395.感情の波が激しい時期、どう向き合えばいい?

イライラ、不安、涙…。
生理前の心の揺れとやさしく付き合うヒントをお届けします。

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三上:皆さん、こんにちは。こころメンテナンス、本日もアシスタント三上恵と、氣功ヒーラーの

吉村:吉村竜児です。

三上:吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい、今日のテーマはですね、「感情の波が激しい時期、どう向き合えばいい?」はい、こちらでお届けしていきたいと思うんですが、個人的にこのテーマを聞いてすごい思うのは生理前とかですね、私自身もやっぱりちょっと違う人になるような。(笑)いつもイライラしたりとか、特に息子に当たったりとかあるんですよ。

吉村:はい。(笑)

三上:同じ人間かなってくらいちょっとだけ違う人が入ってるんじゃないかなってくらい思うんですけど。そういう時ってこのテーマにも合うのかなと思うと、どう向き合えばいいのかなって。自分が生理前なんだろうなって氣づけたらいいんですけど、何かいつもと違うなっていう時はどうしたらいいですか?

吉村:うーん、まあ何だろうな。何かすごく完全にぶっちゃけて結論を言ってしまうと、その質問する相手が間違ってるんじゃないかなっていう感じもしなくもないんですよね。

っていうのが結局、女性がそういう月経周期でホルモンバランスが崩れて色んな問題を抱えてしまうっていうのは僕は知識としては知ってますけど、男性である以上経験のしようがないことなんで何か想像でお話をするぐらいしかできなくなっちゃうわけですよね。

当事者だとね、当事者っていう枠組みの中でしか考えられないっていう状態になってしまうこともあるんで、その辺はちょっと客観的に見れるっていうところで何かまた違う視点のお話はできるかもしれないですけど、

三上:はい。

吉村:とはいえ結局どうしても専門外なので、ホルモンのバランスが崩れてるってことに関してメンタル的な問題とかその人の思い込みだったりとかそういうところから来てるものだったらクリアリングで対処することができるわけですけど、

月経周期ってなった場合に体のメカニカルな構造だったりとかっていうところの部分も関わってくるので、クリアリングで完全にそれを完璧に解決してしまうってことはなかなか難しいんじゃないかなと思うんですよ。

ただ一つちょっと考えられるのは、やっぱり月経前症候群、PMSって言うんでしたっけ?それって同じ女性でも人によって結構出方が違ったりとかするわけですよね。

三上:はい。

吉村:だからそこの部分って本来だったらこの程度で済んでたものが、他の要因が重なってしまったためにもっと酷くなってるっていうことはあり得ると思うんですよ。

三上:うんうん。

吉村:これもお一人お一人状況が違うし原因も多岐にわたってると思うんで、誰でもこうすれば一発でOKですみたいな処方箋ってなかなか出せないんじゃないかと思うんですよね。

例えば健康を害してる、病氣になってる人がなぜ病氣になったかっていうところでは、僕が取り扱ってる分野だと、ネガティブな感情が溜まっているのにそれに対してきちっと対処しないでずっと溜め込み続けるっていうことをすると病氣になるっていうケースがあるっていうのは、少なくとも僕の研究の中ではこれはほぼ間違いないなって思ってるんですけど、

ネガティブな感情を溜め込むと病氣になるっていうことと、病氣の原因はネガティブな感情であるっていうのは、このロジックがちょっと違うの分かります?

三上:もう一度お願いします。

吉村:ネガティブな感情を溜め込むと病氣になりますっていうのと、病氣の原因はネガティブな感情ですっていうのは、一見同じことを言ってるようで実はちょっと論理的なつながりでちょっとズレがあるんですよ。

三上:ズレがあると思います。

吉村:ですよね。

三上:そうですね。これは病氣の原因はネガティブであるっていうのはすごい言い切ってる、決めてる。

吉村:何々をしたら病氣になりますっていうのは、いっぱいあるかもしれないじゃないですか。そうすると「病氣の原因は?」って言ったときに、その病氣の原因もいっぱいあるはずなわけですよね。だから、「病氣の原因の一つはネガティブな感情です。」みたいな言い方だったら多分そんなにズレはないんですよ。

病氣の原因は色々ありますよ。その中の一つにはネガティブな感情っていうものもありますっていうことだったら、ネガティブな感情が原因で病氣になってるケースに関してはネガティブな感情をクリアリングしたら治る可能性はありますよねって話で。

それって栄養のバランスが崩れると病氣になりますっていう話も、結局病氣の原因は栄養のバランスが崩れてることですっていうのと違うじゃないですか。

三上:はい。

吉村:栄養のバランスが崩れてるせいで病氣になってるんだとしたら、それに関しては栄養のバランスを整えたら治るかもしれないですよねっていうことが言えるわけで。だからここが結構世の中的に認知がずれてるのにみんな氣がつかないで使ってたりとか、あとはわかってるんだけどあえてやってる節とかもあるんですよね。

栄養のことをすごく研究されてる整体師さんとお話をしたことがあるんですけど、その人は「鬱の原因は栄養不足です。」って言ってたんですよ。栄養不足が原因で鬱になるってことはきっとあるだろうなって思うんですけど、全ての鬱の人が全部栄養不足が原因ってわかんないじゃないですか。

三上:うん。

吉村:栄養不足、足りない栄養を補ったら鬱が治ったっていう人は図らずもいると思うんですけど、それって栄養不足が原因で鬱になってた人に限るって話ですよね。

栄養は別に不足してないけど強いストレスで鬱になってる人もいたら、そっちのストレスの方をケアする必要があるわけですよね。栄養は足りてるわけだから。だけどそこに「この栄養を取れば治ります。」って言ってサプリメントをどんどんあげたところで、その人は一向に良くならないわけですよね。

三上:そうですね。

吉村:だからそういうPMSの症状が酷い人っていうのも、何が原因かって多分一つじゃないしそれぞれ皆さん色んなケースがあると思うんで、それを踏まえて色々とちょっとずつ試してみたりとか、心当たりのあるポイントを見ていった方がいいと思うんですよね。

だから情報を調べたりとか集めたりするときもあまり一つの分野に偏らせないで、色んな情報、色んな人の言い分をまずはニュートラルに並べてみて、

例えば体が冷えてるからPMSが酷くなるんです、血行が悪いからですとか色々とある、色んな言い分を僕も見聞きしたことがあるんですけど、多分その専門家の人はこれが原因ですって言い切ると思うんですけど、でもそれって色々ある原因の中の一つの候補として考えてみるみたいなね。

それで例えば最近言われてみれば体が冷えてる氣がするなって思うならちょっと温める、試してみるとかね、色々とやってみるのがいいんじゃないかと思うんですけど。

三上:うん。

吉村:その中でやっぱりメンタル面っていうのもきっと関わってるケースもあると思うんで、そういう場合はストレスに感じてることがどんなことがあるのかとか、あとは普段そのことを考えてないときは普通なんだけどそのことを思い出すと嫌な氣持ちになることみたいなのって、実は隠れたストレスになってたりするんですよ。

だからそうするとそれって普段自分の体調が良いときは表に出てこないんだけど、何か体調が崩れたりしたときにバッて出てきたりとかすることもあるんで、そういうPMSの症状が出てきたときにだけどうしようどうしようって考えるだけじゃなくて、

案外普通のときに自分が普段考えないようにして蓋をしてることがないかなみたいなことを内観してみると、案外私はこのことに対してすごく実は不快に感じていたんだみたいなのが見つかるかもしれないですね。

そういうのをどうするかっていうのを考えて、例えば自分のとらえ方を変えてみるとか、あるいは本当に場合によっては人間関係だったらその人たちとの付き合いとか距離感を考えて調整するとかね、環境を変えてみるみたいなことも必要な場合もあるかもしれないですけど。

三上:うん。

吉村:でも普通のときこそ内観をしっかりすることで、ちょっとそういうPMSだったりとか体調が優れないとか疲れが溜まっちゃったときに出てくる症状を事前に少し抑えられる可能性があると思うんですよね。

だから感情の波が激しくなったときにどうするかってことよりは、むしろ激しくなる前の段階で日頃から隠れた不快感とかね、隠れた不満とかそういうのをケアしておくっていうことは、もしかしたら何かバランスが崩れやすい時期になったときに、酷くならないで済むっていうことには役立つことがあるんじゃないかなって氣がしますね。

三上:ありがとうございます。話を聞いて思いました。確かにその不安が爆発しちゃうから日頃からそれがサインで、ちゃんと自分のことに向き合って日頃からクリアリングというか、溜めていかなければいいんですよね。

吉村:そうですね。だから内観してそれを良い悪いのジャッジをせずにニュートラルにとらえるっていうだけでもだいぶん自分の潜在意識の中って整理できる部分もあると思うんで。

もちろんクリアリングするともっとそれが早く簡単にケアできるっていうことではあるんですけど、日頃からきちっと内観しておくことで、だって結局その月経周期でホルモンのバランスが変化するってことに関しては、多分それって抵抗して力で抑え込むとか早々できないじゃないですか。

三上:できない、できない。

吉村:宇宙のリズムと連動してるものとかコントロールできないから、むしろそこを抑え込んで止めようとするんじゃなくて、その波にうまく乗ってその波をうまく乗りこなせるようになることを考えた方がいいと思うんですよね。

三上:ちょっともうすぐ私もタイミング的に来るんで、ちょっと自分としてもその時どんな感じかなって改めて感じたいと思います。

吉村:はい。

三上:はい、ということで今日はですね、「感情の波が激しい時期、どう向き合えばいい?」のテーマでお届けしました。吉村さん本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

394.親から引き継いだ“恥”の価値観とどう向き合うか

ハンドルネーム たまねぎさんからのご感想とメッセージを取り上げて、吉村さんからお話伺いました。

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三上:皆さん、こんにちは。こころメンテナンス、本日もアシスタント三上恵と、氣功ヒーラーの

吉村:吉村竜児です。

三上:吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:さあ、お便りを今日もご紹介していきたいと思います。

吉村:はい。

三上:ハンドルネーム、たまねぎさんからです。前回387回の配信でお便りをお読みした方なんですけども、またお便りが来ています。メッセージが来てますので読み上げたいと思います。

吉村:はい。

三上:「387回で、『恥ずかしさ、恥について』の回答をいただきありがとうございました。今回もわかりやすく解説していただいたので、頭の中の整理がされ理解が一歩進んだように感じます。基準のブロックは、親や先祖から引き継がれることが多いと教えていただいたので改めて考えてみました。

まず父と母は性格が全く違うのですが、価値観では似ている部分があると感じました。そしてやはり両親とも恥ずかしい、カッコ悪い、みっともないとよく言っていたことを思い出しました。さらに両親とも自分を俯瞰してみる力が弱いようにも感じました。

そして、それをしっかり私も引き継いでいると氣づくことができました。実情を冷静に見る力が足りていないのでかけ離れた理想を追いかけたり方向違いの努力をしては、何てダメなんだ、みっともないと感じることが多いのだと思います。

また、こうでなければ価値がないという恐れが吉村先生のおっしゃるとおり強いので、苦しい氣持ちになるとわかりました。両親の理想や価値観を支持していたつもりはなかったのに、評価基準としてこんなに取り込んでいたと氣づいて驚きましたが、氣づけてよかったです。

先は長そうですが、少しずつ自分と和解していきます。吉村先生ありがとうございました。」もう一つ別の話題ということが来ています。

吉村:はい。

三上:「ポッドキャストキャストの別の回を聞いて良い変化がありましたので報告します。私は決断や行動した後にこれで良かったのかなと考える癖がありました。そして良かったなと思う時もあるのですが、後悔することも多くあったのです。

でもどこかの回で恐れに基づいた考え方を繰り返すと、そういう回路ができてブロックになるといったようなお話を聞き、これはやめていきたいと思いました。

ただ、後悔する癖をやめるよりこれで良かったの回路を強くする方が簡単かもしれないと思い、いつものように自己査定しはじめた時に、これはこれで良かったのかもとか、とりあえずやって良かったんじゃん、良かったじゃないと軽めに自分に対してOKを出すようにしてみました。

すると何回かやっただけで変化がありナチュラルにそう思える回数が増えました。そうすると当然ながらその時は心が軽く、結果的に生活していて心が軽い時間が長くなり幸福度が上がったように思います。ありがとうございます。」と来ています。

吉村:なるほどですね。はいはい。素晴らしいですね。しっかりここまで経過報告とか感想を書いていただいたのがありがたいし、とても嬉しいですね。

プラスでご自身で最初のとっかかりみたいなところから、ご自身でやってみようとか工夫されてさらに良い状態になっているところが見受けられるので、それが本当に素晴らしいなと思いましたね。

後悔する癖をただやめるよりもこれで良かったの回路を強くする方が簡単かもしれないって、要はご自身で仮説を立ててそれを実際に実行してみてうまくいったっていう結果まで得られてるってことじゃないですか。

三上:うん。

吉村:だから主体的に動かれてるっていうことだと思うんですよね、それって。ただ聞いたことをそのまま実行するって、聞いても実行しない人たちもいる中で実行するっていうのはそれだけでも十分素晴らしいことではあるんですけど、

