その相手は前世で何か関わりがあったのか?
分かり合える特定の人について吉村さんに私の疑問に答えて頂きました。
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三上:皆さん、こんにちは。こころメンテナンス、本日もアシスタント三上恵と、氣功ヒーラーの
吉村:吉村竜児です。
三上:吉村さん、本日もよろしくお願いします。
吉村:よろしくお願いします。
三上:今日は、今回も私のエピソードと言っていいんでしょうか。例えば、何も言葉を発しなくても、相手をなんとなく感じ取っている場面って、みなさんもあるのかな。私は特定の人に限ってあったりするんですね。だいたいこういう感じなのかな、お互い同じ考えで意気投合するっていうのがあるんですけど、以心伝心ですよね。どういう意味があるのかなとか、前世で何かあったのかなとかって勝手に考えたりするんですけど、何が起きているのか教えてほしい。
吉村:はい、そうですね。結構、そういうのがあった時に、前世からの何か関係があるのかなみたいな捉え方になる人っていうのは結構いらっしゃるかなと思うんですけど、僕の見解はお話しすると、あんまりそんなに夢のあるロマンチックな話には聞こえなくなっちゃうかなっていうのがあるんですけど。
三上:大丈夫です。覚悟は決めてます。(笑)
吉村:まず、前世で何か関係がある可能性っていうのは別にあるっちゃあると思うんですよっていうのは、僕たちの魂ってすべからくみんな輪廻転生を繰り返しているわけですよね。多分その中では魂同士で縁が深い人たちっていうのは結構たくさんの人生を共に過ごしていると思うんですね。そういう意味では、一つの捉え方としては、同じ劇団に所属している人たちがいろんな演目をやっていくわけじゃないですか。それに近い話かなと僕は思っているんですよ。
三上:なるほどね。同じ、例えばお母さんと親子だったり、どっかの友達だったり。
吉村:そんな感じで、各演目ごとに配役はいろいろ変わるけど、同じ劇団の仲間だからちょくちょく同じ作品によく共演してますよみたいなね、そういうご縁の人たちはいると思うんですよ。だからそういう意味では別に以心伝心な人たちとそうじゃない人たちって、どっちも同じ劇団の役者さんたちである可能性はあると思うんで。以心伝心だから過去世で何か関係があったってことじゃなくて、別にそうじゃない人も多分たくさんの人生で関わりのあった人たちじゃないかなと僕は思ってるんですね。
三上:なるほどね。
吉村:じゃあなぜここで以心伝心みたいなことが起きるのかっていうような話なんですけど、もう一つ出てくる話が、じゃあそもそも以心伝心って絶対に特別な相手とでなきゃ起きないことなのかって言ったら、それも何とも言えないんですよね。その昔のオーストラリアの先住民のアボリジニの人たちって、すごい遠く離れたところでもテレパシーみたいなので交信ができたみたいな話があるんですよ。だからそもそも人間ってそういう能力持ってる可能性が高いんですよね。
三上:なるほどね。だんだん今はちょっと変わってきて。
吉村:だから長年そういうのを使わない文明を築いてきて、それを使わずに生きてきちゃったから、僕たちが。それこそ先祖代々、何千年何万年ぐらいのスパンでそれを使わないで生活してきてる可能性もあるし、わかんないですけどここ数千年の話なのかもしれないですけど、でも何にしてもそういうものは存在しないっていう体で生活して、それを使わずに生きてたら多分退化するわけですよ。だから退化しちゃってるから使えなくなってるだけで、そもそもそういう能力があると思うんですね。
三上:はいはい。
吉村:実際虫の知らせとかって話とかあるじゃないですか。僕も全然小さい頃から霊感とかは全然なかったんですけど、でもなぜか親戚のお姉さんが亡くなったときに、全然そういう連絡とか来る前に、お姉さんが僕の夢の中に出てきたんですよね。何年も会ってない人だったから、なんで今頃になってそんな夢見たんだろうって思ったら、ちょうどそのぐらいの時期に病気でお亡くなりになられてたんですよね。
