あなたの友達の定義とは?
吉村さんと友達の関係性についても伺いました。
感想、ご質問はこちらにお願いします!
https://forms.gle/HhW7cXuA345QYmDZ7
YouTube:
https://www.youtube.com/c/kokoro-me
Web:
https://m-e-science.com
==================
◆文字起こしはこちら↓
三上:皆さん、こんにちは。こころメンテナンス、本日もアシスタント三上恵と、氣功ヒーラーの
吉村:吉村竜児です。
三上:吉村さん、本日もよろしくお願いします。
吉村:よろしくお願いします。
三上:今日は、私のエピソードを皆さんにシェアして、吉村さんにもお話を聞いていただきたいなと思っています。
吉村さん:はい。
三上:というのも最近、友達とメッセージやり取りしてたら、1ヶ月くらい会ってないかな、お友達から。私たちって友達だよね、というメッセージが来たんですね。
その時に、私は正解が何かちょっとわからなかったんですけど、自分の氣持ち的に、なんか、ん?っていうモヤモヤが溢れてきてしまって、その日、彼女の誕生日だったんですけど、私氣づかなくて、何か彼女が求めてるなと感じたんですよ。
だから、友達の定義って私はみんな違うから、自分が友達って思えば友達だし、相手に求めるのは違うんじゃないかなと、個人的にはすごい思っちゃってその時に。で、その考えを、何が正しいなんて自分次第なんですけど、聞きたくて、どうなんだろうと思って、みんなそういうことあるのかなとか。
吉村:なるほどですね。でもね、友達の定義、友達ってなんだろうっていう話になると、なんか僕もあんまりよくわかってないところはあるかなと思うんですよ。なんかその定義が曖昧じゃないですか。
三上:そうですよね。吉村さんの逆に友達ってどういう方が友達なんですか。
吉村:いやー、僕の中では、その友達の定義って、まず一つには、なんかもう超ゆるい定義ですよね。なんかそういう、顔見知りで別に、顔見知りっていうレベルがあるじゃないですか。例えば、近所のすれ違ったら挨拶する人たち。
三上:はいはいはい。
吉村:あの人たちが友達かっていうと、多分ちょっと違うかなっていうような感じなんですけど、でもお互い名前を知ってて、それで会話が成立する人たちみたいなぐらいになったら、別に友達って言っても差し支えないんじゃないかなみたいなぐらいのゆるい定義がまず一つあるわけですよ。
ところで言うと、僕と三上さんもリアルではまだお会いしたことないですけど、でもこんなによく話してて、友達と言えなくもないかなっていう感じかなと僕は思ってるんですよね。
三上:そうですね。
吉村:でも、ってなると友達が無数にすごいいっぱいいるわけですよ。自分で何人いるかもよくわかんないぐらいにいっぱい、お互い名前を知ってて、会話が成立するみたいなね。そうなってくると、それよりも親密度みたいな話になると、どこで線引きしたらいいかわかんないじゃないですか。
月に何回か会ってたら友達とかいうような話、それも変な感じじゃないですか。
だから、どのぐらい会ってるかとか、どのぐらいお互いのことを知ってるかとか、数値で測りようがないような話になってくると、線引きのラインがわかんないんですよね。
そうなると、例えば子供時代にどういう人を友達と思ってただろうかみたいな感じだと、学校に行ってたから、学校でよく話をする子みたいな趣味が合って、会話が多い子が友達みたいなイメージですよね。
学生時代、少し歳が上がって学生とかになってくると、一緒に遊びに行く人とかね、会った時に電話する相手とか、クラスで同じ授業をとってる人で、課題やる時に情報交換したりする人も、友達と言えなくもないけど、別に卒業後、特に交流が続いてない人の方が大多数で。
三上:そうですね。
吉村:一応今、学生時代アメリカに留学してた頃の友達で、日本帰ってきてる友達とかもいるんで、そういう人たちとはLINEとかFacebookとかで連絡取り合ってて、たまに会ったりするんですけど、その人たちは友達だなっていうカテゴリーに入ってるんですけど、
でも、その人たちとそんなにしょっちゅう交流してるかっていうと、そうでもないんですよね。たまに、今度誰それが日本に戻ってくるみたいだから、ちょっと集まるとか、行く行くみたいな感じですよね。そうすると、滅多にそんなに話もしてないわけですよ。