それだけだと結局また誰かの言いなりになってる状態から違う誰かの言いなりになってる状態みたいなのが繰り返されてしまうっていう可能性もある中で、

じゃあ自分の頭で考えてこういう方法もあるかもしれないって自分で考えてそれを実行されたっていうところが、それだけでもだいぶん解放されてるってことなんじゃないかなっていう感じがしますよね。

三上:ね、本当ですよね。

吉村:もう既にこれって自分の考えとか自分の基準じゃなくて、親から受け継いだりとか刷り込まれてたものだったんだなっていうふうに氣づいたことで、結構そういう呪縛が外れて実際に自分で考えて行動するっていうことができるようになってるっていうことだと思うんですよね。

これはね、なかなか素晴らしいことだと思いますよ。先は長そうですがっておっしゃってますけど、この短い間にだいぶん進まれたから今ここにいるっていうことじゃないかなって思いますね。

三上:そうですよね。だって最近ご紹介したばかりで、その答えを聞いて色々ご自身で考えて行動するっていうのは普通の方だとどうしていいんだろうってまだ迷いがあると思うんですけど、自分にちゃんと落とし込んで色々と考えて動くっていうのは氣づきが多いってことですよね。

吉村:相当しっかり内観されて、色んな氣づきがあったってことじゃないかなって思うんですよね。

だからまず恥ずかしさとか恥とかに関する判断、ジャッジの基準みたいなものを受け継いでしまってるかもしれませんよってことを多分僕がお伝えしたと思うんですけど、そのことを見ていく中でご両親が自分を俯瞰してみる力が弱いっていうことに氣づかれたってことじゃないですか。

そこから自分もこれを引き継いでるんだって氣づいたんで、こういうメカニズムで私は今こういう状態だったんだって氣づかれたことで、じゃあ本当の私はどう感じてるんだろうかとか、本当の私はどうしたいんだろうかっていうところにスポットが当てられ始めたんだと思うんですよね。

ここって、こういうことが原因でそうなってたんだと思いますよってお伝えしたときに、じゃあこれが悪いんだって、だからこれが悪いから私はこうなってるのは仕方がないことなんだっていうところで安心しちゃう人と、じゃあ私は本当はどうしたいんだろうかってところに意識が向くっていうところで、ちょっとそこで分岐点があるんですよね。

三上:うん。

吉村:私が悪いって思っていた人が悪いのは別に私じゃないっていうふうに意識を変えることで、自分の心にかかってる負荷を下げるっていうのは一つの段階としてはやっぱり大事なことではあるんですよね。

自分をずっと責め続けてると本当に病氣になっちゃったりとかするんで、それは本当に恐ろしいことだと思うんで、そこで自分を責めるのを一回やめてみるっていうところで、別に私が悪いわけではないという段階に持っていくっていうのは結構あるんですけど、

でもやっぱり心理療法とかだと、私が苦しんでるのは私のせいじゃない、じゃあ誰のせいだっていうところで、親が悪かったんだみたいな話に持っていくっていうことが結構多いんですよ。

三上:うん。

吉村:確かに親御さんも未熟だったり至らないところがあって、そこの部分の歪みが子どもの代にいってしまうことで子どもが苦しんでしまうっていうような構図があって、それが世代間で連鎖していくっていうことがあるっていう、これは実際に事実としてはあるんですけど、

でも別にいわゆる毒親みたいな人に育てられても、その人がそこからそれを乗り越えて前向きに生きていくことができるようになる人と、そのままどんどん悪い方に転がり落ちていく人とっているわけじゃないですか。

三上:うん。

吉村:それって結局環境の良し悪しってもちろんあるにはあるんですけど、それをどうとらえるかとか、結局いわゆる良くない環境でもそれを自分の将来にとって有効な方向に利用することもできるわけですよ。

負荷がかかってるっていうことは、要はそれを乗り越えることで成長することができるチャンスがそこにあるとも言えるわけですよね。

だから結局のところ、とらえ方次第で先の展開がどっちに転がって転んでいくかっていうのを自分で選ぶことができるって言い換えることもできるわけですよね。だから本当にまず自分が悪いのかとか自分が劣ってるのかみたいな考えから、そこからそうじゃないかもしれないぞってところにいくっていう段階があり、

その次の段階で全て自分にとってプラスになるように解釈したりとか利用したりすることができるんだっていうふうになると、今度別に何も良くも悪くもないし親が至らなかったとか未熟だったっていうことも別にそれが親が邪悪だったとかそういう話ではなく、

この人たちもそれなりに色々とうまくいかなかったことがあってこういうことだったんだなみたいなことが俯瞰してとらえられると、自分の方が別に親より大人になっちゃうってことができるわけですよね。

三上:うん。

吉村:だから結構それがきちっと良い感じでステップを越えていくことができて、今の氣づきなんじゃないかなっていうふうに感じましたね。だから別の話題としてお話をされてますけど、その前の氣づきがあってちゃんとステップを上がることができたから、

今度ご自身で色々と工夫したりとか仮説を立てて実行してみて、実際に良い結果を得ることができるってところに来れたんだなっていうところが見て取れたんで、

本当にすごく良い事例というか、今苦しんでる人たちにも参考にされると何かこういう感じで自分がステップアップしていけばいいんだなっていう良い例になるお話を送っていただけたかなって思いますね。

三上:ありがとうございます。こうやって答えたメッセージに対して感想をいただけるっていうのも嬉しいですし、たまねぎさんも書いてあったメッセージの中で、やっぱりポッドキャストって見直しができるので、

氣になったところとかでちょっと自分が、もうすぐ400回目を迎えるんですけどやっぱり色んなテーマがあるので、氣になったところからまずちょっと聞いていただいて、自分もまたそこで氣づきがたくさんあればいいなっていうふうに、すごい嬉しいご感想だったなというふうに感じました。

吉村:はい。

三上:本日も吉村さん、そしてたまねぎさん、改めてメッセージありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

393.7月5日何が起きる?

明日7月5日に何かが起きる噂をみなさんは信じますか?
吉村さんとお話しさせて頂きました。

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三上:皆さん、こんにちは。こころメンテナンス、本日もアシスタント三上恵と、氣功ヒーラーの

吉村:吉村竜児です。

三上:吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい、今日配信日7月4日金曜日ですけど実はもしかしたら明日7月5日、何かが起きるかもしれないみたいなね、噂を結構色んなところで私は耳にするんですけど。例えばたつき諒さんでしたっけ?「私が見た未来」かな?

吉村:あの漫画のね。

三上:そうそうそう。色んな予言をされてる方で、何かが起きるとかね、他の方もおっしゃってるので今日はこれをテーマにどう思いますかを取り上げて。どういうふうに今日生きますか?とかね。聞こうかなと思うんですけど、基本的にはどうですか?色んな7月5日って話を聞くと思うんですけど。

吉村:そうですね。災害みたいな話とかっていうのは言ってる人たちもいると思うんですけど、そこって正直僕はもうよくわかんないなとしか言えないんですよね。例えば地球滅亡みたいなでっかい話になってくると、今まで散々そういう話ってノストラダムスの大予言とか。

三上:予言。

吉村:そういう時代からそういう話ってすごいあったし、僕らが生まれる前の時代だとハレー彗星が地球にぶつかるかもしれないみたいな話とかで、世の中すごい大混乱になったこともあるらしいですよね。

三上:へー。

吉村:ハレー彗星が地球にぶつかったら、地球滅亡しちゃうかもしれないとかそこで生き残るためには何分間か真空状態になるかもしれないから、それを耐えられるようにすれば生き残れるかもしれないみたいなのがあったらしいんですよ。

昔のテレビができる前の映画館でニュースやってた時代のニュースフィルムみたいな記録映像を昔見たことがあるんですよ。

三上:はい。

吉村:そしたら小学校の教室でみんなが目の前にタライを置いてそこに顔をつけて息を止める練習をしてたみたいな、そういう映像とか見て子供心ながらに昔の人たちバカなことやってたんだなみたいなね。

三上:ありました。見たことある。

吉村:そんなハレー彗星が地球にぶつかって真空状態とかって、タライに顔をつけたぐらいで助かるわけないじゃん。

三上:確かにね。本当にね、そうね。

吉村:それで「明日になったら地球が終わるから。」とかって言って、貯金を全部使ってお酒を買ってどんちゃん騒ぎしてた人たちとかもいて、夜遅くまでずっとみんなでどんちゃん騒ぎしてたら地平線の向こうに彗星がサーって過ぎていくのを見てみんなで、あっぶつかんなかったっていうことがあったって話を聞いてたから、

ノストラダムスのときもそんな感じになるんだろうなーみたいな感じで思ってたら結局何にもなかったし、そのあと2000年問題とかでワーって騒いで核ミサイルが誤動作で発射されるんじゃないかみたいな話とかありましたけど、そこもほぼ何もなかったですよね。

三上:そうですね。

吉村:唯一僕が聞いた2000年問題で問題が起きたケースって、缶詰の会社で廃棄する缶詰かどうかっていうのを年号で見て保存期間過ぎちゃった缶詰は廃棄みたいなのを自動でやってたから、それが誤動作でまだ新しい缶詰なんだけど1900年代に作られた缶詰と勘違いされて廃棄されちゃったっていうのがあったらしいみたいなね。

これも本当かわからないですよね。その話が出回ってたときっていうのはまだそこまで、2千ゼロ年代とかっていったらまだスマホとかもない時代じゃないですか。

三上:うんうんうん。

吉村:だからその情報が本当かどうかも僕はわからないですけど、でもせいぜい聞いたのはそのぐらいですよね。2000年問題も特に何もなかったし、確か2012年頃でしたっけ?マヤカレンダーが2012年までだったから、それで世界が終わるんじゃないかみたいなことがありましたけど、それだって特に何も起きなかったし。

そういうのを踏まえていくと、そういう世界が滅びるみたいな話は大概嘘だなというふうに僕は思ってるんですよ。

これは別に実際に証明してる話ではないから、ただ経験として今まで同じようなことが繰り返されてるから、どうせこの先もそういう話はそういう感じになるんだろうなみたいなふうにしか思ってないというところではあるんですけどね。

だいたい実際だって地球が滅びちゃったとしたら滅びたっていうこともわかんないぐらいのアッって言ったらもう終わってるぐらいの話ですよね。

三上:確かにね。

吉村:そこを考えてもしょうがないと思うんで。あとは震災レベルの話、東日本大震災みたいなのが起きたら怖いよねみたいなのはありますけど、それだって結局のところはそれが来ちゃったら来た後にどうするかみたいなことしかないじゃないですか。

だから日頃からその辺はね、そういうのがあったときはこういうふうな動線で動こうとか、ある程度の備蓄をしておいて何かあったときはこういう感じで身を守ろうとか意識しとくぐらいしかできないですよね。

三上:それで恐怖を感じててもしょうがないですもんね。

吉村:それで困ってる人がいたらその後助けるみたいなね。そういうような話だと思うんで、そこに不安を煽ることのほうがちょっと別の意図を感じてしまいますよね。結局人って不安になると不安を解消するためにお金を使ったりとか、何かにすがったりとかってするから結局狙いはそこじゃないかぐらいな感じがしますよね。

三上:なるほどね。

吉村:だからそういうのにあんまり振り回されずにやっていきたいわけですけど、その中でもこれが本当だったら面白いなみたいなところの情報もあったりするんで、僕はそっちのほうに注目しているというかね。

数理物理学者という肩書きなのかな?保江邦夫さんという学者の方がいるんですけど、量子物理学の方程式を発見した保江方程式とかっていうすごい方程式を発見した、もうちゃんとした学者さんですよね、すごい人。

その人は結構スピリチュアル的な発信をよくしてるんですよ。その人は方程式を見つけたときって本当に降りてきたみたいな感じで方程式が見えたんで、それをそのまま書き出したらそれがちゃんとした方程式だったみたいな経験をされてる方なんですよ。

三上:ええ、すごい。

吉村:他の学者の先生たちに話したら、そんなもんだよって。みんなそうだからっていう感じで。ノーベル賞を取るような学者さんたちとかって、本当に降りてくるというケースがほとんどらしいんですよね。

三上:へえ。

吉村:そういう分野で活躍してる人たちとかすごい権威の人たちって、実はスピリチュアルな領域とか高次元の領域と意識がつながった、接続したときにそういう情報が降りてきてそれを発表していて、それが世の中の色んな科学技術とかに応用されてるらしいですよね。

三上:うん。

吉村:その方は本当に色んな情報をインスピレーションみたいな感じで降ろしている人で、その人の発信って結構面白いから僕はちょくちょくYouTubeで見ていたりするんですけど。それこそ宇宙人とかUFOとかの研究とかもされてる人で、その方が7月5日に関して色々発信してて、

ひとつは陰謀論っぽく聞こえる話だと、もともと7月5日ってアメリカは時差の関係でまだ7月4日じゃないですか。7月4日ってアメリカの独立記念日だから、結構みんなお祭りしてて軍隊とかもお休みになったりするわけですよ。

