106.現実ってなに

現実とはどういった事なのか?
吉村さんからお話伺いました。

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三上:はい、みなさん、こんにちは。こころメンテナンス。本日もアシスタント三上恵と、気功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい。前回は、「同調圧力」というテーマで、お話いろいろ伺って、今日は、「現実って、何」ということで、気になる話題をそのままね、吉村さんに、いろいろきいていこうと思うんですが、今ある、この状況、「現実って、何」、ということですかね。

吉村:うーん。「同調圧力」の回でお話したことは、その、同調圧力が起きるのっていうのは、結局、現実をちゃんとみていなくて、みんなに、ただ合わせるということをやっているから、そういうことが起きちゃうんだよという話で、前回はね、この辺は、そんなに詳しくは話さなかったんですけど、日本人にそれが多いのって、言ってみたら、日本人は、和を大切にしましょう、というような思想が、昔から、刷り込まれているので、その部分に関しては、決して悪いことではないと思うんですけど、ただ、じゃあ、和を乱しちゃ駄目だよね、というところが進みすぎると、ひとと違う意見を言ったりとか、意見を持つこと自体もよくないこと、みたいな発想が生まれちゃって、みんなが、同調圧力に流されていく、構図ができているわけですよね。それに対して、どうすれば、同調圧力に流されないか、というところでは、現実をみたほうがいいということをお話させていただいたんで、じゃあ、果たして、現実とは何ぞや、ということも、きちっとお話していったほうがいいかなというところで、今日のテーマとさせていただいたわけなんですね。

三上:うーん。なるほどですね。そうなんですよね。日本人って、特に、みんなと同じ、だから、わたし、昔から、前ならえをちゃんとするじゃないですか、体育のときとか。ちゃんと、同じ、前、ぴしっとやるじゃないですか。気持ち的には、ほんとは、ちょっと、ななめにいきたいんですよ。昔から、ちょっと、おかしい。型にはまりたくなくて。たとえば、みんな、これで来てねという、衣装はこれね、っていうんですけど、少し、ちょっと加えたいというか。

吉村:あー、なるほどね。

三上:そっちのタイプだったので、たぶん、同調圧力にはまりたくなかったタイプだったんだろうな、昔から。振り返って、思うんですけど。

吉村:あー、なるほどですね。結構、そういうひとは、出る杭は打たれる、みたいな感じで、かなり、叩かれて、知らないうちに、叩かれすぎて、頭が加工されちゃうみたいなことが起きたりするわけですよね。結構ね、僕、15から、11年間、アメリカで暮らしたんですけど、アメリカだと、そういう、ひととちょっと変わっているところは、個性として、とか、見てもらえて、個性は伸ばすべきだ、みたいな、発想があるんで、ちょっとひとと違う意見とかあると、面白いな、それ、みたいな感じになったんですよね。だいぶ、そこって、日本とは、真逆な、文化のなかで暮らすことができたので、両方をみれたというのは、言ってみたら、両方を俯瞰して、客観的にとらえる、みたいなことができるようになったんで、すごい、いい経験ができたなと思っているんですけど。

三上:うんうんうん。

吉村:じゃあ、その、現実をみたほうがいい、という話で、ここで言っている、現実というのは、自分の頭のなかだけで、起きていることだけじゃなくて、他の何かの基準と照らし合わせて、同じ結論が出るとか、同じ結果になるとか、再現性があるものに対して、現実と言っているわけですよ。だから、たとえば、統計とって、数値で表せるみたいな話とかというのを指して、現実というふうに、今、便宜上、言っていると思ってもらえたらと思います。たとえば、まちなかで、ひとが集まっているところで、写真を撮りました、と。同じ日付です、と。それで、日本のまちなかでは、みんな、マスク着けています。イギリスのまちなかでは、マスク着けているひとはいませんでした。となって、これ、同じ日に、撮られた写真だとなれば、じゃあ、まちなかで、マスクを着けているひとの割合というのは、これだけ違うよね、ということが、比べてわかるわけですよ。

三上:うんうんうん。

吉村:これは、今はわかんないけど、写真で比べてるという、ざっくりした感じだけど、写真に写っている人数とか、全部数えれば、明らかに、そのパーセンテージとか、出るわけじゃないですか。そうすると、こっちでは、マスク着けているひと、99%のところを、こっちは、マスク着けているひと、1%以下でした、みたいなのがわかれば、現実、違うことが起きているなというのがわかるわけですよね。

