306.感情や思考について

自分の感情や思考に対してオープンになる方法はありますか?の質問に吉村さんに答えて頂きました。

 

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三上:皆さん、こんにちは。こころメンテナンス、本日もアシスタント三上恵と、氣功ヒーラーの

吉村:吉村竜児です。

三上:吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:今日は、匿名さんからお便りが来ていますので、読み上げたいと思います。自分の感情や思考に対してオープンになる方法はありますか?と質問が来ております。

吉村:オープンになる方法はありますか?っていうふうに聞いてるってことは、この人自身はオープンになれていないっていう悩みを抱えてるっていうことですよね。

三上:はい、だと思います。でも私、この文面を見て思ったのは、以前も私はそうだったなって思ってます。私も思ういろんな感情を抑えてました。出しちゃダメなんだろうって。

吉村:なるほどですね。だから、オープンになれてないっていうのは、要するに自分の感情や考えを受け入れられてないとか、それを外に出したら、みんなから受け入れられないかもとか、迷惑をかけちゃうかもみたいな、そういう感じだったってことですかね。

三上:そうですね。周りを見ながら、今この感情を抑えなきゃいけないなとか、この時はちょっと出していいかなみたいな、今になったらいろいろわかるんですけど、その当時はそれも合ってるかどうかもわからない、このモヤモヤ感。

吉村:なるほどですね。

三上:あった氣がします。

吉村:なるほどな。でもあれですよね、あんまりネガティブな感情とか、考えを外に向かって垂れ流すのはあまり良くないとは思うんですよ。

結局、それを受け取った側が不快な思いをする可能性が高いから。なので、そこの取り扱い方っていうのは結構やっぱり大事かなと思うんですよね。

多分、ちょっとボタンの掛け違いが起きているところは何かっていうところでは、自分の中から感情が出てくるっていう状態と、それを人に対して投げかけるっていう状態って、これって段階としては別々の段階じゃないですか。

三上:はいはい。

吉村:感情が出てきても、それが人に伝わらなければ別に周りの人に迷惑がかかったりすることはないわけですよね。

三上:そうですね、確かに自分の中でね。

吉村:だから感情を出しちゃダメって話ではないと思うんですよ。

三上:確かに。

吉村:だって感情って何かに対する反応で出てきてるだけだから、もちろんその反応っていうのが何かその人が持っている解釈に基づいて起きるものなんで、その解釈を作り出しているものの中にブロックがあると、言ってみたらネガティブな反応をしなくてもいい場所なのにネガティブな反応をしてしまうっていう現象が起きるわけですよね。

望ましいのはそこでネガティブな反応をしない自分になっていくっていうことが望ましいんですけど、それをやるためにはその反応の元になっているブロックを手放していく必要があるわけですよ。

ブロックを手放すためには何かそういう深いレベルの氣づきを得る、あるいはクリアリングするっていうような方法があるわけですよね。

深いレベルの氣づきを得るためには自分と日々よく向き合っているとか、瞑想をするとかっていうような習慣が必要だったりとか時間がかかるプロセスなんで、そこをクリアリングでもっと簡単に済ませることができますよっていうのがこころメンテナンスで提唱しているクリアリングの話なんですけど、

ただ、ブロックがありますって状態で反応が出ちゃいましたっていう状態っていうのは、ブロックがあれば反応が出ちゃうのは仕方がないことなんですよね。

三上:うんうん。

吉村:このブロックを手放すための最初のステップとしてもすごく大事なのは、自分の中でそういう反応が起きていることに対して、これを良い悪いのジャッジをしないで、まずは自分このことに関してこういう反応が出てるなって受け入れることが大事なんですよ。

三上:なるほど。

吉村:それができるとブロックを手放していくための、まず最初の準備ができてるっていう状態、そこから手放していくっていう方法としてクリアリングだったり瞑想だったりっていうのがあるってことなんですけど。

まず感情が出てきました、それを自分こういう反応してるんだって受け入れるっていうことと、この感情を出しちゃダメだから私はこの反応をしちゃダメなんだとか、この感情を抑え込まなきゃいけないんだっていうのは言ってることが真逆じゃないですか。

三上:確かに。

吉村:感情をいってみたら、これは悪い感情だから出しちゃダメなんだとか、こんなことを考えてしまう自分はなんて悪いやつなんだみたいな感じで抑え込もうとすると、何が起きるかっていうと、

余計に感情とかネガティブなエネルギーが内に向かって入り込んでしまう、内在化してしまうんですよね。で、余計に手放しにくくなってしまうっていうことが起きるんですよ。

三上:でした。

吉村:だから、まずは自分がそういう感情を持ってるとか、何かに関してネガティブな考えを持ってしまうとかっていうことに対して、それを悪いことって捉えるんじゃなくて、自分今そういう状態なんだって受け入れることが大事なんですよね。

三上:まずは受け入れる。

吉村:だから、そこでオープンになるかならないかみたいなところで、何か葛藤が起きてるってことは、感情が出るイコール、それを人にぶつけるというのがワンセットになってるっていう。

三上:そうですね。

吉村:でも、それは自分の感情が何か出てきてても、それを人にぶつけないで済む方法なんて、考えればいくらでも実はあるんですよね。

カラオケ行くとか、運動するとか、ストレス発散とかってやってて、そういう自分なりのストレス発散法を持ってる人たちっていうのは、言ってみたら出てきた感情をそういう形で発散させてるから、人にぶつけないで済んでるんですよね。

