388.今の自分にとって“光”とは何かを問い直す

6月21日夏至を境に、日照時間は少しずつ短くなっていきます。
つまり、「光のピーク」=「これから陰に入っていく始まり」という側面も持っています。
お話しをきいて、あなたの“本当の光”に向き合うきっかけになって頂きたい内容です。

 

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三上:皆さん、こんにちは。こころメンテナンス、本日もアシスタント三上恵と、氣功ヒーラーの

吉村:吉村竜児です。

三上:吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい、さあ、配信日6月20日ということで、明日が21日が夏至ということでですね、それにかけて光、今日のテーマ「今の自分にとって光とは何か?」というので取り上げていきたいと思います。

吉村:はい、夏至っていうのは、一年間の中で一番日照時間が長い。日の長さみたいなところで言うと一番日が長い日で、夏至を超えるとまた日がだんだん短くなっていくっていうね。光の時間が一番長いっていう一年間での到達点みたいなところなわけですよね。

なのでそれにかけて僕たちにとってそれぞれにとっての、自分にとっての光とは何なのかっていうところをもう一回ちょっと見直していこうというような意味合いなわけですけど。

三上:わかりやすくありがとうございます。

吉村:どうですか、三上さん的には、これが私にとっての光だなって何かありますか?

三上:光ですか?自分の笑顔。

吉村:いいですね。

三上:今パッてイメージするのは笑顔。これは自分もですし、相手もですね。見たときのここからワーってなる。

吉村:うんうん、そうですね。だから何かワーっていうちょっと内側からじわっと湧き上がってくるような何か満たされるような感じみたいなのがきっとあるってことなんじゃないかと思うんですよね。それは一体どこから来るのかっていうとですね、

三上:はい、どこから来るんだ?

吉村:僕たち一人一人は言ってみたら、人間として生きてる間はこの肉体を通して世界と関わっているわけですよね。だけどこの僕たちの本質っていうのは魂の方なわけですよ。魂はその僕たち一人一人にとっての本質というか本体みたいなものというふうに僕は考えてるわけですね。

だからこのこっちの世界の肉体を持った人間という生き物っていうのは、この魂が使ってるアバターみたいなものですよね。ネットゲームをやるにあたって自分がそのネットゲームの世界に直接入ることができないから、アバターを通してこのネットゲームの世界に入ってるわけじゃないですか。

三上:はい。

吉村:それでゲームをプレイしてるわけですよね。でもプレイしてる人っていうのはそれぞれの端末、スマホなのかパソコンなのかの前にいて、画面を見ながら何かポチポチやってる人たちですよね。でもゲームの世界の中では何か冒険者であったりとかその世界で何かをやってる人たちですよね。

だから僕たちの本体、ゲームでいうとこのゲーム機の前で操作してる人たちっていうのが僕たち一人一人の魂なわけですよ。この魂が何のためにこのゲームをやってるのかっていうところなんですよね。

実際に僕たちが何かゲームをやるときに何のためにこのゲームをやってるかっていったら、ゲームで何かうまくいったとき、例えば冒険が成功したとか、自分が立ててた目標、このゲームの世界で億万長者になるぞみたいなのを立てた目標や実際にそれになれたとかってなったときに高揚感を感じるわけじゃないですか。

三上:はい。

吉村:爽快感だったり高揚感だったり普通の日常の生活の中で味わえないような、そういう感覚をこのゲームをプレイすることで味わいたいからやってるわけですよ。だからこのゲームをやってるときの爽快感とか高揚感みたいなものがなくなってくると、ゲームがちょっとつまんなくなってきたからやめようってなるわけですよね。

中には本当に作業みたいなゲームもあるわけですよ。でも世の中には作業みたいなことが好きな人たちもいるわけですよね。だからゲームも色々好みがあるじゃないですか。やたらアクションが激しいゲームが好きな人もいれば、アクションはあんまり苦手だからパズルみたいな頭を使うゲームが好きなんだけどって人もいるし、

時間制限があったりとか追い立てられる感じのゲームが嫌だから、のんびりできるゲームが好きだなって箱庭を作る感じのゲームをやってる人がいたりとか色々いますよね。あと謎を解きたいんだみたいなね。あとはちょっとハラハラドキドキしたいからホラーゲームがいいんだみたいな人たちとか。