それに近い話っていうのは、親族が亡くなったときとかに、理由がわからないけどちょっと電話してみようと思って、家に電話したら、おじいさんが実は亡くなってたとかっていうようなことがあったりとかっていうのは、繋がってるからそういう情報が来て、それに対して行動を起こしたりイメージできたりっていうことがあったんだと思うんですよね。
そんなような能力はそもそも持ってるっていう話がまず一つあるのと、その中で三上さんが特定の人とはすごく以心伝心というか、だいたい自分がこういうふうに考えたときに、向こうも同じようなことを考えてて意気投合をしましたっていう話。それはたぶん、そもそも持ってた通信する能力っていうのが、部分的にお互い開いてたから通信できてたっていうのが一つあると思うんですけど。
もう一つ考えられるのは、バリューフォーミュラに関する話で、これはこちらの配信でも今までに何度かお話ししてますけど、僕のエネルギーワークの考えの独自の理論の一つなんで、他ではあまり話されてない内容だと思うんですけど、人の魂って、それぞれその人の魂にとって重要な価値観みたいなものをみんな持ってるわけですよ。何に価値を感じるかっていうところが、それぞれ5つあるから、それが人によって同じものに価値を感じてる人たちっていうのがいるわけですよ。
三上:うん。
吉村:その辺は詳しくはまた過去の配信でバリューフォーミュラについてお話ししてる回聞いていただくと、詳しい話があって聞いていただけると思うんですけど。とにかく価値観が同じ人、同じ事柄に対して価値が高い人同士だと、そのことに関しては基本的には、そもそも同じ考えを持ってるわけですよ。
三上:あ~!
吉村:だからタイミングとかの話じゃなくて、そもそもからして普段から同じようなことを考えてるんですね。
三上:日々の中でね。
吉村:そうなると意気投合するのは当たり前っちゃ当たり前なんですよ。細かい説明しなくても、そのことについてすごく重要だと思ってるっていうところでは、もうお互い分かりきってることだから、言わなくても分かっちゃうわけですよね。
例えば僕のバリューフォーミュラ、5つあるバリューフォーミュラの中に、対等っていうのがあるんですよ。だから上下関係とかじゃなくて、誰とでも対等でいるっていうことを好むわけですよ。対等であることに対する価値が高いんですよ。これは多分対等っていう価値を持ってる人たちっていうのは、世の中には、別に大多数ではないけど一定数いるはずなんですね。
三上:はい。
吉村:そうすると、その人たちは多分上下関係が厳しいところでは、居心地が悪い可能性が高いんですよ。僕なんか完全そうなんですね。だから、体育会系みたいな感じで、先輩後輩とかでも関係性がもう絶対的になってるとか、ああいうのは耐えられないんですね。
別にそれが悪いとかっていう話じゃないんですよ。別にそれがうまく機能する組織とかもあるわけだし、例えば軍隊とか警察組織とかでみんな対等だったら多分統率とれないんですよね。
だから、そこで縦で上下関係があるっていうことは、その組織を機能させるのには、すごく重要な役割を占めてるんですけど、ただ、僕がそこに入っていったら、多分僕はストレスで何か、すぐ具合が悪くなるでしょうし、多分パフォーマンスがあまり発揮できない。何か例えば上司からお前これやれって言われたときに、何でですか?ちょっと言っちゃうわけですよ。(笑)
自分が納得できればやるんですけど、上司から言われたから、一切疑問を呈せずにそれを実行するみたいなことは僕にはできないんですよね。
三上:うーん。
吉村:そうすると要はそういうタイプの場所には僕向いてないんですけど、でもそういうところに溶け込めない人たちって一定数いるじゃないですか。
三上:いますね。
吉村:そういう人たち同士だと結局、別にそんないろいろと言わなくて、もう大体何に対してどう感じるかとか、何に対して不満を感じるかって大体一緒なんですよ。そうするとその人たちとあんまり多く言葉を交わさなくても、「ああいうの嫌だよね」って言ったら「分かる分かる~」とかってなるし、「こういう感じがいいよね」って言ったら「分かる分かる~」ってなるんですよ。
三上:そうですね。確かにそれが合わなかったら何言ってるのって話の場合もあるけど、はまったらそうですもんね。