だから、どっちかというと、昔親密で結構時間を長く過ごしてたことがある人みたいな人たちがそこのカテゴリーに入ってるんですね。
でも、これってその人たちと言ってみたら、仕事上の繋がりがあるわけでもないから、だから、その人たちをどういうカテゴリーに入れるかっていうときに、友達ぐらいしかあんまり形容する言葉がないから、友達って言ってるってとこもあるんですよね。
三上:確かに、くくりとしてね。
吉村:だから、仕事仲間だったら仕事仲間とかっていう風になるけど、仕事仲間じゃないけど、たまに連絡取ってるから、友達かなっていう感じになるわけですよね。
そうすると、どっちかっていうと、私たち友達だよねみたいな、食い気味に積極的に定義してるような感じじゃなくて、消去法的に他に適切なくくりがないから、友達カテゴリーに入ってるみたいな感じじゃないですか。
言ってみたら、彼らのためだったら他のことを投げ打ってでも、そちらを優先して、そっちの集まりに僕は参加するとかっていう感じでは全然ないんで、多分、この日どうとかって言われたときに、ごめん、その日ちょっと仕事入ってるわとかって言って、普通に仕事優先するような間柄なわけですよね。
三上:そうですね。
吉村:だから、そういう意味では、ちょっと友達ってなんだろうって言ったときに、そのぐらいの緩い定義になっちゃうわけですよ。だから、かなり友達を大事にしてる人たちみたいなのもいるじゃないですか。
三上:いますね。
吉村:そういう人たちが定義してるような友達みたいなところになったら、多分、僕そういう友達いないですよ、今。
必ず毎月1回はこのグループで必ずお茶会してますみたいな、そういう人たちも世の中にいるのはわかるんで、別にその人たちがどうこうっていうのはなくて、その人たちがそれで楽しければ、人生が豊かだったらそれで全然いいと思うんですけど、でも、そういう関係性の人が今の僕にいるかって言ったら、いないですよね。
三上:そうですよね。私も同じで、友達って今のステージによって違うじゃないですか、私はそう思ってて。昔はこの人のためだったら大変な思いでもいくっていう自分もいたんですけど、今の自分は自分が満足じゃないと相手にもできないっていうのが強いので、
同じく彼女のためにすごいエネルギーは注がれないかなって思っていて、なので、みんな友達が違うじゃないですか。
彼女がそれに対して求めてきたのが、うーんと思って、その時の返しも自分も友達だよねって言われて、一応連絡取ってるから友達ですよって返したんですけど。
吉村:そうですね。だから、多分それってその人は何かブロック発動してそういうふうになってるんだろうなっていうのは推測できますよね。何かそういう要求が強くなってるっていうのは、多分何か不満があるからっていうことじゃないですか。
三上:うん。
吉村:あとはその人の中で、友達だったらこのぐらいすべきであるっていうような、独自のルールというか定義があっての話だと思うんですけど、そこでまた、何だろうな、じゃあその人は自分が友達だって思ってる人の誕生日を全部覚えてて、
その度に連絡したりとか何か会を開いたりみたいなことをその人自身がやってるのか、それとも別に自分はやってないのに、自分に対してそれをすることを周りに要求してるだけなのかっていうのでも、だいぶその人の温度感って違う感じがするんですよね。
世の中にはめちゃめちゃ世話好きな人とかいて、すごいこまめに連絡くれる人とかもいるわけですよ。そういう人はそういう人で素晴らしい、何かその人ならではのそういう能力を発揮して、多分そういう人ってそういうまめな連絡をしたりとか何か会を開いたりすること自体が楽しくてやってるんだと思うんですよ。
だから僕の大学時代の留学生仲間の中にもそういう世話好きな友達がいるんで、彼がいろいろと今度ここで集まろうよとかってやってくれるから、それで僕も参加できるからすごいありがたい人なわけですよね。そこはそれでいいと思うんですよね。
だからそこが例えば自分が要求するだけになっている人だったとしたら、多分何かちょっと他に問題を抱えている人だと思いますね、その人はね。
三上:たぶんそうだろうなと思ったので、今後ちょっと。。。彼女がね誕生日に私にメッセージをくれたんですよ。多分私がそれがなかったから、私はしたのになんでないのっていうふうに思ったのかなって思ってて。
