342.参拝

年があけて一週間、みなさんは初詣行きましたか?改めて参拝とは?
吉村さんのお考えを伺いました。

 

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三上:皆さん、こんにちは。こころメンテナンス、本日もアシスタント三上恵と、氣功ヒーラーの

吉村:吉村竜児です。

三上:吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい、さあ1月7日、もうなんかね、仕事も今年スタートした仕事始めという方もいらっしゃるかと思います。

はい、毎年どうですか、吉村さんも初詣には行かれる感じですか。

吉村:そうですね、うちの近所、地元だと深大寺っていうちょっと有名なお寺があって、

そこに家族と一緒に、初詣と称して、実際にはお蕎麦を食べたりとか、縁日で食べ歩きをするのがメインの目的なんですけど、なんかちょっとそういうイベントに顔を出して楽しむ、

ついでにお参りもしとくかなみたいなことをしてますね。

三上:いいですね、やっぱりお正月ならではの屋台が立ち並んだりとかね、雰囲氣がまたありますもんね。

吉村:そうですね。

三上:はい、さあもう行かれた方もすでにいらっしゃるかと思うんですけど、

ちょっと私氣になったんですけど、沖縄は祖先崇拝の方が多いんですけど、神社にも行くし、お寺にも行くし、正直いろんなとこに行ってるなって、ルールとか特にないんですかね、

どうなんだろう、その人が良ければいいのかしら。

吉村:あーでも日本って宗教観が適当じゃないですか、適当でみんな一緒くたにしてお祭りで仲良くしようみたいな発想なんじゃないかなと僕は勝手に思ってるんですけど、

だからクリスマスはキリスト教のお祭りなんだけど、別にキリスト教徒じゃない人もクリスマスはクリスマスでわーって盛り上がって、

お正月になったら初詣に行くけど、別に神社に行こうがお寺に行こうが近所で行きやすいとこに行ってるみたいな感じなのかなっていうふうに思ってますね。

三上:確かにそうですね。私もキリスト教じゃないけどクリスマスは盛大にお祝いしますね。

どうですか、やっぱり吉村さんもアメリカに留学してた時期があると思うんですけど、

クリスマスだったりお正月、ハッピーニューイヤーのときのイベントってどんな感じなんですか。

吉村:僕が長くいたのはカリフォルニア州のサンノゼっていう街なんですけど、サンノゼに限らずクリスマスはすごく盛大にお祝いをしてるんですよね。

クリスマスのときの挨拶が、メリークリスマス&ハッピーニューイヤーって言って、ワンセットで挨拶してるんですよ。

だから年明けてないけど、明けましておめでとうをクリスマスのときに言ってるんですね。

三上:なるほどですね。

吉村:だから実際の12月31日から1月1日って年をまたぐときって、テレビとかでNYのタイムズスクエアとかで皆カウントダウンしたりして、

花火が上がったりとかってそういうのを中継してたりとかっていうのがあるけど、

地元の街自体は別に結構静かな感じで、みんな普通に家でテレビ見て年明けたね、みたいな感じになってるぐらいだった印象ですね。

あんまり盛大にお正月だからわーっていうのはなくて、だいたいクリスマスに思いっきりお祭り騒ぎして、そのあとは静かに氣がついたら年が明けてたみたいなイメージですよね。

三上:日本だとお店とか学校とかお正月はお休みじゃないですか。多いと思うんですけど、アメリカ、海外とか普通に空いてるんですかね。

吉村:どうでしたっけね。僕は学生のときだったんで、だから学生だと一応冬休みがあるから、年明けて1月1日とかはまだ休みだったと思うんですけど、多分三が日休むみたいなそういう習慣はないから、クリスマスのときはお休みなんだけど。

