子供の頃に好きだった場所や食べ物が大人になると変わる方もいらっしゃるのでは、なぜ変化がおきるのか?
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三上:皆さん、こんにちは。こころメンテナンス、本日もアシスタント三上恵と、氣功ヒーラーの
吉村:吉村竜児です。
三上:吉村さん、本日もよろしくお願いします。
吉村:よろしくお願いします。
三上:吉村さん、先日かな、私お休みの時に、収録日の週末かな、いつも海に行くんですけど、その時はね、なぜか森に行きたいなということで。
最近、森と川で遊んできたんですけど、やっぱり私自身、年を重ねることによって、昔はディズニーランドとか、都会に行ったりとか、飲みに行ったりっていうのが楽しかったんですけど、最近はですね、自然に触れることが私の楽しみになってきたんですけど、やっぱり、どうですか、吉村さんご自身は、年を重ねての好みの変化だったりってありますか。
吉村:それはすごい感じますね。
三上:ほうほう。
吉村:例えば、味の好みなんかはだいぶ変わったなって思いますし、例えば、子供の頃に好きで食べてた駄菓子とかね、やっぱり大人になって食べるとすごい大味で、これ大好きだったんだよなと思って食べてみたら、こんなの食べてたんだみたいな感じになることもあるし、逆に子供の頃食べられなかった、苦手だった食べ物とかが、今はすごくおいしく感じるようになったりっていう、この辺は、味を感じる感覚が、昔と比べてすごく繊細になったんだろうなって思うし、
都会が好きだったところから自然が好きになったっていうのは、これも少なからず僕も感じている部分があって、子供の頃とかはね、僕は川崎の工業地帯とか、駅の近くで盛り場が多いようなところで育ったから、大体遊ぶ場所ってゲームセンターだとか、そういう感じの雑踏みたいな中で遊ぶ場所を見つけて遊んでたみたいなところなんですよね。
一時期、小学校3、4年の時に父親と2人暮らしした時は、川崎の隣の横浜で、横浜っていうと海の近くのおしゃれな場所っていうイメージを持っている人多いと思うんですけど、実は結構山もあって、海から離れると途端にすごく田舎な感じになるんですよ。
山の中をちょっと切り開いて住宅地作りましたみたいなところに住んでたんで、そうすると子供たちがそのあたりで遊ぶところっていうと、やっぱり裏山とか沼とかそういうところでザリガニとったりとかね、カブトムシとったりみたいな遊びになるんですけど、結構子供の頃は川崎の都会で育って、それでいきなりそこに行ったら、そこに適応するのが難しかったっていうかね。
ゲームセンターとかもないし退屈だみたいなのもありましたけど、またそれで川崎に戻った時にはちょっとほっとしたみたいなところはあったんですけど、それは多分僕がそういうところで生まれ育ったからそっちの方が合ってたっていうのはあると思うんですけど、若い頃はやっぱり何でもかんでもいつも刺激を求めてたなっていう感じはありますよね。
三上:それが今となって満たされたんですかね。
吉村:だから刺激が欲しいっていう心理状態って、一つには新しい情報を取り入れたいって、結局人生の今までの積み重ねみたいなのがないから、いってみたら空っぽな状態なわけじゃないですか。そこに対して刺激を取り入れることで、要は新しいもので自分の中を満たしていくみたいな、そういうことをやろうとしてたんじゃないかなっていうふうに振り返ってみると感じるところはありますよね。
だから何でも知らないこと、新しいことに飛びついて、新しいことをやっていきたいみたいな、他のみんなが知らない何かを知っている自分になることでちょっと差をつけたいとか、そんなような意図でいろんな情報集めをしてたなとか、経験値稼ぎみたいなことをしてたなっていう感覚はありますよね。
三上:確かにそうですね。氣になるって思ったらそこに行ったりとかあったと思うんです。だいたいそれが満たされたからかなって今、話を聞きながら吉村さんの、私もそういうことなのかな、今自然に戻ってきてるのはっていうふうに。
吉村:だから結構そういう刺激的なものってだんだん慣れてきちゃうし、言ってみたら似たようなものがちょっとだけ姿形を変えてローテーションのようにやってきてるみたいなところもあるじゃないですか。
だからこれ新しいぞってわっとテレビとかで話題になるみたいなものが来たとしても、人生経験がある程度あると、でもこれって昔流行ったあれとあんま変わんないよねみたいな感じになってくるから、あんまり刺激に簡単に飛びつかなくなってきちゃったっていうのはあるんじゃないかなと思いますよね。
三上:確かにだいぶ落ち着きました私も。これね、そうねぐらいの。新しい新メニューとか今流行ってるご飯とか見ても、でも私こういう氣分じゃないなとかね。
吉村:だからどっちかっていうと、また多分より繊細なものとか、やっぱり刺激の先にある細かい情報、これが情報として捉えた場合、刺激って言ってみたら荒いっていうかね、波動みたいな捉え方すれば、大きくて鋭角な波動みたいなね。
すごい振れ幅が広い大きな波動は目立つから、そこの刺激を楽しんでいたんだけど、その辺の刺激がだいたいこんなもんだってわかってきたら、実はその大きな波動の奥にすごくきめの細かい波動が隠れてて、そっちに意識が向くようになったら、
こっちの方がより奥が深くて、広くて深い世界が実は広がってたみたいなね。雑踏の騒がしさの奥の奥にすごい耳を澄ましたら、実はすごくきれいな旋律の音楽が流れてて、それが最初は雑踏の大きな音だったりとか、そういう騒がしさでかき消されて氣がつかなかったんだけど、そっちの大きな音にばっかり意識が向いてたのが、