多分彼女の中ではそれが友達のルールじゃないですけど、きっと私はしたのになんでっていうのがあったんじゃないかなって思ってるんですよね。
吉村:そうすると多分ちょっとギブ&テイク的な感覚で、自分がこうやってやったんだからそっちもやるのが当たり前だろうっていう発想を持っているわけですよね。
それって多分本当に好きだからやってるっていうよりは、自分が欲しいから先に何かこうね、純粋に自分が楽しいからやってるんじゃなくて、自分が欲しいものを手に入れるために先に何か布石を打ってるみたいな話だから、
なんとなくその押し売りっぽい感覚ですよね。なんかこれを買うまで、あんたがこれ買うまで帰らないぞみたいな感じになってるわけじゃないですか。
だからそこって多分何かその人の中の恐れであったりとか、自分が大切にされていないっていう感覚だったりとかがあって、それを自分が周りから大切にされてないっていう感覚を持ってる人っていうのは無意識に本当は自分自身のことを大切にできてないんですよ。
三上:だと思います。
吉村:だからそれを周りに要求してるわけですよね。で、その人は自分がそうだから多分周りの人もみんなそうだろうと思ってるんで、
だからなんか私がこれを出したら向こうも返してくるに違いないっていう独自の世界観とかルールを構築して、頭の中で先に結果を決め打ちして何かコミュニケーションを取ってるんですよね。
だからそれに対してその通りじゃない答えが返ってくると何かイラっときちゃうみたいなことが多分起きてるんでしょうね。
三上:今後の付き合い方にも私も個人的に考えてて、友達であればちょっと遠回しじゃないけどあなたが求めてる友達と私が違うっていうのか、徐々にフェードアウトしていくのか、いろいろちょっと考えていかないといけないなって思いつつも、
ちょっとこういうことがあったということで、こういう状況ってどうなんだろうっていうことをちょっと吉村さんにも、そしてリスナーの皆さんにもこういう場合が多いのかなっていうのでちょっとご相談させていただきました。
吉村:だから、例えばクリアリングで何かそういう対応をしていくっていうことも可能だと思うんですよ。
その場合言ってみたら、その方をクリアリングするという労力をこちらが払うことになるから、そこまでやりたいような相手なのかっていうところにもなってくるわけですよ。
僕もねやっぱりそのお仕事としてクリアリングをしてるんで、そんなに無料でクリアリングをするっていうのは自分の家族だったりとか、あとは明らかにそのなんかこの人クリアリングしないと自分にとってマイナスだなって思うような相手だったら、別にお金もらわなくてもクリアリングするわけですね、
っていうのは結局それって周り巡り巡って自分のためなんで、だからそれは言ってみたら先ほど三上さんがおっしゃってたように自分がちゃんとしてるから周りの人たちにも貢献ができるっていうようなところにもなるんで、まず自分が主になるっていう、そこが大事だなと思うんですよね。
三上:うん。
吉村:多分その方は自分が主になるってことはできてないから、周りに要求するっていうような流れになっちゃってるんで、言ってみたらその方が自分がそういうふうになっちゃってるなって氣がついて、自分自身のことをクリアリングしていこうっていう流れになってくれたらいいんでしょうけど、
あとは周りでその人のことを大事にしてる人、例えば家族とか近しい人が、この人今ちょっと変な感じになってるからクリアリングしてあげたいなっていうふうになったときに、そういう人がクリアリングするっていう、
言ってみたらそういう選択肢を持ってれば、その方をクリアリングするっていうような可能性が開けてくるってことですかね。
三上:ありがとうございます。やっぱりね皆さんも、きっとリスナーの皆さんもいろんなお友達がいて、いろんな付き合い方があると思うんですけど、今日のちょっと私みたいな方がいらっしゃったら、ちょっと参考にしていただきたいと思います。
吉村:そうですね。
三上:はい、ということでお話聞いてくださって、吉村さん、そしてリスナーの皆さんありがとうございました。
吉村:ありがとうございました。
Podcast: Play in new window | Download