297.プレッシャー

周りの期待に応えることがプレッシャーになります。他人の期待に振り回されない方法は?の質問に吉村さんに伺いました。

 

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三上:皆さん、こんにちは。こころメンテナンス、本日もアシスタント三上恵と、氣功ヒーラーの

吉村:吉村竜児です。

三上:吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:今日もご質問がきておりますので、読み上げたいと思います。「周りの期待に答えることがプレッシャーになります。他人の期待に振り回されない方法はありますか?」

吉村:なるほどですね。

三上:なんとなくわかる。子供の頃そうだったかもって思いながら読んでました。

吉村:結構、これで行きづらさを感じている人たちは結構多いんじゃないかなっていう感じがしますよね。

三上:そうですね。だったな、私も。

吉村:でもね、プレッシャーになっているんだなという氣づきがあるから、こういう質問が出てくるというところだと思うんですよね。

 しかも、「他人の期待に振り回されない方法は?」という質問をされているということは、要は他人の期待に振り回されたくないと思っているから質問になるということなんです。そこに疑問を持たずに、本当はしんどいんだけど、期待に答えていきなければいけないのであると思って生きている状態よりは、そこに疑問を感じたというところで、すでに一歩前進されているんだろうなという感はありますよね。

三上:確かにそうですね。

吉村:そこでね、他人の期待に振り回されないようになりたいっていうのが、今回のご質問のゴール設定になるんじゃないかと思うんですけど。多分ね、だから期待に答えることはプレッシャーになっているけど、それを続けている状態っていうのが今の状態ってことだと思うんですよね。

三上:はい。

吉村:これね、なぜそれが起きているのかっていうのを考えた時に、結構濃厚なのが、多分この人自身が他人に期待をしてるんですよ。

三上:他人に期待をしてる。

吉村:そう。だから他人に期待をしてるから、人からの期待に対して敏感になっちゃってるんだと思うんですよね。人がいくら期待してても、全然氣にならない人も多分いるはずじゃないですか。だから別に人から期待されてても、私は私のペースでいきますからみたいな感じで、自分のペースでできてる人は、多分そこはプレッシャーにはならないんですよ。いくら人から期待されたところで。

 だから人から期待されてるかどうかってことじゃなくて、その期待されてることをどう受け取ってるかとか、あるいはその期待されてるって自分が思ってるかどうかとか、そういうようなところでこの人の行きづらさが生まれてると思うんですよね。

三上:ああ。

吉村:だから周りの人が僕にめちゃめちゃ期待してたとしても、僕がそのことに全く氣づいてなかったら、期待されてるっていう感じはしてないわけじゃないですか。僕にとってはプレッシャーになってないんですよね。

 周りの人が僕に対して期待してなくても、僕が勝手に、周りの人はきっと僕にこういうふうにするように期待してるはずだから、これを何とかやらないとみんなからの評価が下がってしまうって思ってたとしたら、そうしたら、周りの人が期待してないにもかかわらず、僕は勝手にプレッシャーを受けている状態になるんですよね。

三上:はい、そうですね。

吉村:だから、多分ここで質問が出てくる、他人の期待に振り回されてるぞ、自分はって思ってるってことは、本当に周りの人は期待してるかもしれないし、もしかしたら期待してないかもしれないけど、少なくともこの人が期待されてるって感じてるっていうところが、この人の生きづらさの原因なんですよね。

 だから、周りの人からの期待をどうすればいいかって話じゃなくて、自分の中の捉え方の問題なんですよ、実は。で、多分その人から期待されてるってこの人は感じてるってことは、その人自身も無意識に周りの人に期待してるんですよね。

 だから僕が頑張ってここで何か成果を生み出したら、周りの人はそのことで評価をしてくれるだろうけど、でも僕がそれがうまくやれなかった場合、周りの人たちからの評価が下がってしまうであろうと思ってるってことは、周りの人に僕のことを評価してほしいっていう期待をしてるんですよ。

三上:そうですね。

吉村:だから、そこを手放すべきなのは、周りの人に自分のことをどういうふうに思ってもらいたい。みたいな、こっちの期待ですよね。こう思われたいとかね、こう思われるのは嫌だとか。

 で、これって多分ブロックが発動してるために無意識に人に期待をするっていうことが起きてるというふうに仮定した場合、ブロックっていうのは基本的には何かを避けようとしてるんで、こう思われたいって思ってるように見えるんだけど、本当はこう思われるのは嫌だっていうのの裏返しで、ダメなやつだって思われたくないからできるやつだって思われようとしてるみたいな。

三上:ああ、はいはいはい。

吉村:そういう話なんですよね。

三上:うーん、ああそうか、そうですよね。なるほど。

吉村:で、このダメなやつだとかできるやつかみたいな話って、これジャッジなんですよ。

三上:うーん。

吉村:だから周りの人からダメなやつだっていうふうに、ジャッジされるのが怖いから一生懸命頑張って、できるやつである自分でいようとしてるっていうことなんだと思うんですけど、でも人からジャッジされることを恐れているってことは、おそらくその人も周りの人をジャッジしてるんですよね、どっかで。