だからそのときを狙って中国が台湾に侵攻してきて、それで台湾有事がそこから起こって大きな戦争が勃発するっていうシナリオを書いてた、世界に戦争を起こそうとしてる人たちがそれを狙ってプランを立ててたんだけど、何か宇宙人が介入してそれができなくなったのでその危機はとりあえず大丈夫になったみたいな話をしていて。

三上:へえ。

吉村:それでも実際そういうことが起きなければ、最初からなかったのかもしれないし、本当に宇宙人が助けてくれたのかもわからないですよね。確かめようがないんで僕ら一般人からしたら。

でも結構、悪いことが起きるかもしれないぞ、怖いぞ怖いぞっていう内容よりも、僕は夢があって楽しい話だなと思うんですよね。本当に酷いことが起こるような、もし企てをしてる人たちがいたとしたら、宇宙人がそれを邪魔して助けてくれるんだなって思ったら、少しホッとする話じゃないですか。

三上:うんうんうん。

吉村:一応それはなくなったから大丈夫なんだけど、それとは別に7月5日に宇宙人とか高次元の存在が何かすごいエネルギーを地球に送ってくれることで、地球人の意識がさらに拡大して意識が目覚めていくみたいなね。そういうことが起こるみたいな、そういう話もされてるんですよ。

それで神鍋高原っていうところ、これは兵庫県なのかな。神鍋高原っていう所ってUFOが目撃されたりすることが多い場所らしいんですよ。そこに宇宙からのエネルギーが降り注ぐことで、神鍋高原で何かがこの日に起こるみたいな情報を受け取ったらしいんですね、インスピレーションで。

三上:うん。

吉村:そしたら全く別口で別の人、最初はつながりがなかった人で最近YouTubeにちょこちょこ出てるんですけど、もともと政府に雇われて政府関係の仕事をしてた超能力者っていう人がいて、その人も今、政府の仕事から離れてるんだけど、その人も色々と高次元からの情報を受け取るみたいなことをしてる人なんですよね。

その人も7月5日に神鍋高原に何かエネルギーが降ってくることで何かが起きるっていう情報を受け取ってたらしくて、その二人が企画かなんかでたまたまお会いしたときにお話ししてたら、あなたもその情報を受け取ってたんですか?すごいですねみたいな感じになったらしいんですよ。

三上:うん。

吉村:二人別々の人が同じ情報を別々のところで受け取ってたってなると、結構信憑性が上がるじゃないですか。

三上:上がりますね。

吉村:政府に雇われてた超能力者の人っていうのは、今の段階で僕はその人が本当のことを言ってるかどうかっていうのを確かめる術はないんですけど、でも少なくとも保江邦夫さんに関して言えばこの人はそういうすごい方程式を発見した人だから、ただのホラ吹きではないことは間違いないですよね。

三上:うんうんうん、そうですね。

吉村:とりあえず方程式を発見してから頭がおかしくなっちゃったっていう可能性もゼロではないけど、話してる内容とか聞いてるとちゃんと筋が通っていて一貫してるから、頭がおかしくなって妄想垂れ流してる人には見えないんで、多分結構信頼できる人だと思うんですよね。

そういう観点で言うと、超能力者の人も本当に政府が雇ってたかどうかってわかんない、こっちは確かめられないけど話してる内容は結構ちゃんと筋道を立てて話をしているんで、ただのホラ吹きとか頭がおかしい人がしゃべってるようには見えないから、僕はこの人たちが言ってることは少なからず信憑性があるんじゃないかなって感じてるんですよ。

三上:うん。

吉村:この人たちが7月5日、何かあるみたいだから神鍋高原に行こうって思って、ホテルとか調べたらその日はみんなホテルとか埋まっちゃってたんですよ。

多分ホテルが取りにくくなってた原因がさとうみつろうさんっていう、この人も作家の方で色々とスピリチュアル系の内容が含まれてる本を書かれてたりとかする人でYouTubeチャンネルもやってる人なんですけど、この人が7月5日に神鍋高原で大きなイベントを開催するんですよ。

三上:おー。

三上:フェスみたいなのをやるのでそれで人がいっぱい集まってくるんで、多分ホテルが取れなかったってことでそのお三方が何かで会ったときにその話をしたんで、さとうみつろうさんがじゃあ来てくださいよみたいな話になったんで、多分その人たちみんな当日は神鍋高原に行ってトークライブとかされるんじゃないかと思うんですけど、

さとうみつろうさんも7月5日に悪いことが起きるみたいな情報とか予言が多いから、せっかくだからみんなで集まって悪いことが起きないようにみんなで祈る時間を作って楽しい時間にしようよみたいなことを考えて、そこで何かやることを決めたらしいんですよね。

三上:うん。

吉村:なので僕もちょっと興味あるからね、行ってみたい氣持ちもあるんですけど、多分ホテルとかも取れないでしょうし多分満席で入れないでしょうし、あとちょうど今日が7月4日の配信ですよね。

明日の7月5日は僕のほうで調布で毎月やってるリアルサロンの日なので、せっかくだからここで来てくれた皆さんと一緒に少人数ですけど一緒にリーディングをして、神鍋高原のエネルギーを遠隔で受け取ってみて、何か僕たちができるようなクリアリングだったりとか氣を送るみたいなこととかできそうだったらそういうのを一緒にやる時間にしてみようかなとそんなことを考えてますね。

三上:いいですね、素敵ですね。

吉村:はい。

三上:ということで皆さんもちょっと耳にしたことがあるかもしれません。明日7月5日、何が起きるんでしょうか?吉村さんにもちょっと投げかけさせていただきました。とりあえず今を精一杯楽しもうって思います。

吉村:そうですね。地球は多分滅亡しないと思いますよ。したとしたら、僕が滅亡しないと思いますよって言った記録も一緒に消えちゃうから関係ないんですよ。(笑)

三上:(笑)確かに、確かに。そうだ。ということで、明日何が起きるのかということでお話しさせていただきました。吉村さん、本日はありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

392.体調と感情はつながっている〜夏前のセルフチェック〜

気持ちが重たい日、実は体が冷えていたり、睡眠が浅くなっていたりする。
そんなふうに、体調と感情は静かにつながっているもの。
夏を迎える前の「自分メンテナンス」として、心と体の声に耳を澄ます時間をお届けします。
ただがんばるだけじゃなく、「感じること」も、大切なセルフケア。

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三上:皆さん、こんにちは。こころメンテナンス、本日もアシスタント三上恵と、氣功ヒーラーの

吉村:吉村竜児です。

三上:吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい、沖縄もだいぶん前に梅雨明けして夏本番を迎えておりますけども、今日のテーマは、「体調と感情はつながっている、夏前のセルフチェック」ということで。

吉村:はい。

三上:すごい、今もそうなんです。暑くてだるいなっていう体と、中身はちゃんとやらなきゃっていう氣持ちなんですけど。私の今のこの状態は大丈夫なんでしょうか?夏前のセルフチェックということで、具体的に。

吉村:でも夏だからだるいみたいな話になってくると暑いのってやっぱり人が耐えられる限度みたいなのはあると思うんで、そこは熱中症予防のためのこととか一通りやっておくみたいな体のメカニカルな部分に対するケアみたいなのは最低限やっぱり必要だと思いますけどね。

ただ体調って感情の影響をすごく受けているんですよ。ここの部分があんまり知られていないところがあるので、ちゃんとそういう体のケアをしてるはずなのにどうも調子が悪いみたいな場合は、実は感情のケアがちゃんとできていないっていうことがあり得るんで、やっぱりどっちもちゃんとやっておかないと良い状態にはならないわけですよね。

車のタイヤも右のタイヤは空氣を入れてるんだから走るはずでしょって言っても、左がパンクしてたら走らないわけで。両方ともちゃんと空氣が入ってる状態だから走るっていうことなんで、体のメカニカルな部分ですよね。

水分とかミネラルちゃんと取っておきましょうとかきちっと睡眠取りましょうみたいなこととか、あとは暑くなりすぎてるようだったらちゃんとエアコン使うなりして体温調節をしましょうねっていうことと、プラスで感情面っていうところのお話になってくるんですけど。結構ネガティブな感情って実は体にとって毒なんですよね。

三上:そうなのか、やっぱりね。何となくイメージはできますけど、たまにこの毒をわかってないかなっていう時もありますね。

吉村:毒が悪いって話でもないんですよ。例えば僕たちは食べたり飲んだりして、何かしら栄養とかを摂取するじゃないですか。そこから必要なものを取り入れていらないものを糞尿で排泄してるわけですよ。

三上:うんうん。

吉村:排泄してるいらない部分っていうのは、結局それってそのまま持ち続けてると毒になっちゃうから出してるわけですよね。

三上:体がね。

吉村:だから色々取り入れて必要なものを取り込んだ後にいらないものは結局毒になっちゃうけど、いらないものも含めて取り入れた上でいらないものを外に出してるわけですよね。

だからちゃんといらないものを外に出すっていうことをしていれば健康になるって話ですよ。だって毒になるものを一切取り除いて栄養だけを取り込みましょうみたいな話になったら、多分ご飯食べるんじゃなくてサプリメントを飲むとか点滴で栄養だけ入れようみたいな話になっちゃうじゃないですか。

三上:確かに。

吉村:でもそれじゃあ人は健康にならないんですよね。だって食べて消化するとかっていうことに、臓器が筋肉を使って食べ物を細かく分解していくみたいなことをしたり、それも色々と酵素を出したりとか色んなことをして個体の食べ物をドロドロな状態にして、しかもそこから科学的に分子を分解して必要なものを取り除いていらないものは排出してとかすごい色んなことをやってるんですけど、

それをやるためのメカニズムっていうのが僕たちの体の中に備わっていて、それは結局それをちゃんと使わなかったらそこが衰えちゃうわけですよね。車とかもたまにエンジンかけないと走んなくなっちゃうじゃないですか。

三上:そうですね。

吉村:だからそれっていうのはちゃんと使ってないと使えなくなっちゃうわけですよ。

三上:うんうん。

吉村:だから例えば生命維持装置みたいなのに管を繋がれている、何とか生きてるみたいな人が簡単にじゃあ今日から普通にご飯食べて普通に生活しましょうとかできないじゃないですか。

三上:できないですね。

吉村:ってことは悪いものを取り入れないようにしようっていう生き方よりも、自分の中でちゃんとどっちも取り入れてそこでいらないものを排出するっていうことをするように、僕たちの体はそうできてるんですよね。

だから心もネガティブな感情が悪いっていうことじゃなくて、自分は今これに対してネガティブな反応してるんだなっていうことに氣がついて、それをまた排出していくっていうことをすれば別に溜まっていかないんですけど、

でもネガティブな感情って不快なんで、不快なものは悪いものっていうふうなジャッジを僕らはしやすいから、だからこれを感じるべきではないとかあるいは感じていてもそれを表に出すべきではないみたいな、自分の感じてることに対する否定でそれを抑え込んだり見ないふりをしたりとかっていうことをすると本来氣がついたら外に排出できてるはずのエネルギーが体の中に溜まっていくんですよ。

三上:うんうん。

吉村:ネガティブな感情が排出されずに溜まっていくと体の色んな筋肉だったり臓器だったりとか、体の組織にエネルギーが溜まっていくんですね。それが起きるとそのうち不調の原因になるんですよ。わかりやすいところだと炎症が起きるっていうケースがありますね。

三上:炎症。

吉村:そうそう。ネガティブな感情が溜まっていって許容できる量を超えると、バッて炎症が起きて腫れたり痛くなったりして炎症で多分その間に溜まってるエネルギーを消費したり散らすんですよね、排出するみたいな。

多分そういうことをしてるからそれでしばらくすると炎症が収まるんですけど、そこにまたネガティブな感情を溜め続けてるとまた許容範囲を超えちゃうんでまたバーって炎症が起きるみたいな。

僕は今まで色んな方を見させていただいた中ですごくわかりやすいケースっていうか、初期の頃にこれってそういう仕組みなんだって氣がついたのは、ぎっくり腰なんですよ。

三上:えー、ぎっくり腰。

吉村:ぎっくり腰になる人って実は腰のところの組織、筋肉とか筋膜とかそういったところに怒りをため込んでる人が多いんですね。

三上:怒り?