三上:クリスマスお休みなんですね、学校。

吉村:学校休みですね。

たぶん会社とかも休みのとこいんじゃないですかね。

クリスマスホリデー、ホリデーシーズンとかっていって、だからそこは休み取ってみんな家族で集まってみたいなことをやるんですよ、クリスマスのときに。

それで大体お祭りは一段落ついちゃうから、年明けたときは本当に普通に学校も結構早くから始まってた氣がするし、お店とかも普通に開いてた氣がしますね。

三上:なるほど。じゃあやっぱり違うんですね、クリスマスがギュッと詰まったイベント。

吉村:結構だから、やっぱり宗教は国を挙げてキリスト教の国なんで、たぶん宗教的な意味合いっていうのは強いんだと思うんですよね。

あとアメリカはユダヤ系の方たちもいて、ユダヤ人ってユダヤ教っていうその宗教があるわけですよ、ユダヤ人の宗教が。

ユダヤ人って人種って思われがちじゃないですか、日本人の感覚だと。

三上:はい、思ってます。

吉村:でもユダヤ人って実は人種じゃなくて宗教っていう側面が強いんですよね。

三上:何が違うんですか?

吉村:だから宗教だったらその宗教信じてたらユダヤ人って言う。

三上:はぁ。

吉村:そうそう、だからその辺のちょっとどういう括りかよくわかんないんですけど、だからユダヤ人っていうのは厳密に言うと人種ではないんですよ。

ただ大体ユダヤ教の人たちっていうのは代々ユダヤ教の人たちが多いから、共通した人種というか見た目がユダヤ人っぽいねみたいな感じの人たちがいるわけですけど、

実際元々ユダヤ教が始まったときの場所っていうのは中東の方じゃないですか。

だから浅黒い肌の人たち、中東の人たちが元々のユダヤ人でユダヤ教徒だったわけですけど、

途中で白人の国で、ちょっと名前忘れちゃったんですけど多分都市伝説系のYouTubeとか歴史系のYouTubeとか見ると詳しく解説してる人いると思うんですけど、

ちょっと色が白い人たちがそこの国を挙げて国の宗教をユダヤ教にしたっていうことがあるんですよ。

だからそのときに白人系の人たちがバーって入ってきて、その辺の血が混ざって、今のユダヤ人の人たちの見た目の、共通した見た目みたいなのができてるんだと思うんですけど、

実際には厳密に言うと人種じゃなくてユダヤ教という宗教を信じてる人たちがユダヤ人なんですよね。

三上:今知りました。

吉村:ユダヤ教だとイエスキリストを別に神の子とか救世主とか言ってないから、

イエスキリストの誕生日だからクリスマスのお休みっていうのじゃないんですよね。

確かね、ちょっと心配だから検索をした方がいいかな。ユダヤ教のお祭りっていうのは同じ時期にあるんですよ。

三上:同じクリスマスの時期にですか?

吉村:そうなんですよ。

三上:でもいろんな意味合いが違うのかしら。

吉村:ユダヤ教クリスマス。こうやって検索すると出てくるかな。

あ、ハヌカーっていうお祭りが12月25日から8日間。ユダヤ教のお祭りっていうのがあるんですよ。

時期が同じなんだけど、違うお祭りをユダヤ教の人たちはやるんですよ。

三上:面白いですね。

吉村:だからクリスマスの時期にお祭りはするんだけど、名目が違うんですね。

それを言うと、キリスト教のクリスマスっていうのも、もともとは北欧の方の冬のお祭りっていうのがあって、これもちょっと僕名前忘れちゃったんですけど、もともとあるんですよ。

