人からしたら気持ち悪くなるような事柄で、その人は喜びとか快楽を得られているという錯覚を起こしちゃってる場合というのもあるわけですよね。

三上:うーん。

吉村:あとは例えば薬物依存で薬物の利用を何度も繰り返しちゃって、何度も刑務所行ってる人達とか、その人達もかなり社会的にはすごい軽蔑される人達だとは思うんですけど、この人達だって、言ってみたら、薬物に依存しちゃってるというのは正常な状態ではないんですよね。一種の病気の状態とあんまり変わらないと思うんですよ。

三上:うん、うん、うん。

吉村:そうすると例えば僕らは風邪を繰り返し引く人達とかいるわけじゃないですか、風邪ひきやすいみたいなね。風邪をひくというのは正常な状態ではないし、他の人にその風邪うつしちゃうかもしれないから、いいことでは決してないですけど、でもじゃあね「お前、また風邪引いたのか、許せん」みたいな話になるかっていったら、そんなことではないじゃないですか。

三上:うーん、確かに。

吉村:それって、病気だから仕方ないよね、それよりまずは治すことを優先しようという話になると思うんですよ。だから言ってみたら、そういう異常な状態になっているということが、犯罪者というカテゴライズされる状態というところとも、繋がっているわけですよね。

三上:確かに。

吉村:だから、その異常な状態になっている人達というのをただ言ってみたらこう、死刑にしましょうとかっていう切り捨てていくのか、でもこの人達がちゃんと立ち直っていけるようにしていくのか、あるいはそもそもそういう異常な状態に人がならないように予防していくのか、というのは、なんか病気になってから治療するのか、予防するのがいいのかというような議論とすごい近い話だと僕は考えているんですよね。

三上:いやあ、なんか、今日は思っていた以上な話が聞けたんですけど、やっぱり犯罪者ってひとくくりで外からみるのと、よくおっしゃる裏側の部分を知ることによって、今聴いている方、わたしも含めてなんですけど、きっと犯罪者に対するイメージというのは、この時間で少したぶん変わってくる。
だからこそ、今後自分たちもどうしないといけないって思ってもらえて、動いて、みんながね、いけたらいいなというふうに、この時間今感じました。

吉村:そうですね、だからやっぱり病気と同じように予防をすることをまず第一に考えて、もし症状が出ちゃった場合は、いかにしてそれをまた治していくかということを考えたほうが、それでね、その病気のことの研究が進めば、より予防がしやすくなっていくと思うんですよね。
だから簡単に、ただ犯罪者ってバスッとレッテル貼って、悪い奴だからどこか閉じ込めとけとか社会的に排除して殺してしまえというよりは、なんでそうなっちゃっているんだろうというのをきちっともっと研究が進むといいなというふうに思いますよね。

三上:今日のお話でね、共感してもらえる方がたくさんいるといいなというふうに思いました。すごいとてもいい内容だったなというふうに感じます。はい。

吉村:ありがとうございます。

三上:本日も吉村さん、ありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

077.正義感

あなたの周りにもいませんか正義感をもった方、自分が正しいと思った事を突き通す、でもそもそも正義とは?

 

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三上:はい、みなさん、こんにちは。こころメンテナンス。本日もアシスタント三上恵と、氣功ヒーラーの

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、よろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:さあ、今日は、お便りコーナーでもお話でとりあげたみたいですけど、正義感について取り上げていこうかなと思うんですが。

吉村:はい。

三上:まあ、正義感ってきくと、いいイメージがぱっと思い浮かぶんですが、実際、ちょっと奥も深いかなという感じを思うんですけど

吉村:はいはい、そうですね。実際に正義というのはいいもので、正しいものっていう取り扱われ方が今の社会ではされているし、色んな、例えば漫画とか小説とか物語の中でも、すごいこれは大事なことであるというような描かれ方をしているんですけれども、

三上:漢字でもそうですよね「正しい」、ね。

吉村:それが本当に良い悪いというカテゴライズの仕方が適切かどうかは分からないんですけど、言ってみたら僕たち人間が幸せに生きていくお互いに調和して生きていくということに関して効果的なものなのかどうかというと、そこは疑問の余地があるなと僕は考えていますね。

三上:うーん、なるほどですね。

吉村:はい。

三上:はい。正義感というと自分が正しいって思っていて、それを正しいと思っているから、ちょっと押し付けるというのもあるのかなってイメージであるんですけども

吉村:そういうことですよね。
だから要は、物事を正しいか正しくないか、正しいか間違っているかというふうに分けて、正しくないことを否定してるってことに繋がっちゃう訳ですよ。
正義感というのは物事を正しいか間違っているかでジャッジしているわけですね。それによってジャッジして、間違っているものを是正しなければいけないみたいな発想ですよね。直さなければいけない、変えなければいけない。もしそれが不可能だったら、排除しなければいけないみたいな話に繋がっていくんで、
そこはその法律の仕組みとかっていうのはだいたいそれで出来ているんで、現状僕らはそういう社会のインフラに頼って生きているという部分はあるんで、その仕組みまで全部変えていくというのは一筋縄ではいかない訳ですけども。
僕たちが、心もち、氣の持ちようの部分では、正義か悪かとか正しいか間違っているかというところで物事をジャッジして考えるのではなくて、ひとつの事柄って色んな側面があって出来ていることだから、それを片側からみて正しいか間違っているかというので二分しちゃうんじゃなくて、
何故、そうなっているんだろうとか理想的な状態に近づけるにはここからどうしたらいいのだろうかということを、考えていったほうが物事はうまくいきやすいと思うんですよね。