三上:うーん。

吉村:なにか、数値化できるとか、再現性があるというようなものに対して、現実というふうに、今は言っています。じゃあ、それが果たして、ほんとうに、現実のすべてを表しているか、数値化できるものしか、現実はないのか、とか、あるいは、全ての現実は、全て数値化できるのか、というような議論になっていったときに、昔のひとが考えていた現実とは、というところと、現代の、量子力学とかが、研究されるようになってきた、現代での、量子力学的にとらえた現実とは、というところは、実は、ちょっと、ずれというか、認識が少し広がりつつあるわけですね。

三上:次元も違ったりね。

吉村:うんうんうん。そうなんですよね。だから、それが、みて、わかるか、みたいな話が、目に見えてわかるかという、数値化というのは、大体そういうことじゃないですか。たとえば、定規を添えて測ったら、何センチというのが出るから、それで、これとこれ、比べたら、こっちのほうが大きよね、とか、Aさんと、Bさんの身長を比べたら、Bさんのほうが、背が高いね、みたいなことが、わかるという話なんですけど。

三上:うーん。

吉村:だから、それって、多くのひとが、同じことを認識できるよね、ということなんですよね。なので、たとえばね、何か、生れつきか、事故かで、目がみえなくなっちゃったひとがいるとするじゃないですか。

三上:はい。

吉村:見えるひとからしたら、「見れば、わかるでしょ」って、定規の目盛りに書いてある数字を読めば、明らかに、このひとと、このひと、身長が、違うことがわかりますよね、と言っても、目が見えないひとからしたら、その定規の目盛りとか、見えないわけですよね。そもそも、見れないので、見てわかるというのは、ここでは、通用しませんという話になっちゃうわけですよ。もちろん、そのひとも、手探りで、触ってみれば、こっちのひとのほうが、背が高いなって、わかるわけですけど、それって、また違う感覚器官を使って、情報を得ているわけですよね。だから、僕たちの肉体って、五感といって、視覚、聴覚、それから、手触り、皮膚感覚と、あと、味において、五感ってありますけど、それって、別々の感覚器官から、それぞれ情報を得ることができるわけですよね。これって、たとえば、花が見えます、と。視覚的に花があるのが見えます。フラワーですね。というのは、あるけど、目には見えているんだけど、触ることはできないとか、何の匂いもしてこないとなったら、これって、ほんとの花じゃなくて、写真とか、映像なのかな、とか、もしかしたら、立体的に見えているけど、手をこう、触ろうとしたら、すり抜けちゃった、これって、ホログラムの映像なのかな、とかって、いうのは、結局、目に見えて、ここに花があります。触ったら、花の感触がしました。匂いかいだら、花の香りがしました。となったときに、これって、現実の花なんだ、というのがわかるのっていうのは、結局、別々の感覚から、同じ花に対して情報を捉えるということをしたときに、それぞれが、「ここに、花があります」ということを裏付けるような情報が、3つ別々の感覚から来ているからですよね。

三上:うーん。

吉村:ものがあったときに、触れるとか、叩いたら音がするとか、といったら、触覚と聴覚からも、ここにものがある、ということを裏付ける情報が得られたから、これ、現実なんだって、なるわけですよ。

三上:うーん。わかりやすい。ていうことであれば、わたしたちが、現実を捉えるときに、ひとつの情報じゃなくて、いろんなものを、自分でみて、いろんなものを客観視して、これだというのが、現実となるということですか。

吉村:そういうことですよね。たとえば、ひとりのひとが、「こうだ」って、すごい主張していたとしても、それをね、他の人達は、なんて言っているのか、みたいなことも、きいてみないと、そのひとの主張が、ほんとに、現実をとらえているのか、わからないわけですよね。たとえば、統合失調症のひととかっていうのは、現実と妄想の区別がつかなくなっちゃう、そういう病気の症状が出ちゃうわけですけど、そうすると、そのひとは、テレビをみると、テレビの画面に映っているひとが、自分の悪口を言ってくる、みたいなことを言ったりするわけですよ。

三上:うーん。

吉村:統合失調症のひとのなかの、妄想のなかで、よくある、あるあるな、ひとつではあると思うんですけど、そうすると、それって、そのひとは、ほんとに、テレビに映っているニュースキャスターが、わたしの悪口をニュースで流しているというふうに思っちゃっているんだけど、でも、たぶん、同じ番組を、隣にいる別のひとが、みたときに、「いや、そんなこと、言ってないよ」ってなるわけですよね。

