387.恥ずかしさ、恥について

ハンドルネーム たまねぎさんからのメッセージを取り上げて、吉村さんからお話伺いました。

 

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三上:皆さん、こんにちは。こころメンテナンス、本日もアシスタント三上恵と、氣功ヒーラーの

吉村:吉村竜児です。

三上:吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:本日もお便りをご紹介していきたいと思います。ハンドルネームたまねぎさんです。「吉村先生、三上さん、こんにちは。私はこのポッドキャストがすごく好きです。」うわっ嬉しい。

「吉村先生の筋道だったり論理的な話し方が分かりやすくて大好きです。言葉の定義ももちろん、きちんと説明してくださるので本当に理解しやすいです。こんな学校の先生がいたら、数学や理科も大好きになっていたかもと思いながら聞いています。」

吉村:あー嬉しいですね。

三上:本当ですよね、先生になってほしい。

「三上さんの明るく親しみやすいお声や話し方も大好きです。私の中ではお二人は最強コンビです。いつもありがとうございます。」

吉村:ありがとうございます。

三上:ありがとうございます。

「さて本題の質問です。私は恥ずかしいとかなり頻繁に思っていることに少し前に氣づきました。ACTをフルセットで入れているので、どうオーダーしたらいいか自分なりに考えるのですが、恥ずかしいというのは色んな原因があるようで難しいです。

劣等感から来るかっこ悪いという思い、恥のように感じていますが、何をジャッジしているのかを突き止めれば良いのでしょうか?

例えば、私は職場や仕事絡みでよく感じます。理解が悪いんじゃないか、処理が遅すぎるんじゃないか、ミスが多いんじゃないかと思って、そんな自分に劣等感や恥ずかしさを感じやすいです。

また、お金をたくさん稼げないこと、体力がなく風邪をよくひくことにも強い劣等感を感じます。頭では別にそんなに引け目を感じなくても良いのにと思っているのですが、吉村先生に恥ずかしさ、恥についての解説をしていただきたいです。

きちんと理解してジャッジを手放していきたいです。また、流しっぱなし動画でも恥、劣等関係のブロックが外れるものをリクエストします。よろしくお願いいたします。」と来ています。

吉村:なるほどですね。流しっぱなし動画のリクエストをありがとうございます。ぜひ近いうちに取り組みたいと思います。

でもご自身で「何をジャッジしているのかを突き止めればいいのでしょうか?」と言われているこの部分に関しては、まさにそのとおりで何かしらのジャッジがあるからそういった感情的な反応が出てるっていうところは、ほぼほぼ間違いないわけですよ。

三上:うん。

吉村:この部分の何をジャッジしているのかっていうのが多分ちょっとよくわからなくて、うまくこれを手放すに至ってないっていうことなのかなというふうに文面を見させていただいて感じたところではあるんですけど、まず感情って結構多層的になってる場合が多いんですね。

実際には元々のジャッジがあって、そのジャッジに対して何かしらの反応が起きるわけですよね。だけどその反応に対してまた新たなジャッジが生まれるとその反応をしている自分という、この感情になっている自分が嫌だからそれをまた別の感情で上塗りしてごまかしていくみたいなことをしていくってことが多いんですよ。

それも結局その出てきた感情に対してまた新たなジャッジが生まれるから、そのジャッジによって別の感情が出てきてその感情に対してまたジャッジが生まれるんで、それがまた別の感情に上塗りされてっていうこの繰り返しが起きていっちゃうんですね。

三上:うん。

吉村:色んな事柄に対していつも同じような感情で反応してる人たち、例えば怒りっぽい人とかね。何かって言うとすぐに怒ってるみたいな人っていうのは、実は怒ってるっていうのを下を掘り進んでいくと、もっと色んな感情が隠れてるんだけどそれを全部怒りっていう一つの感情で上塗りしちゃって自分が色んなジャッジをしてるってことを分からなくさせてるっていうことが結構あるんですよ。

だからこの恥ずかしいっていうことに関しても実はジャッジしてることっていうのが一つ二つじゃなくてものすごいたくさんあって、それを何層も上塗りしていく間に恥っていう感情で全部ひとまとめにしちゃってるっていうことが起きてる可能性があるかなと思うんですね。

三上:うん。

吉村:そうなるとちょっと掘り返していく必要があると思うんですよね。そういう意味ではまず色々とお金を稼げないとか体力がなくて風邪をひくとかって、自分が劣ってるっていうふうに感じてるっていうね、だからその劣等感っていうところ。

ここが自分が劣ってるんじゃないかっていう感覚に対して劣等感とか恥ずかしいっていう感覚、感情が出てきてるっていうことだと思うんですよね。だからまず劣ってるって感じるってことは、何か比べて順位をつけてその中で自分が劣ってるからダメだっていうことに対してジャッジをしてるわけで、

だけどそもそもここで順位をつける必要があるのであろうかっていうね。例えば別に何かで順位をつけるとしても順位をつける事柄っていうのかな?色々あるはずじゃないですか。

例えばある人は足が速いからかけっこしたらこの人が一番になるけど、でもそこでビリになった人は勉強がすごくできるから学校のテストだったら一番になるかもしれないけど、かけっこの人はもしかしたら勉強では順位が低いかもしれないしみたいな話ですよね。