吉村:だから溜め込んだ怒りが体の組織が許容できる範囲を超えちゃうと、そうするとそこでバーって炎症が起きるんで、ぎっくり腰になっちゃうんですよ。

三上:うん。

吉村:だからぎっくり腰になる人って、年に1回とか定期的にぎっくり腰になる人が多いんですよね。何か癖になってるんだろうって多分みんな思うんですけど、でもそれって実は怒りの感情を溜め込んでるから、

ぎっくり腰になってしばらくまたちょっと空きができるとまたそこに怒りが溜まっていって、またそれが許容範囲を超えるとぎっくり腰になってっていうのを繰り返してるから、年に1回とか2回とか定期的に起きるわけですよ。

ぎっくり腰になる人たちって見た目は温厚そうな人が多いんですけど、それってまさに本当は自分がイラッときてたりとか色んなところで怒りの感情を本当は感じてるはずなのに、それを全部抑え込んだりなかったことにしてるからそれが溜まっていくんですよね。

三上:うん。

吉村:まず結構大事なのは、ネガティブな感情って今自分は何かを良くないっていうふうにとらえてるよって、それは単純に体が疲れてるからもうこれ以上やめてくれって、これはもう嫌だって言ってる場合もあるし、

あとは何かに対してこれは良くないものだってジャッジをしてる場合に、自分が良くないと思ってるものが現れたらそこで怒りが出てくるみたいな、ジャッジの結果としての信号なんですよね。

三上:うん。

吉村:だから今自分は何か良くない状態にある、あるいは良くないっていうジャッジをしてるっていう信号なんで、今この信号が出てるんだなっていうとらえ方をすれば、じゃあこれに対してどう対処すればいいかっていうのも見えてくるはずなんですよ。

本当にこのままだと体が悲鳴を上げてるからやり方を変えようとかってことかもしれないし、あるいはジャッジしなくていいものに対してジャッジしてるんだなって氣がついて、じゃあこれに対してジャッジやめようっていうような選択ができればその怒りがずっと出続けることはないんですけど、

でもこの怒りは良くないものってみんな思ってるから、だから怒らないようにしようとか怒ってても何もなかったことにしようみたいなことで溜め込むんですよね。

なので本当は自分どう感じてるのかっていうのは、まずそのことに対して良い悪いのジャッジをせずに自分って今これに対してこう感じてるんだっていうふうに氣づくっていうね。そこがまず最初のチェックポイントですよね。

三上:ジャッジせずにそのまま受け取るということですね。

吉村:そうですね。何に対して反応してるのかっていうことを、今度は自分なりに内観して分析して反応してる対象に対して対処が必要なことなのかあるいは自分のジャッジをやめれば済む話なのかっていうところを見て、それに合わせて対応していくっていうのはやっぱり必要なことかなと思いますね。

三上:嫌なことを忘れたいとかって流す傾向が私は、昔は特にそうだったんですけど多いと思うので。リスナーの皆さんの中でも良いことは覚えていてもやっぱり嫌なことは忘れたいとか後回しにしたいっていう氣持ちもあると思うので、まずは体調を崩しやすい夏もその一つ、時期かもしれませんので自分の感情と向き合うこと。

吉村:そうですね。

三上:セルフチェックしてみてください。

吉村:はい。

三上:吉村さん、本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

391.下半期

これまでの半年をゆっくり振り返りながら、これからの自分にどんな余白を残しておくか考えてみませんか?
焦らず、比べず、下半期を自分らしく過ごすためのヒントになるかも知れません。

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三上:皆さん、こんにちは。こころメンテナンス、本日もアシスタント三上恵と、氣功ヒーラーの

吉村:吉村竜児です。

三上:吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:さあ、7月に入りました、配信。

吉村:はい。

三上:早いですね、もう半年過ぎて下半期ということですけど。どうですか?この半年振り返って。

吉村:いや、もう何かあっという間に過ぎてしまって、ちょっと本当にびっくりしてるっていう感じですよね。年が明けた時に何かきっとまた今年も氣がついたら半分過ぎてて、ワーっとかってなるんだろうなって思ってたんですけど、全くそのとおりになりましたね。

三上:いや私も同じく、まだ何か1ヶ月ぐらいの間隔なんですよ、年が明けて。って感じると、いやはや何だろう?目標じゃないけどまだまだやりたいし、やれることたくさんあるなと思いながらちょっと動いていきたいなって思うんですけど。

吉村:そうですね。とはいえね、じゃあその間にどんなことがあったかっていうのをちょっと振り返ると、それなりに何かすごい色んなことが起きてるんですよね。うちのケースで言えば、娘たちが高校卒業して就職先が決まって学生だった娘たちが社会人になってるんですよ。

三上:大きな変化だ。

吉村:すごい大きな変化。しかも一人は社宅に入ってそんなにめちゃめちゃ遠くでもないんですけど、うちからだと少し電車に乗ったりとか遠くに住むようになって、そんなにしょっちゅう顔を見れない状態になって、一人暮らしのための色々準備とかもあるわけですよね。かなりそれで色々と大きく変化がありましたよね。

僕も一度トライクに乗って高速道路を走って娘の住んでいる社宅まで行って様子を見に行ったりとかしていますし、僕も行ったことない場所に行くみたいなね、やったことないことを新しくやるみたいなことを結構この期間にやってるんですけど。色々あって目まぐるしく進んでるうちに時間がどんどん過ぎちゃって氣がついたら半分過ぎてたみたいな、そんなイメージですかね。

三上:充実してたということですかね。

吉村:そうですね、充実してたというのはほぼ間違いないと思いますね。

三上:でもそうですよね。きっと毎日が早く感じるっていうのは、本当にやることがたくさんあるっていうことだと思うので。そうですね、私も振り返ってみれば何してたっけと思ったんですけど、色々やっぱり変化、お仕事も色々変わったりとか色んな出会いがあったり、色んなお仕事を新たにしたりとか動いてるなって。思った以上に動いてるなって感じてます、今振り返ると。

吉村:そうですよね。時間の進み方をどう感じるかみたいなのって、結局1年の長さがその人の一生の中のどのぐらいの割合かみたいなので変わってくるっていう話を聞いたことがあるんですけど、それ聞いたときめちゃめちゃ納得感があって、

要は1歳の子供にとっての1年間って一生分なんですけど、2歳の子供にとっての1年間っていうのは1年の半分になるわけですよね。だからその感じでいくと、10歳の子供にとっての1年間は一生の10分の1なんですけど、

僕も今年56歳だから、僕にとっての1年って人生の56分の1だから子供時代の長さは単純に計算して50だとして、10歳のときの小学生のときの僕にとっての1年間の長さと比べてもう5分の1になっちゃってるってことですよね。だから、それは早く進むよなみたいなのはありますよね。

三上:そうですね。年々早くなるってそういうことですよね。ちょっと怖いなって思ったけど、楽しみだなという自分もいますね。

吉村:そうですね。子供の頃とかって人生のこの先って考えたときに果てしなさすぎて全然イメージが湧かなかったし、結構家庭環境が色々と乱れてたりっていうこともあって、苦しい状態、抑圧された状態でしんどいなって思いながら生きてる状態がこの先どれだけ続くんだろうか、果てしなさすぎて想像つかなくて嫌になってくるわみたいな感じのところがあったんですよ、子供時代とか。

それも結局色々とあってだんだん自分が力をつけていけば、自分の人生って自分が好きなように生きられるし人生を楽しくするかどうかって自分次第なんだなみたいなことがわかってくると、果てしなくて不安みたいなのってだんだんなくなってきたわけですけど、

その代わりに時間がどんどん短くなっていくっていうことで、そうすると、なるほどこの調子でいくとそれこそ100年生きたとしても半分過ぎてるんだよな、しかも時間の間隔がどんどん短くなっていくから、もう体感時間っていうところで言ったら多分4分の3ぐらい過ぎちゃってるような感じになるんじゃないかなって。

三上:そうですよね。

吉村:そうなってくると、自分が死ぬ間際にあー良い人生だったって思えるように仕上げていくっていう、仕上げの段階みたいなことを今やってるのかなとか思うとちゃんと日々を大事に生きていきたいなってことにもなりますしね。そういう意味では楽しく日々を過ごしていますね。

三上:前回の話にもありましたけど、やっぱり自分のストーリーは自分で作り上げていくものだから限られた時間でこれしよう、あれしようって考えながら楽しむことって大切ですね。

吉村:うん。

三上:でも7月1日、下半期っていうのは改めて私は個人的にすごいシャキッと感じる月ですね。そういうのないですか、吉村さんは?

吉村:何となく今の三上さんの感覚を自分なりに受け取って分析してみると、1年の前半が目まぐるしくバーって過ぎていってちょっと一息ついたところで、よしじゃあこの後半はそれを踏まえてこんなふうにやっていこうみたいな、

氣持ちの切り替えの時期みたいなところで、よし、じゃあ一旦ここまでで区切りをつけてまた仕切り直してやっていくぞみたいな氣持ちを、そういう感覚的な言葉で表現されたのかなっていう感じがしたんですけど、どうですかね?

三上:いやそうです。正しく前半の振り返りをしながら、それをどう活かして後半で生きていくかみたいな。

吉村:そういう発想はすごい良いんじゃないかなって思いますよね。ただダラダラって過ごしていったら、またダラダラと過ぎていっちゃう可能性もあるから、じゃあここまで今年は半分こんな感じできたから、よしこの残りの半分はこんなふうに過ごしていくぞみたいなね。

三上:改めて思うんですけど、年を重ねるとやっぱり早いから時間って限られてるじゃないですか。振り返りながらそれを活かしつつ、同じミスをしないとか学んだことを次にどう活かすかみたいな、改めて節目っていうか考える時期としてはすごい良いなって、今お話ししながら頭の片隅に思ってますね。

吉村:そうですね。それにね、7月だと一応これから夏本番みたいな感じで、その後秋になるわけじゃないですか。なんかそういう暦の考えから見ても春に始めたことがだんだん夏に本番になって、秋に実りが得られてみたいなね。

そこでその後来る冬に向けてこの蓄えをもとに冬を越していくみたいなそのサイクルがあるから、多分今まで最初に種まきをしてきたことがだんだん育ってきている段階っていうのが、今ぐらいの時期ってことだと思うんで、そこから勢いつけてどんどん育てていってその後実らせていくみたいな、

そういう時期だからそこの部分っていうところを意識してやっていくと、流れとか波に乗りやすいとかってあるんじゃないかなと思うんですね。

三上:そうですね。さあ、皆さんもいかがでしょうか。やっぱり下半期ということで、色々考えている方も多いと思いますので、ぜひ自分はこういう感じで生きてますとかね。皆さんの感想とかご意見もお待ちしております。

吉村:はい。

三上:ということで今日のテーマ「下半期」をお届けしました。吉村さん本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

390.「まだ整ってない自分」にOKを出す感覚

「ちゃんとしなきゃ」「もっと成長しなきゃ」——そんなプレッシャーの中で、自分を責めていませんか?
整ってなくても、大丈夫。
吉村さんのお考えを伺いました。

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三上:皆さん、こんにちは。こころメンテナンス、本日もアシスタント三上恵と、氣功ヒーラーの

吉村:吉村竜児です。

三上:吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:よろしくお願いします。さあ、今日のテーマ「まだ整ってない自分にOKを出す感覚」。

吉村:はい。

三上:こちらでお届けしていきたいと思いますが、個人的には完璧なちょっと癖がある。ちゃんと準備して「よし、やるぞ!」みたいな感覚の自分から、このテーマを見るとOKなのかな?っていうハテナが今、飛んでます。

吉村:なるほどですね。目指す方向が完璧である状態っていうのは別に悪くはないんですけど、言ってみたら完璧な状態に到達することは人間としては無理だと思うんですよ。だからあくまでも、そっちの方向に向かって進んでいるっていう自覚で生きてる分には良いと思うんですね。

三上:はいはい。

吉村:そこに到達することはできなくても、一歩二歩でも近づくことはできるっていうことを日々続けていたらどんどんそこに向かって近づいていくけど、そこに完全に到達することはないっていうことが自分で納得できていれば今の完璧じゃない自分に対してジャッジは起きないんですけど、

完璧でなきゃダメだってなると、今の時点で完璧じゃないっていうことに対して、だから自分はダメなんだっていう評価になりやすいんですよね。なりやすいというかもうそうならざるを得ないっていう話になっちゃうんですけど。

だからそもそも人間として生きてる状態で完璧っていうのはあり得ないって思っておいたほうがいいんですよ。どんな人でも常に発展途上で、人生っていうものが一つの作品みたいなものだとしたらこの作品が完成するのは言ってみたら死ぬ時じゃないですか。

三上:はいはい。

吉村:死ぬ時に人生が完成するから、その時に良い人生だったなって思えるような作品になればいいっていう話なんですよね。

そのために常に前向きに向上し続けるみたいなことを本来やってるはずなんですけど、でも完璧でなきゃいけないとか完璧な人がいるはずだとかって思ってると、そうすると自分と他者を比べるようになってしまったりとかね。

三上:うん。

吉村:もうそれこそ不幸の始まりだし、あと氣をつけないといけないのが完璧な人がいるかもしれないって思っていたとしたら、私は完璧な存在であるっていう詐欺師みたいな人が出てきたときに騙されちゃう可能性があるんですよ。

三上:うんうん。

吉村:人間として生きていて完璧になるって、どう考えても論理的に考えて無理だと思うんですよね。どんな人でも一長一短あるし、しかも色んな物理法則に制限された状態で人間をやってるってことは、例えばもし完璧な存在がいたら日本と裏側のブラジルと同時に現れて話をすることとかできてもいいはずじゃないですか。

三上:確かに。

吉村:完璧な存在ならね。でもできないですよね。僕が日本にいる間はブラジルに行けないし、ブラジルにいたら日本からいなくなっちゃうしみたいな話だし。

しかも僕は生まれてこの方、ブラジルに行ったことないですからね。ブラジルのことってテレビやネットからの情報でしか知らないしというような状態なんで、完璧な人なんていないんですよ。そこでまず最初の認知がずれてるから人生が苦しくなっちゃうんですよね。