なので、そこでちゃんと発散することができてる人たちっていうのは、対人になった時には、この人ってちゃんと穏やかでセルフコントロールができてる人だなって見えてると思うんですよ。

でも、その人たちは感情が出てないわけじゃなくて、出てるけど取り扱い方をちゃんと分かってやってるから、人にぶつけないで済んでるんですよね。

三上:そうですね、確かにこの感情イコール人と向き合うっていうイメージがありましたね。

吉村:そこって自分の感情を人にぶつけちゃうから嫌がられたりとか、後でそのことでまた罪悪感感じたりとかっていうことが起きてるわけで、

まず感情があるっていうことを受け入れて認めるっていうことですよね。

自分は言ってみたら人間だし、人間っていうのは自然界の動物から借りて使わせてもらってるから、この肉体は感情を持ってるものだし、そういうものであるっていう風に受け入れるっていうのが、まず最初大事ですよね。

そこから次のステップとして実際にネガティブな反応のもとを手放していくっていうことは、次の段階としてはあるんですけど、

そこに行く前段階として、まずはそういうネガティブな感情が出てきても、それはしょうがないよねみたいな部分をちゃんと受け入れるっていうことと、

それを人にぶつけないで済む解消方法っていうのを持っておくっていうことができれば、たぶん私こんな感情を持ってしまってみたいなことにはならなくて済むんじゃないかなと思うんですね。

なので、例えば僕、今でこそかなり穏やかな人って皆さんから思ってもらえてるんじゃないかと思うんですけど。

三上:はい、私も思ってます。

吉村:ありがとうございます。もともとはすごい怒りでいっぱいだったわけですよ。世の中とか自分の親とかに対しての恨みつらみとかね。

だから若い頃とかいつもなんか怒ってたわけですけど、そこで僕が選んだ方法は、ヘビーメタルとか激しい音楽を聴くっていうことと、それから格闘技とかねやって、それこそサンドバッグをバシバシ叩いたり蹴ったりとかして、

そういうので発散させるっていうことをしていたから、めちゃめちゃ日頃から怒ってたけど、その割にはまともな社会生活できたんじゃないかなと思うんですよ。

もちろん当時の僕のことを知ってる人たちの中には、特に演劇やってた時代、即興の劇団やってた頃の仲間とかは、当時の僕はかなり怖いやつだって思ってたみたいで、

それは後から聞いてなんかすごい反省したんですけど、そういうようなかなり怒りを持ってたから、多分その当時の僕としては即興演劇やることも一種の感情を解放したりとかね、

発散する方法の一つだったと思うんで、それをやってなかったとしたら多分もっと怖いやつになってたりとか、下手したらすごい攻撃的な人になってた可能性はあると思うわけですよ。

そのぐらいの怒りや攻撃性をうちに秘めてたんで。でもそれを違う形で出してたから、自分の人たちからは怖いやつだって思われてたみたいで申し訳ないんですけど、

全体的に見たら多分そんなにやばいやつ認定されるぐらいのレベルではなかったと思うんで、そこって何かで発散するっていうことはすごくやっぱり、社会生活って考えた時にはすごい効果的だと僕は思いますね。

三上:そうですね。なんか本当に今のイメージだと、全然感じないんですけど。

吉村:それはね、だからその後クリアリングっていう方法を見つけ出して、自分の中の元々の解釈の癖みたいなものを手放すっていうことができたんで、要はなんか怒らなくてもいいことに対して怒ってたんだなっていう氣づきがあって、

それを手放せたから結果今そもそも反応しないっていう状態まで持ってこれたんですけど、でもそれはその反応する元があって反応しちゃってるんだとしたら、そこはそこでもうしょうがないんですよね。

それを抑え込んだとしてもなくなりはしないから、だから反応しちゃったんだったら何らかの形で外に出す必要あるんですけど、その時に人に対して直接的にそれを出しちゃうと、要は相手を傷つけてしまったりとか不快な思いをさせることになってしまうんで、

それだったら何かそういう、例えば運動だったりとか芸術だったりとかっていう形で昇華させるっていうね。

実際にその世の中のいろんな芸術作品とか見てると、作者のすごい怒りがかなり、この人たぶんすごい怒ってんだなみたいなのが伝わってくるものっていろいろあるじゃないですか。

でもそれって何らかの形で作品っていう形にしてくれてるから、その怒りをこっちにぶつけられてるっていう感じじゃなくて、この人すごい怒ってるんだな、でも自分もそういうときあるから氣持ちわかるなみたいな、共感のほうにいけるわけですよね。

だから攻撃じゃなくて、そこで同じような葛藤とか怒りを抱えてる人が共感できて、一緒にエネルギーを発散できるようなものになったら、世の中的にも価値があることだと思うんですよ。

何かしらそういう形で外に出す必要はあるけど、どういう形で出すかっていう、そこが大事ですよっていうところですかね。

三上:すごいわかりやすかったです。匿名さんの質問も今日のお話を参考に、まず自分の思っていた感情を否定せず受け入れる。そこから始めていただきたいと思います。吉村さん、本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。