吉村:そうなんですよ。だから多分五つあるバリューフォーミュラの中で1個か2個かぶってるものがあるんだと思うんですよね。今の三上さんのお話に出てきた人っていうのは。多分その人と何の話をしたときに特にすごい分かる分かるってなるかっていうところを、ちょっと書き出してみて分析したら、おそらく共通してる価値観って何かっていうのが見えてくると、お二人はどこのバリューフォーミュラを共有してるのかっていうのは多分分かると思うんですよ。
三上:収録後に全部終わったらちょっと書き出したいと思います。楽しみ。
吉村:そうですね。例えば、あと僕対等のほかに本質っていうバリューフォーミュラ持ってるんですけど、これも世の中的に大多数ではないけど、本質ってバリューフォーミュラ持ってる人は結構いるわけですよ。
三上:本質ってどういった感じなんですか。
吉村:物事の表面的な見え方よりも本質的なこととか、抽象度を上げるとこれってどういう話なんだろうねとか、本当の原因は何だろうねとか、そういうようなところに目が行く人なんですよ。本当の価値は何なのかとか。
三上:表面だけじゃなくてね。
吉村:表面だけじゃなくてそうするとそ、それと対照的なバリューフォーミュラとしては、洗練性っていうのがあるんですよ。洗練性っていうのは本質的にどうかっていうことだけじゃなくて、どっちかっていうと、それが見た目もいいかどうかとか、そっちのほうに結構重要度が強い、高い。
これって別にお互いを否定し合うものでは決して本当はないんですよ。例えば、本質が大事だからって 見た目はいらないのかって言ったら、そんなわけでもないし、どっちかっていうと見た目とか見え方が大事だって言ってるってことは、本質はいらないって言ってるわけでもないんですけど、ただどっちのほうがその人にとって重要度が高いかっていうところが、バリューフォーミュラなんですけど。
でも結構バリューフォーミュラは影ができるっていう特性があって、本質っていうバリューフォーミュラを持ってる人は、本質が大事にされてないとか、本質的じゃないってことに対して否定的になりやすいし、洗練性っていうバリューフォーミュラを持ってる人は洗練されてないとか、見た目が悪いってことに対してネガティブな、こういうの嫌だよねってなりやすいんですよ。
三上:うん。
吉村:だからどっちも良ければ、見た目もいいし実も伴ってるってなってたら、多分どっちからも文句は出ないんですけど、でも結局本質のほうにすごいこだわってたら、多分そこの見え方の部分は手が回らなくて、ちょっと後回しになっちゃう可能性があるし、見た目のほうをすごく重視してたら、本質のほうに手が回らなくてそっちがちょっと後回しになっちゃう可能性が出てくるわけじゃないですか。そうなったときに、お互いにお前のそれはダメだろっていうふうになりやすいんですよ。
三上:なるほど。これでちょっと喧嘩したりしちゃいますね。
吉村:僕服選ぶときなんて、機能性とか着心地とかばっかり考えちゃうから、見た目のことはあんまり氣にしないで、要は楽な服のほうがいいじゃん、動きやすい服のほうがいいじゃんみたいな感じになるんで、いつも同じような格好になっちゃうんですね。
でも多分洗練性のバリューフォーミュラの人は、もっと見た目に氣を使わないとダメだよみたいな、そんな格好で歩いてたら会う人に失礼じゃないみたいな感じになるわけですよね。そういう人を見て洗練性ない人からすると、表面的なことばっかり言っててこの人は中身がないわ、みたいな感じに感じちゃったりするんですよ。だからそこら辺が僕たちの日ごろの世の中の大多数 の人とはどうも分かり合えないんだけど、この人とはすごい分かり合えるっていうのは、要は価値観が一緒な人たちっていうのが一定数いるわけですよね。
三上:ありがとうございます。今日は皆さん、以心伝心の話からすごい分かりやすかったです。なるほど。それで意気投合するんだなっていうのがすごい理解できました。ありがとうございます。早速どういったところがバリューフォーミュラ一緒なのか、後で書き出したいと思います。吉村さん、今日もありがとうございました。
吉村:ありがとうございました
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