019.善悪

あなたには悪魔の囁き、天使の声がきこえますか?
善悪について吉村さんのお考えを伺いました。

 

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三上:みなさんこんにちは。
こころメンテナンス今日で19回目になります。
さあ今日のテーマは、寒くなるにつれてわたしはすごいイメージが湧くんですが、「善悪について」お届けしていきたいと思います。
本日もアシスタント三上恵と氣功ヒーラーの、

吉村:吉村竜児です。

三上:はい。吉村さん、よろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい。さあ吉村さん。
この時期わたし個人的にすごいこの「善悪」イメージするんですけど、例えば悪魔が「やっちゃえよ、やっちゃえよ」と言うのと、天使が「だめよ、だめよ、そんなことしちゃ、だめ」という。そういうイメージがあるんですけど、人間にも善悪がわたしはあると思うんですが、吉村さん的には、どう思われますか。

吉村:そうですね。僕は、実は善悪ってないんじゃないかと思ってるんです。とはいえ善悪という概念は、社会をある程度平和な状態に・・秩序を保つ。みたいなところでは便利な概念だとは思うんですよね。子どもを教育するとかいうときも、善悪でやっていいことと、

三上:わるいことと。

吉村:簡単に分けちゃえば、理解力がすごい低くても、いいか悪いかの二択とかだったら、覚えやすいというのもあるので、そういうところで便利に使われてはいるんですけど、でも「絶対的な善と絶対的な悪って基準なに?」みたいな話になってくるんで説明しにくいじゃないですか。

三上:確かに、人によって違いますからね。

吉村:そうなんですよ。だから、いろんな宗教とか哲学で、いろんな人が頭を悩ませてきたテーマだとは思うんですけど結論が出てないから、だから善悪をテーマにした作品だったりとか、本とかも数え切れないくらい出ているのはなぜかというと、そもそも、そんなものはないものを、あたかもあると定義づけようとしているから結論が出ないので、何万冊本が出ても結論が出ないんですよ。
だから、「善か悪か」なのではなくて、そのひとがどういう目的を持っているかというのに対して、状況であったりやり方であったりが合っているかどうかというところが、物事の判断とか評価の基準になっているんですよね。
戦争とか起きるじゃないですか。歴史上戦争ってものすごい数 繰り返されてきて、今も世界のどこかでは戦争が起きててなくなってないですよね。

三上:なくなってないですね。

吉村:それって結局、両方が自分たちの正義を振りかざして「あいつら悪だ」って戦っているわけですよ。
Aという国からしたら、Aという国がBという国に打ち勝って、自分たちの正義が守られるということが善であってBという国は悪であるという定義をしているわけですけど、
Bという国は全く逆のことを言っているわけですよ。「うちらが勝つことが善で、国Aは絶対的悪だ」って言っているわけですよね。じゃあ、どっちが正しいのとかってよく分からないじゃないですか。

三上:そうですね。言われてみればね。

吉村:双方に言い分があって対立しちゃいましたってなった場合、この対立でうちが負けたらうちの何万人という国民がみんな苦しい思いをするんだから、そんなのは許されないことだ。
うちの国民が豊かに暮らすことが善だから、それを侵害しようとしているあの国が悪だ、と言っているわけですよ。
でも、あの国はあの国で全く逆のことを言っているはずなんですよ。なぜなら、そっちの国だって自分のところの国民が大事だと思っているから。国民大事にするのは善で、あたりまえじゃないか、それができないようだったら国と言えるか。
みたいなことを言ったら、まあ確かにそうだよね。という話になってしまうので、結局のところ善か悪で分けると争うことになってしまうわけですよね。
例えば、長い目でみて我々の国が苦しくなく豊かで、国民がほんとに幸せに暮らしていくということを目的とした場合は、争わないほうがいいんじゃない、という可能性も出てくるわけですよね。
どっちかが、あいつら悪だから倒せばそれが正義だ、と言っている限りは終わらないんですけど・・ じゃあ、僕らは違う言い分持っているけど、お互いが困らないような落としどころを対話して探そうか、みたいな感じになって、お互いの価値観だったり信念の違いを受け入れあって戦争しないで済んだなとなったら、そっちのほうが、安定的に人の命が守られるということを目的にした場合は、そっちのほうがいいわけですよね。

三上:そうですね。

吉村:だけどとりあえず、どこの国よりも豊かな国になるのである。それを目的にした場合は、戦って勝ったほうがいいという話になるかもしれないじゃないですか。

三上:なりますね。

吉村:だから目的をどこに置いているのか、とか、どっちの立場からみてるのかで善悪 変わってしまうんですよ。
戦国時代とかに、もし僕がいたとして、とりあえず槍もって戦えよ、そうしないとうちらの領地攻め込まれて皆殺しにされてしまうんだから、戦わなかったらお前死ぬんだぞ。みたいな・・俺らみんな死ぬんだぞ、戦わないとか何言ってるんだ、みたいな・・になったら、戦わないほうがいいんじゃないと言っている僕は、その時代では悪になってしまうかもしれないわけですよ。

三上:そうですね。

吉村:臆病者!みたいな感じになってしまうかもしれないですね。だけどそれって結局、どっちかがそこの領地をとったら、そこは元々いた人たちは皆殺しにされるとか、追いやられるとかの前提があるからそういう話になっているんですよね。
でもそこの、その前提とかから全部変えていくことができれば、別に戦わないという選択肢も出てくるんですよね。

三上:たしかに。

吉村:僕らを苦しめているいろんな事柄って「これしかないのである。」みたいな視野の狭さだったりとか「これをとるためには、これは犠牲にするしかないのである。」みたいな・・ゼロか1かみたいなゼロか100かみたいな考え方とかが僕らを苦しめているんですよね。
じゃあ苦しまずに生きたいという目的だったとしたら、幸せになりたいという目的だったとしたら「こっちしかないのである。」みたいな考え方のほうが効果的ではないから、効果的ではないというものを悪って呼ぶんだったら、この枠組みのなかでは悪なんじゃないという話になるんですけど。

三上:絶対的に。

吉村:絶対かというとそうでもないというか、自分がどうしたいのかというところで見極めていくしかないわけですよね。

三上:うーんなるほど。すごい今日深いです、話が。
しかも、身近に戦争とかに関してはみんな平和でいたいという願いがあるとは思うんですけど、それにもかかわらず、そういった日常のなかではあるわけですから、すごい、わかりやすかったですねこの時間。

吉村:あー、よかったです。

三上:改めて、たしかに善悪ってどうなんだろうって、今までは話す前まではあると思ってましたけどね、話が終わってからちょっと考えさせられました。

吉村:どれだけ俯瞰して全体をとらえられるかによって、どっか今までは、こっちしかないと思っていたところ以外の落としどころというのも、見つけられるのではないかなというところですよね。

三上:ああ、ですね、ありがとうございます。
こころメンテナンス19回目「善悪」について、お話、吉村さんから今日もうかがいました。
そしてこの番組ではね、こころメンテナンスでは番組欄のほうに、お便りフォームもリンクが付いておりますので、よかったらみなさんのお悩み、そしてメッセージお待ちしております。

吉村:なんか、これについて話してほしいとか。

三上:是非是非、こんな機会、ほんとに吉村さん毎回わかりやすく説明していただけるので、きっとあなたのお悩みとかメッセージでいろいろお話ししていただけると思いますので、
みなさんのメッセージお待ちしております。
今日は、吉村さん、ありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。