173.置き換えて説明するには

ハンドルネーム ゴーシュさんからのメッセージを取り上げて、吉村さんからお話伺いました。

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三上:はい、みなさん、いかがお過ごしでしょうか。こころメンテナンス。本日もアシスタント三上恵と、氣功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい、今日もお便りが来ているのでメッセージを読み上げていきたいと思います。ハンドルネーム、ゴーシュさんから来ております。

「第162回目の、脳をだますことについて質問したゴーシュです。

脳と自分の関係を自分と友達の人間関係に置き換えることで、すんなり理解ができ合点がいきました。あまりにもわかりやすいので、どうして自分では思いつかなかったんだろうと思ったほどです。

吉村先生は説明をされるとき、置き換えて説明をすることがよくあると思うのですが、その置き換えるのはどうすれば思いつくのでしょう。なんでも置き換えて考えられるものではなく、今回のように脳の働きと人間関係を理解し、その共通点がわからないと置き換えられないですよね。

質問や疑問を持ったとき、自分でも置き換えて考えられることで、ずっと悩まずに済むのかなと思いました。自分でも変な質問だと思うので、感想としてお送りします」

と来ています。

吉村:はい。ありがとうございます。たしかに僕は、たとえがわかりやすいとかって言っていただくことがすごく多いんですけど、じゃあ、それをどうやってやっているのかって、あんまり自分で意識したことがないので、どういうふうにやれば誰でもできるようになるのかっていう部分が、うまくお伝えできるのか、なんとも言えないところはあるんですけど。

やっぱり大事なこととしては、今話している話題の中の「何が本質なんだろうか」みたいなところとか、相手に伝えなきゃいけないことが、どの部分でどこが伝わりにくいのかなというところをとらえて、

そうすると今この話って「要約するとこういうことだよな」みたいなのがわかると、じゃあそれと同じ構造が、もう少し身近なものの中にあるだろうかというのを考えて、そこでピックアップして、例えばこういうふうに考えた場合こうですよね、というようなことをやってるんじゃないかなと、自分の頭の中のプロセスをこうね、あの、

三上:組み立てて。

吉村:はい、今ちょっとね、お話してみたんですけど。実際にそれがあんまりこちらは意識しないで、無意識のうちにやってしまっているところがあるので。

ゴーシュさんご自身が書かれている、両方の共通点を理解するみたいな話というところが、まさにそういう話なんだと思うんですけど、それって両方の構造とか本質を理解するという必要があるんだろうなと思うんですよね。だからあとは練習をして場数を踏んでいくことで、段々できるようになることなのかもしれないですよね。

三上:きいてもいいですか。以前からこういうふうに説明できたわけではないですかね。どうなんだろう。ははは。若い頃とかも、

吉村:そうですね。若い頃、うーん。ここまで深く物事を考えて、それを人に説明しなければいけないみたいな場面が、若い頃は多分そんなにないんですよ。若い子同士で話している時なんてノリで話していたりとか。

三上:たしかに。

吉村:そのときに流行っているフレーズで話して、それでとりあえずみんながワハハと笑えばOKみたいな、そういう浅い会話しかしていなかったので、これが結構深い内容のことをじっくり考えて、それをしかも自分のなかで納得するだけではなくて、人に伝えなきゃいけないみたいなことになったときに、例えで話せばいいのかなみたいなことに気がついたんですよね。

うん、で、あれだなあ、なんとなく思い出してきたな。僕高校生の頃にアメリカのキリスト教系の私立の高校に通っていたんですよ。

三上:何回か話題に出てきていますよね。

吉村:はいはい。そうすると、聖書の時間の勉強みたいなのがやっぱりあって、イエス・キリストが神様の考えみたいなものをみんなに伝えてまわるみたいなことをしていた頃の話とかで、

イエスは、聴衆の人たち、大勢人が集まっている所で、天の国はこういうふうになっているんですとか、わたしたちはこういう在り方で生きていくのがいいんですよ、みたいなお話をするときに、例え話をかなりしてたんですよ。

その時代の聴いている方達にとっては、常識から少しはずれている内容だったわけですね。その神様はこういうふうに言っていますよみたいな内容というのは。だからそこの部分を説明するときに、かなり例えで話す部分が多くて、

でその時にその聖書の時間のイエス・キリストの生涯、新約聖書というね、聖書の中の旧約聖書・新約聖書というのがあって、新約聖書のほうがイエスの生涯について書かれている部分が多いほうの部分なんですけど、そのなかで結構そういうくだりが出てくるのと、

あとは、アメリカってキリスト教文化みたいなのがね、根強くあるから、ハリウッド映画でもキリスト教を題材にしたものがあるんですよ。

三上:うん。ありますね。

吉村:あ、あれだなあ。題名ははっきりとは忘れちゃったんですけど、イエスの生涯を映画化した作品があって、それがあまりにもイエスを人間臭く描いているので、かなり宗教家の人たちからはすごいバッシングにあってしまった作品だったんですけど。

三上:はいはい。

吉村:僕は結構その作品が好きで。観た時にもやはり、イエスは瞑想して神から啓示をもらうんですけど、それをどう人に伝えていくかというときに、どう伝えるかにちょっと悩むんですけど、そのときにちょっと考え事をしてから、あ、そうだみたいな感じでふっと思い浮かんで、わたしは神からの使いみたいなものでとか、なんかいろいろと、この状況を例え話で置き換えて説明をしだすんですね。

そうするときいている人たちが結構、ああそうかみたいな感じになっていくので、たぶんね、その場面の印象が強かったので、

なにか人に説明しなきゃいけないんだけど、前提となる条件とか予備知識が全くない人たちにそれをどう伝えるかというときに、例え話でその人たちにとって身近なことに置き換えて話をすると伝わりやすいんだなというのを、そのとき学習したんだと思いますね。

三上:うーん。

吉村:そこからちょっとわからないことがあったら、例え話にして話すということを結構やっていたから、練習になっていたんじゃないかなと思いますね。

三上:なるほど今お話きいて、わたしも練習していこうかなと思います。へへへ。わかってはいるけど、その人の目線に立って伝えるという、変換していくというのを、頭で考えちゃうとううーっとなりますけど、自然と吉村さんのようにいつかわたしもいつかこうやって説明できたらいいなって、きっとゴーシュさんのようにわたしも思います。

吉村:はははは。はい、是非是非。たぶん練習すれば段々できるようになるんじゃないかなと思いますよ。

三上:はい、ゴーシュさん一緒に練習しましょう。ふふふ。

吉村:はははは。

三上:ねー。でもやっぱりこれ、いろいろなときにでも使えそうですものね。子どもに教えたりとか、たとえば営業するときとか。人に会って説明して道案内するときなんかのタイミングとかでも、いろんな場面で使えそうですから。

是非、ゴーシュさんもお話きいて、ちょっと一緒に勉強していただいて。こういった知識も増やしていきたいと思います。やっぱり吉村さんからきくと、実際にされている経緯とかもわかるので、すごいわたしたちは勉強になりますよ。

吉村:ありがとうございます。

三上:いつもありがとうございます、こちらこそ。ということでこの時間はゴーシュさんからのお便りを読み上げて、吉村さんからお話うかがいました。吉村さん、本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。