308.感情のコントロール

他人の言葉や行動に敏感に反応してしまいます。
感情のコントロールを向上させる方法は?の質問に吉村さんに答えて頂きました。

 

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三上:皆さん、こんにちは。こころメンテナンス、本日もアシスタント三上恵と、氣功ヒーラーの

吉村:吉村竜児です。

三上:吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:今日の質問は、他人の言葉や行動に敏感に反応してしまいます。感情のコントロールを向上させる方法はありますか?と質問がきております。

吉村:はい、なるほどですね。結構こういう人は多いだろうなって思いますよね。

三上:そうですね、やっぱり周り見ちゃうね。

吉村:一言で結論だけ言うと、自分軸を持ちましょうみたいな話になってしまうとは思うんですけど、どういうことが起こって、その結果として人の言葉とか行動に敏感に反応してしまうという結果につながっているのかというところをひも解いていくと、

いくつか要因があるんですけど、大きなところとしては僕はいつも言っている、ジャッジですよね。

三上:ジャッジ。

吉村:良い悪いというジャッジがあるから、例えば人の行動に対して、その行動が良い悪いというジャッジをしていることで、そのジャッジに基づいた感情が出てきてしまうということが一つありますよね。

あとは、例えば人の顔色を伺ってしまうみたいな場合、自分が人からジャッジされてるっていうふうに思ってるわけですよ、きっと。

だから、自分はダメなやつだって思われてるとか、バカだって思われてるとかっていうように感じるから、そのことで傷つくわけですよね。それで反応するわけですけど。

でも、それって自分が人からジャッジされてるって思うのはなぜかって言ったら、その人がジャッジしてるからなんですよ。内心ジャッジしてるから、だから他の人もみんな同じようにジャッジするだろうって思ってるんですよね。

三上:なるほど、確かにそうですね。

吉村:そうですね。だから、本当は別に全て良くも悪くもないっていうふうに考えた場合、仮に自分のことをジャッジする人が出てきたとしても、この人は何かってジャッジするっていうパターンを持っているんだなっていうことに過ぎないんですよ。

だから、例えば誰かが僕のことをバカって言ったとして、僕がそんなことで傷つくとしたら、なぜかって言ったら、その人の言ってることが真実性があるってどっかで思ってるから、傷つくわけじゃないですか。

だって、僕が自分のことを全然バカと思ってなかったとしたら、誰か僕のことをバカって言ったとしたら、この人からそう見えるのかみたいな話で終わっちゃうんですよ。

どっかなんか、うーんみたいな。何言ってんのーってかね。だから、ネットで有名なヒロユキさん風に言うと「それってあなたの感想ですよね」、その人の意見、その人はそういう意見を持ってるんだっていうことに過ぎなくて、別に他の人がどういう意見を持ってるかっていうのも全然一人一人違うわけじゃないですか。

三上:そうですね。

吉村:だから、そのことでいちいち傷つく必要が本当はないんですけど、そこで傷ついちゃうっていうことは、人からの評価で自分の価値が変わるって思ってる可能性が一つありますよね。

人がバカって言ったら自分はバカなんだとか、人が偉いって言ったら自分は偉いんだとかっていうのは、結局、人の評価によって自分の価値が上がったり下がったりしてるっていうことじゃないですか。でも、これはおかしいんですよね。

だって例えば10人、人がいたとして、この10人がみんな同じ評価を僕に対してするかって言ったら、たぶんそんなことないですよね。

三上:そうですね。

吉村:そしたら、ある人はバカって言って、ある人は頭いいって言って、ある人は誠実って言って、ある人は嘘つきって言って、みんな僕のことをいろんな評価をしたとしたら、じゃあ僕なんなの?みたいなね。なんかよくわかんない存在ですよね。

だから、それぞれの人たちはその人の視点から見て、僕に対して評価を下してるわけですよ。その評価も正しいかどうかなんてわかんないんですよね。

その人たちも何かしら、思い込みによる色眼鏡みたいなものをそれぞれ持ってるわけだから、Aさんから見た僕はAさんにとってはこう見えてますっていう話に過ぎなくて、

それが何となく10人中8人は僕のことを誠実だって評価してくれてるけど、あとの2人はこいつ信用できないって言うかもしれないですよね。

でも、それってどの部分を見てそういうふうに感じたのかっていうのだってわからないじゃないですか。

例えば、10人中8人が僕のことを誠実だって思ってたとしても、実は僕がその人たちを巧妙に騙してて、その残りの2人だけが僕のそういう、実は嘘ついて人を騙してるんだっていうところを見抜いてるっていう可能性もあるし、