その時期に無理やりキリスト教の人たちが、この時期のお祭りをイエスキリストの誕生日っていう体にして、ここでお祭りやっちゃおうぜって決めちゃったらしいんですね。

だから実際に歴史を紐解いていくと、イエスキリストの誕生日は別に12月25日じゃなかったんじゃないかっていう説が濃厚らしいんですよ。

三上:へえ。

吉村:そういう意味では結構みんな適当に決めてるのかなっていう感じはあるんですけど、

そこの適当な中でも自分たちの宗教に合わせて、名前つけたりとか時期を決めたりとかってやってるわけですけど、

そんな中で言うと、日本は何が来てもいいですね、それ取り入れちゃいましょうみたいな感じで、みんなお祭り一緒にやっちゃおうっていう感じだから、

すごく平和な宗教観でいいなと僕は個人的には思ってるんですよね。

三上:確かにそうですね、こういう話を聞くとね。

吉村:そうですね。例えば、僕がアメリカに留学したのって、発端は僕の祖母、ばあちゃんがキリスト教の人だったんですよ。

キリスト教の教会通ってて、キリスト教の雑誌を購読してた、その雑誌にお宅のお子さんをキリスト教の本場のアメリカに留学させて、クリスチャンの学校に留学させませんかみたいな、

留学斡旋業者の広告を見て、僕に「お前ちょっと高校はアメリカで行ってみないかい」みたいな感じで、打診してきたんですね。

ちょうど僕その時、実の父親と離れて暮らしてたんだけど、中学卒業したら父親と一緒に住まなきゃいけなくなっちゃうかもしれないっていう時に、

うわー嫌だなと思ってたら、ばあちゃんがアメリカって言ったから、よしアメリカ行くぞって乗っかってアメリカに行ったっていう経緯があるんで、

キリスト教の人たちとはちょっと馴染みがあるわけですよね。

最初に高校入った時も、キリスト教の私立高校に入って、日曜日の朝は教会の礼拝に行かなければいけないとかいろいろあって、

そういうのがあって、僕はすっかりキリスト教が嫌いになってしまったっていう経緯があるんですけど、今は別にキリスト教の人を批判しようとかっていう氣持ちは全くないんですけど、

あんまり特定の宗教にどっぷり入るっていうかね、そこの宗教のやり方だけでいくみたいなのは全然僕は自分に合ってないと思うんで、

宗教勧誘とか来ても丁重にお断りしちゃうと思うんですけど、そこのキリスト教の人たちを間近に見てると、特定の宗教に入ってる人って、他の宗教を否定するみたいなことをする人が多いんですよ。

全員とはもちろん言わないですよ。

だけど、結構そういうのあるなっていうのは空氣感としてあるし、多分特定の宗教に入ってない人たちも、僕がそういうふうに言ったら、確かにそういうのはありそうだなって感じる人が多いんじゃないかなと思うんですよね。

そこら辺は特定の宗教の人たちがどういう氣持ちとか、どういう温度感でやってるかっていうのももちろんいろいろあると思うんで、

その人たちの中でやりたいことをやるっていうことに関してはいいと思うんですけど、

他を否定するっていうのは、少し控えたらもっとみんな仲良くできるんじゃないかなっていうのはすごく感じますよね。

やっぱりキリスト教の人たちの集まりに、ばあちゃんの顔を立てるために参加することとかあったわけですよ。

ばあちゃんが通ってた教会に行ったりとか。そうすると、そこの中で若い子が、彼女ができたんで初詣で一緒に行くことになったんですみたいなことを言ってたときに、

すごい微笑ましいなって思って僕は聞いてたんですけど、

そこの教会の年上の年配の方たちは、お前キリスト教なのに初詣行くのか、ダメじゃないかみたいなことを、ちょっと半分冗談混じりな感じで言ってたんですけど、でもそれを聞いて、そういうのあるんだみたいな。

三上:目にしたわけですね。

吉村:実際に大きい神社とかお寺とかに初詣に行くと、もちろん全てのキリスト教の人がそうってことはないと思うんですけど、中には過激な人たちとかいるわけじゃないですか。