三上:そうなんですよ。外はよく見えちゃうんですよね。自分はダメだ、もっと頑張らなきゃとか思ってしまうんですよね。

吉村:そこはね、人と比べるっていうことがまさに不幸の始まりなんですよね。比べるっていうのって、何か比べる目的とか基準があってやってることなんですよ。

三上:おー、目的、基準。

吉村:そうそう。例えば受験勉強なんかで、テストに合格してこの学校に入れるか入れないかみたいな競争をするじゃないですか。

っていうのは結局その学校に入れる人数が決まっていて、そこに入れる人数以上の応募があるっていうことが一つと、あとこの学校で教えてる勉強があって、それについていける人でないと入っても無駄な時間を過ごすことになってしまうわけですよね。

だからここに入るためには一定以上の学力がある人っていうのでまず基準を設けて、しかも人数がこの人数しか入れないところにこれだけの応募があるから、ここのライン以下の人はまず切り捨ててこのライン以上の人達を成績の順番に並べていって、規定の人数に達したらそれよりも下の人は切り捨ててみたいなことをやってるけど、

それって結局その大学に入るための学力が十分かどうかみたいな基準で比べてるだけで、落とされた人たちが人間として劣っているのかって言ったら別にそんなことはないわけですよね。

三上:うん。

吉村:もしかしたらそこで落ちた人のほうがすごいおいしい料理作れる人だったりとか、すごい素敵な楽器の演奏ができる人だったりするかもしれないし、会社とかで良いムードメーカーになってくれて会社の業績上げてくれることに貢献してくれる人かもしれないし、

あるいは起業して社会に貢献する人もその中にいるかもしれないし。ただその学校に入れたかどうかみたいな、この学校の基準で比べたらこっちのほうが上か下っていうのが出てるだけで、別の基準で比べたらまた上か下とかって変わっちゃうわけですよね。

三上:確かに。

吉村:パッと見て今の自分が欲しいものとかこれがいいなと思ったことっていう基準で比べて、それが絶対的な上下だったり順位だったりっていうものと勘違いしちゃってるわけですね。

あるいは人が提示したこっちのほうが優れててこっちが劣ってるみたいな、世の中がこう言ってるとか、格付けのすごい人がこう言ってるからそれが正しいんだとか、それって別にその人がそう言ってるとか、

世の中の多数派がそう言ってるっていうことに過ぎなくて、

別にさっき言ったように人って色んな面があるし色んな特技があるから、その全てにおいて全てトップになる人なんているわけがないんですよ。だからもし自分はそうだっていう人が出てきたら嘘つきだと思ったほうがいいですよね。

三上:なるほど。

吉村:それで結局、年齢でそれぞれの強みみたいなのも変わっていくわけじゃないですか。若い頃はすごい好奇心旺盛だったりとか体力がすごくあったりとかっていうので、その時に力を発揮できる分野みたいなのがあるけど、

だんだん大人になってくると体力は落ちてくるけど、その分何か今まで培ってきた知識とかノウハウみたいなのが活かせるようになってきたりとか、

もっと年を取ってくるとさらに体は衰えていくけど本当に今までの人生経験がすごく色んなことに応用できたりとか、今度は後進の人たちを指導できるような立場になったりとかあるかもしれないし、

三上:うん。

吉村:もっと衰えていったらそれこそどんどん肉体も脳みそも衰えていってあとは死に向かっていくみたいな話ですけど、それぞれの段階でそれぞれの役割みたいなものがあるわけですよね。そこで一つの物差しでどっちが上か下かとかって測れないわけですよね。

ってことはどんな人でも発展途上で人生っていう作品を仕上げるために、この作品をより良くするために今できることをやっているっていうふうに考えると別に焦ったりとか周りと比べたりしないで、自分が死ぬ間際にすごく良い人生だったなって思える、そういう作品を作っているのであるっていう心持ちで生きていたら、今苦しい思いもしなくても済むんじゃないかなって思いますよね。

三上:そうですね。今のお話しを聞いて、確かにストーリーを完成するための今のこの時間でっていうのがある。だから楽しみに感じますね。

吉村:そうですね。そういうストーリーを作って紡いでいるんだって思えば、しんどい時期があったとしても、これってやっぱり物語って山あり谷ありで難しい課題を乗り越えた時にそこで生まれる大きな喜びとかそれを乗り越えなかったら見えなかった景色が見えるようになってとか、そういうところに面白みがあるわけじゃないですか。

三上:うん。

吉村:何も波風が一切なくて平坦なストーリーっていうのは、別にそれはそれでそういうのを選ぶっていうのも別に悪くはないと思うんですけど、そういうジャンルの作品もあれば山あり谷ありすごい逆風が吹いててそんな中でも頑張って生きていくっていう、そこが素晴らしいのであるっていう作品もあって、

だから自分の人生っていう作品のまず傾向みたいなのを読み取って、自分はこういう傾向があるならそれをうまく利用してこういう作品に仕上げていくと良いのじゃないかなみたいなのが見えてくると、自分の進む方向性だったりとか、どういう戦略を選んだほうが自分に合ってそうだなみたいなのもだんだん見えてくるんじゃないですかね。

三上:ありがとうございます。今日のテーマは「まだ整ってない自分にOKを出す感覚」ということで、本当に一人一人ストーリーが違いますので。

吉村:うんうん。

三上:この話を聞くとますます他人と比べるのは違うなっていうふうに感じました。

吉村:本当に全くそのとおりだと思いますね。

三上:今日も素敵なお話、そして皆さん素敵なストーリーを仕上げてください。本日も吉村さんありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

389.今の私にとっての「本当の豊かさ」とは?

「豊かさ」は、誰かと比べるものではなく、“今、ここにある幸せ”に気づけることかも知れません。

 

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三上:皆さん、こんにちは。こころメンテナンス、本日もアシスタント三上恵と、氣功ヒーラーの

吉村:吉村竜児です。

三上:吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:前回、光のお話が出たと思うんですけど、今回もこれに繋がってくるのかなって感じています。今日のテーマ「今の私にとっての本当の豊かさとは?」こちらをテーマにお届けしていきたいと思います。本当の豊かさ?

吉村:そうですね。前回のお話からの流れというか関連した話にもなってくるんですけど、本当の豊かさって考えた時に、物質的な豊かさと心の豊かさみたいなのは結構やっぱりパッと浮かぶものだと思うんですよね。

やっぱり人が幸せに生きていく、豊かに暮らしていくにあたって物心ともに豊かであることが大事っていうこともよく言われてることだと思うんですよ。だから実は心理学の世界とかだと、マズローっていう心理学者が提唱した「欲求段階説」っていうのはあるんですけど。

三上:欲求段階説?

吉村:人の欲求には段階があって、マズローさんが最初にそれを提唱したときには欲求には5つの段階があるっていうふうに言ってたんですよ。ただ晩年になってから、実はそのさらに上にもう1個段階あるなっていうふうに気がついたというか、そういうふうに思うようになってそれで欲求には6段階あるよっていうふうな説を提唱したんですね。

結構有名な説ではあるんですけど、多分ご存知でない方もいらっしゃるかと思うのでちょっと軽く解説をするとですね、まず何となく下から上に積み上がっていくような感じのものとしてイメージしてもらいたいんですけど、

一番下の段にある欲求ですね、「生理的欲求」って言われていて、食欲、睡眠、排泄などの身体的な欲求。だから食べたり寝たりとかっていうのができないとしんどいよねみたいな。最低限、自分の身体が生きていくのに必要最低限のものが揃ってますみたいな感じの状態。

三上:はい。

吉村:それで次に第2の欲求は、「安全欲求」ですね。危険や不安から身を守りたいっていう欲求。食べ物にありつくことができて命をつなぎ止めることができたけど、いつ食べ物が無くなっちゃうかわかんないって思ったら不安じゃないですか。

だからいつもお腹が空いた時に食べ物があると安心だよねとか、雨が降ってもちゃんと屋根がある家に住んでたら安心だよねみたいな、そういう安全の欲求っていうのがあるわけですよ。

これは生理的欲求が満たされた状態でないと次に安全の欲求って出てこないわけですよね。今、食べ物がなくて苦しくてもう死にそうですみたいな状態だったら、とりあえず食べ物があればいいみたいな話じゃないですか。だから安全かどうかっていうことを考える余裕もないわけですよ。

三上:うん。

吉村:だからまずお腹を満たすことができてこれで今すぐ生きるか死ぬかみたいな状態じゃないっていうふうになったから、そうするとまた生きるか死ぬかの体験をするのが嫌だからもっと安全な状態を作りたいよねっていう欲求が次に出てくるってことなんですね。

その欲求がある程度満たされた状態だとさらに上の欲求が出てくるんですね。3番目の欲求っていうのは「愛と所属の欲求」と言われていて、家族や仲間との繋がりを求める欲求ってことですよね。

それが本当に生きるか死ぬかみたいな状態だったら、友達とか家族とかよりもまず自分がこのままじゃ死んじゃうかもしれないみたいな話になっていてそんな愛とか所属とかって考えてる余裕もありませんわっていう状態になっちゃうんですよね。

例えばすごく貧困層のスラム街みたいなところって治安がすごく悪かったりするじゃないですか。

三上:そうですね。

吉村:それって結局、危険とか不安にいつも隣り合わせの状態で生きてる人たちなわけですよね。そうすると、その中では知らない奴が来たときに困っている迷子の人だったら道を教えてあげるよりも、こいつからぶんどって自分が得をすることを考えた方がいいよねみたいな感じになっちゃうから、余計治安が悪化してくるわけですよね。

そういうような感じでそこの危険や不安から、危険や不安がひとまずあんまりないよねっていうところまで持ってこれたら、やっぱり仲間大事だよねとか、家族と一緒にいると幸せだよねっていうような、そっちの欲求が生まれてくるっていう言い方もできるかもしれないし、もともとそういう欲求があったってことに気づくっていう言い方もできるかもしれないですよね。

三上:うん。

吉村:そこが例えばある程度、友達もいるし家族もいるしってなったら次の欲求として「承認欲求」っていうのがあるわけですね、4番目。他者から認められたい、評価されたいっていうね。

だからただみんなと一緒にいて良かったねっていうだけじゃなくて、そのみんなからお前すごい奴だなとか、よくやったねとかそういうふうに承認されることを求めるようになるっていうことですよね。

三上:はい。

吉村:その承認される経験とかをして自分ってちゃんと価値がある人間なんだ、ここにいていいんだっていうふうに感じるようになってくると、今度その先に5段階、初期の頃マズローさんが一番上の欲求って言ってたものが「自己実現欲求」ですね。自分の可能性を最大限に発揮したいという欲求。

これは自分はもっとすごいことができるかもしれないとかね、こういう生き方がしたいんだ、こんな人間になりたいんだっていう、そういう欲求が出てきてそれに向かって進んでいくみたいなね。

ここまでが人間の欲求の頂点っていうのは自己実現だみたいなふうに思ってたんですけど、晩年になってから、でもそれだけじゃないんだなって。そこまでできた人がさらに先に持つ欲求ってところで、第6段階でね、「自己超越欲求」っていうふうに言われてるんですけど。

三上:自己超越欲求。

吉村:これは自己実現を超えて社会に貢献したい、世界をより良くしたいという欲求っていうふうになるわけですよ。だからもう自分だけじゃなくて他のみんなにとっても何か良いことがしたい。

だから自分をただ一つの個としてとらえてるんじゃなくて、全体っていうものの中に自分がいてそれで全体が良くなることがいいことだっていうふうに感じるようになるってね。

これは一説には、全人類の中で2%ぐらいしかここに到達してる人はいないみたいなことを言ってる人もいる感じなんですね。実際の統計を取ってるわけじゃないでしょうから、感覚的に言ってるんじゃないかと思うんですけど、とにかくそういうような感じで。

多くの人たちは、日本人とかだと今日食べるものもちょっとあるかどうかわかんないみたいな中で生きてる人っていうのはだいぶん少数派で、最低限住む場所はありますよみたいなね。ホームレスの人たちもいるけど、そうじゃなくて普通に暮らしてる人たちは最低限住む場所があって家族とか仲間もいますよみたいな人が結構大多数だとは思うんですよね。

三上:はい。

吉村:でもその中で他のみんなから認められたりとか賞賛されてるかみたいなね、承認を得られてるかみたいな部分で、そこで言ってみたらハマってる人たちっていうのは結構多いんじゃないかと思うんですよ。

承認欲求がすごくて常に人から自分はすごいってことをアピールしようとして承認を得ようとしてるけど、ちょっとそれで煙たがられてるみたいな人とかも結構いたりとかね。だから結構3番4番あたりのところの欲求にとらわれてるっていう人たちが案外多いのかなっていう感じがしますよね。

三上:うん。

吉村:そこでじゃあ自己実現の方に向かえるかどうか。そこまで行けたらさらに先に自己超越欲求のところまでいけるかみたいなところっていうのはあって、これってまさにある程度、まずは最初に物質的な豊かさっていうのがあるかどうかって話じゃないですか。