8人の人たちが誠実だって思ってて、僕自身もそう誠実であろうとしてるんだけど、あとの2人はそもそも人のことを信用しない人たちで、だから誰を見てもうさんくさい奴だって思うのかもしれないしっていう。

これって統計を見ただけだと、実際どうなのかってのはわかんないですよね。だから数字で表れてるけど、今の2つのケースって全然違うけど、でも数字だけ見たら一緒じゃないですか。

三上:はい。

吉村:だから人の評価なんてあんま当てにならないんですよね。

なので、自分がどうあろうとしてるのかっていう、そのことだけなんですよ本当は。だからそうすると、そのことで多分一喜一憂するってことは、まず自分の中で自分がどうあろうとしてるかっていうのがあんまはっきりしてないし、

自分のことをちゃんと、好意的に評価できてない、自分を受け入れられてないから、だからいつも自分のことを無意識に否定してるんで、言ってみたら自分の心はめちゃめちゃ傷ついてる状態なわけですね。

で、それを人からよしよししてもらうことで癒してもらおうとしてるみたいな。で、この状態に陥ってる人って多分結構すごいいっぱいいるんですよね。

三上:いっぱいいます。いっぱいいると思います。

あと、今お話し聞きながら思ったのは、この恋愛話もそうかなって。私が好きっていう氣持ちは周りに聞いてどう思うみたいな。あなたたちのこと私は知らないけど、それ聞いてどうするのっていう。ありませんか。

それも踏まえながら、ここもそうだなと思いながら聞いてました。

吉村:恋愛は特に眼鏡が曇りやすい分野だと思うんですよ。っていうのが、恋愛と例えば結婚みたいな話ってよく出てくるじゃないですか。

恋愛の延長線上に結婚があるものなのか、恋愛と結婚は別なのかとかって。恋愛の状態と結婚している状態っていうのを比べてみたら、言ってみたら同じであるはずがないんですよ。

三上:そうですよね。そうですよじゃないんですよ。

吉村:だって結婚って要は契約じゃないですか。

三上:はい、契約です。

吉村:だから別に恋愛して、その延長上で契約結んで一緒に暮らしていこうってなったとしたら、それはそれで全然素晴らしいし喜ばしいことでいいことだとは思うんですけど、でも恋愛の延長上で必ずこの契約が成立する関係性かどうかっていうのは分かんないですよね。

三上:分かんないです。

吉村:だって恋愛って相手の人柄に惹かれてるのか、容姿に惹かれてるのか、性欲に引っ張られてるのかとか、いろいろと恋愛ならではの要素みたいなのがあるじゃないですか。人から、この人と一緒にいたら周りからの評価が上がるに違いないみたいな話だったりとかね。

その辺はそれを含めて結婚をしようとしてる人たちももちろんいるんですけど、でも結婚ってまた今度家計を共にしてお互いに協力し合って、社会の中で助け合って生きていきましょうみたいな、そういう契約じゃないですか。

その時に子供ができたら一緒に育てていきましょうとか、そういう約束ごとの話ですよね。

恋愛っていうのはどっちかっていうと、人と人とが惹かれ合って一緒にいたいとか、お互いに性的に惹かれ合っているみたいな状態ですよね。

別にそこから社会の中で協力し合って生きていくために契約結びましょうかってなったら別にそれはそれでもいいんだけど、でもその場合、今度社会の中で協力し合って生きていくための契約って考えた場合には、