三上:うん。

吉村:だからそれっていうのが、体力知力の2種目とかでもなくて、何かで比べて順位をつけようと思ったらものすごい無数に色んなことがあるわけですよ。例えば別に勉強も運動もできないけど料理がめちゃめちゃうまいとかっていう人もいるかもしれないし、子供の世話をするのがめちゃめちゃうまいとか、動物にめちゃめちゃ好かれるとか実はいくらでもあるんですよ。

だけど多分特定の事柄での順位だけにこだわってるっていうことがあるんじゃないかなと思うんですね。だからそういう意味ではみんな本当はどこがその人の強みでどこが弱みかっていうこの部分が、強み弱みの偏りみたいなのが人それぞれすっごい違うわけですよね。

これを一つの基準で全部順位つけようってなったら、その基準にマッチしてる人が一番順位が上になってその基準の事柄に関して弱みがある人はビリの方になっていっちゃうっていう話になるわけですけど、でもその基準は一つである必要はなくてものすごいいっぱい色々あるわけですよね。

だからそういうところのこの基準でなきゃダメみたいな感じの、この基準が正しいとか、何の基準で順位をつけるかみたいな部分がブロックによって固定化されてる可能性があるかなっていう感じがしますよね。

三上:うん。

吉村:こういう基準を固定化するような思い込みって、実は結構親とか先祖から受け継いでるものも多いと思うんですよね。だから学校とかでの刷り込みとかで勉強できないとダメなんだと思っちゃってる人は勉強っていう基準にすごくこだわりを持ってるってこともあるかもしれないんですけど、

でも親から例えば文武両道でなきゃダメなんだみたいな教育を受けてたとしたら、文と武が両方ないとダメなんだってこれがこの人の基準になったりとかあるし、

あとは親がそういうふうに言ってなかったとしても親御さんがそう思ってるっていうのは、親御さんが持ってるブロックの影響を言葉のやり取りはなくてもエネルギー的には受け継いじゃうっていうこともあるんですよね。

三上:うん。

吉村:だから元々自分が何か経験してそういう一種の考え方の癖みたいなものができちゃったとしたら、そこに立ち返ってそれって本当かな?みたいに自分で自問自答して自分の中でそれを分解していくっていうこともできるわけですけど、親御さんとか先祖から受け継いでるものだとしたら、これって本当に自分の考えなんだろうかみたいなね。

ご両親とかをよく観察してどういう発言してるかなみたいなのを見てると、これってお父さんがいつも言ってたことだからそれが刷り込まれてるのかなとか、お母さんは口では言わないけど多分こういうふうに考えてるだろうなみたいなってことは、その影響を僕も受けててそこからきてるかもしれないなとか、そういうところが見えてくると思うんですよね。

そうするとACTを使ってるときのオーダーとしては、こういう考えを例えばお父さんのこういう考えに影響を受けてる自分がいるなとか、お母さんのこういう性質を受け継いでる自分がいるなとかそういうところから崩していくってことも可能だと思うんですよね。

三上:うん。

吉村:あとはこの基準だけが正しいと思ってる自分がいるなとかっていうところで崩していくとかね。ACTのオーダーの仕方としては、どういう基準で自分がジャッジをしてるかっていうこの基準の部分を見て、そこに対してのオーダーをしていくっていうのが結構いけるんじゃないかなと思うんですよね。

だから恥ずかしいっていうのはね、多分優劣みたいなね、優秀である劣ってるみたいなそこの観点でジャッジをしてるから自分が劣ってることがみっともないことだみたいな感じのジャッジから恥ずかしいっていう感情につながってると思うんですけど、ここがもしかしたら例えばこの特定の基準で上位になれないと自分には価値がなくなってしまうんではないかとかね。

三上:うん。

吉村:そういうような価値がなくなることに対する恐れっていうのがあっての、そこで頑張んなきゃって思ってるんだけど期待したような結果が出ないと自分はダメなんだみたいな、この辺のジャッジの階層構造みたいなところ。

だから最終的にはみんな違ってみんないいって話なんですよ、本当は。辿り着く結論はそこなんですけど、そこから逆算して自分がみんな違ってみんないいと思えてないっていうのはなぜだろうかみたいなね。

そうすると、ここの部分に対してこう思ってるから自分はみんな違ってみんないいと思えてないんだってなったらそこにブロックがあるってことなんですよ。

三上:うん、わかりやすい。ということで今日はたまねぎさんのお便りをご紹介して吉村さんに詳しくわかりやすくご説明していただきましたけど、たまねぎさんいかがでしたでしょうか?またお話聞いてご感想をお待ちしております。

吉村:そうですね。例えばお金を稼げるかどうかみたいな話も、みんな違ってみんないいっていう観点で自分の強みは何かみたいなところを見ていくと、案外自分はこの強み活かしたら無理せずお金稼げるわみたいなね。

別に大金持ちにならなくても、自分と自分の家族がある程度豊かな暮らしができてればそれでいいわけじゃないですか。別に大富豪になってても心が幸せじゃない人なんて多分いくらでもいると思うんですよね。

三上:そうです、そうです。

吉村:そういう意味では心が幸せであるってことの方が重要だと思うんで、そこの自分の強みを活かして自分が内面的に幸せな状態で生きていくことができるっていうそういうルートを模索してみると、案外世の中が提示するこの基準でどっちが上か下かみたいなのを手放してもいいなって自然に思えるかもしれないですよね。

三上:ありがとうございます。ということで、ぜひリスナーの皆さんからも私の話も吉村さんに聞いてっていうのがありましたらどしどしお待ちしております。

吉村:はい。

三上:吉村さん、本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。