そうすると、神はなんたらかんたらとかっていうプラカード立てて、神社にお参りするなみたいなことを拡声器使って言ってる人とかがいて。

三上:へえ。

吉村:たぶん全てのキリスト教の人がみんなそうとは思わないんですけど、中にはそういう人がいるから、実際に目にしてるわけじゃないですか。

その人たちからしたら、キリスト教じゃない宗教はみんな邪教だから、そんなところに行くべきではないから、

こういう間違った人たちを救ってあげなきゃと思ってやってるんだと思うんですけど、

でも別にキリスト教じゃない人からしたら、大きなお世話だよってふうに僕は思ってしまうんですよね。

なので、好きな宗教をやるのはいいと思うんだけど、他の人たちを否定するってなっちゃうと喧嘩のもとになるから、もっと仲良くできたらいいのになっていうふうに思いますよね。

三上:今日お話聞いて、背景っていうか、いろんな宗教とかを知ると、私たちも参拝の仕方とか、いろいろ改めて深くなるというか。

吉村:そうですね。

三上:氣持ちが違うなって今思いましたし、確かにそういうことがあるんだっていろいろ知れて、

学びがあるスタートというか、仕事始めのこの時期に、そういうこともあるんだなっていう知識が増えた氣がします。

吉村:僕これはもう全然個人的に思ってるだけなんで、実際どうかわかんないんですけど、

むしろ日本でお参りする文化っていうのがあるのは、結局宗教的に信じてるかどうかって話よりも、

例えば目に見えない力とか、力の存在であったりとか、自分たちの人間だけじゃなくて、

何かもっとより大きな、例えば宇宙だったりとか大自然だったりっていう、もっと大きな力とか法則性によって、

僕たちは生かされてるんだよねっていうことを再確認して、いってみたらそういう人として謙虚に生きる姿勢であったりとかね、

それからお参りするときに手を合わせたりとか、パンパンって柏手打ったりとかするじゃないですか、神社の作法とか。

あれって実は結構エネルギーとか氣の流れっていうことに関して言うと理にかなっていてですね。合掌をすると氣が整うんですよ。

手を合わせたりとか柏手パンパンって打ったりすると。氣が整う作法みたいなのって実はいろいろあって、

例えばお辞儀を1回するだけと2回お辞儀するので比べると、2回お辞儀をするとスッて氣が整うんですよ。これは真っすぐ立ってる状態で横から人にちょっと軽く押してもらうと、分かるんですよ。

氣が整ってないと体がグラーって揺れるんですけど、氣が整ってると押したときに何ていうのかな、グッて止まるっていうかグラグラしなくなるんですね。

それが合唱したり2回拍手したり2回お辞儀したりすると、横から押してもグラグラしない状態になるんですね。

三上:えーすごい。

吉村:ってことは神様に祈ったりお願いしたりするっていうことの効果のほどは僕にはよく分かんないですけど、

何かそういう効果あるかもしれないしないかもしれないけど分かんないんですけど、

少なくとも手を合わせるとか柏手打つとか2回お辞儀するってやると、氣が整うんですよ。

氣が整うってことはその人自身のパフォーマンスが上がるってことだから、そうすると高いパフォーマンスで日常を生きた方が、その人は自分がやりたいことをきちっと遂行できる力が強くなるわけですよね。

ってなると神頼みしに行くだけじゃなくて、自分を整えに行くっていうためにお参りをしてるっていうふうに捉えることもできるかなと思うんですよね。

三上:面白い。

吉村:だからそうなってくると別に何の宗教を信じるかっていうことよりも、お参りをして自分の氣を整えるっていうことのためにそれをやるっていうのでも、やる価値があるわけですよね。

三上:なるほどですね。早速ちゃんと、なんとなくみたいなやり方でやってた氣がしてるので、参拝の方法もちゃんと取り入れて、氣を整えるのも含めてですね。

吉村:そうですね。

三上:私もこの日ちょうど、配信日に行くので、ちょっと氣も整えながらしっかりとお祈りしていきたいと思います。

吉村:はい。

三上:ぜひ、いろんな知識があるとやっぱり面白いですね。

吉村:そうですね。

三上:すごい良い時間でした今日も。皆さんのこういったご意見とかご感想とか、そういった情報とか持ってましたら、こちらの番組にもシェアしていただきたいなと思います。吉村さん、本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。