三上:うん。

吉村:っていうのは結局その人たちの好みが違うから、その好みによって遊ぶゲームを選んでるわけですよね。僕たちの魂も言ってみたら好みがあるわけですよ。僕たちが住んでるこの現世っていう世界はめちゃめちゃ多様性がすごいわけですね。

この現世の中で自分がどういう目標を立ててゲームをやるかっていうのはプレイしてる僕たちが結構選べちゃうし、何なら僕たちは色々自分たちがイメージしたものを現実化する能力を持ってるんですよね。

だから言ってみたら僕たちは人間が空を飛ぶなんてありえないだろうっていう時代も昔はあったわけですよ。僕たちが生まれるもっと前。その時代は空を飛ぶ?何バカなこと言ってんのみたいな感じの時代から、空を飛びたいんだっていう人が色々と考えて試行錯誤してライト兄弟が空飛ぶ乗り物を作っちゃったわけじゃないですか。

そのぐらいに現実を大きく変えてしまうこともできるし、だから本当に自分たちがこの箱庭の世界でどういうゲームをやるかっていうこと自体を選べるような、そのぐらいのすごいゲームの中にいるわけですよね。

三上:ほお。

吉村:そうするとこのゲームの中で何をしたら自分の魂が喜ぶのかっていうところなわけですよ。ネットゲームとか市販のゲームの世界だったら自分の好みに合わせて遊ぶゲームを選ぶし、遊んでるうちに何か違うなって思ったら違うゲームに乗り換えるみたいなことをしてるわけですけど、

この現世ではそれができない代わりに、この現世のゲームの中で自分がやりたいサブゲームみたいなものを作れちゃうんですよね。だから自分はこれがやりたいから人生を選んだんだなみたいなところにたどり着ければ、いくらでもそれをやり続けられるわけですよ。

それこそ伝統的な伝統工芸を作ってる職人の人たちとかって、ストイックにそれをずっとやり続けてるわけじゃないですか。これってその人たちからしたらそれがものすごい喜びにつながってるからやってるんですよね。

三上:うん。

吉村:例えばそれこそプロの格闘家の人たちとかすごいなと思うけど、僕はあんな痛い思いして身を削ってやりたくないけど、でもその人たちからしたらすごい喜びがあるからその生き方を選んでるわけですよね。

だからそういう意味では何をしたら自分の魂が喜ぶのかっていうところが実はすごく大事で、それがだから言ってみたら光なわけですよ。つまり自分の魂が信号を送ってくれるんですよ。あっ、そっちだよみたいなね。

自分の魂が喜ぶことに近づけば、そっちそっちみたいな感じでピカピカピカってサインを送ってくれるし、そこから離れていくと光がなくなっていくからどんどんどんよりしていくわけですよ。

なのでそこの自分の魂が送ってくれる信号に氣づくっていうことが大事なんですけど、そこの信号がどういうものなのかっていうのが内から湧き上がってくる喜びみたいなものなんですよね。

三上:はい。

吉村:これも人によって感じ方が必ずしも同じじゃないから、ちょっと勘違いしてカタルシスで感じる高揚感みたいなものを喜びって勘違いしちゃう人が変な依存的な方向に行ってしまう場合があるんですね。

カタルシスと魂の喜びの違いっていうのはちょっと軽く説明しますと、これあくまでも例えなんですけど本当に空氣が綺麗な自然の豊かな高原とかに行って深呼吸して空氣おいしいって感じるときって何かそこでの高揚感みたいなのあるじゃないですか。

三上:あります。

吉村:今度、首絞められてすごい苦しい状態になっているところからパッと開放されたってなったら、ハッハッあ〜助かったみたいな感じになって高揚感を感じるじゃないですか。

あとすごい空氣悪いところにずっといて、すごい幹線道路で排ガスがすごくてとか近くでタバコをモクモク吸ってる人たちがいて、すごい苦しいところから空氣が綺麗なところにパッと抜け出したみたいな。