三上:うーん。

吉村:だけど、そうすると、ここで、合意ができていないから、これは現実でない可能性があるぞという話になってくるわけですよね。

三上:うーん。うんうんうん。

吉村:だけど、これもその、1対1だったら、もしかしたら、「そんなこと言ってないよ」と言っているほうが、妄想なのかもしれないという可能性が出てきちゃうじゃないですか。

三上:そうですね。ひとつの情報だけだとね。

吉村:そうですね。だから、何人かのひとがみて、みんなが、「いや、別に、あなたの悪口は言ってないです」となったときに、ほんとは、別に悪口言ってないけど、このひとが、妄想で、悪口言われているというふうに思っているというふうに、現実との乖離がおきているということが、はっきりしてくるわけですよね。

三上:うーん。なるほど。わたしたちのなかの、ひとりひとりの現実と違ってくると思いますけど、すぐに、「こう思う」とかっていう、いろんなものをとらえたうえでの、落ちてくるものを、現実として捉える。

吉村:そうですね。あと、より多くの同意が得られるものが、現実という話になってくるわけですね、そうなってくると。てなると、前回お話した「同調圧力」の話と、同調圧力に負けないためには、現実みたほうがいいよね、と言うんだけど、その現実も、実は、多くのひとが同意していることが現実であるとなると、実は、ちょっと、ここで、不思議な、パラドックスみたいなことが、起きているのが、わかります?

三上:あ、そうですね。そうだ。そうか、そうか。

吉村:なかなか、興味深い現象なんですけど、だから、じゃあ、みんなが、マスク着けることに同意しているんだから、マスク着けるのが、現実だよね、みたいな、ってなったら、ちょっと、おかしいなって、なるじゃないですか。

三上:なりますね。

吉村:はい。じゃあ、なぜなのか、といったら、結局、それって、日本国内でそうなっているよね、という話なんだけど、世界をみたとき、もっと広い範囲をみたときに、この、日本国内でマスクをつけているひとたちというのは、実は、世界的には、少数派なわけですよ。

三上:うんうん、うんうん。

吉村:となったら、より多くのひとが合意しているのは、実は、「別にマスク要らないんじゃない」というほうなんだけど、結局、日本って、島国で、外の情報が入ってきにくいし、日本のなかで、ことが済んでしまうから、外の世界で何が起きているかに、あんまり意識を向けていないひとたちも多いし、あとは、マスコミとか、政府関係のひとたちが、意図的に、情報をある程度、入ってくるものと、入ってこないものと、ね、コントロールして、外の情報が入ってきにくいようにしているという節も、なんとなく、見て取れるんですけど、何にしても、外の世界を見ていないから、この狭い範囲で、みんなやっているから、それが正しいんだろうと思っているわけですよね。

三上:うーん。

吉村:なので、この狭い範囲とか、今目の前にあるものだけじゃなくて、広い範囲に目を向けてみて、広い範囲から、情報を集めるということをしてみると、今ここで見えているだけが、現実じゃないんだなということが見えてくる可能性があるわけですね。

三上:うーん。そうですね。今の時代、だって、昔に比べて、情報、知りたいことは、キャッチしやすくなってますからね。

吉村:そうですね。昔と比べたら、全然、雲泥の差だと思いますよ。だってね、ネットで、自分で情報集められるし、個人レベルで、情報発信しているひとたちもいっぱいいるわけじゃないですか。だから、昔だったら、テレビが言っていることが全てみたいな感じだったですけど、それしか、結局、情報の入り口がないから。けど、今って、ほんとに、いろんな情報の入り口があって、自分で、それを集めたり、精査するのが、自分でやれるので、だから、そこの、たくさんの、情報ソースから、集めて、自分で、精査するということ、自分で、考えて、「これって、ほんとに、今の自分の求めているものと、合っているんだろうか」とか、ちゃんと、その、多くのひとが、ちゃんと、幸せに生きていくにあたって、これは、ちゃんと、それに適しているのであろうか、正当性があるだろうか、というのを、きちっと、考えると、ただの、みんなやっているから、そっちへ行けばいいや、いうのとは、違う選択肢が現れてくるわけですよね。

三上:うーん。そうですね。今の話をきいて、改めて、現実と、わたし、向き合いたいなと思いました。今、普通に、ただ、流れに乗っている部分もあるので。いや、でも、聴いているかたも、改めて、いろいろ感じた部分あったんじゃないかなと、思います。はい。

吉村:そうですね。

三上:今日も、貴重な、お話、さあ、「現実って、なに」、現実って、どういったものなのか。はい。吉村さんにお話伺いました。吉村さん、本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。