食べるものがあるかどうか、寝る場所があるかどうかみたいなね。安全かどうかみたいな。この辺って、まずは最低限、例えば収入があるとかある程度住む場所が確保されてるみたいな状態っていうのは、ここが所謂物質的な豊かさっていう話なわけですよ。

でもここが満たされてたらその先に愛と所属とか承認欲求って話が出てくるんで、だからそこの物質的な豊かさもちょっと危ういですって、今ないですってなるとその先の豊かさにまず意識が向かないわけですよね。

三上:今で精一杯だ。

吉村:そうそうそう。だから最低限このぐらいは必要だよねっていうラインみたいなところは、まず物質的な豊かさは超えられるところまで持っていかないとその先の豊かさにたどり着けないから、

まずそこに今、物質的な豊かさが本当に足りなくて日々の生活とか来月の支払いが大丈夫かとかっていうところに不安があるとかってなったら、本当に愛とか承認欲求どころの話ではないみたいな、とにかく何とかしなきゃみたいな、水道止められたらどうしようみたいな状態だったら豊かになりようがないんですよね。

だから最低限そこは大事なんですけど、そこの最低ラインでとりあえずは生きていけます、安心安全ありますってなったら、その先の部分っていうのは結局周りとのコミュニティとのつながり、人間関係みたいな話、

そこから今度自分が自分をちゃんと受け入れることができてるかみたいな自己承認ができてるかどうかみたいなところに行くから、ここはもう心の話になってくるんですよね。

三上:そうですね。

吉村:なのでここの物質的な豊かさだけを求めてる、ここが豊かさであると思っちゃうと、結局その安心安全が手に入ってるんだけど、それでもまだ何か足りない何か足りないからもっとお金稼がなきゃってなっちゃってる人っていうのが結構いると思うんですよ。

これっていくらお金稼いだところで、その人が結局家族とか仲間とかつながりが全くなくてただ通帳の残高がどんどん増えていくみたいなことになったとしても、その人って豊かではないんですよね。

三上:そうですね。

吉村:そうするとここからは自分が目指す豊かさの定義をちょっと変えていく必要があるんですよ。

今月の支払いもどうかっていうところでアワアワしてる人が自己実現とかって言ってても、それよりもとりあえず電気止められてるんだから電気代だけでも払えるように何とか日雇いのバイトでもした方がいいんじゃないみたいな感じになってきちゃうんで、ここはこの切り替えのラインっていうのがちゃんとわかってるかどうかっていうのが結構大事ですよね。

そこがよくわかってないと、それこそ変なカルト宗教とかにハマって家族がみんな苦しい思いしてるのに来世のためにお布施をバンバンするみたいなことをしてどんどん物質的な豊かさが足りない状態で、そこで一生懸命自己実現をするためにはもっとお金払わなきゃいけないんだみたいなことをやってても、ここはズレてるからうまくいくわけがないし、

三上:うん。

吉村:それにすごいお金があるんだけど結局心の豊かさの方に目がいかなくて、お金をこんなに稼いでるけどみんなが自分のことを本当に大事にしてくれてるのがわからないからもっと稼がなきゃみたいなことで、ひたすらお金は増えていくんだけど心は貧しいままみたいな状態でも、いつまで経ってもその人は本当の豊かさにたどり着けないんですよね。

ここのラインの見極めと、今の自分にとってがどこに集中してここの段階を上がっていくか、自分のどこの段階にいるかによって戦略が変わってくるわけじゃないですか。

だからどのルートでどの選択肢を選んでいくかっていうのは、自分がどの段階にいるかに合わせて選んでいく必要があるから、このどこの段階にいるかっていうのを意識しながら何を選ぶかっていうことをやっていくとこの階段を上がっていきやすいんじゃないかなと思いますね。

三上:ありがとうございます。普段前にもお話が出たと思うんですけど、当たり前すぎてそういうことにも気づかないまま日々を追われて生きている方も多いのかな?昔は特に私もそうで、朝が来て夜になって何をしてるんだって思いながら苦しかった時期もありますけど。

改めて皆さんが豊かさとはとか、自分にとってっていうので今日はちょっと問う時間になってほしいなって思います。

吉村:そうですね。特に日本だと今も結構物質的な豊かさも危うい人たちも結構出てきてるっていう話も聞くんですけど、その人たちはその人たちの段階としてやらなきゃいけないことっていうのがあるけど、

日本の場合そこの部分って例えば生活保護とかセーフティーネットがあるから、そこをちゃんと利用すれば最低限の物質的な豊かさの部分って保証してもらえる制度があるわけですよね。

だからそうするとやっぱりそこで大事なのって、今度この先に行くためには心の豊かさの部分っていうのが本当は必要なのであるっていうこと。

あとその承認欲求も他者からの承認だけじゃなくて、自分で自分を承認することでこの承認欲求って本当はすごく満たせるものなんですよね。

三上:はい。

吉村:だからそこがわかってないと他から貰おうとしてクレクレ状態がずっと続くけど、結局他者をコントロールするっていうことはできないから、自分を承認してもらいたいのに承認してもらえないっていうことが起きたらひたすら苦しい状態が続いちゃうわけですよ。

でもこれって自分で自分をちゃんと承認することができてこの欲求を満たすことができれば、その次の段階に行くことができるわけですよね。だからその辺のちゃんと本当はこういう段階が存在していて、その段階ごとにやることが違うんだということがわかってることで、ちゃんと適切な選択ができるようになると思いますよね。

三上:改めて私もメモとりながら自分も見直したいと思います。吉村さん、本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

388.今の自分にとって“光”とは何かを問い直す

6月21日夏至を境に、日照時間は少しずつ短くなっていきます。
つまり、「光のピーク」=「これから陰に入っていく始まり」という側面も持っています。
お話しをきいて、あなたの“本当の光”に向き合うきっかけになって頂きたい内容です。

 

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三上:皆さん、こんにちは。こころメンテナンス、本日もアシスタント三上恵と、氣功ヒーラーの

吉村:吉村竜児です。

三上:吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい、さあ、配信日6月20日ということで、明日が21日が夏至ということでですね、それにかけて光、今日のテーマ「今の自分にとって光とは何か?」というので取り上げていきたいと思います。

吉村:はい、夏至っていうのは、一年間の中で一番日照時間が長い。日の長さみたいなところで言うと一番日が長い日で、夏至を超えるとまた日がだんだん短くなっていくっていうね。光の時間が一番長いっていう一年間での到達点みたいなところなわけですよね。

なのでそれにかけて僕たちにとってそれぞれにとっての、自分にとっての光とは何なのかっていうところをもう一回ちょっと見直していこうというような意味合いなわけですけど。

三上:わかりやすくありがとうございます。

吉村:どうですか、三上さん的には、これが私にとっての光だなって何かありますか?

三上:光ですか?自分の笑顔。

吉村:いいですね。

三上:今パッてイメージするのは笑顔。これは自分もですし、相手もですね。見たときのここからワーってなる。

吉村:うんうん、そうですね。だから何かワーっていうちょっと内側からじわっと湧き上がってくるような何か満たされるような感じみたいなのがきっとあるってことなんじゃないかと思うんですよね。それは一体どこから来るのかっていうとですね、

三上:はい、どこから来るんだ?

吉村:僕たち一人一人は言ってみたら、人間として生きてる間はこの肉体を通して世界と関わっているわけですよね。だけどこの僕たちの本質っていうのは魂の方なわけですよ。魂はその僕たち一人一人にとっての本質というか本体みたいなものというふうに僕は考えてるわけですね。

だからこのこっちの世界の肉体を持った人間という生き物っていうのは、この魂が使ってるアバターみたいなものですよね。ネットゲームをやるにあたって自分がそのネットゲームの世界に直接入ることができないから、アバターを通してこのネットゲームの世界に入ってるわけじゃないですか。

三上:はい。

吉村:それでゲームをプレイしてるわけですよね。でもプレイしてる人っていうのはそれぞれの端末、スマホなのかパソコンなのかの前にいて、画面を見ながら何かポチポチやってる人たちですよね。でもゲームの世界の中では何か冒険者であったりとかその世界で何かをやってる人たちですよね。

だから僕たちの本体、ゲームでいうとこのゲーム機の前で操作してる人たちっていうのが僕たち一人一人の魂なわけですよ。この魂が何のためにこのゲームをやってるのかっていうところなんですよね。

実際に僕たちが何かゲームをやるときに何のためにこのゲームをやってるかっていったら、ゲームで何かうまくいったとき、例えば冒険が成功したとか、自分が立ててた目標、このゲームの世界で億万長者になるぞみたいなのを立てた目標や実際にそれになれたとかってなったときに高揚感を感じるわけじゃないですか。

三上:はい。

吉村:爽快感だったり高揚感だったり普通の日常の生活の中で味わえないような、そういう感覚をこのゲームをプレイすることで味わいたいからやってるわけですよ。だからこのゲームをやってるときの爽快感とか高揚感みたいなものがなくなってくると、ゲームがちょっとつまんなくなってきたからやめようってなるわけですよね。

中には本当に作業みたいなゲームもあるわけですよ。でも世の中には作業みたいなことが好きな人たちもいるわけですよね。だからゲームも色々好みがあるじゃないですか。やたらアクションが激しいゲームが好きな人もいれば、アクションはあんまり苦手だからパズルみたいな頭を使うゲームが好きなんだけどって人もいるし、

時間制限があったりとか追い立てられる感じのゲームが嫌だから、のんびりできるゲームが好きだなって箱庭を作る感じのゲームをやってる人がいたりとか色々いますよね。あと謎を解きたいんだみたいなね。あとはちょっとハラハラドキドキしたいからホラーゲームがいいんだみたいな人たちとか。

三上:うん。

吉村:っていうのは結局その人たちの好みが違うから、その好みによって遊ぶゲームを選んでるわけですよね。僕たちの魂も言ってみたら好みがあるわけですよ。僕たちが住んでるこの現世っていう世界はめちゃめちゃ多様性がすごいわけですね。

この現世の中で自分がどういう目標を立ててゲームをやるかっていうのはプレイしてる僕たちが結構選べちゃうし、何なら僕たちは色々自分たちがイメージしたものを現実化する能力を持ってるんですよね。

だから言ってみたら僕たちは人間が空を飛ぶなんてありえないだろうっていう時代も昔はあったわけですよ。僕たちが生まれるもっと前。その時代は空を飛ぶ?何バカなこと言ってんのみたいな感じの時代から、空を飛びたいんだっていう人が色々と考えて試行錯誤してライト兄弟が空飛ぶ乗り物を作っちゃったわけじゃないですか。

そのぐらいに現実を大きく変えてしまうこともできるし、だから本当に自分たちがこの箱庭の世界でどういうゲームをやるかっていうこと自体を選べるような、そのぐらいのすごいゲームの中にいるわけですよね。

三上:ほお。

吉村:そうするとこのゲームの中で何をしたら自分の魂が喜ぶのかっていうところなわけですよ。ネットゲームとか市販のゲームの世界だったら自分の好みに合わせて遊ぶゲームを選ぶし、遊んでるうちに何か違うなって思ったら違うゲームに乗り換えるみたいなことをしてるわけですけど、

この現世ではそれができない代わりに、この現世のゲームの中で自分がやりたいサブゲームみたいなものを作れちゃうんですよね。だから自分はこれがやりたいから人生を選んだんだなみたいなところにたどり着ければ、いくらでもそれをやり続けられるわけですよ。

それこそ伝統的な伝統工芸を作ってる職人の人たちとかって、ストイックにそれをずっとやり続けてるわけじゃないですか。これってその人たちからしたらそれがものすごい喜びにつながってるからやってるんですよね。

三上:うん。

吉村:例えばそれこそプロの格闘家の人たちとかすごいなと思うけど、僕はあんな痛い思いして身を削ってやりたくないけど、でもその人たちからしたらすごい喜びがあるからその生き方を選んでるわけですよね。

だからそういう意味では何をしたら自分の魂が喜ぶのかっていうところが実はすごく大事で、それがだから言ってみたら光なわけですよ。つまり自分の魂が信号を送ってくれるんですよ。あっ、そっちだよみたいなね。

自分の魂が喜ぶことに近づけば、そっちそっちみたいな感じでピカピカピカってサインを送ってくれるし、そこから離れていくと光がなくなっていくからどんどんどんよりしていくわけですよ。

なのでそこの自分の魂が送ってくれる信号に氣づくっていうことが大事なんですけど、そこの信号がどういうものなのかっていうのが内から湧き上がってくる喜びみたいなものなんですよね。

三上:はい。

吉村:これも人によって感じ方が必ずしも同じじゃないから、ちょっと勘違いしてカタルシスで感じる高揚感みたいなものを喜びって勘違いしちゃう人が変な依存的な方向に行ってしまう場合があるんですね。

カタルシスと魂の喜びの違いっていうのはちょっと軽く説明しますと、これあくまでも例えなんですけど本当に空氣が綺麗な自然の豊かな高原とかに行って深呼吸して空氣おいしいって感じるときって何かそこでの高揚感みたいなのあるじゃないですか。

三上:あります。

吉村:今度、首絞められてすごい苦しい状態になっているところからパッと開放されたってなったら、ハッハッあ〜助かったみたいな感じになって高揚感を感じるじゃないですか。