三上:うんうんうんうん。うーん、そうですね。

吉村:だから、本当は先に取り扱った方がいいのはそっちの方なんですね。自分がその周りの人をジャッジしてるっていう場面に氣づいて、それもだから無意識にやっちゃってるから、たぶん全然自分がジャッジしてるっていう自覚もなくジャッジしてるんだと思うんですよ。

 なんかこういう人は嫌いだとかね、これこれこういうことする人は許せないとかっていうのがたぶんいろいろあると思うんですよ。

 なんか歩き煙草する人は最低だとか、別に歩き煙草がいいって話をしてるわけでは全然ないんですけど、でも歩き煙草する人は最低だっていうジャッジをしてるから、だからたぶんそのジャッジが何かしらの形で自分に返ってきちゃうんで、それでなんかこうね、自分はちゃんとした人でなきゃいけないみたいなね。

 だからこのプレッシャーってなんか人の期待によって自分にプレッシャーがかかってると思ってるんだけど、そうじゃなくて自分で自分にプレッシャーかけてるんですよ。

三上:ああ。

吉村:想像上の期待に対して応えられる自分でなきゃいけないっていう。だからこういう頭の中で、無意識の中でこういうやつはダメだ、こういうのは最低だとか、こういうやつは許せないとかって言ってるの。

 そういう無意識の声があって、自分がそういうふうにしないと周りからきっとなんか総スカンを食らうであろうっていうような、勝手に想像が働いて一生懸命なんか自分にプレッシャーがかかってて、それを周りからの期待に応えなきゃいけないのであるっていうふうに捉えてるっていうことだと思うんで、

 まず自分自身が周りの人たちを許していくっていうことをしたほうがいいんじゃないかなとっていう感じがしますよね。

三上:受け入れる、許していく。

吉村:だからなんていうのかな。例えば、無知であることとかバカであることっていうのを結構みんなすごい悪いことって捉えがちじゃないですか、「こんなこともわかんないのか」みたいな感じだけど、無知だからやっちゃったってことに関しては、教えてあげればちゃんとできるようになる可能性ってあるわけじゃないですか。

 これやっちゃいけないってことを知らなかったからやっちゃいましたってことだったら、ここはこういうふうにやるんですよって教えてあげるみたいなね。で、あとは何かそれが正しくないことを正しいと思い込んじゃってるとかっていう場合は、思い込みを変えていくってなると、もうちょっと手間がかかることだけど、

 でもそれにしても結局その人が邪悪な存在なんじゃなくて、それが正しいってその人思い込んじゃってるから、その人の世界の中では正しいことをやろうとした結果が、周りの人から見たらちょっと眉をひそめられるようなことになってるみたいな話だったりするわけですよね。だから、そこって別に「悪」っていうよりは「間違い」なんですよね、ただの。

 間違いを許すかどうかみたいな話なんですよ。だって全てにおいて絶対に間違いない人なんていないわけですよ。どんなにしっかりやっててもミスが起きるっていうことは、歴史を通して僕たちはわかってるわけじゃないですか。

三上:人間はね。

吉村:だから駅員さんとかも毎回指差し確認とか声出して、なんとかよし、なんとかよしってやるのは、ミスが起きるって分かってるから、そこでミスを最低限にするためにどうするかっていうのをやってるわけですよね。もう完全にミスを起こさない人がいたら、別に指差し確認する必要もないわけじゃないですか。

三上:ロボットでいいですよね。

吉村:だから人間というのは、ミスをするから人間みたいなところがあると思ってるんで、ってことは自分がミスをすることがあり得る人間って思ってるんだったら、周りの人たちもそういうものだって思って考えた場合、ミスがあってもしょうがないよねみたいな、次氣をつけようよとか、じゃあお互いサポートし合って、このミスをどう減らしていくかってことを一緒に取り組んでいこうよっていう、そういう姿勢でいくのが本当の人間らしさだと僕は思うんでね。

 だからそこを許すっていうことは、自分自身を許すっていうことと、他者を許すっていうことは表裏一体なんですよね。どっちかだけをやろうとしたら多分うまくいかないんですよ。なんかおかしなことになるんですよね。誰のことも許さないで完璧を目指そうってこれもうまくいかないし。

三上:いかないですね。

吉村:だから自分のことも他者のことも許しつつ、じゃあそこからどうお互いにより良い状態に持っていけるだろうかっていうことを協力し合ってやっていくっていうのが、人としての自然な在り方じゃないかなと思うんですよね。

三上:ありがとうございます。今お話聞きながら、私も振り返りながら、許してるかなとかね、考えてましたけど、そうですね。私も昔はすごいジャッジをしてました。白か黒か。今はすごい、グレーはグレーでいいかなって思ってます。受け入れること、許していくことも大切ですね、ということで今日はまた質問を取り上げて吉村さんからお話伺いました。本日も吉村さんありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。