その酷い状態から抜け出したときの空氣の質がそんなに良くなくても、元がすごい酷かったからとにかく助かったって、息ができるみたいな状態ですよね。

溺れて息ができない状態から助かったとか溺れて息ができない状態から助かったって時に、その先の空氣が実はさっきの幹線道路のすごい汚い空氣だったとしても多分それでも助かった良かったってなるんですよ。

三上:そうですね、あまりにも苦しすぎてね。

吉村:これが僕たちの肉体って明暗とか差で、ものを感じるんですよ。温度とかも触って何度って分かる人も中にはすごい特殊な人もいるけど、基本的にはすごく暑いところからちょっと暑いところに行ったら涼しくなったって感じるんですよね。

だから差を感じてるだけで実際にどうなのかっていうのは、すごく感じ取ることが難しいわけですよね。音楽なんかも絶対音感っていうのを持ってる人は聞いただけでこれドの音だって分かるけど、でもそこが絶対音感ない人は、2つの音を聞き比べたときにこっちの方が高いなこっちの方が低いなっていうのが分かるわけですよ。

三上:うんうん。

吉村:だから、魂が喜んでるかどうかっていうのは実はそれに近い感じで、差を感じてるんじゃなくて本当に魂が喜ぶことに触れたら魂から信号が来るんですよね。

これが所謂、琴線に触れるみたいな感覚なわけなんですけど。でもここのすごい暗いところからちょっと暗いところに行ったら明るくなったって感じるみたいな、これが一種のカタルシスみたいな。カタルシスって僕は呼んでるんですけど、しんどい状態から解放されたっていうね。この高揚感って、言葉で表すとしたら一種の高揚感なんですけど、明らかに実は違うんですよね。

三上:うん、違いますね。

吉村:この違いが分かってくると、本当に自分の魂が何を求めてるのかっていうのが見えてくるんですよ。それは、結局いくらでもやってられるんですよ。苦しい状態から解放されたっていうと、それをずっと持続することって無理じゃないですか。

三上:はい。

吉村:またこの感覚を味わいたかったらまた苦しい状態になってそれで解放されるってやらなきゃいけないし、それをやってる間にだんだん耐性がついてきちゃうから苦しい状態がだんだんわからなくなってきちゃうんですよね。

だからそうするともっと大きな刺激がないといけないみたいな感じになっていっちゃうんですけど、でも魂が喜んでる琴線に触れてる状態っていうのは、言ってみたらずっと続けられるんですね。

なので、どこに魂が喜びを感じるのかってここが一人一人違うわけですよ。これは「バリューフォーミュラ」っていう概念でこころメンテナンスでは説明してるんですけど。魂が持ってる価値観ですよね。

この辺はまた他の配信でも色々説明しているので、よかったらホームページのほうとかでも解説してるところがあると思うのでそこを見ていただくといいんですけど、

魂が何を好むのかっていうそこが言ってみたら僕たち一人一人の光になるので、ここを僕の魂が喜んでるみたいなことを追いかけていくっていうのが光に向かって生きていくっていうことかなって思いますね。

三上:まだリスナーさんの中でも自分の光って何だろうって考えてる方にはすごい、さっきおっしゃった苦しい状態からパッと抜け出したところの違いを、ちょっと明確じゃないですけど感じてほしいですね。そこの自分が本来の光っていうところに進んでいただきたい。

吉村:そうですね。苦しい状態からパッとあー助かったっていうのはこれはカタルシスで本当の光じゃないんですよね。本当の光っていうのは本当にそこに触れてると内側からじんわりと喜びを感じるみたいなものなんで、それはだからきっと三上さんは笑顔に触れたときにその感覚があるから、これ自分の光なんだなって感じたんだと思うんですよ。

三上:はい。

吉村:なので何かすごく困ってることが何もなかったとして、それでも自分が喜びと感じるものは何かっていうところですよね。困ってる状態から解放されたときに良かったって思うのは誰でもそうなんですよ。

だけど何も困ってないときにそれでもやりたいことは何かっていうと、これはみんな一人一人違うんですよね。だからそこの何も困ってない自分がそれでも喜びと感じることは何であろうかっていうそこを見ていくと、自分の光ってどこにあるんだろうかっていうのが見えてくるんじゃないかなと思います。

三上:すごい、みなさんもヒントに自分の光とは何か、ちょっとこの時間考えてみてください。吉村さん、本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。