あとすごい空氣悪いところにずっといて、すごい幹線道路で排ガスがすごくてとか近くでタバコをモクモク吸ってる人たちがいて、すごい苦しいところから空氣が綺麗なところにパッと抜け出したみたいな。

その酷い状態から抜け出したときの空氣の質がそんなに良くなくても、元がすごい酷かったからとにかく助かったって、息ができるみたいな状態ですよね。

溺れて息ができない状態から助かったとか溺れて息ができない状態から助かったって時に、その先の空氣が実はさっきの幹線道路のすごい汚い空氣だったとしても多分それでも助かった良かったってなるんですよ。

三上:そうですね、あまりにも苦しすぎてね。

吉村:これが僕たちの肉体って明暗とか差で、ものを感じるんですよ。温度とかも触って何度って分かる人も中にはすごい特殊な人もいるけど、基本的にはすごく暑いところからちょっと暑いところに行ったら涼しくなったって感じるんですよね。

だから差を感じてるだけで実際にどうなのかっていうのは、すごく感じ取ることが難しいわけですよね。音楽なんかも絶対音感っていうのを持ってる人は聞いただけでこれドの音だって分かるけど、でもそこが絶対音感ない人は、2つの音を聞き比べたときにこっちの方が高いなこっちの方が低いなっていうのが分かるわけですよ。

三上:うんうん。

吉村:だから、魂が喜んでるかどうかっていうのは実はそれに近い感じで、差を感じてるんじゃなくて本当に魂が喜ぶことに触れたら魂から信号が来るんですよね。

これが所謂、琴線に触れるみたいな感覚なわけなんですけど。でもここのすごい暗いところからちょっと暗いところに行ったら明るくなったって感じるみたいな、これが一種のカタルシスみたいな。カタルシスって僕は呼んでるんですけど、しんどい状態から解放されたっていうね。この高揚感って、言葉で表すとしたら一種の高揚感なんですけど、明らかに実は違うんですよね。

三上:うん、違いますね。

吉村:この違いが分かってくると、本当に自分の魂が何を求めてるのかっていうのが見えてくるんですよ。それは、結局いくらでもやってられるんですよ。苦しい状態から解放されたっていうと、それをずっと持続することって無理じゃないですか。

三上:はい。

吉村:またこの感覚を味わいたかったらまた苦しい状態になってそれで解放されるってやらなきゃいけないし、それをやってる間にだんだん耐性がついてきちゃうから苦しい状態がだんだんわからなくなってきちゃうんですよね。

だからそうするともっと大きな刺激がないといけないみたいな感じになっていっちゃうんですけど、でも魂が喜んでる琴線に触れてる状態っていうのは、言ってみたらずっと続けられるんですね。

なので、どこに魂が喜びを感じるのかってここが一人一人違うわけですよ。これは「バリューフォーミュラ」っていう概念でこころメンテナンスでは説明してるんですけど。魂が持ってる価値観ですよね。

この辺はまた他の配信でも色々説明しているので、よかったらホームページのほうとかでも解説してるところがあると思うのでそこを見ていただくといいんですけど、

魂が何を好むのかっていうそこが言ってみたら僕たち一人一人の光になるので、ここを僕の魂が喜んでるみたいなことを追いかけていくっていうのが光に向かって生きていくっていうことかなって思いますね。

三上:まだリスナーさんの中でも自分の光って何だろうって考えてる方にはすごい、さっきおっしゃった苦しい状態からパッと抜け出したところの違いを、ちょっと明確じゃないですけど感じてほしいですね。そこの自分が本来の光っていうところに進んでいただきたい。

吉村:そうですね。苦しい状態からパッとあー助かったっていうのはこれはカタルシスで本当の光じゃないんですよね。本当の光っていうのは本当にそこに触れてると内側からじんわりと喜びを感じるみたいなものなんで、それはだからきっと三上さんは笑顔に触れたときにその感覚があるから、これ自分の光なんだなって感じたんだと思うんですよ。

三上:はい。

吉村:なので何かすごく困ってることが何もなかったとして、それでも自分が喜びと感じるものは何かっていうところですよね。困ってる状態から解放されたときに良かったって思うのは誰でもそうなんですよ。

だけど何も困ってないときにそれでもやりたいことは何かっていうと、これはみんな一人一人違うんですよね。だからそこの何も困ってない自分がそれでも喜びと感じることは何であろうかっていうそこを見ていくと、自分の光ってどこにあるんだろうかっていうのが見えてくるんじゃないかなと思います。

三上:すごい、みなさんもヒントに自分の光とは何か、ちょっとこの時間考えてみてください。吉村さん、本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

387.恥ずかしさ、恥について

ハンドルネーム たまねぎさんからのメッセージを取り上げて、吉村さんからお話伺いました。

 

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三上:皆さん、こんにちは。こころメンテナンス、本日もアシスタント三上恵と、氣功ヒーラーの

吉村:吉村竜児です。

三上:吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:本日もお便りをご紹介していきたいと思います。ハンドルネームたまねぎさんです。「吉村先生、三上さん、こんにちは。私はこのポッドキャストがすごく好きです。」うわっ嬉しい。

「吉村先生の筋道だったり論理的な話し方が分かりやすくて大好きです。言葉の定義ももちろん、きちんと説明してくださるので本当に理解しやすいです。こんな学校の先生がいたら、数学や理科も大好きになっていたかもと思いながら聞いています。」

吉村:あー嬉しいですね。

三上:本当ですよね、先生になってほしい。

「三上さんの明るく親しみやすいお声や話し方も大好きです。私の中ではお二人は最強コンビです。いつもありがとうございます。」

吉村:ありがとうございます。

三上:ありがとうございます。

「さて本題の質問です。私は恥ずかしいとかなり頻繁に思っていることに少し前に氣づきました。ACTをフルセットで入れているので、どうオーダーしたらいいか自分なりに考えるのですが、恥ずかしいというのは色んな原因があるようで難しいです。

劣等感から来るかっこ悪いという思い、恥のように感じていますが、何をジャッジしているのかを突き止めれば良いのでしょうか?

例えば、私は職場や仕事絡みでよく感じます。理解が悪いんじゃないか、処理が遅すぎるんじゃないか、ミスが多いんじゃないかと思って、そんな自分に劣等感や恥ずかしさを感じやすいです。

また、お金をたくさん稼げないこと、体力がなく風邪をよくひくことにも強い劣等感を感じます。頭では別にそんなに引け目を感じなくても良いのにと思っているのですが、吉村先生に恥ずかしさ、恥についての解説をしていただきたいです。

きちんと理解してジャッジを手放していきたいです。また、流しっぱなし動画でも恥、劣等関係のブロックが外れるものをリクエストします。よろしくお願いいたします。」と来ています。

吉村:なるほどですね。流しっぱなし動画のリクエストをありがとうございます。ぜひ近いうちに取り組みたいと思います。

でもご自身で「何をジャッジしているのかを突き止めればいいのでしょうか?」と言われているこの部分に関しては、まさにそのとおりで何かしらのジャッジがあるからそういった感情的な反応が出てるっていうところは、ほぼほぼ間違いないわけですよ。

三上:うん。

吉村:この部分の何をジャッジしているのかっていうのが多分ちょっとよくわからなくて、うまくこれを手放すに至ってないっていうことなのかなというふうに文面を見させていただいて感じたところではあるんですけど、まず感情って結構多層的になってる場合が多いんですね。

実際には元々のジャッジがあって、そのジャッジに対して何かしらの反応が起きるわけですよね。だけどその反応に対してまた新たなジャッジが生まれるとその反応をしている自分という、この感情になっている自分が嫌だからそれをまた別の感情で上塗りしてごまかしていくみたいなことをしていくってことが多いんですよ。

それも結局その出てきた感情に対してまた新たなジャッジが生まれるから、そのジャッジによって別の感情が出てきてその感情に対してまたジャッジが生まれるんで、それがまた別の感情に上塗りされてっていうこの繰り返しが起きていっちゃうんですね。

三上:うん。

吉村:色んな事柄に対していつも同じような感情で反応してる人たち、例えば怒りっぽい人とかね。何かって言うとすぐに怒ってるみたいな人っていうのは、実は怒ってるっていうのを下を掘り進んでいくと、もっと色んな感情が隠れてるんだけどそれを全部怒りっていう一つの感情で上塗りしちゃって自分が色んなジャッジをしてるってことを分からなくさせてるっていうことが結構あるんですよ。

だからこの恥ずかしいっていうことに関しても実はジャッジしてることっていうのが一つ二つじゃなくてものすごいたくさんあって、それを何層も上塗りしていく間に恥っていう感情で全部ひとまとめにしちゃってるっていうことが起きてる可能性があるかなと思うんですね。

三上:うん。

吉村:そうなるとちょっと掘り返していく必要があると思うんですよね。そういう意味ではまず色々とお金を稼げないとか体力がなくて風邪をひくとかって、自分が劣ってるっていうふうに感じてるっていうね、だからその劣等感っていうところ。

ここが自分が劣ってるんじゃないかっていう感覚に対して劣等感とか恥ずかしいっていう感覚、感情が出てきてるっていうことだと思うんですよね。だからまず劣ってるって感じるってことは、何か比べて順位をつけてその中で自分が劣ってるからダメだっていうことに対してジャッジをしてるわけで、

だけどそもそもここで順位をつける必要があるのであろうかっていうね。例えば別に何かで順位をつけるとしても順位をつける事柄っていうのかな?色々あるはずじゃないですか。

例えばある人は足が速いからかけっこしたらこの人が一番になるけど、でもそこでビリになった人は勉強がすごくできるから学校のテストだったら一番になるかもしれないけど、かけっこの人はもしかしたら勉強では順位が低いかもしれないしみたいな話ですよね。

三上:うん。

吉村:だからそれっていうのが、体力知力の2種目とかでもなくて、何かで比べて順位をつけようと思ったらものすごい無数に色んなことがあるわけですよ。例えば別に勉強も運動もできないけど料理がめちゃめちゃうまいとかっていう人もいるかもしれないし、子供の世話をするのがめちゃめちゃうまいとか、動物にめちゃめちゃ好かれるとか実はいくらでもあるんですよ。

だけど多分特定の事柄での順位だけにこだわってるっていうことがあるんじゃないかなと思うんですね。だからそういう意味ではみんな本当はどこがその人の強みでどこが弱みかっていうこの部分が、強み弱みの偏りみたいなのが人それぞれすっごい違うわけですよね。

これを一つの基準で全部順位つけようってなったら、その基準にマッチしてる人が一番順位が上になってその基準の事柄に関して弱みがある人はビリの方になっていっちゃうっていう話になるわけですけど、でもその基準は一つである必要はなくてものすごいいっぱい色々あるわけですよね。

だからそういうところのこの基準でなきゃダメみたいな感じの、この基準が正しいとか、何の基準で順位をつけるかみたいな部分がブロックによって固定化されてる可能性があるかなっていう感じがしますよね。

三上:うん。

吉村:こういう基準を固定化するような思い込みって、実は結構親とか先祖から受け継いでるものも多いと思うんですよね。だから学校とかでの刷り込みとかで勉強できないとダメなんだと思っちゃってる人は勉強っていう基準にすごくこだわりを持ってるってこともあるかもしれないんですけど、

でも親から例えば文武両道でなきゃダメなんだみたいな教育を受けてたとしたら、文と武が両方ないとダメなんだってこれがこの人の基準になったりとかあるし、

あとは親がそういうふうに言ってなかったとしても親御さんがそう思ってるっていうのは、親御さんが持ってるブロックの影響を言葉のやり取りはなくてもエネルギー的には受け継いじゃうっていうこともあるんですよね。

三上:うん。

吉村:だから元々自分が何か経験してそういう一種の考え方の癖みたいなものができちゃったとしたら、そこに立ち返ってそれって本当かな?みたいに自分で自問自答して自分の中でそれを分解していくっていうこともできるわけですけど、親御さんとか先祖から受け継いでるものだとしたら、これって本当に自分の考えなんだろうかみたいなね。

ご両親とかをよく観察してどういう発言してるかなみたいなのを見てると、これってお父さんがいつも言ってたことだからそれが刷り込まれてるのかなとか、お母さんは口では言わないけど多分こういうふうに考えてるだろうなみたいなってことは、その影響を僕も受けててそこからきてるかもしれないなとか、そういうところが見えてくると思うんですよね。

そうするとACTを使ってるときのオーダーとしては、こういう考えを例えばお父さんのこういう考えに影響を受けてる自分がいるなとか、お母さんのこういう性質を受け継いでる自分がいるなとかそういうところから崩していくってことも可能だと思うんですよね。

三上:うん。

吉村:あとはこの基準だけが正しいと思ってる自分がいるなとかっていうところで崩していくとかね。ACTのオーダーの仕方としては、どういう基準で自分がジャッジをしてるかっていうこの基準の部分を見て、そこに対してのオーダーをしていくっていうのが結構いけるんじゃないかなと思うんですよね。