例えばお互いどのぐらいお金稼ぐとか、家事をどういうふうに分担するとか、そういう話じゃないですか。それって約束ごとの話なんですよ。

そこの約束がちゃんとできる人かどうかっていうところで判断しなきゃいけないじゃないですか。

三上:そうですね。

吉村:恋愛でドキドキするみたいな話だとしたら、ちょっと破天荒なところが自分にない部分が素敵みたいなのでドキドキするとかっていうことかもしれないけど、

じゃあその破天荒なところっていうと、社会性とかちゃんと経済状態を安定させることができるのかっていうのは、必ずしも両立しない可能性もあるってことですね。もちろん両立させてる人もいますけど、両立しない場合もあるわけじゃないですか。

そうなると判断する基準が全く違うんですよね。だからそこって同じじゃないから、その部分をごっちゃにして考えるとおかしなことになってしまいますよね。

三上:そうですね。

なのでやっぱり他人っていうか自分の人生なので、前回の話でもありましたよね。自分の人生を振り返ったとしても、それが今に至るっていう危険もあるので、だから他人にもしあなたが言ったでしょって決めても、他人のせいにしちゃうかもしれないじゃないですか、自分で決めたこともね。

だからやっぱり自分自身のことで決めるのが一番ですね。

吉村:だから人からどう言われるかで自分がグラグラしちゃってたら、言ってみたら自分の人生がままならなくなってしまうわけですよね。

さっきの結婚の話で言えば、結構結婚するときに相手に幸せにしてもらおうみたいな感じで、結婚する人とかもいるじゃないですか、自分がこの人を幸せにしてやるんだとかね。

それって他人が別の人を幸せにするなんていうのは無理なんですよ。

幸せにしてもらうとか、誰かを幸せにするとかっていうのは結局その幸せになるかどうかっていうのは本人の話なんで、本人が自分で幸せな人生を掴み取っていくっていうところの手助けはできると思うんですよね。

だから多分人との人間関係って結婚に限らず、普通に仕事仲間とか友達同士でも、要は自分で幸せになることを、自分の責任で自分が幸せな人生を生きていくっていうことをしている人たち同士が、お互いを助け合うっていうね、お互いの手助けをし合うっていう関係性だと思うんですよ。

もちろん持つもたれつで苦手なところを補う関係性っていうのはその中でも出てくると思うんですけど、この人が自分のためにこれをしてくれなかったら、自分は幸せになれないんだみたいな話になった途端、依存になっちゃうんですよね。

三上:そうですね。

吉村:そうなると結局自分、この人が何かしてくれなきゃ自分幸せになれないっていう状態になったとしたら、その人がそれをやってくれることは自分にとっては当たり前のことになっていっちゃうんですよ。で、そうすると感謝もなくなっちゃいますよね。

三上:そうですね。

吉村:この人はいなくても、自分は大変だけどここは自分でやっていく、この場合は自分でやっていくとか、あるいはお金稼いで稼いだお金を使って誰かにやってもらうとか、行政の仕組みとかを利用して補ってもらうとかっていうのも結局それって自分でやってることじゃないですか。

自分でもやることはできるけど、それを誰かが手伝ってくれるってなったらすごくそこで感謝が生まれるわけですよね。

お互いちゃんと自立している同士が助け合ったらそこで感謝が生まれるんだけど、自分で立つ氣がない人がお互いにもたれかかってりあって何とかしようとしている場合って、そっちはちゃんと支えろよとか、お前がちゃんと支えてないからだろうみたいな関係になってしまうんですよ。

三上:そうですね。今回はご自身の感情のコントロールの向上の方法ですけど、恋愛にもつながる話がいっぱい出てきて。

吉村:そうですね。

だからまずちゃんと自立して自分で生きていくっていう自覚を持つっていうところですよね。

そこがちゃんとできてない人が感情のコントロールができてない。卵か鶏どっちが先みたいな話になっちゃうかもしれないんですけど、自律的に生きてる主体性を持って自分の人生生きてるってことと、感情のコントロールができてるっていうのは、言ってみたらセットだと思うんで、

どっちから先に取り組んでいくことになるかっていうのは、やりやすい方からでいいと思うんですけど、そこがちゃんとバランスよく整えていくっていう発想でやっていくと、結果的にはセルフコントロールができる人になってくるのは近道なんじゃないかなと思いますね。

三上:素敵なお話でした。そうですね。いろんな意味で自信も持てますもんね。

吉村:そうですね。

三上:吉村さん、本日もためになるお話でした。ありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。