自分の過去の選択に対して後悔してしまうことがあります。過去を受け入れ、前向きに進む方法はありますか?
の質問に吉村さんに答えて頂きました。
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三上:皆さん、こんにちは。こころメンテナンス、本日もアシスタント三上恵と、氣功ヒーラーの
吉村:吉村竜児です。
三上:吉村さん、本日もよろしくお願いします。
吉村:よろしくお願いします。
三上:今日もちょっと匿名できていますね。これよく私も聞くんですけども、自分の過去の選択に対して後悔してしまうことがあります。過去を受け入れ、前向きに進む方法はありますか?ときてますね。
吉村:なるほどですね。
三上:なんかこう、ありますよね。話題、友達同士でお話ししてても、例えば職場とかでも、私自身もそういう時、ありますよ。
吉村:そうですね。結構やっぱり、僕のところに相談に来られる方たちのお話を伺ってても、すごいこの方、後悔があるんだなっていう方は結構いっぱいいて、
過去のことを何か悔いていることで前に進めなくなってしまっているっていうケースが、やっぱりよくあるんだろうなっていうのはすごく感じますね。
これブロックって話で言うと、意識が前に向かないで後ろにばっかり向いてしまうっていうような状態がブロックによって作られているっていうケースが実はあるんですよ。
そうすると、過去のことを悔いているから、そこから派生して今いろんな問題が起きているっていう見方も一つあるんですけど、その場合そうしたら意識を前向きにしたらいいんじゃないっていう話で片付いちゃうんですけど、要は前向きになった方がいいってわかってるのにそれができないっていう状態ですよね。
三上:そうですね。
吉村:となると、それってブロックによって意識の向く方向が固定化されてしまっているからそうなっているっていうのはやっぱり結構あると思うんですよね。
そうすると、そこはやっぱりクリアリングをするとか、瞑想をするとかで前向きになるっていうことを意識して、自分の意識が後ろ向きになるように固定しているものを見つけてそれを手放していくっていうプロセスがやっぱり必要になってくるとは思うんですけど、
そこの氣づきの部分でそこを手放していくっていうところのヒントというか方向性としては、まず一つには物事が単純に良いか悪いかで、二つに分けて考えることは本当はできないっていうことなんですよね。
三上:これはダメ、これはいい、OK、NO。
吉村:だからそれって僕がいろんなところで言っているジャッジっていう話で、ジャッジは極力しない方が人生は楽で豊かになるんですよ。
ジャッジするからしんどくなっていくっていうことなんですね。だからそのいい悪いっていう価値判断をしてるんですけど、でもちょっと長い目で見て、時間軸での物事の因果関係っていうのを見ていったときに、
今まで自分の人生の中で、これは良かったなって思うことと、これは悪かったなと思うことをもしちゃんと並べていって、どういう因果関係でつながってるかっていうのを全部見ていった場合、
結構たくさんの良かったことって、その前に何か悪かったことがあったから、その結果としてこの良いことが起きてるっていうのは、たぶんすごいたくさん見つかるはずなんですよ。
三上:確かに。
吉村:だからそう考えたら、じゃあその悪かったことって、その時は不快だったりとか悲しかったりするかもしれないけど、それがなかったらその後の良いことが起きてないわけじゃないですか。
考えたら、別にこのこと自体は本当に良いか悪いかの2つに1つで判断できることなのかって言ったらちょっと何とも言えないですよね。
じゃあこの悪かったことをなくしちゃったとして、例えば時間の編集みたいなことが可能になったとして、これがあったのは嫌だったからこれなくしてしまえって言ったら、その後にそれが原因で何か起きたこととか手に入ったものとかっていうのも全部なくなっちゃうわけじゃないですか。
三上:そうですね。
吉村:だからちょっと長いスパンで物事を考えたら、全てのものは実は良くも悪くもないんですよね。
結局その時々で、自分がそれを心地よいと感じたか不快と感じたかみたいなところで、その時々で判断してジャッジしてそこに良い悪いっていうレッテルを貼ってるだけであって、そのこと自体は別にその良くも悪くもないっていうふうに考えると、その良いか悪いか決めてるのは自分自身なんですよね。
三上:グサッ。
吉村:だからあの時ああしておけばとかって言っても別にその時代に戻ってそれをやり直すことなんてそもそもできないわけじゃないですか。
もし仮にその時に違う選択をしてた世界が存在してたとしても、じゃあそっちの世界線って概念があるんですけど、僕らが今生きてていろんな選択するたびにそれを選択した世界線と選択しなかった世界線とかって分岐して、世界が並列で沢山生まれるっていう考え方ですね。
これは量子力学の平行世界とか多次元解釈みたいなものの考え方の一つなんですけど、でも実際に別の世界線に行ったとしてその先が全てバラ色かどうかなんて分かんないわけですよね。
三上:分かんない。
吉村:分かんないですよね。どっちを選んだとしても結局その都度自分にとってそれが心地よいか不快かっていうことで、良いとか悪いとかっていうジャッジをし続けることになるわけだから、
そうすると別にその時々での良い悪いはあるかもしれないけど、長い目で見てそれが良いか悪いかなんて分かんないわけですよね。
だから実際には本当に起きてることは良くも悪くもなくて、言ってみたら全て中立なんですよ。それに対して自分が良い悪いっていう価値判断をしてるだけなんで、悪いっていう判断をするのをやめれば別に全て良くなるんですよね。自分の要は考え方次第っていう話になっちゃうわけですよ。
三上:そうですよね。確かにああいう時もあったよねぐらいのね。
吉村:例えば結婚とか離婚とかって多くの人たちにとってはすごい大事な話だと思うんですよ。