三上:うーん。そうですよね。

吉村:なので正義感というのは結局、言ってみたらジャッジから起きているということがいえる訳ですよ。さんざん、この配信とかでもみなさんにお伝えしているように僕たちを苦しめているものというのは結局ジャッジですよという話なんで。

三上:うんうん。わたしも毎回ジャッジという話を聞くたびに、最近は確かに人の話とか、ある意味正義感って感じるのは、ちょっとおせっかいな人なのかなというふうに(笑)感じたりもするんですけども、ある意味ですね。
その人がそこに至るまでをみるのは、色んな経緯があったからこそ今にジャッジするんじゃなくて、今のこの人が正義感としてやっていることも、色んな経緯があったから今に至るんだろうな、みたいな感じで。

吉村:はいはい、はいはい。いいですね。だから、ジャッジしてる人をまたジャッジしちゃったら上塗りになっちゃうんでね、ジャッジしてる人に対してもジャッジせずにみることが出来ているというのは、すごい素晴らしいことですよね。

三上:側面とか、今に至る、きっと裏側に何かあっての今となった時に、でもこの人をみたときに、逆に私たちは受け入れることは出来たとしても、この人を氣づかせてあげるというのは、どうしたら?今、ふと思ったんですけど、どうしたらいいんでしょうかね?

吉村:そこに関しては本当その既存の方法となると、説得するとか、その人の氣付きのきっかけになるような情報を頑張って与え続けるという話になっちゃうとは思うんですけど、
ただそれに関しても、その人がジャッジを手放せないでいることを何故なのかというところまで考えていくと、色んなその人の今までの経験とかから物の見方や考え方が凝り固まってしまったということも考えられますし、何か無意識の思い込みがあるためにそうなっているということもある訳ですよね。
そこをどう取り扱っていくかということに関しては、僕はそれをどうするかということをとことん突き詰めて、研究した結果がクリアリングをしていくという、僕がこのこころメンテナンスという手法のなかでやっていることにたどり着いた訳ですよ。
これが唯一の正解とは思っていないんですけども、僕が今まで色々みてきた・研究してきたなかでは、これが一番効果的だなと思ったんで実践しているという話なんですよね。

三上:うーん。なるほどですね。

吉村:昔の人達は、そこを時間かけて瞑想したりとか座禅組んだりとかということで、自分と向き合う時間をとって自分の中にある凝り固まったものとか固定概念に氣がついて手放していくということを、じっくり時間をかけてやってこられた人達が悟りを開く人達になっていったという経緯はあると思うんですけど、現代人ってけっこう忙しいじゃないですか。

三上:うん、うん、うん。

吉村:山に何年かこもる時間とかあんまりないと思う、みなさん。僕もあんまりないと思うし。

三上:(笑)なるほど。

吉村:5年間山に籠るんだったら、その時間うちの子供達の成長をちゃんと見守りたいって僕は思ったんで、そうすると山にこもって修行みたいなやり方は、ちょっと現実的じゃないかなと思うんでエネルギーワークをつかってクリアリングするというのが現代人に合ったやり方なんじゃないかなと思いますね。

三上:うーん。私も最近ね、お友達と話をしていたんですよ、ひとりの時間を自分と向き合って考える時間というのは本当に大切というか、いい時間だなというふうに盛り上がっていたんですね。
お友達も結局、自分がハッピーじゃないと相手をハッピーにすることなんて絶対に出来ない、その方はそういう考え方なんですけど、私もまさしくその時そうだよな自分が満たされていなかったら相手を満たすことなんて無理だよなというふうに共感したんですけど。

吉村:はいはい、そうですね。

三上:やっぱりこの正義感というのも、自分が正しいって思っているからしちゃうと思うんですけど、一旦ちょっと振り返って自分自身そうなのかなという時間があったりすると、また変わったりとかして結局自分次第ですよね。

吉村:そうですね。結局その正義感に囚われている人達は今どうやっているかといったら、多分これが正しくないとかもっとこうあるべきだとか、今ある状況のその人からみたよくない部分にフォーカスしてるから、それをなんとか直さないといけない、悪いところ全部なくせばいい状態になるだろうとたぶん思っていると思うんですけど、
意識が、その人の悪いところにいって、よくないところ直さなくてはいけないところに向いてると、結局そっちにフォーカスしてエネルギーを与えちゃうから、その人の不満のほうが増えていっちゃうんですね、結果的には。
悪いと思われている出来事とかをどんどん引き寄せちゃうみたいな、そちらに票を入れていくということを無意識にやっているんで、
それよりも、どうしたら自分は幸せになるだろうかとか、どうしたら、この自分の幸せを周りの人達と分かち合うことが出来るだろうかという、こっちのほうを考えたほうが、うまくいきやすいという話な訳ですよね。

三上:そうですよね。受け入れて、そうですよね、人間って悪いところがあったっていいんじゃないって最近わたしも思ったりします。人間らしいというか。(笑)

吉村:そうですよね、完璧な人間なんてそもそもいる訳ないし。

三上:そうそう、そうそう。

吉村:そうですね。悪いところっていうのだって、どの立場でどの角度からみたら悪いってことになっているのかって、自分は悪いと思っていても他の人は、なんかこの人はこういうとこかわいいなと思ってるかもしれないですよ。そうなると単純に良いか悪いかではジャッジ出来ないですよね。

三上:うーん。はい。ということで、今日は、正義感でとりあげましたけど、正義感、ただひとつの言葉でも、その内容はすごい深い時間でしたね。

吉村:(笑)そうですね。

三上:(笑) みなさん色々感じる、自分にあてはまる、もしくは、まわりにいらっしゃるかもしれません。はい、今日は、すごい色んなお話がきけて、今日もすごい楽しかったです。

吉村:ありがとうございます。

三上:本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。