そこが耳を澄ませたら、実は全然その雑踏とは違った世界がその奥に広がってたことに氣がつくことができるようになったみたいな、そういうことが人間的な成長みたいなところと連動してるんじゃないかなっていう感覚はありますよね。
三上:うん、ありますね。若い頃は新しいデータとか情報とか欲しかったけど、一通り経験してみると自分が今必要と求めてるものというところでは、やっぱり食べ物も環境も人もだいぶ付き合い方、向き合い方変わってきたかなって思いますよね。
吉村:なんかやっぱりその若い頃って、今と比べるとなんかもっとなんかすごい必死だったんだなっていう感じがあって、たぶんこれっていってみたら、若い頃ってDNAが種を保存しなければいけないみたいな本能を持ってて、それにすごくなんか突き動かされて、なんかすごいこの生存競争みたいなのをやってたんだと思うんですよね。
だから、なんとかして異性にモテて、自分のDNAのコピーを残さなければいけないのであるみたいなのは、少なからずたぶんDNAからそういうメッセージって、僕たちは思春期の頃から受け取り始めてるんですよ。それをどのぐらい自覚してるかどうかっていうのはちょっと個人差はあると思うんですけど、
だから今思うと本当に、いかにして異性にモテるかみたいなことにだいぶ自分の時間とか、自分の脳の容量みたいなのをすごい使ってたなって思うんですよね。だから、みんなからすごい奴だって思われたいみたいな、だいたい、元をたどっていくと結局のところは異性に見えるからモテたいっていう話で、
それは性的嗜好みたいなので、人によってそこに差はあるから、場合によっては別に異性じゃないかもしれないけど、でもとはいえ、なんだかんだで、不特定多数からチヤホヤされたいみたいな、そんなようなのがすごく当時あったわけですよね。
三上:うん。
吉村:別にそういう時代があることを否定はしないですけどね。多分、それがあるからいろんな文化が生まれたりとか、新しい発明が生まれたりっていうのも、そういう本能に突き動かされた欲求みたいなものがあって、それを満たすために何をするかというようなことを僕たちが先祖代々繰り返してきたから、多分、いろんな文化的な発展とかもあったんだろうと思うんですけど、
ただ、結局それって一過性のものなわけじゃないですか、なんだかんだ言って。だから、そうするとその波が過ぎ去った後に、なんかあれって、自分そこまで今それ求めてないなみたいな感じになると、多分、求めてるものがだいぶ変わっちゃうんじゃないかなって。
僕は、それこそうちの娘たちが生まれて、いってみたら、一人の種としてのオスっていう個体から、いってみたら、お父さんっていう役割を持った人にそこでステップアップしたわけですよね。ステップアップって言い方が適切かわかんないんですけど、言ってみたら自分の役割が変化したわけですよ。
そうしたら、結構そこで自分が求めてるものとか、自分が思う自分のあるべき姿、やるべきことみたいなのが、だいぶガラッと変わってしまったんですよね。
三上:うん。
吉村:それこそ、僕が独り身だった頃って、半分やけくそみたいな生き方をしてたところがあるんで、本当にその頃、刺激を求めて、一か八かみたいな、例えば役者やってたときも、これで売れたら人生大逆転で、売れなかったら一人で野垂れ死ぬだけだから、別にいいだろうみたいな感じで生きてたんですけど、その生き方って守る相手ができるとできないじゃないですか。
三上:確かに。
吉村:僕がその辺で野垂れ死んじゃったら、うちの娘たちはどうなるんだみたいなことになったら、あれいかんな、こういう生き方じゃないな、僕が求めてるのはみたいな感じになったわけですよね。
だからそこはやっぱりすごく大きな変化っていうかね。だから、自分さえ良ければそれでいいみたいな考えから、だいぶ自分と家族みたいなところのつながり。で、家族にとっての安心・安全っていうのを考えたときに、やっぱりうちの家族だけ、世間から孤立して幸せでいるとかって無理だから、やっぱり世の中とのつながりみたいなことの延長線上で出てくると、
そうすると自分だけとか身近な人だけじゃなくて、本当に世界が平和でいるってことがすごく大事なんだなみたいなね。うちの娘たちだけじゃなくて、うちの娘たちが幸せに生きるためには、同世代の人たちが幸せであるってことはきっと大事だし、
それにうちの娘たちが今後結婚して子供を作ったりするかどうかっていうのは、今の時点ではわからないんですけど、でももしその先の世代とかが生まれてきたとしたら、別にそれは僕の家系上じゃなくて、世の中的に次の世代、その次の世代って生まれてきた時に、この人たちがちゃんと幸せでいられる世の中であってほしいなっていうような思いとかも出てくるようになったわけですよね。
この辺って多分若い頃の僕には全然なかった感覚だから、そうすると全然、自分が魅力を感じるとか、琴線に触れる情報とか波動っていうのは、やっぱり当時と今は全く変わってきましたよね。
三上:今日はですね、歳を重ねて好みの変化ということで、吉村さんのストーリーも段々大きくなっていったんですけど、今思ったのは、ぜひリスナーさんも含めて若い世代の方にも、こういう風に変化があるから楽しいんだよ、人生っていう。
そういう意味でも、今日はすごい聞いていただきたいなと思いました。ぜひリスナーの皆さんからの自分の変化だったりとか、あとはこういうのをテーマにしてほしいっていうご要望などもお待ちしております。素敵なお話、吉村さんありがとうございました。
吉村:ありがとうございました。
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