僕はいろんなところでお話ししてると思うんですけど、離婚歴があって、前の奥さんとの間の娘たちを一人で育ててて、その時に今の奥さんと出逢って、今の奥さんとの間では子供はいないんで、うちの奥さんは血の繋がらない娘たちを僕と一緒に育ててるっていう状態なわけですよ。
僕にとってはこの娘たちはすごい大事な存在だし、すごいたくさんの幸せを共に過ごしてきたし、もちろんイラッとすることとか数え切れないほどいろいろあるから、そこを悪いところを探したらキリがないとは思うんですよね、
その時に自分が不快だって感じたことは。でも全然そんなのチャラになるぐらいに幸せな思い出がたくさん作れたと思うし、子育てから僕自身がすごく成長させてもらえたんで、すごい素晴らしい経験をさせてもらってるんですけど、
例えば時間遡って前の奥さんともう一度結婚生活したいかというと、ちょっとそれは勘弁してくださいって感じなんですよ。
もちろん離婚に至ったというところでは双方の問題でもあるから、向こうが一方的に悪いとかって話はもちろんないですけど、僕にも至らなかった点はいろいろあると思うんですけどね。
いってみたら、前の奥さんとの結婚生活は僕にとっては全然いい思い出ではない、もう一回やってくださいって言われたら、本当に全力ですみません、それだけはお願いですから勘弁してくださいって感じの話ではあるんですけど、僕の人生の歴史の中からそれをなくしてしまったら何が起きるかって言ったら、うちの娘たちはいないんですよ。
三上:うん。
吉村:それを耐えられるかって言ったら、僕は耐えられないですよね。
だから、時間遡って人生をもう一回やり直しってなった時に、うちの娘たちには出逢いたいけど、そのためには前の奥さんともう一回結婚生活しなきゃいけないとか言ったら、もう恐ろしい究極の選択みたいな話になってしまいますよね。
だからそうなると、あの時は大変だったけど、それを乗り越えて今があるから良かったなって感じだし、あの時の大変な時期を乗り越えた自分、よくやったっていうふうにねぎらう氣持ちこそあるんですけど、あの時あれさえなければみたいなことはないですよね。
三上:でも、それがあったからこその今ですよね。それがなかったらまた違った人生かもしれないし。
吉村:そうそう、結局そこで色々と学ぶことができたから、僕自身も人間的に成長できたところもあっての、今に至るなので、本当にだからしんどかったけど、別に悪いことばっかりではないっていうかね。
この人と結婚することを選んでしまった自分みたいなね。今の自分だったら、あの人と結婚することは選ばなかっただろうなって。
なんであの人をあの時選んでしまったんだろうっていうのは、自分の中で今振り返って分析すると、こういうところがあったからなみたいな色々と反省点っていうかね。自分の至らなかったところがあって、
自分の中で母親との葛藤がちゃんと解消されてなかったことで、こういうタイプの女性と一緒にいるっていうことを選択してしまったんだろうなみたいなね。
三上:うん。
吉村:そういうこともあるわけですよ。そこに氣がつけたから、一緒にいて結構大変だった、離婚で裁判とかまですることになっちゃったとか、色々あったわけですけど、
そのプロセスで、こういうところの判断ミスがあったんだな、自分の中のこういうところがあったから現状こうなってんだな、あの時はああだったんだなとかって色々と学びがたくさんあったわけですよね。
だから、しんどかったかどうかっていうところで言われたら、もう相当しんどかったんですよとしか言いようがないんですけど。裁判で僕なんかだいぶ白髪増えちゃったし、とてもとても楽な道ではなかったし、それは多分相手方にとっても大変だったんだろうなとは思うんですけどね。
三上:うん。
吉村:でも、それさえなければみたいな話とか、例えば今振り返れば、あの時にこういう風にしとけば裁判避けられたかもしれないなとか、みたいなのも考えればいくらでも出てくるわけですよ。
もうちょっとうまくやれれば、そこまでダメージ大きくない形で別れることもできてただろうなみたいなのもあるんですけど、でも結局のところ裁判やるっていう経験をしたことで、
自分の中で経験値がすごい上がって、物事に対してあんまり動じないっていうか、ちゃんとやっていればなんとかなるだろうみたいな氣持ちになれたっていうのは、裁判を経験したからだろうなっていうところもあるんで、そうすると、言ってみたらすごく大事な修行をさせてもらったっていう捉え方もできるわけですよね。
三上:そうですね。なので、今回の質問に対してはすごい、だからこう、何て言うんですか、自分次第ということで。
吉村:そうですね。だから長いスパンで考えたら、結局その物事は良くも悪くもなくて、そのことに対して自分が本当にジャッジしてるだけなんだなっていうことがわかってくると、今度何か選択するっていうときに、選択する基準みたいなものが変わってくると思うんですよね。
僕が本当に皆さんに伝えたいのは、やっぱり人って、もともとは魂が僕たち人間の本質で、魂は愛だけの存在なわけですよね。
だからその人らしい愛の表現をするっていうことが、言ってみたら魂にとってのこの今世、この人として生きるっていう選択をした目的みたいなものだと思うんで、そういう意味では自分が愛であると、
愛だったとしたらどういう選択をするだろうかっていう判断基準で物事を選択していたら、言ってみたら悪い方向には行きようがないんじゃないかなと思うんですよね。
三上:吉村さんのエピソードも踏まえながらですね、わかりやすく伝えていただきました。ぜひこれを活かしながら、今回の質問を考えていただきたいと思います。
今回もすごくわかりやすい説明でした。やっぱり実際のエピソードが吉村さんご自身があるからこそ、すごいわかりやすかったし、聴いているリスナーさんも含め、私も含め、すごい落ちてきました内容が。
吉村:よかったです。
三上:ありがとうございました。
吉村:ありがとうございました。
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