だから恥ずかしいっていうのはね、多分優劣みたいなね、優秀である劣ってるみたいなそこの観点でジャッジをしてるから自分が劣ってることがみっともないことだみたいな感じのジャッジから恥ずかしいっていう感情につながってると思うんですけど、ここがもしかしたら例えばこの特定の基準で上位になれないと自分には価値がなくなってしまうんではないかとかね。

三上:うん。

吉村:そういうような価値がなくなることに対する恐れっていうのがあっての、そこで頑張んなきゃって思ってるんだけど期待したような結果が出ないと自分はダメなんだみたいな、この辺のジャッジの階層構造みたいなところ。

だから最終的にはみんな違ってみんないいって話なんですよ、本当は。辿り着く結論はそこなんですけど、そこから逆算して自分がみんな違ってみんないいと思えてないっていうのはなぜだろうかみたいなね。

そうすると、ここの部分に対してこう思ってるから自分はみんな違ってみんないいと思えてないんだってなったらそこにブロックがあるってことなんですよ。

三上:うん、わかりやすい。ということで今日はたまねぎさんのお便りをご紹介して吉村さんに詳しくわかりやすくご説明していただきましたけど、たまねぎさんいかがでしたでしょうか?またお話聞いてご感想をお待ちしております。

吉村:そうですね。例えばお金を稼げるかどうかみたいな話も、みんな違ってみんないいっていう観点で自分の強みは何かみたいなところを見ていくと、案外自分はこの強み活かしたら無理せずお金稼げるわみたいなね。

別に大金持ちにならなくても、自分と自分の家族がある程度豊かな暮らしができてればそれでいいわけじゃないですか。別に大富豪になってても心が幸せじゃない人なんて多分いくらでもいると思うんですよね。

三上:そうです、そうです。

吉村:そういう意味では心が幸せであるってことの方が重要だと思うんで、そこの自分の強みを活かして自分が内面的に幸せな状態で生きていくことができるっていうそういうルートを模索してみると、案外世の中が提示するこの基準でどっちが上か下かみたいなのを手放してもいいなって自然に思えるかもしれないですよね。

三上:ありがとうございます。ということで、ぜひリスナーの皆さんからも私の話も吉村さんに聞いてっていうのがありましたらどしどしお待ちしております。

吉村:はい。

三上:吉村さん、本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。

386.父の日

ハンドルネーム ひよこまんじゅうさんからのご感想と父の日について吉村さんからお話を伺いました。

 

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三上:皆さん、こんにちは。こころメンテナンス、本日もアシスタント三上恵と、氣功ヒーラーの

吉村:吉村竜児です。

三上:吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:はい、まずご感想のお便りが来ていますのでご紹介していきたいと思います。

吉村:はい。

三上:はい、ハンドルネームひよこまんじゅうさんからです。「以前、不安についての質問ですけど回答していただきありがとうございました。親に影響されない自分を確立する必要があるのですね。どこかに依存したい氣持ちや孤独感があるので、親の影響を受けやすいのかもしれません。」という感想ですね、来ております。

吉村:はい。感想をいただけるのは本当に嬉しいですね。

三上:嬉しいですね。それにかけてじゃないですけど今日お届けしていきたいのが、親の影響っていうふうにひよこまんじゅうさんもおっしゃってるんですけど、私たちは親を選べないと思うんですが6月15日父の日がやってくるということでちょっと「父の日」についてテーマを取り上げてお話しを進めていきたいと思います。

吉村:はい。

三上:ということで、個人的には母の日よりちょっと存在が薄いのかなって思うんですけど。

吉村:ああ、何かその感じはすごくありますよね。やっぱり先に母の日が来るからそっちの方でちょっとワッと盛り上がって、その後が父の日なので一回盛り上がった後で盛り下がっちゃってるみたいな感じが、何かそんな雰囲氣はありますよね。

三上:ありますよね。ちなみに父の日ってアメリカでもあるんですか?母の日はありますけど。

吉村:アメリカでも母の日、父の日ってあったと思いますよ。

三上:そうなんですね。

吉村:バレンタインデー、ホワイトデーみたいな感じではなくて、ちゃんと最初からあったんじゃないかな。元々母の日があってその後に父の日ができたって話だと思うんですけど、アメリカでも別に普通に父の日はありましたね。

三上:父の日はあるんですね。

吉村:はい。

三上:父の日っていうことですけど、どうですか?吉村さんのお話の中でもお父様の話もできたりするんですけど。

吉村:そうですね。僕は自分の父親とはあまり良い関係ではなかったので、あんまり父親との良い思い出とかあまり印象が残ってないっていうところはあるんですけど、

だからちょっと父親との関係性ってなると僕の個人的な話よりも一般論的な話になっちゃう部分とか、僕自身が父親として子どもたちとどう関係性を構築してきたかみたいな話になってくるかなって思うんですけど。

三上:うん。

吉村:僕は大体、自分がどういうお父さんであれば良いのかなっていうところを色々と考えたときに、自分の父親の取ってきた態度とか選んできた在り方みたいなものの大体逆をやっておけば大丈夫かなみたいな部分があったんで、そういう意味では反面教師としてはだいぶん参考にさせてもらったっていう部分はありますね。

三上:なるほどですね。選べないですからね、子どもはね。

吉村:でもちょっとそこの部分に関してもスピリチュアルな観点でいうと、子どもがどこの家で生まれてくるかって親を選んで生まれてきてるっていうね、魂のレベルでは選んできてるっていう説があって、僕はそれは証明の仕様は無いんですけど、まんざら完全にありえない話でもないかなって感じてるんですよ。

三上:うん。

吉村:っていうのが今の僕がどういう活動をしているかっていう部分というのは、僕が色々とその時々の色んな状況に対して対応とか適応をしてきた結果、今の僕がやってる仕事や活動にたどり着いたっていう側面があるんですけど、

いざこういうエネルギーワークとかを研究したり人の心っていうところを研究して、エネルギー的な癒しみたいなことを活動としてやってすごく僕自身は充実感を感じているっていうかね。まさにこれをやるために僕は生まれてきたんだなっていう実感を持ってこの生き方を選んでるわけですよ。

三上:うん。

吉村:でもそこから逆算して考えていった時に、結局僕の両親がこういう人たちだったっていうところの影響って実はすごく大きくて、色々と問題を抱えている両親のもとに生まれていなかったら僕はこういう活動はしていなかったと思うんですよね。

ということは僕の魂が天界みたいなところから下を見て、よし、次の人生はこんなことをやろうかなとか考えていた時に、そこにたどり着くのに一番効果的なルートを模索していくとしたら、

多分この家で生まれてきてこんな人生を送ったらこうなるんじゃないかって、ある程度分かってて選んでるんじゃないかなって、そう考えた方が理に適うなっていうふうに感じるんですね、今の僕としては。

三上:うん。

吉村:っていう意味で言うと、僕の顕在意識の記憶には全然そういうのないし、それにしんどかった時代の当事者だった僕としては、本当に自分は何でこんなにしんどい思いをしなければいけないんだみたいに思った時期もあったと思うんですよ。

ちょっとそこの記憶もだいぶんクリアリングしてきたせいで薄れちゃってはいるんですけど。でも結局自分が人生の中で成し遂げたいと思ったことをするにあたって、本当にちゃんとバッチリな家庭に生まれてきたなっていうふうに感じているんで、

そういう一般的な見方でいうところの父親としての良し悪しみたいなところで言うと、僕の父は決して良いお父さんではなかったっていうのは分かるんですけど、でも結局なりたかった自分になるっていうことにおいては、まさにものすごくお世話になった人だなっていうふうに感じてるんですよね。父だけじゃなくて母もですけど、もちろん。

三上:うん。

吉村:だから選んでるか選んでないかみたいなね、両親選べないしみたいな話っていうのも、結局選べなくてたまたまそうなってしまったって考えることももちろんできるんですけど、結局はそこからなりたい自分になるかどうかっていうそこに尽きるかなと思うんですよね。

本当になりたい自分になるっていうことができて、そこで自分がこういう生き方をしていきたいっていうルートに自分が乗ることができたら、それまでのしんどかった経験とか色んな人間関係も全部、ここにたどり着くための一種の試練だったりとかゲームでいうところのミッションみたいなものだったんだなっていうふうに思える時が来ると思うんで、

今そこにもし自分がいないなって感じるとしたらそこを目指してとにかく邁進していくことだし、多分断言はできないんですけど、自分が本当にそこのルートに今乗ってるなってやりたいことできてるなって感じたときには、すべてが本当にこのためにお膳立てをしてもらえてたありがたいルートだったんだなって感じるようになると思いますよ。

三上:いや、でもお話聞いて最初は私も親は選べないのにって言ってましたけど、後々吉村さんの話を聞いて確かにそうだな、それがないと今はないなって思いながら。苦しい時があったとしても、今たどり着くのはやっぱりそういうのがあったから知ったり氣づいたり学んだりですね、言ってみれば。

吉村:多分僕たちが魂としてこの世じゃなくて例えば何て呼ぶかよくわかんないですけど、霊界とか天界みたいなところにいる状態だとして肉体と結合してない魂の状態だったら、特に何も欠けてることはないっていうかね、何も困ってない、

自分が何かこれが欲しいなと思ったらすぐにそれが実現するみたいな、そういうレベルの世界に僕たちの意識って元々はいたと思うんですよ。だけどそれだと言ってみたらこっちの世界で暮らしてる僕たちが感じるような感動や面白みみたいなものってすごく少ないと思うんですよね。

三上:うん。

吉村:だって欲しかったら何でも手に入っちゃうってことは、全部当たり前の話になっちゃうわけじゃないですか。もうすべてを知ってる状態だったらそれ以上の新しい学びとかもないわけだし、

だから分からないとか知らないとか氣づいてないとかそういう状態に自分を一時的に追い込むことで、そこから学んで分からなかったことが分かるようになったとか、氣づいてなかったことが氣づいたっていうそこの感動みたいなね。

そういう脳科学の人なんかが言ってるようなアハ体験みたいなものとかも、分からない状態があるから分かった!みたいな楽しさがあるわけで、

そこって本当に元々は愛だけでできてる存在だった僕たちが、愛が何だか分からないとか愛がどこにあるのか分からないみたいな状態に一時的にそういう自分に加工することで、愛ってこういうことだったのかとか、自分の本質って愛だったんだって分かったときの感動の大きさみたいなのがね、すごいあるわけですよ。

だからそのことに氣づかせてもらえるっていうのは、氣づいてないとか知らないっていう状態に自分がなったからその氣づきの素晴らしさに氣づくことができるわけですよね。

三上:うんうんうん。

吉村:なので壮大なゲームをやってるって思ったら、人生のすべてが素晴らしいものっていうふうに自分で再定義することができると僕は思いますね。

三上:ありがとうございます。今日は父の日にっていうテーマでお届けしましたけど、お父さんのね、これから皆さんのお祝いとかするのかな?改めて感謝ですね。

吉村:そうですね。本当に当たり前のことに感謝するっていうことがすごく大事だと思うんですよ。それは僕たちは水とか空氣が無かったらあっという間に死滅してしまうような存在なんだけど、地球っていう環境の中で水や空氣っていうものが当たり前のようにあるから健やかに生きてられて、

空氣が無かったら死ぬかもしれない、すぐ死んじゃうってことは明らかなのにもかかわらず、普通に空氣がある中で生きてるから空氣のことを全然感謝の対象として見てないわけですよね。

影が薄い人のことを空氣みたいな人とかって言うけどこれって実はとんでもない話で、空氣みたいってことはすごいありがたい人ってことじゃないですか。

三上:あー、うん。

吉村:世界中の他の文化だとどうなのかわからないですけど、日本だと特にお父さんって朝早くから夜遅くまで家の外で働いていて家に一生懸命働いてお金を入れてくれてる人だけど、家にいる子供からしたらお父さんが頑張って働いてるところとかあまり見てないし顔合わせる時間も短いから、お父さんが何をしてる人なのかよくわかんないみたいなね。

お父さんが入れてくれてるお金で家族が生活しているんだけど、そのこともお母さんがちゃんと知らせてくれなかったら、子供にしてみたら僕こうやって普通に暮らしててたまによく知らないおじさんが家にやってくるけど、あれ何?みたいな感じになってしまってもおかしくない、全然そうなりかねないわけじゃないですか。

三上:うーん。

吉村:そこはちゃんとお父さんがこれだけやってくれてるから、この家はこういうふうにみんなが暮らしていけてるんだよっていうことをお母さんが伝えるみたいなことも結構大事なんじゃないかな。当たり前なことに感謝をするっていうね。

そういうことはちゃんと意識してやらないと、すぐに忘れて頭から抜けていっちゃうようなことだと思うんですよね。だから本当に空氣に感謝することと同じようにお父さんに感謝するっていうことも大事なんじゃないかなって。

僕の父も何だかんだいってひどい父親だなって思うところいっぱいあったんですけど、とはいえ仕事をして僕が飢えて死んだりとかしないレベルでは面倒見てくれてたわけだし、それだけでもすごくありがたいことだなって思いますよね。

三上:今日の話を聞いて、父の日、お父さんもそうだけど家族で話し合う日でもいいかもしれないですね。

吉村:そうですよね。

三上:はい。ということで今日も素敵な話がたっぷり聞けました。吉村さん、本日もありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。